(読み)しま

精選版 日本国語大辞典 「島」の意味・読み・例文・類語

しま【島】

姓氏の一つ。

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デジタル大辞泉 「島」の意味・読み・例文・類語

しま【島/×嶋】

周囲が水で囲まれている陸地。「―へ渡る」「―国」
庭の池や泉水の中にある築山。また、池や築山などがある庭。
ある仲間内の勢力範囲。また、その土地。なわばり。「―を荒らす」
近世の上方で、新町・島原以外の遊郭・色町。
罪人の送られる島。特に近世では、八丈島・三宅島など。「―流し」
手がかり・助けとなる物事。「取りつく―もない」
[類語](1島嶼とうしょ諸島群島列島アイランド全島島影孤島離れ島離島無人島浮き島島島/(3領域領分縄張りテリトリー範囲区画区域区間帯域境域ブロックエリアゾーン

とう【島】[漢字項目]

[音]トウ(タウ)(呉)(漢) [訓]しま
学習漢字]3年
〈トウ〉しま。「島嶼とうしょ島民遠島孤島渡島半島本島離島列島
〈しま(じま)〉「島国小島
[補説]「嶋」「嶌」は異体字。

しま【島】[姓氏]

姓氏の一。
[補説]「島」姓の人物
島耕二しまこうじ
島秀之助しまひでのすけ
島義勇しまよしたけ

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改訂新版 世界大百科事典 「島」の意味・わかりやすい解説

島 (しま)

自然地理学的には周囲を水圏(海,湖沼など)によって完全に囲まれ,本土mainland(大陸または主島)に比して相対的に狭小な陸地をいう。したがって,島と本土とは元来相対的関係にすぎず,両者を区別する合理的な差異はない。ただ社会的慣習として,世界的にはオーストラリアより大きい陸地を大陸と呼び,グリーンランドより小さい陸地を島と呼んでいるにすぎない。また同様に日本国内では四国より大きい陸地を本土,択捉(えとろふ)島より小さい陸地を一般に島と呼んでいる。さらに,どのくらい小さな岩礁までを島と呼ぶかも定かではない。したがって日本には,いったい幾つの島があるかといった問いに答えるには,まず島の定義を明確に定めておくことが前提となるわけで,日本の島数についての統計数字も資料によってさまざまである。《海上保安の現況》(1985,海上保安庁)によれば,本州,四国,九州,北海道,沖縄本島,北方領土,竹島と無人島を含む全国の構成島数は6852であり,うち1996年4月現在の住民基本台帳による法律指定有人島数は326である。

 最近〈離島〉という言葉がひんぱんに用いられるようになってきた。離島とはいわゆる〈離れ島〉であって,一般に本土から遠く隔絶された島をさす語であるが,離島とそうでない島とを区別する合理的な違いも存在しない。また離島という語を,その遠近に関係なく,本島に対する〈属島〉の同義語として用いる場合も少なくない。

 島をその自然的成因によって,陸島continental islandと洋島oceanic islandとに大別することは,生物地理学の立場からA.R.ウォーレスによって提唱されたが,これが島の最初の科学的分類である。陸島とは地質学的に大陸の一部とみなされる島であり,洋島とは大陸とは別個に形成された火山島やサンゴ島などをいう。こうした古典的な大分類のほかに,地塁島,段丘島,洲島,火山島,サンゴ島といった地形学的な分類も,しばしば用いられる。

 島の集団を総称して〈島群〉という。島群の中には諸島,群島,列島などがある。一般に分布面積の大きい群島を〈諸島〉,小さい島群を〈群島〉といい,島の配置が列状をなす島群を〈列島〉という。たとえば小笠原群島は,より大きな島群である小笠原諸島の一部をさすがごときであるが,その区別は社会的慣習により必ずしも明確ではない。

