ホール(読み)ほーる(その他表記)Stuart Hall

デジタル大辞泉 「ホール」の意味・読み・例文・類語

ホール(hall)

1 洋風建築物の入り口の広間。
2 演劇・音楽会などの催しや集会などを行う広い場所。「コンサートホール」「ダンスホール」
[類語](1)ロビー・広間・控え室・休憩室・待合室・談話室・ラウンジ・サロン/(2)会館・公会堂・講堂・議事堂

ホール(hole)

1 穴。「ボタンホール」
2 ゴルフで、グリーン上に切られている目標の穴。
3 ゴルフで、ティーからグリーン上のホールまでのプレーする区域。
[類語]穴ぼこ・窪み・穴・壕・落とし穴・縦穴・横穴・抜け穴・節穴・気孔・オゾンホール

ホール(whole)

まるごと。全部。全体。「ホールケーキ」「ホールボディー(=全身)」

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精選版 日本国語大辞典 「ホール」の意味・読み・例文・類語

ホール

  1. 〘 名詞 〙 ( [英語] hall )
  2. ① 洋風建築物で、入口の広間。また、多くの人が共同で使えるようになっている広間。
    1. [初出の実例]「準士官室に廻り〈略〉其からホールへ廻はった」(出典:遺言(1900)〈国木田独歩〉)
  3. ② 催し物や集会などを行なうのに用いる公会堂や集合所。会館。
    1. [初出の実例]「あるカレージのホールに、ジョージと呼ばれる老給仕人がいた」(出典:自由と規律(1949)〈池田潔〉スポーツマンシップということ)
  4. ③ 「ダンスホール」の略。
    1. [初出の実例]「わたくしは初め新宿のホールでつゆ子と友達になり」(出典:ひかげの花(1934)〈永井荷風〉一三)

ホール

  1. 〘 名詞 〙 ( [英語] hole )
  2. ① 穴。また、それに類似したもの。〔外来語辞典(1914)〕
  3. ② 特に、ゴルフでボールを打ち入れる直径四・二五インチの穴。カップ。
    1. [初出の実例]「ゴルフ場には、〈略〉毛氈の芝生に、所々金米糖のやうな白いホールが見えて」(出典:真理の春(1930)〈細田民樹〉島の噴煙)
  4. ③ ゴルフで、ティーからグリーン上にあるカップまでのプレーする区域。
    1. [初出の実例]「最近一六ホール・パー七〇・五八〇〇ヤードの本格的なゴルフ・リンクが出来た」(出典:旅‐昭和三二年(1957)二月号・白浜)

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ホール」の意味・わかりやすい解説

ホール(Stuart Hall)
ほーる
Stuart Hall
(1932―2014)

ジャマイカのキングストンに生まれ、イギリスで活動した社会学者、批評家。その活動はカルチュラル・スタディーズに多大な影響を及ぼした。1951年奨学金を得てイギリス、オックスフォード大学に留学。同大学院に進み、その間にスターリニズム、帝国主義への批判の姿勢を強め、ニュー・レフトの運動にかかわる。『ユニバーシティーズ・アンド・レフト・レビュー』The Universities and Left Review誌の編集を務めると同時に、1957年にロンドンに移り、中学校の補助教員となり、1959年から『ニュー・レフト・レビュー』New Left Review誌の編集長を務める。教条的マルクス主義を批判しながら、ロラン・バルトの記号論、アントニオ・グラムシのヘゲモニー論、アルチュセールをはじめとするフランスの構造主義、ポスト構造主義の思潮を英語圏に紹介。従来の古典的なマルクス主義が目を向けなかったテレビやポピュラー・カルチャーなどのマス・メディアの諸問題にも積極的にかかわり、現代文化とイデオロギー再生産との連関のメカニズムの解明を試みる。

 1961年に『ニュー・レフト・レビュー』誌を離れ、ロンドン大学チェルシー・カレッジでメディア、映画、ポピュラー・カルチャーについて教える。このころの映画やテレビ研究を、『ザ・ポピュラー・アーツ』The Popular Arts(1964年、共著)として発表。1964年にバーミンガム大学現代文化研究センターの初代センター長だったホガートRichard Hoggart(1918―2014)に招聘(しょうへい)されて同センターに赴任、1968年から同センター長を務める。メディアとイデオロギー、サブカルチャー、若者文化、教育など、当時のイギリスが直面する問題に取り組み、理論的、実践的な活動を行った。それらの研究は、送り手が一方的に受け手に伝送するという従来のメディア観を批判的に検討し、送り手によりエンコード(記号化)されたメッセージと、受け手によりデコード(記号解読)された読みの多様性との抗争の場としてメディアをとらえた論文「テレビの言説におけるエンコーディングとデコーディング」Encoding and Decoding in the TV Discourse(1973年。のちにEncoding/Decodingに改題)や、モッズ(1960年代ロンドンで若者に流行したファッション・音楽スタイル。名前はモダンズmodernsからきている)、テッズ(エドワード7世時代の貴族的ファッションとリズム・アンド・ブルースをあわせた、おもに1950年代イギリスの労働者階級の若者たちの間で流行したファッション・音楽スタイル。テディ・ボーイズTeddy Boysの略)、パンク、レゲエといったサブカルチャーにおける多様なスタイルのなかに社会や政治、両親の文化、職場、学校といった体制や権力への「抵抗」の可能性をみいだそうとした『儀礼を通じた抵抗』Resistance through the Rituals(1976年、共著)などに結実した。また、「マギング(強盗)」とよばれたストリート犯罪がどのようにイギリス社会にパニックをもたらし、メディアの報道により黒人の若者が犯罪者としてステレオタイプ化されていったかを指摘した論文集『ポリーシング・ザ・クライシス』Policing the Crisis(1978年、共著)など、サッチャー政権下、移民に対する人種差別政策が進められるなかで人種問題の理論化を試みた。ホールは数多くの著書を発表したが、その多くはその時々の状況や事象に応じて複数の人間とともに取り組んだ共同作業である。このことは、意見の矛盾や不一致も含めて、いかに政治的介入を試みるために活発な論議がなされたかを示唆するものでもある。

 1979年にバーミンガム大学現代文化研究センターを離れオープン・ユニバーシティ(おもに社会人向けの放送公開大学)へ転任。以後も論文「ザ・グレイト・ムービング・ライト・ショー」The Great Moving Right Show(1979)、論文集『ザ・ハード・ロード・トゥ・リニューアル』The Hard Road to Renewal(1988)、1980年代以降の黒人表現文化にみる新しい形態のエスニシティについて記した論文「ニュー・エスニシティーズ」New Ethnicities(1992)や、「〈新時代〉の意味」The Meaning of New Times(1996)をはじめ、グローバル化と文化的アイデンティティに関する数多くの論文を発表。人種、文化、国家の諸問題に正面から介入し、ディアスポラ(もともとはユダヤ人の離散を示すことばだが、1980年代以降の文化研究、社会理論、ポスト・コロニアリズムの文脈において新たな意味を獲得している。自らの起源、ルーツからの離脱、あるいは流浪の身にありながら、依然として自らのルーツに文化的、政治的、倫理的な強い結びつきをもち、それによって社会的連帯を志向する人々およびその概念)やアイデンティティの文化研究の新たな視座を切り開いた。1997年オープン・ユニバーシティを退職。その後も論文執筆や講演など活発な活動を続けた。

