民主党(日本)(読み)みんしゅとう

百科事典マイペディアの解説

民主党(日本)【みんしゅとう】

1996年9月に鳩山由紀夫菅(かん)直人らが中心となって結成した政党。新党さきがけ社会民主党日本社会党),その他市民リーダーらのメンバーが参加,自由民主党新進党に抗して第三極がめざされた。政治理念は,官主導の国家中心型社会から市民中心型社会への転換,政界・官界・業界癒着の利権政治との訣別,憲法の平和理念の尊重など。1996年10月の総選挙では52議席を獲得。結成時には鳩山,菅の2人が代表を務めたが,1997年9月に菅代表,鳩山幹事長の体制に移行した。1998年1月,新進党の6分割をうけ,民主党および新党友愛,太陽党(党首羽田孜(つとむ)),国民の声,フロムファイブ(代表細川護煕),民主改革連合の野党5党(6会派)は,統一会派〈民主友愛太陽国民連合〉(略称,民友連)を結成,4月には統一して新〈民主党〉となった(衆議院93人,参議院38人)。代表は菅,幹事長は羽田孜。同年7月の参議院選挙では議席を大幅に伸ばし,1999年の党代表選挙では鳩山が菅を破った。2002年12月,菅が党代表に就任し,2003年9月,小沢一郎党首の自由党が民主党に合流。2003年11月の衆院選で民主党は比例区で第一党となり,大幅に躍進したが,2004年5月に年金未加入問題から菅が辞任。小沢が代表に内定したが同様の問題から就任を辞退,岡田克也幹事長が代表に選出された。2005年9月に前原誠司が代表となり,2006年4月には小沢一郎が代表となった。2007年7月の参議院選挙で大勝,参院第一党の位置を確保,政権交代を視野に与党との対決姿勢を打ち出した。2009年5月,政治資金規制法違反疑惑で公設秘書が逮捕された小沢一郎代表が辞任。後継代表選挙で鳩山由紀夫が岡田克也を破り,代表に就任。小沢は代表代行として,2009年8月の衆議院選挙で絶対安定多数を超える308議席獲得という圧勝に導いた。9月,社民党,国民新党と三党連立で,鳩山由紀夫内閣を発足させ念願の政権交代を果たした。小沢は入閣せず,民主党幹事長に就任した。しかし,小沢一郎の政治資金問題,鳩山自身の政治資金問題,沖縄の普天間基地問題への対応等々で内閣支持率は急落,2010年6月,鳩山は退陣し,小沢も幹事長を退き,菅直人が代表に就任,菅直人内閣が発足した。岡田克也幹事長で臨んだ2010年7月の参議院選挙で敗れ,地方選挙でも大敗するなど,野党の攻勢のなか,厳しい国会運営が続いた。2011年3月の東日本大震災,福島第一原発事故という戦後日本最大の危機的状況を迎え,菅直人内閣の指導力が問われたが,自公から内閣不信任案を突きつけられ,これに小沢グループが同調する構えを見せるなど党内が混乱,結局菅政権は2011年8月に退陣,直後に行われた代表選で,野田佳彦が勝利し代表に就任,野田佳彦内閣が発足した。小沢一郎は検察審査会による強制起訴で党員権を停止されていたが,2012年4月東京地裁で無罪判決を受け復権した。しかし,小沢は野田政権の進める消費税増税に反対,3月の衆議院における消費税増税に反対票を投じ,7月にはグループを率いて離党,脱原発と消費税増税反対を掲げて新党国民の生活を結成した。野田政権は,8月消費税増税法案を参議院で民主党・国民新党・自民党・公明党の賛成多数で成立させたものの,党勢を失ったまま,2012年12月に衆議院を解散,同月の総選挙で大敗を喫し,政権を自民・公明連立による第二次安倍晋三内閣に明け渡すこととなった。2013年の参院選では結党以来最少の17議席に留まる大敗,2014年12月の衆院選では78議席を獲得して党勢をやや持ち直したが党代表の海江田万里が落選。代表は岡田克也に代わった。なお,1940年代,1950年代には日本民主党が民主党と略称されていた。
→関連項目小渕恵三内閣子ども手当政務三役土井たか子日本日本維新の会農家戸別所得補償橋本龍太郎内閣細川護煕細野豪志前原誠司横路孝弘

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