吉田(読み)ヨシダ

デジタル大辞泉 「吉田」の意味・読み・例文・類語


よしだ【吉田】[地名]

愛知県豊橋市の旧称。江戸時代東海道五十三次の宿駅。→豊橋

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精選版 日本国語大辞典 「吉田」の意味・読み・例文・類語

よしだ【吉田】

  1. [ 一 ] 愛知県豊橋市の旧称。明治二年(一八六九)豊橋と改称。江戸時代は東海道五十三次の二川と御油の間にあった宿駅。
  2. [ 二 ] 京都市左京区の地名。吉田山、吉田神社、京都大学がある。
  3. [ 三 ] 福井県(越前国)北部の郡名。九頭龍(くずりゅう)川上・中流域の山間地。鎌倉時代に足羽(あすわ)郡から分置された。

よしだ【吉田】

  1. 姓氏の一つ。

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百科事典マイペディア 「吉田」の意味・わかりやすい解説

吉田【よしだ】

三河国の城下町および東海道の宿駅。現在の愛知県豊橋(とよはし)市に属する。戦国期の武将牧野氏が今橋(いまはし)城を築いて以後発展し,1522年牧野信成が今橋城を改めて吉田城と称したという。豊臣秀吉の命によって池田輝政が15万石余で入ると,吉田城は拡張整備され,豊(とよ)川の治水工事,町並を整備するなどの本格的な城下建設に着手した。吉田藩は松平(竹谷)家清・松平(深溝)忠利・水野忠清・水野忠善・小笠原忠知・久世重之・牧野成春・松平(大河内)信祝・松平(本庄)資訓・松平(大河内)信復と,近世中期まで譜代大名(ふだいだいみょう)の交代があいつぎ,石高は初期は3万〜5万石,1712年以降は7万石であった。藩校は時習館。城下の整備は小笠原氏の代にほぼ完了した。城下は北の豊川を背にして本丸,二の丸などの城郭があり,城を三方から囲むかたちで侍屋敷,その外側に総堀を隔て町方が展開した。町方は東海道に面する表町12町と,裏町12町からなり,吉田24町と総称された。貞享(1684年−1688年)頃の総家数999軒,町行24町14間余。城の大手門に接する札木(ふだぎ)町・呉服(ごふく)町付近が中心で,札木町には本陣・脇本陣・旅籠が置かれ,東海道や信州と結ぶ街道(伊那街道)の往還で賑わった。船(ふな)町は三河湾や豊川の水運基地(吉田湊)としての機能を有した。吉田宿は東海道設定当初からの宿駅で,《宿村大概帳》によると宿内人別5277,家数1293,うち本陣2・脇本陣1・旅籠屋65。宿内には鍛冶師が多数おり,農具を製作していたという。1858年の通行は上り下り合計で御朱印人足9070人・御証文馬627匹・賃人足4万4512人・賃本馬1万7133匹・賃軽尻9680匹・無賃人足1万2161人・無賃馬44匹であった。1869年吉田藩は豊橋藩と改名され,地名も豊橋となった。

吉田[町]【よしだ】

広島県中部,高田郡の旧町。大部分が丘陵性山地で,可愛(えの)川と多治比川の合流点付近に主集落があり,国道54号線が通じる。毛利氏発祥の地。米作を中心とした農業を行うほか,林業も営む。工業団地がある。郡山(こおりやま)城跡(史跡),戦国の武将吉川元春の墓がある。2004年3月高田郡八千代町,美土里町,高宮町,甲田町,向原町と合併し,安芸高田市となる。84.81km2。1万1598人(2003)。

吉田[町]【よしだ】

鹿児島県鹿児島郡の旧町。鹿児島市の北に接し,九州自動車道が通じる。ベッドタウン化が著しい。水田が広く,麦,サツマイモも産し,キュウリなどのハウス野菜栽培,畜産,林業も営む。2004年11月鹿児島郡桜島町,揖宿郡喜入町,日置郡松元町,郡山町と鹿児島市へ編入。54.79km2。1万1849人(2003)。

吉田[町]【よしだ】

新潟県中部,越後平野の南部を占める西蒲原(にしかんばら)郡の旧町。中心の吉田は信濃川の支流西川の右岸にあり,河港,弥彦神社参道の茶屋町として発達し,越後線と弥彦線の交点をなす。綿織物・洋食器・機械製造が盛ん。2006年3月西蒲原郡分水町と市へ編入。32.00km2。2万4769人(2005)。

