刑罰を科せられるべき行為をいう。社会生活上有害な行為には無数の種類のものがあるが、そのすべてが犯罪とされるのではなく、そのうち有害の度合いが重大で、立法により刑罰という強い手段に訴える必要があると宣言された行為だけが犯罪となる。刑法に規定された各種の行為はもちろん、軽犯罪法その他の特別法や、道路交通法などの行政取締法規に違反する行為も、これに対して刑罰が規定されている限りは犯罪である。したがって、速度制限違反や駐車違反などの道路交通法違反も、犯罪という点では、殺人や窃盗と変わりがない。
[西原春夫]
何を犯罪とするか、つまりどのような行為に対して刑罰を科すかは、各時代、各民族によってかなり違っていた。もっとも、殺人・傷害・強窃盗・強姦(ごうかん)などの基本的な規範に違反する行為は、ほとんどいつの世にも、また世界のどの国でも犯罪とされ、刑罰の対象とされていたといえよう。しかし、その他の多くの犯罪は、各民族の政治・経済機構や風俗・習慣などを反映し、時代の進展とともに生々発展を続けてきたのである。しかも、18世紀の啓蒙(けいもう)期以前の国家には、いわゆる罪刑専断主義が支配し、刑罰権の行使が大幅に権力者にゆだねられていた結果、何が犯罪であり、どのような行為に対して刑罰が科されるかが、かならずしも法律によって明示されていなかった。ヨーロッパにおいてはフランス革命以降、日本においては1880年(明治13)の旧刑法以降、ようやく罪刑法定主義が確立され、国家が刑罰を科すためには、あらかじめ犯罪と刑罰とを法律に明示しなければならないとされたのである。
[西原春夫]
犯罪ということばには、種々の意義がある。第一は実在としての犯罪であって、甲が乙を殺したというような現実のできごとそのものをさす。第二は個別類型的な概念としての犯罪であって、殺人・傷害・窃盗などの個々の犯罪類型を意味する。第三は一般的概念としての犯罪であって、すべての犯罪類型を包括しうる最高の普遍的概念を表すものである。この第三の犯罪という一般的概念があることによって、たとえば自動車事故で甲が乙に傷害を与えたという一個の事実が、一方において民法上の不法行為として損害賠償の対象となり、他方において刑法上の犯罪として刑罰の対象となることがわかる。
さらに、犯罪は、後述するように、刑法学上の厳密な意味では有責・違法な行為をさすのであるが、単なる違法行為を犯罪という場合がある。たとえば精神病者の犯罪というように。この場合、精神病者の行為は有責性を欠くから、厳密な意味では犯罪とはいえないが、違法行為を犯しているという意味で、俗に犯罪を犯したということがある。
[西原春夫]
犯罪は、内容的にいえば、有責・違法な行為である。犯罪はまず「行為」でなければならない。行為の主体は人に限られ、動物の活動や自然現象そのものは行為のなかには入らない。また、行為は意思によって支配しうるものでなければならないから、物理的な反射運動や絶対的強制下の行動は行為から除外される。さらに、行為とは人の外部的態度を意味するから、意思や思想そのものは行為でなく、犯罪にならない。
次に、犯罪は「違法な」行為である。違法というのは刑法規範に違反することであって、どのような行為が刑法規範に違反するかは、刑法各本条の構成要件と、刑法総則の違法阻却事由とに積極・消極両面から記述されているから、規範違反性すなわち違法性は、同時に、違法阻却事由の不存在と構成要件該当性を意味する。
刑法規範は、法益すなわち国家、公共、または国民個人の重要な利益を守るためのものであるから、「特定の法益を侵害するな」という禁令か、「特定の法益を守るような行動をとれ」という命令かのどちらかの形をとる。したがって、規範違反すなわち違法な行為の実質は、法益を侵害し、またはこれを危険に陥れる行為に限定される。
ところで、違法な行為は種々の観点から分類することができる。作為犯と不作為犯、既遂と未遂、正犯と共犯、一罪と数罪。これらはどれも違法である点では共通するが、違法性の重さの点ではそれぞれに相違があり、したがって科せられる刑の重さも違ってくる。
最後に、犯罪は「有責な」行為である。行為に対する違法性の評価が規範違反または義務違反、すなわち「すべきであったのにしなかった」という判断であるのに反して、有責性の評価は「しえたのにしなかった」という、可能性の面からする判断にほかならない。違法性の評価では客観的な行為が問題となるのに反して、有責性の評価では主観的な行為者が問題となってくる。したがって、たとえば犯人が14歳未満の刑事未成年者であるとか、精神病者であるとかの事情は、有責性を否定する事実ということになる。
[西原春夫]
犯罪は、法益すなわち法律の保護する利益の性質ごとに大別すると3種に分かれる。第一は国家の法益を害する犯罪であって、内乱罪・公務執行妨害罪・犯人蔵匿罪・偽証罪・税法違反・破壊活動防止法違反などがこれに属する。第二は公共の法益を害する犯罪であって、騒乱罪・放火罪・文書偽造罪・各種の軽犯罪法違反・道路交通法違反などがこれに含まれる。第三は個人の法益を害する犯罪であって、殺人罪・傷害罪・名誉毀損(きそん)罪・窃盗罪・横領罪・器物損壊罪などがこれに入る。
[西原春夫]
犯罪は社会に害悪を与え、その秩序を乱す行為であるから、当然ながら、歴史的にみてどの時代、どの社会でも、発生した犯罪に応じて種々の対策を講じてきた。このような個別具体的な措置を一般に、犯罪対策crime policyとよんでいる。これは国家発生以前から行われてきたのであり、近代以前の部族や村落共同体の内外においても犯罪対策はみられた。外部の敵に対してはその侵入を防ぐために戦争を行い、内部の犯罪者に対しては秩序を乱すとして制裁が加えられてきた。しかしながら、科学的な犯罪対策が講じられるようになるのは、かなり後のことであり、19世紀における科学の発達を待たねばならなかった。よりよい対策を講じるためには、犯罪の原因を探求し、それに基づいて合理的な対策をとる必要があるからである。18世紀以降、とくにヨーロッパにおいて、自然科学の発達と市民革命による人道主義とが相まって、犯罪原因論や刑罰論、さらには犯罪者処遇論の研究が発展してきた。
なお、犯罪対策と類似の用語として刑事政策があるが、これは法理論に依拠して個別具体的な犯罪対策のあり方に指針を与え、その措置をくふうする国家ないし地方公共団体の政策立案・政策実施の活動である。地方公共団体の政策実施の例としては、条例制定がある。犯罪にかかわる分野では、ほとんどの地方公共団体で迷惑防止条例や青少年育成条例が制定され、地域の特色に従った刑事政策が実施されており、たとえば刑法が適用できない車内痴漢や同意ある18歳未満の者への性的行為などに対して条例により刑罰が適用される場合がある。
[守山 正 2018年5月21日]
犯罪対策の対象となるのは、刑罰が科される行為に限らない。したがって、刑法上の犯罪概念よりも広く、刑罰の科されない社会的に有害な行為を含む。「社会的に有害」とは、行為が単に個々人に一定の被害をもたらしているというだけでなく、これらの行為に対する何らかの集団的な社会的反動(批判など)がみられ、また公的な制裁を科すことが正当化される場合をいう。
