長崎半島の西にある高島を村域とする。鎌倉中期に平家落人が来住したという伝説がある。天正一五年(一五八七)豊臣秀吉による九州仕置により深堀純賢は旧領を安堵され、一時期は所領を没収されるが、この頃に長崎代官であった鍋島直茂の管轄下に置かれたという。しかし深堀氏の旧領は回復され、江戸時代は肥前佐賀藩家老の深堀鍋島家領であったようである。ただし江戸時代は同領
寛永一九年(一六四二)佐賀藩の遠見番所が地内の
唐津湾の松浦川河口より約二千五〇〇メートル北方にある台形の島。周囲およそ三千二〇〇メートル、標高一六九・七メートルで、玄武岩よりなる。北東側は絶壁で、南部の砂浜海岸にわずかな耕地と村落がある。水に乏しく耕地は畑のみで、住民は漁業を主とする。
慶長絵図に「鏡ノ内 高島」とみえ、文化年中記録に穀船一、網船六、漁船一〇、川船一三、鮪船二、マオセ網一、小鰯網二、手操網一、高網二とある。
天正年間(一五七三―九二)野崎綱吉という者が
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
滋賀県北西部,琵琶湖西岸にある市。2005年1月安曇川(あどがわ),今津(いまづ),新旭(しんあさひ),高島,マキノの5町と朽木(くつき)村が合体して成立した。人口5万2486(2010)。
高島市南東部の旧町。旧高島郡所属。人口1万(2000)。琵琶湖西岸に位置し,西部は比良(ひら)山地,東部は安曇川の三角州で,水田が広がる。主産業は米作を中心とする農業で,湖岸と安曇川下流ではアユ漁が行われている。若狭にぬける朽木街道と西近江路の分岐点にあたる交通の要衝で,南市では室町時代には市が開かれ,安曇川河口の南舟木は木材の集散地であった。地場産業には京扇子に使われる扇骨の生産があり,扇骨の製造は近世末に安曇川の堤防の竹材利用からはじまり,現在は全国生産高の9割を占める。高島クレープなどの繊維工業も行われ,かつては高島すずりの生産が盛んであった。湖岸に沿って国道161号線が走り,JR湖西線も開通したため,住宅地化や工業化が進みつつある。中江藤樹の生地で書院跡は史跡に指定されており,記念館もある。
高島市北部の旧町。旧高島郡所属。人口1万3921(2000)。北部は石田川の流域にあたり,南部は洪積台地饗庭野(あえばの)が占める。東は琵琶湖に面し,今津港がある。湖岸沿いにJR湖西線が走り,近江今津駅周辺には近代的な商店街が形成されている。古くから九里半街道(若狭街道)と大津からの湖上舟運との接点として栄え,高島郡の中心地として発展した。米作中心の農業が主産業で早場米地帯として知られ,酪農や野菜生産も盛ん。奥琵琶湖観光の拠点で,京阪神からの観光客が多く,夏は今津浜での湖水浴,冬は箱館山でのスキーが中心である。箱館山では家族旅行村も整備されている。
執筆者:松原 宏
《延喜式》によれば,古代には若狭からの物資は今津より南の勝野津を経由して大津への湖上運送が定められていた。今津の地名がみえる史料は《源平盛衰記》が早い例で,今津の成立は中世の初頭であろう。今津の南,旧新旭町の木津(古津にその名の由来がある)に対し,その後にできた津ということから今津と称したと伝える。中世以降,京都から北陸,山陰を結ぶ九里半街道と湖上舟運の接続地として発展した。鎌倉期には延暦寺東塔東谷金剛院が〈今津浜〉を領有しており,下って享禄(1528-32)ころには今津南市商人が蒲生郡得珍保の保内商人と九里半街道の通行利権をめぐって争っている。1581年(天正9)には新庄馬借などが若狭の貨物を大溝(現高島市,旧高島町)に着けたことを訴え出られた大溝城主織田信重によって,今津へも若狭からの貨物を着けることが命ぜられている。83年豊臣秀吉は若狭からの貨物を運搬する商船はすべて今津以外の浦からは発着させないことを浅野長政に命じ,また,今津で新規に荷役をかけることを禁じるとともに,商人のための飲食,宿泊の便の提供を命じている。
