(読み)スミ

デジタル大辞泉 「墨」の意味・読み・例文・類語

すみ【墨】

油煙松煙しょうえんにかわで練り固めたもの。また、それを水とともにすずりですりおろしてつくった黒色の液。書画を書くのに用いる。
顔料などを固めて作り、硯などですって絵などを描くのに用いるもの。青墨あおずみ朱墨しゅずみなど。
物を燃やしたときに出るすす。「鍋底なべぞこ
イカやタコの体内にある黒い液。「イカがを吐く」
墨染め」の略。「ころも
墨糸」「墨縄」の略。
[下接語]烏賊いかの墨から下げ墨する(ずみ)あい青墨赤墨油墨入れ墨薄墨臙脂えんじ切り墨靴墨渋墨朱墨白墨釣り鐘墨中墨なべ奈良墨はいまゆ油煙墨
[類語]真っ黒いか黒い黒い黒黒黒ずむどす黒い浅黒い色黒真っ黒け真っ黒黒っぽい漆黒黒み黒色こくしょく墨色赤黒い青黒い黒む純黒直黒ひたぐろ鉄色煤色すすいろ烏羽からすばからすの濡れ羽色がんぐろ薄黒い黒変黒ばむ真っ暗暗闇真っ暗闇暗黒ブラックダーク

ぼく【墨】[漢字項目]

常用漢字] [音]ボク(漢) [訓]すみ
〈ボク〉
書画に用いる黒の顔料。すみ。「墨痕ぼっこん墨汁墨跡翰墨かんぼく古墨筆墨文墨水墨画
すみで書いたもの。「遺墨・断簡零墨」
ものを書く道具。「白墨
いれずみ。いれずみの刑。「墨刑
大工道具の一。すみなわ。「縄墨
中国古代の思想家、墨子ぼくし。「墨家墨守
隅田川のこと。「墨水墨堤墨東
メキシコ。「日墨米墨戦争
〈すみ(ずみ)〉「墨絵薄墨靴墨朱墨しゅずみ眉墨まゆずみ
[難読]墨西哥メキシコ

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精選版 日本国語大辞典 「墨」の意味・読み・例文・類語

すみ【墨】

  1. 〘 名詞 〙
  2. 毛筆で書画を書くのに用いる文房具なたね油や松根を燃やしてできた良質の油煙をにかわで練って、これに香料などを加えて型に入れて長方形に固めたもの。これを硯(すずり)ですって水にとかして使う。上代では黒土を材料とし、その後は黒灰を用いた。
    1. [初出の実例]「墨一百十四廷 中品二廷 下品百十二廷已上買」(出典:正倉院文書‐天平宝字五年(761)造法華寺金堂所解)
    2. 「女房二三人ばかりすみなどすらせ給て」(出典:源氏物語(1001‐14頃)梅枝)
  3. 絵の具を固めて作り、墨のように硯ですって使うようにしたもの。朱墨、藍墨など。
    1. [初出の実例]「即ち、金の墨(スミ)を以て書(か)いて大法興寺の丈六の仏に献る」(出典:日本書紀(720)皇極三年六月(北野本訓))
  4. の汁(しる)
    1. [初出の実例]「わが耳は 御墨(みすみ)の壺 わが目らは 真澄の鏡」(出典:万葉集(8C後)一六・三八八五)
    2. 「物語・集など書き写すに、本にすみつけぬ」(出典:枕草子(10C終)七五)
  5. イカ、タコ類の体内にある黒い液。
    1. [初出の実例]「烏賊の墨ながるる小家の節句哉」(出典:俳諧・暁台句集(1809)春)
  6. 物を燃やした時に出る黒いすす。
    1. [初出の実例]「賓頭盧の前なる鉢の、ひた黒にすみつきたるをとりて」(出典:竹取物語(9C末‐10C初))
  7. 黒い色。すみいろ。
    1. [初出の実例]「王、三日を経て、墨の如くにして卒(みまか)りぬ」(出典:日本霊異記(810‐824)中)
  8. すみぞめ(墨染)」の略。
  9. すみなわ(墨縄)」、「すみいと(墨糸)」の略。
    1. [初出の実例]「柱も本の礎盤に、墨もちがはず立る也」(出典:蓬左文庫本江湖風月集抄(1558‐91)下)
  10. 和歌などの評。→墨(すみ)を付く