対策の対象行為が犯罪に限らないのは、第一に、犯罪対策が将来の状況にも対応しなければならないためである。現在、刑罰が科されていない行為でも将来、社会的に問題となり、規制の対象になることは十分に考えられる。薬物対策がその典型例であり、現在規制の対象となっていない特定薬物が社会的に有害と認識されるようになると、規制対象とされることがある(たとえば、合成麻薬MDMAは、日本では1989年まで規制の対象とされていなかった)。このような現象は通常、犯罪化(後述)とよばれる。
第二に、刑罰をもって対応していない行為も刑罰以外の手段で規制の対象とする場合がある。この例としては、少年法の措置としての少年による虞犯(ぐはん)行為、売春防止法の売春行為、刑法上の責任能力に欠ける心神喪失中の行為などがある。これらの行為はその性質上刑罰は科されないが、社会的な有害性という意味では規制が必要である。少年の虞犯行為には、成人ではまったく問題とならない喫煙、飲酒、深夜徘徊(はいかい)などが含まれるが、少年の健全育成という観点では補導などの対応が必要である。また、売春行為は、1956年(昭和31)の売春防止法成立当時、売春を行う女性に対しては、むしろ社会の被害者であるという認識があったため、刑罰が科されなかったが、社会における性風俗を乱す行為であることには変わりなく、犯罪対策が講じられている。さらに、責任無能力の行為で刑罰を科すことができない場合でも、現に、精神福祉保健法や心神喪失者等医療観察法などで対応されている。
第三に、近年、犯罪には至らない軽微な迷惑行為に対する規制が議論されている。なぜなら、一般住民からすれば、めったに遭遇しない重大な犯罪よりも、日常的に頻発する迷惑行為のほうが不安感を強く感じるからである。欧米ではこの種の行為は「生活の質(クオリティ・オブ・ライフquality of life:QOL)」を低下させるものとして、規制が強まっている。たとえば、イギリスでは1990年代終わりに、深夜のドンチャン騒ぎ、公共の場の飲酒・酩酊(めいてい)、公共物に対するバンダリズム(破壊行為)など刑法で処罰できないような反社会的行動anti-social behaviourを規制する立法措置がとられ、迷惑行為の規制強化、場合によっては刑罰化が図られている。そこで、世界的に犯罪対策の対象を犯罪行為だけでなく、その前段階の反社会的行動、迷惑行為、不品行に拡大する傾向にある。
[守山 正 2018年5月21日]
従来、日本では新たな立法や法改正には慎重であって、大きな動きはみられなかったが、1990年代後半から2000年代にかけ、刑罰を伴うさまざまな法令が相次いで立法され、改正されている。1999年(平成11)には、児童買春児童ポルノ処罰法、不正アクセス禁止法、組織的犯罪処罰・犯罪収益規制法、通信傍受法、団体規制法、2000年(平成12)にはストーカー規制法、児童虐待防止法、あっせん利得処罰法が立法化されている。2001年に配偶者暴力防止法(DV防止法)、2003年にピッキング対策法、出会い系サイト規制法、心神喪失者等医療観察法などが続き、その後、これらのほとんどが改正されている。このように、この時期、刑事立法が相次いだため、刑事立法の時代などともよばれた。これらの現象は、おおむね犯罪化・重罰化とよぶことができる。
このような立法、改正の動きは、ほとんど改正されることがなかった主要な少年法、監獄法にも及び、前者は2000年に改正され、後者は2005年受刑者処遇法に、翌年には刑事収容施設法へと切り替わり、これらによって少年司法制度、刑事司法制度に大改革がもたらされた。また、刑法改正においても次々と犯罪対応の改変が行われ、人身売買罪・略取誘拐罪の新設、窃盗罪への罰金刑の追加、自動車運転致死傷罪の新設、さらにはこれの自動者運転死傷行為処罰法への移行などが続き、2017年には性犯罪において強姦罪の名称と内容が変更され、その意に反した男女を対象とする性行為を処罰する新類型(強制性交等罪)が導入され、同時に重罰化された。特別法においても2014年、児童買春児童ポルノ処罰法の改正では児童ポルノの単純所持を犯罪化し、新たにリベンジポルノ被害防止法が新設されるなど、人間の性に関する領域で規制が強まっている。この背景には、一般社会における青少年の保護、性的自己決定権の確立が看取される。
しかしながら、これらの立法や改正の動きは厳罰化や過度の犯罪化として一部批判を受けている。基本的にこれらの動向は、被害者保護ないしは一般社会の応報化の傾向と合致するものであるが、しかし、厳罰化の趣旨はかならずしも明確ではなく、将来における犯罪の抑止を目ざすというのであれば、厳罰化が犯罪抑止の効果をもたらすことを科学的に証明しなければならない。しかし、現在のところ、犯罪学や刑事政策では世界的にみてその証明は依然なされていない。また、被害者保護ないしは社会感情への配慮というのであれば、復讐(ふくしゅう)的な意味合いがあるが、近代社会は個々の市民の復讐を禁じており、これに逆行するおそれがある。
このように、1990年代から続いている刑事新立法の犯罪化、厳罰化の動きは市民的自由を制約し、国民の日常生活に重大な影響を及ぼすなど種々の問題をはらんでおり、今後、立法の影響に注目する必要がある。
[守山 正 2018年5月21日]
社会的有害性の基準は、社会によっても時代によっても変化する。これに応じて犯罪対策も改変する必要がある。たとえば、従来社会的に有害でないとされた行為が時代の経過とともに有害とされる場合、逆に、有害とされた行為が有害とされなくなる場合もある。前者がいわゆる犯罪化criminalization、後者が非犯罪化de-criminalizationとよばれる現象である。現代社会では、圧倒的に前者の例が多いが、歴史的には後者の例も少なくない。とくに1970年代のアメリカでは非犯罪化の主張が強まり、同性愛や自殺など被害者のいないような行為(被害者なき犯罪)にまで国家が介入し刑罰を科すことは過剰であり、一般市民のモラルにゆだねるべきとされた。今日の同性婚を法的に承認する動きからすれば、非犯罪化の動きは自然であり、また国家介入によるコスト・ベネフィット(費用・便益分析)の観点からも、国家財政状況に照らして不適当とされたのである。日本では、第二次世界大戦直後まで刑法に姦通罪(183条)が規定されていたが、戦後の改正で廃止された。この罪は、もともと婚姻中の女性のみを処罰するという男性の家父長的支配を示し、また政策的には婚姻中の夫の戦場における士気を高めることを目的としたが、戦後の憲法改正における男女平等規定の創設と恋愛観の変化に伴い、その使命が急速に失われたことで、犯罪対策の対象から外れたのである。
