デジタル大辞泉 「夢」の意味・読み・例文・類語
ゆめ【夢】
1 睡眠中に、あたかも現実の経験であるかのように感じる一連の観念や心像。視覚像として現れることが多いが、聴覚・味覚・触覚・運動感覚を伴うこともある。「怖い
2 将来実現させたいと思っている事柄。「政治家になるのが
3 現実からはなれた空想や楽しい考え。「成功すれば億万長者も
4 心の迷い。「彼は母の死で
5 はかないこと。たよりにならないこと。「
[下接句]一炊の夢・浮世は夢・
[類語](1)正夢・逆夢・初夢・悪夢・夢路・
睡眠中に体験される感覚性心像(映像)をいう。ふつう夢は目覚めた後の回想によって意識される。そこで,睡眠中の脳の活動状態における表象の過程が〈夢意識〉であり,その覚醒時における回想が〈夢の内容〉であるということもできる。
夢と睡眠の関係を初めて明らかにしたのは,デメントW.C.DementとクレイトマンN.Kleitmanで,彼らの実験(1957)によると,被験者をレム睡眠時に目覚めさせたところ,191回のうち,152回(80%)は夢を思い出したが,ノンレム睡眠時には,160回のうち思い出したのは11回(6.9%)であった。その後,研究が進むにつれて,ノンレム睡眠時の夢の想起率(夢の想起回数/覚醒回数)も上昇し,最高74%になっている。夢の内容からみると,レム睡眠時には〈夢想型の夢dreaming-like dream〉といわれるものが多く,一方ノンレム睡眠時には〈思考型の夢thinking-like dream〉といわれるものが多い。〈夢想型の夢〉では夢内容が明瞭で,ときには非現実的な,あるいは覚醒時には思い出せないような〈古い記憶〉が再生される。一方,〈思考型の夢〉では夢内容が明瞭ではなく,本人もそれが夢ではなくて,考えていたことだと感じることが多く,寝る前に考えていたことや,あるいは最近悩んでいたことなど〈新しい記憶〉が再生されると考えられている。前者の例は朝方の夢,後者の例は寝入りばなの夢に代表される。
夢の収集は,より確実なレム睡眠期に覚醒させ,被検者の夢の内容についての報告を,テープレコーダーに録音しておき,後に事物,行動,人物など,内容そのものについて整理,分析をする〈レム睡眠期覚醒法〉が用いられている。同時に記録された眼球運動,筋電図,心電図などの末梢機能の変化と夢内容との関係についても調べられている。
〈レム睡眠期覚醒法〉はレム睡眠の最中に目覚めさせる方法であり,レム睡眠終了後5分以内に起こした場合でも夢をおぼえてはいるが,10分後に起こすと断片的かほとんどは夢を見なかったという。ということは日常生活では,ふつう1夜にレム睡眠は5回起こるので,少なくとも5個以上の〈夢想型の夢〉を見ているが,たまたま夢を見た後で5分以内に目を覚ましたときにおぼえているにすぎない。したがって,おぼえている1,2回の夢についてその内容のよしあしを判断したり,未来を予測するなどは統計的にもまったく無意味である。
夢の中で他人と口論をしている時には発語筋が活動しており,夢の中で怒っている時には心拍・呼吸数が増加し,ピンポンの夢を見ている時には眼球が左右に動くなど,夢を見ている時の脳は覚醒時と同様に末梢器官に指令的刺激を送っている。逆に眠っている時に涙をためたり,笑っている場合には悲しい夢や楽しい夢を見ているといえるだろう。
寝言についての研究は必ずしも多くないが,レム睡眠の時に起こる寝言は感情的なものであることが多く,その時の夢の内容も感情的なものであることが多いと報告されている。恐ろしい夢を見たときの叫び声,俗にいう〈夢にうなされる〉などはこの例であろう。一方,ノンレム睡眠時の寝言は,落ち着いた調子で,内容もその人の社会的・家庭的環境に関係のあることが多く,その時に起こしてみると,夢を見ていたというより,考えていたと答える場合が多かったという。いわゆる思考型の夢に入るようである。睡眠時に発語筋の活動電流を記録し,寝言を言わなくても,発語筋が働いたときに起こしてみると,ほとんどの場合,夢の中でものを言っていたという報告もある。イヌやネコなどの動物でも,睡眠中に声を出すことがある。松本の研究室でも,イヌがレム睡眠時にうなったり,かすかにほえたりすることが記録された。
S.フロイトは〈夢の内容を作りあげる材料は,どんなものであろうとも,ひとがそれまでに体験したものから,なんらかの方法で採ってこられたものだということ,だからその材料は夢の中で再生産され,思い出されるということ,これは疑うに疑うことのできない事実とみてよかろう〉と述べている。またH.ベルグソンは〈夢そのものはほとんど過去の再生にすぎない〉と述べており,K.シュナイダーは〈昼間の生活の反映である〉と述べている。実際に筆者らが39人の学生について自宅・実験室でレム睡眠の時に起こして集めた297の夢の中で,その学生たちの過去に関連のある夢内容は232(78%)であった。
一方,フロイトは夢内容の源泉として外的感覚刺激,内的感覚刺激,内的身体刺激,純粋に心的な刺激の四つを採りあげ,外的感覚刺激としていろいろな刺激を眠っている人に与えている。たとえば,蠟燭の灯影を赤い紙ごしに何度も顔の上へ落とすと,嵐と暑熱の夢を見たとか,はさみでピンセットをたたくと暴風警報の鐘の鳴る夢を見たなどと書いているが,それはどのような睡眠パターンの時に与えられたかはわからない。
