(読み)オウ

デジタル大辞泉 「王」の意味・読み・例文・類語

おう【王】[漢字項目]

[音]オウ(ワウ)(呉)(漢) [訓]きみ おおきみ
学習漢字]1年
天子。君主。「王侯王国王座王子王者王女王政王妃勤王きんのう国王女王尊王そんのう大王帝王仁王におう覇王はおう法王魔王四天王してんのう
皇族の親族。「女王親王しんのう
実力のすぐれたもの。第一人者。「三冠王・打撃王」
[名のり]たか・み・わか
[難読]親王みこ

おう〔ワウ〕【王】

国などを治める人。
㋐一国の最高主権者。君主。国王。中国では、始皇帝以後「帝」より一級下の称号。
儒教で、道徳をもって天下を治める者。王者。
皇族で、親王宣下せんげのない男子。皇室典範では、天皇の3世(旧制では5世)以下の皇族男子。
同類中、またその道で最もすぐれているもの。「百獣の」「発明
将棋の駒の王将
[類語]国王帝王皇帝キング大王王様

コニキシ【王】

《古代朝鮮語》三韓の王。コンキシ。コキシ。
高麗こまもろもろの将、―にまをして」〈雄略紀〉

コキシ【王】

《古代朝鮮語の「こんきし」の撥音の無表記》おう。コニキシ。
百済くだらの―」〈武烈紀〉

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

精選版 日本国語大辞典 「王」の意味・読み・例文・類語

おうワウ【王】

  1. 〘 名詞 〙
  2. 国家や領地を治める最高の地位の人。
    1. (イ) 一国の君主の称号。中国で、帝号ができてからは、帝より一等下の称号。
      1. [初出の実例]「其の時に父の王、一(ひとり)の女を以て姓を賜て后とす」(出典:今昔物語集(1120頃か)九)
      2. 「国のあるしたる人をわうとなつく如何。答わうは王也」(出典:名語記(1275)四)
      3. [その他の文献]〔春秋左伝‐僖公二五年〕
    2. (ロ) 道徳をもって天下を率いる者。徳をもって天下を統一した者。王者。
    3. (ハ) 天皇。
      1. [初出の実例]「此仏を移奉て、日本国の王に拝せたてまつらんと有ければ」(出典:康頼宝物集(1179頃)上)
    4. (ニ) 室町幕府の将軍。
      1. [初出の実例]「又京に王崩御とて、福徳二年〈庚戌〉年号を賛る也」(出典:勝山記‐延徳二年(1490))
  3. 皇族。みこ。おおきみ。
    1. (イ) 天皇の子・孫で、親王の宣下(せんげ)のない、また、姓をも賜わらなかった男子。女子は「女王」という。
      1. [初出の実例]「准令、五世之王、雖王名、不皇親之限」(出典:続日本紀‐慶雲三年(706)二月庚寅)
    2. (ロ) 明治以後、皇室典範で天皇の五世以下の皇族の男子。昭和二二年(一九四七)の改正で三世以下となる。〔皇室典範(明治二二年)(1889)〕
  4. もと、朝鮮の李王家の長。明治四三年(一九一〇)韓国併合の際に日本政府が定めた称号。
    1. [初出の実例]「前韓国皇帝を冊して王と為し、昌徳宮李王と称し」(出典:前韓国皇帝を李王に冊立の詔書‐明治四三年(1910)八月二九日)
  5. 仏教で、諸天の統率者。「魔王」「明王」
  6. ある分野において、実力で第一にある、最もすぐれたもの。王座を占めるもの。おさ。かしら。接尾語的にも用いられる。「花の王」「発明王」「三冠王」
    1. [初出の実例]「その中にわうとおぼしき人、家に『宮つこまろ、まうで来』と言ふに」(出典:竹取物語(9C末‐10C初))
  7. 将棋の駒の王将。
    1. [初出の実例]「将棊の馬に玉を王と云ふは何の故ぞ、両王いまさん事を忌て、必ず一方を玉と書く」(出典:壒嚢鈔(1445‐46)二)
  8. 数の三の符丁。

