デジタル大辞泉 「権威」の意味・読み・例文・類語
けん‐い〔‐ヰ〕【権威】
2 ある分野において優れたものとして信頼されていること。その分野で、知識や技術が抜きんでて優れていると一般に認められていること。また、その人。オーソリティー。「
[類語](1)威厳・威信・威徳・尊厳・威儀・重み・
権威ということばは、さまざまな意味で一般に用いられる。日常的には、特定の分野における優れた人物や事物をさしたり、社会的信用や資格を意味したりするが、共通していることは、「社会的に承認を受けた」ということである。社会関係においては、制度、地位、人物などが優越的な価値を有するものと認められ、それらの遂行する社会的機能が社会によって承認される場合、それらの制度、地位、人物は権威を有している、という。この権威現象がもっとも顕著な支配・服従関係に限定すれば、強制力をもつ権力が社会的承認によって妥当性をもつに至った場合、権威が成立する。権力者が権力をもち、その権力を行使することが正しいと服従する者から認められる場合、服従者にとっては、その権力に服従することが正しいことであり、内容の吟味は二義的なものになってしまう。そして、強制によるのではなく、自発性をもって権力に服従することになる。このように、権力関係の正当性の信念が服従者に植え付けられたとき、権力は権威とよばれる。
[谷藤悦史]
権力的支配関係は本来不安定なものである。というのは、権力への服従は、服従者にとって不本意なものにほかならず、不利益を意味するからである。しかし、権力関係の成立によってもたらされる秩序の安定は、服従者にとって利益となることも事実である。服従者は、こうした利益・不利益さらには力関係をも含めて合理的に検討し、服従の道を選択する。この権力関係が長く持続されると、服従がしだいに制度化され、無批判的服従が一般化するようになる。そして、服従によってもたらされた秩序の安定が利益の源であるにもかかわらず、権力者が利益を創出しているという錯覚が生じる。優越的権力に対する服従は、権力者の優越的能力に対する服従へと転化し、より積極的なものとなる。服従は権力者の人格そのものに向けられ、その人格の営むすべての社会的機能が服従に値するものとなる。
[谷藤悦史]
権力は、いったん獲得されると、その維持のために多くの努力が払われなければならない。物理的強制力や経済的その他の利便の供与などもそのための重要な手段である。しかし、これらは、服従者に反感を醸成して彼らに抵抗の機会を与えたり、利便供与の停止が服従の撤回につながるなど、維持のコストは増大することこそあれ、けっして減少はしない。こうした手段のみでは、権力の永続化や安定化は望めない。
権力は正当化されることによって、すなわち権威に転化されることによって、服従者からの積極的服従を調達することができ、安定したものになる。いったん服従者からの信頼をかちえると、権力者がマイナス機能を遂行しない限り、それほど能動的な維持努力を払わなくても信頼関係は破壊されないので、権力維持のコストは安くつく。このため、権力者にとって、権力の正当性の信念を服従者に植え付け、権威によって権力関係の安定化を図ることは、つねに重要な関心事である。権力獲得の契機あるいは手段がいかに非合法的であろうとも、権力者はつねに権力の正当化に努める。こうした権力過程を丸山真男(まさお)の「権力の再生産過程モデル」で表すと、(C―)D―L―O―D(―S)となる。紛争conflictが起こり、力を背景とした支配・服従関係dominance and subjugationが成立する。そして、権力の正当化legitimationを通じて権力を組織化organizationし、服従者に諸価値を配分distributionして解決solutionするのである。
権威は服従者にとっても有用なものである。H・サイモンによれば、権威とは、「他人からの通信messageを、その内容を自身で吟味せずに、しかし進んで受容する現象」であり、精神的労苦の節約になる。すなわち、多くの人々は、自己の意思決定を権威に任せることによって、自信のない問題について決断を下す煩わしさから解放される。
[谷藤悦史]
権力が権威に転化するのは、服従者による権力の正当性の是認である。M・ウェーバーはこの正当性について三つの基本的タイプを提示した。合理(法)的正当性は、秩序、制度、地位などの合法性に基づいたものであり、法をその基礎に置いている。権力の行使が適切な手続によって作成された法律に従っているために正当性が生ずるのであり、服従は個人に対して向けられたものではなく、法で定められた地位や権限に向けられたものである。伝統的正当性においては、伝統が神聖化され、支配者は血統、家系、伝統によってその地位につき、伝統的手続に基づいて権力を行使するために内面的な服従を獲得する。カリスマ的正当性は、支配者個人の超人間的・超自然的資質、またその個人を通じて発せられる啓示に対する個人的帰依に基づく正当性である。丸山真男はこの三つのタイプに加えて、神権説や人民主権によっても正当性が成立するとした。
[谷藤悦史]
『丸山真男著『政治の世界』(1952・御茶の水書房)』▽『H・ラスウェル著、永井陽之助訳『権力と人間』(1966・東京創元社)』▽『M・ウェーバー著、世良晃志郎訳『支配の諸類型』(1972・創文社)』
一般に,メッセージの発信者と受信者との間に社会的に認められた関係が成り立っていて,発信者が発信する判断,決定,指示,暗示等のメッセージが,その内容を問われることなく自発的に受信者に受け入れられる場合に,両者の関係,また発信者の能力,さらにまた発信者それ自体を権威と呼ぶ。この場合,発信者と受信者は,人,集団,職業,資格,地位等のいずれでもあり得る。権威は,第1に社会のどの分野にもみられる社会的権威,第2に政治権力に付着する政治的権威,第3に産業社会化に伴って専門機構の帯びる専門的権威に区別することができる。
