歴史資料の一つ。
広義の古文書とは,古い書付のことを広くいい,古記録や古典籍,さらには系図まで含めていう。たとえば冷泉家古文書というのがこれであるが,この広義の使い方はかならずしも学問的な厳密なものではない。狭義の古文書とは,差出人から受取人に対して,差出人の意思を表明するために作成されたものと規定できる。したがって古文書の要件としては,差出人と受取人の名がそろっていることであるが,願文(がんもん)のように神仏に捧げられたもの,禁制さらには法典のように受取人が不特定多数の場合もある。これに対して,作成者の一方的な意思表示を目的とし,作成者の側にとどめおかれて,他への働きかけの認められないものを記録といい,古文書と区別する。しかし以上の規定だけでは不十分で,戸籍・土地台帳あるいは公布されない法典など,差出人と受取人の間の授受関係はないが,明らかに予想された相手に一定の働きかけをするものもある。これを備用文書と名付けるのが適当であるが,たんに授受関係だけではなく,他者への働きかけの有無が,文書か記録かの区分の要件ということができる。古文書は一般には紙に書かれるが,紙に書かれているかどうかは本質的な要件ではない。木や金石(金石文)に書かれたものも文書であり,布に書かれた文書もある。また最近研究が進んでいる木簡も文書に属するものである。
一般の私文書は差出人がみずから書いて,それを受取人に届けるのが普通である。これに対し公文書は慎重な手続のもとに発給された。まず草稿(これを土代(どだい)ともいう)を作り,それを加筆修正して清書をし,必要な手続をすませたうえで,発給の責任者が署名・花押あるいは印章を加えて相手に送る。この際差出人は,草稿のほかに控えをとっておくこともある。相手方に届けられたものを正文(しようもん)という。正文は草稿・控え,さらには次に述べる案文(あんもん)に比べて,形式・内容ともに完備しており,古文書の研究にもっとも重要な資料となる。一方これを受け取った方は,証拠書類としてその写しを作成する。これが案文であり,案文の作成には,おおむねつぎの五つの場合が考えられる。(1)法令・命令などを下達し,または正文の内容を第三者に連絡する場合,(2)訴訟の証拠書類として作成する場合,(3)所領・所職を分割移転する場合,(4)正文の紛失に備えてあらかじめその控えを作成しておく場合,(5)正文の紛失,あるいはそれが失効したとき,所定の手続を経て正文に代わる写し(これを紛失状という)を作成する場合である。これが狭義の,したがって厳密な意味の案文であるが,これ以外に草稿・控えを含めて案文という場合があり,これが広義の意味での案文である。いずれにしても案文とは,文書の本質的な効力に即して作成されたものである。これに対して,文書の効力に直接関係なく,後になってから参考のため,あるいは学問研究のためなどに作られたものがある。これを写しといい案文と区別する。
現在日本に伝えられている古代中世の文書は,25万通を超えるといわれている。これら多数の文書の伝存の形態をみると,大きく伝来文書と収集文書の二つに分けることができる。伝来文書とは,長期間にわたってその文書の関係者に集積されてそのまま伝わった文書であり,収集文書とは,その文書の内容とは直接関係のない人が,のちに収集した文書である。現存の多くの文書は伝来文書として伝えられている。ただし,この分類はかならずしも厳密なものではなく,本来伝わるべき所に伝来した文書が,のちになって一括して他に移された場合などは,字義に従えば収集文書というべきであるが,伝来文書に準じて考えるのが適当であろう。このような例は決して少なくはない。伝来文書を多く所蔵する所としては(1)皇室を含む公家,(2)武家,(3)寺社があり,また(4)在地に残された文書もある。収集文書は個人の収集家の手になるものが多いが,前田綱紀の収集にかかる尊経閣文庫の文書は代表的な一例である。
