デジタル大辞泉 「ラム」の意味・読み・例文・類語
ラム(rum)
[類語]酒・
翻訳|rum
蒸留酒の一種。ふつうサトウキビの搾汁を濃縮し,砂糖の結晶をとったあとの糖みつ,あるいは搾汁そのものを原料とする。16世紀ころから西インド諸島でつくられ,その後サトウキビ栽培地の拡大にともなって南北アメリカやアフリカに広がり,現在では世界各地でつくられている。ラムという名はrumbullion(イギリスのデボンシャー地方の方言で興奮,騒動の意)の語頭がのこったものという。
一般に香味の差によって,ヘビー,ミディアム,ライトの3タイプに分けられる。ヘビーラムはジャマイカ島産のものに代表され,色が濃く,複雑で強い香味をもつ。ミディアムラムは,ガイアナ産のデメラララムやマルティニク産のものが知られる。ヘビーにくらべると色がうすく,香りも温和である。ライトラムはキューバ,プエルト・リコその他多くの国でつくられており,無色または淡黄色で,香味が軽い。原料は,ヘビーとミディアムは糖みつを用い,ヘビーはダンダーと呼ぶ蒸留廃液を加えることもある。ライトは搾汁そのものを使うことが多い。糖みつは全糖分58%程度,窒素分1%以上で,灰分の少ないものがよい。これを3倍に希釈・加熱して,糖濃度を9~11%に調節する。発酵は品温が35~40℃まで達するので,高温に強い特殊な酵母が生育し,他の酒類では忌避される酢酸菌や酪酸菌も働いて多くのエステル生成が起こり,これによって複雑な香味が形成される。発酵期間は,ヘビーが6~12日,ミディアムとライトは2~3日程度である。蒸留は単式蒸留機で行うのが基本で,ヘビーとミディアムはこれによるが,ライトは連続式蒸留機によるのがふつうである。熟成はいずれもオークの樽に詰めて行う。長期間の熟成を要するヘビーは5年程度貯蔵するが,ライトは1年程度である。アメリカでは近年ライトを中心としてラムの消費量が急増している。アルコール分40%の製品が多いが,デメラララムなどには世界の酒のうち最もアルコール分の高い75.5%,81.7%のものもある。ラムはまた,カクテル(ダイキリなど)やパンチに用いられ,製菓用にも多用される。
ラムは18世紀には英国海軍の支給品となり,提督バーノンEdward Vernon(1684-1757)が毎日水割りラムを飲むことをすすめた。彼はグロッグラムという布地のコートを着ていたので〈オールド・グロッグ〉の愛称があり,水割りラムもグロッグgrogと呼ばれるようになったという(他の強い酒,あるいはその水割り,湯割りもグロッグという)。また,提督ネルソンの遺体がラムの樽に漬けられて帰還したので〈ネルソンの血〉という別称もできた。スティーブンソンの《宝島》に登場する海賊たちの歌にもラムがうたわれている。
執筆者:大塚 謙一
イギリスのエッセイスト,詩人,批評家。法学院の上級弁護士の執事を父としてロンドンに生まれた。給費学校クライスツ・ホスピタルに学び,同級生の詩人コールリジと終生の交わりを結んだ。大学には進学できず,東インド会社の事務員となり,30年余の勤め人生活を送った。この間,姉メアリー・アン(1764-1847)が狂気の発作中に母親を刺殺するという惨事が起こり,以後ラムは姉の保護者として一生独身のまま彼女と同居し,ときおり発作に襲われる姉の面倒を見た。このような人生苦のうちにも彼の文学へのあこがれは消えず,多くの文人と交わり,古典文学を愛読し,観劇を楽しんだ。初期の詩作や劇作は成功せず,新聞・雑誌に雑文を寄稿していたが,姉との共著《シェークスピア物語》(1807)は広く読まれ,また《シェークスピア時代イギリス劇詩人抄》(1808)は忘れられた文学の発掘,再評価として歴史的意義がある。しかしラムの名を高からしめたのは,イギリス・エッセー文学の最高傑作《エリア随筆》である。滋味あふれるエッセーは1820年から主として《ロンドン雑誌》に不定期に掲載され,のち前編(1823),後編(1833)にまとめられた。筆名〈エリア〉は,作者によれば昔同僚だったイタリア人の名というが,〈うそa lie〉の換字(アナグラム)との説もある。姉メアリーも従姉ブリジェットとして登場する。日本でも平田禿木(とくぼく)の名訳(1927-29)以来,愛読者が多い。
執筆者:海老根 宏
