デジタル大辞泉
「両」の意味・読み・例文・類語
りょう〔リヤウ〕【両】
[名]
1 二つで一組みとなるものの双方。両方。「両の手」「両の目」
2 近世まで用いられた重さの単位。1両は1銖の24倍、1斤の16分の1で、約41~42グラム。
3 江戸時代の通貨単位。金1両は慶長小判1枚(4.75匁、約17.8グラム)とし、その4分の1を分、分の4分の1を朱とする。また、金1両に対し銀50匁(のち60匁)、銭4貫を公定相場としたが、実際は変動が激しかった。
4 薬の重さの単位。1両は4匁。
5 布帛2反。
6 明治時代、俗に、円のこと。
[接尾]助数詞。
1 車の台数を数えるのに用いる。「前の3両が脱線」
2 二つで一組みになっている物を数えるのに用いる。
「錦御襪八―」〈皇太神宮儀式帳〉
3 装束・鎧などを数えるのに用いる。
「鎧の二三―をもかさねて、たやすう射通し候ふなり」〈平家・五〉
[補説]1は、「輛」とも書く。また、3は「領」の当て字。
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りょうリャウ【両】
- [ 1 ] 〘 名詞 〙
- ① 重さの単位の名称。
- (イ) 令制における二四銖(しゅ)の重さの名称。日本古代の称量(しょうりょう)の制は、唐の制を踏襲したもので、中くらいの大きさの黍(きび)一〇〇粒の重さを基準としてこれを一銖とし、二四銖を両とし、一六両を斤(きん)とした。平安時代以降六銖を分(ふん)とし、四分で一両とする制も併合された。中国では、唐の武徳四年(六二一)に一枚二・四銖の重量の開元通宝を鋳造し、良質の銅銭であったため基準貨幣とされた。これの一〇枚は二四銖すなわち一両になる。開元通宝一文(銭)の重量を文目(匁)と称し、中世以降重量単位の系列の中にとり入れられた。一六両すなわち一六〇文が一斤となる。一両すなわち一〇匁は三七・五グラムに相当する。〔令義解(718)〕
- (ロ) 中世から近世末まで行なわれた重さの単位で、時代・地方により、はかる物により、いろいろと差はあったが、だいたい四匁ないし五匁を単位とする名称。金・薬・香など貴重品について行なわれた単位で、両の量目を半減したもの、すなわち一両を五匁とする法が用いられた。その時期は不明であるが、平安時代のうちとも鎌倉時代ともいわれる。また、金の一両は、室町時代までに四匁五分とされ、天文二年(一五三三)ごろから四匁四分とされた。銀の一両は、中世・近世を通じて四匁三分が標準で、他の物の一両は古くは五匁、のちに四匁四分、近世では多く四匁が用いられた。もっとも、これは京目(きょうめ)であり、地方ではいろいろな田舎目(いなかめ)が用いられて一定でなかったが、すべて四匁から五匁までを一両とするものであった。なお、一〇両を一枚(まい)と称した。
- [初出の実例]「先日所奉紅雪今二両可奉」(出典:御堂関白記‐長和元年(1012)一〇月二九日)
- ② 貨幣の価の単位の名称。
- (イ) 称量貨幣であった金および銀の、一両の重さのもつ価の名称。計数貨幣の銭(ぜに)に対する一両の重さの金あるいは銀の価、また、金銀それぞれの価の割合は、時代・地方により差があった。金銀の比は、古来ほぼ金一両に銀五両ないし六両であったが、一六世紀なかばから銀一〇両ほど、一七世紀前半には銀一三両ほどとなり、近世末には銀二〇両以上となった。金の勘定には、一両を四分(ぶ)、一分を四銖(しゅ)とする四進法が行なわれた。なお、一〇両を一枚(まい)と称した。
- [初出の実例]「御太刀、黄金卅両、甲鎧進上也」(出典:上井覚兼日記‐天正一二年(1584)一二月八日)
- (ロ) 計数貨幣であった江戸時代の金貨の価の名称。幕府は慶長六年(一六〇一)以来、大判・小判・分判(ぶばん)を計数貨幣として発行し、金一両に対して銭四貫文、称量貨幣の銀五〇匁、元祿時代(一六八八‐一七〇四)から六〇匁を公定相場と定め、さらに、明和二年(一七六五)以降、計数貨幣の銀貨として五匁銀などを発行して、貨幣制度の統一を図った。しかし、実際には、金貨・銀貨は、その額面どおりには取引されず、それぞれの品質によって価が変わり、多く、金・銀の実勢相場によって取引され、公定相場は有名無実であった。明治四年(一八七一)、政府は新貨幣法によって、従来の金一両を新貨一円と定めた。
- [初出の実例]「一金子壱両に永銭壱貫文たるべき事、一金子壱両に京銭可レ為二四貫文一」(出典:御条目‐上・慶長一四年(1609)七月一九日(古事類苑・泉貨三))
