ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典「ウィルソン」の解説
ウィルソン
Wilson, J. Tuzo
[没]1993.4.15. トロント
カナダの地質学者,地球物理学者。フルネーム John Tuzo Wilson。地球規模の断層運動のパターンと大陸の地殻構造を明らかにした。特にプレートテクトニクスの研究は,大陸移動説,海洋底拡大説,マントル対流などの理論に大きな影響を与えた。スコットランド移民の父親のもとに生まれた。1930年,トロント大学トリニティ校で学士号取得,カナダの大学初の地球物理学科卒業生となった。その後ケンブリッジ大学セントジョンズ校(1932学士号),プリンストン大学(1936博士号),ケンブリッジ大学(1940文学修士号,1958科学博士号)で学んだ。1936~39年カナダ地質調査所で働き,第2次世界大戦が始まるとカナダ陸軍工兵隊に入隊,大佐まで昇進した。戦後の 1946年トロント大学地球物理学教授に就任。1974年まで務めたのち,オンタリオ科学センター所長となった。1983~86年ヨーク大学学長。1972~73年カナダ王立協会会長。1980~82年アメリカ地球物理学連合会長。1960年代初め,大陸は固定していて動かないという見解が主流となっていた時期に,大陸移動説をあらためて世界的に訴えた。それ以前の大陸移動説では,プレートは互いに近づく(収束型)か,しだいに離れていく(発散型)かのいずれかと考えられていたが,ウィルソンは 1965年,論文 "A New Class of Faults and Their Bearing on Continental Drift"において,プレート同士がすれ違う第3の動きが存在すると主張した(→トランスフォーム断層)。この理論は 1970年代のプレートテクトニクス理論の基盤の一つとなった。
ウィルソン
Wilson, Angus (Frank Johnstone)
[没]1991.5.31. サフォーク
イギリスの小説家。オックスフォード大学で中世史を専攻。種々の職業を経て 1936年に大英博物館のカタログ係に就職。 46年に神経症にかかり,作業療法として短編小説を書くことをすすめられたのが文学に入るきっかけで,短編集『悪い仲間』 The Wrong Set (1949) ,『愛すべき時代おくれ』 Such Darling Dodos (50) で,第2次世界大戦後の社会的変動下にある人間の姿を鋭く観察して風刺的に描き,文名を確立した。次いで,自由主義的ヒューマニズムの作家の理想と挫折を主題とする小説『毒人蔘 (にんじん) とその後』 Hemlock and After (52) を発表。 55年からは創作に専念し本格的大作『アングロ・サクソンの姿勢』 Anglo-Saxon Attitudes (56) を完成した。その後の作品には,短編集『変り者』A Bit of Stories (57) ,小説『エリオット夫人の中年』 The Middle Age of Mrs. Eliot (58) ,『笑い事じゃない』 No Laughing Matter (67) ,『魔法のように』 As If by Magic (73) など。ゾラやディケンズに関する研究書も書いており,イーストアングリア大学の英文学客員教授をつとめたこともあり,2度来日している。伝統小説をふまえ,実験的手法も取入れた社会小説家といえる。
ウィルソン
Wilson, Edmund
[没]1972.6.12. ニューヨーク,タルコットビル
アメリカの批評家,小説家,詩人。 1916年プリンストン大学卒業後,ニューヨークで『イブニング・サン』紙の記者をしたのち,17~19年フランスの野戦病院,次いでアメリカ陸軍情報部に勤務。除隊後はニューヨークで『ニューヨーカー』などの雑誌に関係しながら,評論,小説,詩,戯曲を執筆。特に批評活動は,19世紀流の歴史批評からマルクス主義批評,新批評,精神分析批評などを網羅した多元的なもので,『死海の書』 The Scrolls from the Dead Sea (1955) をはじめとする学究的な分野ですぐれた成果を収め,現代アメリカを代表する批評家となった。代表作は,ジョイス,T. S.エリオット,プルーストなど 1920年代の偶像的作家たちを,19世紀「象徴主義運動」のなかでとらえ直した『アクセルの城』 Axel's Castle (31) ,精神分析を用いた『傷と弓』 The Wound and the Bow (41) ,南北戦争に関する『愛国の血潮』 Patriotic Gore (62) など。
ウィルソン
Wilson, (Thomas) Woodrow
[没]1924.2.3. ワシントンD.C.
