(読み)トウ

デジタル大辞泉 「塔」の意味・読み・例文・類語

とう【塔】[漢字項目]

常用漢字] [音]トウ(タフ)(呉)(漢)
仏骨を収めて祭る建造物。「経塔石塔堂塔仏塔宝塔卵塔
層を重ねた高い建物。「尖塔せんとう鉄塔砲塔
[難読]卒塔婆そとば塔頭たっちゅう

とう〔タフ〕【塔】

《「卒塔婆そとば」の略》仏教建築における仏塔。仏舎利を安置し、あるいは供養・報恩などのために設ける多層の建造物。
高くそびえる建造物。「教会の」「テレビ
[補説]書名別項。→
[類語](2尖塔タワー鉄塔塔屋五重の塔

あららぎ【塔】

斎宮でいう、「仏塔」の忌み詞

とう【塔】[書名]

《原題The Towerイェーツの詩集。1928年刊。「レダと白鳥」「ビザンティウムへの船出」などの傑作を収める。

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精選版 日本国語大辞典 「塔」の意味・読み・例文・類語

とうタフ【塔】

  1. 〘 名詞 〙 ( [梵語] stūpa の音訳語である「卒塔婆(そとば)」の略 )
  2. 仏骨などを安置したり、供養、報恩などをしたりするために、土石や塼(せん)などで高く築いた建造物。その形態、材質など種々変遷し、きわめて種類が多い。三重塔・五重塔・大塔・多宝塔・宝篋印塔など。
    1. [初出の実例]「塔壱基 五重、高十六丈」(出典:法隆寺伽藍縁起并流記資財帳‐天平一九年(747))
  3. 高くそびえた細長い建物。〔工学字彙(1886)〕

塔の語誌

インドでは本来、遺骨を埋葬する塚または墓を指したが、釈尊の死後、その遺骨(仏舎利)を安置し、祀るための建造物が作られ、それを指すようになった。


あららぎ【塔】

  1. 〘 名詞 〙
  2. (とう)をいう、斎宮の忌み詞。
    1. [初出の実例]「塔を阿良々支と云」(出典:皇太神宮儀式帳(804))
    2. 「願を叶へ給はらば阿良良伎(アララギ)を立千万の染紙より、有がたふ存じまする」(出典:浄瑠璃・田村麿鈴鹿合戦(1741)一)
  3. あららぎまい(塔舞)
    1. [初出の実例]「古記云、〈略〉其の舞の名阿良々木(アララキ)」(出典:教訓抄(1233)六)

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改訂新版 世界大百科事典 「塔」の意味・わかりやすい解説

塔 (とう)

一般に,幅・奥行きに比べて著しく高い建造物,と定義される。しかし,塔には人間が昇っていく場所という意味内容が伴っており,そのため煙突は塔とはいえず,テレビ塔や電波塔もそれだけでは高い構築物にすぎない。また,古代ローマの記念柱であるトラヤヌスの円柱は,中を螺旋(らせん)階段が昇り,塔ともいえる。先史時代の巨石記念物や古代エジプトのオベリスクは,石塊そのものであって,塔とはいえない。

 多くの場合,塔は発生的には軍事上の目的(監視,防御)あるいは宗教上の目的(天上世界の希求)をもっており,同時に塔はそれを実現し,支える権力の象徴ともなった。また塔は,形式や機能,意味が時代や地域によって異なるとはいえ,垂直に伸びる形状がもつ象徴性は変わることがない。その例は,中世ヨーロッパのゴシック大聖堂や都市のシンボルとしての近代の塔(エッフェル塔,東京タワーなど)に見ることができる。

