物を隔てるため,あるいは装飾のためなどに用いられる,横または縦に広く長く縫い合わせた布をいう。ことに演劇上演の場において,舞台のどこか(多くは舞台の前面)につるされた布を指していい,英語ではcurtainとよばれる。また演劇用語では,戯曲の一定の構成単位(英語ではact)も,同じ〈幕〉という言葉でよばれており,このような用語が定着したのは,多くの場合にこの構成単位ごとに,実際の幕が引かれるという事実によっている。
日本--幕の意味
われわれが演劇の世界で〈幕〉という言葉を用いる場合,ほとんど無意識のうちに,舞台と客席とを仕切るそれを指しているが,このようないわば〈第四の壁〉としての幕の存在は,日本の演劇史においてはけっして長い歴史をもつわけではない。西洋式額縁(がくぶち)舞台での上下に開閉する緞帳(どんちよう)(垂幕)が用いられるようになったのは,1879年(明治12)開場の新富座が嚆矢(こうし)といわれるし(なお,緞帳そのものは,左右に開閉される引幕(ひきまく)の使用を許されなかったいわゆる〈小芝居(こしばい)〉〈緞帳芝居〉で,ほぼ江戸期を通じて用いられていた),また引幕にしても,歌舞伎の舞台に当初からあったわけではなく,通説によれば,1664年(寛文4)ごろに初めて使用されたものといわれる。
つまり,日本演劇においては,今われわれが身近なものに思っている舞台と客席を仕切る幕は,比較的新しい〈発明〉であり,それ以前に古くから用いられていたのは,舞台と楽屋を仕切る幕,すなわち能でいえば〈揚幕(あげまく)〉であった。そして実は,この舞台と楽屋を仕切る幕にこそ,日本文化において幕というものがもつ意味が,より明瞭なかたちであらわれている。今日でも種々の民俗芸能において,楽屋が人間以外の何者かに変身する場所として神聖視される例は各地にみられるが,この舞台と楽屋の間の幕は,いわばそのように神聖な空間,俗界から区別された場所を示すということにその本義があり,楽屋で何者かに変身した演者は,まさにこの境界としての〈幕を切って〉,見物の前に姿をあらわすのである。
演劇学者の郡司正勝は,〈幕のもっとも古い形は,もと注連縄(しめなわ)であったのだとおもう〉という重要な指摘を行い,そのような系譜のなかに,注連を染め出した山伏神楽の〈注連幕〉から,勧進田楽,猿楽などの〈水引幕〉,能の揚幕,さらには歌舞伎の引幕までを位置づけているが,郡司によれば,〈幕は見物の前をさえぎるものでなく,幕は登場してくるものが,それを力としてそれをうしろに出現するもの〉であったという(〈創造への形式--演出と演技の発想--〉,《かぶきの発想》(1959)所収)。そして,このように幕に対する特殊な感情があったがゆえに,いわゆる〈幕離れ〉にはいろいろな演出が考えられた。たとえば,能の《船弁慶》における後ジテ知盛の亡霊の出には,まず半幕(半分ほどの高さまで巻きあげる)にしてその姿をみせ,〈あら珍しやいかに義経〉と子方を見てからそこでいったん幕をおろし,ふたたび幕の全体をあげて早笛(はやふえ)の囃子(はやし)に乗って一気に走り出る,という演出がしばしば行われる。また歌舞伎には,《勧進帳》の弁慶の飛六方(とびろつぽう)でよく知られるように,いったん,引幕を引いたのち,これをくぐって役者が出て,ふたたび花道から揚幕へ入るという,〈幕外(まくそと)〉の演出があり,これは視覚的には,効果的な一種のクローズ・アップの手法ともいえるが,六方という特異な動作と合わせて考えるとき,それはむしろ,幕を出て幕に入るという〈神話的〉な身ぶりであるといえる。助六の河東節(かとうぶし)に乗ったあの独特な出端(では)にしても,幕を背にして演ずる芸として,同様な視点からとらえることが可能であろう。
また歌舞伎では,大道具が生まれる以前から,さまざまな世界(抽象空間)を示すための背景の幕が使われていた。闇夜であることを示す〈黒幕〉をはじめ,〈浪幕〉〈山幕〉〈網代(あじろ)幕〉などの各種の道具幕,また〈浅葱(あさぎ)幕〉などがそれである。さらには,歌舞伎興行のシンボルとしての〈櫓(やぐら)幕(櫓)〉の存在も興味深いし,初期の歌舞伎では入口の鼠(ねずみ)木戸(入口が小さく,しきいが高く,人が鼠のようにして出入りするのでこの名でよばれた)のところに幕がかかげられ,入場者の側もいわばこの幕をくぐることにより,はじめて芸能の場に参加する〈資格〉が与えられるのであった。
〈幕開(まくあき)〉〈幕を切って落とす〉〈幕切(まくぎれ)〉〈幕を引く〉等々のように,日本語の語彙のなかには,芝居の幕を基盤として成立した語句は数多いが,これらの語句に含まれる祝祭的な感覚と文彩も,近代的な緞帳幕だけに限らず,上述のような幕に関する知識を通じてはじめて,その真の理解に達することができるのだということができる。
→幔幕(まんまく)
執筆者:川添 裕
西洋
演劇上演の場における幕のうち最も代表的なものは,舞台前方にあって舞台を観客の目から隠すものだが,これは主として近代以後の額縁舞台の付属物である。古代ローマの劇場には,背景を描いた幕が舞台奥につるされていたほか,舞台前方にも劇の上演が始まるまでは幕があったと推定されている。しかしこれは例外で,近代以前の劇場では,たとえ幕が用いられても,例えばエリザベス朝のイギリスの場合のように,舞台の一部だけを隠すものでしかなかった。エリザベス朝の劇場のような張出舞台では,前面の幕は構造上ありえなかった(円形ないし半円形であった古代ギリシアの野外劇場の場合も同様である)。イギリスでは17世紀後半になって前面の幕が用いられるようになったが,劇の開始と同時に上がって終了まで下ろされず,ようやく18世紀半ばに,途中の休憩のときに幕が下ろされるという習慣が生まれた。やがてこの幕は絵を描いた布になり,1880年代に現在広く見られるビロードの幕が用いられるようになった。幕のおもな目的は劇の進行に区切りをつけ,上演の準備や装置の転換を観客の目から隠すことにある。それは舞台で行われることを現実の再現とみなす近代リアリズムの演劇観と密接につながっている。したがって現代のようにこの演劇観がかつての権威を失ってくると,幕があってもまったく用いなかったり,最初から幕のない劇場を建てたりすることが珍しくなくなる。
他方,戯曲の構成単位としての幕actという考え方は,すでに古代ローマで定着していたと思われる。なぜならホラティウスの《詩論》に,劇が成功するためには5幕より長くても短くてもいけないという趣旨の言葉がみられるからである。以後,ルネサンスを経て19世紀に至るまでは,5幕構成が戯曲の標準であったが,19世紀末ごろから5幕に代わって3幕が一般的になり,現在では2幕構成が多い。また比較的短い一幕物も増えてきた。これらは劇的密度も高めるという芸術的理由と,装置転換などを簡便にするという経済的・物理的理由とから生じた現象である。
執筆者:喜志 哲雄