他方、犯罪化の例は上述の刑事立法のなかにみることができる。たとえば、2000年に成立したストーカー規制法は、従来放任されてきた特定個人に対するつきまとい等の行為を犯罪化するもので、桶川(おけがわ)女子大生殺人事件を契機に急速に社会問題化したストーカー行為を規制対象とした。しかし、「特定の者に対する恋愛感情その他の好意の感情又はそれが満たされなかったことに対する怨恨(えんこん)の感情」から生じたストーカー行為に限定され、マスコミや政治活動、労働運動などの市民的自由を保障するように配慮されている。このように、社会のニーズに応じて犯罪対策は変化する。
[守山 正 2018年5月21日]
犯罪対策は従来刑罰に大きく依存し、その執行を中心に展開してきた。18世紀以降、ヨーロッパでは刑罰論が盛んになり、この議論に基づいて刑法典が各国で制定された。その根拠の一つが社会契約説であり、これによれば、国民は生まれながらにして暗黙のうちに国家と契約しており、犯罪を行えば国家による刑罰を受けることを承認しているとされ、このようにして国家刑罰権と国民の刑罰受認義務が確立した。刑罰の内容としては、当時死刑や身体刑が中心であったが、産業革命の発展とともに犯罪者の労働力が注目され、しだいに、死刑から強制労働を伴う拘禁刑へと転化した。その後、人道主義の深化により身体刑も回避され、ヨーロッパ諸国が海外に植民地をもつようになると追放刑、流刑が発達した。しかしながら、他方で犯罪原因として貧困などの社会的要因が着目されるようになるにつれて、犯罪者を施設に拘禁して改善・更生させ社会復帰を図る思想が芽生え、犯罪者の処遇は犯罪対策や刑事政策の中心となり、少なくとも欧米では1970年ごろまでこの考え方は続いた。
しかしながら、そのころ、アメリカではマーティンソンRobert Martinson(1927―1979)らの研究によって刑務所出所者の再犯率が高いことにかんがみ、刑罰の機能に対する懐疑論が生まれ、「Nothing Works(何も機能していない)」というスローガンのもとに、社会復帰思想をやめる動きが盛んになり、現在では、刑務所などの施設では、労働などを通じた社会復帰プログラムを行わず、応報原理に基づいて単に拘禁だけ行う方式が主流となっている。しかし、この結果、拘禁刑の長期化が進み、全米で未決拘禁者を含む収容者が2013年で220万人を超えるなど刑務所・拘置所の過剰拘禁が続いている。
もっとも、日本では、依然社会復帰思想が根強く、新しい刑事収容施設法においても処遇の原則が盛り込まれた。ただし、日本の刑事施設収容者数は2016年で約5万5000人と少なく、実際の刑罰適用では、罰金刑の適用数が圧倒的に多く、刑罰全体の9割を占める。
[守山 正 2018年5月21日]
上記からも理解されるように、従来の犯罪対策は、犯罪ないしは犯罪者に対するものであった。これによって将来の犯罪を防止できると考えられたからである。犯罪対策において被害や被害者にも関心が寄せられるようになるには、第二次世界大戦後を待たねばならなかった。この時期、被害者学が誕生し、被害者に対する学問的アプローチが開始されたが、当初は、被害者が犯罪発生にどのように関与し、どのような役割を演じたのかが議論された。いわゆる被害者の有責性、落ち度をめぐる議論である。その後、1960年代には、世界的に被害者の救済の必要性が主張されるようになり、被害者救済運動が活発になった。これは、犯罪対策において、一方で犯罪者の処遇思想やその人権保障が進展しているのに対して、被害者は保護や救済の対象外におかれ、長く無視されてきた状況に対する社会的理解が進んだためである。日本でも、1970年代から1980年代にかけて、被害者救済の機運が高まり、1980年にはその象徴として犯罪被害者等給付金支給法が成立した。その後も、犯罪者処遇との均衡から、被害者に関連するさまざまな法令が設けられ、今日に至っている。
もっとも、犯罪対策の対象に被害者を含める意義は、単に救済や保護にとどまらず、被害予防の領域でも重要になっており、特定個人・集団が被害にあいやすい傾向、つまり被害者特性にかんがみ、被害を未然に防ぐことも犯罪を防止する点で現代的意義が認められる。たとえば、「振り込め詐欺」の例が示すように、犯人側への対応と同時に、潜在的な被害者側に対する助言などの対応が犯罪対策上、いかに重要であるかを物語っている。
[守山 正 2018年5月21日]
従来の犯罪対策は事後予防であり、犯罪・非行の発生を待って、警察をはじめとする法執行機関、刑事司法機関が善後措置を講じてきた。しかし、このような対応はいうまでもなく、現実に発生した犯罪がもたらす社会的混乱、とくに被害の発生を前提にしており、犯罪者への対応を含めて、膨大な人的物的資源の消費、国家財政の支出を余儀なくする。そこで誕生したのが事前予防論に根拠をおく、アメリカでは環境犯罪学、イギリスでは状況的犯罪予防論とよばれる考え方である。
1970年代アメリカでは、上述のように、犯罪者処遇への懐疑論「Nothing Works」が広まり、社会復帰プログラムによって将来の再犯を防止するという考えが衰退したのと前後して、このような事前予防論の考え方が台頭した。すなわち、従来の犯罪対策とまったく異なり、現場の犯罪発生メカニズムを解明することによって物理的な改善を図る方法であり、未然予防を基本とする。この手法は、膨大な予算を使うことなく、また国民ひとりひとりの日常的努力も大きな勢力になる点が特色である。その根底にある思想は、「犯罪は機会によって発生する」というものである。確かに、犯罪発生地点は特定場所(ホット・スポット)に集中することが知られる。したがって、犯罪対策は犯罪者にアプローチするのではなく、ホットスポットにおける犯罪誘発的な種々の機会、現場の物理的環境に対してアプローチすべきとされる。たとえば、ひったくりは夜間照明が乏しい人通りの少ない地点に多発する傾向があるが、これに対し夜間照明の改善を行うことによって一定程度ひったくりを予防することができる。また、多くの鉄道駅に設置されている自動改札機も副次的に不正乗車(キセル乗車)を減らす環境犯罪学の機能を果たしている。
このような手法は、1970年代アメリカの犯罪学者ジェフリーClarence R. Jefferyや建築学者ニューマンOscar Newmanの提唱する「環境設計による犯罪予防Crime Prevention Through Environmental Design(今日では、略してCPTED(セプテッド)ともよばれる)」で注目され、その後、イギリス内務省の研究官であったクラークRonald Clarkeが状況的犯罪予防論を展開して、当時犯罪が激増したアメリカ、イギリスの犯罪対策の主流となったのである。現に、世界各地でこの考え方が導入され、住宅・ビルの構造(防犯住宅)、駐車場の配置、植裁の方法、照明や防犯機器の設置などが、犯罪予防の観点から再検討された。
日本でこの考えが注目されるようになったのは、犯罪が増加した1990年代後半であり、今日、ほとんどの自治体で施行されている「安全・安心まちづくり条例」には、環境犯罪学ないしは状況的犯罪予防の視点が含まれている。