[清水知子 2015年7月21日]

『Stuart Hall, Paddy WhannelThe Popular Arts(1964, Hutchinson, London)』▽『Stuart Hall, Tony JeffersonResistance through Rituals(1976, HarperCollins, London)』▽『Stuart Hall et al.Policing the Crisis(1978, Macmillan, London)』▽『The Great Moving Right Show(in Marxism Today, January 1979, Communist Party of Great Britain, London)』▽『Encoding/Decoding(in Culture, Media, Language; Working Papers in Cultural Studies, 1972-79, 1980, Hutchinson, London)』▽『The Empire Strikes Back(in New Socialist, July/August, 1982, Labour Party, London)』▽『The Hard Road to Renewal(1988, Verso, London)』▽『New Ethnicities(in Culture, Globalization and the World System, 1991, Macmillan, London)』▽『The Meaning of New Times(in Stuart Hall Critical Dialogues in Cultural Studies, 1996, Routledge, London/New York)』▽『小笠原博毅著「文化と文化を研究することの政治学」(『思想』1997年3月号所収・岩波書店)』▽『「総特集スチュアート・ホール」(『現代思想』1998年3月臨時増刊号・青土社)』▽『グレアム・ターナー著、溝上由紀他訳『カルチュラル・スタディーズ入門――理論と英国での発展』(1999・作品社)』▽『上野俊哉・毛利嘉孝著『カルチュラル・スタディーズ入門』(ちくま新書)』


ホール(Jim Hall)
ほーる
Jim Hall
(1930―2013)

アメリカのジャズ・ギター奏者。本名ジェームズ・スタンリー・ホールJames Stanley Hall。ニューヨーク州バッファロー生まれ。オハイオで少年時代を過ごし、13歳のころからローカル・バンドで演奏活動を行う。クリーブランド音楽院で学位を得た後、1955年ロサンゼルスに赴(おもむ)き、ドラム奏者チコ・ハミルトンChico Hamilton(1921―2013)のクインテットに参加する。このころからジャズ・ファンの間で名を知られるようになり、翌1956年にはサックス、クラリネット奏者ジミー・ジュフリーJimmy Giuffre(1921―2008)のグループ、ジミー・ジュフリー・スリーのメンバーとなり1959年まで在籍する。この間、1957年に初リーダー作『ジャズ・ギター』を録音、1959年にはピアノ奏者ビル・エバンズとのデュオ・アルバム『アンダー・カレント』で、インタープレイ(ミュージシャンが相互に触発されながら行う即興的な演奏行為)の極致ともいえる素晴らしい演奏を残している。

 1960年から1961年にかけてジャズ・ボーカリスト、エラ・フィッツジェラルドの伴奏者を務めるかたわら、アルト・サックス奏者リー・コニッツとデュオを組み、ニューヨークのクラブに出演。1961年、テナー・サックス奏者ソニー・ロリンズのグループに加わり、サイドマンとしてアルバム『ブリッジ』(1962)に参加する。1963年、トランペット奏者アート・ファーマーArt Farmer(1928―1999)とピアノレスの双頭カルテットを結成し、アルバム『ライブ・アット・ザ・ハーフ・ノート』Live at the Half Noteを録音。1965年には、『ダウン・ビート』Down Beat誌国際批評家投票ギター部門の1位に輝く。

 1970年代に入ると、ベース奏者ロン・カーターRon Carter(1937― )とのデュオ・アルバム『アローン・トゥゲザー』(1972)や、『アランフェス協奏曲』(1975)などのヒット・アルバムでファン層を拡大させ、従来の「名脇役」から一躍花形ギター奏者としての地位を確立する。1980年代はピアノ奏者ミシェル・ペトルチアーニ、テナー、ソプラノ・サックス奏者ウェイン・ショーターとのトリオや、ギター奏者ビル・フリゼールとのデュオなど多様な編成で演奏活動を行い、1989年からはエフェクターの使用も開始する。1990年代以降もオーバーダビングを含むソロ・アルバムの制作や、ホーン・ストリング・アンサンブルを従えた演奏など、さらに活動の幅を広げた。

 ホールのギター奏法は、ジャズ・ギターの開祖といわれるチャーリー・クリスチャンからウェス・モンゴメリーに連なるビ・バップ的スタイルとは性格を異にしている。彼らの奏法が、ビ・バップ・ピアニストであるバド・パウエルのメロディ・ラインを重視した奏法をギターに引き写したものであるのに対し、ホールは、後の世代のピアニスト、ビル・エバンズの、より和声構造に重きをおいた奏法をギターに引き写したものといえる。こうしたスタイルは地味な印象を与えるので1950~1960年代はサイドマンとしての仕事が多かったが、その先進的なアイディアは、その後第一線で活躍するギタリスト、パット・メセニー、ジョン・スコフィールド、フリゼールらに多大な影響を与えた。

[後藤雅洋]


ホール(Steven Holl)
ほーる
Steven Holl
(1947― )

アメリカの建築家。ワシントン州ブレマートン生まれ。1971年ワシントン大学建築学部卒業。その後ヨーロッパに留学し、ローマとロンドンのAAスクール(Architectural Association School)で研究活動を行う。1976年ニューヨークで独立し、スティーブン・ホール・アーキテクツを開設。1981年からはコロンビア大学で教鞭をとり、そのほかワシントン大学やニューヨークのプラット・インスティテュート等でも教えている。

 独立初期のプロジェクトとしては、ソコロフ邸の隠れ家(1976、サン・トロペ)、メッツ邸(1981、ニューヨーク)などがある。この時期のホールの作品はほとんどが架空の計画案でとどまっているが、そのため、かえってホールの空間への志向が高い純度で表現されている。それらを特徴づけているのは、明快な幾何学による厳格な空間構成と、詩情あふれるドローイングである。メッツ邸を発表したころから、ホールの作品には幾何学的な厳格さを基本としながらもそれを崩していく流動性や動き、リズムといった要素が導入される。そうした住宅作品の代表例としてストレット・ハウス(1992、ダラス)が挙げられる。

 1980年以降にはアパートメントやショールームの改装を断続的に手がけ、水彩のドローイングによる複雑な建具(ドアや窓といった建築部位)の計画や多様な光のコントロールによって、独自のインテリア空間を生み出した。そうした事例としては、コーエン・アパートメント(1983、ニューヨーク)、ギアダ・ショールーム(1987、ニューヨーク)、D・E・ショー・オフィス(1992、ニューヨーク。アメリカ建築家協会優秀賞)などがある。