ぼく【墨】

  1. 〘 名詞 〙
  2. 字や絵を書くための黒色の顔料。すみ。〔和英語林集成(初版)(1867)〕 〔説文解字‐一三篇下・土部〕
  3. 墨子(ぼくし)の学説を奉ずる先秦の一派。墨家。〔孟子‐滕文公・下〕
  4. ぼっけい(墨刑)」の略。〔日葡辞書(1603‐04)〕 〔周礼‐秋官・司刑〕
  5. 「メキシコ」にあてた「墨西哥」の略。

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普及版 字通 「墨」の読み・字形・画数・意味


常用漢字 14画

(旧字)
人名用漢字 15画

[字音] ボク・モク
[字訓] すみ・くろい・いれずみ・すみなわ

[説文解字]
[金文]
[その他]

[字形] 会意
(黒)(こく)+土。〔説文〕十三下に「書するなり」とあり、書写に用いる墨をいう。甲骨文に墨書のあとを存するものがある。また契刻の前に墨書したらしく、縦画あるいは横画を刻りもらしている例がある。は火を燻らして、(ふくろ)の中に煤(すす)をとる形。それに土を加えて固型として用いた。詩文書画のすべてを含めて文墨といい、その人を墨客という。

[訓義]
1. すみ、するすみ。
2. くろい、くろずむ、いれずみ。
3. けがれる。
4. すみなわ。
5. (もく)・黙と通じ、だまる。
6. 冒と通じ、おかす、よこしま。

[古辞書の訓]
和名抄 須美(すみ) 〔名義抄 スミ 〔字鏡集〕 スミ・スリスミ

[語系]
mk、xkは畳韻の語。声の字がすべて声であることからいえば、にその声があったのであろう。煤mu、黴miも声義に通ずるところがあり、黴(ばい)は〔説文〕十上に「久雨に中(あた)りてきなり」とみえる。

[熟語]
・墨衣・墨烟・墨家・墨娥・墨海・墨丸・墨器・墨戯・墨義・墨客・墨魚・墨君・墨刑・墨啓・墨経・墨・墨黥・墨研・墨工・墨刻・墨黒・墨痕・墨彩・墨・墨罪・墨士・墨旨・墨歯・墨漆・墨守・墨綬・墨汁・墨書・墨詔・墨蹤・墨丈・墨帖・墨場・墨色・墨瀋・墨水・墨井・墨生・墨迹・墨跡・墨蹟・墨洗・墨選・墨荘・墨池・墨痴・墨竹・墨豬・墨勅・墨・墨涅・墨突・墨敗・墨罰・墨板・墨辟・墨癖・墨弁・墨宝・墨法・墨・墨墨・墨本・墨妙・墨蘭・墨吏
[下接語]
遺墨・煙墨・佳墨・華墨・灰墨・墨・寄墨・揮墨・墨・旧墨・狂墨・刑墨・研墨・硯墨・玄墨・古墨・枯墨・香墨・黄墨・毫墨・墨・残墨・紙墨・緇墨・漆墨・手墨・朱墨・囚墨・松墨・帖墨・縄墨・深墨・慎墨・水墨・翠墨・酔墨・尺墨・石墨・染墨・黛墨・題墨・淡墨・沈墨・泥墨・涅墨・刀墨・濃墨・破墨・白墨・墨・飛墨・筆墨・粉墨・文墨・芳墨・宝墨・磨墨・名墨・幽墨・落墨・零墨・老墨・弄墨・陋墨

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改訂新版 世界大百科事典 「墨」の意味・わかりやすい解説

墨 (すみ)

松や植物油などを燃やして得た煤(すす)と膠(にかわ)を主な材料とし,これに香料や若干の薬剤を加えて練り固めた文房具。材料によって松煙墨,油煙墨,工業煙墨に大別され,形は円形,方形,楕円形,小判形,円柱,角柱,長方形,多角形から,人形,魚形,琴形,扇面形など,自然や器物に模してさまざまなものがあり,その面には墨名,詩,賛やさまざまな図形が配される。

後漢の許慎の《説文解字》には,〈墨は書する墨なり。土,黒に从(したが)う〉とあり,黒の字については,〈火の燻(ふす)べる所の色なり〉とし,炎とけむり出しにたまった煤を表すと説明されている。

