デジタル大辞泉
「陳」の意味・読み・例文・類語
ちん【陳】
中国の国名。
春秋時代の列国の一。強国にはさまれた侯国で、都は宛丘(河南省淮陽県)。前478年、楚に滅ぼされた。
南北朝時代の、南朝最後の国。557年、梁の武将陳覇先が敬帝の禅譲を受けて建国。都は建康(南京)。589年、隋の楊堅(文帝)に滅ぼされた。
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ひね【陳】
- 〘 名詞 〙
- ① 古くなること。売れ残ること。また、そのもの。〔名語記(1275)〕
- [初出の実例]「餡の黒い、陳物(ヒネ)になった麺麭菓子」(出典:小鳥の巣(1910)〈鈴木三重吉〉上)
- ② ( 晩稲 ) おくての稲。〔十巻本和名抄(934頃)〕
- ③ 古くなった穀物や野菜。特に、前年以前に収穫した穀物。ひねごめ。〔志不可起(1727)〕
- [初出の実例]「ふやして釜わるのなら、モ一つ三年米(ヒネ)にしなされ」(出典:滑稽本・人情穴探意の裡外(1863‐65頃)二)
- ④ 大人びていること。老成していること。ませていること。こましゃくれていること。また、その人。ませ。
ちん【陳】
- 中国の国名。
- [ 一 ] 西周・春秋時代に河南・安徽の一部を占めた小国。周の武王が舜の子孫を封じたのに始まる。紀元前四七八年、二四代で楚に滅ぼされた。
- [ 二 ] 南北朝時代の南朝最後の王朝(五五七‐五八九)。創建者は陳覇先(武帝)。首都は建康(南京)。隋の文帝により五代で滅亡。
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普及版 字通
「陳」の読み・字形・画数・意味
陳
常用漢字 11画
[字音] チン
[字訓] つらねる・のべる・ひさしい
[説文解字]
[金文]
[字形] 会意
(ふ)+東(とう)。東は(たく)の象形字。神の陟降する神梯()の前に、多くの(ふくろ)を陳設して祀る形。〔説文〕十四下に「宛丘なり。の後、滿(きまん)の封ぜられしなり」とし、「に從ひ、木に從ひ、申(しん)の聲なり」とするが、申声説は古文の形によっていうもので、字の本形ではない。金文に・の二形があり、田斉の陳氏は、舜の後である陳・の陳はに作る。すなわち〔説文〕のいう陳は金文のにあたる。は聖所の社(土)前に東(供える)をおく形。はそのを撃つ形を加えたもの。多く陳(つら)ねるので陳列・陳設の意となり、そのまま陳設しておくので陳久・陳腐の意となったのであろう。〔墨子、号令〕にみえる「陳表」を〔墨子、雑守〕に「田表」に作り、陳と田とは古く同声であった。それで斉の陳氏をまた田氏という。ただ金文では田斉諸侯の器をすべて侯としるしており、がその本姓である。
[訓義]
1. つらねる、神前に陳設する、ならべる、ほどこす、おく。
2. おおい、多くのべる、陳述する、ときあかす。
3. ふるい、ひさしい、ふるめかしい。
4. 古く田と音が通じ、斉の陳氏を田斉という。
[古辞書の訓]
〔名義抄〕陳 ノブ・フルシ・カクミチ・タ・ヒサシ・ツラヌ・ツラナル・コトバ・シク/陳 ソヒフス/陳根 フルキネ 〔字鏡集〕陳 アサフ・ツハモノ・ツラネタリ・イサカフ・ハカル・ツラヌ・トク・ヒク・ツラナル・ヒサシ・フルシ・タタカフ・ノブ・タク・シク・ハカル・サク
[語系]
陳・陣dienは同声。陣とは兵車などを連ねて陣形を構成することをいう。展tianは展開、また伸展葬をいう字。田dyenは陳と声近く、陳氏の後にして斉に入り、斉侯となったものを、のち田斉といい、姜姓の呂斉と区別する。
[熟語]
