元禄一四年(一七〇一)に刊行された関祖衡の「新人国記」は、陸奥の項で次のように記している。「会津は白川より西に入り、遥かに山谷相続きたる国なり。西は越後に隣りて、寒烈しく雪深きこと、北国よりも勝れたり。岩城・相馬は東の海浜なり。かるが故、外よりは寒ゆるし。白川・二本松・赤館・三春・白石・福島等の所々、皆山中の形気なり」。まことに明快に福島県の風土を表現したものといえよう。
福島県の県土は那須山・磐梯山・安達太良山・吾妻山など、標高二〇〇〇メートル級の火山群を擁する那須山地と、その土台をなす奥羽山脈とからなる東北中央分水山地と、その東に並ぶ低い阿武隈高地の二つの山地によって、東から浜通り(海道)、中通り(仙道)、会津の三つの地域に区分される。当然ながら太平洋岸の浜通りは比較的温暖で、夏冬ともに恵まれた気候となる。南東に向けて平野が広がるいわき地域ではこの傾向がさらに著しい。中通り地方は、南部の阿武隈川上流の白河市街では標高約三五〇メートル、高燥で冬は低温とはいえ一般に寒暖の差が少ないのに対して、北部阿武隈川下流域の福島市街は標高六〇メートル余という低地で盆地という条件のために寒暖の差が大きく、夏は全国屈指の高温多湿を記録する。中部の須賀川・郡山・二本松の各市などは白河市・福島市の特徴の中間であるといえよう。同じ中通りとはいえ、気象条件は一定の相違をみせる。他方、会津、とりわけ会津盆地周辺部と南会津の地域が全国有数の豪雪地帯であることは周知のとおりである。会津ではかつて積雪が軒に達し、二階から出入りすることが普通であった。その会津では除雪作業を「雪掘り」とよぶ。中通りでは「雪掻き」である。これに対して、阿武隈高地西縁の安達郡
白河関(現白河市)・
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
出典 日外アソシエーツ「事典 日本の地域ブランド・名産品」事典 日本の地域ブランド・名産品について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
東北地方の南端に位置する県。旧陸奥国の南部,明治の分国後は岩代(いわしろ)国の全域と磐城(いわき)国の大部分を県域とする。1868年(明治元)戊辰戦争前には会津藩・二本松藩など11藩,飛地・幕領があった。同年9月の戊辰戦争敗北後,守山・三春・中村の3藩を除き,奥羽越列藩同盟に参加した各藩は新政府側の諸藩に預けられた。その後旧幕領とともに民政取締所(のち民政局と改称)の支配下におかれた。同年末から翌年にかけて会津・福島・磐城平(いわきたいら)の3藩を除き旧藩は領地を削減されて復活した。69年若松・白河・福島の3県が新設されて民政局は廃止された。71年廃藩置県をへて11月磐城平・三春・棚倉・泉・中村・湯長谷(ゆながや)の諸県は平県(のち磐前(いわさき)県と改称),福島・二本松・白河の各県は二本松県(のち福島県と改称),若松県の3県に統合・整理された。76年福島県は磐前・若松両県を合併し,同時に亘理(わたり)・伊具(いぐ)・刈田(かった)3郡を宮城県へ分離した。86年旧越後国東蒲原(ひがしかんばら)郡を新潟県へ分離して現在に至る。県庁所在地は福島市。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
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