 また、1991年ウォーカー・アート・センター(ミネアポリス)で個展開催。1995年にはMoMA(ニューヨーク近代美術館)で開催された「ライト・コンストラクション」展で、レム・コールハースやフランク・O・ゲーリーとともに、1990年代を代表する建築家として招待された。

 こうした活動と同時にコンペティションにも参加し、1992年にはヘルシンキ現代美術館国際コンペで516案のエントリーのなかから最優秀賞に選ばれている。ヘルシンキ現代美術館(1998)は、「キアズマ」(ギリシア語で「交差」の意味)をテーマに、二つのボリュームがねじれながら交差している建築で、1か所に留まることのない流れるような空間を生み出している。また、ホールは水彩によるドローイングから空間を構想することを得意としており、メルロ・ポンティらの現象学の言説を援用しつつ、客観的な図面のみでは記述できない空間の質について繰り返し言及している。これは、初期のころからインテリア・デザインを多く手がけていることとも無縁ではないが、1990年以降、大規模な作品を手がけるようになってからも、そうした問題に対する関心はあらゆる作品に通底している。

 ホールはまた日本にもなじみが深く、龍安寺をたびたび訪れ、芭蕉の『奥の細道』について言及するなど、その思い入れの強さがうかがえる。日本における作品にはネクサスワールド香椎(かしい)(1991、福岡県)、幕張ベイタウン・パティオス11番街区(1996、千葉県)といった集合住宅がある。

 1995年シアトル大学聖イグナティウス礼拝堂によりニューヨーク・アメリカ建築家協会デザイン賞受賞。1998年アルバ・アールト・メダルが授与される。そのほかの代表作にはサルファティストラート・オフィス(2000、アムステルダム)やマサチューセッツ工科大学学生宿舎(2002)などがある。これらの作品では建物の表層がテーマとなっており、これまでのホールの作品とは異なる新しい建築表現が試みられている。

[南 泰裕]

『スティーヴン・ホールほか著、櫻井義夫訳『知覚の問題――建築の現象学』(1994・エー・アンド・ユー)』▽『二川幸夫編『GA ARCHITECT 11: Steven Holl』(1993・エーディーエー・エディタ・トーキョー)』


ホール(Jeffrey Hall)
ほーる
Jeffrey Hall
(1945― )

アメリカの遺伝学者、時間生物学者。ニューヨーク州ブルックリン生まれ。1969年アマースト大学卒業、1971年ワシントン大学(シアトル)で遺伝学の博士号を取得。カリフォルニア工科大学(CIT、Caltech(カルテック))での博士研究員を経て、1974年にブランダイス大学助教授、1986年に同大学教授。退職後、2004年からメーン大学で非常勤教授、2008年から2010年まで同大学教授。現在、ブランダイス大学およびメーン大学名誉教授。

 ホールはカリフォルニア工科大学で、ショウジョウバエの求愛など行動突然変異体の研究で知られる遺伝学者シーモア・ベンザーSeymour Benzer(1921―2007)教授の指導を受けた。ベンザーらは、ショウジョウバエのある遺伝子が変異を起こすと、生物が約24時間周期で変動する生理現象「サーカディアンリズム」(概日(がいじつ)リズム)が破壊されることを示した。ベンザーらはこの概日リズムを制御する時計遺伝子がX染色体の一定領域にあることを突き止め、「period(ピリオド)」と命名した。ホールは、1974年、ブランダイス大学で同僚となったマイケル・ロスバッシュと、共同でショウジョウバエを使ったサーカディアンリズムの研究に取り組み、1984年に時計遺伝子「period」のクローニング(遺伝子同定)に世界で初めて成功した。2人はその後も、periodが活発化しmRNAが発現すると、細胞質に24時間周期でタンパク質「PER」が産生されることを発見した。そして、PERが夜に多くつくられ、日中に核内に取り込まれ減少することを突き止めた。また、2人と同じ時計遺伝子の研究をしていたロックフェラー大学教授のマイケル・ヤングは、このPERが核内に取り込まれ、24時間の時を刻むのに深くかかわる遺伝子「timeless(タイムレス)」「doubletime(ダブルタイム)」をみつけ、時間生物学は飛躍的に進歩した。こうした研究成果はショウジョウバエだけでなく、人間など高等生物でも確認されている。体内時計を生み出す遺伝子は、体温、血圧、ホルモン分泌、睡眠など生物の恒常性維持にかかわる生理現象を制御している。

 2009年グルーバー賞、2012年にガードナー国際賞、2013年ショウ賞。2017年に「サーカディアンリズムを制御する分子メカニズムの発見」の業績で、マイケル・ヤング、マイケル・ロスバッシュとノーベル医学生理学賞を共同受賞した。

[玉村 治 2018年2月16日]


ホール(John L. Hall)
ほーる
John L. Hall
(1934― )

アメリカの物理学者。カーネギー工科大学卒業、同大で博士号取得。国立標準技術研究所上級研究員、コロラド大学天体物理学合同研究所特別研究員。2005年、「レーザーによる高精度分光学の発展への貢献」によってヘンシュとともにノーベル物理学賞を受賞した。「光干渉性の量子理論への貢献」が認められたグラウバーも同時受賞した。

 光は波なのか粒子なのかという問題について、20世紀初頭から物理学界は論争を繰り返していたが、アインシュタインは、光は電子と同じ粒子であり、しかも波でもあるという新しい説を示した。この波動と粒子の二重性によって量子力学が誕生した。1960年に開発されたレーザー光は、振動数が光に近い周波数であり、短波長で位相のそろった光である。レーザーを利用して原子や分子を計測したり、きわめて短い時間の測定ができるようになった。しかしレーザーにはわずかな揺らぎがあるので、超精密な測定では誤差を生んでしまう。グラウバーは量子力学を基礎にして、揺らぎも含めたレーザーの基本的な性質を科学理論として説明することに成功し、量子光学という新しい学問を創設した。

 ホールとヘンシュは、グラウバーが築いたこの基礎理論をもとに、揺らぎの少ないレーザーに特殊な処理を行って、さまざまな周波数のレーザーをつくった。とくに周波数ごとに等間隔で櫛(くし)状に並べる「光周波数コム(光コム)技術」をつくり、レーザーの周波数を高精度に測定できる手法を開発した。この開発によって、性質のよくわかっているレーザーを基準にして、わかっていないレーザーの周波数を正確に測定することも可能になった。この研究は、きわめて正確に時間を計ることができる時計の開発や全地球測位システム(GPS)の精度を向上させることなどに貢献すると考えられる。

[馬場錬成]


ホール(Granville Stanley Hall)
ほーる
Granville Stanley Hall
(1844―1924)

