デジタル大辞泉 「八幡」の意味・読み・例文・類語
はちまん【八×幡】
[副]
1 《八幡神に誓って、の意から》断じて。確かに。誓って。
「―忘れは致さぬ」〈紅葉・色懺悔〉
「―我らも心底変はらぬ」〈浄・鑓の権三〉
2 (八幡神に願うの意で、感動詞のように用いて)ぜひとも。どうぞ。必ず。
「―一夜のお情あれ」〈浄・嫗山姥〉
[類語]神社・
やわた〔やはた〕【八幡】
千葉県市川市の地名。
出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報
京都府南部の市。1977年市制。人口7万4227(2010)。京都盆地を流れる木津(きづ)川,宇治川,桂川が合流して淀川となり,大阪平野へ流れ出る出口の南岸に位置し,市域は男山丘陵とその東に広がる木津川左岸の沖積平野とから成る。市街の中心は,9世紀中葉に男山に鎮座した石清水(いわしみず)八幡宮の門前町に始まる。町場の形成は平安末期から始まり,中世には神人(じにん)の座のほかに絹座,紺座,軽物座など多数の商人の座が成立していた。男山山麓の北と東に形成された門前町の八幡町(八幡惣町)は科手(しなで),常盤(ときわ),山路,金振(かなぶり)の4郷(内四郷)からなり,東に広がる川口など外四郷とあわせて八幡八郷とも八幡荘とも呼ばれた。1600年(慶長5)には八幡惣町は総家数1085,そのほか八幡宮の山下寺庵が130あり,江戸後期に至ってもさほど増加はみられない。八幡宮社士や神人も居住し,宿屋,両替屋,酒屋もあった。北西山麓の橋本は淀川水運の河港,宿場町としてにぎわった。橋本渡しは元来,石清水八幡宮への大山崎油神人(大山崎油座)の灯油エゴマ運送のために設けられた渡しであった。
市域東部の平野は低湿で水害を受けやすく,集落は微高地上に位置している。水田の中に多くの島畑が見られ,果樹栽培が行われる。丘陵上ではモウソウチクが栽培され,たけのこの産が多い。また大規模な住宅団地が造成され,市の人口は1970年前後から急激に増加している。男山丘陵の南東には,〈寛永の三筆〉の一人で茶人としても知られた松花堂昭乗ゆかりの松花堂(史)がある。もと八幡宮の宿院泉坊のかたわらに建立されたもの。市域南部,大阪府枚方(ひらかた)市との境にある洞ヶ峠は筒井順慶日和見の俗説で著名。国道1号線,京阪本線が通じている。
執筆者:浮田 典良
近江国蒲生郡の近世以降の町名。現在は滋賀県近江八幡市。湖東平野にあり,北は琵琶湖に面する。1585年(天正13)豊臣秀吉により近江20万石を与えられた甥の秀次は,標高283m余の八幡山に築城,山麓に安土の城下町を移し,また諸役免除等の内容を有す八幡山下町掟書(はちまんさんげまちおきてがき)13ヵ条を発し,城下町経営を進めた。90年秀次は岐阜竹ヶ鼻に転封,京極高次が2万8000石をもって八幡城主に封じられたが,95年(文禄4)秀次の自刃により,縁故のあった八幡城は廃城となり,高次も大津へ移った。しかし町は八幡町と公称され,関ヶ原の戦後幕府領となったが,1698年(元禄11)まず新町以西が旗本朽木(くつき)氏領に,1708年(宝永5)には全町が朽木氏領,1826年(文政9)幕府領,42年(天保13)尾張藩領,54年(安政1)再度幕府領と支配が変遷した。
初期の町政は明らかではないが,代官の任命した2~3人の総年寄の合議制によって運営された。町内の町数は幕末64~65ヵ町を数えた。また八幡浦は近世の湖上交通の要所で,大津・堅田とならび湖上三親浦と称され,今日も残る堀割(運河)によって町の商工業活動が展開した。1647年(正保4)八幡神社に渡海船額を奉納して知られる海外進出の西村太郎右衛門,近世初期松前の漁場を開いた岡田八十次,松前藩の御用商人西川伝右衛門,元和年間(1615-24)江戸日本橋に開店した西川甚五郎,西川利右衛門に代表される商人のほか,大坂,京,名古屋等に進出する商人たちは,近江商人の典型であった。元禄~享保年間(1688-1736)の戸数は1500を数え,諸商人が過半という様子であった。近世中期以降,八幡町を中心として近在を含め蚊帳,畳表,灯心などの主要特産物が生産され,それを背景に,ほぼ30種の株仲間が組織された。1954年近江八幡市となる。
執筆者:畑中 誠治
福岡県北九州市西部の地区名。1917年市制施行の八幡市が,63年門司など4市と合体して北九州市となったため,八幡区として区制を施行し,74年八幡東区,八幡西区に分かれた。人口は東区7万1801,西区25万7097(2010)。洞海湾の南岸を占め,背後に皿倉山(622m)などの山がそびえ,西部および北東部に低い第三紀層丘陵地が起伏する。宿場町で港もあった黒崎を除いて明治中期までは寒村にすぎなかったが,1897年官営八幡製鉄所(現,新日本製鉄)の建設が着工されてから急速に発展した。製鉄所が操業を開始した1901年以後,戦争のたびごとに拡張を重ね,化学,金属加工などの関連諸工業も発達し,北九州工業地帯の中核を形成した。現在,埋立ての進んだ洞海湾岸一帯には鉄鋼をはじめ,化学,窯業,電気機械などの大工場群と下請の中小工場群が建ち並んでいる。鹿児島本線枝光駅,八幡駅のある東区が中心部をなしてきたが,近年は製鉄所の合理化などによって人口の減少が著しい。代わって西区の黒崎が鹿児島本線,筑豊電鉄線,国道3号,200号線が通じるなど交通の便がよいため北九州市の副都心として発展している。西端に鉄道交通の基地の折尾,南部に旧炭鉱町の香月(かつき)がある。市街地背後の帆柱自然公園は,皿倉山頂へのケーブルカーや見晴しのよいハイキングコースがあり,北九州国定公園に含まれる。
執筆者:土井 仙吉
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
出典 日外アソシエーツ「事典・日本の観光資源」事典・日本の観光資源について 情報
…大阪市の公害対策は戦争によって中断するが,戦前の先駆的な公共部門による公害対策といえよう。 第3の典型例は,八幡における八幡製鉄所の公害であろう。八幡製鉄所は官営であり,その公共性からいって,民間企業に比べてより進んだ公害対策をとらねばならぬはずであるが,実際には反対で,お上の権力で,〈企業城下町〉ともいうべき市民の発言が困難な都市をつくり上げた。…
※「八幡」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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