(読み)ショク

デジタル大辞泉 「職」の意味・読み・例文・類語

しょく【職】[漢字項目]

[音]ショク(漢) シキ(呉)
学習漢字]5年
〈ショク〉
本分として担当すべき役目や任務。「職員職掌職責職務汚職解職官職劇職辞職重職殉職神職聖職奉職役職要職名誉職
暮らしのためにする仕事。「職業職場しょくば求職座職失職就職定職転職内職無職
手先を使う仕事。「職工職人手職てしょく畳職たたみしょく
〈シキ〉律令制で、の下の役所の名。「修理職しゅりしき
[名のり]つね・もと・よし・より
[難読]有職ゆうそく

しょく【職】

担当する務め。また、その地位。職務。「会長のにつく」「管理
生活を支えるための仕事。職業。「を探す」「を失う」
身についた技術。技能。「手にをつける」→職として
[類語](1役職激職要職顕職名誉職閑職現職前職/(2職業仕事生業なりわい商売家業稼業ビジネス

しき【職】

律令官制で、の下、の上に位置する役所。中宮職大膳だいぜん京職摂津職など。
中世、職務に付随する権限をさす。本家職領家職・下司職・作職・守護職地頭職など。
職曹司しきのぞうし」の略。
「―へなむ参る。ことづけやある」〈・八三〉

そく【職】

《「しょく」の直音表記》官職。職務。
「さやうの事しげき―には」〈・澪標〉

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精選版 日本国語大辞典 「職」の意味・読み・例文・類語

しょく【職】

  1. [ 1 ] 〘 名詞 〙
    1. 担当している務め。また、その地位。役目。職務。
      1. [初出の実例]「聞説劇官戸部郎 人臣何簡職閑忙」(出典:菅家文草(900頃)一・拝戸部侍郎聊書所懐呈田外史)
      2. 「貝田勘解由に職(ショク)をこへられ、我威勢を奪はれし其無念やむ時なく」(出典:浄瑠璃伽羅先代萩(1785)九)
      3. [その他の文献]〔書経‐周官〕
    2. 生計をたてるための仕事。職業。また、勤め口。
      1. [初出の実例]「むかしは花うるし、今は年たちらういろの、うるしのばちもあたりたる、職(ショク)の有様さむげせよ」(出典:雲形本狂言・塗師平六(室町末‐近世初))
    3. 身についた技能。技術。
      1. [初出の実例]「のふがないしょくがないとて、あしてのすぢをたちきって」(出典:説経節・さんせう太夫(与七郎正本)(1640頃)上)
    4. みつぎもの。貢物。〔史記‐叔孫通伝〕
    5. しょくけんぎょう(職検校)」の略。
      1. [初出の実例]「人王九十五代後醍醐天皇の御宇に当道皆座の座上を以て職役と名く。明石検校覚一其比の座上によりて、職と号して官位の事を執行ふ」(出典:当道新式目(1692)当道濫觴之事)
    6. しょくにん(職人)」の略。
      1. [初出の実例]「左り箸かまはぬ職の子」(出典:雑俳・鼻あぶら(1782))
  2. [ 2 ] 〘 造語要素 〙 職業、仕事。また、それに従事している人。「管理職」「たたみ職」「名誉職」

しき【職】

  1. 〘 名詞 〙 ( 「しき」は「職」の呉音 )
  2. 令制で、八省に属した官司の一種。中宮職・春宮(とうぐう)職・大膳職左京職など。また、造営職・修理職など令外官にも「職」の字が使われている。
    1. [初出の実例]「太政官処分。造宮官准職。造大安薬師二寺官准寮」(出典:続日本紀‐大宝元年(701)七月戊戌)
  3. しき(職)の御曹司(みぞうし)」の略。
    1. [初出の実例]「『しきへなむ参る。ことづけやある。いつかまゐる』などのたまふ」(出典:枕草子(10C終)八三)
  4. 平安中・後期、郡司職・郷司職などの官職について、その職権と地位が抽象的に認識されたもの。官職の世襲化が進んで「相伝私領」と称され私財化した。
    1. [初出の実例]「頃年之例往々有件職」(出典:類聚三代格‐七・元慶七年(883)一二月二五日)
  5. 荘園制的職務をさす語。平安末以後、はじめは下司職・預所職など内実としては経済的収益権や在地での領主権などの私権を含む職務をさし、領家職・本家職のように荘務の実際から離れた得分権をもさした。
  6. 仕事。職分。
    1. [初出の実例]「小本を読むのがいいしきで、結構な御身分」(出典:新内・与話情浮名横櫛(源氏店)(1868‐70頃か))