もっとも、この考え方が過度に進むと、地域エゴとして街全体を要塞(ようさい)化し、外部からの侵入者を集団で防御し、他の地域との隔絶を図るゲーテッド・コミュニティGated Community論に至るおそれがあり、現に欧米諸国でこの種の新興住宅街が各地に広がっており、その定義にもよるが、その数は全米では2万とも4万ともいわれる。これに対して、アメリカの都市によってはゲーテッド・コミュニティは地域を分断するものとして、条例でこの種の住宅街の開発を禁止しているところもある。
[守山 正 2018年5月21日]
犯罪対策は国や地方公共団体で行われるのが一般的であるが、現実には犯罪予防活動においては住民の自発的な活動も欠かせない。日本においては、とくにピッキング被害などの住宅侵入盗や通学路の子供をねらった性犯罪が多発した1990年代に、この種の活動が全国的に組織され、町内会やPTAなどが主導して、日々の地域安全活動が展開されており、2017年の時点で、全国に約2万団体を数える。他方、このような状況に応じて、民間の警備産業も飛躍的に成長し、2017年の時点で8000社を超え、個人の住宅や商業施設、企業では、警備会社と契約し、セキュリティを確保している。
このように、犯罪対策は国や地方公共団体の活動だけでは限界があり、これを補完するものとして民間活動の重要性の認識が高まっており、いわば犯罪対策の民営化が進んでいる。
[守山 正 2018年5月21日]
文字のない社会で犯された非行を処理する態様からみた場合に、(1)ある社会自体が当該社会によって公認された処理方法で対応する非行と、(2)被害を受けた個人が自分の力によって加害者との間で私的に処理する非行の二つがある。
文明社会で、公的な手続を通して死刑、身体刑、罰金刑などの刑罰が科せられる非行をもって犯罪というのであれば、そのような犯罪行為は、文字のない社会では、(1)だけでなく、(2)も含まれる。そこで、文字のない社会の非行について、文明社会の法概念でもって理解するのは不適当であることが多くの法人類学者によって指摘されている。(1)に入る非行は、その社会の秩序や平穏を損なう危険があるために、長老会議、裁判集会、首長(しゅちょう)などの公認された機関で責任者に処罰を加え、当該社会の憤りを表すと同時に、加害者に制裁を加えるものである。このような非行に数えられる行為は部族によって異なるが、近親相姦禁忌(インセスト・タブー)を破る行為、他の社会成員にまじないによって害を与える邪術sorceryを行使する行為、また、超自然力を借りて害をもたらす妖術(ようじゅつ)witchcraftを行使する行為、部族慣行を反復して犯す行為、その社会の政治的・行政的権威を担う人を侮辱する行為、そのような人の命令に服従しない行為などが、概して含まれる。
(2)に含まれるのは、被害者が奪われた物を実力で取り返す行為、あるいは被害者の側が自分たちの手で加害者を処罰する行為である。この自力救済の仕方は部族によって異なるが、文字のない社会から文明社会に移るに応じて、(2)はしだいに抑制され、個人は公の手続を通して、受けた損害の賠償を請求できる民事法が形成される。これに対して、社会秩序を乱す行為は犯罪として刑罰が科せられる刑事法が構成され、法が二つに分化する現象が生じる。
[有地 亨]
『江守五夫「法と道徳」(『人間の社会Ⅱ 現代文化人類学4』所収・1960・中山書店)』▽『ラドクリフ・ブラウン他著、千葉正士編訳『法人類学入門』(1974・弘文堂)』▽『小川太郎著『刑事政策論講義 第2分冊』(1978・法政大学出版局)』▽『西原春夫著『現代法学全集36 犯罪各論』第2版(1983・筑摩書房)』▽『団藤重光著『刑法綱要総論』第3版(1990・創文社)』▽『井田良著『犯罪論の現在と目的的行為論』(1995・成文堂)』▽『吉岡一男著『現代法律学講座29 刑事学』新版(1996・青林書院)』▽『岡本勝著『犯罪論と刑法思想』(2000・信山社出版)』▽『守山正・西村春夫著『犯罪学への招待』第2版(2001・日本評論社)』▽『高橋良彰・渡邉和美著『新犯罪社会心理学』第2版(2004・学文社)』▽『鈴木茂嗣著『刑法総論』第2版(2011・成文堂)』▽『大谷實著『刑法講義総論』新版第4版(2012・成文堂)』▽『山中敬一著『刑法総論』第3版(2015・成文堂)』▽『大谷實著『刑法講義各論』新版第4版補訂版(2015・成文堂)』▽『守山正・小林寿一編著『ビギナーズ犯罪学』(2016・成文堂)』▽『守山正・安部哲夫編著『ビギナーズ刑事政策』第3版(2017・成文堂)』▽『法務省『犯罪白書』各年版(法務省HP)』
罪を犯す行為や,犯した罪自体をいう。狭義では法に規定された違法行為だけをいうが,最広義では罪と同義で反社会的・反権威的行為のすべてをさす。
人類文化を通観してみると,当該社会の正統的権威が支持する規範に違反する行為が犯罪とされているといえる。したがって犯罪は,ある行為を犯罪と定める権威の性質,種類のいかんによっていくつかの類型に分けられる。社会とくに共同体の公共性を犯すものは社会的犯罪,特定の社会的役割に対する期待を犯すものが道義的犯罪,良心や倫理を犯すものが道徳的犯罪などと一応区別されるが,いずれも一括して罪悪・罪過などともよばれるように,明確な区別をつけにくいことが多い。これらに対し,神をはじめとし,祖先を神格化した祖霊や超自然的力ないしそれに基づく精霊などの神霊の権威を犯す宗教的犯罪は,しばしば罪障,罪業,冒瀆(ぼうとく)などとよばれて前者と区別される。国家の法を犯す刑法上の犯罪は,これらとはまた別の類型である。
犯罪の背景をなす権威の性格は,当該社会の価値体系を反映して多様であるから,犯罪そのものも,それと対応した多様性を示すことになるが,しかし他方,人間の社会である以上,個々人の生命,身体,財産の安全と次代をつくるための安定した性関係の保障,および社会の秩序と権威の尊重は不可欠であり,これらに関する法的制度は人類社会のどこにも見いだされる。さらに巨視的に見れば,文化の伝播と社会間の交流の進展により,特定の権威のあり方が普遍化していく傾向も一部にはある。したがって犯罪は,文化的特殊性と制度的普遍性とがともに明瞭な現象であるといえる。
いわゆる〈未開〉社会の犯罪は,現代社会の,とくに法律的犯罪と比較すると文化的特殊性がめだつ。第1に宗教的性格が強い。神,祖霊,精霊,超自然的力等のいずれであれ,その権威をきずつけると思われる行為は,それら神霊から直接に処罰されるはずだが,多くの場合,同時にその行為に怒った神霊がその社会の全体に対し禍害を与えると信じられ,社会全体が神霊にその許しを乞い,原因者を処罰する行動に出るので,宗教的犯罪は社会的犯罪の性質をおびる。タブーの侵犯,邪術sorcery(呪術)の行使,神霊をけがす言動や神霊をまつる施設の破壊などをさす神聖冒瀆sacrilegeはその典型である。そのほか近親相姦が社会全体の制裁にあうのも,神意に反し,かつ共同体の秩序を破壊するからであり,殺人,姦通,盗みなどの行為も,とくに常習の場合には同じように社会全体の危機を避けるために犯罪として取り扱われることがある。第2に〈侵犯行為〉に対する対応のしかたが,国家社会の法律的犯罪と基本的に異なる。邪術,近親相姦,殺人,暴行,傷害,盗みなども,当事者間の報復(復讐)や話し合い,取引などの方法によって処理されることが多く,この場合には,これらの行為は社会公共の犯罪,まして公刑罰の対象とはいえない。このような社会と現代社会の間には,公私の範疇について根本的な相違があるといえよう。このような犯罪観の差異は,犯罪に対応する刑罰についても当然みられるが,これについては〈刑罰〉の項で詳述されているので参照されたい。
