ホール(英語表記)Hall, Jeffrey C.

精選版 日本国語大辞典 「ホール」の意味・読み・例文・類語

ホール

〘名〙 (hall)
① 洋風建築物で、入口の広間。また、多くの人が共同で使えるようになっている広間。
※遺言(1900)〈国木田独歩〉「準士官室に廻り〈略〉其からホールへ廻はった」
② 催し物や集会などを行なうのに用いる公会堂や集合所。会館。
※自由と規律(1949)〈池田潔〉スポーツマンシップということ「あるカレージのホールに、ジョージと呼ばれる老給仕人がいた」
③ 「ダンスホール」の略。
※ひかげの花(1934)〈永井荷風〉一三「わたくしは初め新宿のホールでつゆ子と友達になり」

ホール

〘名〙 (hole)
① 穴。また、それに類似したもの。〔外来語辞典(1914)〕
② 特に、ゴルフでボールを打ち入れる直径四・二五インチの穴。カップ。
※真理の春(1930)〈細田民樹〉島の噴煙「ゴルフ場には、〈略〉毛氈の芝生に、所々金米糖のやうな白いホールが見えて」
③ ゴルフで、ティーからグリーン上にあるカップまでのプレーする区域。
※旅‐昭和三二年(1957)二月号・白浜「最近一六ホール・パー七〇・五八〇〇ヤードの本格的なゴルフ・リンクが出来た」

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デジタル大辞泉 「ホール」の意味・読み・例文・類語

ホール(hall)

洋風建築物の入り口の広間。
演劇・音楽会などの催しや集会などを行う広い場所。「コンサートホール」「ダンスホール
[類語](1ロビー広間控え室休憩室待合室・談話室・ラウンジサロン/(2会館公会堂講堂議事堂

ホール(hole)

穴。「ボタンホール
ゴルフで、グリーン上に切られている目標の穴。
ゴルフで、ティーからグリーン上のホールまでのプレーする区域。
[類語]穴ぼこ窪み落とし穴縦穴横穴抜け穴節穴気孔オゾンホール

ホール(whole)

まるごと。全部。全体。「ホールケーキ」「ホールボディー(=全身)」

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ホール」の意味・わかりやすい解説

ホール
Hall, Jeffrey C.

[生]1945.5.3. ニューヨーク,ニューヨーク
アメリカ合衆国の遺伝学者。アマースト大学在学中に基礎科学とキイロショウジョウバエの遺伝機構に興味をもち,1971年シアトルのワシントン大学遺伝学の博士号を取得。カリフォルニア工科大学で博士研究員を務めたのち,1974年ブランダイス大学に勤務,1986年教授,2002年名誉教授。2004年メーン大学非常勤教授。キイロショウジョウバエにおける求愛行動生物リズムの研究に従事。1984年同じ大学の共同研究者マイケル・ロスバッシュとともに,ハエの生物時計を制御する時計遺伝子 periodの特定に成功,periodの蛋白質 PERが夜に細胞内に蓄積され,日中に分解することをつきとめた。ほぼ同時にロックフェラー大学のマイケル・W.ヤングperiodの特定に成功した。その後さらに詳しい研究を重ね,時計遺伝子の蛋白質が自身の発現(転写翻訳)を抑制することで約 24時間周期のリズム(概日リズム)をつくりだす「転写翻訳ネガティブフィードバックループ」の仕組みを明らかにした。2017年「概日リズムを制御する分子メカニズムの発見」によりロスバッシュ,ヤングとともにノーベル生理学・医学賞(→ノーベル賞)を受賞。2009年グルーバー賞(ロスバッシュ,ヤングと共同受賞),2012年ガードナー国際賞(同)など受賞。科学ジャーナル誌数誌の編集にも携わる。2001年アメリカ芸術科学アカデミー会員,2003年全米科学アカデミー会員。