- ③ 織物の長さ二反(たん)を単位とする名称。
- [初出の実例]「あつ綿のきぬ二両、小袖十重(かさね)、長持にいれてまうけたり」(出典:平家物語(13C前)八)
- [その他の文献]〔周礼‐地官・媒氏〕
- ④ 数の二。ふたつ。ことに、ふたつで対になっている物の双方。両方。
- [初出の実例]「扇を広げて、右に持ちて、手を広げて、前へややと言ひてふみよりて、りゃうの袖を打込みて、左右へさっさっと棄つる也」(出典:申楽談儀(1430)定まれる事)
- [その他の文献]〔逸周書‐武順解〕
- [ 2 ] 〘 接尾語 〙
- ① 二つで一組になっている物の数をかぞえるのに用いる。
- [初出の実例]「錦御襪八両」(出典:皇太神宮儀式帳(804))
- ② ( もとは「輛」の字も多く用いた ) 車の数をかぞえるのに用いる。現代は、大きな車すなわち車両に用いる。
- [初出の実例]「童女、車一両」(出典:貞観儀式(872)一)
- [その他の文献]〔書経‐牧誓序〕
- ③ ( 「領」のあて字 ) 装束・鎧(よろい)などの数をかぞえるのに用いる。→領[ 二 ]。
- [初出の実例]「かかるせい兵どもが射候へ者(ば)、鎧の二三両をもかさねて、たやすう射通し候也」(出典:平家物語(13C前)五)
りゃん【両】
- 〘 名詞 〙 ( 「両」の唐宋音 )
- ① 数の二。特に、拳(けん)でいう。りゃんこ。りゃんな。りゃんや。
- [初出の実例]「『でまいろう。なんでもまけたものが、おぶってわたるのだがよしか』〈略〉『りゃん、ごうさいごうさい』」(出典:滑稽本・東海道中膝栗毛(1802‐09)三)
- ② =りゃんこ(両個)②
- [初出の実例]「『けふの客人はなんだ』『それかのはなしのりゃんさ。すかねへ』」(出典:洒落本・二蒲団(1801))
ころ【両】
- 〘 名詞 〙 重さの単位。特に、金銀などの重さの単位。一両は二四銖(しゅ)、一斤の一六分の一。りょう。
- [初出の実例]「黄金三百両(コロ)を貢上る」(出典:日本書紀(720)推古一三年四月(岩崎本訓))
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普及版 字通
「両」の読み・字形・画数・意味
両
常用漢字 6画
(旧字)兩
8画
[字音] リョウ(リャウ)
[字訓] ふたつ
[説文解字]
[金文]
[字形] 象形
字の初形は兩に作り、両輪相並ぶ形で、輛の初文。〔説文〕七下にを正形とし、「再びするなり。冂(けい)に從ふ。闕」とあって、その字形を未詳とする。また別に兩をあげて、「二十四銖を一兩と爲す。一に從ふ。するなり。亦聲」という。金文には・兩の両形あり、ともに車輛の字に用いており、もと同字である。
[訓義]
1. 車輛、車の両輪。
2. ふたつ、相並ぶ、たぐえる。
3. ふたつながら、ふたたび。
4. 数の単位。織物二端、一隊二十五人、重さ二十四銖、車五十乗。
5. 倆(りよう)と通じ、技倆、うでまえ。
[古辞書の訓]
〔名義抄〕兩 フタツ・フタリ・カタキアリ・カザル/両箇 フタリ
[声系]
〔説文〕になど三字を収めるが、輛・倆など未収。兩が輛の初文である。
[語系]
兩・輛・倆liangは同声。麗・儷lyai、離liaiは声近く、みな並び連なる意がある。離はおとりをしかけ、その鳥もち(黐)に鳥がかかる意。また(連)・聯lian、繚・了lyなども、声義の関係がある。
[熟語]
両意▶・両隠▶・両楹▶・両腋▶・両下▶・両可▶・両佳▶・両和▶・両涯▶・両間▶・両丱▶・両観▶・両岸▶・両眼▶・両気▶・両岐▶・両儀▶・両許▶・両極▶・両君▶・両髻▶・両京▶・両瞼▶・両言▶・両舷▶・両箇▶・両行▶・両犀▶・両剤▶・両三▶・両驂▶・両▶・両辞▶・両手▶・両情▶・両心▶・両親▶・両刃▶・両截▶・両舌▶・両全▶・両善▶・両層▶・両曹▶・両造▶・両存▶・両損▶・両堕▶・両大▶・両端▶・両袒▶・両地▶・両致▶・両中▶・両聴▶・両都▶・両度▶・両頭▶・両刀▶・両当▶・両襠▶・両道▶・両得▶・両牘▶・両人▶・両年▶・両敗▶・両半▶・両般▶・両班▶・両臂▶・両美▶・両眉▶・両▶・両廡▶・両分▶・両便▶・両峰▶・両亡▶・両旁▶・両傍▶・両眸▶・両忘▶・両榜▶・両没▶・両面▶・両目▶・両雄▶・両誉▶・両用▶・両葉▶・両様▶・両曜▶・両翼▶・両立▶・両竜▶・両両▶・両輪▶・両隣▶・両霊▶