→法人類学
執筆者:千葉 正士
社会とその構成員にとって有害な行為にはさまざまのものがあるが,それらのうち法によって刑罰を科せられるべきものと定められた行為だけが,法的意味の〈犯罪〉となりうる。たとえば,姦通は一夫一妻制の社会では反社会的行為の一種である。しかし,現在の日本では,姦通は,法によって刑罰を科せられるべき行為とはされていないから,〈犯罪〉ではない。また,たとえば,うそをつくことは一般的には反社会的行為であり,非道徳行為であるが,〈犯罪〉ではない。しかし,法廷や議会などで証人として法律により宣誓したうえ,虚偽の陳述をした場合は〈犯罪〉となりうる(偽証罪。刑法169条,議院証言法6条)。このように,反社会的行為のうち,何が〈犯罪〉とならないか,どのような行為が〈犯罪〉となるかは法によって決められる。
そして,刑法学においては,犯罪の一般的成立要件を検討するとき,〈犯罪〉を定義して,通常,〈構成要件に該当する違法で有責な行為である〉という。すなわち,犯罪は構成要件該当性,違法性,有責性という要素をそなえた行為であると理解するのである。このような3要素に分けて,しかも上記の順序で犯罪の一般的成立要件を検討するのは,犯罪の認定をできるだけ慎重かつ精確にするとともに,犯罪の法的構造を的確に把握するためである。
犯罪が成立するためには,まず,行為が〈構成要件〉に該当することが必要である。〈構成要件〉とは,刑法が,それぞれの犯罪について一定の特徴を示して,どのような行為がその犯罪に当たるかを輪郭づける一定の型である。たとえば,〈人を殺した〉というのは殺人罪(刑法199条)の構成要件であり,〈他人の財物を窃取した〉というのは,窃盗罪(235条)の構成要件である。
刑法を民法と対比すると,民法では,故意または過失によって,およそ他人の権利を侵害した行為がなされれば,その行為が一定の型にあてはまらなくても,不法行為として損害を賠償しなければならない(民法709条)。これに対して,刑法では,行為が一定の法的な型,すなわち,〈構成要件〉に該当しなければ,犯罪にならないのである。たとえば,姦通は現行刑法上〈構成要件〉に該当しないから犯罪ではない。このように〈構成要件該当性〉を犯罪の第1の成立要件とすることは,法政策的には,〈法律なければ犯罪と刑罰なし〉という罪刑法定主義の要請と結びついている。
〈構成要件〉の理論的性質をどのように理解するかについて,学説は多岐に分かれているが,違法行為の類型であるという見解,あるいは,違法・有責行為の類型であるという見解が有力である。後者の見解によれば,〈構成要件〉は犯罪類型と同じ意味になる。
〈構成要件〉に該当する行為のことを〈実行行為〉という。実行行為の態様には作為と不作為がある。犯罪は,たとえば,ピストルを発射する,火をつけるというような〈作為〉によってなされるのが通常である。このような作為によってなされる犯罪を〈作為犯〉という。しかし,犯罪は,住居から退去しない,幼児に食物を与えないというような不作為によってなされることもある。このような不作為によってなされる犯罪のことを〈不作為犯〉という。不作為犯のうちで,作為の形式で規定されている構成要件(たとえば〈人を殺した〉)が不作為で実現された場合を,〈不真正不作為犯〉または〈不作為による作為犯〉と呼ぶ(これに対し,構成要件自体が不作為の形式で規定されている場合を〈真正不作為犯〉という)。たとえば,親が殺意をもってミルクを与えないことによって嬰児を餓死させたようなときである。このような場合には,結果の発生を防止すべき法的作為義務の根拠となる事情を考慮して,問題になっている不作為が,当の構成要件の作為による実現と同視しうるものであり,当の構成要件に該当する行為としての〈実行行為〉といえる場合にのみ,不真正不作為犯(たとえば,不作為による殺人罪)の成立を認めることができるのである。
〈実行行為〉に当たるものが存在しない場合として,たとえば〈不能犯〉がある。不能犯とは,行為がその性質上結果を発生させることのおよそ不可能なものであり,未遂犯として罰せられることはない。たとえば,人を祈り殺そうとして〈丑(うし)の刻参り〉をするような迷信犯は,不能犯の典型的な例である。このような不能犯の場合は,たとえば生命侵害の結果を発生させることがおよそ不可能であり,〈人を殺した〉という型に当たる行為,すなわち殺人罪の〈構成要件〉に該当する行為(殺人罪の実行行為)がそもそも存在しないのである。
行為が構成要件に該当する場合であっても,犯罪が成立するためには,さらに刑法の立場から具体的にみて,行為が〈違法性〉をもつことが必要である。構成要件は違法行為の類型であるから,たとえば〈人を殺した〉という殺人罪の構成要件に該当する行為は,通常,違法である。しかし,殺人罪の構成要件に該当する行為があっても,その行為が〈正当防衛〉としてなされたのであれば,その行為は違法でない。その場合には,後に述べる〈責任〉の有無の検討に入るまでもなく,犯罪は成立しない。たとえば,Aが殺意をもってBにピストルを発射してBを死亡させた場合は,殺人罪の構成要件に該当するから,通常,違法である。しかし,もしBがAの胸に向けて,まさにピストルを撃とうとしていたので,Aが自分の生命を防衛するためBにピストルを発射して死亡させたのであれば,Aの行為は,〈正当防衛〉として〈違法〉ではないことになるから,犯罪は成立しない。
このように,行為が構成要件に該当しても,その行為が違法でないことになる事由のことを違法(性)阻却事由という。刑法は,違法阻却事由として,正当防衛(36条)のほかに,緊急避難(37条),法令による行為,正当な事務による行為(35条)を規定している。
正当防衛とは,前に挙げた例も示すように,急迫した不正(違法)な侵害に対し自己または他人の権利を防衛するためやむをえないでした行為である。これに対して緊急避難とは,現在の危難(落石,洪水のような自然現象でもよい)を避けるためにやむをえないでした行為である。たとえば,落石に当たるのを避けようとして,やむをえず他人を突き飛ばしてけがをさせたような場合である。正当防衛と緊急避難は,両者ともに緊急事態における行為の違法性阻却を規定した点では共通性をもっている。しかし,正当防衛は不正の侵害に対し防衛するため不正な相手の法益を侵害する場合(正対不正の関係)であるのに対し,緊急避難は危難を避けるためなんら不正のない者の法益を侵害する場合(正対正の関係)である点で,両者は基本的に異なっている。そこで,刑法は,なんら不正のない者の立場をも考慮して,緊急避難の成立要件を正当防衛の成立要件よりも厳格にしている。緊急避難が成立するためには,ほかに避ける方法がないこと(補充性),および,その行為から生じた害が避けようとした害の程度を超えないこと(法益の均衡)という要件をも満たす必要があるとしていることは,そのあらわれである。