 最初はおそらく木炭,煤煙,天然の石炭などをすりつぶし,膠や漆をまぜて使ったと想像される。新石器時代の彩陶の文様に黒色の顔料の用いられている例があり,墨か絵具か明らかでないが,原始的な墨,またはそれに類した顔料の存在を想定することができる。殷代の甲骨文には朱書したものがあり,また陶片に墨書したものも知られている。戦国から秦代になると,墨書した竹簡,木簡その他の器物は,近年ますます多く発掘されているが,秦代以前の墨の実物は今のところまだ見つかっていない。湖北省江陵県鳳凰山の漢墓から,筆,筆筒,円石硯,硯石などとともに砕けて瓜の種子のようになった墨が出土したが,前2世紀中葉のものとされ,これが今日実物によって確認できる最古の墨である。漢代になると,松を燃やして煤煙を採り,これに膠などの煤剤を加えて,丸状に練り固めた墨が作られるようになった。硯の上にこれを置き,上から硯石ですりつぶして墨液を作ったものと想像される。宋の晁説之(ちようえつし)の《墨経》に,〈古は松煙(松からとった煤),石墨(石炭の粉末か)の二種を用う。石墨は晋魏自(よ)り以後聞く無きも,松煙の製は尚(ひさ)し。漢は扶風・隃麋(ゆび)・終南山(ともに陝西省)の松を貴ぶ〉という。

 後漢から魏・晋になって,固形の松煙墨が普及すると,墨丸をすりつぶすための硯石は姿を消した。近年,南京郊外の人台山で東晋の王羲之のいとこ王興之や顔氏の墓が発掘され,陶硯,瓷硯,石硯などとともに墨も出土したと伝えられるが,どのようなものかまだ明らかにされていない。晋代では九江,廬山(ともに江西省)の松をたっとんだ。唐代の墨は,日本の正倉院に伝存し,大きな船形をなしていて,裏面に開元4年(716)の年号が朱書されている。ほかに同形の新羅墨も正倉院に秘蔵されている。唐代では易州(えきしゆう)(河北省),潞州(山西省)の松心(松の木のしん)が珍重された。易州すなわち今の河北省易県のあたりは,唐代製墨の中心地で,易水の墨匠の多くは,907年(天祐4)に唐が滅ぶと,五代南唐治下の歙州(しようしゆう)/(きゆうじゆう)(安徽省)に移住し,製墨に励んだ。その中の傑出した名工が,奚超(けいちよう)とその子奚廷珪(けいていけい)である。奚超は南唐の後主李煜(りいく)の愛顧を得て,李姓を賜り,墨務官に任命された。李廷珪はよく父の業を受け継いでさらに発展させ,徽墨の名で呼ばれる安徽墨業の基礎を築いた。李氏のほかには,耿(こう)氏,盛氏などが墨匠として名高い。

 宋は南唐を滅ぼすと,李氏,耿氏らの墨を都の汴京(べんけい)(開封)に持ち帰った。太宗が王著に命じて刻させた《淳化閣帖》も澄心堂紙,李廷珪墨を用いて拓されたという。北宋の書の四大家,蔡襄(さいじよう),蘇軾(そしよく),黄庭堅,米芾(べいふつ)らによって名墨愛好の趣味はますます高められ,蘇軾などはみずから製墨を試みたほどである。北宋末のころから,植物性の油を燃やして得た煙煤を利用する油煙墨が作られるようになった。当時の墨匠としては,潘谷,潘衡,蘇澥,晁貫之(ちようかんし),沈珪(しんけい)などが知られ,南宋には戴彦衡,胡景純,蒲大韶,王湍(おうたん)らの名が伝えられている。金・元時代の墨業はあまり明らかでないが,墨匠として,金に劉法,楊文秀があり,元では朱万初が出た。近年,元代の古墓から円形墨が出土し,中国に現存する古墨の優品として注目されている。

