国家(政治的共同社会)(読み)こっか(英語表記)state 英語

日本大百科全書(ニッポニカ) 「国家(政治的共同社会)」の意味・わかりやすい解説

国家(政治的共同社会)
こっか
state 英語
Staat ドイツ語
État フランス語

国家とは、一定の地域内に住む人間集団が、生命の安全と生活の保障を求めて、また外敵の侵入を防ぐために形成した政治的共同社会である。

 現在、この地球上には約200か国に近い国家が共存している。これらの国々のうち、第二次世界大戦前からすでに独立国家であった国々の大半は資本主義体制をとる国家である。これに対抗して、ソ連に続き、第二次世界大戦後、十数か国以上にのぼる社会主義国家が出現した。しかし、1989年以降、東欧諸国やソ連が社会主義を放棄し、現在では、社会主義国家は中国・ベトナム・北朝鮮・キューバとなった。また戦後から現在に至るまでに、主としてアジア、アフリカの諸地域において、かつて西欧列強の植民地支配下にあった多数の民族が独立を達成し、これらの国々はいまや100か国近くに上り、国際連合や国際政治のなかで活躍している。

 では、国家とはいったい何なのか。現在みられるような国家という政治社会や政治形態はいつごろ成立したのか。そもそも近代国家が成立したとき、その国家構成の原理や政治運営のルール・原則はどのようなものとして考えられていたのか。現代の国際社会には、なにゆえ、資本主義国家や社会主義国家とよばれるような、経済制度も政治制度もきわめて異なる二つのタイプの国家が共存するようになったのか。第二次世界大戦後、多数の新興独立国家が出現したことによって大きく変化した国際政治の舞台において国家の性格はどのような変貌(へんぼう)をみせ、国家の将来については今後どのような展開が予想されるのであろうか。

[田中 浩]

国家とは

国家成立の要件としては、普通には、それが、領土、人民(国民)、主権の3要素を具備していなければならないことがあげられる。

 いかなる国家も、境界線(国境)によってくぎられた一定の地域・領域をもっている。アメリカ合衆国、ロシア、中国、カナダ、オーストラリア、インドのような広大な領土をもつ国もあれば、スリランカ、モナコ、シンガポールトリニダード・トバゴのような小規模な国もある。また、イギリス、フランス、ドイツ、イタリア、スイス、日本などのような中規模程度の国もある。いずれにせよ、地球全体は境界を接した多数の国々によって埋め尽くされている。

 次に、国家は人民(国民)によって構成されている。何億人という人口を擁する国もあれば、わずか数万人、数十万人の人口しかもたない国、あるいは数百万、数千万人といった両者の中間規模の人口からなる国もある。また、これらの国々のうちには、人口の大半が一民族で構成されている単一民族国家もあれば、数種類、数十種類、さらに数百種類以上の民族や人種によって構成されている多民族国家もある。後者のような国々では、当然に言語・宗教・風俗などにさまざまな差異がみられ、それなりに困難な問題を抱えている。しかし、たとえ多民族国家であっても、その地域共同体に住む人々は統合されており、一つのまとまりを保持している。

 そして、そのような一定のまとまりを人々に保障しているのが、すべての国家にあるとされる主権、すなわち国の政治を最終的に決定する最高権力である。現代国家においては、この主権は国民がもつとされている(国民主権)。このことは次の三つのことを意味する。まず第一に国民は安全で快適な生活ができるように最高権力=主権の存在を認めることに同意し、それによって政治社会=国家を設立したのであるから、国民は自ら進んでこの主権のもとに統合されるべきである。第二に、各国に存在する議会、内閣(政府)、裁判所などの各種の政治機関は、主権を形成した主権者である国民にかわって、その委託を受けて最高権力を国民の安全と利益のために行使する政治制度であると考えられるべきである。国家がしばしば統治構造と同一視される理由はここにあるが、ともあれ、国家の役割は、国民の権利や自由を保障できるような法律を制定し(立法部)、その法律を誠実に執行し(行政部)、国家内におけるすべての紛争について法律を正しく解釈・適用して解決し(司法部)、それによって人々の平和と安全を維持すること、つまり政治の隅々にまでわたって「法の支配」を貫徹することにある、といえよう。こうして国民が主権のもとに結集した目的が達成されるのである。

