〘名〙
① ツバキ科の常緑低木。中国南部(四川・雲南・貴州)の霧の多い山岳地方の原産。日本へは栄西が宋から種子をもたらしたという説や、九州に野生するという見方などがあるが、定かではない。幹はよく枝分かれして高さ一メートルくらいになる。葉は長さ四~一〇センチメートルの長楕円形で互生し、表面は濃緑色で光沢があり、縁は鈍い鋸歯
(きょし)状。秋、芳香のある径約三センチメートルの白色の五弁花が葉腋から出た枝に付き、下向きに咲く。果実は扁球形で通常三室からなり、大きな
暗褐色の種子が中にある。今日では、日本・中国・
インド・
スリランカなどに広く栽植され、若葉で緑茶や紅茶を製する。漢名、茶、茗。めさましぐさ。草人木。
※日本後紀‐弘仁六年(815)六月壬寅「令
二畿内並近江・丹波・播磨等国
一殖
レ毎年献
レ之」
※
雍州府志(1684)六「茶 凡本朝賞
レ茶也旧矣、
嵯峨天皇時既玩
レ之 中世建仁禅寺開祖千光国師栄西入
レ宋得
レ茶而帰
二本朝
一、治
二源実朝公之余
一、明恵上人種
二茶実於栂尾
一、其所
レ種之深瀬等園名至
レ今存矣」
② 茶の木の若葉・若芽を摘んで飲料用に製したもの。また、その飲料。採取の時期は五月ごろに始まり、その遅速によって、一番茶・二番茶・三番茶などの区別がある。製法は種々あるが、普通、緑茶は蒸して発酵作用をなくし、これを冷やしてさらに焙(あぶ)って乾燥させて製する。紅茶は発酵させて製する。また、湯をそそいで用いるのを葉茶または煎茶(せんちゃ)、粉にして湯をまぜて用いるのを抹茶(まっちゃ)または挽茶(ひきちゃ)という。
※日本後紀‐弘仁六年(815)四月癸亥「大僧都永忠手自煎レ茶奉御」
※俳諧・奥の細道(1693‐94頃)佐藤庄司旧跡「寺に入て茶を乞へば」
③ 抹茶をたてること。点茶(てんちゃ)。また、抹茶をたててのむ作法。茶の湯。茶道。また、茶会。
※
大乗院寺社雑事記‐明応元年(1492)八月一三日「茶在
レ之、絵風冷以下自
二浄土寺
一借用申」
※随筆・
癇癖談(1791か)上「茶かきたて、香炷きくゆらしなど、なにわざにも、なみなみならざりけり」
④ 甘茶(あまちゃ)のこと。
※雑俳・川傍柳(1780‐83)二「壱文か茶を買ふ上で時鳥」
※狂言記・富士松(1660)「その土器色も茶の袷ももてて、ちゃっとかへてこい」
⑥ (形動) ちゃかすこと。おどけること。いいかげんなことを言うこと。また、そのさま。
※
咄本・蝶夫婦(1777)足留の盃「十二日の晩にもひとり寐
(ね)、又今夜もめうでへとは、あんまり茶
(チャ)でごせんす」
※滑稽本・古朽木(1780)三「いかさま、ほんに其様なことがござりましたといよいよ茶な挨拶」
[語誌](1)日本における飲茶の
起源は不明であるが、天平元年(
七二九)、聖武天皇が百僧に茶を賜った記事が、明確な記録としては最古といわれる。当時のものは唐から帰国の僧が持ち帰った団茶であった。団茶は、茶の葉を蒸してつき丸めて乾燥したもので、粉にして湯に入れて煎じ、塩、甘葛などで調味して飲んだ。煎じて飲むところから煎茶と呼ばれることもあったが、のちの煎茶とは
別物。寺院や上流社会では、薬用、儀式用、あるいはもてなし用として茶が用いられたが、遣唐使の停止以後中絶した。
(2)鎌倉初期に栄西禅師によって宋の抹茶法が伝えられた。栄西の「喫茶養生記」(
一二一一)は、抹茶の作り方、飲み方とともに、養生の仙薬、延齢の妙術としての茶の徳を述べている。彼の茶は源実朝の
二日酔いに卓効を現わし、茶禅一味となって武士社会に浸透した。
(3)
室町時代には喫茶は趣味的な傾向を帯び始め、茶の産地を当てる
闘茶が流行。上層社会では風流な作法が案出され、「茶の湯」が形成された。→「
茶の湯」の語誌。
(4)
江戸時代には隠元禅師により
煎茶法が伝えられたといわれる。これは
釜煎り茶で、煎じ出して飲むもの。
急須を用いて飲む蒸し製煎茶の始まりは元文三年(
一七三八)とされる。