デジタル大辞泉 「美」の意味・読み・例文・類語
び【美】[漢字項目]
[学習漢字]3年
1 見た目にすばらしい。形がよい。うつくしさ。「美観・美醜・美術・美人・美文・
2 うつくしくする。「美容・美顔術」
3 味わってみて見事だ。うまい。「美酒・美食・美味/甘美」
4 りっぱである。ほめるに値する。「美技・美談・美点・美徳/
5 ほめたたえる。「美称/賛美・賞美・嘆美・褒美」
6 「美術」の略。「美校・美大」
[名のり]うま・うまし・きよし・とみ・はし・はる・ふみ・みつ・よ・よし
[難読]
出典 平凡社「普及版 字通」普及版 字通について 情報
美とは何かを一義的に定義することはむずかしい。ウィットゲンシュタインのいうように「語られえざることについては沈黙しなければならない」のだとしたら、美そのものについては一行も書くことが許されないだろう。われわれは、ただ、「美しいもの」との出会いにおいて、戦慄(せんりつ)し、眩惑(げんわく)され、蠱惑(こわく)されているばかりということになる。こうした美の秘密について、ほかのだれよりも知っているのは詩人たちであろう。美は「恐ろしきものの始め」(リルケ)であり、「巨大な、恐ろしげな純真な怪物」(ボードレール)だという。まことに、それは「言語に絶する何ものか」(ホフマンスタール)なのだ。これを概念によって定義しようとし始めるや否や、われわれは途方もない混乱に巻き込まれることになる。
[伊藤勝彦]
美を美たらしめる原理はしばしば調和(ハルモニアharmonia、ラテン語)や均整(シンメトリアsymmetria、ラテン語)にあると考えられてきた。プラトンによれば、すべての美的対象は「美」のイデアを分有することによってのみ美しいといえる。美は個物の感覚的性質であるのではなく、すべての美的対象に不変・不動な「かたち」において現れる超感覚的存在であり、均整、つり合い、節度、調和などが美の原理であるとされた。中世のトマス・アクィナスは美を完全性や調和の輝きのなかに求めた。美は、完全性と調和をもった事物が、それに秘められた形相の輝きによって認識されるとき、喜びを引き起こすところのものである。美は神の光であり、美的対象はその光を受けて、完全な、調和的な形において輝き出るのだ、というのである。
[伊藤勝彦]
ところが、このような古典的美の理念とは反対に、近代においては、しばしば動的、発展的な生命感の発露として、混沌(こんとん)とした全体のなかにおいて美が追求される。たとえば、19世紀のロマン派の人たちは、古代人の調和の理想を打ち壊し、内面的不調和のなかから、感情の充溢(じゅういつ)と自我の熱狂によって新しい芸術美が創造されると考えた。また、美は不変な形相においてあるのではなく、ただ単に現象として現れるもので、宿命的に「はかなさ」Hinfälligkeit(ドイツ語)という性質をもっているというようにも説かれた。世紀末の芸術家たちにとっては、美はもはや、永遠の形相として秩序の静けさのなかにあるものではなく、それはむしろ官能の陶酔をもたらす生命の燃焼であり、滅びゆくもののなかに「破局に陶冶(とうや)される美」があるのだという。こうした考え方を徹底していけば、それこそ「美は乱調にあり」ということになりかねない。だが、「はかなさ」の美も一定の秩序感覚の崩壊の瞬間にだけ現象するものであろうから、それ自体、古典的美の理想を前提にしているといえる。「永遠」という観念をもたないものの目には、「滅びゆくものの美しさ」も映じないに違いない。はかなさの美がわれわれに現象することの背後には、古典的秩序を目ざす美の志向を通じて、混沌への回帰の衝動が不可避的に生じるという、生命のダイナミックスが潜んでいると考えることもできよう。
[伊藤勝彦]
美は古来、「真・善・美」というように並び称され、人間が追求すべき、もっとも重要な価値の一つと考えられてきた。美はとりわけ善と結び付けて考えられる。プラトンでは、美(カロスkalos、ギリシア語)と善(アガトンagathon、ギリシア語)が一つになった状態としてカロカガティア(美にして善なるものkalokagathia、ギリシア語)という理想が語られた。人生にとって役にたつもの、目的にかなったものが善であると同時に美であると考えられた。ところが、近代になると、美はもっぱらわれわれの感性に対応するものと考えられたので、美を善から切り離す傾向が支配的となる。
