タイ

精選版 日本国語大辞典 「タイ」の意味・読み・例文・類語

タイ

〘名〙 (tie)
あめりか物語(1908)〈永井荷風〉雪のやどり「さて真黒な燕尾服(ドレッス)オペラハット、真白な襟飾(タイ)に真白な手袋
西洋音楽で、同じ高さの二音を結ぶ譜面上の弧線。この場合、二音を連続した一音として演奏することを示し、その結果、強拍弱拍の位置が入れかわるときは、シンコペーションを生じる。〔外来語辞典(1914)〕
運動競技得点が等しいこと。対戦者同士の得点が等しいこと。同点。また、記録が、過去の記録と等しいこと。〔モダン用語辞典(1930)〕
※自由と規律(1949)〈池田潔スポーツマンシップということ「第一日目に彼は百二十三点を獲得して、この大記録をタイした」

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デジタル大辞泉 「タイ」の意味・読み・例文・類語

タイ(tie)

ネクタイ。「アスコットタイ
競技試合などで、得点や記録が相手または他の競技者と同じであること。また、タイ記録のこと。「スコアタイに持ちこむ」 「一試合で自己最多タイの得点を挙げる」
楽譜で、同じ高さの二つの音符を結ぶ弧線。両音符は間に切れ目のない1音として演奏される。
[補説]2は、一般の順位づけや、結果としての数値についても用いられる。「興行収入1位タイ映画」「過去最多タイの入園者数」
[類語](1ネクタイ蝶ネクタイ