〈法令による行為〉とは,警察官が刑事訴訟法の規定に基づいて人を逮捕するような場合である。逮捕監禁罪(220条)の構成要件に該当しても違法性が阻却される。〈正当な業務による行為(正当業務行為)〉とは,医師が業務上正当な範囲の外科手術をするような場合である。傷害罪(204条)の構成要件に該当しても違法性が阻却される。
違法性が阻却されるのは,法規に明文で規定されている場合に限られない。たとえば,輸血のための採血に同意した場合のように,被害者の同意が傷害の違法性を阻却することもある(超法規的違法阻却事由の存在)。違法性とは実質的に法に反することだからである。そこで,違法性の実質は何かが問題になる。この問題についての学説は多岐に分かれているが,大別すれば,社会倫理違反を基本にして考える見解と,法益(法によって保護される生活利益)の侵害・危険を基本にして考える見解とがある。刑法の重要な機能を法益保護に求める立場は,後者の見解に結びつくことになる。その見解によれば,構成要件に該当する行為が違法でないとされるための基本原理は,法益が衝突する状況で維持した法益の要保護性が侵害した法益の要保護性よりも大きいという意味の優越的利益の原理(たとえば,自己または他人の生命を守るための緊急避難として人の身体を傷害したとき),および,特殊な事情のために侵害した法益の要保護性がなくなるという意味の利益不存在の原理(たとえば,被害者の同意が違法性を阻却するとき)であると解することになる。
構成要件に該当する違法な行為であっても,犯罪が成立するためには,さらに,違法な行為について行為者に〈責任〉があるという判断がなされなければならない。
たとえば,Aが殺意をもってBにピストルを発射してBを死亡させたという,前に挙げた例では,正当防衛のような違法阻却事由がない限り,Aには殺意(殺人の故意)があったから,Aの行為は,原則として〈責任〉があり,殺人罪が成立する。しかし,もしAが重い精神分裂病(統合失調症)などの精神障害により責任能力がなかったとき,すなわち自分の行為が違法であることを弁識し,またはその弁識に従って行動する能力がなかったときは,心神喪失者の行為として,責任がないことになり,犯罪は成立しない(刑法39条1項。精神保健福祉法29条による入院措置が問題になる)。このような責任無能力の場合は,行為者を法的に非難することができないからである。刑法は,責任能力が著しく低い場合には,心神耗弱(こうじやく)者の行為として,その刑を必ず減軽することにしている(限定責任能力。刑法39条2項)。さらに,刑法は,14歳未満の者の行為を,責任能力がないとして,罰しないこととしている(41条)。このような年少者に刑罰を科すことは,その者の長い将来にとって悪い効果をもたらすことになるという配慮も,その根底にある。このような配慮は,少年法によって,さらに拡充されている。
刑法における〈責任〉とは,このように,違法な行為について行為者を刑罰で非難することができることであり,法的な非難可能性をいう。ただし,責任とは道義的(社会倫理的)非難可能性だという見解も有力である。
〈責任〉があるというためには,その行為が〈故意〉または〈過失〉でなされることが必要である。これは近代刑法における責任主義の要請である。故意とは犯罪事実の認識であり,過失とは不注意で犯罪事実の認識を欠くことである。刑法は,原則として故意による行為のみを罰し,過失による行為を罰するのは,過失犯を罰する趣旨の規定がある場合に限られる(38条1項)。
故意と過失の限界は,とくに〈未必の故意〉と〈認識ある過失〉の区別として問題になる。〈未必の故意〉とは,通説的見解によれば,犯罪事実とくに結果の発生を確定的なものと認識せずに,単に可能なものと認識しているにすぎないが,その結果の発生の認容がある場合をいう。これと〈認識ある過失〉との区別は,認容の有無によって決められることになる。たとえば,自動車運転者が,進路前に子どもが遊んでいるのを目撃しながら進行を続けてこれをひき殺してしまった場合,〈うまく子どもの横を通ればよいが,もしひき殺してもかまわない〉と思っていたとすれば,結果発生の認容があるから,〈未必の故意〉である。〈ひき殺してはたいへんだ。しかし運転に自信があるから絶対にだいじょうぶだ〉と思っていたとすれば,結果発生の認容がないから,〈認識ある過失〉である。そして,認容が有ったか無かったかを判断するうえに,行為者が結果発生の蓋然性の程度をどのように考えていたかが重要な意味をもつのである。
故意・過失があっても,例外的に特別の事情が存在するために,責任があるとはいえない場合がある(責任阻却事由)。たとえば,前に挙げた心神喪失者の行為,あるいは14歳未満の者の行為(41条)のように責任能力がない場合がそれに当たる。さらに,学説では,自分の行為が違法であるということを知らないことについて相当な理由がある場合(違法の意識の可能性がない場合。38条3項参照),また,自分の行為が違法であるということを知っていたけれども他の適法な行為を期待することができない場合(期待可能性がない場合)にも,〈責任〉がないとする見解が有力である。
刑法各則の条文に示される犯罪類型は,原則として,犯罪が完成して既遂となり(既遂犯),しかも,その犯罪を1人で実行する場合(単独正犯)を予定している(たとえば199条の殺人罪,235条の窃盗罪)。しかし,犯罪はつねに完成して既遂になるとはかぎらないし,また犯罪はつねに1人で行われるわけでもない。そこで,刑法は犯罪の段階的類型として既遂犯のほかに,未遂,予備,陰謀の類型を認め,また犯罪の関与方法的類型として,単独正犯のほかに共犯の類型を認めている。
〈未遂〉とは,犯罪の実行に着手しこれを遂げないことをいう(未遂罪。43条)。未遂犯を罰するのは,個々の条文で未遂を処罰すると定めた場合に限られるが(44条),その例はかなり多い。未遂犯はその刑を減軽することができる(43条)。未遂犯のうちで,自己の意思で犯罪を中止したとき(中止未遂)は,必ず刑を減軽または免除する(43条但書)。さらに,刑法は,実行の着手の段階に達しない〈予備〉〈陰謀〉を,きわめて例外的に,重大な犯罪についてのみ処罰することにしている(内乱の予備・陰謀--78条。殺人の予備--201条。強盗の予備--237条など)。予備とは,犯罪を実現するためにする準備行為で,実行の着手に至らないものをいう(たとえば,殺人のための凶器の購入)。陰謀とは,犯罪を実行することについて2人以上の者が合意することをいう。