 第三に、以上のような民主的な権力行使が実現されるという条件の下で、各種の政治機関は、彼らが決定したことを遵守するように国民に強制できる権限を付与されているのであって、これによって、国家権力による強制は絶対君主や独裁者のような単なる暴力ではなくて平和的な「法の支配」に変えられるのである。

 ところで、国家には、国内の平和と安全を保持するという重要な役割のほかに、もう一つ外敵から国民を守るという役割がある。国家が、主権の独立性や不可侵の原則を高く掲げて他国からの干渉を排除し、そのために軍隊のような権力手段をもつことが国家に認められているのはそのためである。したがって、近代国家形成時に登場した主権という考え方のなかには、国民主権、法の支配、外敵の排除などの内容が含まれていたことに注意すべきである。近代国家論の祖ホッブズが、国家を身体になぞらえて、主権を国家(コモンウェルス)における頭部・魂と位置づけたのはこうした意味からである。いずれにせよ、領土、人民、主権の3要素のうちどれ一つを欠いても、ある共同社会を国家とよぶことはできないのである。

[田中 浩]

国家の成立

では、主権という考え方を国家構成の中核原理とする主権国家、民族国家などとよばれる近代国家はいつごろ形成されたのであろうか。われわれはその時期を17世紀中葉のイギリス市民革命期に求めることができる。この時期に形成された国民国家(ネーション・ステート)こそ、今日のあらゆる現代国家のモデルとなったものである。もちろん、それ以前にも、エジプトや中国における古代国家、ギリシアの都市国家ローマ帝国、中世封建国家、絶対主義国家のような政治共同体が存在していたことをわれわれは知っている。しかし、これらの国家はいずれも今日の近代民主主義国家に値するような条件を欠いていた。アテネの都市国家はしばしば政治共同体の理想として賞賛されてきた。確かに、ギリシア民主政の最盛期におけるアテネでは、そこに住む市民たちは、個人の利益とポリス(国家)の利益とが一致するように行動すべきことを心がけていた。ソクラテス、プラトン、アリストテレスなどが「徳」の政治の実現を主張したのはこうした状況を背景としていたのである。しかし、そのような政治は、一つには、一目で見渡される程度の小規模な地域、一気にその頭数が計算できるほどの少数の人口という条件の下でのみ可能であったろうし、一つには、人口の3分の1以上を占める奴隷がもっぱら生産に従事し、自由民が政治に専念できたことにもその成功の鍵(かぎ)があったように思われる。ところが、17世紀イギリスにおいて成立した近代国家は、500万人ほどの人口を擁する、かつ、都市国家とは比較にならないほどの大規模な地域をもつ政治社会であった。ここではもはや、都市国家のような「見える政治」を前提とする政治運営はほとんど不可能となる。こうした条件のなかで、全国民の自発的協力を基礎にしつつ、ある一定のまとまりをもった民主的な政治運営を実現するにはどうすればよいのか、というまったく新しい政治の問題が登場する。そして、そのための政治原理や政治制度を模索する努力のなかから今日みられるような近代国家が設立されたのである。この点については後に述べるとして、その後の都市国家の運命についていえば、あまりにも狭小な領土ときわめて少数の人口によっては、とうてい、近代資本主義社会にみられるような生産力の飛躍的増大は望めず、また強大な外敵の侵入を防ぐこともできず、都市国家という形態の小国家はやがてこの地上から消滅するのである。