コニキシ【王】

  1. 〘 名詞 〙 ( 古代朝鮮語で、「コニ」は大の意、「キシ」は君の意か )
  2. 古代朝鮮の、三韓の王。コンキシ。コキシ。
    1. [初出の実例]「是の時に百済の王(コニキシ)(〈別訓〉こきし)族(やから)酒君(さけのきみ)礼無し」(出典:日本書紀(720)仁徳四一年三月(前田本訓))
  3. 百済王族の渡来人に与えられた姓(かばね)

コキシ【王】

  1. 〘 名詞 〙 ( 古代朝鮮語「コンキシ」の撥音無表記形 ) =コニキシ(王)
    1. [初出の実例]「是の時に百済の王(コキシ)(〈別訓〉コニキシ)の族(やから)」(出典:日本書紀(720)仁徳四一年三月(前田本訓))

出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例

改訂新版 世界大百科事典 「王」の意味・わかりやすい解説

王 (おう)

一般的な概念としては一国家,一民族,一部族などの最高支配者のことをいう。小規模な共同体の首長から強大な王国の支配者まで,世界史上,さまざまな王の類型が存在するが,通常,複数の国家の最高支配者とされる皇帝とは区別される。歴史的にみれば,古代の諸民族は国家形成の時期には王によって統合・支配されるのが普通で,ギリシア,ローマの都市国家でも形成期の段階では,戦士貴族のうち,〈同等者中の第一人者〉が王となった。一般的に,王の性格は,王国がよって立つ共同体のあり方と,その対外的・国際的関係(軍事・外交)という二つの側面から規定されるといえよう。王が,国内の共同体や政治社会に対しては,神もしくは最高の祭司,呪術者として宗教的権威をとなえ,他方,対外的には共同体の軍事的統率者として現れるのは,古代オリエント諸国からゲルマン諸民族の王まで共通している。また,《魏志倭人伝》にみえる邪馬台国の女王卑弥呼が,魏に使者を送り貢物を献じてその保護を求める〈外交〉を試みる一方,国内に対しては〈鬼道に仕えてよく衆を惑わす〉巫女として君臨するという二つの顔を持っていたのも,このことを示している。

 共同体を支配し代表する資格を王に付与するのは王権である。王権は,共同体全体の意識と実際の政治社会を結合する。王権は共同体の創性やその宇宙的構造についての祭式や神話を持つが,即位式を中心とする儀礼を通して王は王権の化身となるのである。ここでは,アフリカの王国を例に,王の性格と儀礼を詳細に分析し,ヨーロッパ,中国の〈王〉の呼称と意味について考察する。日本については〈天皇〉の項を参照されたい。なお,日本語としての〈王〉は別項で記述した。
執筆者:

未開社会については,王と皇帝の区別は必ずしも明確ではない。それは政治単位の不明確さ,国家をつくる場合の各単位の組織段階(つまり国家とか民族とかいった概念が使えるかどうか)の不明確さ,規模の小ささ,組織度の低さなどからくるものである。たとえば,ビクトリア湖の西(現在のウガンダ)には,イギリスが植民地とする以前に,遊牧民が農耕民を征服した国家がいくつかあったが,それらは単に〈征服国家〉〈征服王国〉と記述されるだけで,決して〈帝国〉とは呼ばれない。最高支配者も皇帝とはいわず王といわれる。しかし,西アフリカの広大な地域をその領土とした13~15世紀のマリ,15~16世紀末のソンガイは,いずれも〈帝国〉であって,一般に〈王国〉とは呼ばれない(そのように記述するものもないわけではないが)。その最高支配者は皇帝といわれる。ここでは王を,従来の意味より広い意味をもったものとして扱う。つまり国家,民族,領土が一つか複数かにかかわらず,その最高支配者を王とし,皇帝も当然王のなかに含められることになる。

 王は必ずしも国家諸権力の実権を握っているわけではないが,少なくともそれらを統合する者である。そしてこの力は宗教的権威をもつことに帰着する。外在する超自然的な力をもって集団を統合する力とするのであり,この点では未開社会の王(同時に世俗的実権の掌握者である場合がほとんどだが)も立憲君主制における王もそれほど差異はない。