〈共犯〉の形態として,刑法総則は,共同正犯,教唆犯,従犯の3種を認めている。〈共同正犯〉とは,2人以上共同して犯罪を実行することをいい,みな正犯とされる(60条)。その成立には,共同実行の意思(意思の連絡)と,共同実行の事実(実行の分担)が必要である。〈教唆犯〉とは,他人を教唆して犯罪を実行させることをいい,その処罰は正犯に準ずる(61条1項)。〈教唆〉とは,他人に犯罪の決意を生じさせることである。その方法を問わない。〈従犯〉とは,他人の犯罪の実行を幇助(ほうじよ)することをいい(62条1項),その刑は正犯の刑に照らして減軽する(63条)。〈幇助〉とは,実行行為以外の方法で正犯の実行行為を容易にさせることである。凶器の貸与などの物質的方法によると,助言・激励などの精神的方法によるとを問わない。
なお,刑法各則の犯罪類型が,例外的に,もともと2人以上の者の共働行為によって実現されることを予定している場合がある。たとえば収賄・贈賄(刑法197~198条)のような対向的な共働行為(対向犯),内乱(77条),騒乱(106条)のような同一方向に向けられた共働行為(集団犯)がそれである。これを必要的共犯と呼んで,刑法総則が規定する前述の共犯(任意的共犯)と区別するのが通常である。
刑法上,犯罪は種々の観点から分類される。まず,自然犯と法定犯の区別がある。自然犯とは,法規の制定をまたなくても,それ自体が反社会的であるとされる犯罪をいう。殺人,放火,強盗,窃盗などがこれにあたる。刑事犯とも呼ばれる。法定犯とは,それ自体当然に反社会的なものではなく,法規の制定をまってはじめて犯罪とされるものをいう。自動車の右側通行禁止違反などがこれにあたる。行政犯とも呼ばれる。もっとも自然犯・刑事犯と法定犯・行政犯との区別は流動的である。
さらに,侵害犯と危険犯との区別がある。侵害犯とは,法益を現実に侵害したことを成立要件とする犯罪である。殺人罪,窃盗罪などがその例である。これに対して,危険犯とは,法益侵害の危険の発生を成立要件とする犯罪である。放火罪(108条以下),通貨偽造罪(148条以下)などがこれにあたる。〈侵害犯〉では,法益を現実に侵害したときにはじめて既遂となるが,〈危険犯〉では,法益侵害の危険が発生しただけで既遂となるから,両者の区別は犯罪の既遂時期を決めるために重要である。
政治犯とは,国家の政治的基本秩序を侵害し,またはそれを目的とする犯罪をいう。内乱罪はその典型である。政治犯の犯人の多くは確信犯人である。刑法が政治的な犯罪について懲役以外に禁錮を法定刑として規定しているのは,政治犯について一般の犯罪とは異なる取扱いを必要としたものである。憲法では政治犯罪の概念が用いられ,これについての裁判はつねに公開しなければならないとされる(憲法82条2項但書)。また,政治犯罪人に関しては,逃亡犯罪人として国家間の犯罪人引渡しの対象とされないのが国際的慣例となっている。
目的犯とは,犯罪が成立するために,故意のほかに一定の目的を必要とする犯罪である。たとえば,通貨偽造罪は通貨を偽造することの認識(故意)のほかに,〈行使の目的〉をもって行われることによってはじめて成立する。文書偽造罪(155条など),営利誘拐罪(225条),背任罪(247条),内乱罪なども目的犯である。
執筆者:内藤 謙
行為が構成要件該当性,違法性,有責性を備えるとき犯罪が成立するが,成立する犯罪の個数を罪数と呼ぶ。たとえば,1個の爆弾の投与によって5人の者を殺害したとき,何個の殺人罪が成立し,それぞれいかなる関係に立つか。ある住居に侵入して宝石,衣類,現金を窃取したとき,住居侵入罪のほか何個の窃盗罪が成立し,これらの犯罪はいかに処断されるか,を決定するのが罪数論である。犯罪の単複を決定する基準としては,行為標準説,結果標準説,犯意標準説等が唱えられたが,現在では,構成要件標準説が通説・判例となっている。
同説によれば,刑罰法規の定める構成要件を1回充足する事実が発生したとき1罪が成立する。これを〈単純一罪〉と呼ぶ。たとえば,1人の人間を殺害したとき,1個の財物を窃取したとき,それぞれ1個の殺人罪,窃盗罪が成立する。
1個の事実が複数の構成要件を充足するようにみえるときでも1罪しか成立しない場合がある。これを〈法条競合〉と呼ぶ。例えば,背任罪(刑法247条)と特別背任罪(商法486条以下)の両方にあたる場合(これを〈特別関係〉と呼ぶ),現住建造物放火罪(刑法108条)と非現住建造物放火罪(109条1項)の両方にあたる場合(これを〈補充関係〉と呼ぶ),未成年者拐取罪(224条)と営利拐取罪(225条)の両方にあたる場合(これを〈択一関係〉と呼ぶ)。強盗罪(236条)と暴行罪(208条)の両方にあたる場合(これを〈吸収関係〉と呼ぶ)がこれにあたる。いずれも,特別背任罪,現住建造物放火罪,営利拐取罪,強盗罪の1罪しか成立しない。なぜなら,各場合の二つの構成要件は論理的に重なり合うものであり,その一方の適用は他方を排除する関係にあるからである。
次に,2個以上の構成要件該当事実が存在する場合でも,なお1罪として処理される場合がある。これを〈包括一罪〉と呼ぶ。その第1は,1個の行為から数個の構成要件に該当する結果を生ぜしめたが,軽いほうの犯罪は重い罪の実行に通常伴うものであるため,両者を包括して重い犯罪のみの成立を認める場合である。たとえば,殺人に際して,被害者の衣服を損壊した場合,殺人罪(199条)と器物損壊罪(261条)の2罪が成立しうるが,包括的に評価して殺人罪のみの成立が認められるのである。第2に,複数の構成要件に該当する複数の行為が,相互に手段・目的,原因・結果という関係にたち,同一の法益侵害を目的とした1個の行為としてみうるような場合にも包括的に評価して重い犯罪の成立のみが認められる。たとえば,同一の被害者に対する殺人の予備,未遂,既遂があるときは殺人既遂1罪が成立するし,賄賂(わいろ)の要求,約束,収受が行われたときも単純に1個の収賄罪(197条)が成立するにすぎない。第3は,同じ構成要件に該当する行為が時間的・場所的に接着して行われた場合であり,講学上〈接続犯〉と呼ばれている。たとえば,同一被害者に続けて2個以上の傷害を負わせた場合,同一の被害者から同時に宝石と現金を窃盗したり,同一の倉庫から数回にわたって物を盗み出したような場合には,包括的に評価して1個の傷害罪と1個の窃盗罪が成立する。これら包括一罪を認めうる範囲は,被害者が同一の場合に限ると解されており,したがって,接続して2人を殺害した場合,連続して2人の被害者から財物を奪取した場合等は包括一罪から除外されることになる。以上が実体法上一罪の成立が認められる場合である。
実体法上数罪の成立が認められる場合でも,科刑上はなお1罪として取り扱われ,成立する犯罪の法定刑のなかから,その上限および下限についていちばん重い法定刑を選択し,その法定刑で処断することが認められている(科刑上一罪)。その第1が〈観念的競合〉であり,1個の行為で数個の罪名に触れる場合である(54条前段)。たとえば,1個の爆弾で被害者の家屋を損壊すると同時に被害者を殺害した場合,1個の爆弾で同時に3人を殺害した場合等がこれにあたる。いずれも殺人罪の法定刑により1罪として処断され,既判力も全体に及ぶことになる。第2は,2個以上の犯罪が成立するが,それぞれが手段・結果の関係に立つ場合であり,〈牽連(けんれん)犯〉と呼ばれる(54条後段)。判例によれば,住居侵入と窃盗・強盗・殺人・放火,文書偽造と同行使,偽造文書行使と詐欺等が牽連犯とされているが,預金通帳の窃盗とこれを用いて預金を引き出す詐欺,保険金目的の放火と保険金の詐取,窃盗教唆と盗品故買等は次に述べる併合罪と解されている。
