日本大百科全書(ニッポニカ) 「油」の意味・わかりやすい解説
油
あぶら
室温で液体、可燃性、水に難溶性のものを一般に油という。動植物油、鉱油、精油に大別される。
油の種類
(1)動植物油 室温で液体のものを脂肪油、固体のものを脂肪あるいは脂(あぶら)という。動植物油は一般に高級飽和あるいは不飽和脂肪酸のトリグリセリドからなる。植物油は不飽和脂肪酸を多く含むが、動物脂は飽和脂肪酸を多く含む。植物油はコレステリンを含まないが、動物脂はコレステリンを含有している。脂肪などの油100グラムが吸収するヨウ素のグラム数であるヨウ素価の大小により乾性油(130以上)、半乾性油(100~130)、不乾性油(100以下)の別がある。大豆油、菜種(なたね)油などは食用油に、あまに油などは塗料に用いる。動植物油を加水分解すれば脂肪酸とグリセリンを得、水素添加すれば硬化油を得る。硬化油はマーガリン、せっけんなどに使用される。
(2)鉱油 石油およびガソリン、ナフサ、灯油、軽油、重油などの石油留分、シェールオイル(頁岩(けつがん)油)などがある。石油の主成分は炭化水素で、少量の硫黄(いおう)、窒素、酸素を含む。石油は燃料および有機化学製品をつくる石油化学工業原料として用いられる。自動車用語として油をオイルというときには、エンジンオイル、ブレーキオイルなど潤滑油を意味することが多い。
(3)精油 植物の花、葉、幹などから得られる揮発性の油で、植物性香料である。これら芳香油はテルペン類炭化水素などからなる。原料から芳香油を脂肪あるいは油で浸出したものはただちに香油として香粧料に用いうる。
[福住一雄]
油の呪術・宗教的意味
呪術(じゅじゅつ)・宗教的な脈絡において、動物の脂肪や植物油は超自然的な力の媒体とみなされた。霊力や呪力を獲得するために人間や動物の血や肉を飲食する風習は世界各地に分布するが、同様に動物の脂肪や植物油を身体その他に塗布する習俗も各地に広くみられる。塗布により、脂肪や油に内在する霊力や呪力は被塗布者(物)に伝達されると信じられているのである。
[佐々木宏幹]
超自然力の獲得と油
アンダマン島民は子供を強健に育てるために、豚の脂肪を溶かして身体に注いだ。オーストラリア先住民は他人を殺して、腎臓(じんぞう)の脂肪を身体に塗布した。死者の力が自分に伝達されると信じたからである。また彼らは武器を強化するために、敵の脂肪を塗布した。ナミビア(南西アフリカ)のダマラスでは、威力をもつとされる動物の脂肪を蓄え、いろいろな目的で使用した。インドでは、子供の脂肪に含まれる超自然力を得るため、子供を殺すことがあった。
[佐々木宏幹]
聖別と油
油を塗り、注ぐことが、対象である人物や事物の聖化を意味するような事例は少なくない。古代ギリシアでは託宣師(シャーマン)に相談に赴こうとする者は、その身体に塗油した。インドのシャーマンは神がかりする前に香油を身体に塗る。彼に憑依(ひょうい)する神に魅力的と思われるためである。ベーダ時代のバラモンは、宗教儀礼を行うに際して、沐浴(もくよく)し植物油を身体に塗布するのが常だった。インドの新郎新婦は結婚式に臨むに際し、身体に油とウコンの粉を塗布する。死に際しても、身体に塗油される。メキシコや中央アメリカの原住民の祭司が儀礼を行うときには、頭頂から足先に至るまで膏(こう)を塗布した。
王や祭司はその地位につくにあたり塗油、注油されることが多い。古代エジプトの王(ファラオ)は叙任式のときに注油された。アステカの王は戴冠(たいかん)式の前に寺院に行き、神に忠誠を誓ったのち、高僧により身体中に塗油された。塗油式ののち、彼は初めて王の衣服を身にまとうことができた。イエス・キリストの「キリスト」は、ヘブライ語のマーシーアハmāshīa(メシア)のギリシア語訳語クリーストスkhrī- stósに由来し、「油注がれし者」の意であることは、よく知られている。『旧約聖書』には、ヤコブが石の柱を立てて油を注ぎ、これを神の家にしようとした(「創世記」28章18~19)ことや、聖なる油を人物や住家、祭壇、家具、容器などに注ぎ、聖別した(「出エジプト記」30章30、30章21~29)ことが記されている。
[佐々木宏幹]
禁忌と油
禁忌(タブー)の解除が塗油によって表現される例は多い。この場合、塗油は、禁忌された状態や地位から通常の地位、状態へと移行することを保証する意味をもつ。北アメリカやアフリカの原住民において、服喪者は、服喪期間が終了するときに、身体に塗油する。アフリカでは産婦が出産直後に塗油される。また、病気が治ったとき、女性の月経が終わったとき、少年の成人式のときなどに塗油が行われる。オーストラリアやアンダマン島では、少年が課せられた食物禁忌の期間が終了するとき、顔と身体に脂肪が塗布された。
なお、油が媒介する超自然的力に関する観念は、とくに各地にみられる呪力=マナmanaに対する信仰や観念との関係において検討されることが必要である。
[佐々木宏幹]
民俗
日本では古くから植物性油が食用、灯火用に供された。食用としてはエゴマ、アケビ、カヤ、ツバキなどの油が古く、ついでゴマ、アブラナ、ダイズの油が好まれ、揚げ菓子や揚げ物料理に広く利用された。灯火用としては松根、肥え松からイヌガヤ、エゴマ、アブラナの油を経て石油へと、灯火具の発展とともに変遷した。動物性の油も魚油、獣油が江戸時代には灯油に用いられた。石油を灯火に初めて使ったのは越後(えちご)村上の黒川村(現新潟県胎内(たいない)市)で、鎌倉時代にさかのぼるといわれる。室町時代には油商人の油座が成立し、やがて都会には油売りの行商人が現れ、行灯(あんどん)用の油を売り歩いた。しかし地方では、関東、東北の各地で旧暦11月15日を「油搾(し)め」「油祝い」とよび、油けのあるものを食べて油の収穫を祝ったように、最近まで荏油(えのあぶら)、ごま油、菜種油などは自家製であった。エゴマの荏のついた地名も珍しくない。
西洋でも、諸種の油が古代から食用、灯火用に供され、また民間医療、民間信仰にも用いられた。たとえば、口中の腫(は)れ物にオリーブの葉をかみ、その汁を血止めに利用した。腫れ物、吹き出物に油を塗るのは、油が清浄力をもつと考えられたからである。その清浄力によって悪霊を退散させるべく、催し事のある家の戸口に月桂樹の花輪を下げ、結婚式や葬式にオリーブの枝、花輪を用いる風習もあった。花嫁の家の入口に油を塗るまじないは現在も伝えられている。同じ目的から聖石、聖樹、神像への塗油がおこり、その民間信仰はキリスト教の聖油儀礼を形成するに至ったといわれる。
[竹田 旦]
『J・フレイザー著、永橋卓介訳『金枝篇』全5巻(岩波文庫)』