 王の統合力ないし支配力を支えるものはまず,ほとんどの王制にみられる世襲制である。王は,日本の天皇がもつ〈三種の神器〉にあたるものをもたなければならない。たとえばアフリカにおいては,太鼓であったり(ウガンダのアンコーレ王国),床几であったり(ガーナのアシャンティ王国)する。しかしそれは,奪取すれば,その奪取した者が王の位に就くことができることを意味しない。これを受けるには資格が必要なのであって,それが〈血のつながり〉なのである。そして〈血のつながり〉は,王国の創始者や栄光の時代を築いた者,つまり力のあった祖先とのつながりを意味する。〈血のつながり〉自体は生物学的に跡づけることができる問題であるが,実はそのつながりによって〈祖先の力を持ちつづけることができる〉という信仰が確立しており,世襲制はこの信仰の具体的表現といえるのである。

 もう一つは,王が超自然的な力と人間との媒介者たる性格をもっていることである。たとえばアフリカでは,それは卓越した雨乞師であったり(ローデシアロベドゥ族)するが,こうして超自然的な力に一定の仕方(儀礼など)で訴えかけることによって,みずからが支配する人々に幸福をもたらすのである。しかし王は外在する超自然的な力を背景にしたり,利用したりするだけではない。むしろ王はそうした力をみずからの身体に内在させ,その力と同一化して,なおいっそう強い支配力をもつことができる。

 一般に王が世襲されてゆくことは上述したが,いっそう詳細な分析がこの点の理解に役立つ。たとえばウガンダにあったアンコーレ王国では,王の死後(実際には自然死を待つのではなく殺される。後述),息子たち(王には多数の妻がおり,そのすべての息子が王位有資格者である)が王位継承戦争を行う。ルールなどない。とにかくライバルになっている相手(腹違いのものもあるがすべて兄弟)を殺してゆく。そして最後に残った一人が王位を獲得する。死をかけたトーナメントであって,残酷なやり方だが,ここには,祖先の栄光ある力に最も近似した力をもつ者こそ,この祖先の力を実現できる者,という考え方が秘められている。

 またフレーザーの《金枝篇》でひじょうに有名になった〈王殺し〉慣習もある。これは,王が自然死を待つことなく,人為的に死を迎えなければならぬという慣習で,未開社会に数多く見られる。みずから毒を呷(あお)って死んでゆく場合もあるし(ウガンダのブニョロ王国),側近や妻が毒を盛ったり(アンコーレ王国),首を締めたり(ローデシアのロズウィ王国),小屋に食物なしで閉じ込めたり(スーダンシルック王国)して殺す場合もある。いずれも,王が肉体的および精神的に衰えを見せ始めたり,不治と思われる病にかかったり,重傷を負ったりした場合にこのような処置がとられる。栄光をもって国を治める祖先の力が,このような状態の王の身体に入っていることはできないというのが彼らの考えである。したがって王は死に至らしめられねばならないのであり,同時に上述したように祖先の力を宿すことのできる活力のある人間が選ばれなければならないのである。

 同じことは即位式にも現れる。西アフリカのイフェ王国ジュクン王国では,即位式に際して,新王は先王の内臓の一部を食べる。この行為は内臓に祖先の力が宿るという考え方に基づいており,この〈食人〉を通して,祖先の力が先王から新王へと,宿る身体を換えるのである。一方新王はこれによって支配する力をもつのである。また上述したアシャンティ王国やシルック王国の床几は,王位の象徴であると同時に,こうした祖霊の憑依(ひようい)の媒介をするものとしても使われている。即位式のとき,新王が,祖先の力を宿しているという床几にすわることによって,その力を身体に宿すと考えられているのである。

 王はこのような形で活力をもつことになる。この活力は王個人のための活力ではなく,国全体のための活力であり,したがっていろいろな形で保護され,その力の減退が防がれなければならない。フレーザーがやはり《金枝篇》で指摘していることだが,王は多数のタブーに取り囲まれている。こうしたタブーは王のもつ活力を保護し,その力の減退を防ぐ目的をもっている。王の即位前の名を呼んではならぬ,臣下が王の身体に触れてはならぬ,王の身体の部分およびその行動を日常語で言い表してはならぬ,王は食事の際,他人に見られてはならぬ,食事の余り物を俗人が食べてはならぬ,といったタブーがある。いずれも俗人から厳格に切り離されることによってその活力を守ろうとする考え方の表れといえる。

