デジタル大辞泉 「駒ヶ岳」の意味・読み・例文・類語
こま‐が‐たけ【駒ヶ岳】
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渡島半島の中央から東に延びる
胆沢郡
木曾山脈(中央アルプス)の主峰で、木曾郡と上伊那郡の境にあり、標高二九五六メートル。木曾駒ヶ岳ともいうが、伊那地方では赤石山脈北端の
文献上の初見は、建長三年(一二五一)二月六日の藤原能綱譲状案(工藤文書)で四至境に「こまがたけ」の山名がみえる。
山名の起りは馬との関係が考えられ、山の形、残雪の形、雪解けによる岩肌の形、山頂の岩の形などが馬に似ているところから名付けられたもので、特に残雪の形や雪解けにより現れる岩肌の形が馬に見えるようになることが農事に関係づけられていた。
白州町と長野県にまたがる山。標高二九六五・六メートル。甲斐駒あるいは甲斐駒ヶ岳の呼称が一般的。全山が花崗岩からなり、山容は峻厳でとくに山頂部は鋭利な円錐形の岩塊をなす。南アルプス諸峰のなかでもひときわ目立つ存在である。山名の由来について文献の記すところをみると、聖徳太子にまつわる伝聞を載せるものが多い。「相伝豊聡王所畜驪駒飲是渓而生」(峡中紀行)、「聖徳太子、金蹄駒を召され、此絶頂に降り玉ふ」(裏見寒話)、「厩戸王ノ驪駒此山ニ産育セルコトヲ俚説ニ伝タリ」(甲斐国志)、「古時厩戸王の麗此山中より出しと云伝ふ」(甲斐叢記)などであるが、馬と聖徳太子が密接に関係するのは、馬と厩戸王(聖徳太子)との音が同じ響きを有するところからくる後世の解釈にほかならない。
岩手郡の北西部に位置し、岩手・秋田両県にまたがるコニーデ式の休火山。那須火山帯に属し、秋田駒の名でも知られる。
文化一四年(一八一七)調製の木師御林山絵図(「黒河内史料」上伊那誌)によると
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
山梨・長野県境、赤石山脈(あかいしさんみゃく)北部の高峰。標高2967メートル。黒雲母花崗(くろうんもかこう)岩からなる。甲斐駒ヶ岳(かいこまがたけ)、甲斐駒などともよばれ他地方の駒ヶ岳と区別する。北および東斜面に大構造線が走り、きわめて急峻(きゅうしゅん)な山である。主峰の東方に摩利支天(まりしてん)、北西に坊主(ぼうず)山の2岩壁をもつために、見る方向により著しく山容を異にする。駒ヶ岳からの稜線(りょうせん)は北西に南アルプスの奇山、鋸(のこぎり)山に至るもののほかに、南の駒津岳から南東に延び、仙水峠を経て鳳凰(ほうおう)三山、さらに夜叉神(やしゃじん)峠方面に至るもの、駒津岳からさらに南に延びて北沢峠を経て仙丈ヶ岳に至るものがある。独立峰であり、南アルプス、富士山、八ヶ岳(やつがたけ)、中央・北アルプスの展望台としても知られる。巨大な岩壁をもち、高山植物(ゴゼンタチバナ、ミヤマエンレイソウなど)にも恵まれ登山者も多い。古来信仰の山で登山コースは山梨県北杜(ほくと)市白州(はくしゅう)町方面からとられたが、最近では広河原(ひろがわら)から南アルプス林道を通り、北沢峠、あるいは仙水峠経由が一般的となっている。
[吉村 稔]