そく【職】

  1. 〘 名詞 〙 ( 「そく」は「しょく」の直音表記 ) 官職。職務。しょく。つかさ。
    1. [初出の実例]「老いもて行くままに、衛府(ゑふ)づかさ堪へず。若う花やかなる若男のそくにてなん堪へたるとて」(出典:落窪物語(10C後)三)

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普及版 字通 「職」の読み・字形・画数・意味


常用漢字 18画

(旧字)
18画

[字音] ショク・シキ・シ
[字訓] つかさどる・しごと

[説文解字]
[金文]

[字形] 形声
声符は(しよく)。は戈に呪飾をつける意で、しるしとすること。〔説文〕十二上に「記なり」とあるのは「記(きし)」あるいは「記(きき)」の誤りであろう。金文の字形に貢に従うものがあり、戦獲としての首や耳にその記識を加えたもので、字はまた(識)と通用する。その戦功を明確にし、占有し、不動のものとすることをいう。

[訓義]
1. しるし、戦功のしるし、左耳を切りしるしを加える。
2. 戦功のことをつかさどる、つかさ、つとめ。
3. はたらき、わざ、いとなみ。
4. ひたすら、もっぱら、唯一の、むねとする。
5. 識・と通じ、しるし、しるしのもの。

[古辞書の訓]
名義抄 ツカサドル・モト・ツカサ 〔字鏡集〕 モト・ナル・ツカサドル

[語系]
(織)tjikは同声。みなの声義を承け、記識・標識とする意がある。

[熟語]
職員・職管・職官・職銜・職競・職業・職権・職貢・職工・職司・職思・職事・職次・職守・職掌・職職・職制・職責・職銭・職秩・職典・職田・職任・職能・職分・職弁・職俸・職方・職墨・職務・職約・職由・職吏・職僚
[下接語]
栄職・汚職・解職・官職・閑職・諫職・館職・旧職・休職・挙職・虚職・共職・教職・軍職・劇職・兼職・顕職・現職・公職・考職・貢職・曠職・職・在職・士職・史職・師職・辞職・失職・執職・受職・就職・襲職・住職・重職・述職・殉職・循職・称職・常職・聖職・退職・定職・停職・天職・職・内職・任職・拝職・廃職・頒職・非職・婦職・復職・分職・兵職・奉職・本職・無職・免職・有職・吏職・離職・歴職

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「職」の意味・わかりやすい解説

職(所有の形態)
しき

中世にみられる所有の一形態。荘園制(しょうえんせい)下では、一般に本家(ほんけ)職、領家(りょうけ)職、預所(あずかりどころ)職、荘官(しょうかん)職(地頭(じとう)職、下司(げし)職、公文(くもん)職など)、名主(みょうしゅ)職という重層的所有の体系が存在する。このそれぞれを「職」とよぶ。「職」は単なる所有権ではなく、本家職は皇室・最上級貴族、領家職は上級・中級貴族、預所職は下級貴族・上級武士、荘官職は在地領主・村落領主名主職は村落領主・百姓というように一定の身分的対応がみられ、それぞれの所有者はその所職に応じた職務権限を有している。また「職」は譲与の対象であるが、上級者から補任(ぶにん)される性格をもっている。このような「職」の体系は、荘園内部ばかりでなく、国衙(こくが)領でもみられるし、寺社の本末体制のなかにもみられ、最近では非農業民、いわゆる職人の「職」もこの一つの形態であると考えられている。さらに、「職」は11世紀に成立し16世紀末には消滅するので、律令(りつりょう)体制下にも、また後の幕藩体制下にも存在しない中世独自の所有形態である。そういう意味で「職」は中世の荘園制のみならず、それを生み出した中世社会の構造的特質というべきものである。

[飯沼賢司]