陳雲▶・陳閲▶・陳卦▶・陳棊▶・陳啓▶・陳見▶・陳言▶・陳玄▶・陳紅▶・陳根▶・陳死▶・陳詞▶・陳詩▶・陳謝▶・陳述▶・陳序▶・陳叙▶・陳上▶・陳状▶・陳情▶・陳人▶・陳誠▶・陳請▶・陳迹▶・陳跡▶・陳積▶・陳蹟▶・陳設▶・陳説▶・陳膳▶・陳訴▶・陳奏▶・陳粟▶・陳陳▶・陳敵▶・陳椽▶・陳発▶・陳腐▶・陳布▶・陳聞▶・陳米▶・陳弊▶・陳編▶・陳墨▶・陳明▶・陳葉▶・陳力▶・陳列▶・陳論▶
[下接語]
横陳・開陳・極陳・具陳・下陳・堅陳・口陳・弘陳・行陳・鉤陳・陳・指陳・肆陳・出陳・条陳・常陳・新陳・薦陳・前陳・陳・疎陳・奏陳・置陳・直陳・披陳・布陳・敷陳・平陳・舗陳・面陳・羅陳・縷陳・列陳
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陳 (ちん)
Chén
中国,南朝四王朝の一つ。557-589年。創業者は陳覇先(武帝)。呉興(江蘇省呉興)の微賤の家に生まれた陳覇先は,嶺南地方で武将として名をあげ,梁末に侯景の乱が起こると土豪勢力を糾合して贛江(かんこう)を北上,その平定に手柄をたてた。そのうえ,江南の混乱につけこんだ北斉の傀儡政権樹立のもくろみを粉砕し,梁にかわる王朝を創業。この王朝のもとで貴族は往時の勢力を失い,実力は梁末に各地に起こった土豪将帥層に帰した。文帝期には長江(揚子江)中流の王琳,江西省の周迪(しゆうてき),浙江省の留異,福建省の陳宝応等の割拠勢力を平らげて江南一円の支配を確立し,宣帝期には北斉から江北の土地を奪った。しかし,577年(建徳6)には北周が北斉を併せて華北の統一がなり,デカダンスの天子として史上に名高い後主のとき,陳は北周を継いだ隋の攻撃をうけて滅んだ(589)。こうして,東晋以来,約270年に及ぶ南北分裂の時代に終止符が打たれたのである。
→魏晋南北朝時代
執筆者:吉川 忠夫
陳 (ちん)
Chén
中国,春秋時代の侯国。?-前478年。前11世紀末,周武王が,舜の子孫の嬀満(きまん)を宛丘(河南淮陽県)に封じた国。春秋時代には12の有力諸侯の一つとしてかなりの地位を保っていたが,前7世紀以降,侯位相続をめぐる内乱がたびたびあり,しかも楚・斉・晋の間にあって,その圧迫に苦しみ,前531年楚の霊王に滅ぼされた。霊王の死後国の再興を許されたが,その後も楚の勢力下にあり,ときに呉の攻撃を受け,前478年に楚に滅ぼされた。
→春秋戦国時代
執筆者:伊藤 道治
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陳【ちん】
中国の国名,王朝名。(1)春秋時代の侯国。河南の一角を領有。舜(しゅん)の子孫と伝える。小国で振るわず,前478年楚に滅ぼされた。(2)南朝最後の王朝。557年陳覇先(武帝)が梁を奪って建国。一時は北進して北斉(斉)を攻めたが,やがて北方を統一した隋に攻められ,589年滅亡。→魏晋南北朝時代
→関連項目春秋戦国時代|南北朝|文帝(隋)|六朝文化
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陳
ちん
中国、南朝最後の王朝(557~589)。呉興郡(浙江(せっこう)省)の人、陳覇先(ちんはせん)(武帝)が建立した。陳覇先は身分の低い軍人であったが、梁(りょう)末の侯景の乱に際しその鎮圧に奔走して勢力を築き、梁の元帝が江陵で西魏(せいぎ)に襲殺されると敬帝をたて、やがて敬帝の禅譲を受けて即位し、建康(南京(ナンキン))に王朝を開いた。その死後、兄の子文帝が継ぎ、ついで廃帝、宣帝と続いたが、第5代の後主のときに隋(ずい)の文帝に滅ぼされた。その領域は、わずかに揚子江(ようすこう)中・下流以南と、宣帝の時代に北斉(ほくせい)から奪った淮南(わいなん)一帯を占めるにすぎなかった。この時期、南朝貴族は侯景の乱を境に多く没落しており、政治の中枢にあったのは武将出身者や身分の低い寒人(かんじん)であって、その点南朝のなかでは特異である。滅亡時、隋に入った人口は200万という。