しかし,デメントらは1958年に実際に脳波・眼球運動などの睡眠ポリグラムを記録しながら,眠っている人がレム睡眠に入っている時に100Wのランプを顔に照らしたり,1000Hzの音を聞かせたり,皮膚に注射器で水を噴霧したり,水滴を落としたりして,その刺激で目を覚ました時,あるいは後で目を覚まさせた時の夢の内容について調べている。その結果によると,水の噴霧,光,音の順に夢の内容に刺激の入っている率が大きく,水の場合には計48回のうち20回も,水が落ちてきた,雨が降ってきたというような夢を見ている。さらにベルを鳴らした場合にはドアの呼鈴が鳴ったとか,電話がかかってきたというような夢を見ている。
このデメントらの結果の中で,ベルを鳴らした時に電話のかかってきた夢を見たということを大脳生理学的に分析してみると,被検者はアメリカに住んでおり,ベルと電話の関係は酸味と梅干のように,日常生活の中で本質的に組み合わされ,自然に強化されている,いわゆる〈自然条件反射〉を形成しているためにベルの音が電話を誘発したと考えられる。もし被検者が電話を知らないとしたならば,ベルの音を鳴らした時には,夢の中には電話は絶対に現れてこないだろう。
このように考えてくると,音は条件刺激であり,電話の夢はそれと結合した条件反射と考えることができる。この考えから,松本は〈夢は睡眠中の条件反射である〉,詳しく言えば〈夢は覚醒中に得られた条件反射の睡眠中の再現である〉という作業仮説を立てた。
この作業仮説を証明するために,次の実験を行った。まずパブロフの原法にしたがって,イヌの覚醒時に500Hzの純音を聞かせ,同時に餌を与えることによって,音だけで耳下腺唾液の分泌される条件反射を形成した後に,イヌが眠った時に音を聞かせたところが,条件反射性の唾液分泌はノンレム睡眠期には見られたが,レム睡眠期には認められなかった。レム睡眠期には外的感覚刺激が脳内に入り難いという性質のあることを克服するために,次にネコを使ってネコの脳内電気刺激を条件刺激にすることにした。その場所としては,デメントらの皮膚刺激が夢内容に取りこまれやすいという報告から考えて,手の皮膚刺激を大脳皮質感覚野へ中継する視床の腹後側核に電極を挿入して電気刺激を与えることにした。この唾液条件反射は,覚醒時に9~22日間の強化で形成されたが,イヌと同様にノンレム睡眠時にのみ条件反射性唾液分泌が認められた。そこでレム睡眠時不成功の理由について考えてみると,既述のように人間のノンレム睡眠期の夢には新しい記憶の再生による思考型のものが多く,レム睡眠期の夢には古い記憶の再生による夢想型のものが多いことから,子ネコの時から条件反射をつけて長期にわたって強化することにした。生後3ヵ月から条件反射をつけて4歳4ヵ月になった時に調べたところ,ノンレム睡眠期のみでなく,レム睡眠期にも条件反射性の唾液分泌が認められ,同時に急速眼球運動が伴うことも確認された。このような結果から夢は覚醒中につけられた条件反射の再現であり,ノンレム睡眠期の夢は新しい記憶と古い記憶の再生であり,レム睡眠期の夢は古い記憶のみの再生であるといえるだろう。
なお,夢の内容を認識するには人間の言語答申による以外に方法はないが,言語を情報伝達手段としての外言語,思考手段としての内言語に分類すると次の式が成立する。
報告される夢=真実の夢×外言語
真実の夢=夢見像×内言語
たとえば,人間が実際に夢を見た場合に見なかったと言えば,報告される夢はゼロになるが,真実の夢は本人には残って認識されている。イヌ,ネコあるいは人間の乳児は外言語はもたないが,なんらかの思考手段はもっており,夢内容は報告することはできないが,理論的には真実の夢は見ているといえるであろう。
夢をよく見るという人と,見ないという人がいることは確かである。1959年にグッドイナフF.Goodenoughらが,夢をよく見るという8名と,あまり見ないという8名,計16名の大学生について調べたところ,確かに〈よく見る人〉の群はよく夢を見ているし,〈見ない人〉の群では夢を見る回数が少なかった。さらにそれぞれの平均睡眠時間などについて調べたところ,前者は後者よりも平均睡眠時間が約1時間も多く,床に就いてから入眠する時間も早かった。これらの結果から,〈よく夢を見る人〉は夢の背景になる睡眠が十分にとれて,夢の後で目が覚めやすくなっている人であるといえるだろう。
ところで,昔から色つきの夢を見る人は天才か精神異常者だという俗説がある。最近の調査によれば,画家,デザイナーなど色彩に関係の深い職業についている人に,色つきの夢を見る人が多いと報告されている。さらに松本らが,大学生約1000名を対象に調査したところ,色つきの夢を見る人が理科系の学生では50.7%,文科系学生では46.9%であった。男女別では,女子で62.1%,男子で43.1%が色つきの夢を見たことがあり,理科,文科の比率の差は男女ともほぼ同様であった。
なお,〈夢は五臓の疲れ〉といわれるが,これは〈夢の内容は五臓の故障を代弁することがある〉ということであって,〈夢は五臓が疲れているから見る〉という意味ではない。
→睡眠
執筆者:松本 淳治
夢は古来,神霊の人間への介入などとして貴ばれてさまざまな解釈が行われ,それには未来を予知したり病気を治癒させる力などが認められていた。〈夢占い〉あるいは〈夢解き〉はさまざまな社会で行われており,特定の職能集団を形成する場合もあり,戦争の開始など国家の重要決定に影響を与えることも少なくなかった。聖書には〈ヤコブの夢〉(《創世記》28:10~22)ほか有名な逸話が伝えられ,古代ギリシアでは医神アスクレピオスの神殿に参籠して夢を授かることで病気を治すということが行われ,日本にも同様な慣習があったことが知られている。夢の詳細な解釈技法は,西洋においては早くも2世紀のアルテミドロスによって集大成されている。しかし,近代以降合理精神が普及するにつれ,一般に夢は日常生活とはほとんど関係のない幻想であり,非合理的で意味のないものとして,長くその意義は少なくとも表面上は忘れられていた。