島の地域的特性を島嶼(とうしよ)性insularityと呼ぶが,これが最初に論議されたのは,生物学の分野においてであった。島の生物にはしばしば固有の生物が長く残存し,または新種が発生したりするなど,その生物相に特性が認められるからである。島の人間社会における島嶼性については,E.C.センプル,L.フェーブル,E.オーベル・ド・ラ・リュー,J.ブリューヌその他の人文地理学者や民族学者等によって研究されたが,いずれも島社会のすべてに共通するような社会的特性の存在を強く否定している。島とは前述のように自然地理的な概念であり,人間社会に対しては,環海性,隔絶性,狭小性の3要素からなる複合的環境特性として理解されるが,この環境特性が島の人間社会に及ぼす影響は,決して一律ではなく,時代により,民族により,まことに多種多様であって,ここが動植物と人間との大きな違いである。世上,よく島の隔絶性のみが実際以上に強調され,古い特色ある生活慣習がどの島社会にも残存するかのように思われているが,これは島社会の一面のみを見ているにすぎない。島社会の実相は,一般に想像される以上に複雑であり,むしろ新旧の各種文化の多重性がその特性であるといってよい。日本の数多くの属島についても例外ではない。

日本の島の産業の中心は,昔から水産業であると思われがちであるが,実は長い間,農業が島の生産の柱であった。離島振興法指定離島における水産業の生産額が農業のそれを上回ったのは,昭和40年代に入ってからにすぎない。大消費市場から遠く隔てられ,港も整備されず,交通も不便な島では,漁業の発達は困難だったのである。同じように農業においても,一部の内海の島々を除いて,商品作物の導入は不可能であり,水に乏しい島の農業は長く自給的畑作を根幹としてきた。明治以後,沿岸海運が衰退し,とくにわが国の工業化が進むにつれ,工業立地に不適な大部分の島々は,後進地域,過疎地として取り残されてきた。特殊な産業をもつ島としては,採石業の島,行商人の島,造船業の島,石炭業の島,製錬所の島,観光業の島などがあるが,いずれも少数にすぎず,大部分は農・漁業の島である。

代表的な後進地域となった島を振興するための国の施策として,日本では世界に類例をみない離島振興法が1953年に公布され,84年現在,表に示す77の離島振興対策実施地域がその適用をうけ,政府により離島振興計画が策定され,これらの島における港湾,空港,道路(架橋を含む),漁港,電気導入,水道,文教施設,医療施設等,離島にとって重要な公共施設の建設に対し,高い国庫補助率が適用されている。1998年度における離島振興事業費(国費,公共事業関係のみ)は1634億円で,これらの予算は,その業種をとわず,すべて国土庁に一括計上される仕組みになっている。

 2010年4月1日現在の離島振興対策実施地域は76で,総人口は42万8742,総面積は5224.88km2で,常住島は258島である。またアメリカ合衆国の施政権下より復帰した奄美群島,小笠原諸島,沖縄県に対しては,それぞれ奄美群島振興開発特別措置法,小笠原諸島振興開発特別措置法,沖縄振興開発特別措置法(2002年に失効,新たに沖縄振興特別措置法を制定)により,その振興開発が進められている。このほか離島航路の整備を目的とする離島航路整備法がある。
執筆者:

島は,海によってほかの陸地から隔離され,孤立している。したがって,生物にとって島は移住しづらい場所である。泳いだり飛んだりすることのできない多くの植物や爬虫類,哺乳類などは,遠く離れた島に自力ではほとんどたどりつくことができない。また,鳥のように自由に空を飛べるような生物にとっても,海は心理的にこえがたい障害物であるらしく,大陸と島,あるいは島と島の間を自由に行き来している鳥は,一般に考えられているほど多くはない。

 しかし一方,一度たどりついてしまえば,島はそこにすむものにとって好適な生活の場となることが多い。まず,島には肉食獣などの外敵が,ほとんどあるいはまったくいない。また,すみ場所や食物などの生活資源をめぐって競合せねばならない近縁種もいない。それに,まわりを海にかこまれた島は,海洋性気候のもとにあり,一年を通じて比較的温暖である。こうしたことから,島にすむ生物には,形態や生態に本土のものとは異なる特徴がしばしば発達している。たとえば,外敵がいないことに関連しては,人などをまったくおそれない性質が多くの動物にあるし,飛べるはずの鳥が飛べなくなっている例もある。また,近縁種がいないことに応じては,本土のものより広範囲な生活環境や食物を利用しているという傾向が,いろいろな動植物に認められる。こうしたことから,島にすむ生物には地理変異が生じやすく,しばしば典型的な小進化の例がみとめられる。