つぎにこれら多数の文書が現在に伝えられた理由は多岐にわたるが,(1)文書そのものの働きによって伝えられる場合(これを文書の本質的な働きによる伝来という),(2)文書の本来の働きは消滅しても,それに別の価値が付与されて伝えられる場合(これを文書の付随的な働きによる伝来という)の二つが考えられる。まず(1)のものとしては,(a)法令・戸籍・土地台帳のように,文書の効力の持続性が,公権力によって保証され保護される場合と,(b)荘園制発達以後の土地財産関係文書のように,文書そのものが土地財産所有の正当性を示す公験(くげん)となる場合の二つが考えられる。(a)についていうと,政府の発布した法令・命令は,その伝達の過程で多くの案文が作成され,また《類聚三代格》のように政府みずからがそれを編集して後代に伝える措置をとっている。戸籍も同様で,たとえば〈庚午年籍〉は永久保存されるべきものであった。(b)の場合としては,土地財産の売買・譲与・寄進などに当たって授受される手継証文(手継券文ともいう)がある。これは土地財産権の存在を証明するものとして,その移転にともなって作成された売券・譲状・寄進状をつぎつぎ集積していったものである。代表的なものとして,912年(延喜12)の七条令解から1396年(応永3)の寄進状にいたる約500年間の売券類20通が現存する左京七条一坊(現,京都市)の家地の場合がある。また武家の家柄では,譲状をはじめとして軍忠状・感状・恩賞宛行状など,家領家督に関する文書が相伝の重書として,数代あるいは十数代伝えられる場合がある。
(2)のものとしては,つぎの四つの場合がある。(a)後代の参考資料として保存される場合。法令・命令などの公文書は,それが実際の効力を失った後も施政上の参考資料として保存され,また編纂されて後代に伝えられる。(b)歴史編纂の参考資料として保存される場合。日本では古くは《日本書紀》以降多数の史書が編纂されているが,それにはもっとも確実な史料として文書が利用されることはいうまでもない。(c)墨跡の尊重鑑賞のため保存される場合。能筆家あるいは歴史上著名な人物の筆跡は,はやくから尊重されてきた。ことに近世になると,この風潮はいっそう盛んになり,手鑑を作成し,また古筆家と称する古筆鑑定の専門家があらわれ,極め札などの鑑定書を発行した。(d)料紙を利用するため保存される場合。《正倉院文書》には702年(大宝2)の戸籍をはじめ,奈良時代の政治・民政に関する基本史料が紙背文書として残されている。これ以外にも多数の貴重な文書が紙背文書として残されているが,これはその文書が廃棄された後,その裏が利用されることによって偶然今日に伝えられたものである。
古文書の内容理解のため,その整理保存のため,その他種々の目的のために,古文書の分類ははやくから行われている。もっとも古典的なものとして,(1)差出人と受取人の関係によって上逮下(下達)文書,下達上(上申)文書,相互(互通)文書という分類方法がある。つぎに(2)国内文書と国際(外交)文書に大別し,前者をさらに公文書,準公文書,私文書に分類する。これは古くより広く行われた分類法であるが,それを発展させたものとして(3)公文書,準公文書,武家文書,荘園関係文書,私文書という分類法もある。また(4)時代によって古代の文書,中世の文書,近世の文書と分けることも行われるが,(5)古文書の時代的変遷とその様式の変化に重点を置いて,政治的文書を公式(くしき)様文書,公家様文書,武家様文書と分け,それ以外の非政治的な文書を上申文書,証文類,帳簿類と分けることがある。しかし公家様,武家様というのは発給者別の分類で,厳密には様式分類とはいいがたい。そこで(6)政治文書を公式様文書,平安時代以来の公文書,書札様文書,印判状とする分類法があり,これが既往の分類法としてはもっとも妥当なものと考えられる。そしてこれとほぼ同じであるが,ここでは(7)政治文書を公式様文書,令外(りようげ)様文書,書札様文書とし,非政治的文書を上申文書,証文類というように分類したい。
公式様文書 養老令の公式令にその書式が規定された文書で,中国の直接的な影響を受けたものである。その形式は21にのぼるが,代表的なものを挙げると,まず(a)詔書(しようしよ),(b)勅旨(ちよくし)がある。ともに天皇の命を伝える文書であるが,詔書は臨時の大事に,勅旨は尋常の小事に用いられた。(c)符(ふ)は所管(上級の役所)から被管(下級の役所)に下す公文書であり,(d)解(げ)は被管から所管への上申文書である。(e)移(い)は対等の役所間に交わされる文書で,(f)牒(ちよう)は本来は主典以上の役人が役所へ申達する文書であるが,後には役所から役所に準ずる所に出される文書として用いられた。これら公式様文書には,共通するいくつかの特色がみられるが,いずれも発給手続が複雑で,すべて楷書で書かれている。