「職」の特質をめぐって

「職」については第二次世界大戦前後を通じて膨大な研究史がある。古典的説としては、「職」を負担付き不動産物件とみて、その本質は非官職的な用益・得分権的な面にあるという説と、国家的土地所有の分有形態としての公的性格を強調し、封建的関係とは別物とする説が存在した。戦後の研究も基本的にこの二大潮流のなかで展開された。石母田正(いしもだしょう)は後者の説を踏襲し、そのような古代的な「職」のなかに芽生えてくる封建的ウクラードとしての在地領主制に研究の重点を置いたが、石母田説をさらに発展させた永原慶二(ながはらけいじ)によって「職」の本格的分析がなされ、その公権性、求心性といった非封建的性格が強調された。一方このような説に対して、戸田芳実(とだよしみ)・河音能平(かわねよしやす)は「職」は封建的土地所有権であるとし、また黒田俊雄(くろだとしお)は「職」=封建的ヒエラルヒー説を提起した。この両者の分岐点は、「職」の本質を、公的=古代的=非封建的とみるか、私的=中世的=封建的主従関係とみるかにある。これらに対して、両側面のどちらが本質かという問題のたて方ではなく、「職」本来の特質として認めるところから出発すべきであると考えたのが、上横手雅敬(うわよこてまさたか)、羽下徳彦(はがのりひこ)であり、網野善彦(あみのよしひこ)は同様の方向で「職」をとらえ、その二元性が現出する原因を農民の土地所有の未熟さに求めている。網野は最近さらにその説を進め、土地所有の面からだけではなく、「職能」「職掌」といった「業」の面から「職」の本質を考えようとしている。また佐藤進一は、特定氏族の請負による官庁業務の家産化から生まれた日本独自の家産概念が「職」であり、「務(む)」であるとして、「職」の議論のなかに家業論、請負論を導入した。これはさらに飯沼賢司(いいぬまけんじ)により、「イエの成立」「職の成立」の対応という形で深められた。

[飯沼賢司]

「職」の成立

「職」の所見の早い例としては、天慶(てんぎょう)9年(946)の「名張山預職(なばりやまあずかりしき)」や長徳(ちょうとく)3年(997)の「山城(やましろ)国上桂(かみかつら)の中司職」などがあり、「職」=封建的土地所有とみる人々はこれに注目する。これに対して、「職」=非封建制説では、土地所有と所職の関係がみられる11世紀なかばの安芸(あき)国高田(たかだ)郡の「郡大領(ぐんたいりょう)職」「郡司(ぐんじ)職」に注目し、「職」成立における官職的・公的側面を強調している。後者に注目する永原は、「職」の体系は、郡司職・郷司(ごうじ)職などの地方官的地位に出発し、上級の「職」に及んだとしているが、最近の佐藤・飯沼の説では、「職」は中世社会の構造的特質であって、国衙領に出発するのか、荘園に出発するのか、という問題のたて方は有効でないとして、「職」を土地制度のレベルだけでなく、支配構造の問題として考えている。

[飯沼賢司]

「職」の変質と解体

13世紀後半には名主職以下の作職・下作職などの下級所職が成立する。これらの「職」は、本家職から荘官職までのいわゆる上級所職が基本的には売買されないのに対して、売買の対象となり、不動産物件的性格が濃厚である。また同じころ、商工業者の「職」も成立する。これらを農民・商工業者の成長の結果とみる点では諸説とも一致しているが、これを「職」とは異なるものとみる見解、「職」の発展上にみる見解に分かれる。「職」の解体については両説は多少異なるが、「職」的な土地所有関係が完全に払拭(ふっしょく)されるのは、太閤(たいこう)検地である。

[飯沼賢司]

『中田薫著『法制史論集2』(1926・岩波書店)』『牧健二著『日本封建制度成立史』(1935・弘文堂書店)』『永原慶二著『日本中世社会構造の研究』(1973・岩波書店)』『黒田俊雄著『荘園制社会』(1967・日本評論社)』『戸田芳実著『日本領主制成立史の研究』(1967・岩波書店)』『網野善彦著『日本中世の非農業民と天皇』(1984・岩波書店)』『佐藤進一著『日本の中世国家』(1984・岩波書店)』『島田次郎著『日本中世の領主制と村落 上』(1985・吉川弘文館)』『飯沼賢司「「職」とイエの成立」(『歴史学研究』534号所収・1984・青木書店)』


職(官司)
しき

律令(りつりょう)官制において省の下、寮の上に格づけされる官司。令制の職には中務(なかつかさ)省管下の中宮(ちゅうぐう)職、宮内(くない)省管下の大膳(だいぜん)職、および左・右京職、摂津(せっつ)職がある。いずれも長官(かみ)を大夫(だいぶ)、次官(すけ)を亮、判官(じょう)を大・少進、主典(さかん)を大・少属と称するが、官位令によると、中宮職の大夫は従(じゅ)四位下、大膳職、左・右京職、摂津職の大夫は正(しょう)五位上である。『日本書紀』などによると、大宝令(たいほうりょう)施行以前に学職、膳職、糺職、左・右京職などの官司名がみえるが、職・寮・司などの表記による官司の格づけが定まったのは大宝令以後と考えられる。令外官(りょうげのかん)としての職には、729年(天平1)光明(こうみょう)皇后のために設置された皇后宮職、平安時代以後新設された皇太后宮職・太皇太后宮職、767年(神護景雲1)道鏡のために設置された法王宮職、769年設置の河内(かわち)職、818年(弘仁9)に設けられた修理(しゅり)職などがある。