夢の意味は,1900年に公刊されたS.フロイトの《夢判断》という著書により,心の深層を表すものとして再発見された。フロイトによれば,夢は日常の意識が低下した時に心の深層から現れる無意識的な願望の充足であって,意識が受け入れようとしなかった過去の抑圧された願望内容を暗示するものである。彼は,夢の特徴として,二つ以上の心像が合体してみられる〈圧縮〉や,心理的なものが具体的な心像として視覚化される〈戯曲化〉,あるものが他の形をとって現れる〈置換え〉,さらに内容の婉曲な表現である〈象徴化〉などが行われていることを主張した。夢の内容の研究からフロイトは快楽を追う人間の生理的な本能として性欲を想定し,それが現実と衝突して抑圧されるという考えを理論化し,精神分析運動を展開した。一方,最初はこれに参加していたA.アードラーは,夢の背景にある内容を過去の性的願望の表れとするフロイトの考えに納得せず,むしろ将来への展望を含む権力的願望が,抑圧されているものと考えた。
さらにC.G.ユングは,夢の中に神話的内容を認め,夢にはフロイトのいうようなある個人の過去の抑圧された願望内容をもつものもあり,またアードラーの考えのように,未来志向を秘めているものもあるが,古今東西の人類に普遍的に存在する普遍的無意識から現れるものもあると考えた。いわゆる〈大きな夢〉とユングが呼ぶ神話的な内容をもった夢は,その夢を見た人の私的な過去や未来には関係なく,ある部族,または民族,さらに人類全体とかかわり,多くの人に影響を与えるような内容をもつものもあるとしたのである。そのためにフロイト派では,夢から自由連想法によって過去の抑圧された事実を追究しようとする還元的な方法で夢の意味をつきとめようとするが,ユング派では私的な連想のほかに,ほとんど無限大に拡大しうる拡充法によって,夢のまわりをめぐり,その普遍的な意味を考えようとする方法を採っている。そのほかにもL.ビンスワンガーやM.ボスらによる現存在分析に基づく夢解釈などがあり,多様化している。
→精神分析
執筆者:秋山 さと子
J.G.フレーザーの《金枝篇》や,L.レビ・ブリュールの《未開社会の思惟》にあるように,夢がその文化の中で重要な役割を占める集団,地域は,世界に多くの例をみる。夢の経験は覚醒時の経験とは異なることが多いので,夢の意味をたとえばヒンドゥー教では未来を予言するものとしたり,トロブリアンド島ではシャーマンになる適性を知るものとするなど種々の扱い方がある。しかし,夢にそのような意味を与えているからといって,夢と現実との見さかいがついていないかのように考えるのは誤りである。日本でも,お籠りによって神仏から夢を授かろうとするように,すべての夢に区別なく重要な意味を見いだすわけでは決してない。たとえばトロブリアンド島でも,いわば普通の夢といえるものが大部分であって,それには価値を認めない。しかし子どもが7~8歳の時期にふしぎと感じるような夢を見ると,シャーマンに解釈を受け,その子どもがシャーマンになる適性があることを知ることもある。トロブリアンド島ではまた,お産に先立って特定の先祖が夢に現れ,生まれる子がその再生であることを知らせる場合もある。このように,それぞれの文化の中で夢の扱い方が了解されていて,その点では,夢の意味はその文化の中では合理性をもつものである。心理学的な研究においては,見ていた夢を語る被験者が多いにもかかわらず,その夢にたいした意味を認められない者の方が多い。これについてはすでに述べたように,夢の意味は文化が与えるものであるという点が重要である。夢を見たことだけはおぼえがありながら,その内容はまったく記憶しない癖のあった人が,たとえば夢分析を受けるようになるとよく思い出すようになり,分析家の助力によって夢が意味することを悟るようになるのは経験的によく知られている現象である。その集団の文化が,文化として夢に価値を認めていること,またその中で,夢を見る人がみずからの夢には価値がありうることを信頼していることが,夢の意味づけの要件として認められねばならない。
睡眠と夢について現象を記述する研究はすでに蓄積されてきたが,その本性はなお未知のままである。睡眠状態において見る映像は,覚醒時の抑制から解放された働きによるゆえに特に重要である。なお,夢という言葉は,現実の事態を超えた〈希望〉のことであったり,ある種の欲望を心で追求する白昼夢の内容を指す場合もある。これらも善悪や適不適を別にすれば,覚醒時の抑制から解放されているという点で睡眠中の夢と同様の意味をもちうる。したがって夢は広い意味での想像力でもあり,そこに働く直観や洞察の力を,既成の文化の分析とは別の仕方で了解する方法の探究は,なお未来に残されているといえよう。
執筆者:藤岡 喜愛