 続いて、西ヨーロッパ全体にまたがる広大な版図をもつローマ帝国が出現するが、この巨大な帝国全体を半永久的にかつ統一的に維持し続けることは、強大な軍隊やキリスト教による精神的服従の力をもってしても不可能であって、7、8世紀になると西ヨーロッパの辺境地域に多数の地域共同体が形成される。そして、これらの地域共同体内部には何十、何百という数の封建領主の支配する封建国家が出現するが、12、13世紀から17、18世紀にかけて、封建領主のなかから、同輩の封建領主たちを次々にその支配下に置き国家統一への道を目ざして歩み始める強大な絶対君主が、イギリス、フランス、スペイン、ポルトガルなどの地域に登場する。とくに、世界で最初に近代国家を形成することに成功したイギリスでは、13世紀末までに王国の政治を円滑ならしめるために身分制議会が設立され、しかも、フランスやスペインの場合とは異なり、この国の議会はその後着実にその地位・権限を強化していったから、17世紀前半までにはイギリスの議会は全国家的な統合機能をもつ政治機関に成長していた。

 またイギリスでは、経済の面においても他の国々に先駆けて資本主義が発展したため、各地に局地的市場圏が形成され、そのことは全国的な経済統合の方向をも促進した。そして、このような政治的・経済的統合化の進展こそ、絶対主義国家から近代国家への転換を可能にした政治的・経済的要因であった。すなわち、こうした政治・経済過程の進行は当然に、生産の担い手であった市民階級の勢力を増大させることになり、イギリスでは、ついに17世紀に入って、封建階級の利益を擁護する国王と資本主義的商工業階級の立場を支持する議会との間に衝突が起こり(ピューリタン革命と名誉革命)、議会側の勝利によって、ようやく議会制民主主義を中心とする近代国家が形成されたのである。では、このようにして成立した国家において、国民の権利・自由はどのように位置づけられ、またそれを保障する制度や政治運営のルールや原理はどのように構築されたのであろうか。

[田中 浩]

近代国家の原理と制度

近代国家の諸原理を最初に明らかにしたのはホッブズである。彼は、17世紀中葉のイギリスにおいて国王と議会が相闘う悲惨な内乱(ピューリタン革命)を眼前にして、共同社会の平和を確立し、構成員すべての生命の安全を確保するためにはどうすればよいか、を考えた。この場合、彼は、国王と議会がそれぞれの立場で自己を正当化するだけでは争いは永遠に決着がつかないとみて、いずれの党派にもくみせず、まず、人間にとって何がもっとも重要であるかを考え、そこから政治の問題に回答を与えようとした。このような人間を政治考察の基本単位とする思考方法は、従来の政治学がもっぱら家族や党派的立場からのみ政治を考察してきたのに対し、きわめて斬新(ざんしん)なものであり、これによって、ホッブズの政治論は、新しい近代国家の理論となりえたのであった。彼は、人間にとってもっとも重要な価値は生命の尊重(自己保存)にある、と述べる。

 ついでホッブズは、もしも人間が法律や政治組織をもたないアナーキーな状況(自然状態)の下に生きていたらどうなるか、という問題を提起し、自然状態においては、人間は、自分の生命を守るためにはいかなることをしてもよい権利――人を殺すことさえも認められる――、つまり「自然権」をもつ、という。しかし彼は、このような自然状態にあっては、人間はまったく自由であり、それゆえに自分が自分の裁判官であるにもかかわらず、他方では各人が自然権をもっていることから、もしも身の安全が保障されないような状況が発生したときには、相互に相手を殺し合う危険な状態につねにさらされている、と指摘し、そうした状態を「万人の万人に対する闘争状態」とよび、現在の内乱(ピューリタン革命)も自然状態に等しいものと言明している。では、こうした危険性をつねにはらんだ自然状態から人間が脱出するためにはどうすればよいのか。ホッブズは、その方法としては、人間は理性をもち、この理性は、人間が平和に安全に生きるにはどのように行動したらよいかを判断する最終的基準を人間に教えてくれるから、人間はこの理性の示す諸戒律すなわち「自然法」に従って行動せよ、と人々に勧める。彼は自然法を19ほど列挙しているが、彼のいう第一の基本的自然法とは、人間は自己保存のために全力をあげて平和を獲得せよ、ということである。そこで彼は、平和を確保するためには、人間は各人のもつ「自然権」を放棄して(つまり自分で自分を守ることをやめて)、共同社会のなかに設けた一つの共通権力(コモン・パワー)に譲渡するような「契約」を結び、この共通権力のなかで選ばれた代表=主権者が、共通の利益を図るために制定する法律に従って統治し統治されるようにせよ、と人々に勧める。これが、有名な社会契約説であり、この考え方こそ、後の近代国家論や近代民主主義思想の原点となったものである。なぜなら、まず第一に、この考えによれば、国家のもつ権力は、人々の同意や契約によって設立されたものとなるから、これは今日の国民主権主義の原型といえる。第二に、この設立された共通権力は、ホッブズによれば国の最高権力すなわち主権であり、そこで選ばれた主権者とは、国民を代表して主権を行使する人または機関である。そこでホッブズは、人々に対しては、彼らの代表である主権者の制定した法律に従って生きることを勧め、他方、主権者に対しては、自己保存を確保するための内容を示す自然法に反するような法律を制定することを禁じているから、結局、彼の主張は、現代国家でいわれている「法の支配」に基づく政治の確立を目ざしていることになる。