[中村圭爾]
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陳[周代]
ちん[しゅうだい]
Chen
中国,周代の諸侯国の一つ (前 1027~478) 。ぎ姓。伝説によれば,周の武王が殷を滅ぼしたとき舜の子孫を捜し,胡公満 (ぎ満) を得て,陳 (河南省淮陽) に封じたのに始るという。春秋時代には楚の中原への進出の要地として,楚の圧迫を受けること激しく,国政はふるわなかった。特に晋,楚両国の争いが起ると,強いほうに従うという自主性のない立場を繰返し,哀公 35 (前 534) 年楚の霊王に滅ぼされた。恵公5 (前 529) 年一時復国したが,前6世紀末からは東方の呉の圧力も加わり,びん公 23 (前 479) 年びん公が楚に殺され,翌年滅亡した。
陳[南朝]
ちん[なんちょう]
Chen
中国,南朝最後の王朝 (557~589) 。武将出身の陳覇先 (→武帝) が梁を滅ぼして建国。このとき,貴族制は衰退し,国政は地方豪族出身の武将が握った。第4代の宣帝のときには北斉を攻撃して,一時揚子江の北に進出したこともあったが,宣帝の跡を継いだ後主のとき隋に滅ぼされた。滅亡時の戸数 50万,人口 200万。
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陳
ちん
中国の南北朝時代の南朝最後の王朝(557~589)。梁(りょう)の太守であった陳覇先(ちんはせん)(武帝)が侯景の乱で勢力を強め,梁の敬帝から禅譲をうけて建国。都は建康(現,南京)。百済(くだら)のほか高句麗(こうくり)と新羅(しらぎ)の朝貢を毎年うける。しかし北朝には劣勢が続き,ついに隋の楊堅(ようけん)(文帝)の攻撃をうけて滅んだ。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
陳
ちん
557〜589
南北朝時代の南朝最後の王朝
梁 (りよう) の部将陳覇先 (ちんはせん) が敬帝の譲りを受けて即位し,建康に都した。第4代宣帝までは北朝の北周・北斉とよく対抗し,一時北伐を試みたこともある。隋の楊堅 (ようけん) によって滅ぼされた。
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世界大百科事典(旧版)内の陳の言及
【魏晋南北朝時代】より
…220年漢帝国が滅亡してから589年隋によって中国が再び統一されるまでの時代。建康(南京)に首都を置いた呉・東晋・宋・斉・梁・陳の江南6王朝を[六朝]というが,六朝の語でこの時代を総称する場合もある。この時代の特徴は政治権力の多元化にあり,短命な王朝が各地に興亡して複雑な政局を織りなし,はなはだしい場合には十指に余る政権が併立した(図)。…
【南朝】より
…中国,東晋王朝を継いで江南に興亡した4王朝,すなわち[宋](420‐479),[斉](479‐502),[梁](502‐557),[陳](557‐589)の総称。北朝に対する呼名。…
※「陳」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」