ルイ(11世)(読み)るい(英語表記)Louis Ⅺ

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ルイ(11世)」の意味・わかりやすい解説

ルイ(11世)
るい
Louis Ⅺ
(1423―1483)

バロア朝第6代フランス王(在位1461~83)。母はアンジュー公女マリ。父シャルル7世が廃嫡された王太子として亡命政権をたてていたブールジュに生まれる。青年時代は父王に反逆し、王太子領ドーフィネにこもり、ついにはブルゴーニュ公家庇護(ひご)を求める。1461年家督を相続した彼は父王の顧問官たちをすべて退けるなど専権を振るい、王弟を含む諸侯反乱を招く(1464~65、公益同盟戦争)。乱の指導者格だったのがブルゴーニュ公フィリップの息子シャルル4世で、67年シャルル4世が公位を襲うや、両者の死闘は避けがたいものとなった。ルイ11世は、フランス王権統制からの離脱を図って独立国家を構想するシャルルをドイツ諸侯、スイス諸都市、あるいはイングランド王家と結んで包囲し、自ら手を汚すことなく、77年シャルルをナンシーに敗死させた。ルイ11世は、ブルゴーニュ公女マリアと自分の息子シャルルとの結婚を通じて公国の合併吸収を図るが、これは失敗し、軍事力をもってブルゴーニュ公領(フランシュ・コンテ)とアルトア伯領を王領に加えることで満足しなければならなかった。ブルゴーニュの軍事力を失った諸侯は、相次いでルイ11世の統制に服し、王権の直接統制を受けない諸公領はブルターニュ公領を残すのみとなった。ルイのマキャベリズムに徹した王権政策の展開は、ローヌ川中流のリヨン河口マルセイユを基地とする地中海交易への進出、リヨン、さらにロアール川中流のトゥールへの絹織物産業の導入、鉱山の開発など積極的な経済政策に負うところが大きかった。彼のあだ名「商人王」の由来の一端はここにもみられよう。また、注目すべきは、彼の行政機構の人事に振るった手腕、また情報収集、指令伝達のための駅逓(えきてい)制度の創設である。政治を技術として操ったルイ11世の代、フランス王制は一つのスタイルを得た。晩年の彼は、ただ1人信頼するフィリップ・ド・コミーヌとともに、トゥール近郊プレシ・レ・トゥールの館(やかた)にこもり、孤独のうちに死んだ。

[堀越孝一]

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旺文社世界史事典 三訂版 「ルイ(11世)」の解説

ルイ(11世)
Louis Ⅺ

1423〜83
フランスの国王(在位1461〜83)
百年戦争後,ブルゴーニュ・アンジュー・メーヌ・プロヴァンスなどを併合し,中央集権化を進めた。

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