《万葉集》の恋歌には,夢の実在性を信じ,魂の実体性をふまえた歌が多い。〈わが背子がかく恋ふれこそぬばたまの夢(いめ)に見えつつ寝(い)ねらえずけれ〉,〈旅に去にし君しも継ぎて夢に見ゆ吾が片恋の繁ければかも〉。前者は相手が自分のことを思ってくれた結果として自分の夢に現れる場合であり,後者は自分が相手を思うゆえに,相手が自分の夢に現れる例である。いずれも相手の姿(魂)が夢を回路として現れたのであって,夢が現実と拮抗しうるだけの比重をもっていたことをうかがわせる。《古今集》の〈思ひつゝぬればや人のみえつらん夢としりせばさめざらましを〉(小野小町)になると,現実に対する夢の比重の軽さがすでに見えはじめているが,夢についての基本的な観念は崩れていない。大きく分けると,夢の実在性が信じられていた下限は,平安末期,ないしは鎌倉初期あたりに置くのが妥当であろう。夢が神仏の啓示を伴うものであるのはいうまでもないが,古くは《古事記》の記述が参考になる。崇神天皇の時,疫病が流行して人民が多く死んだので,天皇は神牀(かむとこ)に座して神意を問うたところ,大物主神が夢に現れて,意富多多泥古(おおたたねこ)をして,三輪山にわれを斎き祭らせるならば,疫病はやむと神託を下したので,その通りにしたところ疫病はぴたりとやんだというものである。神牀に座すとは天皇自ら沐浴斎戒して寝ることを意味しており,それは夢(神託)を得るための祭式的行為でもあった。この神牀こそは後に述べる夢殿(八角堂)の原型であったのではないかと思われる。
法隆寺の夢殿については,古い伝承を示すものとして《上宮聖徳太子伝補闕記》や《聖徳太子伝暦》に太子が夢占いをするために夢殿に入ったという話が残されており,夢殿とは夢を見る殿であったことはまちがいない。《今昔物語集》には別の話として,太子はそこに入って宗教的瞑想としての三昧定(さんまいじよう)に入ったとある。夢を見る殿が仏教信仰とともに禅定の場へと転化された姿を見せているが,瞑想が一種の夢想に近い営みであるかぎり,そこには聖なるものと交わる夢という古い回路が生きているのは当然である。女犯と往生との相克に悩んだ親鸞が,叡山を下りて京都六角堂に百日間籠り,夢の中で救世観音の化身である聖徳太子から偈を得て,それが信仰上の回心となったということは,恵信尼の消息文などに詳しいが,六角堂が親鸞にとって一種の夢殿であったともいえる。
平安時代から鎌倉・室町時代にかけて,物詣の三大霊場といえば石山寺と長谷寺,清水寺であった。《梁塵秘抄》に〈観音験を見する寺,清水,石山,長谷の御山〉とあるのは有名で,〈験を見する〉というのは,あらたな霊験(れいげん)として奇跡を表すことのほかに,仏のお告げの験(しるし)として〈夢を見せる〉ことすなわち夢告(むごう)を指している。平安中期,道綱の母によって書かれた《蜻蛉日記》は,夫,藤原兼家との愛に傷つきながらの生きざまを回顧した日記文学であるが,彼女はその傷をいやすために,しばしば石山寺に参籠して夢告にあずかっている。《石山寺縁起》には,この道綱の母の参籠のほかに,《更級日記》の作者,孝標(たかすえ)の娘の参籠の絵がのっており,本堂の外陣(げじん)の一角に設けられた局に籠って,几帳を立ててその中に臥(ふ)している姿が描かれている。これは当時の貴族・受領クラスの女性がいかなる仕方で夢告を得ていたかを知る貴重な記録である。《石山寺縁起》にはこのほか,僧侶や一般庶民が本堂の外陣の板敷に上畳を敷き,そこで眠りながら夢告を待っているようすが描かれている。貴賤上下の人々が観音の夢告に期待したものは,自己の出所進退について,最終的・決定的な答えを啓示としてもらうべく,夢=神意を待つということであり,他方,おのれの運命の吉凶の予兆を夢に問うこと,さらには,現世利益的な,病気平癒や至富への可能性,子授けや結婚への願望の成就の有無について,なんらかの啓示を得ることであった。長谷観音の夢の告げを信じて行動した結果,藁しべ一筋から長者にのし上がった男の話は,夢が至富と結びついた好例であろう(《今昔物語集》巻十六第二十八)。古代においては,物の怪(もののけ)や罪穢がそうであったように,夢もまた一種の実体であり,そこから夢が売買された話なども生まれてくる。《宇治拾遺物語》の〈夢買人ノ事〉や,〈だんぶり長者〉を含む夢買長者と呼ばれる一群の昔話,味噌買長者などがそれである。《蜻蛉日記》や《更級日記》をみると,他者の依頼を受けて夢を見る夢見法師の存在と,その夢解きを専門に行った者(巫覡,陰陽師)の存在が確認されるが,夢が一つの実体(他者性)として考えられていた時代には,こうした職能人が霊場に付属していたとしてもふしぎではない。夢は善くあわせる(解く)とその身が幸せとなり,悪くあわせると凶になると昔の人は信じていた。夢は古代にあっては解かれたとおり実現されるものであったらしい。夢解きがいかに重大な職掌であったかがわかる。
夢が実体として信じられていた時代にも,もちろん無条件には受け入れず,疑念を抱いていた人々も多くいたわけで,疑と信は並行したり錯綜したりして古代から中世へと夢をめぐる観念の変遷史を形づくっていったといえよう。《春日権現験記》には,夢想と託宣の例が数多く描かれているが,巻十六の解脱房貞慶や,巻十七の明恵上人の場合には,春日明神の託宣(夢想)を疑っているのであって,疑われた明神が怒って巫女に憑依し,奇抜な奇跡を演じているところが描かれている。これは一種の信仰の押し売り,誇張とみて差し支えないところかも知れない。室町時代の成立である《太平記》巻三十五の〈北野通夜物語事付青砥左衛門事〉の描く青砥左衛門なる武士においては,夢への不信があからさまに出ており,それは単に不信心という消極的なものではなく,一つの新しい人生態度として自覚されている事実に注目したい。執権相模守が鶴岡八幡宮に通夜した夢に,青砥左衛門を取り立てよという神託がある。執権は早速近江の大庄八ヶ所の補任状を左衛門に与えたのである。ところが左衛門はこれを断り,自己自身の実力によってかち取った所領ならばともかく,夢=神託などによって与えられるなどとはもってのほかと一蹴してしまう。これは,もはや一個人の問題ではなく,夢についての考えが大きな変り目にきていることを示す挿話というべきであろう。夢を乞うために観音霊場へ参籠する信仰習俗が,この頃を転機に,霊場を巡行する巡礼(じゆんれい)へとようすを変えていったのは偶然の一致とは思えない。これも夢についての観念の転換を物語る一こまといえよう。