令外様文書 律令制の崩壊とともに,公式様文書に代わって,重要な政治文書として用いられるようになったのが令外様文書である。すなわち公式様文書の繁雑な発給手続を省略して,上卿(しようけい)の仰(おおせ)を直接当事者に伝えるようになったのが宣旨で,それを太政官の正式文書として発給したのが官宣旨である。官宣旨は〈左(右)弁官下……〉という書式をとることから弁官下文(くだしぶみ)ともいわれ,これから院庁(いんのちよう)下文,公家あるいは寺社の政所(まんどころ)下文という文書が成立した(下文)。以上は公家の発給にかかる文書であるが,鎌倉時代になるとこれは武家文書にも影響を与え,源頼朝の袖判(そではん)下文をはじめ将軍家政所下文がみられ,さらに下知(げち)状という新しい文書形式を成立させた。令外様文書は公式様文書に起源を有するもので,これもすべて楷書体で書かれている。
書札様文書 平安末期に院政が成立し,鎌倉中期以降それが本格化するとともに,本来は私信であった書札から出発した院宣・綸旨(りんじ)などの書札様文書が,やがて国政の最高の文書として用いられるようになる。それとともに公家・寺社の間にも御教書(みぎようしよ)が行われるようになり,武家においても関東・六波羅・鎮西の御教書が用いられた。室町幕府にあっては,その制度的完成をみた足利義満以降は,前代の下文・下知状に代わって御判御教書・御内書が最高の権威を有するものとなり,管領奉書以下の書札様文書が幕府の中心的な文書となった。書札様文書は書札から出発したものであるから,行書体で書かれるのが普通である。
非政治的文書のうちの上申文書には,申状・訴状・陳状・紛失状・着到状・軍忠状・請文(うけぶみ)などがあり,証文類としては,売券・譲状・寄進状などがあるが,これらはいずれも公式様文書の解に起源を有し,楷書体で書かれるのが本来である。
執筆者:上島 有
近世社会は支配機構に照応した文書・記録など史料の所在構造を持ち,その数量は1億点近いという推計もある。様式も複雑多様化し,和紙生産の展開と庶民教育の普及により,数量の増大のみならず,庶民性をもつところに特色がある。大量の村方(地方)文書を含む膨大な近世文書の伝存は,近世社会が文書主義に基づく文書を媒介とする支配を行い,民衆はこれによって権利の保証とするなど,積極的意図によって保存・廃棄してきたが,近代に至って伝存主体の歴史的性格の変化に伴い,保存思想が薄れ,湮滅・減少した。第2次大戦後の社会変動と物資不足は旧華族・地主所有の文書・記録類を散逸・湮滅の危機にさらしたため,その保存対策がとられ,近世庶民史料調査委員会の全国的調査,文部省史料館(国立史料館)の発足をみ,地方史研究が盛んとなった。戦前・戦中の歴史研究・教育が皇室中心の支配者の歴史であったことへの反省として,庶民の生活・生業を知りうる史料として,大量の村方文書が発掘保存され研究が進められた。しかし近世古文書学は庶民史料の整理分類法から出発したので史料利用のための主題・内容分類であり,様式論としては十分展開していない。一方,明治以来の古文書学は東京大学史料編纂所の事業に伴い発達したといえるが,《大日本史料》編纂の当面の下限が寛永期(1624-44)のためもあり,近世以降を対象としていない。かくして古代・中世古文書学に比し近世古文書学は著しく立ち遅れ,断絶がはなはだしい。
近世の古文書は朝廷・公家・寺社などのほか,統一権力たる幕府(将軍・老中・評定所・各奉行所・代官など)・藩(大名家・藩庁)・旗本・陪臣など,町と村,商家・職人・地主・網元・鉱山・宿問屋などの商業・産業文書に分けられる。とりわけ約7万の村が支配末端機構として作成・授受した村方文書と,私文書が大量に伝存しているのが特色である。文書は授受関係から上申,下達,相互文書に分類しうるが,文書の作成主体と伝存主体は同一でない場合も多い。たとえば官位補任の宣旨,口宣案,位記の作成者は朝廷(公家)であるが,補任対象の将軍,大名,旗本,職人文書中に伝存するのである。また近世は新たな様式の文書が多量に発生し,文書,記録,編纂物の区別は必ずしも明確にしえない。授受関係を伴う文書に検地帳,宗門改帳,村入用帳(むらにゆうようちよう),勘定帳など帳簿形式のものが多く,年貢割付状も3枚以上の継紙のものは寛政期(1789-1801)に帳簿仕立てを命じられている。