 なお,イスラムのモスクの塔については〈ミナレット〉の項目,インドの仏教の高塔については〈ストゥーパ〉〈ビマーナ〉の項目を,それぞれ参照されたい。

メソポタミアにおいて,塔をもつ城塞が発達し,多く建てられたことが知られている。塔は防御のために軍事的目的でつくられる一方で,早くから宗教的な意味を担うことになる。すなわち,メソポタミアのジッグラトは階段状の基壇の上に建ち,何段ものテラスを階段や斜路がつなぎ,最上段には祭壇あるいは神殿をそなえるものである。それは史上最古のモニュメンタルな塔であった。旧約聖書が伝える〈バベルの塔〉の挿話は,町と塔を建て,その頂を天に届かせようという野望とその失墜の物語であり,バビロンのジッグラトの存在が背景にあると考えられている。バビロンの守護神マルドゥクの神殿があったこのジッグラトは,今では約91m四方の敷地が確認できるだけにすぎないが,復元が試みられている。ウル第3王朝期のジッグラト(前2100ころ)やアッシリアの都コルサバードのジッグラト(前8世紀)などが著名な例である。通常それらは神殿に関連する信仰の対象であり,日乾煉瓦で築かれた。メソポタミアの城市の市門も塔状の部分にはさまれるのが普通で,市壁にも塔がそなえられた。古代エジプトの石造神殿入口はピュロン(パイロン)と呼ばれる塔にはさまれていた。またその前には1対のオベリスクが建てられた。

 古代ギリシアでは宗教との関連で塔が重視されることはなかった。ギリシアの塔として最も有名なのは,アレクサンドリアの灯台であろう。それは〈世界の七不思議〉の一つに数えられるほど注目された石造建築であった。軍事的目的から塔が一躍重視されるのは,ローマ時代になってからである。塔をそなえる市門もその一つである。スプリトのディオクレティアヌス帝の宮殿(3世紀末)は小規模な都市と呼べるほどのもので,隅や各所に塔をそなえて防御を固めている。

ビザンティンの建築はローマ建築を受け継いで,塔をもつ城塞を築いた。宗教的な意味で塔が重視されるのは,中世西欧のキリスト教社会においてである。教会堂の塔は祈りの時刻をはじめ,さまざまなメッセージを伝える鐘と結びついて建てられた。鐘楼(鐘塔)が独立して建てられることも少なくない。独立した鐘塔は,とくにイタリアで多く見られ,ロマネスク様式のピサの斜塔(1173-1350ころ)や,ゴシック期のフィレンツェの大聖堂の鐘塔(いわゆる〈ジョットの鐘塔〉。1334-87)は有名である。フランスのプレ・ロマネスク期(カロリング朝期)のサン・リキエ修道院教会は,東西の内陣上部の30mに達する木造の塔をはじめ,計9基の塔をそなえている(790-800)。11世紀末になると,教会堂に塔を建てることが一般化し,ドイツではケルンのザンクト・アポステルン教会(1035~13世紀),シュパイヤー大聖堂(1030-61),ウォルムス大聖堂(1110-81,13世紀)などに,多くの塔が建てられた。また,西正面に双塔をそなえる形式(早い例は9世紀,フランス)が,フランス,イギリスで見られ,フランスではカンのサンテティエンヌ教会(1064-77),イギリスではダラム大聖堂(1093-1113)などが著名である。一方で,交差部上部に塔が建ちあがる例も少なくない(ベルギーのトゥールネ大聖堂(1110-1243),フランスのトゥールーズのサン・セルナン教会(11~13世紀)など)。フランスのペリグーのサン・フロン大聖堂(1120ころ-60ころ)の高塔は,イタリアの鐘塔のように,半ば独立して建つ。

 ゴシック期の塔はロマネスク期の重厚で明確な輪郭をもつ塔とはかなりちがった印象を与える。窓など開口部は縦に引きのばされ,また尖塔を加えることによって垂直性が強調され,分節も複雑になってくる。また大小の多数の塔が建てられ,大きな教会堂は複雑さを増すことになる。フランスのノートル・ダム大聖堂(パリ。1163-1250ころ),ラン大聖堂(1160-1200ころ),ランス大聖堂(1211~13世紀末),シャルトル大聖堂(1194-1260),アミアン大聖堂(1220-70ころ)の西正面に立つ双塔はみごとである。交差部上部に塔を建てる例も少なくない(イギリス。ソールズベリー大聖堂(1220-60ころ)の交差部の高塔)。ドイツでは,ケルン大聖堂(1284-1560,1826-80)やウルム大聖堂(1377-1529,1844-90)などの,上昇性の強い尖塔が知られる。

