長野(市)(読み)ながの

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

長野(市)
ながの

長野県北部、長野盆地に位置する市。県庁所在地。1897年(明治30)市制施行。1923年(大正12)吉田町と三輪(みわ)、芹田(せりた)、古牧(こまき)の3村、1954年(昭和29)古里(ふるさと)、柳原(やなぎはら)、浅川、大豆島(まめじま)、朝陽(あさひ)、若槻(わかつき)、長沼、安茂里(あもり)、小田切(おだぎり)、芋井(いもい)の10村を編入、1966年篠ノ井(しののい)市と川中島、若穂(わかほ)、松代(まつしろ)の3町、七二会(なにあい)、更北(こうほく)、信更(しんこう)の3村と合併。2005年(平成17)豊野町(とよのまち)、戸隠村(とがくしむら)、鬼無里村(きなさむら)、大岡村(おおおかむら)と合併。2010年(平成22)信州新町(しんしゅうしんまち)、中条村(なかじょうむら)を編入。面積は834.81平方キロメートル。人口37万7598(2015)。
 市域は、北部を新潟県と接し、善光寺平(ぜんこうじだいら)ともよばれる長野盆地の大部分を占める。東部を千曲川(ちくまがわ)が北東流し、更北地区で西方から東流してきた犀川(さいがわ)と合流する。北部や西部は山地や丘陵地が占める。長野市街は南北方向には犀川の支流裾花(すそばな)川の扇状地上を中心に、盆地南端部の篠ノ井まで市街化し、また東西方向には、千曲川左岸一帯は連続して市街化し、おもな街道に沿って各種大型店が進出した。交通は、1998年(平成10)開催の冬季オリンピックおよびパラリンピックの開催地となった影響もあって、北陸新幹線が1997年10月に長野駅まで開通(通称長野新幹線)したのをはじめ、高速自動車道の長野自動車道(岡谷―更埴(こうしょく)間)と上信越自動車道(群馬県藤岡―新潟県上越間)も開通した。新幹線の開通で、従来の信越本線のうち、軽井沢―長野市篠ノ井間は第三セクターの経営になって、しなの鉄道と呼称がかわった。新幹線はその後2015年に金沢まで延伸し、長野―妙高高原間もしなの鉄道に移管された。このほか、オリンピックの競技場になった山ノ内町の志賀高原や、白馬(しろうま)岳山麓(さんろく)の白馬(はくば)村へのアクセス道は新設や改良で大幅に改善され、市は新幹線、高速道路、JR信越・篠ノ井線・飯山線の各線や、しなの鉄道、長野電鉄、さらには国道18号、19号、117号、403号、406号などの交通路の一大中心地になった。[小林寛義]

歴史

千曲川右岸には古墳の分布が多い。長野市のシンボルともいうべき善光寺は、1953年(昭和28)に発掘された瓦(かわら)から白鳳(はくほう)時代に創建されたものと推定される。戦国時代、長野市全域は甲斐(かい)の武田氏に攻略され、徳川政権確立後の1622年(元和8)松代を中心とする地は真田(さなだ)氏松代藩の所領となったが、そのほかは幕府領、旗本領など多様であった。善光寺門前の大門町(だいもんちょう)は近世に入って北国(ほっこく)街道の宿場として発展し、明治になると土産(みやげ)物屋が常設され門前町を形成した。1871年(明治4)には千曲川流域一帯を県域とする長野県の県都に、1876年には現在の長野県全域の県都になり、県の中枢機関だけでなく、中央官庁の出先機関、新聞社、学校、銀行などが集中するようになった。1999年(平成11)には中核都市の指定を受けた。また、冬季オリンピックの開催地になったため、国際的な知名度も向上した。戸隠地区は、戸隠神社を中心として典型的な宗教集落が形成され、宿坊、飲食店、土産物店が並ぶ。鬼無里という地名は、平維茂(たいらのこれもち)が鬼女を退治した「紅葉狩(もみじがり)」の伝説にちなむ。戸隠と鬼無里の間にある荒倉山には鬼女の紅葉(もみじ)が棲んだといわれる岩屋があり、一帯は謡曲『紅葉狩』の舞台とされる。新町地区では近世後期から明治にかけて松本まで犀川の通船があった。また同地区は明治、大正時代には養蚕と麻の取引で栄えた。[小林寛義]

