デジタル大辞泉 「舞」の意味・読み・例文・類語
ぶ【舞】[漢字項目]
〈ブ〉
1 手足を動かして踊る。まう。まい。「舞曲・舞台・舞踏・舞踊/演舞・歌舞・
2 もてあそぶ。勝手に取り扱う。「舞文」
3 奮い立つように励ます。「鼓舞」
〈まい〉「舞子・舞姫/
( ①について ) 元来、「おどり」が跳躍運動であるのに対し、「まい」は旋回運動をさすものである。近世以降、上方においては、江戸長唄などを地とするもの、盆踊などのように手振りの種類が多く動きが派手なものを「おどり」と呼び、手振りの種類が少なく動きが静かなものを「まい」と呼ぶ。
出典 平凡社「普及版 字通」普及版 字通について 情報
踊り(跳躍運動)と区別される舞踊表現。マウ,マワル動作を表す語で,モトオルという語義にも近く,ある中心をなすもののマワリをマワルこと,旋回運動を意味する。本来は,神の依代(よりしろ)や神座(かみくら)を中心として,その周囲を繰り返し回りながら神がかりする,呪術宗教的な行動を意味した。沖縄県島尻郡の久高(くだか)島で12年に一度,午の年に,5日間にわたって行われる入巫式イザイホーは,今もなお,舞の原形態をとどめており,また,小児遊戯の〈かごめかごめ〉は,神がかりの舞がぼやけて残った姿だといわれている。舞はこのような性格のものであったから,それが芸能化されてからも,声聞師(しようもじ)などの呪術芸能者が担当した。
舞は踊りと違って,かなり早い時期に芸能化され,古代,中世を通じて,日本舞踊史の主流をなした。呪術的行為から芸能への過渡的な様相を示しているのが,採物(とりもの)をとってその場を回りつつ神がかりするさまを様式化した,神楽の,神迎えないし神おろしの舞であろう。しかし,舞が,しだいに呪術性を脱して芸能化していくためには,他に媒体を求めねばならなかった。その媒体となったのが,奈良・平安時代に輸入され普及した外来の楽舞--伎楽(きがく),舞楽(ぶがく),散楽(さんがく)であった。伎楽は早くに滅びたが,その師子(しし)の芸は,二人立ちの獅子舞となって民俗芸能に大きな分野を占め,舞楽は平安時代に著しく日本化され,のち,延年(えんねん)や猿楽能(能)の舞に影響を与え,散楽は,田楽(でんがく)や猿楽を育てる大きな要素となった。
延年は,興福寺や延暦寺などの近畿の諸大寺をはじめ,各地の寺院で行われた芸能で,平安末から鎌倉時代にかけて栄えた。楽舞による祈禱であると同時に,法会や貴人接待のための余興でもあった。それは古く乱遊と呼ばれていたように,雑多な芸尽しの総称であったが,その中の舞を延年の舞といい,芸能に携わる遊僧や稚児によって演じられた。舞楽の流れをくむ寄楽や振舞,大風流などのほかに,白拍子(しらびようし)の舞をとり入れた小風流がある。
延年にも影響を与えた白拍子の舞は,平安末から鎌倉初期に盛行した。当初は成年男子や稚児によって演じられていたことと思われるが,〈歩き〉と呼ばれる諸国遊行の巫女(みこ)や,巫女的性格をもつ遊女たちの担うところとなって爆発的に流行し,一世を風靡(ふうび)するにいたった。《平家物語》で名高い祇王,祇女,仏御前や,源義経の思い者静御前などは,いずれも白拍子舞の演者である。それ以来,白拍子は,芸能の名称であるとともに,その担い手の呼称ともなった。白拍子は拍子を根本とする舞であった。彼女たちは,立烏帽子(たてえぼし)に水干(すいかん),鞘巻(さやまき)の太刀という男姿に身を装い,笏(しやく)拍子や扇拍子や鼓の伴奏によって,二句の短歌形式,四句の今様(いまよう)形式の歌謡を歌いながら舞ったが,本来の巫女性を失わず,予祝や祈禱の歌舞を表芸にし,かつ,仏神の本縁を語りながら舞うこともあったという。