ホール
Hall, Peter

[生]1930.11.22. ベリーセントエドマンズ
[没]2017.9.11. ロンドン
イギリスの演出家,ディレクター。フルネーム Sir Peter Reginald Frederick Hall。1953年にケンブリッジ大学を卒業。同大学在学中から演劇に携わり,1953年にシアター・ロイヤルで初めて商業演劇の演出を担当し,その後演出助手の仕事についた。1954~56年ロンドンのアート・シアターで演出家を務め,サミュエル・ベケットの『ゴドーを待ちながら』En attendant Godot,ジャン・アヌイの "La valse des toréadors",ウジェーヌ・イヨネスコによる『授業』La Leçonのロンドン初演の演出を果たした。1957年からシェークスピア記念劇場で演出を担当。1960年に首席演出家に就任するとともに劇場名をロイヤル・シェークスピア劇場と改称し,専属のロイヤル・シェークスピア劇団を結成した。さらに,1960年に同劇団のロンドン公演の本拠地となるオールドウィッチ劇場を得て,アヌイ版『ベケット』Becket(1962)のロンドン初演,ハロルド・ピンターの『帰郷』The Homecoming(1965)の初演を演出した。ウィリアム・シェークスピアのほか,ピンターなど現代作家の作品の演出でも注目された。1973~88年ナショナル・シアターの首席演出家を務めた。その後も自身の演劇プロデュース団体を組織したほか,オペラ,映画などでも幅広く活躍した。1977年ナイトに叙された。

ホール
Hall, Stuart McPhail

[生]1932.2.3. イギリス領ジャマイカ,キングストン
[没]2014.2.10. イギリス,ロンドン
ジャマイカ出身のイギリスの文化理論家。文化形成における社会制度の役割や,「個人や集団が相互に理解したり意思疎通する際に用いられる意味のネットワーク」について学際的に研究するカルチュラル・スタディーズの先駆者。ジャマイカ・カレッジで学んだのち,1951年にローズ奨学金を得てイギリスのオックスフォード大学メルトン・カレッジで文学を学ぶ。その後文学研究から離れ,大衆文化研究に身を投じた。1960~61年『ニュー・レフト・レビュー』誌の初代編集長を務め,1964年にバーミンガム大学の現代文化研究センターの研究員となり,所長代理,所長を歴任。1979年,広範囲にわたる政治的,経済的および文化的な転換現象を「サッチャリズム」(→サッチャー)と名づけた研究で国際的な評価を得た。同 1979年にオープン大学の社会学教授に就任,1998年に退任した。

ホール
Hall, John L.

[生]1934. コロラド,デンバー
アメリカ合衆国の物理学者。 1956年カーネギー工科大学を卒業し,同大学で修士号 (1958) ,博士号 (1961) を取得。 1962年アメリカ国立標準技術研究所 NISTの前身である国立標準局 NBSに入局し,光速の精密測定などのためにレーザー光の周波数を安定させる技術開発に取り組んだ。 2000年までにレーザーでつくられるコヒーレント光の性質を最大限いかして光周波数コム (櫛の意味) という技術を開発,1000兆分の1 (15桁) の高精度で光の周波数を決めることに成功した。この功績により,2005年ロイ・J.グラウバー,ほぼ同時期に光周波数コムを開発したテオドール・W.ヘンシュとともにノーベル物理学賞を受賞した。 1984年アメリカ科学アカデミー会員。 2002年マックス・ボルン賞受賞。

ホール
Hall, James

[生]1793.8.19. フィラデルフィア
[没]1868.7.5. オハイオ,シンシナティ
アメリカの法律家,銀行家,編集者,歴史家,短編作家。西部最初の文学雑誌『イリノイ・マンスリー・マガジン』 Illinois Monthly Magazine (1830~32) ,『ウェスタン・マンスリー・マガジン』 Western Monthly Magazine (32~36) を創刊,西部辺境の伝説,風俗習慣などの記録収集に努めた。主著,短編集『西部の伝説』 Legends of the West (32) ,『辺境物語』 Tales of the Border (35) ,歴史書『西部の歴史,生活,風俗スケッチ』 Sketches of History,Life,and Manners in the West (2巻,34~35) ,『西部史のロマンス』 The Romance of Western History (57) 。