アメリカの心理学者。マサチューセッツ州に生まれる。ウィリアムズ・カレッジに学ぶ。初め宗教や哲学に関心をもってドイツに留学したが、帰国後、W・ブントの『生理学的心理学原論』を読んで感動し、ハーバード大学のW・ジェームズのもとで心理学の研究で博士号をとった。その後再度ドイツに留学、ブントの最初のアメリカ人の学生となった。帰国後のホールは、二つの大学に心理学実験室をつくったこと、『American Journal of Psychology』など4種の心理学雑誌を創刊したこと、アメリカ心理学会を発足させたこと、クラーク大学の初代学長となり、フロイトおよびユングらを招いて精神分析がアメリカに導入されるきっかけをつくったこと、児童期・青年期・老年期の研究に先鞭(せんべん)をつけたこと、宗教心理学の研究を始めたことなどで、草創期のアメリカ心理学界に対して組織および研究の両面で大きく貢献した。日本にアカデミックな心理学が成立する土台を築いた元良勇次郎(もとらゆうじろう)は、ホールに学びホールと共同研究をした人である。

[宇津木保]


ホール(Sir Peter Reginald Frederick Hall)
ほーる
Sir Peter Reginald Frederick Hall
(1930―2017)

イギリスの演出家。ケンブリッジ大学在学中、アマチュア劇団の演出を手がけ、1953年以後ウィンザー、ロンドンで本格的活動を始めた。1955年サミュエル・ベケットの『ゴドーを待ちながら』のイギリス初演を果たして注目を集め、1958年にストラトフォードのシェークスピア記念劇場の責任者に指名された。1960年芸術監督として活動を開始、劇団名を新たにロイヤル・シェークスピア劇団として、シェークスピアだけでなくハロルド・ピンターなどの現代劇の演出にも才能を発揮した。1968年辞任、1973年ローレンス・オリビエの後を継いでナショナル・シアター(国立劇場)の総監督に就任(~1988)、クリストファ・マーローからピーター・シャファーの『アマデウス』(1979)まで幅広い制作・演出活動を行った。ロイヤル・オペラの演出スタッフでもあり、1983年にはバイロイトの『ニーベルングの指環(ゆびわ)』の演出で話題をまいた。最後の大作は2011年、バースのロイヤルシアターで行われたシェークスピアの『ヘンリー4世』であった。1977年、サーの称号を授与された。

[中野里皓史・大場建治 2019年1月21日]


ホール(Charles Martin Hall)
ほーる
Charles Martin Hall
(1863―1914)

アメリカの化学技術者。アルミニウムの溶融塩電解法を発明し工業化した。オハイオ州に生まれる。オバーリン大学在学中に師のジューエットFrank Fanning Jewett(1844―1926)教授の示唆により、アルミニウムの製法に関心をもち実験を開始した。1886年溶融水晶石にアルミナを溶解させ、溶融塩電解法により金属アルミニウムをつくることに成功し特許をとった。これは、彼と生没年がまったく同じフランスのエルーと偶然にもほぼ同じ方法で、しかも同じ年の発明であったので、ホール‐エルー法といわれている。1888年ピッツバーグ製造会社(現、アルコア)がこの方法でアルミニウムの生産を開始し、1890年彼は副社長となり、今日のアルミニウム工業の基礎を築いた。

[矢木哲雄]


ホール(Asaph Hall)
ほーる
Asaph Hall
(1829―1907)

アメリカの天文学者。惑星観測の第一人者。コネティカット州ゴーシェンの時計作りを父として生まれたが、13歳で死別。家計を支えるため16歳で大工見習いとなった。しかし修学の意志が強く、1854年ニューヨークのセントラル・カレッジに入学した。天文学を志し、まずハーバード大学の助手に採用され、熟練計算手として才能を認められた。1862年、ワシントンの海軍天文台に入って観測生活を開始し、1863年同天文台教授となり、1869年シベリアへ日食観測に赴き、1876年には土星の白斑(はくはん)を、1877年には火星のフォボスとデイモスの2衛星を発見、1884年には土星の衛星軌道の回転を発見した。1891年に退職、その後、ハーバード大学天文学教授を務めた。

[島村福太郎]


ホール(Edwin Herbert Hall)
ほーる
Edwin Herbert Hall
(1855―1938)

アメリカの物理学者。メーン州生まれ。1888年ハーバード大学助教授、1895年同大学教授となる。1879年「ホール効果」を発見した。電流が板状の導体の長さ方向に流れているとき、この電流の方向と垂直な幅方向の両端には電位差は生じない。しかし、電流と垂直な厚さ方向に磁場をかけると、電位差が生じる。この値(EH)は電流(I)と磁束密度(B)との積に比例し、厚さ(d)に反比例する。この現象をホール効果(電流磁気効果の一種)といい、式EH=RH・I・B・1/dで表される。比例定数RHをホール係数といい、電流の担体によって、符号(電子のときは正、正孔のときは負を示す)や大きさが異なる。

[武澤 隆 2018年11月19日]


ホール(Marshall Hall)
ほーる
Marshall Hall
(1790―1857)

イギリスの医者、生理学者。ノッティンガム近くのバスフォードに生まれる。エジンバラ大学で医学を学び、1812年学位を得た。1816年ノッティンガムで開業、1826年ロンドンに移って開業した。医業のかたわら生理学の研究を行い、反射運動、脊髄(せきずい)に関する研究で業績をあげた。1833年に著した『延髄および脊髄の反射作用』Reflex Function of the Medulla Oblongata and Medulla Spinalisでは随意運動と不随意運動との差を明らかにした。そのほか、神経疾患、人工呼吸、消化器病、婦人病に関する研究論文がある。

[大鳥蘭三郎]


ホール(James Hall)
ほーる
James Hall
(1811―1898)

アメリカの地質学者、古生物学者。マサチューセッツ州ヒンガムに生まれる。1836年にニューヨーク州地質調査所ができたとき、地質技師補として入所する。翌1837年、地質技師となる。調査費に州の援助がないときには私費を投じて調査するなど、熱心な研究活動が実って古生界ニューヨーク系の確立を行い、またニューヨーク州の地質と古生物についての大著を発表した。1859年には、アパラチア山脈地区が堆積(たいせき)に歩調をあわせて徐々に沈降し、褶曲(しゅうきょく)して大山脈になったとする説、すなわち地向斜のオリジナルな概念を初めて発表した。また、初代アメリカ地質学会会長となった。

 なお、同名で同等に名高いSir James Hall(1761―1832)はイギリスの地質学者で、「実験地質学の創設者」といわれる。

[木村敏雄]


ホール(Edward T. Hall)
ほーる
Edward T. Hall
(1914―2009)