 明代は製墨史上の黄金時代で,とくに万暦時代(1573-1619)には,美術工芸が著しい発達を遂げ,墨も油煙墨に多くの逸品が作られた。墨匠では程君房,方于魯(ほううろ)が最も名高く,羅小華,汪中山らが出た。方于魯は自作の墨の図録すなわち墨譜として《方氏墨譜》を刊行し,程君房も《程氏墨苑》を著した。彼らの墨には,しばしば丁雲鵬,呉廷ら著名な画家が下絵を描いている。清初の墨業は明代の延長であったが,康煕(1662-1722)末から曹氏が台頭し,特に初代曹素功の名が最もよく知られている。乾隆時代(1736-95)には,乾隆帝の文墨趣味の一環として,精巧な乾隆御墨が汪近聖やその子汪惟高らによって作られ,今日なお書画家,好事家の間で賞美されている。ほかに汪節庵,胡開文らが墨匠として活躍した。嘉慶年間(1796-1820)になると,精彩はやや衰えるが,それでも嘉慶墨とよばれる一種の新しい型を作り出した。中華民国以後は曹氏と胡氏がもっぱら市場を占有したが,文化大革命で一時上海墨厰に統合され,その後また文化大革命前の形にもどりつつある。ただ近年は,鉱物性の煤を使う大量生産が主流であり,精品は少なくなった。

 なお墨は元来実用の具であり,消耗品ではあるが,一面ではその形状,色沢,芳香などを賞美する趣味が五代ごろから起こり,明・清に至って多くの愛墨家が輩出している。

日本における製墨の起源については,《日本書紀》推古18年(610)春3月条に,高麗(こま)(高句麗)の僧曇徴(どんちよう)が入朝し,製紙・製墨の法を伝えたという記事が最も古い。しかし,古墳時代の壁画に黒,朱,緑,黄などの彩色がすでに用いられているので,墨は相当早い時期に中国または朝鮮から輸入されていたと想像される。大宝令によると,中務(なかつかさ)省の図書寮に造墨手4人を置いたとあり,《延喜式》の図書寮の項には,墨の生産量,墨官,配分について規定し,東西市司の項には墨店,筆店の名が記されているので,当時官営のほかに民間でも墨が製造され,販売されていたことがわかる。古代における製墨の中心地は,都の奈良,京都であったが,《延喜式》の民都の項には,丹波国は200挺(ちよう),播磨国は350挺,九州の大宰府は450挺を年貢とするとあり,これらの地方でもしだいに製墨が行われるようになったことを示している。鎌倉・南北朝時代には,紀伊国の藤代(ふじしろ),近江国の武佐(むさ),丹波国の柏原(かしばら),淡路島などで製墨が行われた。これらはみな松煙墨であるが,油煙墨の製法も鎌倉時代にはすでに伝えられていたと思われる。江戸時代には,諸国の大名や豪商などが装飾としての文房具に関心をもち,長崎を通じて輸入される唐墨が彼らの間でもてはやされた。一方,和墨の生産地としては奈良が栄え,紀伊の藤白(古名は藤代),尾張の東秀園などでも精妙な墨が作られ,今日江戸古墨として賞美されている。墨に関する著録としては,奈良の古梅園六代松井元泰の《古梅園墨談》《古梅園墨譜》《大墨鴻壺集》,藤原守美の《桂花園墨譜》などが刊行された。江戸末期から京都の鳩居堂が台頭し,鳩居堂銘の墨が出回るようになった。しかし近年の墨業は一般に鉱物性の煙煤による大量生産の形態をとることが多く,墨匠の技芸に頼るよりは,むしろ科学的合理的な製墨法が行われ,さらに墨液,練り墨が普及している。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「墨」の意味・わかりやすい解説


すみ

書写のための液をつくる黒色の固型体。硯(すずり)ですって用いる。文房四宝の一つ。墨という字は黒と土との合字で、中国では昔、天然に産出する石墨(せきぼく)(黒鉛)の粉末に漆(うるし)を混ぜて用いた。和訓の「すみ」は「染み」の転訛(てんか)とも、漢時代に名墨を産した陝西(せんせい)省の隃麋(ゆび)の転訛ともいわれる。

[植村和堂]

中国の墨(唐墨)

