生物学的には腹部という。動物の体幹の中央部ないし後半にあって,内部に腹腔をもち,臓器をおさめている領域。腹をもつ動物では,一般に体が左右相称で,体の前端部に中枢神経や感覚器の集中した頭があり,頭と腹の間には胸が,腹の後には尾が分化していることが多い。体幹がこのように分化した動物は高等な体制をもつもので,ほぼ節足動物と脊椎動物がそれにあたる。
無脊椎動物の腹
節足動物の昆虫類では,胴部は明りょうな二つの部域に分かれており,前部を胸部,後部を腹部という。甲殻類の十脚類などでは,胸部が頭部と融合した頭胸部と腹部とが区別され,蛛形(ちゆけい)類では前体部を頭部,後体部を腹部と呼ぶ。昆虫類の腹部では消化管や気管が発達し,心臓,生殖巣,排出器官があるが,付属肢は末端の数体節にしかみられない。蛛形類の腹部にも付属肢はなく,胃,心臓,生殖巣,分泌腺や書肺と呼ばれる呼吸器官がある。甲殻類では多くの群で付属肢が形成され,よく発達して遊泳肢となっていることも多く,筋肉がよく発達している。消化管は細い直管で,えらが形成されることもあるが,心臓,生殖巣,消化腺などは胸部にある。倍脚類の胴部で,2節ずつ融合して2対の付属肢をもつ体節が並んだ部域も腹部といわれる。このほか環形動物の多毛類でも,胴部体節の形態が前部と後部で異なっている場合は,それぞれ胸部および腹部と呼ばれることがあり,いぼ足が腹部で退化的になっていることも胸部で退化的になっていることもある。ギボシムシ類の胴部後端の細くなった部分は腹域といわれる。類似した体部域であっても腹部とは呼ばれず,動物群によって固有の名称が与えられていることも多い。
脊椎動物の腹
脊椎動物では腹の境界は明りょうでない。魚類では,鰓裂(さいれつ)後縁から後を体幹とし,そのうち胸びれから肛門までの区域を腹部,それより前方を胸部,後方を尾部と定める。四足動物の腹は,心臓と肺を収める部分である胸の後から,肛門または外部生殖器までの領域である。魚類でも四足動物でも脊柱のレベルより上の筋肉質の領域は背と呼ぶが,境界は設定できない。
なお,腹または腹部として分化した部分の有無にかかわらず,動物体がなんらかの重力覚によって水平な地面に対して一定の面を向ける場合,一般にその面つまり下の面を腹または腹側ventral sideといい,反対側の面つまり上の面を背または背側dorsal sideという。一般に背側では触手や諸種の感覚器官,殻や甲などが発達し,腹側では足などの筋肉が発達し,口と肛門がある。ただし,直立姿勢をとる人体は例外で,前面が腹側,後面が背側である。
執筆者:田隅 本生+原田 英司
ヒトの腹
ヒトの腹部は胸部の下に続くが,外観的には胸部との境界はあまりはっきりしない。前面では胸骨の下端が剣状突起となっており,その両側から弓形の肋骨弓が下外側後方へ走っていて,これらが胸と腹の境をなしている。剣状突起や肋骨弓は容易に触れることができるばかりでなく,やせた人ではある程度まで体表から観察することができる。後面では第12肋骨と第12胸椎の下のへりが胸と腹との理論上の境であるが,外観的には何も見えないし,専門家でないかぎり指先で触れてみることも難しい。下肢と腹部との境は前面では前腸骨棘(きよく)から恥骨結合に向かって引いた直線で,この線は内部にある鼠径(そけい)靱帯にほぼ一致した浅い溝である。これを鼠径溝といい,大腿を前に上げると皮膚がここで折れ曲がる。後面の広義の下肢と腹との境は,いいかえると骨盤と腹との境であり,これは腸骨の上のへり(腸骨稜)に相当した皮膚の溝と第5腰椎の下端である。腹を前や後ろから見ると輪郭のくびれているところがあり,これをウェストwaist(腰)という。しかし解剖学でいう〈腰〉すなわち腰部(ようぶ)は後腹部で腰椎の両側の部分である。ちなみに,俗に〈こし〉というのはヒップhip,すなわち骨盤の両側で大腿の上端部にあたる。
腹の表面はかなりなだらかな,前後から押しひしがれた円筒状であるが,よく見るといろいろの浮彫や形態がみられる。前面の正中線は皮下の〈白線〉に相当して浅い溝になっており,その上端の所は剣状突起に相当して心窩(しんか)または上腹窩(俗に〈みぞおち〉という)というくぼみがある。また正中線の中央よりやや下の所にへそがある。へその下方の正中線には色素の沈着があることが多く,その著しいものは〈黒線〉といって肉眼でよく見える。正中線の両側には腹直筋による縦の高まりがあり,その腱画(けんかく)による横の溝が3~4条見える。腹直筋のさらに外側には外腹斜筋の前のへりが縦の高まりを作っている。後面でも正中線は背溝となってへこんでおり,その両側には体幹直立筋による縦の高まりがある。この高まりの外側縁の所には後上腸骨棘に相当して皮膚のへこみがある(腰窩)。腹の骨格をなすのは5個の腰椎のみで,これには頸と同様に肋骨が欠けている。これは胴体の運動(背柱を曲げたり,ねじったりすること)を容易にするためである。
