民主党[アメリカ合衆国](読み)みんしゅとう[アメリカがっしゅうこく](英語表記)Democratic Party

翻訳|Democratic Party

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 の解説

民主党[アメリカ合衆国]
みんしゅとう[アメリカがっしゅうこく]
Democratic Party

共和党と相対峙するアメリカの二大政党の1つ。党の前身リパブリカンズから分離した民主共和派。 1828年に民主党改名。一貫してプランター (大農園主) ,農民,労働者らの支持のもとに保護関税,公債発行,奴隷問題への介入などに反対し続けてきた。また最高裁判所判事に民主党員を任命し,憲法解釈によって州権を守ろうとした。しかし 60年に奴隷問題をめぐって南部民主党と北部民主党とに分裂し,党の黄金時代は終りを告げた。その後ほとんど野党地位に甘んじていたが,その間共和党は大実業家の利益の代弁者になり,政治的腐敗が進行した。そのため政治粛正や現状打破を求める革新運動が生じ,この機運を背景に党は 1912年 W.ウィルソンを擁立して政権の座に復帰したが,第1次世界大戦後またもや共和党に敗れ,長い間政権の座から遠ざかった。 32年大恐慌下の大統領選挙に F.ルーズベルトを立てて勝利を収め,その後「忘れられた人々」の側に立って草の根民主主義を展開し,やがて第2次世界大戦の勃発により,戦争遂行の任にあたることになった。戦後は保守化が顕著となったが,60年「ニュー・フロンティア」を唱えた J.F.ケネディ大統領に当選させ,内外に若々しさを期待させた。しかし 63年にケネディが暗殺され,副大統領 L.B.ジョンソン昇格,64年の「偉大なる社会」のスローガンによる大勝利にもかかわらず,ベトナム戦争への本格的介入と戦争の拡大とは,民主党内に著しい分裂をもたらし,68年に共和党の R.ニクソンによって政権を奪われた。さらに 72年の大統領選挙にも大敗北を喫し,民主党の混迷は続いた。ウォーターゲート事件によってニクソンがアメリカ史上初めて大統領を辞任したあと行われた 76年の大統領選挙では現職の共和党候補 G.フォードに J.E.カーターが勝ち,8年ぶりに民主党政権を生んだ。その後レーガン (2期8年) ,ブッシュ (1期4年) と共和党大統領がホワイトハウス入りを果した。 92年大統領選挙では,湾岸戦争の勝利で圧勝が予想されていた現職のブッシュ大統領を破り,W.J.クリントンが 12年ぶりに民主党政権を実現した。しかし,94年の中間選挙では大幅に票を落し,上下両院で過半数を割る結果となったが,96年 11月の大統領選挙では,民主党内に対立候補がないまま現職のクリントン大統領と A.ゴア副大統領が正副大統領候補に指名され,一般投票の 49%,選挙人票 379 (31州とコロンビア特別区) を獲得し再選された。 98年中間選挙では大統領の不倫もみ消し疑惑により苦戦が予想されたが善戦し,共和党との差を縮めることに成功した。

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