J・アンダーソンの発掘した新石器時代の土器や殷(いん)代の甲骨、陶片に墨書したものがあり、木簡や帛(はく)にも墨が用いられているが、古代の墨がどのようなものであったかは判明していない。現在のように膠(にかわ)を用いて炭素の粉末を固めたのは漢代になってからである。『漢書(かんじょ)』に「尚書令墨丞郎(ぼくじょうろう)。月に大墨一枚、小墨一枚を賜う」とあり、また『東宮故事』に「皇太子初めて拝するや、香墨四丸を給せらる」とあることから、当時すでに固型の墨があり、丸い形か板状のものであったと推察される。宋(そう)の晁以道(ちょういとう)の『墨経(ぼくけい)』には「松煙の製(せい)や久し。漢に扶風(ふふう)、隃麋。終南山の松を貴ぶ」とあることから推して、漢代では松を燃してその煙からとった炭素を用いた松煙墨(しょうえんぼく)が石墨とともに用いられていたことがわかる。

 晩唐時代には李(り)超、李廷珪(ていけい)といった墨匠の名が伝えられ、わが国の正倉院には唐代の松煙墨が収められている。このころからしだいに、桐油(とうゆ)からとった油煙墨(ゆえんぼく)もつくられ始めた。明(みん)時代は造墨の盛んなときで、上質の墨が多数つくられた。清(しん)朝に入って墨の質は低下したが、乾隆(けんりゅう)年間にはふたたび隆盛期を迎えた。清代の代表的な墨匠に程君房(ていくんぼう)、曹素功(そうそこう)、胡開文(こかいもん)があり、明治初期からわが国にも大量に輸入されて、唐墨とよばれて当時の文人に用いられた。

[植村和堂]

日本の墨(和墨)

中国製の墨を唐墨というのに対し、日本の墨を和墨という。『日本書紀』巻20に「推古(すいこ)天皇18年春3月、高麗(こま)王、僧曇徴(どんちょう)を貢上す。曇徴よく紙墨を作る」とあるが、実際にはそれ以前に製墨法が伝来したと思われる。平安初期の『延喜式(えんぎしき)』には油煙による造墨法が記され、造墨長1人が4人の造墨手を使い、長さ五寸幅八分の墨を年間四百挺(ちょう)生産したとある。『古今著聞集(ここんちょもんじゅう)』巻三に後白河(ごしらかわ)法皇熊野詣(もう)でのおりに、紀州藤代(ふじしろ)の宿において松煙が献上され試用された記事がみえるが、これは和墨に関する唯一の文献とされている。

[植村和堂]

墨の種類

松煙墨と油煙墨がある。松煙は墨の異名として昔から用いられたように、中国では古くからつくられ、老松の枝または根を燃焼し、その煙からとった煤煙を膠で練る。松煙墨の墨液は濃いときは純黒だが、薄めて淡くすると青みを帯びる。とくに青色の強いものを青墨(せいぼく)とよぶ。松煙墨の粒子は油煙墨よりやや粗く、硯面への当たりはややざらついている。淡墨にした場合、線の重なりぐあいが明瞭(めいりょう)なものを良墨とする。淡墨にすればにじみが出、墨色の美しさを増す。油煙墨は桐油、ごま油菜種油などの植物性油を用いる。墨液は褐色を含んだ黒色で、すると水に石油を浮かしたような美しい色をたたえる。良質の油煙墨は黒紫色の光沢があり、紙への浸透力がよく、硯面への当たりが滑らかである。このように松煙墨は淡墨にしたときもっともその墨彩が豊かで、油煙墨は濃墨にしたときその光沢を発揮する。

 このほか和墨・唐墨とも中級以下の品には多く鉱物性炭素のカーボンブラックを用いており、黒い輝きはなく、墨色もよくない。

[植村和堂]

墨の用途と用法

墨は古代、竹簡や帛にも用いられ、紙の出現によって、書に欠かせない用具となったが、こうした筆記以外では、唐代から拓本をとるのにも用いられている。

 日本の墨は主として油煙墨であるが、平安時代に仮名書きの料紙の地模様に墨流しが使われた。これは、水面に墨滴を垂らして、広がった墨面を紙にすくって定着させる方法で、偶然性とデコラティブな効果をねらったものである。昭和の初めごろに墨象(ぼくしょう)とよばれる前衛書道がおこって、それまでの書にはみられなかった超濃墨や淡墨、にじみなどを利用してアブストラクトな造型美を表現するようになった。また染色や版画など、書以外の美術でも墨のもつモノクロームの色彩効果が注目されている。