 ところで、ホッブズのいう自然権の放棄とは、各人が生きる権利つまり自分の生命までも放棄し、すべてのことを主権者の意のままに任せるということを意味するものではない。それどころか、各人のもつ生きる権利は、政治社会が設立されたのちにも当然に保障されるべきものであって、自然権を放棄するというのは、具体的には自分で自分の生命を守ること、つまり武器を捨てて、共通の権力が制定した法律の下で平和に安全に生きることを意味する。この考え方こそ、各国憲法において基本的人権を不可侵のもの、生まれながらのものとして保障する思想原理となったものである。

 ホッブズの政治思想は、各国が近代国家を形成する際に実践されている。近代国家においては、地域分権的な封建諸侯による支配は廃止され、人々は一つの権力、一つの法律の下で生きる。また各個人や各集団は、武器をもって他人を支配したり、自分の生命を守ることを禁じられ、社会の平和を乱す犯罪行為や暴力行為に対しては国が法律その他の統制手段によって刑罰を科する。日本でも明治維新期に、版籍奉還廃藩置県、廃刀令などが実施されたのはそのためである。このような「同意による権力の設立」と「法の支配」を基調とした近代国家の理論こそ、ホッブズが体系化したものである。

 ところで、近代国家は、都市国家とは異なり、統治を委託された者たちがすべての成員を直接に知って政治を行うことはできない(見えない政治)。とすれば、近代国家において成員全体が安心して生活でき、また国家自体が安定性を保持できるという保障はどこにあるのか。まず第一に考えられることは、近代国家においては、国民が代表者を選んで共通の利益を図る法律をつくらせ、国民はそれに従って生きることが最良の方法である、という論理的仮説が国民の間に定着していることが必要である。もう一つは、近代国家内では、国民の大半は生産・商業などの経済活動に従事し、自らの生活の保持を図るとともに、他の人々にとっても有用なものを生産・分配し、そのような国民の経済活動を保障しているのが国家権力や各種の政治組織である、という経済と政治の分業による安定性という仮説が定着している必要がある。このように、近代国家は、まさに自立した自由な個人の活動を基礎として、それを保障する法と制度を整備することにより、成員全体の平和と快適な生活を増進する政治共同体として創出されたものである。そして、ホッブズの政治論は、この二つの仮説を論理化したものであると考えられ、それゆえに彼の政治理論は近代政治思想史上決定的に重要な位置を占めるものといえよう。

 さて、ホッブズの政治思想をさらに現実政治のなかで具体化し、議会制民主主義を保障する政治形態を構築したのが、名誉革命の父ロックである。ホッブズは、当時の議会は特殊利益を代表しているとみて、よりいっそう国民的な利益を代表できるなんらか別の政治形態の設立を考えていたようであるが、それが何であるかについては述べることはなく、結局、政治のあるべき原理を提示したままにとどまった。これに対し、ロックは、迷うことなくイギリス議会をイギリス政治の中心に据えた。彼もまたホッブズ流に、自然状態、自然権、自然法、契約などの用語を使いながら、人間はその所有権(生命・自由・財産)を保護する必要から契約を結び、政治社会をつくった、と述べる。