 王が宿すこの活力は強大である。それはあまりに強大すぎて,場合によっては俗人の生活を破壊することもある。そうした考えに基づき,その力が直接俗人の生活に触れぬようにしている慣習もまたタブーとして現れる。たとえば,王が裸足で歩くとその力が大地に及び,作物を枯らしてしまうという考え方はアフリカに広く見られる。ジュクン王国,北コンゴのブションゴ王国などがその例であるが,前者では定まった履物をはかなければならず,後者では王は臣下の肩の上に乗って歩かなければならぬタブーとして現れている。このタブーはアフリカ以外にもあり,タヒチでも王は臣下の肩の上に乗って移動しなければならない。しかしタブーには別の意味もある。ルワンダ王国(現,ルワンダ)の王には〈ひざを曲げてはならぬ〉タブーがある。それは〈国がなえる〉ことを意味するからである。ここには王=国家という考え方を認めることができる。このことから,上述の〈王殺し〉も,〈王の衰え〉を〈国の衰え〉と把握している面もあることが理解できよう。王は祖霊を宿し,祖先の力そのものになるばかりでなく,国そのものの象徴という一面ももつのである。

 以上のように,王は単に最高支配者というにとどまらない。王は人々が生を営む地上の力の源泉であり,国家そのものでもある。言い換えると王は宇宙論における地上の中心であると同時に,国家という小宇宙を象徴するものでもある。したがって王はみずからの行為(特に儀礼行為)において宇宙のさまざまな原理を明らかにするし,人々は王を通してこれらの原理を理解し,みずからのものとする。たとえば,王の即位式に行われる顕著な儀礼の一つに,創世神話の再現がある。シルック王国においても,ブガンダ王国(現,ウガンダ)においてもこれが見られる。この儀礼は,新王の即位が,単なる即位と祖霊の体現にとどまらず,栄光ある創世への回帰を意味する。エリアーデの表現を使うと,すべてが始まる〈かの時〉に戻るのである。かくして王はこの儀礼を通して,人々がもつ時間観念を彼らの前で示すことになる。彼らにとって時間とは流れる一方ではなく,汚れ,力を失ってはまた新たによみがえる,その繰返しなのである。同じような王の再生儀礼が,ジュクン王国では3年ごとに行われていた。ここでは王など聖なるものが入る空間と,それ以外の俗なる空間という二つの対立する空間に分けたうえで儀礼が行われ,通常入ってはならぬ女性が,この儀礼のときだけは聖なる空間に入って王のよみがえりを導く。つまり,聖俗,男女という,世界の二元対立原理が表現され,それが人々に確認されるのである。このように王は,いずれなくなるべき封建的支配者とばかりは言いきれず,人間の生の営みの源泉と同時に原理をも示す側面をもっているのである。
権力 →支配
執筆者:

ヨーロッパで,国家の支配者としての〈王〉を意味する称号は,古代ギリシア,ローマから,多くの語が用いられた。支配者がみずからを何と称するかは,被支配者に対する関係だけでなく,対外的意味も含め,王権のあり方にかかわる問題であった。これらは,語源のうえからは,つぎのようにまとめることができる。

 (1)ラテン語の,〈ひきいる〉〈おさめる〉を意味する動詞regereの語幹reg-からつくられた,たとえばラテン語のrex,ゴール語の-rix(ただし合成語,たとえば,人名Ver-cingeto-rixの構成部分として),現代フランス語のroi。(2)王をあらわす古典ギリシア語のbasileus,現代ギリシア語のbasiliasは,語源が不明で,先ギリシア時代にさかのぼると推定される。ビザンティン帝国ではバシレウスbasileusが皇帝の意味で用いられた。(3)古代アイスランド語のkonungr,古代英語のcyning,現代英語のking,現代ドイツ語のKönigなどの語幹kunは,たとえばゴート語kuniからも明らかなように,〈家系〉〈家族〉を意味する。すなわちこの場合,王とは,家系を代表し,その長たる者を意味する。(4)後期教会スラブ語kral'iをはじめとし,現代スラブ諸語の類似語,たとえばセルビア・クロアチア語のkraljは,語源的に古高ドイツ語のkarl,すなわち,スラブ諸民族と衝突し,彼らによって当時の大王とみなされた,カロリング朝フランク王国の王カール大帝の名前に由来する。

