清水(静岡市)(読み)しみず

日本大百科全書(ニッポニカ) 「清水(静岡市)」の意味・わかりやすい解説

清水(静岡市)
しみず

静岡県中央部、静岡市の東に隣接していた旧市名。現在の清水区の中部から西部を占めていた。旧清水市は1924年(大正13)2月清水町、入江町、三保(みほ)村、不二見(ふじみ)村が合併して市制施行。1954年(昭和29)飯田(いいだ)村、高部(たかべ)村、1955年有度(うど)村、1961年興津(おきつ)町、小島(おじま)村、両河内(りょうごうち)村、袖師(そでし)町、庵原(いはら)村を編入。2003年(平成15)静岡市と合併、2005年に静岡市の政令指定都市移行に伴い、清水区となる。2006年蒲原町(かんばらちょう)、2008年由比町(ゆいちょう)が編入され、区域は富士川河口部まで広がった。日本平(にほんだいら)、三保半島の観光でも有名。JR東海道線、国道1号、52号、150号などが通じ、東名高速道路清水インターチェンジがあり、交通網が発達し、静岡鉄道の電車が新静岡―新清水駅間を結んでいる。

[川崎文昭]

自然

旧市域は、北部の山梨県境まで広がる庵原山地と南部の有度丘陵が約80%を占め、中に挟まれて清水平野、南部に分岐砂嘴(さし)三保半島がある。北部は急峻(きゅうしゅん)な興津川上流の山岳地帯となり、フォッサマグナの地質構造により南北に断層が通り、幾筋かの断層は峠となり甲斐(かい)、駿河の通路を形成した。清水平野は巴川(ともえがわ)による沖積地で、三保半島は駿河湾の沿岸流による砂州である。市街地は清水平野と三保半島に発達。年平均気温は16℃前後で温暖な気候である。

[川崎文昭]

沿革

有度山頂の日本平付近から先土器時代の尖頭(せんとう)器が出土山麓(さんろく)の天王山遺跡は縄文、弥生(やよい)の複合遺跡、巴川流域には水稲耕作の始まりを示す飯田遺跡があり、庵原の三池平古墳(みいけだいらこふん)は、白村江(はくそんこう)の戦いに救援に向かった廬原君臣(いおはらのきみおみ)の故地であり、古い歴史をもつ。『和名抄(わみょうしょう)』には息津(おきつ)郷がみえ、中世には巴川流域に吉川、渋川、矢部氏らの武士団が入江荘(しょう)を中心に輩出した。南北朝時代以後、守護大名、ついで戦国大名となる今川氏が支配した。今川氏は江尻を駿河府中(駿府(すんぷ))の外港として保護し、江戸時代には東海道の宿駅として繁栄。清水は巴川河口港として築かれ、駿府と江戸・大坂・甲信を結ぶ港として廻船(かいせん)60余隻をもつ港として栄えた。1878年(明治11)清水町は外港に臨む波止場を築造、海港の町として発展する契機をつくり、茶の輸出港として発展。大正末から昭和にかけて数次の大規模な築港工事により港湾工業都市となった。1952年(昭和27)特定重要港に指定された。臨海工業地帯を形成し、袖師、興津に大規模な埠頭(ふとう)が建設され、国際貿易港として発展している。

[川崎文昭]

産業

木材、木材加工、食品、缶詰、食用油、機械金属、造船、石油精製などの工場が多数あり、工業地区となっている。北部山地では茶、シイタケ、三保から久能(くのう)にかけて石垣イチゴ、野菜の促成栽培が盛ん。遠洋漁業の基地江尻漁港もある。

[川崎文昭]

観光・文化

国指定名勝には日本平や三保松原(みほのまつばら)があり、三保には羽衣伝説にちなむ羽衣ノ松や、東海大学の海洋科学博物館・同自然史博物館がある。また海水浴、キャンプも楽しめる。そのほか、名刹(めいさつ)も多く、清水次郎長の墓のある梅蔭寺(ばいいんじ)、国指定名勝の庭園をもつ清見寺(せいけんじ)、山岡鉄舟(てっしゅう)再興の鉄舟寺や、大ソテツ(国指定天然記念物)や庭園で知られる龍華寺(りゅうげじ)、霊山寺(れいざんじ)(仁王門は国指定重要文化財)、海潮(かいちょう)寺などがあり、草薙地区には、日本武尊(やまとたけるのみこと)ゆかりの草薙神社がある。年中行事として七夕(たなばた)祭、港まつりが知られる。

[川崎文昭]

『『清水市史』全9冊(1976~1986・吉川弘文館)』『鈴木繁三著『わが郷土清水』(1962・戸田書店)』『『清水市郷土年表』(1952・清水市)』

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

今日のキーワード

靡き

1 なびくこと。なびくぐあい。2 指物さしものの一。さおの先端を細く作って風にしなうようにしたもの。...

靡きの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android