市街

市街は第二次世界大戦の被害をほとんど受けなかったため、街路は改良が進まなかったが、オリンピックの開催を機に市街地の道路整備が進み、これに伴って新しい商店街が旧中心部の北・東・南の3方面に形成された。近世宿場町当時からの市街地中心部であった善光寺門前町と長野駅を結ぶ中央通りは商況が停滞し、市はこの活性化に努めている。JR長野駅は善光寺を模してつくられた旧駅舎を、新幹線開通とともに橋上駅に改築した。同時に駅前も整備され、これまで市の玄関口となっていた善光寺口(西口)のほか、新しく発展している市街東方への東口を改良・整備した。東口側からは、県民文化会館、NHK放送局、県立図書館をはじめ大型スーパー店、信州大学工学部、保健所などへのアクセスがよい。駅周辺にはホテルが集中し、オリンピック以前の景観は一変した。[小林寛義]

産業

県全体の比率からみると長野市の農業人口は少ないが、周辺部の信更地区、更北地区、新町地区を中心に米作、リンゴ、モモ、ブドウなどの果樹栽培、高原野菜やタマネギ栽培、中条地区ではクワ、芋井、信里、戸隠、鬼無里(きなさ)などではタバコなどの工芸作物の栽培や畜産が行われる。長野市街北方の往生地(おうじょうじ)は信州リンゴの発祥地の一つであり、長野市は県下のリンゴ栽培の中心地になっている。長芋、キノコ、ソバは特産。山間部では森林の育成・保存を推進している。また、善光寺や妙高戸隠連山国立公園をはじめ、観光資源に恵まれ、観光開発にも力を入れている。工業は、明治以来県都のため各種印刷物などの発注もあって印刷工業が発達し、技術水準が高かった。市の発展は、善光寺や県庁に依存してきた傾向があり、工業より商業の中心地であった。1997年現在、商品販売額は県全体の30%、商店数は18%を占める。工業も、昭和40年代から三菱(みつびし)電機、富士通、新光電気などの工場が立地し、テレビ組立て、半導体、コンピュータ、セラミックなどの電気機器工業が盛んになり、県下第一の工業地を形成するようになった。製造品出荷額は県総額の12%を占め、年間7700億円を超える(1996)。とくに目だつ工業は電機で、ついで食品、出版・印刷などである。[小林寛義]

文化・観光

善光寺の境内には国宝の本堂をはじめ大本願、大勧進(だいかんじん)のほか山内の36の宿坊が並び、全国の善男善女の参拝が絶えず、年間700~800万人に達する。東隣の城山(じょうやま)公園には信濃美術館や東山魁夷(ひがしやまかいい)館などがある。真田氏の城下町松代には、松代城跡、松代藩藩校の旧文武学校(ともに国指定史跡)、藩主真田信之霊屋(のぶゆきたまや)、旧横田家住宅(ともに国指定重要文化財)などがあり、象山(ぞうざん)記念館は佐久間象山(しょうざん)の遺品などを展示する。若穂地区の清水寺(せいすいじ)は国指定重要文化財の聖観音(しょうかんのん)立像、千手観音像などを蔵する。鬼無里地区の白髯神社本殿(しらひげじんじゃほんでん)は国指定重要文化財。また篠ノ井の川柳将軍塚古墳(せんりゅうしょうぐんづかこふん)・姫塚古墳は国の史跡に、泉平(いずみたいら)の素桜神社の神代ザクラ(そざくらじんじゃのじんだいざくら)は国の天然記念物に指定されている。
 千曲川と犀川の合流点は、「川中島の戦い」が行われた川中島古戦場として名高い。北部の戸隠地区には円錐(えんすい)火山の飯縄山(いいづなやま)がそびえる。南麓(なんろく)の飯綱(いいづな)高原には大小の湖沼が点在し、別荘地、ゴルフ場などに開発されている。戸隠山(1904メートル)は、戸隠連峰の主峰で、山岳信仰に発した神仏混交の霊場であり、平安時代から山伏の修験場(しゅげんじょう)として知られた。また、戸隠高原には高原植物が豊富で、戸隠森林植物園がある。裾花川の源流近くには、ブナの原生林やミズバショウの群生地があり、奥裾花自然園となっており、紅葉もよい。これらの山岳地や高原一帯は妙高戸隠連山国立公園に含まれる。ほかに聖(ひじり)高原、北野美術館、真田宝物館、戸隠そば博物館、スキー場、キャンプ場、牧場などがある。犀川沿いの新町には水内(みのち)ダムに堰き止められた琅鶴(ろうかく)湖、県歌「信濃の国」にも歌われている久米路(くめじ)橋などの景勝地がある。[小林寛義]
『小林計一郎著『わが町の歴史――長野』(1979・文一総合出版) ▽『長野市誌』全16巻(1997~2005・長野市)』

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