江戸幕府文書は維新変革,皇居火災,関東大震災など総じて滅失したものが多い。しかし幕府役職に就いた譜代大名文書に含まれている例もある。将軍の直状(じきじよう)には判物(はんもつ),朱印状,黒印状があるが,領知判物,朱印状は室町幕府の御判御教書の系譜を引くもので,禅宗官寺住職任命の公帖も同様である。徳川家康の場合は戦国大名や織田信長,豊臣秀吉の折紙,印判状多用の影響を受けているが,寛文期(1661-73)には判物,朱印状,黒印状という序列と書札礼(しよさつれい)が確立した。大名および一部寺院にあてられた領知判物,朱印状には,領知目録が奉行連署奉書の形態で添えられた。黒印状には条目,軍令状があるが,書状形式をとるものに御内書(ごないしよ)がある。初期は機密の内容であったが後には端午,重陽,歳暮の献上物への答礼として諸大名に下賜され折紙であった。法令には法度,禁制(制札),触書(ふれがき),定書(さだめがき),達書(たつしがき)がある。老中作成文書には老中奉書,同口上書,同申渡書,同御書附があり,伺書に対する御附札がある。役職就任には御役誓詞(起請文)を提出し,上申文書には伺書,進達書があり,訴訟については訴状(目安),返答書,裁許状,内済証文が作成された。
大名文書(藩政)は大藩では数万点に及ぶ。大名や家臣の家譜・系図,由緒書・先祖書・親類書・奉公書,知行宛行状(ちぎようあてがいじよう)・継目状,起請文,一字状,条目(藩法)などがあり,将軍代替りの誓詞の控えが残されている。旗本や陪臣文書もこれに類似している。
村方文書は1村の文書の大部分が伝存している例では1万点を超す。行政上作成・授受した文書は公文書であるが,村の支配関係,存在形態,年代,作成者の身分や性格によって文書のあり方に相違がある。性質から分類すると,領主・代官からの下達文書,村民からの上申文書控え,村民相互文書となる。主題分類で主要な文書を掲げると,村況は村明細帳(むらめいさいちよう)・村絵図・書上類,村政は村定(村法)・議定書,村役人名前帳,村財政は村入用帳・郷借証文,法令は御触書・廻状・五人組前書,土地は検地帳,貢租は年貢割付状・皆済目録・内見帳,戸口は宗門改帳・五人組帳・家数人数書上帳,人別送手形,交通は関所手形・往来手形,その他訴状・返答書・裁許状・済口証文・願書・届書・請書・口上書・証文・手形・差紙などの文書がある。書状は私書状以外の公用状は村方文書である。
町方文書は村方文書とほぼ同じであるが,町方独自のものに町方書上・町絵図・町触・町方水帳・式法書,それに沽券状がある。
私文書は種類が多いが,商業取引の売判書・買判書・仕切状・送り状や為替手形・預手形・振手形,それに各種の切手が多い。
最後に文書の成立過程について触れると,年貢割付状は1600年(慶長5)関ヶ原の戦以降成立し,皆済目録は延宝期(1673-81)に成立したと推定しうる。村入用帳は45年(正保2)河内国橋波村のものが最古であるが,確立は貞享・元禄期(1684-1704)である。村明細帳は領主交替を作成動機とするものが多い。宗門人別改帳は夫役負担の人別帳と宗門改帳が合成されて成立したが,34年(寛永11)長崎平戸町,横瀬浦町〈人数改之帳〉が最古の原型であり,65年(寛文5)宗門改帳の作成が命じられ,71年以降毎年作成されることとなったのである。
→記録 →古文書学
執筆者:大野 瑞男
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
歴史資料の一つ。
[千々和到]