執筆者:小林 保夫
高島市西部の旧村。旧高島郡所属。人口2625(2000)。西は京都府,北は福井県と接する。比良山地北部および丹波高地の東部にあたる標高450~900mの連峰で囲まれ,花折断層に沿って北流する安曇川や針畑川,北川,麻生川の流域に集落が点在する。町域の9割を山林が占める峡谷型の山村で,古くから木材を京都に供給していた。近年林業生産量は低迷している。かつて盛んであった木炭の生産はほとんど行われなくなり,シイタケ栽培が零細な稲作農業の副業として行われている。安曇川支流の朽木渓谷は,県立自然公園の中心にあたり,アユ釣り客や行楽客を多く集めている。森林公園やスキー場の整備による活性化策も図られている。
執筆者:松原 宏
山間地域であるが,京都から若狭国小浜に通じる街道に沿い,かつては交通・運輸の要衝で,中世には朽木荘といわれた。1001年(長保3)に中納言兼大宰帥平惟仲が朽木荘を白川寺喜多院に施入したとあるのが史料上の初見(《高野山文書》)。承久の乱後,宇多源氏の流れをくむ佐々木信綱がここの地頭職を与えられ,その曾孫義綱以来,代々朽木氏を名乗って地頭職を継承した。室町時代には,朽木氏が室町幕府と密接な関係にあったため,京都を追われた将軍足利義晴や義藤(義輝)が朽木氏を頼ってここに逃避したりした。1600年(慶長5)の関ヶ原の戦では,朽木元綱が途中から西軍を裏切って東軍に属し,その功によって徳川家康より本領を安堵され,近世以降も朽木氏が支配した。なお,岩瀬にある旧秀隣寺庭園は,室町時代の代表的庭園として知られている。
執筆者:田代 脩
高島市東部の旧町で,琵琶湖西岸に位置する。旧高島郡所属。人口1万1068(2000)。東部は安曇川の三角州,西部は饗庭野の洪積台地にある。北端にある木津(こうつ)は古代から琵琶湖水運の港として開け,近世には船問屋9軒,渡船宿100軒を数える港町に発展し,小浜藩の蔵屋敷も置かれた。現在はクレープ,麻などの繊維工業が盛んで,扇骨製造でも知られる。農業は米作が中心だが,キャベツ,カブなどの野菜栽培も行われる。JR湖西線が通じる。湖岸には風車村(現,道の駅しんあさひ風車村)などの観光施設が造られている。
高島市南部の旧町。旧高島郡所属。人口7138(2000)。琵琶湖西岸に位置し,比良山地の東斜面と鴨川沿いの沖積平野からなる。中心集落の勝野は,織田信長のおい信澄が築いた大溝城の旧城下町で,江戸時代は大溝藩分部氏2万石の陣屋が置かれた。現在も陣屋の総門などが残り,城下町のおもかげを伝えている。米作農業が中心で,特産の〈高島カンラン〉など野菜栽培も盛んである。1974年国鉄(現JR)湖西線が開通し,京阪方面から湖岸に訪れる人が多い。長寿神として知られる白鬚神社,鴨に金銅製冠などを出土した稲荷山古墳がある。
高島市北東端の旧町。旧高島郡所属。人口6210(2000)。琵琶湖の北西岸に位置し,三国山,赤坂山など野坂山地の南東斜面を占める。湖に沿ってJR湖西線,国道161号線(西近江路)が走り,集落がこれらの沿線と湖岸に分布する。中心集落の海津は,北陸地方と京都,大坂を中継する湖上交通の港として栄えたが,江戸時代初期に日本海の西廻海運が開かれて以降はしだいに衰微した。琵琶湖に突き出した海津大崎は琵琶湖八景に数えられる景勝地で,702年(大宝2)泰澄の開基と伝えられる大崎寺がある。山地斜面のマキノスキー場,マキノ高原,マキノ白谷温泉などもあり,京阪神からの観光客が多い。農業は米作のほかに栗などの観光農業も行われている。
執筆者:松原 宏
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