アメリカの文化人類学者。コロンビア大学で哲学博士号をとり、その後、海外派遣要員の教育その他にあたり、イリノイ工科大学を経てノースウェスタン大学教授を務めた。非言語コミュニケーション、文化間コミュニケーションが専門であり、「プロクセミックス」Proxemicsとよばれる学問を提唱した。これは空間に対してそれぞれの社会集団が与える意味には一定の体系と秩序があるとするもので、これにより、他人との間合いのとり方や、都市空間のつくり方など、人間の空間的行動も、文化ごとの秩序が反映されるとした。おもな著書として『沈黙のことば』(1959)、『かくれた次元』(1966)などがある。

[豊田由貴夫 2019年1月21日]

『國弘正雄・長井善見他訳『沈黙のことば』(1966・南雲堂)』▽『日高敏隆・佐藤信行訳『かくれた次元』(1970・みすず書房)』


ホール(Gus Hall)
ほーる
Gus Hall
(1910―2000)

アメリカの政治家。フィンランド移民の子として貧困のうちに育ち、アメリカ共産党創立メンバーであった両親の影響を受け17歳で青年共産同盟に入った。1931~1933年モスクワで学び、帰国後、共産党全国委員となる。1937年の鉄鋼ストに活躍し、第二次世界大戦に従軍したのち、1950年に党中央書記、1959年に書記長となる。第二次世界大戦後、共産党が初めて大統領選立候補を認められた1972年以降1984年まで、党代表として出馬し主張を訴えた。著書多数。

[長沼秀世]


ホール(Harry Reginald Holland Hall)
ほーる
Harry Reginald Holland Hall
(1873―1930)

イギリスの考古学者。1896年大英博物館に入り、古代オリエント史を中心に研究活動を行った。エジプト・アッシリア部副部長を経て同部長に就任(1924~30)、エジプトのデル・エル・バハリ(1903~10)、メソポタミアのウル(1919)の発掘を行った。エーゲ海考古学の著作もあり、『ケンブリッジの古代史』の編集にも携わった。

[寺島孝一]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ホール」の意味・わかりやすい解説

ホール
Hall, Jeffrey C.

[生]1945.5.3. ニューヨーク,ニューヨーク
アメリカ合衆国の遺伝学者。アマースト大学在学中に基礎科学とキイロショウジョウバエの遺伝機構に興味をもち,1971年シアトルのワシントン大学で遺伝学の博士号を取得。カリフォルニア工科大学で博士研究員を務めたのち,1974年ブランダイス大学に勤務,1986年教授,2002年名誉教授。2004年メーン大学非常勤教授。キイロショウジョウバエにおける求愛行動と生物リズムの研究に従事。1984年同じ大学の共同研究者マイケル・ロスバッシュとともに,ハエの生物時計を制御する時計遺伝子 periodの特定に成功,periodの蛋白質 PERが夜に細胞内に蓄積され,日中に分解することをつきとめた。ほぼ同時にロックフェラー大学のマイケル・W.ヤングも periodの特定に成功した。その後さらに詳しい研究を重ね,時計遺伝子の蛋白質が自身の発現(転写→翻訳)を抑制することで約 24時間周期のリズム(概日リズム)をつくりだす「転写翻訳ネガティブフィードバックループ」の仕組みを明らかにした。2017年「概日リズムを制御する分子メカニズムの発見」によりロスバッシュ,ヤングとともにノーベル生理学・医学賞(→ノーベル賞)を受賞。2009年グルーバー賞(ロスバッシュ,ヤングと共同受賞),2012年ガードナー国際賞(同)など受賞。科学ジャーナル誌数誌の編集にも携わる。2001年アメリカ芸術科学アカデミー会員,2003年全米科学アカデミー会員。

ホール
Hall, Peter

[生]1930.11.22. ベリーセントエドマンズ
[没]2017.9.11. ロンドン
イギリスの演出家,ディレクター。フルネーム Sir Peter Reginald Frederick Hall。1953年にケンブリッジ大学を卒業。同大学在学中から演劇に携わり,1953年にシアター・ロイヤルで初めて商業演劇の演出を担当し,その後演出助手の仕事についた。1954~56年ロンドンのアート・シアターで演出家を務め,サミュエル・ベケットの『ゴドーを待ちながら』En attendant Godot,ジャン・アヌイの "La valse des toréadors",ウジェーヌ・イヨネスコによる『授業』La Leçonのロンドン初演の演出を果たした。1957年からシェークスピア記念劇場で演出を担当。1960年に首席演出家に就任するとともに劇場名をロイヤル・シェークスピア劇場と改称し,専属のロイヤル・シェークスピア劇団を結成した。さらに,1960年に同劇団のロンドン公演の本拠地となるオールドウィッチ劇場を得て,アヌイ版『ベケット』Becket(1962)のロンドン初演,ハロルド・ピンターの『帰郷』The Homecoming(1965)の初演を演出した。ウィリアム・シェークスピアのほか,ピンターなど現代作家の作品の演出でも注目された。1973~88年ナショナル・シアターの首席演出家を務めた。その後も自身の演劇プロデュース団体を組織したほか,オペラ,映画などでも幅広く活躍した。1977年ナイトに叙された。

ホール
Hall, Stuart McPhail

[生]1932.2.3. イギリス領ジャマイカ,キングストン
[没]2014.2.10. イギリス,ロンドン
ジャマイカ出身のイギリスの文化理論家。文化形成における社会制度の役割や,「個人や集団が相互に理解したり意思疎通する際に用いられる意味のネットワーク」について学際的に研究するカルチュラル・スタディーズの先駆者。ジャマイカ・カレッジで学んだのち,1951年にローズ奨学金を得てイギリスのオックスフォード大学メルトン・カレッジで文学を学ぶ。その後文学研究から離れ,大衆文化研究に身を投じた。1960~61年『ニュー・レフト・レビュー』誌の初代編集長を務め,1964年にバーミンガム大学の現代文化研究センターの研究員となり,所長代理,所長を歴任。1979年,広範囲にわたる政治的,経済的および文化的な転換現象を「サッチャリズム」(→サッチャー)と名づけた研究で国際的な評価を得た。同 1979年にオープン大学の社会学教授に就任,1998年に退任した。

ホール
Hall, John L.