執筆者:岩崎 武夫
インドのバイシェーシカ学派の古典である《プラシャスタパーダ・バーシャ》によれば,夢は正しくない知識の一つに位置づけられる。また,夢を見る原因としては,過去の強烈な印象,身体を構成する要素の欠陥,不可見力が挙げられる。過去の強烈な印象に基づく夢とは,たとえば,熱愛し,相手を思いつめながら寝た人に現れるものである。身体を構成する要素の欠陥に基づく夢とは,たとえば,胆汁の多すぎる人が見る火や黄金の山などの夢のことである。不可見力に基づく夢とは,過去の行為の潜在力によって見る,瑞兆や不吉な兆しを告げる夢,あるいはいまだ経験したことのない事がらについての夢のことであるという。また,インドの正統派哲学の主流を形成したウパニシャッドやベーダーンタ学派の哲学では,アートマン(自己の本体,自我)のありようを,熟睡状態,夢眠状態,覚醒状態,第四位の4状態に分類し,心理学的な考察を加えている。
執筆者:宮元 啓一
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
睡眠中に体験される感覚性の心像で、そのほとんどは視覚的心像によって占められている。しかし聴覚、嗅覚(きゅうかく)、味覚、触覚、運動感覚などにかかわる夢が現れることもある。
[久保田圭伍]
古代人は、夢を非常に重要視した。彼らにとって夢は神の声に等しく、神の聖意を伝えるもの(夢告)として崇(あが)めた。洋の東西を問わず夢解きの専門家が存在して、重要な役割を担っていた。聖書の「創世記」に記述されているファラオの夢に対するヨセフの解釈やヤコブの夢はよく知られている。日本では法隆寺の夢殿はつとに有名であるし、『古事記』や『万葉集』のなかにも夢の記事はしばしばみられる。そこでは夢は実体性をもつものとみなされていた。しかし鎌倉時代になり、朱子学などの実学思想が展開し始めると、人々の夢への関心は徐々に衰退していった。また、西洋では啓蒙(けいもう)思想の台頭により、夢の解釈などは迷信として排斥されるようになり、歴史の表舞台から姿を消した。夢がふたたび注目され、人間の心の隠れた側面を表しているものとみなされ、科学的に研究されだしたのは20世紀になってからである。それはS・フロイトに始まる。
[久保田圭伍]
フロイトは20世紀初頭に『夢判断』(1900)という名著を出版した。これは夢に関する最初の学問的・体系的な研究である。彼によると、夢は無意識が表出したものであり、したがって夢の探究は無意識に至る王道と考えた。夢の機能ないし目的は、抑圧された「願望の充足」である。たとえば、飢餓状態にある人がみる食物の夢とか、受験生がすでに志望校の学生になっている夢などがそれである。しかし、夢はこの例のようにわかりやすいものはむしろ少ない。それは心のなかの願望が「歪曲(わいきょく)」されて現れているからである。この歪曲をつかさどるのが「検閲」と称せられる心の働きである。このことは、夢には、歪曲されて意識に上ってきた夢と、歪曲を受けないで無意識のなかにとどまっている夢とがあり、夢はこの二重構造からなっていることがわかる。前者は「顕在夢」、後者は「夢の潜在思考(潜在内容)」とよばれる。夢の解釈とは、顕在夢(覚えられている夢)を素材にして、連想によってその背後に隠されている夢の本来の意味や意図を探ること、つまり夢の潜在内容を明らかにすることである。そのためには、潜在内容が検閲によって歪曲される方法を知る必要がある。フロイトはこの歪曲の働きを「夢の作業」と称し、圧縮、移動、劇化、象徴化、二次加工をあげた。「圧縮」とは、潜在内容のいくつかの要素が融合して一つに合体した心像となっているもので、たとえば、夢に現れた1人の人物のなかに複数の人物の諸特徴が凝縮されている場合である。「移動」とは、潜在内容としては重要なものが、さほど重要でない他のものに移されること。「劇化」とは、目に見える形で現れること(視覚化ともいう)で、たとえば、美しいという感じを表すのにすばらしい景色が登場することなどである。「象徴化」とは、一定の夢の要素に一定の翻訳が対応していることで、たとえばペニスを槍(やり)、ペン、とがった武器などで表すことである。「二次加工」とは、夢の潜在内容が上述の歪曲を受け、顕在夢として登場する直前に、意識が受け入れやすいように、個々ばらばらのイメージに統一性をもたせ、一つのまとまった物語(ストーリー)に仕立て上げることである。われわれが覚えている夢(顕在夢)は以上の過程を経てつくられる。フロイトの夢解釈は、こうした夢の形成過程を逆にたどり、心の無意識世界に隠されている真の内容(潜在内容)を明らかにすることであった。
[久保田圭伍]