アメリカの政治家。第 28代大統領 (在任 1913~21) 。長老派牧師の家に生れ,1879年プリンストン大学を卒業。 90年同大学の法学と財政学の教授,1902年総長。 10年ニュージャージー州知事に当選して政界に入り,革新政治で注目され,12年には民主党から大統領に当選した。「新しい自由」をスローガンに関税引下げ,銀行制度の改革,反トラスト政策の拡充など革新的政策を推進した。対外的にはカリブ海地域に対して軍事干渉を行う一方,第1次世界大戦に際しては当初中立を宣言したものの,17年4月に参戦,翌年1月「十四ヵ条平和構想」を提唱するにいたった。戦後みずからベルサイユ講和会議 (→パリ講和会議 ) に出席,国際連盟の設立を含む平和条約の締結に寄与したが,帰国後議会の反対にあい,かつ病いに倒れたため,アメリカの連盟加入を実現できずに終った。 19年ノーベル平和賞受賞。主著『議会政治論』 Congressional Government (1885) 。
ウィルソン
Wilson, Edmund Beecher
[没]1939.3.3. ニューヨーク
アメリカの発生生物学者,細胞学者。エール,ジョンズ・ホプキンズ,ケンブリッジ,ライプチヒ各大学およびナポリ研究所で学ぶ。 1883年より,ウィリアムズ・カレッジ,マサチューセッツ工科大学,ブリンマー・カレッジなどで教鞭をとり,91年にコロンビア大学に移り,1928年まで同大学の動物学教授をつとめ,ここを生物学研究の世界的な中心地の一つに育て上げた。彼は発生の研究から出発し,それを細胞レベルで研究するようになった。主著『発生と遺伝とにおける細胞』 Cell in Development and Inheritance (1896。 1925第3版) は,発生,遺伝などの諸現象に対する細胞レベルでの説明を試みたもので,発生学,遺伝学,細胞学を結びつける役割を果してその後の生物学の発達に大きな影響を与えた。その後,染色体の行動と性の決定との間の関連性を追究し,05年より発表した一連の論文は,遺伝の染色体説確立のための基礎資料となった。
ウィルソン
Wilson, Kenneth Geddes
[没]2013.6.15. メーン,サコ
アメリカ合衆国の物理学者。1956年にハーバード大学を卒業,1961年にカリフォルニア工科大学のマレー・ゲル=マンのもとで博士号を取得。ヨーロッパ原子核研究機関 CERNに 1年在籍したのち,1963年にコーネル大学の助教授となり,1971~88年教授を務め,1988年オハイオ州立大学に移った。物質の二次相転移という変化に関する一般的な計算法の開発によって,1982年にノーベル物理学賞を受賞。コーネル大学在籍中に受賞対象となった相転移の研究に取り組んだ。物質の二次相転移は決まった温度(あるいは決まった圧力)で起こるが,一次相転移と違って,その温度(臨界点)に達した瞬間に物質全体で一斉に起こる。たとえばある種の金属は,キュリー温度(たとえば鉄では 750℃)まで熱せられると磁性が完全に消失する。ウィルソンの研究は,臨界点近くの状態一般に適用できる理論を構築するための数学的戦略を提唱したものである。
ウィルソン
Wilson, Harold
[没]1995.5.24. ロンドン
イギリスの政治家。オックスフォード大学卒業。 1942年 W.ベバリッジに協力しベバリッジ報告作成に貢献。 1945年労働党下院議員,1947年商務大臣に任命されたが,1951年4月朝鮮動乱のための再軍備政策に反対して辞任。 1951年政権が保守党に移行したのち,「影の内閣」 (→シャドー・キャビネット ) の大蔵大臣,外務大臣。 1961~62年労働党執行委員長。 1963年1月,H.ゲイツケル労働党党首の死後,同党党首。 1964年 10月の総選挙では保守党を破り,12年ぶりに政権を労働党に取り戻し,首相に就任。 1966年3月の総選挙で再び保守党に大勝し,引き続いて首相,1970年6月の総選挙で保守党に敗れるまで約5年8ヵ月首相の地位にあった。石炭鉱業その他の国有化,完全雇用と社会保障の実現など,C.アトリー内閣の民主社会主義政策を継承した。 1974年三たび首相に返り咲いたが,1976年引退。
ウィルソン
Wilson, August
[没]2005.10.2. ワシントン,シアトル