長野県の南西部、中央アルプス(木曽山脈(きそさんみゃく))の主峰。南アルプスにも同名の山があるため区別する意味で木曽駒ヶ岳ともよぶ。あるいは南アルプスの東の駒ヶ岳に対し西駒ヶ岳ともいう。標高2956メートル。丸みをおびた女性的な山で、支峰の宝剣(ほうけん)岳(2931メートル)や伊那(いな)前岳、木曽前岳などに囲まれている。山頂近くにはヒメウスユキソウやオヤマノエンドウ、タカネシオガマなどの高山植物が多い。宝剣岳の南東面には典型的なカール地形があって千畳敷カールとよばれ、1967年(昭和42)夏にカールの末端近い2611メートルの地点までロープウェーが完成したため、駒ヶ岳登山はきわめて容易になった。ロープウェーの発着地しらび平まで駒ヶ根駅からバス1時間。駒ヶ岳を中心とする中央アルプスは、中央アルプス国定公園に指定されている。
古くから信仰の対象となり、1532年(天文1)徳原長大夫(とくはらちょうだゆう)が山頂に保食(うけもち)大神を祀(まつ)ったと伝えられ、現在駒ヶ岳神社奥宮がある。また、山頂の北東部のカールにできた濃ヶ池(のうがいけ)には、日照りの夏に池畔で騒音をたてると雨が降るとの伝説があり、近世末、麓(ふもと)の人々が雨乞い(あまごい)に登山することがたびたびあったという。伊那側の登山口に駒ヶ根高原が、木曽側に木曽駒高原があり、ともに観光保養地やゴルフ場、キャンプ場などになっている。
[小林寛義]
北海道南西部、渡島(おしま)半島の東岸にある山。標高1131メートル。安山岩質の成層火山で、東日本火山帯に属する活火山。頂上に東西2キロメートル、南北1.5キロメートルの東に開いたU字形のカルデラがあり、北側の砂原(さわら)岳、西側の最高峰の剣ヶ峰、南側の隅田盛(すみだもり)などがカルデラ壁となって取り囲んでいる。北方から望むと富士山形で、渡島富士と称される。更新世(洪積世)末期に成層火山が形成されたが、現世初頭(約1万年前)から、カルデラをつくった頂部の崩壊や、軽石を噴出する爆発的な噴火を繰り返してきた。
1640年(寛永17)には、山体崩壊―岩屑なだれ―津波によって、北側の内浦湾沿岸では水死者700余人を出した。以後十数回噴火し、1856年(安政3)には火砕流(軽石流)で死者20余人を出し、1929年(昭和4)にも大爆発と火砕流で被害を出した。中規模の噴火は1942年にもおきた。有史以後の噴火は、頂部の馬蹄(ばてい)(U字)形カルデラ内でおき、同カルデラ壁沿いや底部亀裂(きれつ)の内部には噴気孔が現存する。1996年(平成8)から2000年まで小規模な噴火が6回発生した。南側山麓(さんろく)の景勝地の大沼、小沼などの湖沼や湿原は、1640年の山体崩壊による岩屑なだれ堆積(たいせき)物が折戸川(おりとがわ)をせき止めて生じたものである。札幌地方気象台が常時火山観測中。頂部から大沼、小沼にかけての一帯は大沼国定公園。JR函館(はこだて)本線駒ヶ岳駅から徒歩約4時間で登頂できるが、2013年現在、山頂付近は入山規制中で、標高約900メートルの「馬の背」付近までは登ることができる。
[諏訪 彰・中田節也]
神奈川県南西部、足柄下(あしがらしも)郡箱根町のほぼ中央にある山。標高1327メートル。三重式火山の世界的モデルである箱根火山の中央火口丘の一つで、溶岩円頂丘(トロイデ)である。頂上には樹木がなく、相模(さがみ)湾、伊豆諸島、三浦・房総(ぼうそう)両半島、湘南(しょうなん)・京浜両都市群、また富士山、南アルプスなどにわたる展望が広大。山の名は、山頂の馬乗石(箱根七名石の一つ、約4メートル四方、高さ約2メートル)の上に白馬が現れたという伝説による。頂上に駒形神社(箱根元宮神社)が祀(まつ)られ、駒ヶ岳の地主神。これは大磯(おおいそ)町の高来(こうらい)神社(もと大磯高麗権現(ごんげん))の分霊とされ、古代に畿内(きない)から関東へ移住させられた朝鮮系渡来人が箱根へ入山、開拓したことを物語り、日韓交流史研究上の要地をなす。山頂へは芦(あし)ノ湖畔の箱根園からロープウェーで8分。かつては山頂にスケートセンターがあり駒ヶ岳登り口駅からケーブルカーが運行していたが、現在は廃止された。