現在の通説である黒板勝美(くろいたかつみ)・伊木寿一(いぎひさいち)らの定義によれば、第一人者(差出者)が第二人者(受取者)に対してなんらかの意志を伝達するために作成した書類をいう。この場合、日記などの古記録や、経典、書物などの典籍は含まないとされる。もちろん、一般的・便宜的な用法としては、古文献を包括する概念として、古文書という語をより広く用いることもそれほどまれなことではないが、現在の古文書学ではこうした用法はとらない。もっとも、最近では佐藤進一(しんいち)のように、目録・帳簿や訴訟記録などの、照合・点検を目的とする文献の多くは、かならずしも文書と切り離さずに理解しようという考え方もある。一方、古文書の素材は、そのほとんどが紙に書かれているとはいえ、それはけっして必須(ひっす)条件ではなく、前述の条件さえ備えていれば、木に書かれていようと、石に刻まれていようとなんら問題とはならず、すべて古文書と考えるべきである。たとえば、前者の例としては、近年平城宮址(へいじょうきゅうし)、藤原宮址などから大量に出土している古代の木簡(もっかん)のうちのかなりの部分が、後世の送文(おくりぶみ)と同趣旨のものであることをあげることができるし、後者の例としては、上野国(こうずけのくに)多胡碑(たごひ)(和銅(わどう)4年官符写)のようなものをあげることができよう。さらに、中世には寄進状や制札などの文書が直接木札に記されて掲示されることがあったのは、よく知られた事実である。
[千々和到]
ところで、なお効力をもっているものを文書とよび、すでに実際上の効力を失ったものを古文書とよぶ、という説がある。しかし古文書ということばがもともと歴史資料としての文書に対してつけられた名称であることを考えれば、こうした区別は意味をもたない。歴史研究のうえで、あるものを古文書とよんでも文書とよんでも、それほど意味の違いがあるわけではない。ただし、中世においてなにを古文書と称していたかということは、はっきりしておくべきであろう。笠松宏至(かさまつひろし)によれば、中世において古文書とよばれたのは、罪科人の発給にかかる文書や朽損しあるいは正当な由緒なく所持している文書であって、相論(そうろん)などに際して特定の権利を証明しえない、すなわちすでに価値の失われた文書のことをさすという。とりわけ鎌倉幕府の裁判のなかで、「平家以往」つまり、平氏政権やそれ以前の文書は「古文書」であるので証文に足らずとされたということは注目に値するといえよう。
[千々和到]
文書作成の動機は、自分の意志を他者に伝えることであるが、その意志の伝達の内容には、単なる意志の疎通だけではなく、上の者が下の者になんらかの命令を行う場合、または権利を認定する場合と、下の者が上の者になにかを要請する場合も当然含まれる。そしてそれぞれの動機に応じて、またその時代、時代によって、あるいは書き手と受け手の地位の高下によって、その文書の書きようは異なるものである。そこで、その異なる書きようを分析することによって、文書の内容だけからではわからないこと(たとえば時代判別とか、書き手と受け手の地位や相互の関係など)を類推しようとするのが、文書様式の分類の目的である。
文書の様式分類法は研究者によって多少異なるが、佐藤進一の方法に従えば次のようになる。佐藤は、様式の歴史的変遷を踏まえた(1)公式様(くしきよう)、(2)公家様(くげよう)、(3)武家様(ぶけよう)の3種に、(4)証文、(5)神仏に奉る文書、(6)書状、の3種を加えて、6種に分類することを主張している。これらについて以下に若干の説明を加える。
(1)公式様文書 『養老令(ようろうりょう)』公式令のなかで規定された様式の公文書。公式令には上から下への文書として詔書(しょうしょ)・令旨(りょうじ)・符(ふ)、互通文書として移(い)、下から上申する文書として奏(そう)・牒(ちょう)(のちに令外官(りょうげのかん)などの発給文書として使われるようになる)・辞(じ)・解(げ)などが定められている。
(2)公家様文書 平安時代、律令制(りつりょうせい)が崩れ摂政(せっしょう)・関白や院が政治の中心になるにしたがって登場してきた新しい様式の文書。宣旨(せんじ)、符にかわる下文(くだしぶみ)、国符(こくふ)にかわる庁宣(ちょうせん)などや、右筆(ゆうひつ)が形式上の差出者となる書状様式から発達した奉書(ほうしょ)系の文書(事実上の差出者が天皇の場合は綸旨(りんじ)、上皇なら院宣(いんぜん)、皇族なら令旨、三位(さんみ)以上の公卿(くぎょう)なら御教書(みぎょうしょ)とよぶ)がおもなものである。