腰椎,胸,骨盤の間に腹直筋,錐体筋,外腹斜筋,内腹斜筋,腹横筋,腰方形筋などの筋肉が張って,腹壁を作っている。なお,腹直筋と錐体筋とは前後から腹直筋鞘(しよう)という結合組織のさやで包まれており,この左右の腹直筋鞘が正中線で相合して前腹壁につくった一直線の筋膜部が白線であるが,白線はへそで貫通されている。腹壁にかこまれて内部に腹腔という空所があり,ここに腹部内臓をおさめている。腹腔と胸腔とは横隔膜ではっきりと仕切られているが,骨盤腔とは続いている。ゆえに腹腔の広がりは外表から見た腹部とは一致していない。とりわけ横隔膜の丸天井の頂上は高く胸腔内へ押し上げられている。腹腔は消化器の主要部分(胃,小腸,大腸,肝臓,膵臓),副腎,腎臓,尿管,脾臓などの内臓器官をおさめるほか,脊柱の前には下行大動脈と下大静脈とが走り,まったくすきまはない。
→脊柱
執筆者:藤田 恒太郎+藤田 恒夫
文化史
食物がすぐに消化,排出されて,いつも食欲が満たされないことのないように,神は腹をこしらえて余分な食物や飲物を蓄えた(プラトン《ティマイオス》)といわれるように,腹は古くから容器として考えられていた。腹をさす英語bellyは〈皮袋〉の意の古代英語beliġ,bæliġや,古代スカンジナビア語belgrなどに由来しており,原義は〈物を蓄える袋〉である。一方,腹は子を宿す場所=子宮であり,英語wombも,英語,ラテン語uterusも腹の意をもち,後者はサンスクリットのudaram(腹)につながる。日本でも〈腹違い〉〈嫁の腹から孫が出る〉などという。そして〈容器〉と〈子宮〉という二重の性格を備える腹は女性そのものに等しく,原始時代はつぼによって象徴された。この〈母なるつぼは実際,あらゆる宗教の基本概念であって,その広がりはほとんど全世界に及ぶのである〉(E.スミス《竜の進化》1919)。このように母性と腹とを象徴するつぼは,トロイアの遺跡,テッサロニキやセルビアの新石器時代の集落,西プロイセンのポーゼンやブランデンブルク,南インド,北ボルネオ,フィリピン群島などでも見つかっている。
腹に子が宿るものであれば,聖人や偉大な神は汚れた産道を通過せずに生まれなければならない。ヒンドゥーの神インドラは,通常分娩(ぶんべん)を願う母の願いを拒否してわき腹から生まれ出た(《リグ・ベーダ》)。釈迦は母の摩耶夫人(まやぶにん)が無憂樹の枝を折ろうと右手をあげたときに右のわき腹から生まれた(《今昔物語集》天竺部)。これをまねてか,《神仙伝》は老子が胎内に72年(《芸文類聚》では81年)いた後に,母の左わき腹から生まれたとする説を述べている。また《シャー・ナーメ(王書)》によれば,イランの英雄ロスタムもブドウ酒で体が麻痺した母ルーダーベの右わき腹から生まれた。ローマのカエサルも母アウレリアのわき腹から生まれたとスエトニウスの《皇帝伝》にあり,大プリニウスもカエサルは母の腹を“切ってcaedere”生まれたからCaesarという名なのだと説明している(《博物誌》第7巻)。いわゆる〈帝王切開〉のはしりである。けれども彼は,母親が死んで子が助かる例の一つとして,カエサルの誕生を述べているのであり,実際,当時の医術水準では母体の死は免れないはずだが,プルタルコスもタキトゥスも賢母アウレリアの話を伝えているし,カエサルが40代半ばを過ぎるまで生きていたとされるから,今日でいう帝王切開による分娩だったかどうかきわめて疑わしい。
古代インドではへその上に3本の横ひだがあるのが美女の条件だったという(《王子の誕生》のパールバティー,《屍鬼二十五話》のマラヤバティーなど)。腹部の性的魅力を誇示するベリー・ダンスやフラ・ダンスなどがある一方,露出した腹部に目鼻などを描いて遊ぶ腹芸が可能なのは,体幹や臀部の筋肉が協調した伸縮による。
腹や腹部臓器に心や魂が宿るとする見方は日本にも古くからあり,今も〈腹をさぐる〉〈腹を割った話〉〈腹に一物〉その他の用法に表現されている。切腹はハラキリharakiriとして欧米にも知られるが,自殺手段というよりは多くの場合自己の潔白あるいは赤心の表明形式(新渡戸稲造《武士道》1899)で,内臓を露出して真心を見せるとの思い入れが強い。腹部臓器を貫いて脊柱のすぐ前を縦走する腹部の大動脈や下大静脈などを切断しなければ,切腹しても直ちに死に至ることはない。《義経記》でも源義経が切腹してから絶命するまでかなりの時間がある。腹膜を破って小腸を出すことにむしろ切腹の意義があり,これが誇張されれば《太平記》の村上義光(よしてる)のように,はらわたをつかみ出して投げたりする。伝承上最初に切腹したのは淡海(おうみ)の神という女性で,夫に対する恨みと怒りで腹をさき,はらわたを出したが死ねずに沼に入水したので,この腹辟(はらさき)の沼のフナなどには今も五臓がないという(《播磨国風土記》賀毛郡)。その後も切腹は武士階級に限らず,町人,農民,女性たちによっても行われている。第2次大戦終末期には外地で民間人男女が少なからず割腹しているし,近くは三島由紀夫の切腹事件がある。
→子宮 →背 →切腹
執筆者:池澤 康郎