武帝(前漢)(読み)ぶてい

旺文社世界史事典 三訂版「武帝(前漢)」の解説

武帝(前漢)
ぶてい

前159〜前87
第7代皇帝(在位前141〜前87)
は劉,名は (てつ) 。景帝のあとをうけ,諸侯王の勢力を削減して全国に郡県制を確立,中央集権を強化し,漢の黄金時代を現出した。官吏選考の制度(郷挙里選)をつくり,儒学による思想統一を行い董仲舒を用いて五経博士を置いた。また,衛青 (えいせい) ・霍去病 (かくきよへい) らに命じて匈奴 (きようど) 討伐に成功。西域に張騫 (ちようけん) を派遣して東西交通路を開き,大宛より汗血馬を手に入れた。朝鮮・南越を征服して郡県支配を行うなど積極外交を行った。しかし,あいつぐ外征と土木工事のため晩年には財政難となり,塩・鉄の専売や,均輸法・平準法を行って財政強化をはかったが,重税を課して社会不安を増長し,農民反乱をも招いた。さかのぼって定められた建元は年号の初めとされる。

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百科事典マイペディア「武帝(前漢)」の解説

武帝(前漢)【ぶてい】

中国,前漢()第7代の皇帝(在位,前140年―前87年)。高祖劉邦の曾孫。名は徹。その治世は前漢時代の4分の1に及び,全盛期をもたらした。中央集権を強化し,元号を制定,五経博士を置いて儒教を国教として思想の統一を図った。外政では匈奴(きょうど)を駆逐し,張騫(ちょうけん)を派遣して西域との交通を開いて大宛を征討,華南の諸種族を平定し,朝鮮を征服して楽浪郡など4郡を設けた。しかし財政の困難のため,塩鉄の専売,租税の増徴,貨幣の改鋳などを断行したため,民心は動揺した。のち反省して詔をもって天下に謝した。
→関連項目衛氏朝鮮衛青淮南子塩鉄論霍去病楽府匈奴郡国制司馬相如大学(中国)董仲舒屯田李陵

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