滋賀県北西部にある市。2005年(平成17)高島郡のマキノ、今津(いまづ)、安曇川(あどがわ)、高島、新旭(しんあさひ)の5町と同郡朽木村(くつきむら)が合併して市制施行、旧郡名をとり、高島市となった(高島郡は消滅)。
北部は野坂山地を境に福井県、南西部は比良(ひら)山地を境に京都府と接し、東部は琵琶湖(びわこ)に面している。市域を北側から知内川、百瀬(ももせ)川、石田川、安曇川、鴨(かも)川などが貫流する。日本海に近く、冬季の積雪量は多い。古来、京都と北陸地方を結ぶ交通の要衝として栄え、海津、今津などは琵琶湖水運の拠点でもあった。現在はJR湖西線(こせいせん)、国道161号、303号、367号が通じている。農業は稲作が中心で、野菜栽培、乳用牛の飼育なども行われている。高島クレープなどの繊維工業が発達し、扇骨などの伝統産業も盛んである。古代より開けた地域で、新旭町の針江遺跡群(弥生時代)や鴨の稲荷山(いなりやま)古墳などが残されている。また、海人(あま)の安曇(あづみ)族など古くから渡来人の定着した地ともいわれる。近世では勝野に大溝(おおみぞ)藩分部(わけべ)氏2万石の陣屋、朽木市場(いちば)に旗本朽木氏の陣屋が置かれていた。日本の陽明学の祖といわれた中江藤樹(なかえとうじゅ)を輩出、藤樹書院跡は国指定史跡。また、探検家の近藤重蔵(じゅうぞう)(守重(もりしげ))の墓所もある。長寿の神白鬚神社(しらひげじんじゃ)の本殿は国指定重要文化財、旧秀隣寺庭園は国指定名勝。海津大崎は琵琶湖国定公園に含まれ、サクラの名所としても知られる。そのほか、総合果樹園「マキノピックランド」、ガリバー青少年旅行村、オランダ風車や花菖蒲(しょうぶ)園のあるしんあさひ風車村、朽木の自然を体験できる「グリーンパーク想い出の森」などの施設がある。面積693.05平方キロメートル、人口4万6377(2020)。
[編集部]
『『高島町史』(1983・高島町)』
長崎県西彼杵(にしそのぎ)郡にあった旧町名(高島町(ちょう))。現在は長崎市の一地区(長崎市高島町)。旧高島町は1948年(昭和23)町制施行。1955年、高浜(たかはま)村中ノ島、端島と合併。2005年(平成17)1月長崎市に編入。旧町域は、長崎半島の西方海上に浮かぶ高島、中ノ島(なかのしま)、端島(はしま)(軍艦島(ぐんかんじま))、飛島(とびしま)からなる。高島は江戸時代以来石炭採掘が行われ、製塩用燃料として瀬戸内にまで売り出したと伝えられるわが国でもっとも古い炭坑の島。高島は本村(ほんむら)、尾浜(おばま)、中山(なかやま)の集落に分かれていたが、現在は3集落とも連続した街を形成。尾浜に高浜港があり、長崎港との間に定期船が通じる。中ノ島、端島も炭坑開発によって人口が集中したが、1974年閉山、一挙に無人島化した。1966年、海底炭田の町としての最盛期には人口2万人近くに達したが、残る高島も1986年閉山。
[石井泰義]
滋賀県中西部、高島郡にあった旧町名(高島町(ちょう))。現在は高島市の南部を占める一地区。旧高島町は1943年(昭和18)大溝(おおみぞ)町(1902年町制)と水尾(みずお)、高島の2村が合併して成立。1956年滋賀郡志賀(しが)町鵜川(うかわ)地区を編入。2005年(平成17)高島郡のマキノ町、今津(いまづ)町、安曇川(あどがわ)町、新旭(しんあさひ)町、朽木(くつき)村の4町1村と合併して市制施行、高島市となった。旧町域は比良(ひら)山地の東麓、鴨(かも)川の流域を占める。国道161号、JR湖西線(こせいせん)(1974年開通)が琵琶(びわ)湖西岸沿いを走る。中心集落の勝野(かつの)は、織田信長の甥(おい)織田信澄(のぶずみ)が大溝(おおみぞ)城を築き、江戸時代には大溝藩分部(わけべ)氏2万石の陣屋が置かれた。一帯は『倭名鈔(わみょうしょう)』三尾(みお)郷の地と考えられ、水尾が崎は『万葉集』にも詠まれ、古代の三尾城もこの付近にあったと推定される。湖岸に長寿の神の白鬚神社(しらひげじんじゃ)(本殿は国指定重要文化財)、鴨に稲荷山(いなりやま)古墳、また探検家の近藤重蔵(じゅうぞう)(守重(もりしげ))の墓所もある。湖西線開通以来、萩の浜(はぎのはま)水泳場や岳山などを訪れる人が増加している。主産業は米作や蔬菜栽培などの農業である。