 一方これに対し,〈皇帝〉の称号が,中世ヨーロッパでは,王に優越するものとして用いられた。
皇帝
 王国の歴史的構造については,時代によって,また国,地域によってもそのあり方は多様でそれぞれの特質をもっている。これらについては〈封建国家〉〈身分制度国家〉〈絶対王政〉〈立憲君主制〉〈君主制〉などの項目を参照されたい。
執筆者:

中国で〈王〉の称号を用いた例の歴史的に最も古いものは殷王朝の君主たちである。文献上は殷の前に夏王朝があり,その以前には三皇五帝という〈皇〉や〈帝〉と称する君主がいたと述べるが,後世から理想の君主として観念的に作られた説話である。殷王は〈帝〉という至上神を祭り,農作,狩猟,戦争などの結果の吉凶を亀甲や獣骨を焼いて生ずるひび割れの形によって占い,政治を指導し,政治の主宰であるとともに国家祭祀の司祭者として,華北を中心に散在する部族的国家に君臨していた。殷を滅ぼした周の〈王〉は封建された諸侯の宗家(総本家)の位置を占めたが,〈王〉は正上を支配する〈帝〉の命をうけ,その子すなわち天子として地上を支配するものと観念され,王が天に対して責務を怠ると,天帝は改めて有徳の他の者に命を与えて王とし,王朝の革命がおこると考えられ,その天命は人民の総意によって表されるとする易姓革命の考えがあらわれ,易姓革命を肯定する〈王道〉思想は,戦国時代の儒家の間で理論化されて旧中国の政治思想の骨格となった。西周の王権が衰退して春秋時代になると,南方の蛮夷である楚,呉,越などは王と称するようになり,ついで戦国時代に入ると七つの強国はいずれも王の称号を用い,もはや王は司祭者ではなく,政治的君主になった。秦王政(始皇帝)が7国を統一するとみずから〈皇帝〉という称号を創始した。秦が滅ぼされたとき,項羽,劉邦らはそれぞれの領地において〈王〉となり,楚・漢の争いの後,劉邦は同格の諸王に推戴されて〈皇帝〉となった。これ以後〈皇帝〉は〈王の王〉の位置をしめ,漢以後清にいたる歴代王朝では,皇帝の一族や功臣たちが〈王〉に封ぜられたし,中国周辺の蛮夷の君長も王を称することが認められ,あるいは王号を授与された。ただ皇帝支配下の王は,国家としての独立性をもつものではなく,皇帝権力に従属する存在にすぎなかった。
執筆者:


王 (おう)

日本古代において,〈王〉あるいは〈大王〉は,はじめは政治的君主の称として用いられた。金印の〈漢委奴国王〉,《魏志倭人伝》の〈女王国〉,隅田八幡人物画像鏡銘の〈大王〉〈男弟王〉,江田船山古墳出土太刀銘や稲荷山古墳出土鉄剣銘の〈大王〉などがその例である。やがて〈天皇〉の称号が成立すると,天皇の子を皇子・皇女,孫以下を王・女王と称したらしい。そして大宝令で,天皇の兄弟姉妹および皇子・皇女を親王・内親王,皇孫すなわち2世以下5世までを王・女王と称し,親王以下4世王までを皇親と定めた。皇親の範囲は,706年(慶雲3)の格によって5世王までに拡大されたが,798年(延暦17)には令制に復している。なお,花山天皇より出た白川伯家は,神祇伯に在任中王号を称するのを例とした。1889年制定の皇室典範では,皇子より皇玄孫(4世)までを親王・内親王,5世以下を王・女王と称し,1947年制定の皇室典範で皇子および皇孫を親王・内親王,3世以下を王・女王と称することになった。
皇族 →天皇 →日本国王
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

普及版 字通 「王」の読み・字形・画数・意味


常用漢字 4画

[字音] オウ(ワウ)
[字訓] きみ

[説文解字]
[甲骨文]
[金文]
[その他]

[字形] 象形
鉞(まさかり)の刃部を下にしておく形。王位を象徴する儀器。〔説文〕一上に「天下の歸するなり」と帰往の意を以て説くが、音義説にすぎない。字形について、仲舒説として「古の、三畫して其の中をね、之れを王と謂ふ。三なるは天地人なり。而して之れを參するは王なり」とするが、卜文・金文の下画は強く彎曲して、鉞刃の形をなしている。