(3)武家様文書 鎌倉幕府の成立以降に発生、発展したもので、下文、下知状(げちじょう)、直状(じきじょう)(書下(かきくだし)、判物(はんもつ)など)、奉書(御教書、奉行人(ぶぎょうにん)奉書)、印判状(いんぱんじょう)などの下達文書と、申状(もうしじょう)、注進状(ちゅうしんじょう)、請文(うけぶみ)、軍忠状(ぐんちゅうじょう)などの上申文書とがある。
(4)証文 譲状(ゆずりじょう)、売券(ばいけん)、契状(けいじょう)、和与状(わよじょう)などが含まれる。
(5)神仏に奉る文書 神仏に祈願する告文(こうもん)・願文(がんもん)や、都状(とじょう)、さらに神前で誓いをたてる際の起請文(きしょうもん)、資財を奉納する際の寄進状などが含まれよう。
(6)書状 私人の間に取り交わされる文書で、古代に状(じょう)・啓(けい)とよばれ、中世には消息(しょうそく)・書札(しょさつ)などとよばれる。書状は私的な文書であるといっても、けっして自由な書き方ができるものではない。むしろ差出者・受取者相互の地位・身分によって文書の書きようを変えることが強く求められ、これに反したときは礼を失したものとみなされるため、各種の「往来(おうらい)」や「書札礼(しょさつれい)」といった書状の例文集、様式解説書がつくられ、利用された。
[千々和到]
文書の作成にあたっては、まず土代(どだい)とよばれる草案がつくられ、これに手が加えられたうえで清書され、正文(しょうもん)が完成するのが一般的経過である。しかし、文書の種類によって、だれが書くのか、どんな紙を選ぶのか、といった文書作成過程の細かな部分は異なってくる。たとえば書き手であるが、差出者の地位が高ければ、私的な書状でさえも差出者自身は筆をとらず、右筆とよばれる専門の書記に書かせる場合があるし、公的な文書であれば、事実上の文書発給者自身が書くことはほとんどありえない。下文などでは、右筆の作成した文書にただ花押(かおう)を据えるだけであるし、奉書・御教書などでは、奉者が上級の者の意を受けて作成し、形式的差出者として奉者が「何某奉(なにぼううけたまわる)」と署名するのが一般である。
また、料紙(りょうし)をみると、時代・地域によって使われる紙の種類が異なるばかりでなく、差出者の地位・立場などによっては、異なった質の料紙が選ばれることもある。一例をあげれば、天皇の綸旨は一般に独特の漉(す)き返しの薄墨色をしたもの(宿紙(しゅくし))が多いが、それは蔵人(くろうど)が奉者を務める場合だけで、蔵人以外の弁官が奉者を務めるときは、普通の白紙が用いられるのである。
ところで、文書の差出者と受取者とは、文面上のそれと、実質的なそれとが違っている場合がある。差出者が実質と形式とで異なる例は前述したが、受取者が異なるのは、たとえば次のような場合である。すなわち、荘民(しょうみん)に対して新しく補任(ぶにん)された地頭(じとう)・下司(げし)の指示に従えと領主や幕府が命ずる文書はよくあるが、こうした文書の場合、通例、「下ス某庄百姓等(ぼうしょうひゃくしょうら)」などと、形式的な受取人は荘民たちになっている場合が多い。しかし、こうした文書は、現実には権利を付与された地頭・下司自身が受取者で、その文書自体、地頭・下司に手渡され、彼の手元に残されるものなのである。
[千々和到]
文書は、その機能、効力によって異なった保存、伝存の仕方がなされる。文書に作成され伝達された直後に、まず残すか残さないかの最初の選別が行われる。たとえば、土地、家屋などの正当な所有者であることを示す売券、公験(くげん)、寄進状などは、所有者がかわるごとに土地とともに手から手へ移動し、引き継がれていくものであり、文書は次々と貼(は)り継がれていく(これを手継(てつぎ)という)。こうした文書は、いったん所有をめぐって相論が起きたときには、証拠としてただちに利用できるように、持ち主の手で厳重に保管、整理されているものである。もし万一事故で失われれば、紛失状が作成され、これにかわるものとされなければならなかった。一方、この反対に、ある種の宗教的文書では、正文を残さないものもある。一味神水(いちみしんすい)のときに書かれる起請文や、天皇が祖廟(そびょう)・山陵に報告する告文などがそれで、これらは神前で読み上げられたのち、焼かれて灰にされるから、本来正文は残されないことになる。これは、その文書がのちに汚されることをはばかったのと、文書を焼くことが書き手の意志を神に伝達する手段と考えられたからである。