[柳雄太郎]

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改訂新版 世界大百科事典 「職」の意味・わかりやすい解説

職 (しき)

平安中期以降,職務的権能とそれに付随する収益権が世襲的私財化することによって成立した中世社会に特徴的な権益。律令官制には,中宮職,大膳職,京職,修理職という職の称をもつ官があり,省の下,寮・司などの上に位置した。しかし律令官制の変質過程で,10世紀には〈郡大領職〉〈少領職〉〈郡司之職〉など,郡司の地位を〈職〉の称を付けて表すことが行われるようになり,さらに11世紀では国司の補任状でも〈郡司職〉と表す例が出現する。その場合,郡司の地位は相伝の権利・財産化して譲与の対象ともされていることから見て,職は官職であるとともに私財的性格を色濃く備えていることがわかる。さらに11世紀から12世紀にかけて荘園公領制が展開すると,荘園では本家職,領家職,預所職,下司職など,公領でも郷司職,保司職などのようにひろく職の称をもって,領主的諸階層の地位・権利を表すようになった。この場合も,それらの職は,荘園公領支配の体制上の地位・職務であるとともに,それが一面ではその職の保有者の私的財産的性格を備えて譲与の対象とされており,さきの郡司職の場合と共通の性質を備えている。その意味で,荘園公領制下の職は職務上の地位であるとともに領主財産・権益という二重の性格をもつといえる。中田薫の研究に代表される法制史学の側からは職を不動産物権として,純粋に権益的性格のものと見る傾向が強いが,職務・支配体制上の地位という側面も無視するわけにいかない。またこのころ山預職,絵所職など職能を示す職の用例も少なくないことから,職の本質を職能と見る考え方もあるが,これも職の一面をとらえたものというべきであろう。

 11~12世紀を通じて,寄進地系荘園が全国的に展開し,それらが国家の公的な承認のもとにおかれると,荘園・公領のいずれにおいても,その支配・領有権は上下に重層した職によって構成され,中央貴族・社寺・在地領主いずれもがその地位・権利を職として表現するようになり,荘園公領制は職の重層的秩序体系として,究極的には国家的に保障されるようになった。1人の貴族が全国に分散した本家職や領家職を保持して,その権利を維持できたのも,彼ら独自の軍事的実力や管理努力のみによるのではなく,むしろ国家の裁判や国衙を介した強制力に依存するところが大きかったのであり,そこに荘園公領制下の職の秩序が国家的に維持されていた側面がよく示されている。

 しかしこのような職の上下補任関係は封建的主従制による知行宛行(あておこない)関係とは性質が異なっていた。下司職のような下位の職に補任された者は,上位者に対して,その職務を忠実に履行する義務は負うが,それは封建的従者となったことを意味せず,したがって上位者に対し軍役奉仕義務を賦課されることはなく,またその上位者とは別人と封建的主従関係を結ぶこともありえた。ただ鎌倉幕府の成立とともに新たに源頼朝の申請により設置が勅許され,頼朝が全国にわたるそれの補任権を一括して獲得した地頭職は,頼朝がその家人に対し,主従制を前提として宛て行うものであって,これは封建的知行の対象であった。その意味で,荘園公領制的職の秩序は,地頭職の設置によって大きく性格を変えたのである。