吉田[町]【よしだ】

愛媛県南西部,北宇和郡の旧町。宇和島湾に突出する半島部を占める。予讃線が通じる主集落の吉田は陣屋町として発達し,京都風の街路を残す。立間(たちま)は県のミカン栽培の発祥地で,経営規模も大きく,機械化も進む。2005年8月北宇和郡三間町,津島町と宇和島市へ編入。48.12km2。1万2797人(2003)。

吉田[町]【よしだ】

埼玉県西部,秩父市の西に接する秩父郡の旧町。山地が多く,東部を赤平川,中部を吉田川が流れる。中心市街は近世市場町として発達。イチゴ,キュウリなどを産し,畜産も行う。工業では,精密機器,弱電機などの企業が立地している。2005年4月秩父郡大滝村,荒川村と秩父市へ編入。66.10km2。6008人(2003)。

吉田[町]【よしだ】

静岡県南部,大井川河口部右岸の三角州を占める榛原(はいばら)郡の町。川尻を中心に浜名湖をしのぐウナギ養殖地。中心の住吉は漁網,綿織物を多産。北西部に東名高速道路吉田インターチェンジがある。20.73km2。2万9815人(2010)。

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改訂新版 世界大百科事典 「吉田」の意味・わかりやすい解説

吉田 (よしだ)

三河国(愛知県)の城下町。東海道の宿駅。戦国の武将牧野氏がこの地に今橋城を築いて職人を招き,社寺を勧請してから発展し,一説では1522年(大永2)牧野信成が今橋城を改めて吉田城と称したという。吉田城は東から今川氏,西からは松平氏,それに田原の戸田氏の進攻の前に幾度か戦火にさらされたが,豊臣秀吉の命によって池田輝政が15万石余で入封すると,城郭を築き,豊川の治水に努力し,町並みを整備するなど,本格的な城下の建設に着手した。江戸幕府創設後は譜代大名の交替が相次いだが,歴代藩主の努力もあって城下町として発展した。城下は北に豊川を背にして本丸,二の丸などの城郭があり,その外側に侍屋敷が三方から城を囲むかたちで配置され,この外側に総堀を隔てて町方が展開した。町方は東海道に面する船町,田町,坂下町,上伝馬町,本町,札木町,呉服町,曲尺手町,鍛冶町,下(しも)町,今新町,元新町の表通り12町と,天王町,萱町,指笠町,御輿休町,魚町,垉六(ほうろく)町,下り町,利(とぎ)町,紺屋町,元鍛冶町,手間町,世古町の裏通り12町,計24町からなっていた。なかでも南面する城の大手門に接する札木・呉服町付近が中心街で,札木町には本陣,脇本陣,旅籠(はたご)が並び,東海道や信州とを結ぶ伊奈街道を往来する人々でにぎわった。また,船町は三河湾や豊川による水運の基地としての機能を果たしていた。戸数は年によって変動するが約1000軒前後,人口は1712年(正徳2)に7219人とある。1869年(明治2)版籍奉還の際,豊橋と改称したのは豊川にかかる橋の名によるといわれる。
吉田藩
執筆者:


吉田[町] (よしだ)

静岡県南部,榛原(はいばら)郡の町。人口2万9815(2010)。大井川河口西岸に位置し,南は駿河湾に面する。北部の牧ノ原台地から中央部の平地を湯日(ゆい)川が南流し,駿河湾に注ぐ。台地は茶畑に,散居集落の多い平地部は水田に利用されている。大正期以来,駿河湾に面する南部の川尻を中心に,扇状地末端の豊富な地下水を利用してウナギの養殖が行われる。また吉田漁港では,白子(しらす)を主としてカツオ,キス,イカなどが水揚げされる。1969年東名高速道路吉田インターチェンジが開設され,在来の漁網,織布生産のほか,食品加工などの工場が進出している。能満寺の大ソテツは国の天然記念物。
執筆者:


吉田(広島) (よしだ)


吉田(愛媛) (よしだ)


吉田(鹿児島) (よしだ)


吉田(埼玉) (よしだ)


吉田(島根) (よしだ)


吉田(新潟) (よしだ)