 他方,中世には,世俗的目的で建設された塔も多く見られる。築城術は古代ローマからビザンティンへと伝えられ,西ヨーロッパでは十字軍の遠征をきっかけに本格化する。には,わが国の天守に相当する堅固な塔(キープ,ドンジョン)が建設された(十字軍が遠征先のシリアに建てたクラク・デ・シュバリエ(12~13世紀初め),フランスのガイヤール城(1196-97),クーシー城(1225-45ころ)など)。市庁舎の塔としては,イタリアのシエナの鐘塔(1288-1310)やベルギーのブリュッセルの鐘塔(1401-55)が著名である。都市の貴族の館も城塞化されることが少なくなく,塔をそなえる例が,ことにイタリア(サン・ジミニャーノなど)に多く認められる。
ゴシック美術

ルネサンスの古典主義は,塔をあまり重視しなかった。ゴシック建築の垂直性,装飾性を円柱やドームの安定した表現に置き換えたのである。軍事的にも塔の必要が減った。鐘塔は相変わらず建てられたが,もはやゴシック期のように高くそびえることはなかった。ただ,建物の中央や隅を強調するために塔状に構築することはしばしば見られる。バロック期になると再び垂直性への関心が復活し,古典的な細部と幻想的な曲面とを結びつけたバロックの鐘塔が新しいシルエットを生み出した。また,双塔を正面にもつバロックの教会堂建築がほとんどヨーロッパ全域,さらに植民地にいたるまで建てられる。ローマのサンタニエーゼ教会(ボロミーニ設計,1653-55),ロンドンのセント・ポール大聖堂(レン設計,1675-1710),スペインのサンチアゴ・デ・コンポステラ大聖堂(フェルナンド・デ・カサス・イ・ノボア設計,1738-49),南ドイツのメルク修道院(プランタウアー設計,1702-36)などがその例である。

19世紀のゴシック・リバイバルにおいて,塔のイメージが蘇生する。イギリス国会議事堂(バリー,ピュージン設計,1836-61)はゴシック様式の世俗建築への適用例であり,時計塔は高さ97m,ビクトリア塔は110mに達する。同議事堂に見られるように,鐘塔にかわって時計台という塔が生まれるのも,近代の特徴である。一方,近代の新しい素材と技術はまったく新しい形式の塔を成立させた。パリのエッフェル塔(エッフェル設計,1889)は,鉄骨による300m(のちに320mとなる)の塔として,新しい時代の到来を告げた。ダルムシュタットのルートウィヒ大公成婚記念塔(オルブリヒ設計,1907-08)は新しい様式の塔として耳目を集めた。他には,モデル工場の鉄とガラスの階段塔(グロピウス設計,1914)があり,天文台であるアインシュタイン塔(メンデルゾーン設計,1921)やル・ランシーのノートル・ダム教会の塔(A.ペレー設計,1924)は鉄筋コンクリートの塔である。19世紀末のエレベーターの発明により高層建築が可能になり,いち早くシカゴで,次いで20世紀になってニューヨークでスカイスクレーパー(摩天楼)が生まれ,高さ381mのエンパイア・ステート・ビル(シュリーブ他設計,1929-31)によって第1期の高さ比べは一段落した。バウハウス時代のミース・ファン・デル・ローエによる鉄とガラスの摩天楼プロジェクト(1922)は,1950年代以後に現実のものとなり,明快な超高層建築を出現させた。
教会堂建築
執筆者:

中国に仏教が伝えられたのは漢代であるが,建築にインド系の新要素が導入されたことを示す最古の例証は,《三国志》に,後漢時代末に笮融(さくゆう)が徐州に建てたと見える浮屠(ふと)祠で,金色の仏像をまつり,九重の銅槃(どうばん)からなる相輪を掲げた楼閣であった。浮屠(または浮図)は仏陀の転訛で,のちにはもっぱらストゥーパstūpaを音写した率都波の訛略である塔の名で呼ばれる建築類型を指す。すなわち,初期の仏寺に出現した浮屠は,インドのストゥーパの象徴的な細部,チャトゥラーバリ(傘蓋),ヤシュティ(傘竿)を,中国の伝統的な木造楼閣に採取した建築であると同時に,機能的には後世の仏殿に相当するものであった。その後,伽藍内において仏を供奉する仏殿と仏舎利を安置する高塔の機能分離が行われ,後者の建築類型として定着したのが,中国独自の仏教建築形式としての塔であるといえよう。

 中国における塔の形式は,しかしながら一様ではなく,上記のような層塔を楼閣式と呼ぶのに対して,密檐(みつえん)式と称する軒だけを幾重にも重ねた形式も少なくなく,さらに単層塔,ラマ塔,金剛宝座塔,花塔などの形式もある。プラン(平面)も方形,八角形のほか六角形,十二角形などがあり,建築材料も塼(せん),木,石,金属など多彩である。塔は,通常,塔刹(とうさつ),塔身,基座の3部からなり,塔刹は,さらに宝珠・円光などの刹頂,相輪,仏蓮などから構成される。南北朝時代の文献の記述や石窟の表現によると,当時主流をなしたのは楼閣式の木塔で,とりわけ北魏洛陽の永寧寺九重塔(永寧寺塔)は史上に名高い。隋・唐時代には木塔のほか,塼塔も数多く建設され,方形が主流を占めたらしく,また南北朝には出現した密檐式塼塔もしだいにかなり普遍化した。現存する塔のうち最古の遺構は,塼造では12角15層密檐式の嵩岳寺(すうがくじ)塔(河南省登封。北魏,520),石造では方形単層の神通寺四門塔(山東省歴城。東魏,544,または隋,611),木造では8角5重裳階(もこし)つきの仏宮寺釈迦塔(山西省応県。遼,1056)である。木塔の遺構はきわめて少ないが,塼塔にはこのほか密檐式の崇聖寺千尋塔(雲南省大理。南詔後期),天寧寺塔(北京。遼~明),単層の会善寺浄蔵禅師塔(河南省登封。唐,746),外表を琉璃塼で統一した祐国寺鉄塔(河南省開封。北宋,1049),塼木混造の雲巌寺塔(江蘇省蘇州。呉越,961),石造には浮彫の優れる棲霞寺舎利塔(江蘇省南京。南唐,937-975),楼閣式の開元寺双塔(福建省泉州。南宋)など,各地に優れた遺構が少なくない。ラマ教の塔では,ストゥーパの原型を濃厚にとどめたチベットのチョルテン式のラマ塔があり,妙応寺白塔(北京。元)が最古の遺構である。金剛宝座塔は,インドのボードガヤー大塔の形式を引き,高大な基座の上に大塔と4基の小塔の5塔を配するもので,真覚寺(北京。俗称〈五塔寺〉)などに遺構がある。なお経幢(きようどう)は,八角形柱身に陀羅尼経を刻む石柱で,本来,塔とは異質の類型に属し,唐代後期以降に現れたものである。
執筆者:

日本では西洋建築がはいるまで,塔は仏塔(塔婆)に限られていた。西洋建築の輸入以来,洋風の建物では,建物の中心などに塔状の部分,たとえば時計塔などを設けるものも多く造られたが,近代建築の興隆以来,機能的な見地から装飾的な塔は好まれず,また市街地では土地の利用上,制限いっぱいの軒高を取るため,塔を設けることは少なくなった。