文書が保存されるかどうかは、次の時代にも選別される。すなわち、古文書はある期間を過ぎ、その本来の効力を失っても、別の価値を生じることがある。骨董(こっとう)価値とか、家系の古さ、由緒正しさを主張するのに役にたつ場合などがそれで、こうした価値ゆえにいまに残っている古文書も少なくない。
一方、価値をみいだされなかったために、かえって偶然残された文書もある。たとえば反故(ほご)にして捨てられ、写経や日記の料紙に用いられたため残った紙背文書(しはいもんじょ)がそれである。奈良時代の文書が正倉院(しょうそういん)に大量に残されているのも、実は官衙(かんが)の文書が東大寺に写経用の料紙として献納されたためである。また1984年(昭和59)、京都大徳寺塔頭(たっちゅう)徳禅寺で発見された大量の中世文書は、たまたまそれがふすまの下張りに利用されたために残されたものである。こうした文書のなかには、残るべくして残った文書とは異なる、過去の人々の実生活をうかがうに足る好史料がしばしば含まれているものなのである。
[千々和到]
現代における古文書の価値は、その骨董的価値、鑑賞上の価値と、歴史資料としての価値とに2大別されよう。前者の典型的な例としては、茶室に掛けられる一幅の茶掛けをあげることができようし、後者としては、近代以降とりわけ戦後盛んになった古文書集の出版による歴史学の発展をあげることができよう。戦前からの『大日本史料』『大日本古文書』はもとより、戦後の竹内理三(たけうちりぞう)編『平安遺文』『鎌倉遺文』や、地方自治体の編集している県史・市史などの史料集の刊行は、日ごろたやすく古文書原本に触れることのできない広範な歴史研究者に古文書の利用の道を開いたし、多くの新知見を提供してきている。また、古文書原本についても、その散逸を防ぐために、各地の博物館・文書館が地域にかかわる中世・近世文書の収集を進めており、以前よりはるかにたやすく利用することができるようになってきている。
しかし一方では、こうして出版が進み、骨董的価値もある中世文書はまだしも、ほとんど翻刻される機会のない近世以降の文書、とりわけしだいに「古文書」化しつつある膨大な量の近代以降の行政文書については、その保管と公開は思うように進んでいない。寿命の長い和紙に書かれた中世文書より、寿命の短い酸性のパルプ紙に書かれた近代の文書のほうが、より消滅の危険性が高い、という声もあり、保存策の確立は急務となっている。
[千々和到]
『相田二郎著『日本の古文書』上下(1949、54・岩波書店)』▽『佐藤進一著『古文書学入門』(1971・法政大学出版局)』▽『日本歴史学会編『概説古文書学 古代・中世編』(1983・吉川弘文館)』
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出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
出典 図書館情報学用語辞典 第4版図書館情報学用語辞典 第5版について 情報
出典 旺文社日本史事典 三訂版旺文社日本史事典 三訂版について 情報
出典 日外アソシエーツ「事典 日本の地域遺産」事典 日本の地域遺産について 情報
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
…フランス革命期の1794年,アンシャン・レジームの文書・記録を保存するためにフランス国立中央文書館の設置が法令で定められた。文書館として十分機能しはじめたのは1840年代以降で,国立古文書学校(1821設立)による文書館員の養成が寄与している。イギリスでは,1838年の公文書法の公布によって,ロンドンに公文書館Public Record Officeが設立され,文書長官Master of Rollsの下に統合的に保管されることになった。…
※「古文書」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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