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百科事典マイペディア 「タイ」の意味・わかりやすい解説

タイ

◎正式名称−タイ王国Prathet Thai/Kingdom of Thailand。◎面積−51万3120km2。◎人口−6548万人(2010)。◎首都−バンコクBangkok(686万人,2006)。◎住民−タイ人80%,中国系12%,インド系,ベトナム人のほか,少数民族としてカレン人,ミヤオ人,ヤオ人など。◎宗教−仏教が大部分。◎言語−タイ語(公用語)が大部分,その他中国語など。◎通貨−バーツBaht。◎元首−国王,プーミポン・アドゥンヤデートBhumibol Adulyadej(1927年生れ,1946年6月即位)。◎首相−プラユットPrayuth Chan-o-cha(暫定,2014年9月発足)。◎憲法−1997年10月発効。2006年9月クーデタで停止。2007年8月新憲法発効。2014年5月クーデタで停止。◎国会−二院制。上院(定員150,公選77,任命73),下院(定員500,選挙区375,比例区125)。2014年2月の選挙は憲法裁判所の判決により無効。◎GDP−2607億ドル(2008)。◎1人当りGDP−2458ドル(2007)。◎農林・漁業就業者比率−54.1%(2003)。◎平均寿命−男65.4歳,女72.1歳(2007)。◎乳児死亡率−11‰(2010)。◎識字率−94%(2005)。    *    *旧名シャム。東南アジアの立憲王国。インドシナ半島中央部を占め,シャム湾に面する。中央部はチャオプラヤー(メナム)川の沖積平野,東部はコーラート高原で,北部はインドシナ山系に属する山地。ラオスとの国境をメコン川が流れる。最高峰はインタノン山(2595m)。ほぼ北緯5°〜20°の熱帯にあり,5〜10月が雨季,11〜4月が乾季。住民の大部分はタイ人で,ほかにマレー系,モン・クメール系の諸族および中国人が住む。経済の基盤は農業で,住民の半数が農業に従事する。メナム川の沖積平野などで米を主産,他にトウモロコシ,サトウキビ,ゴム,ジュートなども産する。森林は国土の約30%を占め,チーク材が重要な輸出品。スズ,鉄,タングステンなどの鉱産がある。スマトラ沖地震に伴う2004年12月の津波で,同国はリゾート地のプーケット島などで甚大な被害を受けた(死者約5300人,行方不明者約2800人)。〔歴史〕 タイ人の祖先は,紀元前には中国長江の上流域に居住していたといわれ,のちインドシナ半島に南下,13世紀にスコータイ朝を建てた。14世紀アユタヤ朝が成立,17世紀にポルトガル,フランスなどとの交渉が活発になり,日本の山田長政らも活躍した。1767年ビルマの侵入でアユタヤ朝は滅亡したが,1782年現在のラタナコーシン朝(チャクリ朝,バンコク朝)が成立した。19〜20世紀初め英国,フランスに東西から侵略され,国土の一部を失ったが,緩衝地帯として独立を維持した。1932年の立憲革命で絶対王政は終りを告げ,立憲王国へ移行した。しかし,こののち軍部は何度もクーデタを起こして独裁政治を行っており,民政の時代においても大きな影響力を保持している。なお元首はプーミポン国王で1946年即位,その在位期間は現在世界一である。外交は反共を基調としながらもASEAN諸国との連帯を強化しつつ,中国および日本との友好促進に努めてきた。1980年代後半に高度経済成長をとげ,外貨の流入もあって輸出志向型の繊維,食品,電子部品・電気製品,自動車などの製造業が発達。1990年代にはミャンマー,インドシナ3国に広がる〈バーツ経済圏〉が形成されたが,1997年のアジア通貨危機のなかでバーツは大幅に下落し,IMFの支援を受けるに至った。〔2000年以降〕 2001年1月の下院総選挙に勝利して政権に就いたタクシン首相(当時)は,国内需要喚起と外資誘致による輸出促進,大規模公共事業,社会保険制度改革,麻薬撲滅等の諸政策を大胆に実施。通貨危機の打撃で疲弊した経済を立て直し,タイ近代政治史上はじめて任期を全うした民選首相となった。他方,トップ・ダウンの意思決定の導入や,タクシン首相自身の強引な姿勢が伝統エリート層や保守層の反発を招き,職権濫用や汚職の噂もあって,2006年はじめからタクシン首相を糾弾する社会運動が拡大し,同年4月の選挙は,野党がボイコットする異例の事態となった。その後,憲法裁判所により選挙は違憲無効と判断され,選挙のやり直しが検討される中,2006年9月,ソンティ陸軍司令官(当時)を中心とする軍部によるクーデタでタクシン政権は崩壊した。2008年タクシン派の〈人民の力〉党のサマット,ソムチャーイが相次いで首相となったが,憲法裁判所が選挙違反を理由に同党の解党命令を出し,ソムチャーイは失職,12月に民主党のアビシットが首相に就任した。しかし,2009年4月にバンコクで開催された東南アジア諸国連合の首脳会議が,タクシン派団体の空港占拠などで中止に追い込まれるなど政治混乱が続いた。