〈さかな〉は中世以来の魚類を総称する語であるが,もとは〈うお〉もしくは〈いお〉と呼び,また,うろこのある点から〈いろくず〉〈うろくず〉とも総称した。魚類が酒席に添えられることが多いために,酒のな(菜)の意で〈さかな〉と称せられ,飲酒の副食物の代表となったと説明されている。なお,魚類の生物学的説明は,〈魚類(ぎよるい)〉の項を参照されたい。
魚と日本人
日本は四面を海に囲まれ内陸部にも河川湖沼が多かったから,魚類は種類も量も多く,その捕獲法も早くから発達している。また,魚類の名称も多様で土地ごとの方言も少なくないが,現在では東京魚市場で呼称するものを標準としている。したがって,文献にあらわれる古い名称は必ずしも現在のものを指すとは限らない。また漢字表記は中国の本草書からの転用が基本となっているが,それが指す魚の種類は中国と日本で異なる場合があり注意を要する。
魚類を大別すると淡水魚と海産魚となるが,サケ,マスのように両域にわたるものもあり,厳密なものではない。しかし,日本では古くから形や味のほか,中国文化の影響などによって淡水魚の最高なものとしてコイ,海産魚の最優なものをタイとし,それぞれ祝賀の際に用いるといった価値づけをしている。技術的に未発達で海上に遠方まで乗り出しえなかった古代の漁法では沖合の魚をとることは困難であったので,川魚のほうが相対的に多く利用されたらしく,文書・絵画などの記録にも淡水魚や沿岸の浅い海域に生息する魚類の名称や姿が多い。とくに京都の貴族たちに親しい魚は鮮魚としてはコイ,アユのような内陸産の魚が主であり,海産の魚は多く干魚か塩魚であった。たとえば《延喜式》や木簡にみえる貢納品としての魚の重要なものは,淡水産としてアユとサケ,それにフナであり,海産のカツオ,タイ,サバ,イワシである。これらは漁期には沿岸まで回遊する魚類として初期の漁船や漁法によっても,比較的容易に漁獲されたらしい。また,現代においても日本人の生活においてよく利用されている魚といえる。
日本では干魚よりも鮮魚を尊重し,ことに尾頭付きといって全形をそなえたものを喜び,切身をいやしむ風が強い。ことに吉事の際に縁起ものとして全形のものを望む。また,内陸部では海魚を田植,神祭などにぜひとも必要とする地方があり,その季節に魚行商が多く訪れるなど,経済活動にもかかわってくる。魚の行商は漁民の女性が多く頭などにいただいて行い(販女(ひさぎめ)),現代でも車や鉄道を利用して行われている場合もある。以前には掛売で海産物を農山村に運び,年末節季に米穀類と引き換える取引方法が行われた。また,奥地へは馬方・牛方によって塩魚や干魚として輸送され,ことに塩鰤(しおぶり),塩鯖(しおさば)の輸送にともなって牛方山姥譚などの昔話もはこばれている。これらの人々が言語,文化の伝播に果たした役割は大きい。魚が昔話や伝説の不可欠の構成要素とされているものに,助けた魚が女の姿となって女房になり幸運を与える〈魚女房〉,動物が尾で魚を釣ろうとして氷に閉じられしっぽを失う〈尻尾(しつぽ)の釣り〉などがあり,魚を捕らえて帰る途中で怪しいことが起こり復讐を受ける〈おとぼう淵〉〈よなたま〉などの伝説(〈物言う魚〉)は,魚が水の霊の仮の姿であるという信仰があったことを物語っている。淵の魚をとりつくす毒流し漁を準備しているとき,それを戒める旅僧に食物を与えたところ,獲物の大魚の腹からその食物が現れ,漁に参加した者がたたりを受けたという話(魚王行乞譚,〈物食う魚〉)もこの古い信仰の流れの末である。
仏教が魚類を食することを禁じたために,仏教の教義に服しない表現として魚類を口にする風が生じ,幼児の死者の再生を祈って棺内にイワシなどを納め,また葬儀の忌を終わるにあたって精進落しと称してことさらに魚味を口にする風習が行われる。僧侶に魚を口にさせて嘲る笑話や狂言も中世以来知られてきた。