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「吉田」の意味・わかりやすい解説

吉田(島根県)
よしだ

島根県東部、飯石郡(いいしぐん)にあった旧村名(吉田村(むら))。現在は雲南市(うんなんし)の南部を占める地区。2004年(平成16)大東(だいとう)町、加茂(かも)町、木次(きすき)町、三刀屋(みとや)町、掛合(かけや)町と合併、雲南市となる。旧村域は、南を広島県に接する中国山地に位置し、面積の約80%は山林である。国道314号が通じる。中世から大正期まで、鉄師田部(たなべ)家を中心にたたら製鉄が盛んであった。田部家経営のたたらの一つ「菅谷たたら山内(すがやたたらさんない)」は広大な砂鉄精錬場で、高殿(たたら/たかどの)、鉄倉、元小屋、米倉、長屋などが残り、国の重要有形民俗文化財に指定されている。過疎化が進んでいるが肥育牛の育成に活路を求め、有機農業が盛ん。堀江家住宅は江戸中期の農家建築で国指定重要文化財。

[小松 聰]



吉田(広島県)
よしだ

広島県中北部、高田郡(たかたぐん)にあった旧町名(吉田町(ちょう))。現在は安芸高田市(あきたかたし)吉田町地区。1896年(明治29)町制施行。1953年(昭和28)丹比(たんぴ)、可愛(えの)、郷野(ごうの)の3村と合併。2004年(平成16)八千代(やちよ)、美土里(みどり)、高宮(たかみや)、甲田(こうだ)、向原(むかいはら)の5町と合併、市制施行して安芸高田市となる。旧吉田町の中心部は江の川(ごうのかわ)水系の可愛川と多治比川の合流点にあり、南北朝時代に毛利氏が築いた郡山城跡(こおりやまじょうあと)(国の史跡)がある。1591年(天正19)毛利輝元(てるもと)が広島城へ移るまで毛利氏の本拠で、城跡には元就(もとなり)、隆元(たかもと)らの墓などが残る。江戸時代は広島城下と山陰地方を結ぶ街道の宿場町として栄えた。明治以降は郡の中心で県の出先機関が置かれたが、現JR芸備線敷設から外れたためややさびれた。安芸高田市役所の所在地で、国道54号が通じる。国道沿いに機械、金属などの工場立地がみられ、野菜・花卉(かき)栽培などの近郊農業が営まれる。清神社(すがじんじゃ)の5月5日の祭礼にはだんじり屋台で子供歌舞伎(かぶき)が演じられる。

[北川建次]



吉田(町)
よしだ

静岡県中央部、榛原郡(はいばらぐん)南部にある町。大井川右岸河口部に位置する。1949年(昭和24)町制施行。町域の大部分が大井川の三角州上にあり、わずかに北西部が牧ノ原丘陵に接する。国道150号が通じ、東名高速道路吉田インターチェンジがある。町域は『和名抄(わみょうしょう)』の榛原郡神戸郷にあたり、条里制遺構が存在した。平安時代には初倉荘(はつくらのしょう)域に属した。江戸時代、しばしば大井川の洪水に襲われ、源左衛門様堤、清助様堤などの築堤が進んだ。近年、農業用排水路整備が進み、レタス、メロン作りが盛ん。茶もつくられる。大正末期に低温湧水(ゆうすい)の被害を受けた廃田を開発して養鰻業(ようまんぎょう)が行われるようになり、養殖ウナギ産地として知られる。吉田港は県下有数のシラス水揚げ港。大井川沿岸を中心に工場進出が活発化している。また、能満寺のソテツは国の天然記念物。面積20.73平方キロメートル、人口2万8919(2020)。

[川崎文昭]

『『静岡県吉田町史』全3巻(1985~1997・吉田町)』



吉田(愛媛県)
よしだ

愛媛県南部、北宇和郡にあった旧町名(吉田町(ちょう))。現在は宇和島市の北西部を占める地域で、宇和海に面す。旧吉田町は、1889年(明治22)町制施行。1938年(昭和13)立間尻(たちまじり)村を編入、1955年(昭和30)奥南(おくな)、喜佐方(きさがた)、立間の3村と高光(たかみつ)村の一部、東宇和郡玉津村と合併。2005年(平成17)三間(みま)、津島の2町とともに宇和島市に合併。中心の吉田は1657年(明暦3)伊達宗純(だてむねずみ)が宇和島藩から分知した吉田藩3万石の陣屋町であった。江戸中期に土佐から移植されたミカンは立間の温州ミカン(たちまのうんしゅうみかん)として品質のよさで全国的に知られた。ミカン生産は県内随一で、立間には缶詰工場もある。沿岸は、かつてはイワシ漁業が盛んであったが、現在はハマチや真珠の養殖が行われる。法華津(ほけつ)峠からの宇和海の展望はすばらしく、足摺(あしずり)宇和海国立公園の一部をなしている。かつては宇和島街道がこの峠を越えていたが、現在は国道峠下の法華津トンネルを国道56号、378号とJR予讃(よさん)線が通過する。