 さらに鎌倉時代を通じて,地頭が荘園領主権を侵犯し,在地領主としての立場を強めるにつれて,地頭職はその職権として規定された範囲をこえ,得分権・利権的側面を強くし,事実上,自立的領主権に近づいた。下地中分による地頭分はその帰結を示すものといってよく,折半された一部ではあるが,そこではもはや職務としての制限面は消滅しているのである。そのような方向は鎌倉後期から始動し,南北朝内乱期に全面的に進行した。その結果,地頭の職による制約=規定性は希薄となり,彼らは研究上でも国人領主と呼ばれるような存在に転化した。またそれに照応して,中央領主の職であった本家職,領家職は,それに見合う年貢・雑公事などの収取が困難となり,かつそのような権利の動揺,在地領主による侵犯が生じても,そのような不法行為を排除してくれる国家の裁判権,強制執行力が衰弱したため,荘園公領制的職の秩序が全般的に崩壊しはじめた。ところがまさしくこの時期に,農村では名主職,作職,下作職などという形で,農民の土地に対する権利が職で表示されるようになる。それらはおそらく,荘園領主権の衰退にともなって農民諸層の耕地に対する私的権利が強まってきたことを示すものであり,得分の面でも,1反当りの名主職得分はしばしば年貢量と同等もしくはそれを上回るほどの量に達している。このような農民的職の出現を,荘園公領制的職の秩序の農村末端への浸透と見る見解も存在するが,むしろ,本来の職秩序が解体するなかで農民の権利が私的権利の呼称としての職を用いて表示するようになったと見たほうがよい。これらの農民的職は,荘園領主側から承認されるものでなかったことがその点を示している。
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百科事典マイペディア 「職」の意味・わかりやすい解説

職【しき】

古代律令官制で,省の下,寮・司の上に,中宮職・大膳職・修理職などの官があったが,平安中期以降,職務的な機能に伴う収益権,土地の用益権そのものを指す言葉となった。これらの収益権,用益権が世襲的私的財産化したことを示しており,古代から中世への移行を特徴づけるものと考えられている。官職である郡司の地位は〈郡司職〉と称され,相伝・譲与の対象とされた。荘園でも本家職・領家職・下司職など,公領でも郷司職・保司職などと称し,私的財産化する。鎌倉時代,頼朝が全国の補任権を獲得して家人に宛て行った地頭職は,私的財産権の性格に加えて,封建的知行権をも得ることとなり,地頭は,職権の範囲を超えて荘園領主権を侵犯し,国人領主化していった。同時期農村でも名主(みょうしゅ)職・作(さく)職・下作(げさく)職など農民的職が出現する。→律令制
→関連項目質侶牧知行真継家村櫛荘

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「職」の解説


しき

1大宝・養老令制の官司の等級の一つ。八省の被管官司には職・寮・司などがあるが,このなかで最も格が高い。四等官の名称は順に大夫・亮・進・属で,これらの官員の官位相当の高さから二つの等級にわかれる。中務(なかつかさ)省被管の中宮職のみが1級高く,以下に宮内省被管の大膳職や,京を管轄する左右京職,難波宮および津国を管轄する摂津職(せっつしき)があった。令外官(りょうげのかん)の造宮職・修理(しゅり)職もこれに準じる。

2平安中期~中世の社会で,私的な財産と化した官職・職務。職の系譜上の起源は令制官司の職にあるが,10世紀以降,ある種の職務や支配体制上の地位は,それにともなう収益・得分とともに相伝・譲与されるものに変質し,「職」の名を付してよぶようになった。まず郡司の地位が郡大領職・少領職・郡司職などと表示され,ついで私的な財産として相伝・譲与されるようになった。このような公権・官職の私財化が郡司から始まるのは,もともと郡司が世襲されることの多い特異な官職であったことによろう。荘園公領制の展開とともに,荘園では本家職・領家職・預所(あずかりどころ)職・下司(げし)職などが,公領では郷司(ごうじ)職・保司(ほうし)職などがうまれ,一つの荘園あるいは公領は,いくつかの職が上下に重なりあって支配・領有された。在京の貴族や寺社が諸国に広く分布した本家職や領家職などの職を知行しえたのは,朝廷や国衙の力によるところが大きく,その意味で職の秩序は,国家の支配体系としての性格をなお残していた。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「職」の意味・わかりやすい解説


しき

(1) 律令官制において中宮職,大膳職,京職などの役所の名称に用いられた。省の下,寮の上におかれ,長官を大夫,次官を亮,判官を進,主典を属といい,判官以下はそれぞれ大少に分れている。 (2) 職務,職掌,権益などを表わすのに用いられた。平安時代中期以降,荘園制の発展に伴って,本家職,領家職,預所職,下司職,公文 (くもん) 職,田所 (たどころ) 職,名主 (みょうしゅ) 職,作職,下作職,大工職など多くの職が生じたが,これらは職務を示すとともに,それに付随した得分権 (権益) を含むものであり,また土地用益権だけをさす場合もあった。これは国司をさす吏務職,源頼朝が設置した守護職,地頭職の場合も同様である。