一方、フロイトから決別して分析心理学を打ちたてたC・G・ユングは、夢の機能として補償作用を重視した。彼によると夢は、そのときの意識の状態と、それに対する無意識の状態との相互作用によって生じる。たとえば、日ごろきわめて内向的な人が、夢のなかではきわめて外向的にふるまっている自分の姿をみることがある。これは、意識の一面性を無意識(夢)が補償しているのである。夢の機能として「補償」のほか、未来に生起することに対する予知夢や警告夢、現実に生じたことが再現される反復夢、あるいは無意識世界の強烈な要素が発現した神話的モチーフをもった夢などが指摘されている。フロイトが夢の中心機能として、「過去」において抑圧された願望の充足をあげ、夢を遡及(そきゅう)的に因果論的にとらえたことと比べると、ユングは夢に対して補償機能を中心にして、「未来」予見的な機能をも考慮に入れて、目的論的にとらえている。さらにユングは、個人的経験を超えた夢、すなわち普遍的無意識(集合的無意識ともいう)に発する夢を指摘する。これは先述の神話的モチーフをもった夢であり、たとえば、未開人が「大きな夢(ビッグ・ドリーム)」とよぶのはこれにあたる。
夢の分析にあたってユングは、夢主が覚えている夢それ自体を重視する。そしてその夢から離れず、その周辺を巡りながら、夢の個々の内容についての連想を尋ねる(この点でフロイトの用いた自由連想法とは異なる)。しかし夢主がもうそれ以上に連想ができないとき、分析家は、神話やおとぎ話などに登場している類似の物語を述べて、その夢の意味を豊かに膨らませる方法(拡充法という)を用いる。ユングはこれらの方法を用いて、生涯に約6万個の夢を分析した。夢分析は、精神科医としての彼の活動の中心であった。
夢は無意識からのメッセージであり、それまで「知らなかった私」を開示してくれる。つまり、その人の内界に潜在している可能性を示してくれる。これを無視し、意識と無意識が分離するところに病が生ずる。ゆえに意識(「私の知っている私」)だけに頼らず、無意識にも心を開き、両者が統合され全体性へ向かうとき心身の健康を得ることができる。すなわち、夢は人間の全体性を取り戻すために、きわめて重要な働きをもっているとユングは考えたのである。
[久保田圭伍]
フロイトに始まった夢の学問的な研究は、ユングのほかに、個人心理学の立場にたつA・アドラー、新フロイト派のE・フロム、精神分析的自我心理学のE・H・エリクソン、現存在分析のL・ビンスバンガーやボスMedard Boss(1903―1990)、ゲシュタルト療法のパールズFrederick Salomon Perls(1893―1970)など、多数の研究者によって、さまざまな夢の解釈がなされている。これは研究者が立脚している理論的立場の相違にもよるが、夢そのものが本来的にあいまいで多義的なものであることが、そうした多くの解釈を生み出している。解釈の違いがあるとはいえ、これらの研究者は同時に心の医者として、心の治療の手段として夢を重視した点は共通している。
[久保田圭伍]
夢の研究は上述の心理学的解釈によるものばかりでなく、生理学的研究もあり、重要な発見がなされている。1957年シカゴ大学のクライトマンNathaniel Kleitman(1895―1999)とアゼリンスキーEugene Aserinsky(1921―1998)は、夢に関する画期的な研究を発表した。すなわち、夢をみているときは眼球が急速に動くこと(rapid eye movement、略してREM(レム)といい、この時期の睡眠を「逆説睡眠」とよぶ)を発見した。このときの脳波は覚醒(かくせい)時と同じパターンを示した。REM期に覚醒させると、その8割は夢を報告した。このようにして夢を集める方法をレム期覚醒夢採集法という。普通、一晩に平均5回のレム期があるので、人は毎晩5個くらいの夢をみているわけである。この知見に基づいて、クライトマンの弟子デメントWilliam Charles Dement(1928―2020)は1960年ごろに次のような実験をした。すなわち、被験者にレム期が訪れると、ただちに彼を起こして夢をみさせなくした。するとその翌日は彼のパーソナリティーに動揺がみられ、さらにこのような「断夢」を5日間続けると、かなりの精神障害の症状が現れた。その後、自由に眠らせると、逆説睡眠が増加した(これを「はね返り」現象という)が、これは断夢による欠損を埋め合わせるためとデメントは考えた。逆説睡眠以外のときに睡眠を妨げてもこうした障害は生じないので、人間は夢を必要とするものであることがわかる。夢は夜ごとに自然発生的に現れるが、当人がその夢に気づくか否かに関係なく、心の健康を維持するために夢は不可欠で、きわめて重要な働きをしていることがこれによって理解できるのである。
[久保田圭伍]
夢のイメージは、芸術家の創作活動にとっても大きな役割を果たした。とくに視覚芸術である絵画において顕著である。19世紀のロマン派の芸術家たちにとって、夢の世界は現実に勝るとも劣らないほどの重要性をもったものとして絵画の主題に取り上げられた。彼らにとってもっとも価値あるものは、自己の内部に存在した。自己の内的世界を探り出す手段として、彼らは夢や幻想の世界を積極的に描いた。たとえば、イギリスの詩人であり画家であるW・ブレイクの名作『蚤(のみ)の幽霊』は奇妙な怪物が描かれた幻想的な作品である。またH・フューズリは、シェークスピアの『真夏の夜の夢』やドイツの民話、伝説をテーマにし、とくに夢の情景をしばしば描いた。彼の代表作として『夢魔』と題した一連の作品がある。ここには、人間の心の深淵(しんえん)に生まれる恐怖とエロティシズムがみられる。スペインの画家F・ゴヤもまた「夢魔」やそれとおぼしき幻想的な作品を多く描いた(たとえば『理性が眠れば怪物(デーモン)たちが生まれる』)。彼ら以外にも夢を主題として描いたロマン派の芸術家は多いが、彼らにとって夢や幻想は人間存在の本質に結び付いたものであった。つまり、人間の本質を探究する手段として、夢が重視され描かれたのである。
