ルイ(15世)(読み)るい(英語表記)Louis ⅩⅤ

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ルイ(15世)」の意味・わかりやすい解説

ルイ(15世)
るい
Louis ⅩⅤ
(1710―1774)

フランス王(在位1715~74)。最愛王le Bien Aiméと称される。ルイ14世曽孫(そうそん)。5歳で即位したため、故王の甥(おい)オルレアン公フィリップ摂政(せっしょう)となる。摂政政治(1715~23)は多元会議制Polysynodieの無力な統治で終わり、成人した王は元ポーランド王女レクザンスカと結婚(1725)した。1726年以来枢機卿(すうききょう)フルリーが実権を握る時代(1726~43)に入るが、この時代はようやく長い不況から脱出して経済は安定成長を始め、啓蒙(けいもう)の時代へと向かうときである。また、ポーランド継承戦争(1733~35)を起こし、ロレーヌを取得した。

 フルリーの死(1743)後、親政が開始された。王は神経質で気まぐれ、しかも怠惰な気質の持ち主で、親政といっても、政治は有能な大臣に任せ、また寵妾(ちょうしょう)ポンパドゥール夫人の才知に影響された。親政時代の政策は、啓蒙専制的改革の性格をもっていた点に特色がある。親政初期の財政総監マショー(在任1745~54)は、新直接税バンティエームを創設するにあたって、不公正な免税特権を排し、収入に応じて課税しようとした。それは貴族から「租税戦争」と恐れられた税制改革であり、そこに特権体制否定の思想が表現されている。中期には、実力者ショアズールのもとに重農主義思想をもった開明的官僚が任用され、財政負担の平等と経済活動の自由化政策が企てられた。また、この時代にアンティル諸島を保守し、コルシカ島領有(1768)に成功したが、七年戦争(1756~63)による深刻な打撃は財政を極度に悪化させた。この改革路線は財政危機打開のために必要であったが、それはつねに高等法院の反対を受け、挫折(ざせつ)した。そして、親政末期に行われた大法官モプーの改革は、この高等法院そのものを廃棄する改革であった。しかし、この改革もルイ15世の死(1774年5月10日)とともに覆され、未完に終わった。

[千葉治男]


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旺文社世界史事典 三訂版 「ルイ(15世)」の解説

ルイ(15世)
Louis XV

1710〜74
フランスの国王(在位1715〜74)
ルイ14世の曾孫。治世中,しばしば対外戦争を起こしてイギリスと対立し,特に七年戦争に敗れて,インド・北アメリカ植民地を失った。

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