カントによれば、美はただ単に感性的認識において与えられるもので、美の快感は存在への無関心性において成り立つ。それは普通の快楽のような傾向性による束縛もなく、尊敬による命令もなく、人にただ気に入るところの満足として、自由な遊びの状態においてみいだされる。その意味で、善や有用性において認められるような合目的性から解放されている。美は道徳法のように普遍的承認を要求しないが、承認を期待する。快楽についての判断はまったく主観的なものだが、美的判断においては、普遍性、客観性が要求される。しかし、その普遍性は、真や善の判断の場合に要求されるような概念に基づいた普遍性ではない。そこで、美は「概念なしに普遍的に満足を与えるもの」として定義される。このように、カントでは美は独自な感性的認識の領域に位置づけられる。
[伊藤勝彦]
しかし、美を真や善から切り離し、感性と対応する面だけにおいて追求していくとき、こんどは逆に、美は悪と結び付く傾向に支配され始める。実際、19世紀末のデカダンスの時代や今日の危機の時代において、ボードレールやワイルド、サルトルやジャン・ジュネによって美と悪や背徳との結び付きが追求されたのである。美は真や善との結び付きを断たれたときには、反対に、不条理や悪と結合する。それほどに美の自律性を確立することは困難なのである。
[伊藤勝彦]
『プラトン著、藤沢令夫訳『パイドロス』(岩波文庫)』▽『カント著、篠田英雄訳『判断力批判』2冊(岩波文庫)』▽『今道友信著『美について』(講談社現代新書)』▽『斎藤忍随・伊藤勝彦編著『美の哲学』(1973・学文社)』
真や善とならび人間のあこがれてやまぬ価値の一つである。字義を漢和辞典にたずねると,美とは羊と大との合字で原義は〈肥えて大きな羊〉をさし,これが〈うまい〉ことから,ひいては〈うるわしい〉〈よい〉〈めでたい〉の意に用いられるとある。英語beautiful(美しい)など西欧語の形容詞をみれば,これも〈よい〉〈りっぱな〉等々の意味と重なりあい,きわめて多義的である。この多義的価値概念に体系的把握の道をひらいたのは近代に成立した美学であった。
美学は,美といわれるものがいずれも感性を刺激してはじめて独自の精神的な快を成立させていることに注目し,新たに〈美的なるものdas Ästhetische〉という概念を樹立した。形容詞ästhetisch(美的)とは感覚,感性,感覚的知覚をあらわすギリシア語アイステシスaisthēsisに由来する語で,だれしも具有せる感性と精神とを同時に触発する価値をとらえる語としてよい。一瞬きらめいてたちまち消えてゆくはかなさも美の特性であり,ここから美は私のあずかり知らぬところという態度も生じようが,ästhetischの意味での美ならば,上記の規定からこれは人間の必ずかかわらざるをえぬ価値である。また醜は美の反対概念であるが,これが醜として成り立つには感性を強烈に刺激する力をもたねばならず,したがって精神的価値としては否定方向をとるとはいえ醜さえも〈美的なるもの〉には含まれる。こうして〈美的〉なる概念の確立後,美については狭義の美(純粋美beauty,Schönheit)と広義の美(美的なるもの)とが語られることになった。
感性にふれる精神的価値たる広義の美はいたるところに遍在する。これを美をそなえる対象の領域についてみれば,美は〈自然美〉と〈芸術美〉に大別できる(中間態として〈技術美〉も挙げうる)。両者の区別は,芸術とは美的価値の創造という意図をもつ芸術家が素材の形成加工をはたした成果とみれば,対象に刻みこまれた美的意図の有無によって立てられる。
自然美はさらに狭義の自然美と特殊な自然存在たる人間固有の人間美とに分かたれる。狭義の自然美はまず個物について例えば孔雀の羽とか珠玉などに認められ,〈優美〉といわれる美も多くはこの領域にある。ついで個々の事物が連なって景物となるとき,例えば風景美は〈荘厳〉〈崇高〉などを感じさせつつ心を魅了する。また人間を個体としてみれば人体美は古来美術の注目を浴びてきたし,さらに個体間の諸関係の生みだす感動は人生美として文芸成立最大の機縁であり〈滑稽〉〈悲壮〉〈フモール〉などはこの領域を占める。このように遍在する各種の美の主要類型を美的範疇ästhetische Kategorienと呼ぶが,美的範疇論においては狭義の美(純粋美)も優美,悲壮,滑稽などと同列に位するものとして扱われる。なお,日本における美的範疇論では〈幽玄〉〈あはれ〉〈さび〉の位置を見定めた大西克礼(よしのり)(《美学》2巻,1959-60),〈いき〉を解明した九鬼周造(《“いき”の構造》1930)を忘れることはできない。