東アフリカ,ケニア北部のラム諸島のラム島東岸にある古い港町。人口約6000。ラム諸島は,紀元1世紀にアレクサンドリアで書かれた《エリトリア海案内記》でピララエ諸島として記録されているものとみられ,当時すでに交易のための港が開けていたという。諸島内で一番古い遺跡は,ラムの隣のマンダ島のタクワのもので,鉄の採掘も行われていたといわれる。次いで北のフェザ島のパテ,ラム島南東部のシェラなどが発展するが,13世紀ころからラムが勢力を伸ばし,パテに取って代わるようになった。早くに凋落したパテや,17世紀以後一時勢力が衰えたマリンディ,あるいは20世紀に近代的発展を遂げたモンバサなどと異なり,ラムは明らかに14世紀ころからほとんど大きな社会変容をうけることなしに継続してきた。その意味では,ラムは東アフリカに形成されたイスラム・アフリカ文化であるスワヒリ文化の伝統を色濃く残す町で,まさにアラブ文化のアフリカ的爛熟の一つのクライマックスをみることができる。ラムは内陸部との接触を通じて綿花,ゴマ,木材,とくに沿岸に自生するマングローブ,木炭,ヤシ油などの輸出港であるとともに,木彫,彫金細工,象牙細工などの工芸品の産地でもある。東アフリカのイスラム教育の中心であるリアダ・モスクなどモスクを含む多くのスワヒリ建築,特色あるイスラム祝日の儀礼などで有名であり,近年はいわゆるヒッピーの聖地の一つとしても知られる。
執筆者:日野 舜也
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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出典 (株)朝日新聞出版発行「とっさの日本語便利帳」とっさの日本語便利帳について 情報
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
…アディソン,スティールら18世紀の文人の手にかかると,それは初期のジャーナリズムの文体の一部となった。しかしエッセー文学の頂点はチャールズ・ラムの《エリア随筆》(1823,33)であり,彼こそ〈エッセイスト〉以外の名前では呼ぶことのできない文人であった。イギリス人好みのユーモア(気質のゆとり)を彫琢(ちようたく)の名文で綴ったものである。…
…イギリスのエッセイスト,C.ラムの随筆集。The Essays of Elia(1823)とThe Last Essays of Elia(1833)の前後2編に52のエッセーを収める。…
…しかし1744年にニューベリーJ.Newberyがロンドンのセント・ポール大聖堂前に,世界で初めての子どものための本屋をひらいて,小型の美しい本を発行し,伝承歌謡を集めた《マザーグースの歌(マザーグース)》やO.ゴールドスミスに書かせたと思われる初の創作《靴ふたつさん》を送り出した。しかし18世紀を支配したJ.J.ルソーの教育説はたくさんの心酔者を出して,児童文学は型にはまり,C.ラムは姉メアリーとともにこの風潮に反抗して,《シェークスピア物語》(1807)などを書いたが,児童文学が自由な固有の世界となるには,ペローやグリム,アンデルセンの翻訳をまたなければならなかった。しばしば子どもたちの実態を小説に描いたC.ディケンズは《クリスマス・キャロル》を1843年にあらわし,E.リアは滑稽な5行詩による感覚的なノンセンスの楽しみを《ノンセンスの本》(1846)にまとめた。…
…後者によって得られるグレーンウィスキーは香味が軽く,これをモルトウィスキーと調合することによって,現在スコッチの主流となったブレンデッドウィスキーがつくられるようになった。単式蒸留機の蒸留酒は,アルコール以外の揮発成分を多く含み,原料由来の香りを有し,現在ではモルトウィスキー,コニャック,ヘビーラム,ミディアムラム,キルシュ,テキーラ,および泡盛を含む日本の本格焼酎などが,これで蒸留されている。連続式蒸留機の蒸留酒は,アルコールの純度が高まるほど原料の特徴が失われ,酒はソフト化する。…
…(7)その他 ここに区分されるものはおもに外国起源の酒で,洋酒としている文献もある。白蘭地(ブランデー),威士忌(ウィスキー),金酒(ジン),俄斯克(ウォッカ),蘭母酒(ラム)などで,これらのうち烟台の金奨白蘭地は歴史も古く,全国名酒に数えられている。【鈴木 明治】。…
※「ラム」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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