アメリカの劇作家。本名 Frederick August Kittel。 15歳で高校を中退後,独学で詩作を始め,1968年自身の劇団を組織して劇作にも手を染める。その後,長い下積みの期間を経て,演出家のロイド・リチャーズに見出され,1984年『マ・レイニーのブラックボトム』 Ma Rainey's Black Bottomでブロードウェーに進出,一躍注目を集めた。 1987年には次作『フェンス』 Fences (1986) でトニー賞,ピュリッツァー賞を同時に受賞し,アメリカ演劇を代表する劇作家の一人として地位を確立。その後も『ピアノ・レッスン』 The Piano Lesson (1990) で再びピュリッツァー賞を受賞し,活躍を続ける。各作品は,20世紀のアフリカ系アメリカ人の体験を 10年単位で綴る連作的な構成をもち,アフリカ系アメリカ人の口語表現を生かしたリズム感のあるせりふが特徴。
ウィルソン
Wilson, Robert
アメリカの舞台美術家,演出家。ニューヨークでデザインを学ぶかたわら,障害をもつ子供たちと演劇活動を行う。 1969年バード・ホフマン・ファンデーションというプロデュース組織を結成。同年上演した『ジクムント・フロイトの時代と生涯』 The Life and Times of Sigmund Freud,翌年の『聾者の視線』 Deafman Glanceで世界的に注目を集めた。以降,主としてヨーロッパで活動。従来の演出という概念を逸脱し,基本的に戯曲を用いず,舞台は視覚的・聴覚的イメージを中心に構成される。彼は自身の作品をオペラと呼んでいるが,近年は通常のオペラの演出や古典劇の演出も多い。代表作はほかに,『浜辺のアインシュタイン』 Einstein on the Beach (1976) ,未完の大作『ザ・シビル・ウォーズ』 The CIVIL warS (83) など。
ウィルソン
Wilson, Colin
[没]2013.12.5. セントオーステル
イギリスの小説家,評論家。フルネーム Colin Henry Wilson。いわゆる「怒れる若者たち」の一人。靴屋の子に生まれ工業高校中退後,工場労働者など種々の職につき,ロンドンで放浪生活を送ったこともある。評論『アウトサイダー』The Outsider(1956)によって名声を得,『宗教と反抗人』Religion and the Rebel(1957),『敗北の時代』The Age of Defeat(1959),『アウトサイダーを超えて』Beyond the Outsider(1965),『オカルト』The Occult(1971)のほか,小説『暗黒のまつり』Ritual in the Dark(1960),SF『賢者の石』The Philosopher's Stone(1969)などを出した。
ウィルソン
Wilson, Robert Woodrow
アメリカの電波天文学者。ライス大学卒業 (1957) 。 1962年カリフォルニア工科大学で学位取得。ベル電話研究所入所 (63) ,無線物理研究部部長 (76) 。 A.ペンジアスとともに宇宙通信のためのアンテナ開発中の 64年5月に,宇宙空間からやってくる微弱なマイクロ波をとらえた。この電波は,宇宙の初めに大爆発があった名残りとして,現在の宇宙全体には 3Kほどのぬくもりに相当する電波が飛びかっていると仮定する「ビッグバン説」の証拠となる発見であった。これにより,ペンジアスとともに,77年にアメリカ科学アカデミーのヘンリー・ドレーパー賞,ロンドン王立天文協会のハーシェル・メダル,78年にノーベル物理学賞を受賞した。
ウィルソン
Wilson, James
[没]1798.8.21. ノースカロライナ,エディントン
アメリカの法律学者,政治家。スコットランドで教育を受け,1765年アメリカに移住。フィラデルフィア・カレッジでギリシア語を教える。独立運動に加わり,大陸会議代表に選ばれ,急進的な理論家であったが次第に保守的になった。第2回大陸会議で,ペンシルバニア代表として独立宣言に署名。連邦憲法起草にあたっては,主権在民の理念に基づき,大統領および上下両院議員の直接選挙を唱え,政府というものは州の集合体ではなく,ある政治的な目的のための個人の集合体であると主張した。最初の連邦最高裁判所陪席判事として,90年以後の重要な判決に関係した。
ウィルソン
Wilson, Richard
[没]1782.5.15. ランベリス
イギリスの画家。1729年頃ロンドンの肖像画家トマス・ライトの弟子となり,肖像画家となる。1749~57年ベネチアおよびローマに滞在,以後風景画家に転じる。ニコラ・プーサン,サルバトール・ローザやクロード・ロランの影響を受けつつ,イギリス的な独自の画風を創造し,ジョシュア・レイノルズとともに 18世紀イギリス風景画の確立者として,半世紀後のジョーゼフ・マロード・ウィリアム・ターナーやジョン・コンスタブルの出現を促した。主要作品『スノードン』(1770,リバプール,ウォーカー美術館)。作品はウェールズ国立美術館に多く収蔵されている。
ウィルソン
Wilson, C.T.R.