さらに,2010年3月,タクシン派は,議会の解散・総選挙を要求してバンコクで大規模な抗議集会を展開,市街の中心部を占拠,4月,アビシット首相は,バンコクとその周辺に非常事態を宣言,軍がデモ隊に発砲して,日本人ジャーナリストの死者を含む多数の死傷者を出す惨事となった。アビシットは,2010年5月陸軍部隊を投入し,多数の死傷者を出したが武力鎮圧しタクシン派による占拠の排除に成功した。〔インラック政権とその崩壊〕 2011年7月,国民議会の人民代表院選挙でタクシンの妹インラック・チナワットを首相候補とした野党タイ貢献党(〈人民の力〉党の後継組織,タクシン派)が勝利し,インラックがタイ初の女性首相として,8月第37代首相に就任。就任直後,チャオプラヤー川流域を中心にタイ北部から中部の大洪水に見舞われ,国民融和と貧困対策を掲げる政権に打撃となったが,インラックは内政重視の姿勢でリーダーシップを確立した。大洪水からの復旧・復興から,内需が牽引する形で経済活動は回復し,2012年は,6.5%の成長を記録。2013年は,自動車購入者への減税措置の終了に伴う反動や洪水からの復旧・復興投資の一巡で内需が低迷し,2.9%の成長に止まった。政権は経済を中心に積極的な外交に転じており,安定に向かっているとされていた。しかし2013年11月,与党タイ貢献党がタクシンを対象に含む恩赦法案を下院で強行採決し可決したのを機に,反タクシン派がインラック退陣を求めて攻勢を強め,政情は一気に不安定なものとなった。政府はバンコク全域に非常事態宣言を出す事態となった。インラックは下院を解散し2014年2月に総選挙の実施に踏み切ったが,3月タイ憲法裁判所は〈選挙が全国で一斉に施行できなかった〉〈選挙投票日から30日以内に議会を召集・開会できなかった〉として憲法違反を認め,選挙無効の決定を下した。5月7日,憲法裁判所は,公務員の人事異動を巡り,インラック首相の職権乱用を認定する判決を下し,同首相は失職。5月20日未明,プラユット陸軍司令官は全国に戒厳令を発令し,対立する陣営を集めた対話が軍主導で行われたが妥協に至らなかった。5月22日夕方,軍を中心とする〈国家平和秩序維持評議会〉(NCPO)が全統治権の掌握を宣言した。5月30日,NCPOは,第1期から第3期までの1年強からなる民政復帰に向けた〈ロードマップ〉を発表。翌6月27日,同ロードマップに基づき,7月中に暫定憲法を公布し,9月に立法会議及び暫定内閣を,10月に改革会議をそれぞれ立ち上げ,暫定憲法から約1年後となる2015年7月を目処に新憲法を公布し,さらに新憲法公布の3ヵ月後に議会選挙を実施して,2015年中に民政復帰する,という政治プロセスが発表された。〔カンボジアとの国境紛争〕 2008年,タイ・カンボジアの国境地帯にあるヒンズー寺院遺跡ブレアビヒア寺院が,カンボジアによって世界遺産に登録されたのを機に,タイは軍隊を派遣,カンボジアも軍を送り対峙する事態となり,2011年2月両軍の間で軍事衝突に発展,数千人が避難民となり,民間人を含めた死傷者が出た。事態はいったん沈静化したかにみえたが,2011年4月,再び大規模な武力衝突が発生した。2011年9月にインラック首相がカンボジアを訪問し紛争解決の交渉が進められ,領土問題は両国の外相をトップとする合同委員会の枠組みで対応することで合意が成立した。この国境紛争を巡り,2013年11月国際司法裁判所(ICJ,オランダ・ハーグ)はプレアビヒア寺院とその一部の近接する土地についてカンボジアへの帰属を認める判決を提示した。2013年判決は,この問題で1962年に出された前回判決をほぼ踏襲する内容で,両国が求めていた明確な国境線については,改めて判断を示すことを避けている。ICJに提訴された領土紛争では従来帰属に関する明確な判断が示されているが,この判断では両国が対話で国境紛争を収める余地が残されることとなった。1958年に寺院の帰属についてカンボジアがICJに提訴し,1962年に〈寺院はカンボジア領〉とする判決が出て確定,両国とも受け入れるという経過がある。判決は上訴できないため2011年カンボジアが,1962年判決で判断を示されなかった寺院周辺の4.6km2の土地について,同判決の〈解釈〉を求めて司法裁判所に提訴していたのである。2013年判決は,1962年判決が認定した内容を再確認し,係争地のうち1962年判決が認めた寺院と周辺の限られた土地について改めてカンボジア領と認定した一方,同寺院の北西側にある丘陵地の頂の部分は1962年判決で〈係争地になっていない〉とし,明確な線引きを示さなかった。そのうえで2013年判決は,寺院が宗教的・文化的に重要な場所で世界遺産にも登録されていると指摘,〈両国が協力し遺産を保護しなければならない〉として紛争の政治的な解決を促した。この判決を受けて,両国政府はともにこれを〈満足できる判決〉と受け入れ表明し,以後話し合いで解決をめざすと確認している。
→関連項目経済連携協定チュラロンコン東南アジア