第1に,社会的権威は,優越的な位置からのメッセージが受信者にみずから進んで聞き入れられる日常的な関係である限り,どの時代どの社会においても,いたるところで見いだされる。子どもが親のいうことを聞いたり,患者が医者の診断に頼ったり,信者が教祖のお告げを信じたり,あるいは〈宮内庁御用達〉のゆえに顧客がその店を利用する場合,そこには広く社会的権威が成り立っているといってよい。こうした権威は,個体発生的には,人生初期の子の親に対する絶対的な依存に始まるといわれ,系統発生的には,根源的な力を宇宙から共同体に媒介する王,戦士,呪師等の存在に原型が見いだされる。つまり権威は,メッセージの発信者が元からもっている実体ではなく,受信者の不安の心性や依存の態度が発信者に投射されるところに発生する。この投射が社会的に制度化されて,発信者の側の非強制的指示と受信者の側の内容不問的な自発的服従との間の相互関係として恒常化するとき,権威は本来の形で存立する。権威とよく似た〈威信〉は,特定の勢力や影響力に価値づけを伴う社会的承認が与えられ,それへの服従が,尊敬,崇拝,憧憬,信服等の心理や感情に支えられて成立するのに対して,権威はもはやそうした心理過程を必要としないほどに社会的に制度化され,行為に内在化された関係といえる。
第2に,政治権力が権威を帯びるとき,それは上述の社会的権威とは異質の政治的権威としてあらわれる。なぜなら,政治権力に背負われた政治的権威は,もはや非強制的指示と自発的服従との交換ではあり得ず,指示と服従との関係は組織の仕組みにそって働く強制的なものに転化するからである。〈権力〉とは,一般に他者に行動を強いる能力で,とりわけ近代国家が暴力装置(物理的強制力)の独占によって支配・服従関係をつくる能力を指す。だが,政治権力が物理的強制力のような外在的・即自的な根拠だけで支配を維持できないことは明らかである。そこで政治権力は,あくまでも物理的強制力を保ち,規則や法の違反者への制裁の執行力を前提としながらも,背後に権威をもつことによって被治者の側から積極的な服従を調達し,同時に政治権力を他の社会的諸勢力から聖別しようとする。こうして,政治権力の発信する本来命令形のメッセージが,その内容の当否によってでなく,まさに政治権力の決定であるという形式そのものによって被治者の是認を調達できる場合に,権力は支配の内在的な根拠を獲得したといえる。この状態が,政治権力が政治的権威を身につけた状態である。
政治的権威の存立根拠は,時代と政治文化に応じて異なる。M.ウェーバーは,支配の正統性Legitimität,つまり政治権力の支配が被治者に正しいとみなされ,かつ実際にそう扱われるチャンスを重視したが,政治的権威の根拠はそうした倫理的正しさだけではない。それは理念や理論や信条体系から,より情動的・呪術的な領域にまで広がっている(カリスマ)。近代日本の場合,政治権力は,天皇の権威を民衆から遠距離におくことで生き神化し,それを究極的な光背として操作しつつ,権力への服従を調達した。いずれにせよ,その存立根拠を政治文化に根ざした価値に求めることによって,政治的権威は,政治社会の全構成員を束縛する唯一の制度的な権威となるのである。
 第3に,産業社会化の進展に伴って,もろもろの社会的権威のなかから専門組織の権威が突出してきて,しかもそれらが管理機構として新しい政治性を帯びるという事態が生じる。すなわち,テクノロジーの発達,専門分化と巨大組織化の進行,サービス産業の発達という一連の変化に伴って,われわれは日常生活の諸機能を,独占的な専門機構としてのサービス産業から,管理-被管理的な関係のなかでサービスとしてうけとる生活形態を余儀なくされる。こうしてわれわれは学校から教育というサービスを,病院からは治療というサービスを購入する。そのとき専門的サービス機構の帯びる専門的権威は,社会の管理的統合によって政治的権威を代執行しつつ,政治秩序の維持に核心的な役割を果たすのである。
→権力
執筆者:栗原 彬
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
 、祚に
、祚に (つ)くも幼
(つ)くも幼 なり。竇
なり。竇 兄弟、專ら
兄弟、專ら 威を
威を べ、
べ、 外の臣僚、親接するに由(よし)
外の臣僚、親接するに由(よし) (な)し。
(な)し。字通「権」の項目を見る。
出典 平凡社「普及版 字通」普及版 字通について 情報
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出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…
[権力と権威]
 この文脈で政治権力をめぐる中心的な主題として論じられてきたのは,権力と権威の関係であった。ここで権威authorityとは,ある領域の事柄に関して,無条件の自発的服従の調達を可能にするような正統性の根拠である。個々の命令の当否を判断することなく,命令を発する者に無条件に従うところに,権威関係の特徴がある。…
…ここで強制とは,価値剝奪(制裁)あるいはその威嚇をもって他者の行動に影響を与えることである(この価値剝奪には,期待される利益の賦与を差し止める場合も含まれよう)。もちろん,権力者は,通常の場合には,奨励(利益誘導)や義務づけ(権威・規範への訴えかけ)あるいは操作(心理的宣伝),説得(合理的議論)などに訴えるかもしれないが,これらの手段に失敗したあと(あるいはこれらの手段に従わない一部の者に対して),最終的手段ultima ratioとして強制力の行使(強権的手段の発動)に訴えることができなければ,これを権力の担い手と呼ぶことは適当ではない。逆に,強制以外の手段を補助手段としてもたず,絶えず強制に依存せざるをえない場合(これをむきだしの権力,あるいは裸の権力という)には,とうていその地位は安定的であるとはいえない。…
※「権威」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
[名](スル)二つ以上のものが並び立つこと。「立候補者が―する」「―政権」[類語]両立・併存・同居・共存・並立・鼎立ていりつ...