 ところで,島といっても,そこには面積や標高や孤立化の程度などが異なるさまざまなものがある。このような形状の異なるそれぞれの島に,どのくらいの種類の生物がすみついているかが,近年さかんに調べられてきている。一般的な結論としては,島がより大きく,より標高が高いほどより多くの生物種がすみ,島が大陸から離れていればいるほど少しの種数しかいない,ということがいえる。こうした関係は数式の上でもっと明確に表現することができ,それによって,どういう条件の島にはどのくらいの種数の生物がすむか,ということが予測できるようになっている。
執筆者:

アジア大陸の東端に連なる日本列島は,地理的・自然的に顕著な島嶼性を有し,その環境は,列島社会の歴史を深く規定してきた。それは文化論的には自己の縄張を〈島〉と呼称するような,いわゆる〈島国根性〉の問題に連なるが,さらに,本土の平野の農耕民が湿地帯や水田の広がりの中に浮き出た微高地,畠地を〈島〉と呼んだように,日本の島嶼性は,列島の大地に対する民族的な地形感覚一般にまでしみこむような深さをもっていたのである。いうまでもなく,日本を島国,島の集合と認識した最初の徴証は,《古事記》《日本書紀》の国生み神話である。そして,源頼朝が鬼界ヶ島(薩南諸島)征伐をもって西国鎮撫の眼目とし,夷(えびす)島(北海道)管轄権に支えられて征夷大将軍と称したように,民族的な領土高権が諸島,とくに国境の島々の領有によって象徴されるという観念は,前近代を通じて存在した。五島列島浦部島(中通島)の西の境が,鎌倉時代の一文書で,〈うみ,こうらい(高麗)のと〉と表現されているように(《青方文書》),国の最果(さいはて)は当然のことながら島であった。そして,すでに《延喜式》巻十六の追儺祭文(ついなさいもん)(鬼やらいの呪詞)において,遠値嘉(とおつちか)(五島列島の西寄りの島々)や佐渡などの国境の島々が〈疫鬼(えやみのおに)〉の追われ籠る島として現れており,それは,国境の向こうには鬼がすむという中近世の国際意識の中に引き継がれていく。対外関係の〈四口(松前,対馬,琉球,長崎出島)〉が,すべて島として存在した江戸時代に至るまで,国境の島々は,他民族との関係上,特殊な観念的・国制的位置を有していたのである。しかしこれに対して,対外的な交易・交通の発展とからみあいつつも,古代から中世初期以降活発に展開した沖合航海と離島開発は,より民衆的な,離島に対する憧憬をも根付かせたことを忘れてはならない。例えば,加賀国の釣人の一党が大風に導かれて猫の島という離島に漂着し,島の神のために異神と闘争し,〈極めて楽しき島〉としてその島を開発したという離島桃源譚(《今昔物語集》)などはそれを示している。つまり,対外関係や国制のみでなく,生産や開発に則した島社会の姿を置くことによって,離島は両義的な存在として相対化されるのである。

 このように前近代における島社会は,工業化と沿岸航路の衰退の中で後進化の道を強制された近代とは異なり,比較的大きな社会的役割を有していた。とくに瀬戸内,伊勢,九州西部などの多島海域は,水運・水産の要地として繁栄をとげる場合があり,そこには,海に開かれて広域的な活動を行う島社会が,本土とは異なる形で存在していたのである。例えば,古代より瀬戸内海航路を航行する〈松浦船〉の名をもって知られた肥前国松浦(まつら)郡には,中世,〈嶋々浦々船党〉〈海夫〉などといわれた多くの海民が居住していた。郡内の五島列島では,塩屋を運営しつつ,所持する船の一部を賃船として貸し付けていた人物や,北条氏に仕える肥後国の梶取を寄宿させ,多額の塩魚を買い付けさせた人物などを確認することができる(《青方文書》)。彼らは北条氏の海上交通支配のあり方からみても,西日本,とくに瀬戸内海の廻船ルートの重要な担い手であり,さらに,その一部は〈出雲・伯耆を指して馳〉せ上る〈筑紫船〉の日本海ルート(《太平記》巻七)にも進出していたことであろう。しかし,このような海に開かれた広域的な世界は,決して無限定なものではなく,彼らは他面で宇野御厨松浦荘(まつらのしよう)などの荘園制的支配,あるいは松浦郡本土を拠点とする海の武士団として著名な松浦党の領主制支配の下で,本土と連なる支配の中に編成されていたのである。