[横山昭市]

『『吉田町誌』全2巻(1976・吉田町教育委員会)』『『吉田町誌――昭和・平成30年の歩み』(2005・吉田町)』


吉田(埼玉県)
よしだ

埼玉県西部、秩父郡(ちちぶぐん)にあった旧町名(吉田町(まち))。現在は秩父市の北部を占める地域。旧吉田町は1928年(昭和3)町制施行。1956年上吉田村と合併。2005年(平成17)秩父市に合併。旧町域は秩父盆地北部を含み、北境は群馬県の神流(かんな)湖に接する。平将門(たいらのまさかど)の伝説が残る城峰山(じょうみねさん)(1038メートル)をはじめ、600メートル級の山地が多く、集落や耕地は渓谷沿いに分布し、北部は県立上武(じょうぶ)自然公園に属する。江戸時代は3、8の日に市(いち)が立ち、絹、タバコの取引が行われた。また、1884年(明治17)に起こった秩父事件発生の地でもある。古くからの珍しい行事が多く、小川集落で8月16日の夜に行う百八灯(ひゃくはっとう)は県選択無形民俗文化財。また県指定無形民俗文化財の貴布弥(きぶね)神社の神楽(かぐら)、下吉田の椋神社で10月第2日曜日に打ち上げる竜勢(りゅうせい)花火の神事などがある。

[中山正民]

『『吉田町史』(1982・吉田町)』


吉田(鹿児島県)
よしだ

鹿児島県北西部、鹿児島郡にあった旧町名(吉田町(ちょう))。現在は鹿児島市の北部を占める一地区。1972年(昭和47)町制施行。2004年(平成16)鹿児島市に編入。旧町域は、7割を山地やシラス台地が占める。九州自動車道が通じ、薩摩(さつま)吉田インターチェンジがある。古代は大隅(おおすみ)国吉田院、藩政時代は島津氏直轄領の一つで、佐多浦に麓(ふもと)(外城(とじょう))が置かれた。野菜を中心とした近郊農業とブロイラーの畜産が盛んである。鹿児島の中心市街地に近く、近年、住宅地開発によってベッドタウン化が進展している。

[平岡昭利]


吉田(新潟県)
よしだ

新潟県中央部、西蒲原郡(にしかんばらぐん)にあった旧町名(吉田町(まち))。現在は燕(つばめ)市の北部を占める地域。旧吉田町は1924年(大正13)町制施行。1954年(昭和29)米納津(よのうづ)、粟生津(あおうづ)の2村と合併。1957年分水(ぶんすい)町の一部、1960年岩室(いわむろ)村の一部を編入。2006年(平成18)燕市に合併。JR越後線(えちごせん)と弥彦線(やひこせん)が交差し、国道116号、289号が通じる。近世は西川舟運の河岸場(かしば)町で、六斎市(ろくさいいち)の立つ市場町として栄え、晒木綿(さらしもめん)の特産地として知られた。第二次世界大戦後、隣接の燕市の輸出洋食器の発展で工業都市化運動が盛んとなり、工業団地、住宅団地の造成で大企業の進出をみ、金属洋食器、鉄鋼、一般機械、電気輸送機械などの工場がある。

[山崎久雄]


吉田(愛知県西尾市)
よしだ

愛知県西尾市(にしおし)の一地区。旧吉田町。矢作古(やはぎふる)川の河口にあり、江戸時代から新田が多く、入浜式製塩が盛んであった。名古屋鉄道西尾線と蒲郡(がまごおり)線の吉良吉田駅がある。

[編集部]


吉田(愛知県豊橋市)
よしだ

愛知県豊橋市(とよはしし)の旧称。1869年(明治2)改称。江戸時代は吉田藩の城下町で、東海道の宿場町。吉田城跡は豊橋公園として整備され、復原された鉄櫓(くろがねやぐら)や豊橋市美術博物館がある。

[編集部]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「吉田」の意味・わかりやすい解説

吉田
よしだ

埼玉県西部,秩父盆地の西側にある秩父市北部の旧町域。 1928年町制。 1956年上吉田村と合体。 2005年秩父市,大滝村,荒川村と合体して秩父市となった。中心地区の下吉田は赤平川とその支流の吉田川の合流点に位置し,谷口集落として発達。江戸時代には3と8のつく日を市日とする六斎市が開かれ,特に絹市が有名であった。果樹を中心とする観光農業と野菜栽培が主である。毎年 10月 10日に椋 (むく) 神社に奉納される竜勢 (ロケット花火) は有名。北東部の城峰山 (1038m) を含む山岳一帯は上武県立自然公園に属し,南西部は西秩父県立自然公園に属する。