[下接語]
一両・奇両・斤両・兼両・参両・車両・銖両・千両・馬両・半両・百両・万両・罔両
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両
りょう
江戸時代の金貨の価の名称。もとは中国唐代の制度に倣ったわが国の令(りょう)制で定めた量目(りょうめ)の単位で、尺貫法でいう1斤(きん)の16分の1、10匁に相当した。中世以後は、おもに金などの貴重品の重さの単位となり、それとともに量目は5匁から4匁相当に半減した。
1601年(慶長6)江戸幕府が計数貨幣として、いわゆる慶長大判、慶長小判、慶長(けいちょう)一分判(一分金)という3種の金貨を発行するに至って、小判1枚(4.75匁=約17.8グラム)をもって1両と定められた。一分判は小判の4分の1の量目で、価格は1両の4分の1として通用させ、大判は額面10両だが、通用価格は時価によって変動している。この後、1697年(元禄10)には、分の4分の1に相当する朱という単位を用いた二朱金(8枚で1両に通用)が新たに発行され、ここに両、分、朱という四進法を用いた金貨制度が確立された。しかし、1695年の貨幣改鋳に際しては、慶長小判に対し、重量は不変ながら、品位(金の含有率)についてはおよそ27%近く落とされている。
この後、1714年(正徳4)と1716年(享保1)の改鋳で品位が一度は復活したものの、以降貨幣改鋳のたびに、品位の低下と小判1枚の重さ自体の軽量化が進み、貨幣制度の基本であった1両そのものの量目は変動していった。そのために、1609年、金1両に対し銀50匁、銭4貫(4000文)と定め、1700年に銀60匁、銭4貫と修正された公定相場も、有名無実化され、両替相場は激しく変動している。なお、1871年(明治4)、明治政府は新貨条例施行にあたって、従来の金1両を新貨1円と定め、両を単位とする貨幣制度は改廃された。
[棚橋正博]
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両
りょう
1中国から渡来した重量の単位。斤の16分の1,銖(しゅ)の24倍。貫の100分の1で,10匁(もんめ)に相当。中国では,音律の基礎となる黄鐘管(こうしょうかん)を満たす黍(きび)の重さを12銖,これを二つあわせて両とする。日本では大宝令制で導入され,24銖を小1両,小3両を大両とし,銀・銅・穀物の計量以外には小両を用いるとするが,必ずしも守られなかった。その後,両の絶対値は時代や地方によって変化し,京目1両を4匁5分とするのに対して,田舎目1両は4匁7分であった。近世になると1両が10匁に安定する。尺貫法では37.5g。
2江戸時代の金貨の貨幣単位。分の4倍,銖(朱)(しゅ)の16倍。分と同じように重量単位から転じた。慶長小判1枚(=1両)は4匁7分6厘と定め,その4分の1を一分金としたが,その後の改鋳によって小判の質量が変化しても両と分,さらには銖の関係はかわらなかったので,質量単位としての意味を失い,貨幣単位として定着した。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
両 (りょう)
1891年に制定された度量衡法によって尺貫法が確立される以前に用いられた質量の単位。古代中国の単位に由来し,銖-分-両-斤(銖は中位の秬黍(くろきび)100粒の重さ,分=6銖,両=4分,斤=16両)の系列をなし,唐の開元通宝の目方に等しい匁に対しては1両=10匁の関係にあり,ほぼ37.3gに相当する。ただし鎌倉時代後期以降,京都では金1両は4匁5分,銀1両は4匁3分などとされた。薬種は通常1両が4匁。
執筆者:三宅 史
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
両【りょう】
(1)度量衡法制定(1891年(明治24年))以前に用いられた質量単位。元来は古代中国で用いられたもので,日本では大宝令で1両=24銖(しゅ)=1/16斤と規定。鎌倉後期以後は京目(金1両=4匁5分)と種々雑多な田舎目が用いられた。薬種では通常は1両=4匁とされた。(2)江戸時代の貨幣単位。金貨では1両=4分=16朱。
→関連項目円(通貨)
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両
りょう