ホール
Hall, G(ranville) Stanley

[生]1844.2.1. マサチューセッツ,アッシュフィールド
[没]1924.4.24. マサチューセッツ,ウースター
アメリカの心理学者。ジョンズ・ホプキンズ大学教授。クラーク大学総長兼心理学教授。アメリカ人として W.ブントの最初の門下生として助手をつとめ,帰国後,ジョンズ・ホプキンズ大学にアメリカ最初の心理学実験室を設立 (1883) 。ブント,C.R.ダーウィン,S.フロイトの考え方を取入れ,児童,青年,老年期の心理を研究,現代アメリカ心理学の祖の一人となっている。"American Journal of Psychology"など4つの研究誌を創刊。主著『青年期』 Adolescence (1904) ,『老年期』 Senescence,the Last Half of Life (22) 。

ホール
Hall, Marshall

[生]1790.2.18. ノッティンガムシャー,バスフォード
[没]1857.5/8.11. ブライトン
イギリスの生理学者。反射運動理論の創始者。 1812年エディンバラ大学を卒業,パリ,ベルリン,ゲッティンゲンの各大学で医学を学び,17年ノッティンガムで総合病院の医師となり,26年ロンドンに移り 53年まで開業。最も重要な業績は『延髄および脊髄の反射機能について』 On the Reflex Function of the Medulla Oblongata and the Medulla Spinalis (1832) のなかで記載した,意志,知覚,意識を伴わない,個体を守るための反射運動の理論。また血液循環では毛細血管で組織とのガス交換が行われること,さらに人工呼吸,てんかんについても報告を行なっている。

ホール
Hall, Edward

[生]1498頃
[没]1547
イギリスの歴史家。ケンブリッジ大学のキングズ・カレッジ卒業後,1533~35年ロンドン市の下級行政官,29,42年下院議員。 48年バラ戦争時代の歴史描写を中心とする『年代記』 Chronicle (正式には『ランカスター,ヨーク両貴族の統一』 The Union of the Two Noble and Illustre Families of Lancastre and Yorke) を出版。ヘンリー8世時代の叙述は同時代の他の年代記をはるかにしのぐ高い文学的価値をもち,シェークスピアの史劇の素材ともなった。

ホール
Hall, James

[生]1811.9.12. マサチューセッツ,ヒンガム
[没]1898.8.7. ニューハンプシャー,ベツレヘム
アメリカの地質学者,古生物学者。レンセラー工科大学助教授 (1832) を経て,教授。ニューヨーク,アイオワ,ウィスコンシンの各州の地質調査局で活躍。またニューヨークの国立自然史博物館館長 (71) 。科学アカデミー会員。アメリカ南東部アパラチア山脈の古生層の層序と地質構造を研究し,さらに岩相変化,化石などの検討をもとにアパラチア山脈層の形成を論じ,造山論の基本となる地向斜の概念の基礎をつくった。主著『ニューヨークの古生物学』 The Palaeontology of New York (47~94) 。

ホール
Hall, Charles Martin

[生]1863.12.6. オハイオ,トンプソン
[没]1914.12.27. フロリダ,デートナビーチ
アメリカの化学者,冶金学者。オーバーリン大学在学中からアルミニウム精錬法の研究に没頭,卒業 (1885) 後も同大学の実験室で研究を続け,1886年電解冶金法を発明 (同じ頃,フランスでも P.エルーが同様の方法を見出した) 。 88年銀行家 A.メロンの援助で,ピッツバーグ製造会社 (現在のアルコア) をつくり,アルミニウム工業を企業化した。 90年同社副社長。

ホール
Hall, Edwin Herbert

[生]1855.11.7. メーン,ゴーラム
[没]1938.11.20. マサチューセッツ,ケンブリッジ
アメリカの物理学者。ボールドウィン・カレッジ卒業後,ジョンズ・ホプキンズ大学大学院で学ぶ。大学院在学中の 1879年にホール効果を発見し,この研究で学位取得。 81年ドイツを訪れ,H.ヘルムホルツの実験室でホール効果の精密測定を行なった。ハーバード大学助教授 (1888) ,教授 (95~1921) をつとめた。中等教育における物理実験の改善にも尽力した。

ホール
Hall, Asaph

[生]1829.10.15. コネティカット,ゴーシェン
[没]1907.11.22. メリーランド,アナポリス
アメリカの天文学者。アメリカ海軍天文台の数学教授 (1863) 。 1875年以降,同天文台の 26インチ (66cm) の屈折望遠鏡で,惑星の観測とその衛星の軌道,二重星の軌道,視差の測定などに成果をあげた。とりわけ有名なのは,77年に火星の2衛星を発見し,その軌道を計算したことである。 91年退役後,ハーバード大学の天文学教授 (95~1901) をつとめた。