[訓義]
1. きみ、天子・諸侯、統治者をいう。
2. きみとなる。

[古辞書の訓]
〔名義抄〕王 キミ・オホイナリ・オホキナリ・サカユ・ユク

[部首]
〔説文〕に閏・皇の二字を属する。閏はおそらく壬(じん)声の字。皇は鉞頭を示す王の上に玉飾を施し、その玉飾のかがやくことを示す。王・皇はともに王の儀器である。

[声系]
〔説文〕に王声としての二字を収めるが、(往)と同じく(おう)(王の出行をいう)に従う字、は皇声の字である。

[熟語]
王位・王畏・王翁・王家・王化・王駕・王気・王畿・王基・王躬・王休・王教・王業・王覲・王公・王后・王侯・王国・王佐・王師・王事・王子・王室・王者・王城・王臣・王政・王族・王孫・王沢・王朝・王庭・王廷・王都・王土・王統・王道・王・王覇・王八・王父・王輔・王母・王民・王命・王遊・王・王猶・王輿・王略・王礼・王霊・王路
[下接語]
花王・今王・勤王・君王・賢王・古王・侯王・後王・皇王・国王・始王・女王・親王・聖王・先王・素王・尊王・大王・哲王・天王・覇王・王・辟王・法王・魔王・名王・明王・来王・竜王

出典 平凡社「普及版 字通」普及版 字通について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「王」の意味・わかりやすい解説

王(おう)
おう
King

ほとんどすべての民族において、国家の成立と同時にその最高権力の保持者として王が出現する。ギリシアやローマの都市国家においても初期には王が存在し、スパルタなどでは後代まで王政が存続した。王権の起源は多くの場合、神に出自するという信仰ないし伝承に基づく。ここから王の神聖性という観念が生じ、王は宗教的に神格化される。エジプトのファラオはその典型である。この神聖性は王が超人間的能力の保持者であることによって示されるものと考えられ、たとえばフランスの国王はルイ14世の時代になっても、るいれき(結核性の頸部(けいぶ)リンパ節炎)を癒(いや)す能力を有すると信じられていた。古代の王はまた司祭者的性格をももち、シュメールやイスラエルの王にその典型が認められる。

[平城照介]

王権の起源と継承

いわゆる伝統的な社会の王は、その社会の宇宙論で唯一の中心を象徴するものとして「神なる王」とされていることが多い。とりわけ、農耕をおもな生業とする社会では、王は作物の成長を可能とする活力の源泉であり、自然の統御者であり、王の身体の状態はそのまま自然の状態に対応するともされる。太陽神と同一視される古代エジプトの王はその代表である。王の健康状態と自然の産出力とを結び付け、王が老衰し病にかかったときにはこれを殺すという「王殺し」の慣習もこうした背景によって説明される。王の住まう王都、そして廷臣らとともに構成する王宮が、宇宙全体の象徴あるいは縮図として構想されるという例は、ヒンドゥーあるいは仏教圏の東南アジアの古王国にもみられる。中国には、祭礼の際、皇帝が、王宮の中心にある明堂(めいどう)――建物自体が方位、四季、1年の推移など宇宙の原理を表象する――を回ることによって宇宙の運行が保たれるという考え方があった。こうして王は、宇宙論的象徴の集中される中心であり、また王権の起源を語り正当化を行い、王の活力の四囲への溢出(いっしゅつ)を語る神話がつくりだされる媒体でもあった。

 宇宙論、神話、宗教に支えられた「神なる王」が制度化して成立するためには、「王殺し」の慣習にも表れているように、具体的個人としての王の出自および生存とその神聖性、個人としての死と、王権の永続性、そして空位期と王位の継続の問題が解決されねばならない。王権の文化的・宗教的背景の多様さと同様こうした問題の解決も多様であるが、一定の共通性もみられる。