 仏塔は仏教建築として輸入されたもので,材料は木や石が多く,鉄塔,銅塔,瓦塔,泥塔,あるいは紙に描いた画塔,印塔などもある。木造塔は多層塔(3,5,7,9,13層)と多宝塔が普通である。石塔は日本では小さなものしかなく,形式としては多層塔,多宝塔,宝塔,宝篋印(ほうきよういん)塔,五輪塔,無縫塔,笠塔婆などがある。鉄塔や銅塔には相輪橖(そうりんとう),宝塔,五輪塔などがある。木造塔は舎利奉安のため,または大日如来の三昧耶形(さんまやぎよう)として建てられたが,のちには伽藍(がらん)を荘厳(しようごん)するものとして,あるいは故人の供養のために建てられるようになり,神社にも設けられるようになった。石造塔は供養塔,墓塔として造立される。

 木造塔の最初のものは推古前の585年に建てられた大野丘北塔であるが,その形式は明らかでない。これに次ぐものは593年(推古1)の法興寺塔であろう。飛鳥時代には塔は金堂の前方あるいは側方に1基だけ建てられ,回廊が金堂と塔とを囲んでいた。奈良時代になると,塔は2基となり,薬師寺ではなお回廊内にあるが,平城京の諸寺では東大寺などにみられるように,回廊外,中門と南大門間の左右に設けられる(伽藍配置)。これらはいずれも方形平面の層塔で,3層か5層が多いが,東大寺や各国の国分寺に建てられた七重塔,百済大寺の九重塔,西大寺の八角塔などもあった。密教の伝来にともなって多宝塔が始められ,平安時代には塔の造立はすこぶる多く,神社内にも建てられるようになり,平安時代末の京都では百塔巡礼が行われるほど数多くの塔が建っていた。禅宗では教義上は塔を必要としないが,実際には故人の供養のためなどに造立された例が多く,五山のほとんど全部に建てられており,地方の禅寺にも設けられた例が多い。しかし,禅寺の塔は伽藍中心部を離れ,後方の山腹に建てられるのが普通であった。足利尊氏は各国に安国寺を建て,また利生(りしよう)塔を造立したが,安国寺と違って利生塔は禅宗寺院に建てられたとは限らず,造形は和様の五層塔であったらしい。中世・近世においても,塔は寺院の荘厳を増すため多く造立されたが,新興の宗派では日蓮宗にあるだけで,真宗や浄土宗はほとんど塔を設けない。

 塔は元来,釈迦の墳墓としての意味をもつもので,釈迦の骨と称する舎利を納めるのが原則であった。木造塔では心柱の下の礎石(心礎)中に穴をあけ,銅・銀・金の3重の容器を入れ,舎利はガラス器に入れてこのうちに納められ,周囲を宝玉で満たすものが普通で,まれに相輪中,または心柱中に納められたものもあった。しかし塔が2基以上も建てられることになると,舎利が各塔すべてに納められることはなくなり,一方だけに納めたもの,あるいはまったく舎利を納めないものが多くなった。なお,経巻を舎利の代りに納めたものがあり,これを法舎利という。

木造塔は三重塔,五重塔,多宝塔が多く,七重塔は東大寺および各国国分寺に,九重塔は百済大寺および法勝寺に建てられたが今はなく,十三重塔は興福寺や笠置寺などにもあったが,今は多武峰(談山神社)に一つを残すだけである。平面は方形が普通で,西大寺,法勝寺などに八角塔があった。現存のものでは長野県安楽寺塔が唯一の八角塔である。

