ジョンソン(Robert Johnson)(読み)じょんそん(英語表記)Robert Johnson

日本大百科全書(ニッポニカ) の解説

ジョンソン(Robert Johnson)
じょんそん
Robert Johnson
(1911―1938)

アメリカのブルースシンガーギタリスト。のちにシカゴ・ブルース(第二次世界大戦後シカゴで根づいたバンド・ブルース)として発展してゆくブルース・スタイルをギター1本でつくり出した。死後50年以上を経てつくられた、全作品を収めたアルバム『コンプリート・レコーディングス』(1990)は世界中で100万セットを越す売り上げを記録、そのミステリアスな人生もあいまって、ブルースの歴史において特異な人気を獲得する。

 ミシシッピ州南部のヘイズルハーストに私生児として生まれる。子供のころは母親の正式の夫、再婚相手、親類らのもとを転々としていたが、上部デルタミシシッピ川とヤズー川にはさまれたデルタの上流地帯)のコマース、ロビンソンビルでの生活でブルースを知る。とくにサン・ハウスSon House(1902―88)とウィリー・ブラウンWillie Brown(1900―52)という、デルタでもっとも活躍していたブルース・コンビが近郷におり、ジョンソンは夜中に家を抜け出しては彼らの演奏を聞きに行った。

 最初はブルース・ハープハーモニカ)を演奏していたが、1930年代初めに故郷に戻ったころ出会ったアラバマ州出身のギタリスト、アイク・ジナーマンIke Zinnermanから強い影響を受ける。このあと、デルタに戻りギターの腕前を披露したところ、その超絶したテクニックにハウスらは驚き、ジョンソンのいう「深夜の十字路で自分の魂を悪魔に売って得たギター・テクニック」が信憑(しんぴょう)性をもって語られるようになる。低音弦でのブギ・ウギ・ピアノを模したウォーキン・ベース(歩くようなゆっくりとしたリズムのベース・ライン)と高音弦での自在なメロディ・ラインの同時奏法は、しばしば聞く者に2人の奏者による演奏ではないかと思われるほどだった。このベース・ライン、ギター・ブギは南部一帯に広がり、やがてシカゴ・ブルースを演奏するバンドが結成されていくなか、高音部のメロディ・ラインと低音部のベース・ラインの分業が進む過程でブルース・サウンドを特徴づけるものとして受け継がれた。また、ジョンソンの鬱屈(うっくつ)したボーカルは悪魔に追いかけられる者の妄想を感じさせ、時にギターのモダンなシティ・ブルース的な奏法と一体となって、ブルースの根源的な力、表情をみせる。

 1936年から37年にかけて、29曲をテキサス州サン・アントニオおよびダラスで録音。のちにブルースのスタンダードとなる「スウィート・ホーム・シカゴ」「アイ・ビリーブ・アイル・ダスト・マイ・ブルーム」「クロスロード・ブルース」といった曲に加え、当時の唯一のヒット(南部で数千枚売れた)となったセックス・メタファーも強烈な「テラプレイン・ブルース」、キリスト教の最後の審判と南部フードゥー(ブーズー教の影響を受けた民間伝承)のシンボリズムが混ざり合った「イフ・アイ・ハド・ポゼッション・オーバー・ジャッジメント・デイ」、地獄の猟犬に追われつづけていると告白する「ヘルハウンド・オン・マイ・トレイル」、また優美なだけにその孤独さが際だつ「カモン・イン・マイ・キッチン」など、時代がいくら経過しようともけっして古びることのない、歌うことによってのみ救われるかのような名作を、短い生涯の証(あかし)として残した。

 初めての結婚相手を出産で失った後はとくに、このハンサムなギター弾きの行く先々には女性の影がみえていたが、38年にミシシッピ州グリーンウッド郊外で演奏した際、妻を寝取られた嫉妬(しっと)に狂った男によって毒殺されてしまう。それは当時のデルタでは、ミュージシャン仲間は別として、放浪するギター弾きが死んだという程度の話にすぎなかったようだが、61年フォーク・リバイバルの波のなかで初めてのアルバム『キング・オブ・ザ・デルタ・ブルース・シンガーズ』King of the Delta Blues Singersがリリースされ、ジョンソンは広く世界に知られる存在となる。エリック・クラプトンが在籍したクリームが「クロスロード」を、ローリング・ストーンズが「ラブ・イン・ベイン」をカバーし、ロックの世界でも知名度を上げ、同時に伝説も増幅されていった。

 全曲集アルバム『コンプリート・レコーディングス』発売時点で初めて、本人の写真も公表され、田舎で寂しいブルースを1人で歌った男というイメージをくつがえすような伊達(だて)男ぶり、ミュージシャンとしての全体像は、世界中のブルース・ファンに衝撃を与えた。マディ・ウォーターズやエルモア・ジェームズ、ロバート・ジュニア・ロックウッドRobert Jr. Lockwood(1915―2006)といった、ごく近い距離にいたミュージシャンに影響を及ぼしただけでなく、ダンス・ビートとしてのブルースに革新をもたらし、それ以降のブルースの方向性を明確に示した存在である。

[日暮泰文]

『『ブルース&ソウル・レコーズ』第33、35号(2000・ブルース・インターアクションズ)』『Peter GuralnickSearching for Robert Johnson(1989, Dutton, New York)』『Walter MosleyRL's Dream(1995, Washington Square Press, New York)』

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