 また,瀬戸内海の弓削(ゆげ)島に平安時代末期〈乳牛役〉が課せられていたように,島社会では水産業のみでなく,牧畜や畑作などの農業的開発も古くから一般的であり,それを基礎とする半ば孤立的な自給経済が営まれていた事実も看過することはできない。五島列島においてもそれは同様であり,農作物の不作や飢饉に際して,〈例は入り候ふ船も,今年は一艘も入り候はず〉という状況が重なると,松浦郡本土に援助を求めざるをえないという島の経済の孤立性ゆえの脆弱性が,本土への依存関係を再生産する状況を知ることができるのである。以上のような,自給性(農業)と広域性(交通・交易)の双方を極端な形で含む島社会の困難は島社会の開発の進展とともに深化し,日本の離島問題の解決に戦後大きな努力をささげた宮本常一が,著書《日本の離島》で述べているように,現代に連なる離島問題の通奏低音をなしているのである。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「島」の意味・わかりやすい解説


しま
island

「水域に囲まれた一片の陸地」というのが、もっとも明快な島の定義である。しかし、この定義は明快ではあるものの問題となる点も多々あって、すぐに疑問符がつく。「一片の」とはすなわち島の大きさ、大陸と島との大きさの比較ということであるが、世界中でこの点にはほとんど異論がなく、面積およそ769万平方キロメートルのオーストラリアとおよそ217万平方キロメートルのグリーンランドとの間を境に、前者より大きいものを大陸とよび、後者より小さなものを島とすることが大方の了解になっている。

 問題は小さな「一片の陸地」のほうで、こちらには誰をも納得させる基準は存在しない。「岩と島はどう区別するのか」とか、「潮位の変化によって水面から出たり沈んだりするものはどうか」などという形で、このことはいつも問題視されてきた。日本はよく「島国である」などといわれ、それだけに日本人の間では「島はいくつあるか」などという問いが注目されてきたのだが、日本以外の国では、そういう問いは現在ではほとんど意味をもたなくなっている。

[中俣 均 2023年11月17日]

島の形成と区分

島は、基本的におもな二つの理由で形成される。一つは、大陸の縁辺に付属した島で、その起源や形成は地域的なスケールの形成要因、たとえば氷河作用やそれに伴うアイソスタシー(地殻均衡)あるいはユースタシー(海面変化)に関係する。大陸縁辺の島々は、局地的な浸食や風化、堆積などの作用によってもできる。もう一つは、大陸から遠く離れた海洋上の島で、これらはプレートテクトニクスやそれに付随する火山活動によって生じたものである。また、これらに当てはまらない例としては、ハワイ諸島のように火山のホットスポットに島が生ずるケースがある。

 島のあり方は多様で、複数の島々が集まっていることもあり、これらは諸島、群島、列島、孤島などとよばれる。一般に島の数が多く分布して面積も広いものを諸島、島々の分布面積が比較的狭いものを群島、島々が列状に配列されている場合には列島、一つの島が孤立して存在しているときは孤島という。しかし、これらはいずれも相対的な違いを示すだけの区分であり、多分に慣習的な呼称であることが多い。私たちは日本列島という呼び方に慣れ親しんできたが、その呼び名のもつさまざまな語感にあらがって、奄美(あまみ)・沖縄から東アジアへと連なる島々をヤポネシアとよんだのは作家の島尾敏雄だった。そこには、列島より広範な地域を表す適当な呼称を生み出したいとの願望が見て取れる。なお、島の集合体は島嶼(とうしょ)とよばれることもあるが、これは島々という意味である。

[中俣 均 2023年11月17日]