 木造塔の構造は,中心に心柱(檫とも書く)を立て,周囲に四天柱と側柱を立て,層数だけの木造建築をつくる。第1層は中央に仏壇をつくり,仏像を安置し,内部を装飾するが,第2層以上は構造材を露出し,室として設備しない。外部は各層の各面とも中央を出入口とし,左右を連子窓とするのが通例である。心柱は最上層の屋根上に突出し,青銅あるいは鉄の相輪を載せる。相輪は古くは露盤ともいわれ,伏盤(俗に露盤),伏鉢,請花(うけばな),九輪(くりん),水煙,竜車(舎),宝珠からなる。心柱と周囲の部分とは構造的に関係なく,別個のものであったが,平安時代末から心柱は第1層上部で止まり,第1層内部を広く使えるようなものが現れた。三重塔は鎌倉時代以後,ほとんど第2層で心柱を止める。五重塔では海住山寺塔を最古の例とするが,後世のものでも,心柱は第1層まで達しているものが多い。江戸時代には日光五重塔のように,心柱を塔の上部から釣り下げるものが現れた。これは,心柱の収縮がほとんどないのに,周囲の構造体は多くの木材を積み重ねた形であることから全体としてかなりの縮みが生じ,このため造立後,日がたつと伏盤のところで屋根と伏盤との間があく結果となり,心柱下部を切断しなければならないような事態を起こすといった欠陥をなくするためであった。塔の形は,古いものほど相輪が長く,かつ全高に対する第1層平面の大きさが大きい。したがって,古いものほど安定感がある。

 多宝塔は元来,多宝如来を安置するものをいったのであるが,かなり古くから上層円形・下層方形の塔形を多宝塔という。これは円形平面に方形屋根を載せた単層塔(宝塔という)の周囲に裳階(しようかい)/(もこし)をつけたもので,外観は二重塔となる。心柱は下層上部で止まる。上層の円形平面の柱の配置を下まで延ばしたものを特に〈大塔〉と呼ぶ(遺構としては和歌山県根来寺の塔)。上層は円柱に四手先(よてさき)の組物を載せるが,下層は裳階の意味をもつので,角柱に簡単な三斗(みつど)を載せる。相輪は層塔とだいたい同様であるが,水煙はなく,四葉,六葉,八葉の3重の請花を重ね,竜車がなく,四方の隅棟(すみむね)の宝珠形に向かって鎖で連絡し,宝鐸(ほうちやく)を下げる。また,宝塔の屋根の四隅に4基の相輪(中央のものも合わせて5基)をあげたものを瑜祇(ゆぎ)塔という。工芸品にはあるが,現存するものは高野山に近年再興されたものがあるだけである。

 なお,木造塔のうちには堂内に安置するための小規模なもの,たとえば海竜王寺五重小塔,極楽院五重小塔(奈良),東寺五重小塔(平安)などや,宝塔・多宝塔形式のものがあり,奈良時代に十大寺に納められた百万塔がある。

石造層塔は3~13層で,第1層の四周に四仏あるいは四位を表す梵字を刻む。初重だけ背が高く,二重以上は屋根を積み重ねただけのような形式のものが多いが,木造塔に近い比例をもったものもある。遺品は奈良時代からあるが,他の石造塔と同じく,鎌倉時代中期以後に急激に増加する。宝塔は元来,塔の美称であるが,現在では円形平面の単層塔を宝塔といっている。国東(くにさき)塔というのは,大分県にある地方色のある石造宝塔である。石造多宝塔は宝塔と同じく,平安時代から現れるが,遺品はごく少ない。木造宝塔には遺構がない。木造では宝塔は構造が困難で,下層に雨があたると壁の維持にくるしむため,裳階つきの多宝塔となったのであろうが,石造ではこの難点はなく,形の上からも宝塔のほうが好まれたのであろう。宝篋印塔は《宝篋印心呪経》を納めた塔の意であるが,呉越王銭弘俶が八万四千の方形平面単層の銅塔をつくり,それが日本に伝来して盛んにつくられるようになったもので,笠の四隅に隅飾のある特殊な形式をもち,塔身四方には四仏またはその梵字を刻む。遺品としては鎌倉時代からある。なお,籾(もみ)塔というのは,高さ2~3寸ほどの宝篋印形木製小塔で,平安時代末から鎌倉時代にかけてのものがあり,小塔供養に用いられたものであろう。五輪塔は方形の地輪,球形の水輪,宝形造の火輪,半球形の風輪,宝珠形の空輪からなるもので,平安時代から現れ,各輪四方に梵字を彫ったものが多く,最も多くつくられた石塔である。また板碑(いたび)は五重塔の簡略化されたものともみられよう。笠塔婆は,柱状の塔身に笠石を冠したものをいい,鎌倉時代から遺品がある。無縫塔は卵塔(らんとう)ともいい,台上に卵形の塔身を置き,笠を載せない。禅僧の墓塔として始まり,後に各宗にも行われたもので,鎌倉時代以後のものである。