魚の料理にはきわめて多く種類があり,昔からその研究も進んでいた。生食,焼魚,煮物,蒸物,汁などのほか,すりつぶして加工するはんぺん,かまぼこ,ちくわなどがある。魚のうちには霊力があって門口にかけ魔よけとするものもあり,祝宴に用いる魚料理の意味もそこから発したものと思われる。
魚はまた金肥以前の速効肥料として商品作物の栽培に多量に使用され,魚油を採ったあとの〆粕の需要が増し,イワシ,ニシンなどの回遊魚を地引網,揚繰網などでとるために大量の労力需要が発生し,近世における漁業発達の一要因となった。
→漁業
執筆者:千葉 徳爾
シンボリズム,民俗
魚は初期キリスト教美術および文学において,十字架や子羊や〈生命の樹〉などとともに,キリストの象徴として用いられた。とくに魚の図像は,古代ローマのカタコンベ(地下墓所)の壁画や地中海沿岸各地の石棺ないし墓碑の浮彫などに数多く発見され,最古のものは2世紀にさかのぼる。初期キリスト教徒が魚をキリストの象徴として使用したのは,ギリシア語で〈魚〉を意味する〈イクテュスichthys〉が,〈イエス・キリスト,神の子・救い主〉を意味するギリシア語〈Iēsous Christos,Theou Hyios Sōtēr〉の五つの頭文字の組合せと一致していることと関係があると説明されているが,歴史的な由来は定かではない。ただし,このイクテュスということばが,イエスに対する信仰の告白の一つの様式であったことは確かであり,この種の例は,初期キリスト教文学,たとえばエウセビオスの《コンスタンティヌス伝》やアウグスティヌスの《神の国》などにみることができる。しかし,魚は,古くから生命の豊饒,とりわけ海や川の幸の象徴として用いられてきたのであり,そのことは地中海世界やナイル川流域に限らず,広く世界の民俗学的事実として知られている。したがって,キリスト教象徴主義の影響は,魚を単に生命原理としてではなく,復活のイエスの象徴としてそこに新たな意味を添加した点に求められるべきであろう。魚と復活のキリストとの結合については,《ヨハネによる福音書》の21章に関連記事がある。それによると,イエスは十字架につけられたのち復活し,ガリラヤ湖で漁をしていた弟子たちに自身を顕現したのであるが,弟子たちが陸に上がってみると,炭火がおこしてあり,その上に魚とパンがのせてあったという。その魚をイエスは弟子たちに供したのである。復活のイエスと魚との図像的結合は,こうした物語伝承を背景に成立したということができる。また魚は,キリスト教典礼の一つである洗礼との関連においても用いられるが,これは暗黒の水中深く姿を隠し,再び水面にあらわれ出る魚類の生態にちなんで,暗い死の国から脱出し明るい復活の人生を歩もうとするキリスト教徒を意味している。最古の用例としては,テルトゥリアヌスの《洗礼論》があるが,同様の用例は,すでにアレクサンドリアのクレメンスの著作など初期キリスト教文学に見いだされる。こうした象徴法の起源については,バビロニアやナイル川流域の神話伝承の影響が濃厚であり,キリスト教が,そうした民族宗教の影響のもとに,一つの混交宗教として成立した歴史的状況を伝えている。
なお,欧米のキリスト教国,とりわけカトリック圏において,金曜日を〈魚の日Fish day〉と呼び,獣肉を断って,もっぱら魚肉を料理に用いる習慣があるが,これは金曜日がキリストの磔刑の忌日であり,断食日fast dayであったことと関連している。日本仏教では,断食日に相当する精進日は,魚肉をいっさい口にしない日として守られてきたが,キリスト教徒の場合は,獣肉は避けられねばならないが,むしろ魚肉は奨励されるのであり,そのために,木曜日は魚釣りの日として庶民の楽しみとなっている。ロンドンのフライデー・ストリートFriday Streetは,金曜日にここで魚を売ったことに由来して付けられた名称である。
執筆者:山形 孝夫