ロマン派と同じく、夢や幻想の世界を重んじる芸術として、1920年代にA・ブルトンを中心としておこったシュルレアリスム(超現実主義)とよばれる前衛芸術がある。この芸術運動はフロイトやユングから大きな影響を受け、無意識に着目して、夢や幻想の世界を描いた。シュルレアリストたちは、夢に覚醒時の現実と同じだけの重要性を与え、それをオートマティスム(自動記述法)とよばれる技法を用いて描いた。たとえば、代表的な画家であるM・エルンストは『シュルレアリスムと絵画』『カルメル修道会に入ろうとしたある少女の夢』と題する作品を残しているが、これらはオートマティスムによっている。こうして制作された絵画は無意識世界の描写である。彼らの作品が「夢の芸術」ともよばれるゆえんである。
[久保田圭伍]
夢は人間にとって不可思議な現象であり、各文化ごとにさまざまな解釈が行われてきた。その解釈は多岐にわたるが、多くの文化に共通する夢観念として次の二つがある。すなわち、一つは夢を睡眠中に肉体から遊離した霊魂の経験であるとする観念であり、他は夢を神のお告げであるとする観念である。
睡眠中にわれわれの肉体は移動していないにもかかわらず、夢のなかでわれわれはさまざまな場所に移動し、さまざまな体験をする。その事実から、夢は肉体を脱出した霊魂の実際の体験であるという観念が生まれるのも当然であった。アフリカのアシャンティ人では、他人の妻と夢のなかで性交した男は姦通(かんつう)の罪を犯したことになると考えられている。また古代インドでは、眠っている人を急に起こすと、魂が肉体へ帰れなくなり、重病になるとされた。イギリスの人類学者タイラーはこのように夢解釈から、未開人は霊魂という観念をもつようになり、それがアニミズムへと発展したと説き、夢現象を霊的観念、宗教の出発点とした。
夢を神や聖的世界からのメッセージであるとする社会も多い。古代ギリシアでもホメロスは、夢の送り手はゼウスであるとしているし、古代エジプトの王も夢のなかで神の啓示を受けていた。アメリカ先住民にも同様の信仰があり、また、死者が夢のなかに現れてその供養(くよう)の足りぬことを叱責(しっせき)したり、生者に忠告したりする夢は多くの社会に存在する。
以上のような夢観念は夢という現象を自分と他者、あるいは神や死者との関係性のなかでダイナミックにとらえるものである。それらは非合理であるというよりはむしろ、現代の夢観念と比べてみれば、関係性の希薄となった近代的自我の構造を逆に浮き彫りにする。
[上田紀行]
夢は昔から「正夢(まさゆめ)」「逆夢(さかゆめ)」といって、夢にみたことが現実となったり、その反対に事実と逆となって夢に現れたりすると信じられていた。夢の吉凶についてはいろいろな判断をすることが多く行われた。すでに『日本書紀』神武(じんむ)天皇の条に、高倉下(たかくらじ)が夢中の教えによって捜していた剣(つるぎ)を庫(ほくら)の中にみいだしたことが記されている。平安時代になると陰陽師(おんみょうじ)などが夢の判断をしていた。また夢解きという女性が夢の吉凶について見解を述べた。『大鏡』に「夢解きに問はせ給へれば……」の記述がある。夢判断は今日も行われているが、土地や人によってその判断はかならずしも同一ではない。田植の夢は悪いが、火事の夢はよいとされ、また牛の夢は悪いが、馬の夢はよいなどは、よくいわれている例である。
正月の初夢については、大晦日(おおみそか)、元旦(がんたん)、二日、節分など時代によって変わっているが、現在では正月二日の晩の夢をいうようである。初夢について吉とされるものに一富士、二鷹(たか)、三茄子(なすび)が知られている。これは徳川家の故地駿河(するが)の名物をあげたのだといわれている。初夢に付き物の宝船は、本来は悪夢をもっていってくれる船だったという説もある。宝船の絵を枕(まくら)の下に置いて寝ると吉夢をみるとか、夢見が悪いとバクバクと唱えてバク(獏)に夢を食わせるなどの俗説もある。『富山県史』によると、正月二日早朝、仕事始めに縄を綯(な)うが、それが済むとちょっと横になって休む。そのときみる夢を初夢と称しているという。
[大藤時彦]
『E・フロム著、外林大作訳『夢の精神分析』(1953・創元新社)』▽『河合隼雄著『ユング心理学入門』(1967・培風館)』▽『M・ボス著、三好郁男・笠原嘉・藤縄昭訳『夢――その現存在分析』(1970・みすず書房)』▽『西郷信綱著『古代人と夢』(1972・平凡社)』▽『W・C・デメント著、大熊輝雄訳『夜明かしする人、眠る人――睡眠と夢の世界』(1975・みすず書房)』▽『鑪幹八郎著『夢分析入門』(1976・創元社)』▽『木村尚三郎編『夢とビジョン』(『東京大学教養講座 13』1985・東京大学出版会)』▽『S・フロイト著、懸田克躬訳『精神分析学入門Ⅰ』(2001・中央公論新社)』▽『新宮一成監修『フロイト全集 第4巻 夢解釈Ⅰ』(2007・岩波書店)』▽『新宮一成監修『フロイト全集 第5巻 夢解釈Ⅱ』(2011・岩波書店)』