金属製の塔は,青銅あるいは鉄製で,多宝塔,宝塔,五輪塔が多く,舎利を納め建物内に安置するためにつくられている。相輪橖は本来は経幢(きようどう)であって,経巻を入れた金銅桶(こんどうとう)を高く支え,その上に相輪を載せたもので,延暦寺,輪王寺などに遺構がある。

瓦塔は全国にかなり出土遺跡があり,また窯跡などからも多くの断片を出土するから,昔は相当多数つくられたものと思われるが,完全な形を保っている古い時代のものはない。形は木造塔の形を陶器に写したものである。
寺院建築
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普及版 字通 「塔」の読み・字形・画数・意味


常用漢字 12画

(旧字)
13画

[字音] トウ(タフ)
[字訓] てら

[説文解字]

[字形] 形声
声符は(とう)。〔説文新附〕十三下に「西域の(ふと)なり」とあり、梵語stpaの音訳の字。塔婆・兜婆ともいう。

[訓義]
1. とう、てら、塔婆。
2. おか。
3. 地におちる音。

[古辞書の訓]
〔和名抄〕 齊・楚にてはと曰ひ、揚・越にては(がん)と曰ふ。一に云ふ、下の室なりと 〔立〕 ナル・ウチカク 〔字鏡集〕 物の地に墮つる聲なり。ココロザシ・ナル

[熟語]
塔院・塔影・塔勢・塔尖・塔然・塔頂・塔灯・塔婆・塔・塔輪・塔林・塔鈴
[下接語]
瓦塔・塔・画塔・危塔・鬼塔・旧塔・経塔・金塔・香塔・高塔・寺塔・瑞塔・石塔・仙塔・尖塔・磚塔・曾塔・泥塔・鉄塔・灯塔・破塔・髪塔・飛塔・塔・仏塔・宝塔・梵塔・卵塔・立塔

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百科事典マイペディア 「塔」の意味・わかりやすい解説

塔【とう】

平面の大きさに比して著しく高い建造物。記念碑的なものあるいは宗教的意図から生まれたものが多く,自然石柱を立てることに始まり,造形意欲と技術との結合によって発展した。特に中世の宗教全盛時代に多く,西欧では教会堂と結びついて,内陣,西正面等に建てられ,各時代の様式を特徴づけたほか,イタリアでは鐘塔として独立。同様にイスラム圏ではミナレットとして独自のものが作られた。仏教国では仏舎利崇拝を起源とするストゥーパの築造に始まり,高塔に発展して仏教信仰の中心となった。日本でも明治期に西洋建築が入ってくるまで,塔は仏塔に限られ,木や石を材料として作られた。寺院の大塔としては木造塔が多く,三重塔五重塔等の多層塔と多宝塔が普通で,石塔は宝篋(ほうきょう)印塔五輪塔等供養塔や墓塔として作られた小規模のものが多い。
→関連項目飛鳥寺式伽藍配置水煙大官大寺宝塔

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「塔」の意味・わかりやすい解説


とう
tower

建築用語。幅に対して高さが圧倒的に大きい建物の総称。一般に居住の機能を欠き,高いゆえに生れる,すなわち周囲を見渡せる,周囲から一見できる,広い範囲に音や電波を放射できるという特徴に基づく機能のために存在し,ときには記念性や象徴性をもって建造されることもある。塔の建設はときに現実の必要をこえた熱狂を生むこともあり,中世イタリアの都市では名門の家が塔を競って建てた。今日でもサンジミニャーノやボローニャにはその名残りがみられる。中世後期のヨーロッパの都市は競って時計塔を建て,19世紀にも再度そのブームがみられた。また宗教建築においても仏教建築のパゴダやイスラムのモスクのミナレットのように塔が重要な主題となることが多い。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「塔」の解説