 王の即位式は、単なる任務の継承ではなく人が神に変わるプロセスであり、秘儀を含んだ劇的な儀礼として行われる。それは人格の変換を図る「成人式」と共通点をもち、人としての死、一定期間の隔離、そして王権のレガリア(標徴)を身につけた王としての再生、公衆への誇示という象徴的儀礼として行われることが多い。また、最終的な即位までに新王は、王領の各地を回ることによって王領の空間を自らの身体に同化するとされる例もある。その旅が「成人式」における身体的試練に対応するのである。即位によって新王は王権を同化する。つまり、王権の永続性は、むしろ王のレガリアによってこそ象徴されることになる。西アフリカのアシャンティ王国における黄金の玉座や、東アフリカのビクトリア湖からタンガニーカ湖にかけてのいわゆる大湖地方のバントゥー系諸王国などの王権の象徴としての太鼓などがそれであり、日本の天皇制における三種の神器もそうである。西欧の王権においては、私人としての王と、永続的公的な王権具現者としての王を概念的に王の「二つの身体」として区別する考え方もあった。「神なる王」は、自然の産出力を担う反面、王との不用意な接触は破壊的作用をもつとされ、さまざまなタブーによって囲繞(いじょう)される。王は大地と直接接してはならない、通常の人は食事中の王を見てはならない、さらに、直接話してはならず、かならず仲介者をたてねばならない、などの慣習も広くみられる。

[渡辺公三]

中世ヨーロッパ

中世ヨーロッパの王権はフランクの王権を基礎として発展したものであるが、これはゲルマン的要素とローマ的要素の融合によって成立し、前者のゲルマン的要素はさらに二つの側面をもつ。タキトゥスはゲルマン人のキウィタス(国家)について、平時における王(レックス)の権限と戦時における軍事指揮者(デュックス)の権限を対比し、前者は無制限なものでないのに対し、後者は絶対的命令権であるとしているが、最近の見解は、この二つの側面をそれぞれ部族王権(シュタメス・ケーニヒトゥーム)と軍隊王権(ヘール・ケーニヒトゥーム)という概念でとらえ、フランク王権の成立には後者が重要な役割を果たしたことを強調する傾向にある。ローマ的要素とは、国王を官職すなわち超人格的な国家権力の代表者と考える観念で、このローマ的要素を加えることにより、カロリング時代の王権が成立したと考える。中世の王権は、選挙制の原理と、世襲制の原理の両方に立脚していた。中世的観念ではこの両原理はかならずしも矛盾したものではなく、世襲制は神によって神聖性が特定の家系に賦与されていることより生じ、他方、選挙とは、可視的でないこの神の意志を確認する一つの手続とみなされたからである。だが現実にはこの二つの原理の衝突がおこったことは、二重選挙による2人の国王の対立がしばしば生じたことからも知られる。この混乱を避けるためドイツでは中世後期に金印勅書が発布され、選挙侯の数と選挙手続が確定され、多数決制が導入された。

[平城照介]

中国

古代の支配者の尊号の一つ。原則として最高統治者に対して用いられる。この種の尊号としては起源がもっとも古く、文献では夏(か)、殷(いん)、周(しゅう)3代の王朝君主がすでに王を称しているが、甲骨(こうこつ)文、金文で確認できるのは殷王以降である。後漢(ごかん)の許慎(きょしん)は、『説文(せつもん)』において、「一で三を貫く」という孔子の説、その三とは天地人の三者であるとする董仲舒(とうちゅうじょ)の説を引き、王字の意味を「天下の帰往(おもむ)くところなり」と解釈している。そのほか「土」を「一」(統一)にする意と解するものなど、王字の成り立ちと字義については諸説ある。しかしこれらは、統一権力者がすでに存在している秦(しん)・漢(かん)時代以後の状況を前提にした付会の説にすぎない。近年の甲骨文、金文の研究によれば、「大」を含む会意文字、または権威を象徴する斧鉞(ふえつ)の象形文字であると理解されている。周代の王号は、天子と並ぶ君主の称号であり、天子に比べて、より現実的な地上の実権者を意味し、もっぱら臣下に対して用いられた。周王の権威が衰えるにつれて、春秋時代の楚(そ)王、呉(ご)王、越(えつ)王などの覇者のように、列国の君主(諸侯)のなかでも王と称する者が出現し、この傾向は戦国期に著しくなり、「戦国の七雄」はいずれも王として各地に君臨した。秦帝国では、唯一絶対の君主である皇帝が誕生し、王号の使用はなくなったが、秦・漢交代期には各地の実力者が王を称し、一時戦国の風が復活した。漢帝国が成立すると、郡県制が手直しされ、一部王国が設置された。この王国を分封された者が諸侯王であり、王号は天子に次ぐ最高位の爵称として序列化された。呉楚(ごそ)七国の乱(前154)以後、諸侯王は皇帝の一族のみに制限され、王朝の交代期を除いて、この制度は後代に受け継がれた。魏晋(ぎしん)南北朝期には、爵制の変化と官品秩序の複雑化とに応じて、封土(ほうど)名を冠した大小の諸王が生まれたが、唐代には親王(皇帝の男子と封国を与えられた皇帝の兄弟)、郡王(皇太子の子と封邑(ほうゆう)を与えられた親王の諸子)、嗣(し)王(親王の嫡子)の三者に整理された。王号はまた漢代以降、外国の君主に対しても適用された。「大秦王」(ローマ皇帝)などの俗称は別として、中国に帰順ないしは朝貢した外国の君主(外臣)を王に封じ、国内の諸侯王(内臣)に準じた地位を与えるという制度がこれである。日中交渉史上の「漢倭奴(かんのわのなの)国王」(漢代)、「親魏倭王」(三国時代)、「倭王国・倭王」(南北朝期)などの王号は、中国を中心とする当時の外交秩序(冊封(さくほう)体制)に位置づけられる重要なものである。王号にはあと一つ、孔子(文宣王)など聖人に追贈される礼制上のものもあった。