[浅香幸雄]
秋田県東部、岩手県境近くにある活火山。玄武岩~安山岩の二重式成層火山。秋田駒ともよばれる。最高点はカルデラ北方の寄生火山、男女岳(おなめだけ)(女目岳)の標高1637メートル。カルデラは長円形(長径約3キロメートル、短径約1.5キロメートル)で、外輪山の最高点は男岳(おだけ)。女岳(めだけ)以下、三つの中央火口丘がある。有史以後、数回、水蒸気爆発したが、1970~1971年(昭和45~46)女岳が初めて新溶岩を出し、小爆発を数万回も反復し、溶岩流も発生。噴出物総量は約400万トンに及ぶ。以後も噴気がときどき活発化。山頂部の阿弥陀池(あみだいけ)付近はコマクサなど高山植物が豊富で、国の天然記念物に指定されている。十和田八幡平(とわだはちまんたい)国立公園の一部で、西麓(せいろく)には田沢湖、北西麓には乳頭(にゅうとう)温泉郷がある。JR田沢湖線(秋田新幹線)田沢湖駅から八合目までバス便がある。また、八合目までは自動車の乗り入れができるが、6月1日から10月末日の土・日曜日、祝日は自家用自動車の乗り入れ規制が行われる。
[諏訪 彰]
福島県南西端、南会津(みなみあいづ)郡檜枝岐村(ひのえまたむら)にある山。標高2133メートル。会津駒ヶ岳の名で知られる。古生層の粘板岩などからなり、山頂から四方に延びる稜線(りょうせん)上には、かつてこの地域に広がっていた広大な侵食平坦(へいたん)面の名残(なごり)が分布し、山腹の急峻(きゅうしゅん)な斜面と著しい対照をみせている。これら平坦面上には湿原や高山植物群落が無数に散在する。東麓(とうろく)の檜枝岐からの登山道のほか尾瀬(おぜ)方面からも縦走路がある。
[中村嘉男]
新潟県魚沼市(うおぬまし)と南魚沼市にまたがる越後三山(えちごさんざん)中の名峰。標高2003メートル。馬蹄(ばてい)形の山塊を形づくり、豪快で美しい山容を示している。古くは八海(はっかい)山、中ノ岳とともに魚沼三山とよばれた縦走講中登山の信仰の山で、現在は冬山スキーの縦走コースに利用されている。枝折(しおり)峠まで夏場はバスの便があり、ここから頂上まで歩いて5~6時間で登れる。頂上には山の気象を観測する山小屋がある。
[山崎久雄]
北海道南西部,渡島(おしま)半島の東岸にある火山。渡島富士とも呼ばれる。標高1131m。室蘭市のチキウ岬と相対して内浦湾を抱く位置にある。完新世に生成され,輝石安山岩質溶岩と砕屑物(さいせつぶつ)から構成される円錐形の成層火山であるが,その頂部は破壊されている。歴史時代にもたびたび活動し,安山岩質軽石を大量に噴出する激しい噴火を繰り返している。1640年(寛永17)には,山頂が崩壊して東に開いた直径2kmの馬蹄形の火口を作り,崩壊物が内浦湾になだれ込んで津波を起こしたため,700人余りが溺死し,次いで軽石噴火により山麓は厚い降下軽石に覆われた。1694年(元禄7)にも大噴火があり,また1856年(安政3)には,軽石流が南麓に流下して20余人が犠牲となり,火口内に小円頂丘を生じた。1929年軽石流が流下するとともに南東方に噴出した降下軽石が降り,火口から11kmの鹿部(しかべ)ではその厚さが1m以上も積もった。この噴火で2人が死亡し,山林,漁業も甚大な被害をうけた。42年の爆発では,山頂の火口内に延長1.6kmの割れ目を生じた。
