松山(埼玉)(読み)まつやま

百科事典マイペディア 「松山(埼玉)」の意味・わかりやすい解説

松山(埼玉)【まつやま】

武蔵国比企(ひき)郡のほぼ中心部(現,埼玉県東松山市)。中世には松山本郷とよばれ,戦国期には街道の宿駅として,また松山城(現,同県吉見町)の城下として町場が形成された。近世にも日光脇往還などの宿場町として賑いをみせた。1409年の旦那売券に〈武蔵国松山内本郷〉とみえるのが早い例。戦国後期には後北条氏の領国となって松山衆が駐留した。このころ後北条氏や松山城主上田氏は本郷の市や,宿の伝馬・諸公事を免除するなど保護しており,松山宿とよばれたが,しだいに城下町的様相を強める。後北条氏滅亡後は徳川氏領となり,1590年松平(桜井)氏が松山城に封ぜられたが,1600年廃城。その後松山町は幕府領,旗本島田領,川越藩松平氏(1866年前橋に移封)領と変遷。宿場として本陣脇本陣が整備され,幕末には前橋藩の陣屋も置かれた。

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