デジタル大辞泉 「連」の意味・読み・例文・類語
れん【連】[漢字項目]
[学習漢字]4年
1 つながり続く。結びつなぐ。「連歌・
2 引き続いて。続けざま。「連休・連呼・連載・連日・連打・連敗・連夜/流連」
3 引きつれる。「連行・連立」
4 つれ。仲間。「連中/常連」
5 「連合」「連盟」などの略。「国連・労連・経団連」
[名のり]つぎ・つら・まさ・やす
[難読]



(ちやく)。車は輦(れん)、背に負うて荷を運ぶのに用いる。「おいこ」の類である。〔説文〕二下に「員
(ゑんれん)なり」とあり、〔段注〕に負車の意とし、「人、車を輓(ひ)いて行くに、車は後に在りて
ふが如きなり」とするが、
(負)とは負担することをいう。〔玉
〕に「
(れん)は
ぶなり」、〔広韻〕に「
は擔(にな)ひて物を
ぶなり」という。〔詩、小雅、黍苗〕「我が任、我が輦」とは、負連をいう。〔詩、大雅、生民〕に「是れ任、是れ
」とあるのも同じ。〔淮南子、人間訓〕「粟を
輦して至る」のように、畚
(ほんきよく)の類をいう。山行のときなどに、物を運ぶのに用いる木器である。連属の意は聯と通用の義であるらしく、字の本義ではない。
 ツラヌ・ツラナル・トモガラ・アフ・シキリ・ツク・オヨブ・トフ・シク・メグラス・マカル/
 シリクベナハ・シリクヘ/
 カクマグサ/留
 タチモトホル・タタズム
声として
(蓮)など六字を収める。
(れん)は〔説文〕十一上に瀾(らん)の別体とするが、〔詩、魏風、伐檀〕に「河水
くして且つ
(なみだ)つ」とみえ、古くから用義例のある字である。
・
・聯lianは同声。〔説文〕十二上に「聯は
ぬるなり」とし、〔段注〕に「
人は聯の字を用ひ、
人は
の字を用ふ」という。聯は戦場において敵を殪(たお)し、その耳を切り、戦功の賞としてその馘耳(かくじ)を綴ってもち帰ることを示す。
は負連、古くは
(きよく)といったもので、背に負うて物を運ぶときの器である。従って
を連続の意に用いるのは字の本義でなく、通用の義とすべきである。
▶・連踵▶・連牆▶・連状▶・連繞▶・連城▶・連勢▶・連接▶・連戦▶・連然▶・連属▶・連続▶・連体▶・連帯▶・連台▶・連治▶・連著▶・連注▶・連朝▶・連綴▶・連天▶・連纏▶・連弩▶・連筒▶・連闘▶・連榻▶・連同▶・連牘▶・連年▶・連波▶・連陌▶・連判▶・連反▶・連比▶・連
▶・連袂▶・連璧▶・連
▶・連
▶・連歩▶・連峰▶・連抱▶・連朋▶・連漫▶・連名▶・連盟▶・連緜▶・連綿▶・連夜▶・連約▶・連絡▶・連理▶・連流▶・連霖▶・連類▶・連累▶・連連▶・連恋▶・連連▶・連和▶
連・属連・注連・通連・綴連・盤連・眉連・綿連・流連・留連出典 平凡社「普及版 字通」普及版 字通について 情報
古代の姓(かばね)の一つ。語源については「群主(ムレアルジ)」説、首長を意味する朝鮮語説などがある。連姓氏族は570余を数え、多く天孫、天神の後裔(こうえい)と称する。部民(べみん)制が発達してくる5世紀後半ごろより大和(やまと)朝廷に仕える有力な伴造(とものみやつこ)に与えられた。連姓氏族は鏡作連(かがみつくりのむらじ)、舂米連(つきねのむらじ)、犬養連(いぬかいのむらじ)のように、世襲する職業名を氏(うじ)の名に負い、それぞれ鏡作部、舂米部、犬養部などの部民を率いて朝廷の職務を分担した。連姓の有力氏族の大伴連(おおとものむらじ)、物部連(もののべのむらじ)の族長は大連(おおむらじ)に任命され、大臣(おおおみ)と並んで大和朝廷の最高責任者となった。684年(天武天皇13)の八色(やくさ)の姓(かばね)制定に際し、連姓の有力氏は第二、三位の朝臣(あそん)、宿禰(すくね)を賜姓され、その後長く特権的な貴族階級を構成した。
[前之園亮一]
『太田亮著『全訂日本上代社会組織の研究』(1955・邦光書房)』▽『阿部武彦著『氏姓』(1966・至文堂)』▽『溝口睦子著『日本古代氏族系譜の成立』(1982・学習院)』
洋紙、板紙およびセロファンの取引に用いる単位の一つ。嗹(れん)とも書く。巻紙という意味のアラビア語リズマに発し、スペイン語、英語(ream)を経て日本語に音訳されたといわれる。日本では500枚を一連としていたが、メートル法採用(1959年10月)以後、平判(ひらばん)の場合、規定寸法に仕上げた洋紙では1000枚を、板紙では100枚を一連とし、巻取りの場合、規定寸法の紙1000枚分を、板紙では100枚分を一連としている。各国とも種々商慣習があり一連の量は一定しないが、印刷用紙では500枚をもって一連とする例が多い。なお連の重量を連量といい、日本ではkgで、英米ではlbsで表す。
