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カール[4世] カール

百科事典マイペディアの解説

カール[4世]【カール】

神聖ローマ皇帝(在位1355年―1378年),ドイツ王・ボヘミア王(在位1346年―1378年)。ボヘミア王ヨハンの子。1346年皇帝ルートウィヒ4世の対立王に選ばれる。
→関連項目カルロビ・バリジギスムントプラハ大学ルクセンブルク朝

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世界大百科事典 第2版の解説

カール[4世]【Karl IV】

1316‐78
ルクセンブルク家のボヘミア王,ドイツ王(在位1346‐78),神聖ローマ皇帝(在位1355‐78)。ボヘミア王としてはカレル1世Karel Iとよばれる。少年期の7年間パリ宮廷で教育を受け,15歳で父ヨハンの代理として自家の北イタリアへの勢力拡大工作に従事。1333年モラビア辺境伯。不在がちな父に代わり,動揺したボヘミア統治の再建に手腕をふるうが不信を買い一時失脚した。神聖ローマ皇帝ルートウィヒ4世に対する父の協調策に反対。

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世界大百科事典内のカール[4世]の言及

【国際ゴシック様式】より

…アビニョンに集まった工人の出身地は多彩であるが,S.マルティーニ,ジョバネッティMatteo Giovanetti(生没年不詳)などシエナ派の画家が招かれ教皇庁壁画,祭壇画,写本挿絵制作などに活躍し,アビニョンを中継地としてシエナ派の影響が国際的に波及した。プラハでもカール4世が,地元のみならずフランス,ドイツ,イタリアから工人を招き,大聖堂やカールシュタイン城を造営した。プラハにはアビニョン経由で及んだシエナ派の影響もみとめられるが,カールシュタイン城内礼拝堂を飾る壁画,祭壇画に関与したイタリア人トマソ・ダ・モデナTommaso da Modena(1325ころ‐79ころ)や地元の画家テオドリヒMeisterTheodorichの作風には,重厚な自然主義的傾向が新たにみとめられる。…

【チェコ】より


[ドイツ化とその反動]
 中世におけるチェコの繁栄は14世紀のルクセンブルク朝(1310‐1437)のもとで促進された。百年戦争中フランスの宮廷で成人した同朝のボヘミア王カレル1世(在位1346‐78)は,ハプスブルク家の躍進を危惧したドイツ諸侯によって1347年,神聖ローマ皇帝に選出された(皇帝としてはカール世)。彼は1356年に金印勅書を発布してボヘミア王を7選帝侯の首位におき,帝国の強化の基礎をチェコにおいたのである。…

【チェコスロバキア】より

…1918年から92年まで続いた中欧の共和国。国名通称はチェコ語,スロバキア語ともČeskoslovensko。1920‐38年,1945‐60年の正式国名は〈チェコスロバキア共和国Českoslovká republika〉。1948年以後は社会主義体制をとり,60年からの正式国名は〈チェコスロバキア社会主義共和国Československá Socialistická republika〉。1969年よりチェコ社会主義共和国とスロバキア社会主義共和国の連邦制に移行したが,89年の〈東欧革命〉の進行過程で両共和国で連邦制の見直しが図られ,正式国名を〈チェコおよびスロバキア連邦共和国Česká a Slovenská Federativní Republika〉に変更した。…

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