ホール
Hall, William Edward

[生]1835.8.22. レザーヘッド
[没]1894.11.30. コーカーコート
イギリスの国際法学者。教壇に立ったこともあるが,基本的には在野の研究者として研究を続けた。主著『国際公法』A Treatise on International Law(1880,立作太郎訳)は,芸術的ともいえる手法で書かれたもので,その名声はイギリスのみならず,アメリカ合衆国や日本にも及んだ。

ホール
Hall, Gus

[生]1910.10.8. ミネソタ,アイアン
[没]2000.10.13. ニューヨーク
アメリカの政治家。フィンランド系の両親ともアメリカ共産党の創立委員という家庭に育ち,17歳で入党。 21歳でモスクワに渡り,2年間レーニン研究所で学んだ。帰国後,製鉄会社労組のオルガナイザーとなり,幾度か投獄された。 1959年 12月に党書記長に選出され,66年6月再選された。 72年と 76年大統領選挙に立候補。

ホール
Hall, Lyman

[生]1724.4.12. コネティカット,ウォーリングフォード
[没]1790.10.19. ジョージア,バークカントリー
アメリカ独立革命期の政治家。独立宣言署名者の一人。 1758年ニューイングランドからジョージアに移住し,サンバリーの町の創設者の一人となり,ここで医者を開業。独立革命のために活躍し,75~80年大陸会議代表。 83年ジョージア邦知事。

ホール
Hall, Harry Reginald Holland

[生]1873.9.30. ロンドン
[没]1930.10.13. ロンドン
イギリスの考古学者。 1896年より大英博物館に勤務。エジプトのデル・エル・バハリやバビロニアのウルの発掘を指導し,1924年に同博物館エジプト・アッシリア部の部長となった。

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改訂新版 世界大百科事典 「ホール」の意味・わかりやすい解説

ホール
Robert Burnett Hall
生没年:1896-1975

アメリカの地理学者。その学問的生涯を日本に向け,アメリカにおける日本研究を盛んにした。また,日本の地理学界発展のため,大いに尽くした人としても知られる。初期の論文には《ハイチ共和国の地理》(1928)などがあるが,1929年以来第2次大戦終了まで数回来日し,このときの調査をもとに,《日本の田園集落形態》(1931),《大和盆地》(1932),《東海道》(1937)などの地誌の論文をアメリカの学会誌に発表している。

 戦後,ミシガン大学に日本研究センターが設けられ,ウィスコンシン大学,シカゴ大学とともに日本研究の中心となってゆく。50年4月に同センターの日本分室が岡山に設置され,初代の所長となり,標本調査地として岡山市北方の新池(にいいけ)を選び,精細な日本の村落研究を進めた。日本の地理学者の協力もあり,アメリカの若手の地理学者が次々と来日し,ここを拠点に日本の研究が行われ,数多くの論文が発表された。

 一方,行政面でも手腕を発揮,アジア諸国の研究に対する奨学金の財団〈アジア財団〉が東京に設置されると,駐日代表者としてそこに移り,日本が高度経済成長期に入る前の6年間(1954-60),研究費の乏しい時代に,自然,人文,社会の各分野の学界のため援助を与えた。なお,ミシガン大学はホールの後,海外研究の重点が日本から中国に移ったので日本研究はさびしくなったが,日本研究センターを巣立った人々はアメリカ各地の大学で日本研究の裾野を広げている。
執筆者:

ホール
James Hall
生没年:1811-98

アメリカの地質学者。イギリス移民の子として,アメリカ合衆国マサチューセッツ州に生まれ,化学の講義の助手などをして働きながら学校に通った。自然科学に関心をもつようになり,ニューヨーク州トロイに新設された,フィールドワークを重視する新方式の学校に入り,自然科学で学位を得た。その後,1836年に新設されたニューヨーク州の地質調査所に入り,無脊椎動物化石の記載を行って膨大な著作を書いたほか,地質調査に従事し,その範囲は合衆国各地に及んだ。カリフォルニア州など多くの州の地質調査所の設立に加わったり,合衆国地質調査所の設立にも関与し,アメリカおよび国際的な学会でも多くの役職に就いた。北アメリカ東部の古生層の研究から,59年に,アパラチア山脈地域はもと大陸縁にあった浅海に厚く堆積した地層が大山脈になったとしたが,この考えはJ.D.デーナによって73年に地向斜と名づけられ,構造地質学上の重要な概念となっている。
執筆者:

ホール
Peter Reginald Frederick Hall
生没年:1930-

イギリスの演出家。ケンブリッジ大学在学中に演劇活動に熱中し,後に職業演出家となる。ロンドンのアーツ劇場クラブを本拠としてベケットの《ゴドーを待ちながら》のイギリス初演(1955)を手がけるなど,革新的な作品の紹介に努める一方,シェークスピア演出に清新さをもたらした。1960年,新たに結成されたローヤル・シェークスピア劇団の総監督となり,68年に辞任するまで,ストラトフォードとロンドンの両方で盛んな活動を続けた。この間のおもな仕事には,現代的視点によるシェークスピア演出やH.ピンターなどイギリスの新しい作家の劇の演出がある。73年,ロレンス・オリビエの後を継いでナショナル・シアターの芸術監督となり,76年,新しい劇場の開場を実現するなど,経営手腕も発揮した。ほかにオペラや映画の演出も手がける。83年,大部の日記を刊行。1977年,サーの称号を受けた。
執筆者:

ホール
hall

(1)中世西欧の住居でもっとも主要な広間。一般に2階分の天井高をもち,一方に入口からの通路が接し,他方に張出窓をもつ形式がとられた。昼間の室内生活の大半,すなわち食事,会見,宴会等はすべてここで行われた。ルネサンス以降,ホールの大きさは2階分の高さをもつ立方体を二つ横に並べたプロポーションをもつことがよいとされ,これを〈ダブル・キューブdouble cube〉と呼んだ。(2)ホールを中心にもつ宮殿,貴族や荘園領主の邸宅(マナー・ハウス),大学の建物,公共の建物,会館などが,固有名詞を付してホールの名で呼ばれる。ロンドンの官庁街であるホワイトホールは,同名の宮殿(1698焼失)がここにあったために生じた地名である。(3)一般の住宅の応接・会合などのための主要室。また,玄関を入って内側の空間および廊下部分もホールと呼ぶ。
執筆者:

ホール
Charles Martin Hall
生没年:1863-1914

アルミニウムの溶融塩電解法を発明し工業化したアメリカの化学技術者。オハイオ州生れ。オバリン大学在学中にジューエットF.F.Jewett(1844-1926)教授の示唆により,アルミニウム製造法の発明を目ざして自家の小屋で実験を始めた。1886年溶融氷晶石にアルミナを溶解させ,その電解で陰極にアルミニウム粒を生成させることに成功した。88年からピッツバーグ還元会社(1907年よりアルミナム・カンパニー・オブ・アメリカ,略称ALCOA(アルコア)と改称)で日産50ポンドのアルミニウム生産を開始した。同時期に独立に同方法を発明したフランスのエルーと特許を競合したが,アメリカ特許はホールが89年取得した。終身独身。母校オバリン大学に財産の2/3を遺贈した。
執筆者:

ホール
Granville Stanley Hall
生没年:1844-1924

アメリカの心理学の開拓者。ブントの下で実験心理学を修めた後,1882年ジョンズ・ホプキンズ大学にアメリカ最初の心理学講座を創設した。《アメリカ心理学雑誌》の創刊者,アメリカ心理学会初代会長でもある。児童から老人までの各年代の心理学を追究し,多くの業績を残した。質問紙法の導入によって,多数の調査対象から一般的傾向を求める実証的児童研究,児童研究協会の創設とそこでの教師や学者たちの共同研究の組織化,質問紙や伝記に基づく青年の意識や経験の分析と,進化論的立場に立った発達論の構成,子どもの遊びの原始性に着目した〈遊び反復説〉などが知られている。クラーク大学総長時代,S.フロイトを講演に招待し,精神分析がアメリカに流布する機縁を作った。主著《青年期》(1904)は,世界最初の体系的な青年心理学の書。
執筆者:

ホール
Asaph Hall
生没年:1829-1907

アメリカの天文学者。火星の衛星の発見者。13歳のとき父を失い,苦学して数学を学ぶ。1857年ハーバード天文台の助手,62年ワシントンの海軍天文台の技師,75年同所の65cm屈折望遠鏡の主任となる。76年土星の赤道付近に出現した白斑から土星の自転周期を測る。77年の火星大接近に際し,衛星が存在することを予見して観測を始め,2個の衛星を発見し,フォボス,デイモスと命名する。さらに日食や水星,金星の日面通過の観測,恒星の視差の測定,土星の衛星の研究などがある。1895-1901年までハーバード大学天文学教授をつとめた。
執筆者:

ホール
hole

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化学辞典 第2版 「ホール」の解説

ホール
ホール
Hall, Charles Martin

アメリカの工業化学者.Oberlin Collegeの学生時代から化学,とくにアルミニウム金属に興味をもち,1886年アルミナを氷晶石に溶解して電気分解してアルミニウムを得る電解製造法を完成した.2年後,メロン財閥の援助を得て,ピッツバーグにアルミニウム工場を建てた.この工場は,1907年Aluminum Company of Americaと改称され,アメリカ最大のアルミニウム企業となった(現在のAlcoa).アルミニウム工業の今日の隆盛は,かれとフランスの冶金学者P.L.T. Héroult(1863~1914年)に負うものである.

ホール
ホール
hole

[同義異語]正孔

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百科事典マイペディア 「ホール」の意味・わかりやすい解説

ホール

米国の冶金学者,企業家。オバリン大学卒業後の1886年,アルミニウムの電解冶金法を発明。P.L.T.エルーとともにアルミニウム工業開拓者の一人で,ALCOA社を創業。
→関連項目ALCOA[会社]

ホール

米国の地質学者,古生物学者。マサチューセッツ州生れ。ニューヨーク州およびオハイオ州の地質調査員。米国東部の古生界の層序と構造を解明。アパラチア山脈の褶曲(しゅうきょく),浅海堆積物で特徴づけられる厚い地層の研究から地向斜概念の基礎を確立した。主著は《ニューヨークの自然史,古生物》(1859年)。

ホール

英国の古代学者。1896年大英博物館に入り,1924年―1930年エジプト・アッシリア部長。メソポタミアではウバイドやウル,エジプトではデル・エル・バハリ神殿の発掘に従事し,エーゲ考古学にも精通した。著書《オリエント古代史》《エーゲ考古学》など。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「ホール」の解説

ホール Hall, Robert Burnett

1896-1975 アメリカの地理学者。
1896年7月18日生まれ。第二次世界大戦前に数回来日し,論文「日本の田園集落形態」などを発表。昭和25年岡山に設置されたミシガン大日本研究センター日本分室の初代所長となった。アジア財団駐日代表者。アメリカにおける日本研究,日本の地理学界の発展につくす。1975年4月4日死去。78歳。

ホール Hall, John Carey

1844-1921 イギリスの外交官。
1844年1月22日生まれ。慶応3年(1867)来日してイギリス公使館の通訳官見習となる。明治36年横浜総領事。大正3年退官。帰国後,日本アジア協会会長となり日英親善につくした。1921年10月21日死去。77歳。北アイルランド出身。クイーンズ-カレッジ卒。

ホール Hall, J.Basil

1788-1844 イギリスの探検家。
1788年12月31日生まれ。父は実験地質学の創始者ジェームズ=ホール。1816年ライラ号艦長として琉球に来航。住民の生活や言語などを調査・研究し,1818年「朝鮮沿岸及び大琉球島航海探検記」を刊行した。1844年9月11日死去。55歳。エジンバラ出身。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「ホール」の解説

ホール
Daniel George Edward Hall

1891~1979

イギリスの歴史学者。その著書『東南アジア史』(1955年初版)において,植民地史観を廃し,東南アジアを主体に据えた歴史記述を心がけることの重要性を提起し,第二次世界大戦後の東南アジア史研究をリードした。

出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報

367日誕生日大事典 「ホール」の解説

ホール

生年月日:1916年9月23日
アメリカの歴史学者,日本研究家
1997年没

ホール

生年月日:1896年7月18日
アメリカの人文地理学者
1975年没

ホール

生年月日:1910年10月8日
アメリカの政治家
2000年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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