〘名〙 知覚された事物を配列する尺度の一つ。過去・現在・未来と連続して、止まることなく戻ることなく、永遠に流れ移ってゆくと考えられ、空間と共に認識の最も基本的な形式をなすもの。物事の変化・運動を通して感知され、一般には年・月・日・時・分・秒などの単位を用いて表わされる。
[一] 時間の流れをさしていうことば。時間。光陰。
※万葉(8C後)三・四六九「妹が見しやどに花咲き時は経ぬ吾(わ)が泣く涙いまだ干なくに」
※雑俳・柳多留‐二四(1791)「時過ぎ時きたりよふよふと来る」
[二] 客観的に定められた時法(単位と尺度)によって示される一昼夜のうちの一時点。時法には時代によって変遷があるが、大別して定時法と不定時法とがあり、そのそれぞれにまた多くの種類があって、明治初期までは同じ時代にも複数の時法が行なわれるのがつねであった。時刻。辰刻(しんこく)。刻限。
① ひろく、いずれかの時法で示される一時点。
※書紀(720)斉明六年五月(北野本訓)「又
皇太子、初めて漏剋
(トキのきさみ)を造る。民をして時
(とき)を知ら使む」
※幼学読本(1887)〈西邨貞〉二「かねはときをしらするためにつく」
※土左(935頃)承平四年一二月二一日「それのとしのしはすのはつかあまりひとひのひのいぬのときにかどです」
[三] 時間の流れの
一部分、または一点をさしていう。
① 特定の事物の生起・事象の推移などに対応して意識される時間の一点。時点。
※万葉(8C後)一一・二六四一「時守(ときもり)の打ち鳴(な)す鼓数(よ)み見れば辰(とき)にはなりぬ逢はなくもあやし」
※蜻蛉(974頃)中「戸おしあけて、念数するほどに、時は、山寺、わざの貝、四つふくほどになりにたり」
② 時代。年代。世。
※万葉(8C後)一三・三二九〇「いにしへの神の時より逢ひけらし今の心も常忘らえず」
※
源氏(1001‐14頃)桐壺「いづれの御時にか女御更衣あまたさぶらひ給けるなかに」
③ 時節。季節。時候。
※書紀(720)持統六年三月(北野本訓)「農作(なりはひ)の節(とき)車駕(きみ)未だ以て動きたまふ可からず」
※海潮音(1905)〈上田敏訳〉春の朝「時は春、日は朝(あした)、朝は七時、片岡に露みちて」
④ その時点。現在。当座。
※金銅薬師仏造像記(法隆寺所蔵)‐丁卯年(607か)「池辺大宮治二天下一天皇大御身労賜時、歳次丙午年」
※十問最秘抄(1383)「されば連歌は歌などにかはる事也。只其の時に人のもてあそぶ風体を賞すべし」
[四] 順当な時機、然るべき機会などをさしていう。
① (「秋」とも書く) ふさわしい時期。時宜。ちょうどその時。また、そうしなくてはならない時期、時間。
※
古事記(712)序「天の時
(とき)未だ臻
(いた)らずして」
※
園遊会(1902)〈
国木田独歩〉二「更に一策を案出して時
(トキ)こそ来
(きた)れと待ち受けて居た」
② 時運にめぐまれ栄えている時期。勢い盛んな時代。得意な時。
※万葉(8C後)七・一二八六「山城の久世の社の草な手折りそ わが時と立ち栄ゆとも草な手折りそ」
※古今(905‐914)雑下・九六七・詞書「時なりける人の、にはかに時なくなりてなげくをみて」
③ 陰陽道で、何か事を行なうに適当な日時。暦の吉日。
※源氏(1001‐14頃)葵「今日はよき日ならむかしとて、暦のはかせ召して、ときとはせなどし給ほどに」
④ 天台・真言などの密教で行なう、定時の勤行
(ごんぎょう)。時の修法
(ずほう)。→
時(じ)。
※弁内侍(1278頃)建長元年五月「二十七日結願なるべきを、その夜行幸にて侍しかば、暁の御ときをひきあげて」
[五] 行為や状態を表わす連体修飾句を受け、形式名詞として用いる。
① そうする場合、そういう状態である場合、の意を表わす。後の文に続く場合、
接続助詞のようなはたらきを兼ねる。場合。ほど。折。
※古事記(712)上・歌謡「沖つ鳥 胸見る登岐(トキ) 羽(は)叩(たた)ぎも これは相応(ふさ)はず」
※
徒然草(1331頃)一四二「人、恒の産なきときは、恒の心なし」
② 「…するときには…する」の形で同じ動詞を受ける。
(イ) (意図的動作の動詞を受けて) 普段はその動作をあまりしないが、し出すと普通の人以上に集中的にする、の意を表わす。「彼はああは見えても勉強するときには勉強する」
(ロ) (非意図的動作の動詞を受けて) まわりからの働きかけとは無関係に十分…する、の意を表わす。「ただの風邪なら薬など飲まなくても治るときには治る」
[六] 時制(じせい)のこと。多く「文法上の時」「動詞の時」などの形で用いられる。
[語誌]時法の主なものを挙げると(1)律令時代には陰陽寮所管の漏刻(水時計)を用いて時を計り、鼓や鐘を打って時を告げることが行なわれた。定時法で一昼夜を十二辰刻
(しんこく)に分け、それを十二支に配して表わした。真夜中(正子
(しょうし))が子
(ね)の刻で鼓を九回打ち、丑
(うし)の刻に八回、寅
(とら)の刻に七回、以下一辰刻ごとに
打数を一回ずつ減らして、巳
(み)の刻に四回打つ。真昼(正午)は午
(うま)の刻で鼓の打数は再び九回にもどり、以下同様に一回ずつ減らして亥
(い)の刻に四回打つ時法であった。なお、鼓の打数に合わせて、九つ…四つとも呼んだ。
(2)
江戸時代には
日の出・日没を基準にした不定時法が広く用いられ、
夜明け(明け六つ)から
日暮れ(暮れ六つ)までの昼間と、日暮れから夜明けまでの夜間とを各六等分した。このため四季によりまた昼夜により、一辰刻の時間は一定でない。時刻の呼び方は前代と同様で、九つ・九つ半から四つ・四つ半まで。また、一夜を
初更(戌)・二更(亥)・三更(子)・四更(丑)・五更(寅)と五分し、または甲夜
(こうや)・乙夜
(いつや)・
丙夜(へいや)・丁夜
(ていや)・戊夜
(ぼや)と呼ぶ別称もある。
(3)明治六年(
一八七三)改暦以後は平均太陽時を用い、一日を二十四等分するが、日付が昼間に変わることを避けて、平均太陽が観測地の子午線を通過する時刻を零時とする天文時より一二時間早い真夜中を零時として起算する常用時が採用され、一般には二四時を午前・午後の各一二時に分けて呼ぶ。