吉田
よしだ

愛媛県南西部,宇和島市北西部の旧町域。宇和海に臨む。 1889年町制。 1955年奥南村,立間村,喜佐方村,玉津村の4村および高光村の一部と合体。 2005年宇和島市,三間町,津島町と合体して宇和島市となった。中心集落の吉田は明暦3 (1657) 年以降吉田藩の城下町として繁栄。当時の家並みが残る。立間は愛媛県の温州みかん栽培の発祥地で,大規模な専業農家が多い。選果場,加工場が整備され,法人組織により経営されている。養殖漁業も行なわれる。西予市宇和地区との境にある法華津峠 (法花津峠) は眼下に段々畑とリアス海岸が一望できる景勝地。大信寺,大乗寺などの古刹がある。

吉田
よしだ

島根県東部,雲南市南部の旧村域。斐伊川源流域にあり,南で広島県に接する。 1889年村制。 1954年田井村と合体。 2004年大東町,加茂町,木次町,三刀屋町,掛合町の5町と合体して雲南市となった。大部分が山林。かつてはたたら製鉄が盛んで,鉄山師の中心田部家の本拠地。農林業のほか,南の県境にある大万木山の山麓を中心に観光開発が進められている。たたらの高殿 (たかどの) が残る遺構は菅谷たたら山内として有名。

吉田
よしだ

広島県中部,江川 (ごうがわ) 支流の可愛川 (えのかわ) 中流域にある地区。旧町名。 1896年町制。 1953年丹比,可愛,郷野の3村と合体。 2004年3月甲田町はじめ周辺5町と合併し,安芸高田市となった。中心集落の吉田は広島城築城までの毛利氏の本拠地で,郡山城の城下町として栄え,移転後は雲芸街道の宿場町であった。現在は国道 54号線に沿う商業中心地で,鋳物や自動車部品工業が立地。周辺は米作と野菜栽培が主。史跡の郡山城跡 (毛利氏城跡) ,毛利元就の墓,鈴尾城跡など毛利氏ゆかりの旧跡が多くある。

吉田
よしだ

新潟県中部,燕市中央部の旧町域。新潟平野の西部に位置する。 1924年町制施行。 1954年米納津村,粟生津村と合体。 2006年燕市,分水町と合体して燕市となった。中心集落は弥彦山 (634m) 東方にあり,信濃川の支流西川の河港として,米,木綿などの物資を集散,1と6の日には市が開かれた。大正初期越後線と弥彦線が開通し,医薬品や農機具製造工場が立地した。第2次世界大戦後は金属工業が盛んになった。

吉田
よしだ

愛知県南部,西尾市南部にある旧町域吉良の中心地区。1955年横須賀村と合体して吉良町となり,2011年西尾市に編入した。矢作古川左岸の三角州にあり,近世は吉良義央(上野介)の領地で,大部分が新田開発地である。元禄1(1688)年以来,製塩が行なわれ,塩の積出港として知られたが,工業製塩に取って代わられ,1971年に流下式枝条架塩田(→流下式塩田)も消滅した。近年はノリ養殖と米作,イチゴなどの温室栽培が行なわれる。

吉田
よしだ

鹿児島県中部,鹿児島市北部の旧町域。薩摩半島の基部に位置する。 1972年町制。 2004年鹿児島市に編入。江戸時代の集落が中心。シラス台地にあり,農林業が主で米,サツマイモ,用材などを産する。 1970年代以来,野菜の促成栽培が普及し,キュウリ,メロン,電照菊などの栽培が行なわれる。県教育センター,県青少年研修センターがある。住宅地化が進展,人口が急増している。

吉田
よしだ

豊橋市」のページをご覧ください。

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事典・日本の観光資源 「吉田」の解説

吉田

(愛知県豊橋市)
東海道五十三次」指定の観光名所。

出典 日外アソシエーツ「事典・日本の観光資源」事典・日本の観光資源について 情報

世界大百科事典(旧版)内の吉田の言及

【富士吉田[市]】より

…人口5万4691(1995)。戦国時代,吉田に富士信仰の行者である御師(おし)が宿泊するための町が設けられたのが起源で,江戸時代に富士講が庶民に広まり富士登山者が増えるにつれて,浅間(せんげん)神社の門前町として発達した。また他の郡内地方と同様に機業が盛んで,甲斐絹(かいき)生産の中心地として栄えた。…

※「吉田」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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