日本大百科全書(ニッポニカ) 「松山(宮城県)」の意味・わかりやすい解説
松山(宮城県)
まつやま
宮城県中部、志田郡(しだぐん)にあった旧町名(松山町(まち))。現在は大崎(おおさき)市の東南部を占める地域。1890年(明治23)町制施行。2006年(平成18)古川市(ふるかわし)、志田郡三本木町(さんぼんぎちょう)、鹿島台町(かしまだいまち)、玉造(たまつくり)郡岩出山町(いわでやままち)、鳴子町(なるこちょう)、遠田(とおだ)郡田尻町(たじりちょう)と合併して、大崎市となった。JR東北本線が通じる。旧町域の南部は丘陵、北部を鳴瀬(なるせ)川が流れる。1603年(慶長8)以後、仙台藩の重臣茂庭氏(もにわうじ)が幕末まで居住した。農業が主産業となっている。地場産業として酒造りが行われる。金谷亀井囲(かなやかめいがこい)横穴古墳群、中世末の山城(やまじろ)千石(せんごく)城跡、茂庭氏の上野館跡がある。
[後藤雄二]
『『松山郷土誌』(1958・松山町)』▽『『松山町史』(1980・松山町)』
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