実体法上も科刑上も数罪であって,かつ,確定裁判を経ないため,同時審判の可能性を有する数罪を〈併合罪〉と呼ぶ(45条前段)。併合罪の処断方法としては,吸収主義,加重主義,併科主義の三つが併用されている(46~49条)。この併合罪関係は,禁錮以上の刑に処する確定裁判があるときは中断される(45条後段)。たとえば,A,Bの犯罪のうちB罪のみが発覚して禁錮以上の確定裁判があった後,C罪が犯されたときは,A罪とC罪は独立した数罪であり,それぞれについて刑が科される。ただし,A罪とB罪とはなお併合罪の関係に立ち,A罪については,併合罪中の余罪として処断され(50条),B罪の刑とあわせて執行されるが,その執行については併合罪関係に基づく制限が設けられている(51条)。
→刑事政策 →刑法 →刑法理論
執筆者:西田 典之
犯罪とは,法的には刑罰法規に記述された条項に違反し,かつ有責の(行為の結果に対する判断能力を有する人による)行為とされるが,人間が社会生活を営んでいるところでは,犯罪以外にも,非難を加え,罰を与え,矯正,保護,排除の対象とするのが妥当と社会の成員によってみなされている一連の行為がある。そうした行為は,社会学的には一般に逸脱行動deviant behavior(逸脱)とよばれる。犯罪と逸脱行動との関連は複雑である。犯罪と規定されている行為と,社会成員が常識的・慣習的に逸脱とみなす行為とが重なり合っていることも多いが,しかし犯罪と規定されていても社会成員の多くが必ずしも逸脱とはみなさない行為もあれば,逆に犯罪と規定されていなくても,社会的には逸脱とみなされる行為もある。したがって,いかなる行為が犯罪であるのかということを考えるときには,法を所与のものとして扱うのでは不十分である。少なくとも(1)法が逸脱観や利害を異にする人々相互間のいかなる交渉過程を通じて立法化されたものであるのかということや,(2)制定された法が人々の現実の多様な逸脱観にどれだけ対応したものであるのかということや,(3)法執行-裁判過程にみられる統制者の心理的傾向(バイアス),さらに,(4)既存の法に対する改正運動,法執行のしかたへの社会的圧力等についても知る必要がある。
特定の人がなぜ犯罪を犯すのか,ということには多くの人々が関心を有する。犯罪原因の説明のしかたには三つの立場がある。第1は一元的原因論で,この立場はパーソナリティ特性や遺伝負因子や経済力など,どれか特定の因子が犯罪の原因として作用するとみる。第2は多元的原因論で,この立場は一つの要因を重視するのではなく,素質,精神的要素,社会的・環境的要素等の多様な要因の複合を犯罪の原因とみる。
第3は統合的原因論で,この立場は多様な要因を単に羅列するのではなくて,要因相互を関連づけたり,共通の要素を析出して,犯罪発生の一般過程を説明しようとするものであり,現代の犯罪学で最も重視される立場である。この立場に立脚するおもな犯罪-逸脱理論として次のものがある。(1)緊張-動機理論 なんらかの構造的緊張を有する社会的-文化的環境が一定の地位・階層を占める人々に圧力を加え,その結果,不満や相対的欠乏感におちいった人が犯罪に向かう側面を重視する理論。(2)文化的逸脱理論 通常の文化と異なって,犯罪を許容し,ときには奨励するサブカルチャーを学習し,それに同調することによって,人々が自然に犯罪に向かう側面を重視する理論。(3)統制理論 人間を社会につなぎとめておく社会的絆(きずな)や内面的な抑止力がなんらかの要因によって弛緩したり弱められたときに,人々が犯罪に向かう側面を重視する理論。(4)ラベリング理論labeling theory 社会成員が特定の人間を非合理な理由で逸脱者とみなし,その人を差別し,合法的な機会から排除するために,その人は生きるためにやむをえず犯罪を犯したり,他の逸脱者に接近するようになる側面を重視する理論。(1)は心理的不満を,(2)は学習-社会化を,(3)は統制力の弛緩を,(4)は統制の過重をそれぞれ重視した理論であるが,どの説明が有効であるかは,個々の犯罪ごとに経験的に判断されねばならない。
犯罪防止策として,これまで犯罪抑制,犯罪者の社会復帰,社会環境の改善などが重視されてきたが,近年では〈コスト・ベネフィットcost benefit〉の考えが注目されている。それは,一方で犯罪が社会にもたらす損害を計算し,他方で被害予防の諸経費,犯罪捜査,検挙,裁判,矯正などに要する費用を算定して,全体としてコストを安くし効率的に公共の安全性を維持しようとする考え方である。こうした犯罪防止計画は,社会的損害の少ない犯罪を非犯罪化してコストの軽減を合理的にはかることの可能性を示す反面,犯罪者や被害者の人権がどれだけ保障されるのかという点で,問題点が残ることも指摘されている。
執筆者:宝月 誠
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…広い意味での犯罪対策,あるいはそれに関する経験科学的ないし政策論的研究をいう。刑事政策は,犯罪に対してどのような制裁を用いて対処するか,とりわけ犯罪者にどのような処遇を施すか,という問題を軸として展開してきた。…
…
[前期旧派]
前期旧派(前期古典派)は,18世紀末から19世紀初頭にかけて,市民社会の成立期にイタリアのベッカリーア,ドイツのP.J.A.vonフォイエルバハらによって形成・展開された。その特色は,国家刑罰の根拠と限界を社会契約説によって基礎づけることから出発して,罪刑法定主義の確立,刑法と宗教・道徳の峻別,一般予防的目的刑論,犯罪と刑罰との均衡が必要であるという意味での相対的応報刑論,客観主義の犯罪論を主張したことにあった。アンシャン・レジームの刑事法制度が,王権神授説に結びつく贖罪応報思想と絶対王政の権威を示す威嚇刑思想を基礎に,罪刑専断主義,刑法と宗教・道徳との不可分性,身分による処罰の不平等性,死刑と身体刑を中心とする刑罰の過酷さを特色としていたのに対して,前期旧派は,それを根本的に改革するために,刑事法制度を宗教と王権の権威から解放し,人間の合理的理性と功利主義的思考によって基礎づけようとしたのであった。…
…罪という言葉には大別して法律に違反する〈犯罪〉,道徳的規範に反する〈罪悪〉,宗教的戒律にそむく〈罪業(ざいごう)〉の三つの意味がある。犯罪は社会の法的秩序を破る行為であり,法にもとづいて刑罪を加えられる。…
※「犯罪」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
働き手が自分の働きたい時間に合わせて短時間・単発の仕事に就くこと。「スポットワーク」とも呼ばれる。単発の仕事を請け負う働き方「ギグワーク」のうち、雇用契約を結んで働く形態を指す場合が多い。働き手と企...
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