南側の山麓には,かつての活動による火山泥流や崩壊物によって大小無数の流れ山ができ,大沼,小沼,蓴菜(じゆんさい)沼をせき止めている。ここは駒ヶ岳を背景とする景勝地で,付近一帯は駒ヶ岳山体とともに大沼国定公園に指定されている。JR函館本線は山麓部の周囲をめぐり,車窓からも山容を楽しむことができる。東麓には鹿部温泉,南東麓には東大沼温泉がある。
執筆者:勝井 義雄+岡本 次郎
長野県南部,木曾山脈(中央アルプス)の最高峰。東の伊那谷を隔てて赤石山脈(南アルプス)にある駒ヶ岳を甲斐駒(東駒)と呼ぶのに対して,木曾駒ヶ岳,木曾駒,西駒ヶ岳,西駒などと呼ぶこともある。狭義には標高2956mの本岳をいい,広義には本岳とその付近にある将棊頭(しようぎがしら)山(約2740m),中岳,宝剣岳(2931m),伊那前岳(2883m)などの範囲をさす。山名の起こりは,馬の形との関係が考えられ,山の形,山頂にある岩の形,雪解けごろの岩肌の形,残雪の形などがあげられている。たとえば,残雪が目だつころ頭を下げた黒駒が〈駒飼の池〉の水を飲むような姿が伊那谷から見え,とくに竜東(天竜川東岸)の高遠(たかとお)からの遠望がすぐれているという。駒ヶ岳は古くから山岳宗教の霊地として知られたところであるが,明治末ごろから近代登山が行われるようになった。平地からの比高が2000mに達する急斜面からなるため,登山は容易ではなかったが,1967年しらび平から千畳敷までロープウェーが通じて以来,夏から秋へかけての登山客や冬季,春季のスキーヤーでにぎわうようになった。本岳の頂上には二つの駒ヶ岳神社があり,北にあるものは木曾谷側へ向き,南にあるものは伊那谷側へ向く。
執筆者:有井 琢磨
秋田県東部,田沢湖の北東に位置する二重式火山で,秋田駒ヶ岳(秋田駒)ともいう。最高峰の女目岳(おなめだけ)(1637m)をはじめ男岳,横岳,女岳,小岳などの火山からなり,長径3km,短径1.5kmの楕円形のカルデラがある。中央火口丘の一つ,女岳頂上付近には直径数十mのすり鉢状の小火口跡が7個あり,また南西山麓には直径約60mの火口をもち寄生火山と考えられる噴石丘がある。1932年と70年に女岳付近で噴火があり,70年の噴火時の噴煙は高さ400mに達し,幅300m,長さ500mの溶岩流がみられた。十和田八幡平国立公園の南端に位置し,高山植物が豊富で天然記念物に指定され,特にコマクサの群落は有名である。南麓には国見温泉(硫化水素泉,45℃),北麓には乳頭(にゆうとう)温泉郷がある。西麓は田沢湖高原と呼ばれスキー場や国民休暇村があり,近年観光客が多い。南北に続く稜線は,岩手,秋田の県境をなし,南側には古くからの東西交通路の要所で国道46号線が通じる国見峠がある。
執筆者:水野 裕
新潟県南東部,北魚沼郡に位置し,標高2003m。隣接の中ノ岳(2085m),八海(はつかい)山(1778m)とともに越後三山と呼ばれる。標高2003m。グシガハナの岩峰を派生させ,堂々と肩を張った山体は,六日町盆地に直面し,比高1900mにも及ぶため,豪快,峻険である。山頂周辺に晩夏まで豊富に残る雪田・雪渓,それに起因する雪田植生の多様性,雪崩によって磨かれた岩壁,特に東斜面の深い谷底に残る大量の越年性雪渓など,多雪山地の地形特性をよく表している。巨大岩壁の典型は北斜面の佐梨川金山沢源頭のもので,スケールの壮大さは谷川岳一ノ倉沢をしのぐとさえいわれる。登山路は,奥只見電源開発事業の遂行に伴い整備されており,小出駅から枝折(しおり)峠経由のものが容易であるが,山麓の駒ノ湯からのルートも多く利用されている。頂上直下の駒ノ小屋は,只見川源流の展望にもすぐれ,高山植物のお花畑に囲まれている。