曲舞(くせまい)は,白拍子の系譜を継ぐもので,久世舞,九世舞,癖舞とも記され,ただ単に舞とも呼ぶ。鎌倉末から室町時代にかけて流行した声聞師の芸で,男性が,直垂(ひたたれ)に大口(おおくち)という装いで舞うのが本姿だったらしい。しかし,流行の中心となったのは女曲舞,稚児曲舞で,白拍子同様,ともに立烏帽子に水干を着用し,鼓の伴奏で舞った。白拍子との違いは,歌謡ではなく,物語につれて舞うのをもっぱらとした点にある。舞は,次第(しだい)という短い歌に始まって2段に展開し,再び次第で終わる。拍子を重んじ,扇子を持って舞うのが特徴であった。曲舞は,猿楽の能にとり入れられると同時に,いくつかの流派に分かれ,室町中期以降,そのうちの幸若(こうわか)を名のる男舞の一派(幸若舞)が,軍記物を語り舞って武将たちに賞翫(しようがん)され,やがて江戸幕府に召し抱えられる。また,大頭(だいがしら)を名のる一派(大頭流)は民間に根を下ろし,笠屋の流派とともに女舞に勢力を張って,のち,歌舞伎の中に融け込んでいった。
田楽は,平安中期に起こり,最初は耕田行事にかかわるしろうとの神事芸能であったが,10世紀に入って,散所民がそれを専業とするようになり,そこから,貴族の邸宅や寺院の中門で演じられる,中門口(ちゆうもんぐち)という舞を生じた。
呪師猿楽(しゆしさるがく)に関係の深い翁舞をはじめ,猿楽にはもともと歌舞の要素があった。鎌倉時代にも乱舞と呼ばれて,さまざまな歌舞がとり入れられていたらしい。それらを土台に,舞楽や延年の舞や曲舞を摂取して成り立ったのが,猿楽の能における舞であったと思われる。
舞の歴史は中世をもっていったん終止符を打ち,それに代わって,近世の黎明(れいめい)とともに踊りの芸能が舞踊史の主流となる。しかし,1629年(寛永6),女歌舞伎の禁止を契機として歴史の表面に現れた若衆(わかしゆ)歌舞伎は,再び舞に注目し,狂言系統の小舞(こまい)を介して新しい舞踊表現を生み出す。それは〈小舞十六番〉という形に整備され,舞踊訓練の手ほどきとして重視されて,のちの所作事(しよさごと)の基礎となった。なお,京阪では舞踊を舞ということが多く,京舞,上方舞などの舞踊がある。
→日本舞踊
執筆者:今尾 哲也
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
広く「舞踊」の意に用いる場合と、「踊(おどり)」に対する「舞」としてその異なる要素を区別していう場合とある。「舞踊」の語は1904年(明治37)坪内逍遙(しょうよう)の『新楽劇論』から一般的になっていったが、関西では古くから舞の形式が残存していたため、舞踊の意を舞、江戸では踊という習慣がある。舞は本来「まわる」「まわす」という動きを表す意味のことばで、巡り回る運動を主とし、足は高く上げず床を滑るようにする。古代に「隼人(はやと)舞」「倭(やまと)舞」「五節舞(ごせちのまい)」等々、中世に「幸若(こうわか)舞」「曲(くせ)舞」「白拍子(しらびょうし)舞」等々、数多くあり、能の舞が完成されている。「踊」が主として近世に大きな発展を遂げ、庶民的性格をもつのに対し、「舞」は時代的に古く、貴族的性格をもつといえる。京阪に伝わる「上方舞(かみがたまい)」は音楽が地唄(じうた)(地歌)のものが古典として多いところから「地唄舞」とよばれ、能の舞、あるいは文楽(ぶんらく)の人形の動きなどを取り入れ、独自の味を備えている。また「舞」は、「踊」「振」とともに日本舞踊を構成する技法の一つで、歌舞伎(かぶき)舞踊にも種々含まれている。
[如月青子]
