カール(読み)かーる

世界大百科事典(旧版)内のカールの言及

【フィンランド】より

…次いでヨハン3世Johan III(在位1568‐92)は1581年フィンランドを大公国に格上げしてロシアに対抗しようとした。またカール9世Karl IX(在位1599‐1611)は重税のために蜂起したフィンランドの農民一揆〈棍棒戦争〉を利用してフィンランド貴族を一掃し(1599),ここに王権を確立した。 次に勇王グスタブ2世のもとで強力となったスウェーデンは,武力によってロシアを封じ込め,1617年ストルボバの和議により東カレリアとイングリアを手に入れ,エストニアを合して,さらにポーランドを押さえ,リボニアまで手中に収めた。…

【ポーランド】より

…しかもワーザ家は元来がスウェーデンの王家(スウェーデンでの呼び名はバーサ家Vasa)であり,父ヨハン3世(1537‐92)が死ぬと,ジグムントはスウェーデン王位も継ぐことになった。しかし熱心なカトリック教徒であったジグムントは,ルター派のスウェーデン貴族に嫌われ,叔父のカール9世(1550‐1611)によってスウェーデン王位を追われてしまった(1599)。ジグムントの不寛容政策は,1573年に信仰の自由を決議したシュラフタにも不人気であった。…

※「カール」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」