タイ

音楽の記号。同じ音高(音の高さ)の2つの音符をつないで,その合計の音価(音の長さ)をもつ1つの音として演奏することを示す弧線。スラーとは異なる。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「タイ」の意味・わかりやすい解説

タイ
Thailand

正式名称 タイ王国 Ratcha Anachak Thai。
面積 51万3120km2
人口 6687万3000(2021推計)。
首都 バンコククルンテープ)。

インドシナ半島の中央部にある立憲君主制の国。大部分が熱帯サバナ気候で,雨季(5~10月)と乾季の降水量の差が大きい。マレー半島にある南部は熱帯雨林気候。地形はほぼ 4地域に大別される。中心をなすのはチャオプラヤー川沖積平野で,中央タイと呼ばれ,肥沃な土壌と網目状の河川,運河により穀倉地帯をなす。北タイは,その北方にある山地で,チャオプラヤー川の上流をなす諸河川の谷や盆地で農業が行なわれ,もち米,トウモロコシ,綿花が主産物。チーク材(→チーク)の切り出しが盛んであったが,環境保護のため伐採および輸出が禁止された。東北タイは中央平野の東方にあるコラート高原を占め,ジュート,ケナフなど繊維作物の栽培と牧畜が盛ん。南タイはマレー半島部で,天然ゴム,スズの産地。漁業は沿岸,淡水ともに盛ん。年降水量は西海岸で 4000mm。工業は 1970年代以降それまでの米,野菜,ゴム,トウモロコシなどの 1次産品の輸出に加えて,衣類,機械類など工業製品の輸出の比重が高まった。輸入も消費財が減り,工業生産用の原材料,原油などが増加した。農業も灌漑面積の拡張や品種改良により生産が増大している。1980年代後半から外国の投資が増加し急速な経済発展を遂げたが,その後バブル経済の様相を呈し,1997年の変動為替相場制度への移行を契機に通貨が大幅に下落,経済危機を迎えた(→アジア通貨危機)。住民はシャム族ラオ族を主体として人種的,文化的に一体化が進んでおり,タイ語を用いる仏教徒が大部分。中国人はおもに都市に住んで経済的に大きな力をもち,南部にはイスラム教徒のマレー人も多い。東南アジア諸国連合 ASEAN原加盟国。(→タイ史

タイ
Tye, Christopher

[生]1500頃
[没]1573
イギリスの作曲家。 1511年頃ケンブリッジ大学,キングズ・カレッジの聖歌隊の一員であったと思われる。 36年ケンブリッジ大学音楽学士号を取得。 41年または 42年イーリー大聖堂の合唱長に就任。 45年音楽博士号をとり,48年にはオックスフォード大学の音楽博士となった。その間エドワード6世の皇太子時代の音楽教師もつとめた。イギリスの教会がローマ・カトリックからアングリカン・チャーチに移行した時代の重要な作曲家で,作品は4声部の『使徒行伝による聖歌集』 Acts of the Apostles (1553) ほか,モテト,アンセムなど多数ある。

タイ

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食の医学館 「タイ」の解説

タイ

《栄養と働き》


 姿・色・味がよく、長寿であること、多産であること、また「めでたい」の語呂あわせから、日本の祝い事には欠かせない高級魚です。
 日本周辺でとれるタイはマダイ、チダイ、キダイ、クロダイ、ヘダイ、ヒロコダイなどがありますが、ふつうタイといえばマダイを指します。
 近年は世界各地のタイが市場に出回っています。また養殖ものも多く、天然ものに出会う機会はそう多くないのが現状です。
○栄養成分としての働き
 マダイはタイの仲間では最大級の種類で、まさに王様。脂質が少なく栄養価の高いたんぱく質を含み、消化吸収がよいので、高齢者や離乳食の子ども、生活習慣病、胃弱、肥満、糖尿病、心臓病などの人に最適です。
〈各種ビタミン、ミネラルが疲労回復、美肌に働く〉
 ビタミン、ミネラルも含まれます。ビタミンB1は、糖質の代謝を促進し、エネルギーにかえ、食欲を増進します。疲労感がぬぐえない人や食欲不振になったり夏負けしやすい人は積極的に摂取したいビタミンです。ナイアシンは、胃腸の働きをよくしたり、血行をよくします。皮膚の弱い人、胃腸障害のある人、二日酔いの人、手足が冷える人にはおすすめです。
 B2は、過酸化脂質の害から体をまもり、動脈硬化、脳卒中(のうそっちゅう)などの生活習慣病を予防するほか、口内炎(こうないえん)や目の充血、肌荒れなどのトラブルも緩和します。カリウムは、ナトリウムとともに水分を引きつけて細胞の浸透圧を維持するとともに、ナトリウムによる血圧上昇を制御します。また筋肉の収縮を円滑にする働きがあります。調理のときに薄味に仕上げないと、カリウムをとる意味がないので、減塩を心がけなければいけない人は、刺身などもポン酢で食べるといいでしょう。
 ほかに、タウリンも豊富に含みます。タウリンは、疲労をやわらげるとともに、脳神経の賦活(ふかつ)作用や視力の回復、肝臓病の予防に効果的です。
 なお養殖のタイには、ビタミンEも多く含まれています。
○注意すべきこと
 まれに、アニサキスの幼虫が寄生していることがあります。また、体調が悪いときは、刺身で食したり、多食するのを避けるよう心がけてください。