島のもつ特性とイメージ

洋の東西を問わず、島はこれまでさまざまなイメージを喚起させるものとして受け取られてきた。島であること(islandness)の根幹は、土地の隔絶性と境界の明瞭さであるが、ヨーロッパ世界では、水域を越境することは、政治的境界を越えて「異なる現実」に出会うことと同じ冒険であると考えられた。境界の明瞭さは島の完結性の根源でもあり、それが作家や芸術家らに島を舞台とする作品の制作を促してきた。

 島が明瞭な境界に閉ざされていることは、生物に独自の進化をもたらし、その結果として、島の動物相や植物相それ自体の固有性を生み出すことになった。ダーウィンのガラパゴス島を持ち出すまでもないであろう。また、知られているように、トマス・モアの『ユートピア』やシェイクスピアの『テンペスト』は島を舞台とする著作である。さらに、島は本土からみたときの逃避地であり、別世界でもある。事実であれ創作であれ、政治的にも宗教的にもそうした多様なイメージと現実とが大量に生み出され、それをもとに島はある特異な性格や特徴を有するものだと考えられてきた。

 日本の場合さしずめそのイメージの代表例は「流謫(るたく)の島」という概念であろう。またときに実際の島とは無縁の、水のない陸上の土地に対しても勢力圏(縄張り)の意味で用いられることがある。

 こうした島のもつ特性は、一般に島嶼性と名づけられ、個別には隔絶性、環海性、辺境性、狭小性、後進性などと表現されてきた。それらは概して、そこで生活を営む場合には障害であり負の要件でもあった。

[中俣 均 2023年11月17日]

国際的な島の定義

島のありようや陸地としての島の意味などを、文字通り劇的に改めさせたのは、1982年に採択され1994年に発効した国連海洋法条約(正式名称は「海洋法に関する国際連合条約」)の存在である。日本では同条約を1996年(平成8)に批准し、同年から発効した。ちなみに発効の日7月20日は「海の日」とよばれ、国民の祝日となった(現在は7月の第3月曜日)が、こうした経緯は人々にはほとんど知られていない。

 国連海洋法条約は、海洋に関する諸事項を包括的に定めたものである。2023年時点で世界の169か国(EUも含む)がこれを批准している(ただしアメリカなど未承認国もある。また内陸国にとってはもちろん基本的に批准の対象とはならない)。その過程で、島の存在と海洋のあり方とが密接にかかわっていることが明瞭にされたのである。

 国連海洋法条約では、島の定義として、簡潔にまとめると次の3点を打ち出している(条約121条1~3項)。まず、水域に囲まれた、高潮時にも水面上にある、自然に形成された陸地であること。次に、島は、領海や接続水域、排他的経済水域(EEZ)、大陸棚といった、法的に定義された海域を設定する基準となること。そして三つ目に、人間が居住したり独自の経済的活動の場として活用されたりしていないものは、島ではなく岩であり、排他的経済水域や大陸棚を設定できる根拠とはならないこと。

 これらには、いずれも時代や世界情勢に即した意味がある。まず1点目。これはいうまでもなく、人工的につくられる島が出現してきたことによるもので、一国が湾内にゴミなどを埋め立てて陸地を造成するようなスケールのものから、巨大なスケールで埋め立てた地を軍事基地として出現させるという剣呑(けんのん)なものまで、規模はさまざまである。後者についてはとくに、2016年に中国が東シナ海に軍事目的の人工島を出現させて、南沙諸島の領有権を主張した例がある。そしてハーグの常設仲裁裁判所が、法的根拠に乏しく国際法に違反するとしてこれを認めなかったものの、中国は、国連海洋法条約の締結国であるのにこの裁定を無視し続け諸島の軍事化を進めていることが、記憶に新しい。