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旺文社日本史事典 三訂版 「職」の解説


しき

「つかさ」という国語に相当する語で,職務や職掌の意味
①律令官制の中宮職・大膳職・左右京職・摂津職など。
②中世,荘園制の発展に伴い,地頭職・預所 (あずかりどころ) 職・下司 (げし) 職など,職務に付随した土地用益権をも意味するようになり,さらにその収益権のみをさすようになった。

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世界大百科事典(旧版)内のの言及

【宋】より

…かくして8世紀中ごろの安史の乱以後,2世紀以上にわたって分裂の状態がつづいた中国は,ようやくここに統一された。太祖は統一事業をすすめる一方で,唐末五代の混乱が武人の専横に起因したとの反省から,地方軍閥が握っていた軍事,財政,司法等の権限を取り上げて〈強幹弱枝策〉を推進し,さらに宰相等の職掌を分散して皇帝のみが全権を掌握するという君主独裁体制を築いた。しかも,武人をおさえて文臣を重用する文治主義を統治の基本方針とした。…

【当道】より

… 盲人の技芸者は,盲僧として宗教組織に編入されていたが,その中から《平家物語》などの合戦譚を琵琶伴奏で語る僧が出現した。その芸能が〈平曲〉としてとくに武家社会に享受され,室町幕府の庇護を受けるに及んで,平曲を語る芸能僧たちは宗教組織から離脱して自治的な職能集団を結成,宗教組織にとどまっていた盲僧と区別して,みずからを当道と呼称した。覚一(かくいち)検校(1300?‐71)の時代に至って,組織の体系化が行われ,当道に属する盲人を,検校勾当(こうとう),座頭などの官位に分かち,全体を職(しよく)または職検校が統括し,その居所である京都の職屋敷がその統括事務たる座務を行う場所となった。…

【労働】より

…労働の厳しさ,つらさは,むしろ生活の厳しさ,つらさとして意識されていたといえよう。
[ギルド職人の労働]
 労働する主体の労働の対象に対する関係という点で,古代の農夫の場合と対照的な位置に立つのは手工業職人の労働である。静的な素材を,道具を手にした人間が,加工し,みずからの構想に従って物に作りあげていく手工業では,労働はもはや圧倒的な自然に従う行為ではなく,労働の対象と労働者との関係は対等である。…

【一職】より

…土地に対する多種多様な権利((しき))を一元的に支配掌握すること。中世においては一枚の耕地に下作(げさく)職,作職,名主(みようしゆ)職,領主職などの多様な権利が重層的に存在したが,16世紀の畿内地方ではこれらの職を買得などによってひとつにまとめ,領主―作人の一元的な年貢収納関係を作り出す動きが顕在化した。…

【下作人】より

…〈したさくにん〉ともいう。田畠の直接耕作者で,その土地の上級得分収取権者である本所・名主・作人(作職所有者)に対し,それぞれ年貢・加地子(名主得分)・作徳(作職得分)を負担する立場にあった農民のこと。彼がその田畠に対して持つ関係は下作職(げさくしき)と表現され,通常これはすぐ上級の所職である作職の所有者からあてがわれるもので,下作人はこれに対して地子の上納と,それを怠った場合はいつ所職を取り上げられてもいたしかたない旨を誓約した下作職請文(うけぶみ)を提出した。…

【作職】より

…主として鎌倉~戦国期に用いられた語で,作人職(さくにんしき)の略称。ときに作主職とか百姓職と表現される場合もあった。…

【知行】より

…中世~近世の歴史用語。本来は仕事・事務・職務を執り行うことを意味した。古語の〈しる〉(自分のものにする,自分のものとして取り扱う,という意味で,英語のmasterにほぼ相当する言葉)に漢字の〈知〉があてられたところから,〈知り行う〉→〈知行〉と展開したものと思われる。…

【中世法】より

… 以上のほかに,商品の生産・流通・販売等に特権をもつ座(ざ),供御人(くごにん)等の座法,演技上の特権や技芸伝授の秘匿性を主内容とする諸芸能の座法,また主として16世紀以降の畿内および周辺地域に見られる地縁共同体の村掟・町掟等がある。
【中世法の特質】
 古代国家の解体のあとに現れた王朝国家においては,中央貴族の各氏が,中央官庁内の個別特定の官司を家業として請負的に運営するという,特徴的な政治機構運営方式に象徴されるように,最も価値ある体制概念は,第1に家業であり,第2に家業連合体としての職能団体であった。王朝国家の内部に生まれた荘園領主権力たる本所においても,また,王朝国家におくれて出現した鎌倉幕府およびこれを継承した室町幕府においても,この点は基本的に同じであった。…

※「職」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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