《調理のポイント》


 タイの旬(しゅん)は、種類によって異なります。マダイは秋から冬、クロダイやチダイは夏です。
 マダイは、体が赤~桃色で腹部が銀白色、目の上が青色で、尾びれのうしろの縁の部分が黒く、身のひきしまったものが極上もの。養殖ものは、体の色が黒ずみ、尾びれの真ん中が折れています。輸入ものは、体が少し細めで体の色つやがよく、目の大きいのが特徴です。
 タイはうまみ成分のイノシン酸が分解されにくいので、鮮度が落ちても味が落ちません。そのため「腐ってもタイ」といわれますが、細菌は繁殖するので、鮮度が落ちたものは火をとおしたほうがいいでしょう。
 調理は、刺身にするのが最高の食べ方ですが、塩焼き、昆布じめ、ちり鍋にしてもおいしくいただけますし、頭はかぶと焼き、かぶと煮、アラはあら炊きとして用いられます。

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栄養・生化学辞典 「タイ」の解説

タイ

 スズキ目タイ科の重要な食用海産魚.マダイ(Japanese red sea bream, porgy)[Pagrus major],チダイ(crimson sea bream)[Evynnis japonica],ヒレコダイ(cardinal sea bream)[Evynnis cardinalis],キダイ(yellow sea bream)[Dentex tumifrons],クロダイ(black sea bream)[Acanthopagrus schlegeli],ヘダイ(silver bream, tarwhine)[Sparus sarba],キチヌ(yellowfin sea bream)[Acanthopagrus latus].また,スズキ目イシダイ科の海産魚,イシダイ(striped breakperch, rock bream, knifejaw, parrotfish)[Oplegnathus fasciatus],イシガキダイ(spotted parrotfish)[Oplegnathus punctatus]などがある.

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「タイ」の解説

タイ

インドシナ半島中央部に位置する国。13~14世紀以降,シャム族(タイ人)のスコータイ朝・アユタヤ朝が繁栄した。1939年伝統的国名シャムをタイに変更。漢字表記は泰,日本では暹羅(シャム)の名で知られた。17世紀には多くの朱印船が渡航,王都アユタヤには日本町が成立。鹿皮・蘇木などが輸入された。1898年(明治31)修好通商航海条約を締結。明治期には安井てつが皇后女学校の創設に,政尾(まさお)藤吉らは刑法典編纂に協力した。太平洋戦争開戦翌年の1月,日本に協力して英米に宣戦を布告したが,戦後その無効を宣言。懸案の特別円問題が処理されると日本資本が急激に進出したため,一時期反日気運の高まりを招いたが鎮静した。その後日本との経済的関係はいっそう深まりをみせている。正式国名はタイ王国。立憲君主制。首都バンコク。

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旺文社世界史事典 三訂版 「タイ」の解説

タイ
Thai

インドシナ半島のほぼ中央部を占める王国。旧称シャム。首都バンコク
19世紀欧米諸国のアジア進出の状況の中で,イギリス・フランス両国の緩衝地帯となり,植民地化をまぬかれた。1932年人民党により無血革命が成功し,立憲君主国となり(タイ立憲革命),39年国名をシャムからタイとし,45年シャムに戻したが,49年には再びタイに改めた。第二次世界大戦後は武断派と文治派との抗争がくり返されたが,1959年のクーデタで武断派が政権を握った。しかし,軍事政権の弾圧政策に学生・民衆の不満が高まり,1973年10月にはタノム内閣を総辞職に追い込み,民主化への道を開いたが,76年軍部のクーデタで右派内閣に交代した。以後も軍部の政治介入と政治の民主化をめぐる動きが繰り返されている。

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世界大百科事典 第2版 「タイ」の意味・わかりやすい解説

タイ【Thailand】

正式名称=タイ王国Prathet Thai∥Kingdom of Thailand面積=51万3115km2人口(1996)=6000万人首都=バンコクBangkok(日本との時差=-2時間)主要言語=タイ語通貨=バーツBaht東南アジアの大陸部中央に位置する立憲君主制の独立国。1939年まではシャムSiamと呼ばれていた。国土はタイ(シャム)湾とアンダマン海に面し,東はメコン川を隔ててラオスと,南東はカンボジアと接している。

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