 2点目は、島が新たに意味づけられた海洋という政治的・経済的空間を、認識し、評価し、秤量(ひょうりょう)する重要な基準となったことを意味する。この時点で島は、単なるノスタルジーの対象ではなくなり、現実的な政治性を色濃く帯びた存在となった。島の意味が変わったということでいえば、この点がもっとも重要である。たとえば排他的経済水域とは、その水域の海上や海中、海底などに存在する水産資源や鉱物資源および海水や海流、海風などから得られる自然エネルギーについて、探査、開発、保全および管理を排他的に行うことができる「主権的権利」とされ、沿岸国は自国の基線から200海里(1海里は1.852キロメートル)以内の範囲に排他的経済水域を設定できるとしている。その際、主たる国土だけでなく、そこから離れたところに領土として島を所有している場合にも、その島の周辺海域を自国の排他的経済水域と宣言することができるとされた。この結果、たとえば世界最大の排他的経済水域保有国はフランスであるといわれ、日本は約405万平方キロメートル(『日本国勢図会2023/24』)のEEZを有する「大国」となった。つまり、島は単なる存在ではなく、そこに存在することがもつ多様な意味によってその価値が測られるものとなってきたのである。

 最後の3点目は、島と岩との違いについての論争に、人間の居住または独自の経済的生活を維持することのできない岩は島ではなく、排他的経済水域や大陸棚を有しないという形で決着をつけたことになる。

 こうした変化は、たとえばもともと湖沼中にある島でもそれを島と数えないといった方針も生み出している。

[中俣 均 2023年11月17日]

日本の島

日本の国土地理院は、日本の島の数を6852(1978年、海上保安庁公表)としていたのを改め、電子国土基本図を用いて島のありようを数え直し、2014年(平成26)に新しい数値を発表した。2022年(令和4)の発表では、日本の島の数は1万4125となっている。数が2倍以上に増えたのは、測量技術の進歩と地図表現の精緻化、および国連海洋法条約が発効したことで、それまで満潮時高水位1メートル以上で周囲海岸線長100メートル以上としていた日本の島の基準が、有意な意味をもたなくなったためである。とはいえ、後述のように日本にとっては保有保護すべき島を明確にしておくという必要性があるのだとも考えられる。

 また、日本の島には新たに、現代の防人(さきもり)としての役割も付加された。2016年(平成28)に制定・公布された「有人国境離島特措法」(正称「有人国境離島地域の保全及び特定有人国境離島地域に係る地域社会の維持に関する特別措置法」)は、近年追加された島のもつ新しい役割の存在を示している。そもそも「国境離島」という聞きなれない用語が示すのは、国境を構成する島嶼との意味であるが、こうした用語が注目を浴びたのは、国境を構成する島、たとえば長崎県や沖縄県の島の土地が特定の外国人や外国勢力に買い占められているという現実を目の当たりにしたことによる。考えてみれば、日本の場合、周辺諸国とじかに接するのは島であることが多い。東アジアや南アジアの安全保障環境の雲行きが怪しくなってきたことへの対処策として、国境離島の重要性を再認識し、ありていにいえば実効支配の具体的証拠にしようというのがこの法律の真の目的なのだが、その目的を露骨に示すわけにもいかないため、特定有人国境離島地域(全71島で構成)を設定し、保全施策や社会維持政策を実施するとしている。また、これがさしあたりの大目的である定住人口の維持のため、雇用機会の拡充も目ざすことになっている。

 とはいえ、日本の数多くの島が直面している定住人口の流出傾向は依然続いており、そうした施策の効果のほどは見通せない。それでも、国土を防衛することの重要さは増している。現代の島は、季節を問わず観光客で世界的にもにぎわう一部の島を除いては、人口の流出が止まらない地となってきている。島はさまざまなイマジネーションをかきたてる場から、水面下でさまざまな国々の利権が争われる場へと変貌しているのである。

[中俣 均 2023年11月17日]