 次にロックは、政治社会のなかでもっとも重要なものは立法機関であるとし、それによって当時のイギリス議会を国権の最高機関として位置づけ、さらにこの議会権力は国王権力(行政権)よりも優位すると述べた。こうしてロックは、今日の議会制民主主義あるいは後の議院内閣制の政治原理のモデルを創出したのである。ホッブズ、ロックによって、国王の権力は神から授ったとするフィルマー流の王権神授説(神権説)は、イギリスでは早々と姿を消してしまったのである。

 ホッブズやロックの政治論をさらに発展させ、絶対王制下の封建主義と同時に、資本主義経済の矛盾という問題性を抱えた18世紀中葉の時代状況を看取しつつ新しい国家論を提起したのがルソーである。ホッブズやロックは、絶対君主制にかわる新しい政治社会を確立することによって平和・安全・自由・民主政治などが実現可能である、と考えていた。事実、彼らの国家構想や政治原理はその後の民主政治の発展に大きく寄与した。しかし、ホッブズ、ロックから約1世紀ほど遅れて生まれ、しかもきわめて厳しいフランス絶対君主の統治下にあったルソーは、フランスの封建的統治はもとより、イギリスの誇る政治や経済の実態にも多くの不満を抱くようになった。彼の目には、財産資格に基づく成年男子の7分の1によって選出されるイギリス下院は真に民主的なものとは映らなかった。また私有財産制を基本とするイギリス市民社会に貧富の差やさまざまな社会的・経済的不平等が数多く存在していることも見抜いていた。彼は『人間不平等起源論』(1755)において、自然状態では人間は自由・平等であったこと、しかし、やがて、私有財産制や、ごく一握りの少数者が多数者を組織して生産させる方式が確立してくる文明社会に入って人間の間に不平等が発生したこと、また当時の絶対君主制、法律制度、政治組織などのいっさいが結び付いて人民を塗炭の苦しみに陥れていることを鋭く指摘している。そして自然法は人間不平等を是認しないとして、このような矛盾した事態を解決するためには、これまでのいっさいの制度を破壊すること、その際には暴力に対しては暴力で対抗する革命が必要であると述べている。

 この不平等是正の問題こそ19世紀中葉以降の各国家における最重要なテーマとなるものであって、この意味で私有財産制の否定と暴力革命論を唱えたルソーは、社会契約論の大成者であるとともに、19世紀の出発点にたつ思想家でもあったといえよう。しかし、ルソーは、そのような革命がただちに起こるのは不可能であることを知っていたから、続く『社会契約論』(1762)においては、国民の政治意識を変革する作業を目ざし、個人の利益と公共の利益を同時に考慮しうるような市民(シトワイヤン)の育成と、そのような市民全員の意志としての「一般意志(ボロンテ・ジェネラール)」の確立に基づく政治の実現を主張した。実際には、このような「一般意志」の確立は可能な限り多数の人々の政治参加を実現することにほかならなかったから、結局のところ、ルソーの「一般意志」論は、人民主権の主張を誘導することとなり、したがって、この「一般意志」つまり人民主権は、国王の意志、従来の限定された国民代表機関である議会の決定、そのほかいかなる種類の団体・集団の利害よりも優位し、それゆえに「一般意志」は最高・単一不可分・不可譲渡なものとされ、ここに徹底した民主主義理論が国家論や政治運営原理の中心に据えられたのである。こうして、近代国家の原理と制度に関する諸理論は、約1世紀ほどの間に、ホッブズ、ロック、ルソーなどの社会契約論によってそのモデルがようやく確立されたのである。

[田中 浩]