[生]1934. コロラド,デンバー
アメリカ合衆国の物理学者。 1956年カーネギー工科大学を卒業し,同大学で修士号 (1958) ,博士号 (1961) を取得。 1962年アメリカ国立標準技術研究所 NISTの前身である国立標準局 NBSに入局し,光速の精密測定などのためにレーザー光の周波数を安定させる技術開発に取り組んだ。 2000年までにレーザーでつくられるコヒーレント光の性質を最大限いかして光周波数コム (櫛の意味) という技術を開発,1000兆分の1 (15桁) の高精度で光の周波数を決めることに成功した。この功績により,2005年ロイ・J.グラウバー,ほぼ同時期に光周波数コムを開発したテオドール・W.ヘンシュとともにノーベル物理学賞を受賞した。 1984年アメリカ科学アカデミー会員。 2002年マックス・ボルン賞受賞。

ホール
Hall, James

[生]1793.8.19. フィラデルフィア
[没]1868.7.5. オハイオ,シンシナティ
アメリカの法律家,銀行家,編集者,歴史家,短編作家。西部最初の文学雑誌『イリノイ・マンスリー・マガジン』 Illinois Monthly Magazine (1830~32) ,『ウェスタン・マンスリー・マガジン』 Western Monthly Magazine (32~36) を創刊,西部辺境の伝説,風俗習慣などの記録収集に努めた。主著,短編集『西部の伝説』 Legends of the West (32) ,『辺境物語』 Tales of the Border (35) ,歴史書『西部の歴史,生活,風俗スケッチ』 Sketches of History,Life,and Manners in the West (2巻,34~35) ,『西部史のロマンス』 The Romance of Western History (57) 。

ホール
Hall, G(ranville) Stanley

[生]1844.2.1. マサチューセッツ,アッシュフィールド
[没]1924.4.24. マサチューセッツ,ウースター
アメリカの心理学者。ジョンズ・ホプキンズ大学教授。クラーク大学総長兼心理学教授。アメリカ人として W.ブントの最初の門下生として助手をつとめ,帰国後,ジョンズ・ホプキンズ大学にアメリカ最初の心理学実験室を設立 (1883) 。ブント,C.R.ダーウィン,S.フロイトの考え方を取入れ,児童,青年,老年期の心理を研究,現代アメリカ心理学の祖の一人となっている。"American Journal of Psychology"など4つの研究誌を創刊。主著『青年期』 Adolescence (1904) ,『老年期』 Senescence,the Last Half of Life (22) 。

ホール
Hall, Marshall

[生]1790.2.18. ノッティンガムシャー,バスフォード
[没]1857.5/8.11. ブライトン
イギリスの生理学者。反射運動理論の創始者。 1812年エディンバラ大学を卒業,パリ,ベルリン,ゲッティンゲンの各大学で医学を学び,17年ノッティンガムで総合病院の医師となり,26年ロンドンに移り 53年まで開業。最も重要な業績は『延髄および脊髄の反射機能について』 On the Reflex Function of the Medulla Oblongata and the Medulla Spinalis (1832) のなかで記載した,意志,知覚,意識を伴わない,個体を守るための反射運動の理論。また血液循環では毛細血管で組織とのガス交換が行われること,さらに人工呼吸,てんかんについても報告を行なっている。

ホール
Hall, Edward

[生]1498頃
[没]1547
イギリスの歴史家。ケンブリッジ大学のキングズ・カレッジ卒業後,1533~35年ロンドン市の下級行政官,29,42年下院議員。 48年バラ戦争時代の歴史描写を中心とする『年代記』 Chronicle (正式には『ランカスター,ヨーク両貴族の統一』 The Union of the Two Noble and Illustre Families of Lancastre and Yorke) を出版。ヘンリー8世時代の叙述は同時代の他の年代記をはるかにしのぐ高い文学的価値をもち,シェークスピアの史劇の素材ともなった。

ホール
Hall, James

[生]1811.9.12. マサチューセッツ,ヒンガム
[没]1898.8.7. ニューハンプシャー,ベツレヘム
アメリカの地質学者,古生物学者。レンセラー工科大学助教授 (1832) を経て,教授。ニューヨーク,アイオワ,ウィスコンシンの各州の地質調査局で活躍。またニューヨークの国立自然史博物館館長 (71) 。科学アカデミー会員。アメリカ南東部アパラチア山脈の古生層の層序と地質構造を研究し,さらに岩相変化,化石などの検討をもとにアパラチア山脈層の形成を論じ,造山論の基本となる地向斜の概念の基礎をつくった。主著『ニューヨークの古生物学』 The Palaeontology of New York (47~94) 。

ホール
Hall, Charles Martin

[生]1863.12.6. オハイオ,トンプソン
[没]1914.12.27. フロリダ,デートナビーチ
アメリカの化学者,冶金学者。オーバーリン大学在学中からアルミニウム精錬法の研究に没頭,卒業 (1885) 後も同大学の実験室で研究を続け,1886年電解冶金法を発明 (同じ頃,フランスでも P.エルーが同様の方法を見出した) 。 88年銀行家 A.メロンの援助で,ピッツバーグ製造会社 (現在のアルコア) をつくり,アルミニウム工業を企業化した。 90年同社副社長。

ホール
Hall, Edwin Herbert

[生]1855.11.7. メーン,ゴーラム
[没]1938.11.20. マサチューセッツ,ケンブリッジ
アメリカの物理学者。ボールドウィン・カレッジ卒業後,ジョンズ・ホプキンズ大学大学院で学ぶ。大学院在学中の 1879年にホール効果を発見し,この研究で学位取得。 81年ドイツを訪れ,H.ヘルムホルツの実験室でホール効果の精密測定を行なった。ハーバード大学助教授 (1888) ,教授 (95~1921) をつとめた。中等教育における物理実験の改善にも尽力した。

ホール
Hall, Asaph

[生]1829.10.15. コネティカット,ゴーシェン
[没]1907.11.22. メリーランド,アナポリス
アメリカの天文学者。アメリカ海軍天文台の数学教授 (1863) 。 1875年以降,同天文台の 26インチ (66cm) の屈折望遠鏡で,惑星の観測とその衛星の軌道,二重星の軌道,視差の測定などに成果をあげた。とりわけ有名なのは,77年に火星の2衛星を発見し,その軌道を計算したことである。 91年退役後,ハーバード大学の天文学教授 (95~1901) をつとめた。

ホール
Hall, William Edward

[生]1835.8.22. レザーヘッド
[没]1894.11.30. コーカーコート
イギリスの国際法学者。教壇に立ったこともあるが,基本的には在野の研究者として研究を続けた。主著『国際公法』A Treatise on International Law(1880,立作太郎訳)は,芸術的ともいえる手法で書かれたもので,その名声はイギリスのみならず,アメリカ合衆国や日本にも及んだ。

ホール
Hall, Gus

[生]1910.10.8. ミネソタ,アイアン
[没]2000.10.13. ニューヨーク
アメリカの政治家。フィンランド系の両親ともアメリカ共産党の創立委員という家庭に育ち,17歳で入党。 21歳でモスクワに渡り,2年間レーニン研究所で学んだ。帰国後,製鉄会社労組のオルガナイザーとなり,幾度か投獄された。 1959年 12月に党書記長に選出され,66年6月再選された。 72年と 76年大統領選挙に立候補。

ホール
Hall, Lyman

[生]1724.4.12. コネティカット,ウォーリングフォード
[没]1790.10.19. ジョージア,バークカントリー
アメリカ独立革命期の政治家。独立宣言署名者の一人。 1758年ニューイングランドからジョージアに移住し,サンバリーの町の創設者の一人となり,ここで医者を開業。独立革命のために活躍し,75~80年大陸会議代表。 83年ジョージア邦知事。

