自由党(読み)じゆうとう

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

自由党(1998年結成)
じゆうとう

1997年(平成9)の新進党の解党によって、新進党党首小沢一郎を中心に98年1月6日に結成された保守政党。党首小沢一郎の「私党」としての性格の強い政党で、国際政治における軍事的役割の発揮や規制緩和などの「新保守主義」を掲げ、衆議院40人、参議院12人の議員が参加した。結党直後は、2月の長崎県知事選や衆院長崎4区の補欠選挙で自由民主党に敗れるなど不振が続いたが、7月の参院選では、予想外に善戦して改選5議席を1上回る6議席を獲得した。直後の首班指名では第1回投票から当時の民主党代表菅直人に投票するなど野党色を強めたが、臨時国会での金融関連法案の審議に際して「政局にしない」と発言した菅民主党代表の対応への不満から次第に自民党に接近し、同年11月19日の自民党総裁(首相)小渕恵三(おぶちけいぞう)と自由党党首小沢一郎との党首会談で、次期総選挙での協力や連立政権の樹立などで合意した。その後、両党の政策協議が進められ、日米新ガイドライン関連法案や国連のPKO(平和維持活動)への対応など安保・外交問題をめぐって難航したが、結局、通常国会召集の直前に決着をみた。こうして、99年(平成11)1月14日の小渕恵三内閣の第一次内閣改造で幹事長野田毅(たけし)が自治相として入閣し、自民党と自由党の「自自連立」政権が発足。同年10月5日には、第二次内閣改造で公明党を含めた自民・自由・公明(自自公)3党による自自公連立政権が発足した。その後、議員定数削減問題など自由党主導の政策決定が進められたが、2000年4月に同党は政策合意実現の遅れから連立を離脱した。一方、離脱に反対する野田毅ら自由党議員の過半は新党「保守党」を旗揚げして政権与党にとどまり、自由党は結党以来2年3か月で二つに分裂した。2003年7月、小沢は民主党代表の菅と会談し、自由党と民主党の合併に合意、同年9月、自由党は解散し、民主党と合併した。[五十嵐仁]
『五十嵐仁著『概説 現代政治――その動態と理論』第3版(1999・法律文化社)』

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

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