[尾形 勇]

『山口昌男著『道化的世界』(1975・筑摩書房)』『フレイザー著、永橋卓介訳『金枝篇』(岩波文庫)』『白川静著『漢字の世界Ⅰ』(平凡社・東洋文庫)』『松丸道雄編『西周青銅器とその国家』(1980・東京大学出版会)』


王(おお)
おお

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

百科事典マイペディア 「王」の意味・わかりやすい解説

王(皇室)【おう】

現行の皇室典範によれば天皇の3世以下の嫡男系嫡出の男子。女子は女王と称する。皇位につくこと,摂政となることができる。15歳以上の王(女王)はその意思により,またやむを得ない特別の事由があるとき皇室会議の議により皇族の身分を離れることができる。
→関連項目親王

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

旺文社世界史事典 三訂版 「王」の解説


おう

君主の称号
中国では帝より低位にある。殷 (いん) 〜周代は一国の主権者で,祭政の主宰者。戦国時代には諸侯国の政治的支配者(君主)の意。秦以後,統一王朝の君主は皇帝となり,王は諸侯の位号となった。

出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報

世界大百科事典(旧版)内のの言及

【皇族】より


[明治以前]
 〈皇族〉の語はすでに《続日本紀》に見えるが,明治以前はその用例は少なく,大宝令において定められた〈皇親〉の語が皇族を指す用語となった。令制以前の皇族の称呼を検すると,《古事記》では皇族は男女ともに〈王〉と称するのを通例とし,《日本書紀》では〈王〉のほかに,天皇の子女を〈皇子〉〈皇女〉と呼んで区別しているが,もちろん天皇号成立以後の新しい用語であろう。なお記紀では皇族の名字に尊,命,姫などを付けて呼称した例が多く見えるが,これは本居宣長が指摘するように,皇族に限らず用いられた尊称にすぎない。…

【王土思想】より

…天の下にひろがる土地はすべて天の命を受けた帝王の領土であり,その土地に住む人民はことごとく帝王の支配を受くべきものとする思想。王土王民思想。…

【マリク】より

…〈支配者〉〈王〉を意味する語。コーランでは神あるいは異民族の王の呼称として用いられ,カリフも自らマリクを称することはなかった。…

【ラージャ】より

…サンスクリットなど古代インドの言語で〈王〉を意味する語。《リグ・ベーダ》の時代にはラージャンrājanの語形が用いられ,部族の首長を意味していた。…

※「王」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

カイロス

宇宙事業会社スペースワンが開発した小型ロケット。固体燃料の3段式で、宇宙航空研究開発機構(JAXA)が開発を進めるイプシロンSよりもさらに小さい。スペースワンは契約から打ち上げまでの期間で世界最短を...

カイロスの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android