ホール
Hall, Harry Reginald Holland

[生]1873.9.30. ロンドン
[没]1930.10.13. ロンドン
イギリスの考古学者。 1896年より大英博物館に勤務。エジプトのデル・エル・バハリやバビロニアのウルの発掘を指導し,1924年に同博物館エジプト・アッシリア部の部長となった。

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改訂新版 世界大百科事典 「ホール」の意味・わかりやすい解説

ホール
Robert Burnett Hall
生没年:1896-1975

アメリカの地理学者。その学問的生涯を日本に向け,アメリカにおける日本研究を盛んにした。また,日本の地理学界発展のため,大いに尽くした人としても知られる。初期の論文には《ハイチ共和国の地理》(1928)などがあるが,1929年以来第2次大戦終了まで数回来日し,このときの調査をもとに,《日本の田園集落形態》(1931),《大和盆地》(1932),《東海道》(1937)などの地誌の論文をアメリカの学会誌に発表している。

 戦後,ミシガン大学に日本研究センターが設けられ,ウィスコンシン大学,シカゴ大学とともに日本研究の中心となってゆく。50年4月に同センターの日本分室が岡山に設置され,初代の所長となり,標本調査地として岡山市北方の新池(にいいけ)を選び,精細な日本の村落研究を進めた。日本の地理学者の協力もあり,アメリカの若手の地理学者が次々と来日し,ここを拠点に日本の研究が行われ,数多くの論文が発表された。

 一方,行政面でも手腕を発揮,アジア諸国の研究に対する奨学金の財団〈アジア財団〉が東京に設置されると,駐日代表者としてそこに移り,日本が高度経済成長期に入る前の6年間(1954-60),研究費の乏しい時代に,自然,人文,社会の各分野の学界のため援助を与えた。なお,ミシガン大学はホールの後,海外研究の重点が日本から中国に移ったので日本研究はさびしくなったが,日本研究センターを巣立った人々はアメリカ各地の大学で日本研究の裾野を広げている。
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ホール
James Hall
生没年:1811-98

アメリカの地質学者。イギリス移民の子として,アメリカ合衆国マサチューセッツ州に生まれ,化学の講義の助手などをして働きながら学校に通った。自然科学に関心をもつようになり,ニューヨーク州トロイに新設された,フィールドワークを重視する新方式の学校に入り,自然科学で学位を得た。その後,1836年に新設されたニューヨーク州の地質調査所に入り,無脊椎動物化石の記載を行って膨大な著作を書いたほか,地質調査に従事し,その範囲は合衆国各地に及んだ。カリフォルニア州など多くの州の地質調査所の設立に加わったり,合衆国地質調査所の設立にも関与し,アメリカおよび国際的な学会でも多くの役職に就いた。北アメリカ東部の古生層の研究から,59年に,アパラチア山脈地域はもと大陸縁にあった浅海に厚く堆積した地層が大山脈になったとしたが,この考えはJ.D.デーナによって73年に地向斜と名づけられ,構造地質学上の重要な概念となっている。
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ホール
Peter Reginald Frederick Hall
生没年:1930-

イギリスの演出家。ケンブリッジ大学在学中に演劇活動に熱中し,後に職業演出家となる。ロンドンのアーツ劇場クラブを本拠としてベケットの《ゴドーを待ちながら》のイギリス初演(1955)を手がけるなど,革新的な作品の紹介に努める一方,シェークスピア演出に清新さをもたらした。1960年,新たに結成されたローヤル・シェークスピア劇団の総監督となり,68年に辞任するまで,ストラトフォードとロンドンの両方で盛んな活動を続けた。この間のおもな仕事には,現代的視点によるシェークスピア演出やH.ピンターなどイギリスの新しい作家の劇の演出がある。73年,ロレンス・オリビエの後を継いでナショナル・シアターの芸術監督となり,76年,新しい劇場の開場を実現するなど,経営手腕も発揮した。ほかにオペラや映画の演出も手がける。83年,大部の日記を刊行。1977年,サーの称号を受けた。
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ホール
hall

(1)中世西欧の住居でもっとも主要な広間。一般に2階分の天井高をもち,一方に入口からの通路が接し,他方に張出窓をもつ形式がとられた。昼間の室内生活の大半,すなわち食事,会見,宴会等はすべてここで行われた。ルネサンス以降,ホールの大きさは2階分の高さをもつ立方体を二つ横に並べたプロポーションをもつことがよいとされ,これを〈ダブル・キューブdouble cube〉と呼んだ。(2)ホールを中心にもつ宮殿,貴族や荘園領主の邸宅(マナー・ハウス),大学の建物,公共の建物,会館などが,固有名詞を付してホールの名で呼ばれる。ロンドンの官庁街であるホワイトホールは,同名の宮殿(1698焼失)がここにあったために生じた地名である。(3)一般の住宅の応接・会合などのための主要室。また,玄関を入って内側の空間および廊下部分もホールと呼ぶ。
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ホール
Charles Martin Hall
生没年:1863-1914

アルミニウムの溶融塩電解法を発明し工業化したアメリカの化学技術者。オハイオ州生れ。オバリン大学在学中にジューエットF.F.Jewett(1844-1926)教授の示唆により,アルミニウム製造法の発明を目ざして自家の小屋で実験を始めた。1886年溶融氷晶石にアルミナを溶解させ,その電解で陰極にアルミニウム粒を生成させることに成功した。88年からピッツバーグ還元会社(1907年よりアルミナム・カンパニー・オブ・アメリカ,略称ALCOA(アルコア)と改称)で日産50ポンドのアルミニウム生産を開始した。同時期に独立に同方法を発明したフランスのエルーと特許を競合したが,アメリカ特許はホールが89年取得した。終身独身。母校オバリン大学に財産の2/3を遺贈した。
執筆者:


ホール
Granville Stanley Hall
生没年:1844-1924

アメリカの心理学の開拓者。ブントの下で実験心理学を修めた後,1882年ジョンズ・ホプキンズ大学にアメリカ最初の心理学講座を創設した。《アメリカ心理学雑誌》の創刊者,アメリカ心理学会初代会長でもある。児童から老人までの各年代の心理学を追究し,多くの業績を残した。質問紙法の導入によって,多数の調査対象から一般的傾向を求める実証的児童研究,児童研究協会の創設とそこでの教師や学者たちの共同研究の組織化,質問紙や伝記に基づく青年の意識や経験の分析と,進化論的立場に立った発達論の構成,子どもの遊びの原始性に着目した〈遊び反復説〉などが知られている。クラーク大学総長時代,S.フロイトを講演に招待し,精神分析がアメリカに流布する機縁を作った。主著《青年期》(1904)は,世界最初の体系的な青年心理学の書。
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ホール
Asaph Hall
生没年:1829-1907