さて芸術作品には上記のごときもろもろの美が表現されて定かな姿をとるが,そればかりでなく,芸術の本質は芸術家の意図にもとづく新たな美的価値の創造にあり,それゆえ美は芸術美(建築美,音楽美等々)としていっそう多様な充実をみせることになる。そのさい注目すべきは,作品が明確な形式をもつものとして形成される以上,この形成作用を導く美的形式原理が敬重されて,ときにはこれが美と同一視されるほどになることである。相称,均斉,秩序,調和などがそれであり,これら諸原理の最高位に〈多様における統一〉を挙げる論者も少なくない。またこれら諸原理にもとづく美は〈形式美〉,上述の表現内容となる美は〈内容美〉と呼ばれて,双方の比重関係はつねづね論議の的となっているが,芸術作品における形式-内容は相即不離の関係にあり,一方の優位を断定することはむずかしい。
いま概観したように美はわれわれの生活圏に遍在する。だが見る人の有無にかかわらず存立しうる真理などと異なり,美は目に見え,耳に聞こえ,心に響くものとしてそのつど必ず生身の自我に対してのみ顕現することを特質とし,この点で美成立のさいの主客関係は諸他の価値のばあいに比べて一段と厳しい緊張を保つと考えられる。とすれば純然たる感覚的生理的快との異同がまず問題となるが,美学はまさしくこの快との区別をはかり,美が感覚的でありながらしかも精神的価値として普遍妥当性を要求していること,また快がつねに主観的利害と結ぶのに反し美がかかる関心から自由な満足の対象であることを明示しようとしてästhetisch(美的)の概念を樹立したのであった。美的ととらえ直された美は直感的感受の契機と精神的普遍性の契機とをともにはらみ,両契機のさまざまな比重しだいでわれわれの前に多種多様な美が顕現する。これに立ち向かう主体の態度は観照(享受)と創作の両極に分けられて,これらの態度が積極的に発動するとき,はじめて美は成立すると考えられるのである。
このようにして成り立つ美は,主客の双方とも時代や風土など時空のさまざまな制約をうける以上,現象としては当然多様な様相を呈し,ここから美の時代性,風土性あるいは社会性などが問われることにもなる。だがいかに多彩な様相を示そうともいずれも美と呼ばれるからには,自然美と芸術美の帰一する原理,また観照と創作の帰一する根本的態度が想定されてよい。そのような美の原理は古来,神,イデア,存在の理念などと語られ,また根本的態度の方にもあるいは愛などと呼ばれる根源的衝動が挙げられてきた。この構想にはつねに何らかの絶対者を存在の超越的原理として仰がざるをえないとする人間観があり,しかもこれは大方の賛同を得ているとみてよいのであろう。かかる超越的原理と結ばれるとき,美は感性的契機の度合をかぎりなく薄めて,上記の純粋美がその位をいちじるしく高め,美は真や善とならぶまでになる。
→美学
執筆者:細井 雄介
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…なおこの点では歴史的にさらに古く中国(周代)でも士以上の必修科目として六芸(りくげい)(礼・楽・射・御・書・数の技芸)の定められていたことは興味深い。 さて建築をはじめ自由学科に数えられなかった職人的技術の地位を高めたのはルネサンスの巨匠たちであり,その後,諸芸術の躍動につれて18世紀には芸術を統一的にとらえる企ても生じ,やがて美・芸術の原理学たる美学の成立をみるまでになった。この過程で近代の努力が確認したのは〈美的価値の実現〉こそ芸術を他の技術から区別する核心ということであり,この見方は万人の賛同をえて芸術は〈美しい技術〉(ファイン・アーツfine arts,ボーザールbeaux‐arts,シェーネ・キュンステschöne Künste)と呼ばれ,ついに19世紀以降今日では形容詞fineなどを省く名詞だけで芸術を意味するにいたり,この用法を先人は日本にも導入したのであった。…
…美および芸術の原理を問い,これらを体系的に研究する学問で,哲学の一分科に属する。注意すべきは,〈美学〉の語は西欧語Ästhetikなどの訳語として定着した学術語であり,ただちに〈美についての学〉をさす合成語ではないという事実である。…
…〈美術〉という語は東洋古来のものではなく,西洋でいうボーザールbeaux‐arts(フランス語),ファイン・アーツfine arts(英語),ベレ・アルティbelle arti(イタリア語),シェーネ・キュンステschöne Künste(ドイツ語)などの直訳であり,日本では明治初期以降用いられた。美の表現を目的とする芸術を意味し,したがって絵画,彫刻,建築,工芸などのほか,詩歌,音楽,演劇,舞踊などをも含むものとされた。…
※「美」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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