国家の役割の変化

さて、17、18世紀の市民革命期に構想された初期国民国家の役割は、個人の自由・自立を基調とした経済活動の保障を主眼とし、そのためには、国家や政府の仕事は、外敵を防ぎ治安の維持を図る最小限に限定されることがよしとされ、ここに「夜警国家」や「最小の政治は最良の政治」という思想が生まれた。しかし、18世紀末ごろからしだいに先進諸国に産業革命が起こり、資本主義が急速に発達し周期的に恐慌が発生すると、貧富の差の増大、失業、劣悪な労働条件などの社会・労働問題をめぐって国内矛盾が一挙に顕在化する。ここで国家は、国内治安の維持、経済の発展と安定を確保するためにも、対外的な経済競争に打ち勝つためにも、国家権力の拡大強化を図らざるをえなくなる。そして国家は、不満を募らせた国民が反政府行動に出るのを過酷に弾圧するとともに、他国に対しては、戦争や侵略行為に訴えて国家利益(ナショナル・インタレスト)を守ろうとする軍国主義的・帝国主義的態度に出る。

 こうした経済的・社会的矛盾に基づく国家権力の抑圧的・侵略的態度をみて、それに反対するマルクスやエンゲルスなどの社会主義理論が登場し、抑圧された多数の労働者階級の心をとらえる。社会主義は、ルソー流に私有財産制と資本主義的生産の仕組みにすべての矛盾の根源があるとみて、この体制を打倒するには、無産の、搾取され続けているプロレタリアートによる暴力革命以外にはない、と主張する。この思想は、これまたルソー流に、国家をはじめとするあらゆる諸制度は被支配階級を抑圧する道具である、という階級国家論を唱え、したがって、社会主義革命後、「プロレタリアートの独裁」という政治方式によって社会主義社会から共産主義社会への建設が成功し、階級社会が消滅した暁には、暴力手段をもつ国家は死滅する運命にある、と説く。

 20世紀に登場した社会主義国家は、このようなマルクス主義を基礎にして建設されたものである。しかし、これらの社会主義国家は経済的発展に失敗し、共産党の非民主的な政治運営に反発する人民の「自由化」「民主化」要求によって、社会主義体制をやめ、現存する社会主義国家のうち中国やベトナムは、市場原理をとり入れた社会主義的「市場経済」によって、国家建設を図っている。

 他方、先進資本主義国家でも、社会主義の批判に対応して、19世紀中ごろより、少数者支配、貧困、失業、劣悪な労働条件などの政治的・経済的・社会的不平等を改善する努力が漸進的ではあるが試みられることになる。それは、一つには、選挙権の拡大によって国民の政治参加への幅を広げ、一つには、社会福祉や社会保障の拡充、各種の労働立法による労働者の地位改善と生活保障などの方向をとった。そして、こうした施策を実現するとなると、いきおい政府や行政官庁の職務は増大せざるをえず、今日みられるような行政機構の著しい肥大化を招き、そのため、国家は、従来のような議会を中心とする立法国家から、政府を中心とする行政国家へとその性格を変え、こうした国家は今日では「福祉国家」とよばれている。また、第一次世界大戦後の1920、1930年代に起こった数次にわたる経済恐慌、とくに1929年に始まる世界大恐慌によって主要な資本主義国家における経済が危機状況に陥ったのちには、各国はケインズなどの理論に従って従来の自由主義経済を修正して、国家や政府が経済活動に多面的に干渉する方向が強まった。このため、今日の経済は「混合経済」とか「国家独占資本主義」とかよばれ、かつて理想とされた政治と経済の分業を基礎にする最小の政治は、現在では政治と経済の統合化による強い政治へとその性格を変えつつある、といってよいだろう。

 このように、近代国家は、1920、1930年代には、修正資本主義を基調とする福祉国家と社会主義国家とに分裂することになったが、ここにもう一つ、二つの国家形態とは異なる第三の国家形態としてのファシズム国家がこの時期に登場した。イタリア、ドイツ、日本は、1860、1870年代にようやく近代国家の体裁を備え、後発資本主義国家として出発した。これらの国々は、もともと資源に乏しく、また先進諸国のような植民地をほとんどもたなかった。したがって、ドイツや日本が西欧列強と対抗するためには、富国強兵策によって強大な統一国家の確立を推進する必要があった。また、当時これらの国々では、西欧先進諸国とは異なり、人権思想がいまだほとんど定着せず、民主的な政治制度も十分に整備されず、国民主権主義のかわりに、せいぜい国家主権論、国家法人説(ドイツ)や天皇機関説(日本)などが唱えられ、基本的には君治専制型の政治が強行されていた。そこで、第一次世界大戦後、未曽有(みぞう)の経済的危機が発生するなかで、ヒトラー、ムッソリーニ、日本軍部などのリーダーシップによるファシズム独裁国家が出現した。

