自由党[コロンビア](読み)じゆうとう[コロンビア](英語表記)Partido Liberal

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「自由党[コロンビア]」の意味・わかりやすい解説

自由党[コロンビア]
じゆうとう[コロンビア]
Partido Liberal

コロンビア政党。 1830年代に結成された政党で,同時期に設立された保守党とともに二大政党をなす。近代的商工資本家層を支持基盤とし,反教権主義的立場と連邦主義的立場をとる。結党以来保守党との紛争が絶えず,1899~1902年には「千日戦争」と呼ばれる内戦にまで発展した。その後 30年までは保守党が政権を握っていたが,34年にアルフォンス・ロペスが大統領に選出されてからは自由党が政権を獲得。しかし,46年の選挙をめぐり党内が分裂し,政権は保守党に移った。さらに 48年4月に自由党左派の指導者ホルヘ・エリエセル・ガイタンが暗殺されたのを契機ボゴタッソと呼ばれる大暴動が発生,さらには自由,保守両党を巻込んだ内戦に発展した。その後,自由,保守両党は和解を進め,両党が4年ごとに大統領を交代し,立法議会のポストも両党に均等に配分するなどの協定を盛込んだ「国民戦線」を 58年に組織し,協定にのっとった政府が 74年まで続いた。 74年からは自由選挙が復活し自由党政権が続いたが,79年5月以降党内対立が激化し,82年の大統領選挙には党内の調整がつかず2人が立候補し,保守党の勝利を許した。しかし 86年3月の総選挙で過半数議席を確保した余勢をかって5月の大統領選挙でもビルヒリオ・バルコ前ボゴタ市長が勝利,党内分派の新自由主義派も復党して自由党政権が成立した。 90年5月の大統領選挙は,3人の大統領候補が暗殺されるという麻薬戦争の最中に行われたが,セサル・ガビリア元内相が当選し,保守党との連立内閣を発足させた。 92年4月にアルフォンソ・ロペス・ミチェルセン党首を辞任したのち,党内は再び派閥争いが激化したが,94年大統領選挙では旧新自由主義派のエルネスト・サンペル元経済開発相が勝利した。 98年の大統領選挙では決戦投票の末に保守党に敗北したが,同時実施の議会選挙では過半数議席を得て第1党の地位を保った。

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