(1) 量目の単位。令の規定では,1両を 16分の1斤=24銖 (約 16g) としている。 (2) 薬種の量目の単位。1両は4匁。 (3) 室町時代の金銀の量目の単位。金1両=4匁5分,銀1両=4匁3分。 (4) 江戸時代の金貨の単位。1両=4分=16朱。 (5) 中国の旧式銀貨の単位。
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世界大百科事典(旧版)内の両の言及
【円】より
…銭・厘を補助単位とする十進法の計算体系をもつ。それまで流通の江戸期金貨には1601年(慶長6)制定の両・分(ぶ)・朱という単位が使用されていた。1両=4分,1分=4朱の四進法であり,鋳貨の形態にも小判形と方形との2種があった。…
【貫】より
…この名称は銅銭1000枚の穴に緡(びん)(鏹(きよう)ともいい,ぜにざしのこと)を貫いて束ねたことに由来し,日本でも唐銭,宋銭の流入に伴って室町時代前後から用いられるようになった。江戸時代になると通貨は基本を異にする金,銀,銭の3貨に分かれ,基本単位は金貨が小判の両(=4分=16朱),銀貨が匁,銭貨が文であり,銀貨1000匁を1貫目,銭貨1000文を1貫文と呼んだ。このうち銀貨は秤量(ひようりよう)通貨であり,単位の匁や貫目は質量(目方)の単位である。…
【金】より
… このころまで金は一般に秤量貨幣として流通した。金の量目は鎌倉時代から1両=4匁5分が行われ,金の使用が広まるにつれこの量目法を京目と呼び,地方に4匁,4匁2分などを1両とする田舎目が行われた。16世紀後期に畿内中心に1両=4匁4分に改まったが,両,分,朱の四進法と貫匁法を併用する便宜からであろう。…
【銀】より
…4,5月に本国を出帆してメキシコ(ヌエバ・エスパーニャ)に向かうフロータと,8月に出帆してカリブ海沿岸(ティエラ・フィルメ)に向かうガレオネスの2船団,60~100隻くらいが就航していた。両船団ともアメリカで冬を越し,翌年春ハバナに集結して帰航した。1660年までの約160年間に,ヨーロッパの銀保有量のおよそ3倍に当たる1600万kgの銀がスペインのセビリャ港に到着した。…
【蔵人所斤】より
…鎌倉時代に用いられた重さを計る単位の一つ。律令制では唐制にならい,キビ100粒の重さを1銖と規定し,24銖を1両,16両を1斤(小斤)とし,さらに3両を大両1両とする大斤を定め,金,銀,穀などを計る場合に大斤を用い,他は小斤を用いることとした。この衡制は時代が経過するとともにみだれ,地域により,あるいは領主により,基準の異なるはかりを用いるようになった。…
【銭相場】より
…ついで760年(天平宝字4)発行の金貨開基勝宝は1枚をもって同年発行の太平元宝(銀貨)10枚,また太平元宝1枚は同年発行の万年通宝(銅貨)10枚に相当するという交換割合が規定された。江戸時代に入って,幕府は1608年(慶長13)12月,永楽銭1貫文=鐚銭(びたせん)4貫文=金1両とし,翌年には金銀銭貨の比価を金1両=銀50匁=永楽銭1貫文=京銭(鐚銭と同義語)4貫文とした。1700年(元禄13)11月には金1両=銀60匁=銭4貫文と改定され,これが幕府の法定相場として幕末まで維持された。…
【度量衡】より
… なお度量衡に対応する西欧語は,英語weights and measures,フランス語poids et mesures,ドイツ語Mass und Gewichtなどであって,質量(weights,poids,Gewicht)と長さ・体積(measures,mesures,Mass)との並列という表現になっている。
【史上の度量衡】
中国の《書経》の後につけられた注疏(ちゆうそ)を見ると,〈度はこれ丈尺,量はこれ斛斗,衡はこれ斤両〉とあり,国の法制度としてこれらを等しくしておくのだといった説明がなされている。ここにいう丈,尺,斛(石とも書く)などは,ものごとを数量的に表現するための〈単位〉の呼名である。…
【はかり(秤)】より
…
【歴史】
はかりの正確な起源は定かでない。エジプトで発掘された前5000年ころとみられるてんびんざおは,石灰石製で,長さ約8.5cmあり,中央と両端に穴がある。この穴にひもを通して結び,中央のひもを支え両端のひもに物をつるしたものと思われている。…
※「両」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」