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…〈現実の中に自分を定位するため〉詩作する彼にとって,現実の安定の欺瞞性を暴き,偏見やイデオロギーにより麻痺させられた判断・批判・決断・抵抗の力と良心とを取り戻すことが重要な課題となる。黙示録的放送劇《夢》(1951)も,迷妄の世界の〈厭な夢〉から目覚めかつ覚醒し続けることを呼び掛ける作品で,ロマン派的〈夢〉へのアンチ・テーゼ,また現代人への警告でもある。権力・政治,ひいては〈人間〉〈現実〉〈真理〉すべてへの懐疑・不信が深まるにつれ,本来簡潔な彼の表現は一層切りつめられ,沈黙の淵に臨むに至る。…
…《ラサリーリョ・デ・トルメスの生涯》にはじまる〈悪者小説〉(ピカレスク)の頂点ともいうべき《かたり師,ドン・パブロスの生涯Historia de la vida del Buscón,llamado Don Pablos》(1626)にその特徴が如実に見られるのであるが,ここでは登場人物の醜さが,ブラックユーモアをまじえてあばかれている。そして風刺の精神は《夢》(1627)において極まる。この作品は〈最後の審判の夢〉〈死の夢〉〈地獄の夢〉などの5部からなり,これらの〈夢〉において,社会のもろもろの悪弊が俎上にのせられるのである。…
…《屈折光学》(1611)など光学上の業績も無視できない。晩年の作としては《夢》(1634)がある。これは月への旅行というサイエンスフィクションのはしりであり,同時に月から見た天体の運行を語ることによって,彼が熱心に支持したコペルニクスの太陽中心説を読者に説得する仕掛けになっている。…
…無官のままであったが,幕府草創の功臣として重んじられ安達氏興隆の基をなした。【青山 幹哉】
[盛長の夢見]
《曾我物語》巻二〈盛長が夢見の事〉〈景信が夢合はせ事〉〈酒の事〉には,頼朝の未来を予告する盛長の夢見と,その夢解きをした平権守景信の話がのっている。夢見の要点は〈頼朝が矢倉嶽(足柄峠の北にあたる)に腰をかけて酒を3度飲む。…
…この過程で,魂魄は人間の体内にあって生命活動をつかさどり,行為の善悪を監視する体内神の一つと考えられるようになり,さらに台光,爽霊,幽精の三魂と尸狗,伏矢,雀陰,呑賊,非毒,除穢,臭肺の七魄とに細分されるに至った。また,古来,夢は睡眠中に身体から遊離した魂魄が外界と接触することによって起こる現象と考えられたが,こうした観念は,身体を離脱した魂魄が遠隔地に現れて本人として活動し,再び肉体にもどるとか,他人に憑依(ひようい)するといった怪異譚を生み,六朝の志怪小説や唐代の伝奇小説にかっこうの主題を提供している。心精神霊魂【麦谷 邦夫】。…
…一般に知覚や学習の能力は入眠後低下していくので,いわゆる睡眠学習は不可能である。夢は睡眠中の精神機能の産物の一つである。実際にレム睡眠やノンレム睡眠時に呼び覚まして夢をみていたかどうか調べると,夢をみていたのはレム睡眠時で70~80%,ノンレム睡眠時では0~50%であった。…
…抵抗も感情転移も実際には容易に解消するものではないので,くりかえし採り上げて言語的に操作されなければならない(徹底操作)。また治療者は,自由連想(夢分析を含む)の全材料,抵抗,感情転移の様相を検討し,患者自身にとっては無意識の心的状況を再構成し,これを時機を選んで患者に伝えることによって患者の自己洞察をいっそう深めることが可能となる。 精神分析療法においては治療者は一貫して中立的態度を保ち,自己の人生観や世界観を押しつけないことが要請されている。…
…また人魂の形・色・出現の状態もさまざまで,円形・楕円形,青白・赤・黄,ふわふわと飛ぶ,ぼーっと出るなどといわれ一様ではない。さらに夢は霊魂が身体から遊離した状態とする観念が支配的で,その霊魂が人魂となって他の人の前に出現するという場合もある。鬼火【宮本 袈裟雄】。…
…両端が反り上がった長方形で,籐の部分は赤漆塗。側板は黒漆塗で,よくこの一方に悪夢を食うという獏(ばく)を,一方に菊や鶴,南天(難を転ずる)を描いた。室町時代ころからさかんに使われ,一双にして武家の嫁入用ともされた。…
…この無意識はエネルギーと浮上力とをもち,たえず前意識のなかに侵入しようとし,一方無意識の側からも同時に抑止的な影響を受ける。健康人の覚醒時の精神生活に無意識がその片鱗をのぞかせることははなはだまれだが,いいちがい,やりそこないといった失錯行為と夢とにそれは現れる。ことに夢はフロイトが〈無意識にいたる王道〉であるといったように,無意識の形成と内容とを推測させる好材料である。…
…神仏への祈願や夢のお告げによってもうけた子。歴史上の英雄伝説や高僧伝のなかにその例がみられる。…
…近代社会では,可視的な現実だけが唯一の現実とされ,〈見ること〉はその現実を網膜にうつすことに限られる。だが他の多くの社会では,不可視の現実もまた全体世界に含まれ,日常的には見えない現実は,たとえば夢や幻視において現実として〈見られて〉いた。とくに,不幸にして盲目となった者は,つねに不可視の現実を〈見る〉者とされた。…
…運命と致富を語る昔話。小僧が良い夢を見る。親や主人からその内容を聞かれるが,どうしても語らない。…
※「夢」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...
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