 これらの国々は、反共主義を前面に掲げながら同時に反西欧を唱え、国民を総動員するためにいっさいの反体制運動、たとえば社会主義運動、労働・農民運動、またいっさいの人権や自由を制限禁止し、ついには議会・政党・組合などの民主的諸制度をも破壊した。さらには満州事変、エチオピア戦争などに始まる一連の侵略・戦争行動によって国民のナショナリズムを喚起し、それが第二次世界大戦の引き金となった。第二次世界大戦が基本的には帝国主義戦争であったにもかかわらず、「民主主義とファシズムとの闘い」としてとらえられたのはこのためである。

 ところで、1920、1930年代の危機の時代を前にして、イギリスのような国でさえ、国家権力の集中化を唱える傾向が現れた。たとえば、1910年代にボーズンキットらがヘーゲル流の国家優位の思想を喧伝(けんでん)し、これに対しホッブハウス、ラスキ、G・D・H・コールなどが多元的国家論を主張した。多元的国家論は、国家が国家内におけるさまざまな社会集団に絶対的に優位するという考え方を批判し、国家も社会の一つであること、国家が国民に忠誠を要求できるのは国家が国民の権利・自由・生活を十分に保障していることが条件であると述べている。またラスキは、イギリス議会が「資本の論理」によって有産者を擁護するために行動していると批判し、労働大衆の権利や生活をよりよく保障できるように議会を構造改革すべきであるという社会民主主義を主張している。この考え方は、ロシア革命のような暴力革命による方法は、資本主義が高度に発達しまた議会制民主主義の思想・制度が広範に形成されている国では、議会を通じて平和のうちに社会的矛盾を是正しようというもので、先進諸国における社会主義政党の多くは、ラスキの平和革命論を採用しており、先進諸国の共産党の多くも議会主義と平和革命を基調とする民主国家の確立という、いわゆる「ユーロコミュニズム」の路線を打ち出した。

[田中 浩]

戦後世界と国家

以上に述べたように、今日では、途上国を除く国々の多くは、民主主義国家としての道を歩んでいる。しかし、戦後独立した新興諸国家のうちには、いまだに経済自立化がうまくいかず、政治的不安定のために独裁政治や軍事政権が続いている国家もある。したがって、紛争や戦争の危険性を除去するためにも、先進諸国が途上国の経済的自立化を援助し国際協力をいままで以上に強める必要がある。つまり、国際平和の基礎は、貧富の格差のない均衡のとれた各国における経済発展が保障されなければならないのであって、そのうえで、各国家が国家利益をどのように調節し抑制するかが今後の諸国家にとっての最大の課題となろう。かつて国家は情報を独占し、自国民に対して敵意識や対外恐怖感を醸成しつつ国家の強大化を図った。しかし、現在では、交通手段、テレビ・新聞その他による情報化社会の急速な発達によって、だれでもが世界で起こったできごとを容易に知ることが可能になり、そのことは世界平和を促進するうえで有利な要因といえよう。すでに1950年代から、世界の諸国民は国際的な反核運動において連帯した経験をもち、インドシナ戦争やベトナム戦争に際しては国際世論の高まりがその終結を促進した。また、これまで3回開かれた国連軍縮特別総会には政府代表のほかに多数の非政府組織(NGO)の代表が参加している。この意味で、世界最大の平和組織である国際連合は、いまや諸国家の連合ではなく、諸国民の連合としての性格をもつように迫られつつある。

[田中 浩]

『田中浩著『ホッブズ研究序説』(1982・御茶の水書房)』『田口富久治・田中浩編『国家思想史』上下(1974・青木書店)』『田中浩著『国家と個人』(1990・岩波書店)』『田中浩編『現代世界と国民国家の将来』(1990・御茶の水書房)』

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