[御田昭雄 2016年4月18日]
古代日本の姓(かばね)の一つ。〈むらじ〉の語源は諸説あるが,ムラ(村)ジ(主)の意かといわれており,古くは尊称であったらしい。連の姓を帯びる氏族に中臣連,大伴連,物部連などがあるように,連は品部を統率した有力な伴造氏族の姓。なかでも大伴連,物部連の両氏は,6世紀初頭から大連として勢力を朝廷で振るい,684年(天武13)の八色の姓(やくさのかばね)の制定にともなって,連姓の諸氏族は第2位の朝臣(あそん)と第3位の宿禰(すくね)の姓を与えられている。他方,683年9月に水取造,矢田部造,藤原部造,刑部造など多くの造(みやつこ)姓氏族が連の姓を賜っているが,これらの新しく連姓となった諸氏族は,翌年の八色の姓では,第7位の連の姓に位置づけられることになった。新旧の連の姓をとおして,伴造氏族の政治的・社会的位置づけがうかがえる。
執筆者:佐伯 有清
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
古代のカバネ。群(ムレ)あるいは村(ムラ)の主(アルジ)の意というが,古代朝鮮語からきたという説もある。神別の系譜をもち,職業を氏の名とする諸氏が多い。品部(しなべ)を率いて大和政権に奉仕した伴造(とものみやつこ)のうち有力なものに与えられ,物部氏や大伴氏は大連として政権を担った。連姓の成立を7世紀に求める説もあるが,部民制の成立との関連を想定し,5世紀後半と考えるべきであろう。683年(天武12)以降の氏姓制再編成に際して,旧造姓の氏族に連姓が与えられた。684年に制定された八色の姓(やくさのかばね)では第7等におかれ,旧連姓氏族は一部が第2等の朝臣(あそん)姓を,多くは第3等の宿禰(すくね)姓を与えられた。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
出典 旺文社日本史事典 三訂版旺文社日本史事典 三訂版について 情報
…現在ではパルプの離解,叩解,精製などを行うリファイナーrefinerが一般紙の製造に使われている。一方,紙をすくのは手で行っていたが,1798年フランスのロベールNicolas‐Louis Robertは継目のない布製の網を使って連続的に紙をすく機械を発明した。これが今日の長網抄紙機の原型で,さらにイギリスのドンキンB.Donkinが改良し,ついでフアドリニアー兄弟Henry Fourdrinier,Sealy F.が特許を買って改良し,1807年現在の形に近い抄紙機を作った。…
… 錨には錨鎖が取り付けられ,両者が一体となって船をつなぎ留める。錨鎖はふつう27.5mの長さのものが1本となっていて,これを1連と呼ぶ。大型船では11~13連つなげたものを錨に付け,他端は錨鎖庫の中に固定する。…
…
[政治制度としての氏姓制度]
 このような制度は,原始共同体において,氏族や部族が社会の単位となった,いわゆる氏族制度とは異なる。もちろん,氏姓制度の基盤も,血縁集団としての同族にあったが,それが国家の政治制度として編成しなおされ,同族のなかの特定のものが,臣(おみ),連(むらじ),伴造(とものみやつこ),国造(くにのみやつこ),それに百八十部(ももあまりやそのとも)などの地位をあたえられ,それに応ずる氏姓を賜ったところに特色がある。その成立時期は,おそらく5,6世紀をさかのぼらないであろう。…
…その場合には上位と下位2段階の伴造がふくまれる。たとえば,宮廷の神事・祭祀をつかさどる忌部(いんべ)氏は,上位の伴造は忌部連(むらじ)といい,下位のそれは忌部首(おびと)という。彼らは全国におかれた忌部を名のる部民集団を統轄して,必要物資を貢納させるほか,ときには賦役も徴用し,朝廷の職務を遂行した。…
…天武の新姓ともいう。《日本書紀》天武13年10月条に〈諸氏の族姓(かばね)を改めて,八色の姓を作りて,天下の万姓を混(まろか)す〉とあり,真人(まひと),朝臣(あそん∥あそみ),宿禰(すくね),忌寸(いみき),道師(みちのし),臣(おみ),連(むらじ),稲置(いなぎ)の8種類があげられている。第1の真人は,主として継体天皇以降の天皇の近親で,従来,公(君)(きみ)の姓を称していたものに授けられた。…
※「連」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
[名](スル)二つ以上のものが並び立つこと。「立候補者が―する」「―政権」[類語]両立・併存・同居・共存・並立・鼎立ていりつ...