アメリカの天文学者。火星の衛星の発見者。13歳のとき父を失い,苦学して数学を学ぶ。1857年ハーバード天文台の助手,62年ワシントンの海軍天文台の技師,75年同所の65cm屈折望遠鏡の主任となる。76年土星の赤道付近に出現した白斑から土星の自転周期を測る。77年の火星大接近に際し,衛星が存在することを予見して観測を始め,2個の衛星を発見し,フォボス,デイモスと命名する。さらに日食や水星,金星の日面通過の観測,恒星の視差の測定,土星の衛星の研究などがある。1895-1901年までハーバード大学天文学教授をつとめた。
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ホール
hole

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最新 地学事典 「ホール」の解説

ホール

Hall, James

1811.9.12~98.8.7 米国マサチューセッツ州に生まれ,ニューヨーク州トロイの工学校に学び,同州地質調査所員(1836~43),州立アルバニー博物館員(1843~?)としてアパラチア山脈から五大湖地方を調査。詳細な研究によって古生層(ニューヨーク系)の層序と構造を解明。さらに岩相変化,化石の検討から,アパラチア山脈の厚層が一定の浅海環境下で形成され,この堆積の場が火成活動を伴って山脈となる関係を明らかにし,地向斜概念の基礎をつくった(1859)。主著『Natural History of New York, Palaeontology』(1859)。

執筆者:


ホール

Hall, Sir James

1761.1.17~1832.6.23英国 実験地質学の開祖。玄武岩を溶融し,これを徐々に冷却すると結晶ができることを実験的に認め,結晶質岩石を堆積岩とみるA.G.ウェルナーの説を否定した。また布と粘土の層を交互に水平に重ね,これに荷重をかけて横から強く圧力を加え,撓(とう)曲や褶曲の形成を実験的に研究した。

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出典 平凡社「最新 地学事典」最新 地学事典について 情報

化学辞典 第2版 「ホール」の解説

ホール
ホール
Hall, Charles Martin

アメリカの工業化学者.Oberlin Collegeの学生時代から化学,とくにアルミニウム金属に興味をもち,1886年アルミナを氷晶石に溶解して電気分解してアルミニウムを得る電解製造法を完成した.2年後,メロン財閥の援助を得て,ピッツバーグにアルミニウム工場を建てた.この工場は,1907年Aluminum Company of Americaと改称され,アメリカ最大のアルミニウム企業となった(現在のAlcoa).アルミニウム工業の今日の隆盛は,かれとフランスの冶金学者P.L.T. Héroult(1863~1914年)に負うものである.


ホール
ホール
hole

[同義異語]正孔

出典 森北出版「化学辞典(第2版)」化学辞典 第2版について 情報

百科事典マイペディア 「ホール」の意味・わかりやすい解説

ホール

米国の冶金学者,企業家。オバリン大学卒業後の1886年,アルミニウムの電解冶金法を発明。P.L.T.エルーとともにアルミニウム工業開拓者の一人で,ALCOA社を創業。
→関連項目ALCOA[会社]

ホール

米国の地質学者,古生物学者。マサチューセッツ州生れ。ニューヨーク州およびオハイオ州の地質調査員。米国東部の古生界の層序と構造を解明。アパラチア山脈の褶曲(しゅうきょく),浅海堆積物で特徴づけられる厚い地層の研究から地向斜概念の基礎を確立した。主著は《ニューヨークの自然史,古生物》(1859年)。

ホール

英国の古代学者。1896年大英博物館に入り,1924年―1930年エジプト・アッシリア部長。メソポタミアではウバイドやウル,エジプトではデル・エル・バハリ神殿の発掘に従事し,エーゲ考古学にも精通した。著書《オリエント古代史》《エーゲ考古学》など。

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「ホール」の解説

ホール Hall, Robert Burnett

1896-1975 アメリカの地理学者。
1896年7月18日生まれ。第二次世界大戦前に数回来日し,論文「日本の田園集落形態」などを発表。昭和25年岡山に設置されたミシガン大日本研究センター日本分室の初代所長となった。アジア財団駐日代表者。アメリカにおける日本研究,日本の地理学界の発展につくす。1975年4月4日死去。78歳。

ホール Hall, John Carey

1844-1921 イギリスの外交官。
1844年1月22日生まれ。慶応3年(1867)来日してイギリス公使館の通訳官見習となる。明治36年横浜総領事。大正3年退官。帰国後,日本アジア協会会長となり日英親善につくした。1921年10月21日死去。77歳。北アイルランド出身。クイーンズ-カレッジ卒。

ホール Hall, J.Basil

1788-1844 イギリスの探検家。
1788年12月31日生まれ。父は実験地質学の創始者ジェームズ=ホール。1816年ライラ号艦長として琉球に来航。住民の生活や言語などを調査・研究し,1818年「朝鮮沿岸及び大琉球島航海探検記」を刊行した。1844年9月11日死去。55歳。エジンバラ出身。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

山川 世界史小辞典 改訂新版 「ホール」の解説

ホール
Daniel George Edward Hall

1891~1979

イギリスの歴史学者。その著書『東南アジア史』(1955年初版)において,植民地史観を廃し,東南アジアを主体に据えた歴史記述を心がけることの重要性を提起し,第二次世界大戦後の東南アジア史研究をリードした。

出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報

367日誕生日大事典 「ホール」の解説

ホール

生年月日:1916年9月23日
アメリカの歴史学者,日本研究家
1997年没

ホール

生年月日:1896年7月18日
アメリカの人文地理学者
1975年没

ホール

生年月日:1910年10月8日
アメリカの政治家
2000年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内のホールの言及

【香辛料】より

… 市販の香辛料には,生のもの,乾燥品,ペーストと呼ぶのり状のもの,酢・塩酢・塩水などにつけたもの,冷凍ものなどがあり,それぞれその形状を生かした使い方がされる。乾燥品でホールと呼ぶのは原形のままのもの,フレークと呼ぶのは粗びき,または粗砕きしたものである。香辛料も,鮮度や保存のしかたで香味に変化が起きる。…

【正孔】より

…そこでこれを正孔と呼ぶ。ホールということもある。正孔は絶縁体中を電荷を別にすれば通常の伝導電子とまったく同じように運動し,電導性に寄与する。…

【半導体】より

…すると空席を介しての電子の移動が可能となり,これも電気伝導に寄与する。この場合の事情はむしろ空席の運動に着目するほうが簡単であり,またこの空席は見かけ上正の電荷をもつので,これを正孔(ホール)と呼ぶ。すなわち伝導電子と正孔の両方が電気伝導に寄与するわけである。…

※「ホール」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

[名](スル)1 別の衣服に着替えること。特に夏冬の季節に応じて改めること。平安時代には、陰暦4月1日、10月1日に行われた。江戸幕府では、このほかに5月5日・9月9日などにも着替える定めがあった。現...

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