執筆者:鈴木 郁夫
甲斐駒ヶ岳,甲斐駒,東駒ヶ岳,東駒ともいう。伊那谷では,白崩(しろくずれ)山,赤河原岳の名称で呼ばれたこともあった。赤石山脈の北東部を占め,山梨県(北杜市)と長野県(伊那市)の県境にある山。標高2967m。山体は,第三紀に貫入した花コウ岩類からなる。東側斜面は,急傾斜の断層崖をなして,フォッサマグナ西縁の低地に臨み,崖高は2200mにおよぶ。甲斐駒は,木曾駒ヶ岳とともに日本における花コウ岩峰として最も高く,山頂部が森林限界以上にあるため基盤が露出し,切載峰Hornの特色をあらわし,その豪壮な山容は北アルプスの劔岳と並び称されている。山名の由来には,山形が駒すなわち馬に似ているという説,山麓で駒を産することに起因するという説,高麗人の住む里によるという説などがある。この山は,古くから信仰の山として知られ,登山は400~500年前から行われていた。1980年南アルプス林道が開通し,北沢峠から容易に登山できるようになった。
執筆者:有井 琢磨
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出典 日外アソシエーツ「事典 日本の地域遺産」事典 日本の地域遺産について 情報
出典 日外アソシエーツ「事典・日本の観光資源」事典・日本の観光資源について 情報
…おもな山地列は脊梁山脈とほぼ平行して走り,南から北へ向かって徐々に高度を下げる。南部に標高2100~1500mの駒ヶ岳(福島県,2132m),未丈ヶ岳(1553m),毛猛(けもう)山,中央部に更新世前半の噴出と考えられる浅草岳(1586m),守門(すもん)岳(1538m)の火山群がある。北部ではやや高度を下げ1300~700mの駒形山,矢筈岳,粟ヶ岳(1293m),日本平山(1081m)の西部の山地列と,貉(むじな)ガ森山,御神楽(みかぐら)岳(1386m),土埋(つちうめ)山の東部の山地列とに分岐する。…
…粕毛川上流には1970年に県営素波里(すばり)ダムが建設され,ダム湖の湖岸は国民休養地に指定されている。白神山地の駒ヶ岳(藤駒岳。1158m)山麓の田苗代はミズバショウの群落で知られる。…
…新潟県南東部にある駒ヶ岳(2003m),中ノ岳(2085m),八海(はつかい)山(1775m)の三山を指し,魚沼三山とも呼ばれる。山頂周辺に晩夏まで残る雪田,雪崩によって磨かれた急峻な岩壁,鋭い山稜,谷底の越年性雪渓など,新潟県内では谷川連峰とともに,アルペン的山容を誇っている。…
…中央アルプスが北アルプスと南アルプスの中間的位置にあり,しかも地塁山脈であることは,展望をさまたげる前山がなく,北アルプス,南アルプスの山並みを一つの山頂から望むことができるため,登山,レクリエーション地としてすぐれた条件となっている。 山稜の連続性から,木曾山脈を北部(権兵衛峠以北)の経ヶ岳地区(断層地塊),中央部(権兵衛峠~清内路(せいないじ)峠)の駒ヶ岳地区,南部(清内路峠以南)の恵那山地区に区分できる。北部の経ヶ岳および南部の恵那山両地区の標高は,いずれも2300m以下である。…
※「駒ヶ岳」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
《〈和〉doctor+yellow》新幹線の区間を走行しながら線路状態などを点検する車両。監視カメラやレーザー式センサーを備え、時速250キロ以上で走行することができる。名称は、車体が黄色(イエロー)...
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