行方(市)(読み)なめがた

日本大百科全書(ニッポニカ) 「行方(市)」の意味・わかりやすい解説

行方(市)
なめがた

茨城県南東部に位置する市。2005年(平成17)、行方郡麻生町(あそうまち)、北浦町(きたうらまち)、玉造町(たまつくりまち)が合併して市制施行、行方市となる。市名は郡名による。北は小美玉(おみたま)市、鉾田(ほこた)市、南は潮来(いたこ)市に接し、西を霞ヶ浦(かすみがうら)、東を北浦に挟まれる。市域は両浦の湖岸低地と、その間に広がる行方台地上に展開。霞ヶ浦湖岸を国道355号が縦走し、北部を国道354号が横断する。354号には霞ヶ浦に霞ヶ浦大橋、北浦に鹿行(ろっこう)大橋が架かり、かすみがうら市、鉾田市と結ばれる。また北浦には北浦大橋(県道荒井行方線)も架かり、鹿嶋(かしま)市域とを結ぶ。古代から常陸国府(現在の石岡市に所在)と鹿島地方とを結ぶ水陸交通の要地で、行方郡の郡衙が置かれた。中世には常陸大掾(だいじょう)氏の一族行方氏、玉造氏、麻生氏などが小高(おだか)城、玉造城、麻生城などに、武田氏、下河辺氏が武田城、行方城などに拠った。戦国末には佐竹氏領となる。江戸時代は麻生藩、水戸藩などに分属。麻生藩新庄(しんじょう)氏の陣屋が設けられた麻生は、武家屋敷が並び、河岸も整備される。陣屋を中心に町場も形成され、明治時代には行方郡役所も置かれた。

 現在の基幹産業は農業で、米作のほかセリ、エシャレット、ミズナシュンギク、トマト、イチゴなどの園芸農業、養豚なども盛ん。霞ヶ浦ではワカサギ、エビ、ハゼなどを漁獲し、佃煮が特産品。コイ養殖も行われる。北部にはゴルフ場が多く、上山鉾田(かみやまほこた)工業団地には精密機械などの工場がある。霞ヶ浦湖岸の一部は水郷筑波国定公園に指定され、霞ヶ浦大橋の近くに水の科学館を中心とする霞ヶ浦ふれあいランドがあり、麻生には景勝地天王崎(てんのうざき)がある。北浦大橋周辺に「白浜ふるさと自然のみち」が整備され、県立白浜少年自然の家がある。西蓮寺(さいれんじ)には1287年(弘安10)に弘安の役の戦勝を記念して建てられたという相輪橖(そうりんとう)があり、同寺仁王門とともに国指定重要文化財。熊野神社本殿、万福寺の阿弥陀堂、仁王門などは県指定文化財。面積222.48平方キロメートル、人口3万2185(2020)。

[編集部]


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