能を演ずることを「能を舞う」というのは、すべての演技が写実を離れ、舞という様式性に統一され、抽象化されねばならないという、能の理念を端的に表している。狭義の舞は、クセのように、謡われる文章によって舞われるものと、序ノ舞、中(ちゅう)ノ舞、神楽(かぐら)、楽(がく)、獅子(しし)などの、器楽演奏だけによる無機的な舞(舞事(まいごと))に大別される。居グセのような不動の演技も、心が舞う、より高度の舞という考えであり、また能のドラマの頂点部分で、具体的表現をまったくもたぬ舞事が舞われるのも、能が再現写実と逆方向の演劇であることを示している。狂言にも舞の要素は豊富であるが、その多くが余興として舞われることは、能との本質的な違いである。
[増田正造]
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…他方,世俗化ないし非宗教化が極度に促進されたかに見える現代の先進社会において,ケージやシュトックハウゼンらの〈前衛音楽〉,メシアンの総合的芸術,若者たちの熱狂的〈ポピュラー音楽〉などの根底に流れているものは何なのかと問うとき,そこに宗教的なるものの存在をうかがうことができるともいえよう。 音楽の始原状態と見られる呪術的,儀礼的な音楽や舞踊が今日においても残存している。それらはしばしば非常に力強いものであり,芸術音楽にも多大の刺激を与えるものが少なくない。…
…
[形とその変化]
銅鐸は本来,吊(つ)り下げて,中空の身(み)(鐸身(たくしん),カネの本体)の内部に吊(つる)した舌(ぜつ)と呼ぶ棒と触れあって音を発するものであった。身の平面はレンズ形ないし円形で,上端は閉じて終わり(上面を舞(まい)と呼ぶ),しだいに裾開きになって下端は開いたまま終わる。身の上面には,鈕(ちゆう)すなわち吊り手が直立する。…
…現在は〈舞踊〉として総称されるが,歴史的には舞と踊りは別の芸態である。舞が囃子手など他者の力で舞わされる旋回運動を基本とするのに対して,踊りはみずからの心の躍動やみずからが奏する楽器のリズムを原動力に跳躍的な動きを基本とする。…
…久世舞とも書き,舞々(まいまい),あるいは単に舞(まい)ともいう。日本の中世芸能の一種。…
…日本の中世芸能の一種。幸若舞曲(こうわかぶきよく),舞曲(ぶきよく)ともいう。曲舞(くせまい)の一流派であったので,幸若舞を曲舞ということもあり,舞,舞々(まいまい)という場合もある。…
…曲舞(くせまい)の一流派。曲舞は15世紀の中ごろから変質を始め,長編の語り物に合わせて舞うようになる。…
…邦舞また日舞ともいう。西洋舞踊に対する語で,広義には日本で行われる舞踊として,古代の舞踊,伎楽(ぎがく),舞楽(ぶがく),能,民俗舞踊,歌舞伎舞踊,新舞踊等すべての舞踊の総称となる。…
…器楽,声楽,歌詞,また衣装,背景,照明などのかかわりかたにより,その内容は複雑多岐となる。舞踊は大別して,みずから踊るためのものと,見せるためのものとあり,また目的,内容によって,宗教舞踊,民衆舞踊,社交舞踊,体育舞踊,舞台舞踊など,また原始舞踊,民族舞踊,芸術舞踊などに分けられる。呪術的,宗教的舞踊は日本では神楽(かぐら),舞楽,延年(えんねん),呪師,盆踊などのなかに見られる。…
…日本舞踊の用語。本来は人のふるまい,ようすの意であり,歌曲の歌いぶり,つまり節回しや声づかいをも〈振り〉といった。…
※「舞」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
「歓喜の歌」の合唱で知られ、聴力をほぼ失ったベートーベンが晩年に完成させた最後の交響曲。第4楽章にある合唱は人生の苦悩と喜び、全人類の兄弟愛をたたえたシラーの詩が基で欧州連合(EU)の歌にも指定され...
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