[高橋誠一]
長崎市に属する島。長崎半島の西方6キロメートルの海上に浮かぶ。面積1.19平方キロメートル。かつては高島と二子島(ふたごしま)は分離していたが、砂嘴(さし)の発達と炭坑のぼたによる埋立てが行われ、1925年(大正14)前後には一島となった。権現(ごんげん)山(115メートル)を中心とする丘陵地で、元禄(げんろく)~宝永(ほうえい)年間(1688~1711)この島で野焼きの際、石炭が発見されたといわれる。二子坑によって海面下数百メートルの海底炭田が稼行していたが、1986年(昭和61)閉山した。人口616(2009)。
[石井泰義]
大分県東部、大分市、佐賀関半島関崎(せきざき)沖合い3.7キロメートルにある無人島。瀬戸内海国立公園に含まれる。周囲5.5キロメートル、面積0.94平方キロメートル、最高点136メートル。緑色結晶片岩からなり、20~40メートルの海食崖(がい)が発達している。ビロウ、アコウ、ハマユウなどが自生し、ウミネコの営巣地としては日本の南限である。大正末期に豊予要塞(ほうよようさい)の一部として砲台が設けられた。キャンプ、磯(いそ)釣りができる。
[兼子俊一]
岡山県南西部、瀬戸内海の笠岡(かさおか)諸島の一島。笠岡市に属す。面積1.21平方キロメートル。最高地点77メートル。瀬戸内海国立公園域で、島内には縄文・弥生(やよい)時代などの遺跡が多く、国の名勝に指定されている。神武(じんむ)天皇東征伝説の行宮(あんぐう)の地とされる。海水浴場、遊歩道が整備されている。笠岡港から約12キロメートル、定期船便がある。人口120(2009)。
[由比浜省吾]
島根県西部の日本海上にある島。益田(ますだ)市に属す。面積0.39平方キロメートル。最高点は117メートル。第三紀の輝石安山岩や集塊岩からなり、平坦(へいたん)地は少ない。中世から居住者があり、主として漁業を営んだが、飲料水は天水に頼っていた。1972年(昭和47)集中豪雨で大きな被害を受け、そのため1975年に9戸24人の全島民が益田市土田(つちだ)町に移住し無人島となった。磯(いそ)釣りの好適地。
[飯田 光]
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出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…北からの湾入を上浦(うわうら),南を下浦(したうら)といい,この地峡部に佐賀関町の市街地が立地する。半島先端は地蔵崎で,その洋上にウミネコ生息地として有名な高島がある。半島の地質は三波(さんば)川帯に属し,結晶片岩を主とする変成岩からなる地塁山地で,北岸には顕著な断層崖が連なる。…
…リアス海岸をなす海岸部には古江などの集落が発達し,市振漁港を拠点に沿岸漁業が行われるほか,ハマチの養殖や水産加工業が盛ん。天然記念物指定のビロウの自生北限地高島をはじめ,海水浴場として知られる下阿蘇・大間海岸などがある海岸一帯は日豊海岸国定公園に属する。国道388号線が通じる。…
※「高島」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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