 墨をするときは硯の墨堂(墨をするところ)に水滴で少しずつ水を注ぎ、すった墨汁を墨池にためる。墨池に水を入れて、墨で引き上げながらするのはよくない。墨は45度に硯面に当たるようにして軟らかにゆっくりする。墨をすったまま墨堂に立てておくと、よい硯ほど密着して、無理にとると穴があくことがある。すり終わったらただちに紙か布で墨のぬれた面をぬぐう。とくに唐墨はぬれたままにしておくとひび割れが生ずることがある。

[植村和堂]

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色名がわかる辞典 「墨」の解説

すみ【墨】

色名の一つ。JISの色彩規格では「」としている。一般に、マツ科マツなどの木材を燃やした煤すすニカワで練ってかためた墨の濃い色。「墨のようい黒い」と形容されるように、イメージとしては黒。古くから顔料として用いられていた。ただし、実際の墨の色は多彩で、明るい灰色から黒に近い色まで無限にあるといっても言い過ぎではない。また墨の色に布地を染める場合はつるばみなどの染料を使ったとされる。「橡」とはブナ科クヌギの古名で、その実のドングリを古来から染色に用いてきた。媒染によって色が異なり、鉄を使うとみがかった黒となる。その色は黒橡くろつるばみともいう。

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百科事典マイペディア 「墨」の意味・わかりやすい解説

墨【すみ】

黒色の塗料で,筆,硯(すずり),紙とともに文房四宝の一つ。マツや植物油(キリ油やゴマ油等)を燃やしてすすをとり,これに膠(にかわ)汁を混ぜて練ったものを棒状にして乾燥させて作る。墨の使用は古く,中国では殷(いん)代の甲骨文に墨書した例があり,後漢ころから墨粉を膠で固めた墨が作られ,硯でするようになった。当初は松煙墨が用いられ,唐代のものが残っており,日本でも正倉院に開元4年(716年)銘のある松煙墨が残っている。油煙墨は宋代に始まり,日本では室町時代からといわれる。製墨地としては,中国では安徽地方,日本では奈良が名高い。なお注記や訂正に用いる朱墨は朱粉を膠で練り型に入れ固めたもの。→墨汁
→関連項目

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「墨」の意味・わかりやすい解説


すみ

文房具の一種。松煙,油煙などのすすを膠などで練り固めた書画用具。中国では,殷,周代の甲骨片に墨書が残されているが,実物は不明。前漢のものは,墨粉に膠汁を混ぜて石製磨墨具ですったものらしく,後漢になって固めた墨丸を使用するようになる。唐代には製墨法が進歩し名工を生んだ。日本では正倉院にこの時代のものが残っている。奈良が製墨地として最大であり,歴史も古い。

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デジタル大辞泉プラス 「墨」の解説

錦鯉の飼育用語のひとつ。大正三色や昭和三色に生じる黒い模様、またその色合いや出かたをさす。

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世界大百科事典(旧版)内のの言及

【刑罰】より

…それ以外にも家内に謹慎させる戸〆(とじめ),非人の身分に編入する非人手下(ひにんてか),女性に対する剃髪(ていはつ),女性に対する労役刑である(やつこ)刑,〈新吉原町へ取らせ遣わす〉という隠売女(かくしばいじよ)を吉原に下付して奴女郎にする刑等があった。(2)は入墨刑,(たたき)刑によって構成されている。幕府ははじめ耳そぎ,鼻そぎの刑を用いたが,1720年(享保5)将軍吉宗が明律の刺字(しじ)(顔面への入墨),中国法系の笞杖(ちじよう)刑を参照して入墨,敲刑に代え,窃盗罪,博奕罪の刑とした。…

【煤】より

…すすは化学的組成としては工業的製品であるカーボンブラックと変わることはないが,すすという語感にはそのような工業的製品と区別して,火のあるところに自然発生的に生じた黒い炭素微粒を指す場合が多い。しかし墨の原料としてすすは古くから使用され,墨以外にも黒色顔料としても種々な目的に使用されたと思われる。そのような目的のために,原料として樹脂分の多い松材や,ナタネ油など油類を煙室で不完全燃焼させてすすをつくる。…

【日本画】より

…古く中国から伝えられ,長い歴史の中で形成された絵画。膠(にかわ)を接着材として天然産の色料(近代以降,人造色料も現れた)や墨を用いて表現される。明治以後,西洋伝来の油絵具を使う油絵(洋画)と区別して,これに対して用いられた言葉である。…

※「墨」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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