[没]1959.11.15. カーロップス
イギリスの物理学者,気象学者。フルネーム Charles Thomson Rees Wilson。マンチェスター大学,ケンブリッジ大学に学び,1925~34年ケンブリッジ大学自然学教授を務めた。雲や霧の発生とちりの関係の研究から,過飽和状態の水蒸気が放射線などで生じたイオンを核として凝縮することを発見。1911年に,その後の核物理,素粒子研究にとって不可欠となった霧箱を完成した。また空中電気の研究にも活躍し,戦時下の阻塞気球を雷から保護する装置の考案でも知られる。1927年ノーベル物理学賞受賞。
ウィルソン
Wilson, Frank Percy
[没]1963
イギリスの文学研究者。リーズ (1929~36) ,ロンドン (36~47) ,オックスフォード (47~57) 各大学の英文学教授。シェークスピア関係の業績が多く,『マーローと初期のシェークスピア』 Marlowe and the Early Shakespeare (53) などがある。『オックスフォード英文学史』の監修者。遺稿『イギリスの演劇,1485~1585年』 The English Drama,1485-1585 (69) がある。
ウィルソン
Wilson, Dover
[没]1969.1.15. バラーノー
イギリスのシェークスピア学者。ケンブリッジ大学卒業後,1924~35年ロンドンのキングス・カレッジ,1935~45年エディンバラ大学の教授を歴任。『ハムレットでなにが起こったか』What Happens in Hamlet(1959)などの研究書があるが,最も重要な業績は,創見に満ちた校訂本『新ケンブリッジ版シェークスピア全集』(1921~66)の編集,刊行である。
ウィルソン
Wilson, Henry
[没]1875.11.22. ワシントンD.C.
アメリカの法律家,政治家。第 18代大統領 U.グラントのもとで副大統領をつとめた (1873~75) 。奴隷制廃止論者で,"Boston Republican" (48~51) を編集。著書"History of the Rise and Fall of the Slave power in America" (3巻,72~77) 。
ウィルソン
Wilson, Charles Erwin
[没]1961.9.26. ルイジアナ,ノーウッド
アメリカの実業家。ウェスチングハウス・エレクトリック社の電気技師,デルコ社社長を経て,1929年ゼネラル・モーターズ社の重役,41年同社社長。 53年 D.アイゼンハワー政権の国防長官に起用された。軍需産業界の大立者として国防総省 (ペンタゴン) と実業界との癒着を深めた。
ウィルソン
Wilson, Thomas
[没]1581.6.16. ロンドン
イギリスの人文主義者,政治家。 1561年以後多くの要職につく。国務大臣 (1577~80) 。主著は論理学の便覧『理性の法則』 Rule of Reason (51) と,学者の言葉としての英語の価値を実証した点で重要な『修辞法』 The Arte of Rhetorique (53) 。
ウィルソン
Wilson, John
[没]1696
イギリスの劇作家。代表作はベン・ジョンソン風の写実的風刺喜劇『詐欺師』 The Cheats (1663) と『山師』 The Projectors (64) 。ほかに悲喜劇『ベルフェゴールまたは悪魔の結婚』 Belphegor,or the Marriage of the Devil (77) がある。
ウィルソン
Wilson, Georges
フランスの俳優,演出家。 1963年 J.ビラールのあとを受けて国立民衆劇場 TNPの監督に就任し,より現代的・国際的なレパートリーの拡大に尽力。しかし同劇場の観客数の減少は止められず,72年劇場が政府の手から離れリヨンに移ったのを機にフリーとなった。
ウィルソン
Wilson, Thomas
[没]1755
イギリス国教会の主教。ソダー・アンド・マン教区主教となって土地所有権に関する改革を行い,また著書『教会憲法』 Ecclesiastic Constitution (1704) を書いて,規律に従う厳格な信仰生活を要求した。
ウィルソン
Wilson, Benjamin
[没]1788.6.6. ロンドン
イギリスの肖像画,風景画家,版画家。 1748~50年アイルランドで制作,50年ロンドンに帰り肖像画家となる。 61年ホガースの跡を継いで王室画家となり,76年に王と王妃の肖像を描いた。
ウィルソン
Wilson
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