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日本歴史地名大系 「島」の解説


こしきじま

薩摩国のうちで、上甑島・中甑島・下甑島の三島にあたる中世の所領単位。子敷島・古志岐島などとも記された。古くから海上交通の要地で、遣唐使船などが来着した。薩摩国建久図田帳に「甑島四十町内島津御庄寄郡 没官御領千葉介」とある。千葉介は鎌倉幕府御家人千葉常胤のことで、甑島のほか、高城たき郡・東郷とうごう別符・入来いりき院・けどう院五ヵ所の没官領の地頭で、併せて島津庄寄郡の郡司職を得ていた。島津庄の寄郡甑島四〇町のうちにかみ村二〇町・しも村二〇町があり、上村の地頭は在庁官人大前道友、下村の地頭は薬師丸(武光高信)であった(前掲図田帳)。宝治合戦で千葉常胤の子孫秀胤が鎌倉幕府に滅ぼされ、その遺領のうち甑島地頭職に鎌倉幕府御家人武蔵国多摩たま小川おがわ郷の領主小川季能が補任され、その子季直が下向したというが(「西藩野史」「地誌備考」など)、その年代は不詳。「高城村沿革史」によれば、建長六年(一二五四)一月二〇日、甑下島郡司職をめぐって武光高信の孫信久(高城郡司)と小川季張(季直か)の間で相論があったという。


かもめじま

現江差町字津花町つばなちよう・字姥神町うばがみちようの西の沖合にある島。南北約一キロ、東西約〇・三キロ、周囲約三キロ。慶長二〇年(一六一五)に建立されたという弁天社が島の北部にあり(福山秘府)弁天べんてん島ともよばれた。近世の弁天島之図(増田家蔵)によると、島の北端が「テカヒシ」、南端が「キネツカ」。津花町の沖之口役所から「ヘンシ石」(瓶子岩)のある「中ノ浜」まで約三〇〇間余、中ノ浜は間口五〇間、北隣に五郎兵衛浜、南隣に蛭子浜があり、浜を見下ろす位置に蛭子社がある。


かつらしま

[現在地名]中川村大字葛島

片桐かたぎり村の南東、天竜川の東対岸にあり、小渋こしぶ川の川口の北にあたる。古来より川西の片桐郷の内であるが、その由緒はつまびらかでない。

川西の村だけに天竜川の渡し船は早くから発達したとみられ、渡場どばの地名がある。正保年中(一六四四―四八)作といわれる信州伊奈郡之絵図(飯田市立図書館蔵)には「はは四拾間」「舟渡し 拾五六人の舟 一艘有」とみえる。


くずしま

[現在地名]東洋町甲浦

甲浦かんのうら港の正面、七〇〇メートル沖に浮ぶ小島。近世、この島に二間四方の灯明堂と狼煙場とがあった。灯明堂では一ヵ年に四斗二升六合の灯油を使い、障子は月に二回張替える定めであった(「甲浦所々覚書」北川家文書)。元禄年間(一六八八―一七〇四)番人として三右衛門という者が城下から派遣されてきている。番屋は対岸の浅苧津あそうづにあり、専用の舟で通っていた(同文書)。明治維新後、灯明堂がすたれて船舶が難渋したので、明治一八年(一八八五)一私人が私財を投じて対岸の唐人とうじんはなに復活させたのが、現在の甲浦灯台である。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「島」の意味・わかりやすい解説


しま
island

海,湖,川などの水に囲まれた陸地。ただしユーラシア,アフリカ,オーストラリア,南北アメリカ,南極などの諸大陸は除く。大陸棚上の島,または大陸からの分離片と考えられる花崗岩質大陸地殻をもつ陸島 (マダガスカル島など) ,玄武岩質海洋地殻上にある海洋島 (ハワイ諸島など) ,造山運動で地向斜堆積物が陸化したもの (日本列島など) などに分けられる。グリーンランド,ニューギニアなど世界の大きな島はほとんど陸島である。湖や大きな河川のまんなかに存在する陸地も島と呼ばれる。グリーンランドは世界最大の島であり,アマゾン川の河口のマラジョ島は九州より大きい。

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デジタル大辞泉プラス 「島」の解説

島〔戯曲〕

堀田清美による戯曲。1955年発表。のち改稿して、劇団民芸により初演(1957年)。1958年、第4回新劇戯曲賞(のちの岸田国士戯曲賞)を受賞。

島〔ドラマ〕

東海テレビ制作、フジテレビ系列放映による日本の昼帯ドラマ。1973年6月~9月放映(全60回)。出演:北川めぐみ、明石勤ほか。

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占い用語集 「島」の解説

各線の途中にあらわれる島状の輪っかのこと。生命線上は慢性疾患、知能線上は精神的な不安、感情線上は心臓疾患と目の疲れのサインといわれる。

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