とう

塔婆(とうば)

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デジタル大辞泉プラス 「塔」の解説

末弘喜久の小説。2000年発表。同年、第24回すばる文学賞受賞。

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世界大百科事典(旧版)内のの言及

【ホフマンスタール】より

…音楽劇中の一編《影のない女》(1919)は小説の形でも書かれており,影のない妖精の王女が人間界の苦難を経て初めて影を手に入れるというその筋立ては,夢から現実への道を模索する作者の心の方向を,比喩的に表現している。またウィーン生れの若い貴族を主人公にした物語《アンドレアス》も,世間知らずの夢想家が苛烈な現実にしごかれて成長する過程を描こうとしているし,スペイン・バロックの劇作家カルデロンの《人生は夢》を下敷きにした悲劇《塔》(1925,27)でも,夢からの覚醒が主題となっている。しかし《アンドレアス》は結局未完に終わり(死後,1932年に刊行),《塔》は決定稿を得るために難渋をきわめた。…

【木】より

…エリアーデは,これを〈中心のシンボリズム〉と定義している。 このような宇宙軸の観念は前3000年から前4000年ころにすでにあり,樹木にかぎらず,柱,棒,塔,山はみなこのシンボリズムを共有する。その代表的なものはスカンジナビアに伝わる〈エッダ〉の中にうたわれたイグドラシルと呼ばれるトネリコの木である。…

【寺院建築】より

…これが中央アジアを経て後漢代(1~3世紀)に中国に伝えられた。塔殿と僧房その他を有する建築群に官衙(かんが)や宮宅の形が応用されて,官庁の意である寺という呼び方が使われ,外来宗教(今日ではキリスト教を除く)の施設が寺と呼ばれた。院は障壁で包まれた一部の意で,寺の一部分を指したものである。…

【新羅】より

…また,新羅末期には地方自立の傾向をうけて,禅宗が地方豪族と結合して各地で栄え,禅宗九山という多様な宗派を生み出した。 三国時代の新羅の仏教文化は初め高句麗の,のちに百済の影響をうけながら,皇竜寺の伽藍址や芬皇寺石塔のように,覇気と調和美とをもつものであった。統一時代前半の文化は,雁鴨池(がんおうち),石窟庵,仏国寺などにみられる宗教的な情熱を秘めた貴族文化である。…

【塔頭】より

…禅宗寺院の子院で塔中とも書く。高僧の住房や庵居から発展し,その墓(塔)を守って弟子が相伝した。…

【つり橋】より

…日本では,1973年関門橋の完成に続く本州四国連絡架橋の具体化に伴ってつり橋建設技術は飛躍的に発展しつつある。
[つり橋の構成と形式]
 一般につり橋の主要な構成要素は,(1)主要部材としての主ケーブル,(2)主ケーブルの張力を大地に導くアンカーブロック,(3)主ケーブルの最高点を支える塔,(4)補剛桁(充腹桁またはトラス桁),(5)補剛桁を主ケーブルにつるすつり材の五つである(図1)。つり橋は補剛桁の支持条件によって図2のように分類できる。…

【仏教美術】より

…しかし,釈迦が滅するや,大衆は〈法〉のみでは満足せず,しだいに〈仏〉を主体とする造形を生み出していった。その一つは早くからみられ,荼毘(だび)に付された釈迦の遺骨(舎利)を人々は求め,舎利は分配され,これを中心に塔が建立された。舎利信仰の隆盛にともない,塔は石造化し,さらに塔門や柵には浮彫が施され,荘厳化が進む。…

※「塔」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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