ヒトやサルは「視覚動物」といわれているが、まずこのことから考えてみよう。ツパイ(キネズミまたはリスモドキ)のような原始的なサルから、ゴリラ、オランウータン、チンパンジーそしてヒト(この場合にはヒトの祖先)に至るまでのすべてのサル(霊長類)は、木の上で生活するのに適した特徴を備えている。発達した脳、手足の平づめ、母指とほかの指とが向かい合う対向性などとともに、視覚の発達も重要な特徴の一つとなっている。
地上で生活する夜行性の動物では、目はあまり役にたたない。彼らは、見分けるのではなく「かぎ分ける」のである。一方、木の上で生活する昼行性のサルでは、嗅覚(きゅうかく)よりも視覚の重要性が増す。視覚が発達していれば、風や自分自身の重みで揺れ動く周囲の状況が確実に把握でき、また、木の葉の間にある食べ物を難なくみつけることもできる。こうしてサルは優れた視覚を身につけ、立体視の能力や色の識別能力も発達した。サルが視覚動物であるといわれるのは、このように樹上生活に適応して視覚がよく発達したからである。原始時代のヒトも同様である。樹上生活に別れを告げ、地上の生活に移ってからも、ヒトはその優れた視覚を保持し現在に至っているが、この「見る」能力が優れていたからこそ、人間はさまざまな文明を築きえたということができる。道具をつくりそれを駆使する能力も、視覚があって初めて成り立つものだからである。
しかし、現代文明のなかに身を置く大多数の人間は、アフリカの草原で伝統的な生活を営んでいる人々に比べ、視力の点ではかなり後退しているといわれている。一般には1.0~1.2の視力が健常だとされているが、アフリカの先住民のなかには、3キロメートルも離れたところにいるシマウマの縞(しま)を裸眼で識別できる能力があるという。日本などでは極端な遠視とされるであろう彼らの並はずれた視力は、草原の生活にとって必須(ひっす)の能力なのである。
[山口雅弘]
視覚が発達するとともに、脳のなかで視覚に関与する領域の割合も大きくなってきた。たとえばアカゲザルでは、大脳皮質の60%以上が視覚に関係している。これに対して、触覚に関係する領域は8%、聴覚は3%、嗅覚に至っては1%にすぎないといわれている。また、運動に関係する領域(運動野)は大脳皮質のたかだか10%である。このような広大な視覚領域が、視覚動物であるサルの優れた「見る」能力を支えている。
ここ十数年間、大脳生理学などの進歩によって、大脳皮質における視覚領域はいろいろな部分に分けられることがわかってきた。それによると、目の網膜に入った光の情報は、まず第一次視覚野に達し、そこからいろいろな視覚野に分配され、最終的には、空間的位置を識別する「頭頂連合野」と、形や色の識別を行う「側頭連合野」に到達する。第一次視覚野の大きさや機能はサルでも人間でもさほどの違いはない。しかし、光の情報を統合して視覚対象の認識を行う側頭連合野と頭頂連合野は、人間ではさらに発達して、より複雑な機能を営んでいると考えられている。
このように視覚動物である人間は、外界から取り入れる総情報量の70~80%を視覚に頼っている。この点はサルでも同じであろうが、人間とサルとでは、その生活にかかわる情報の絶対量が違う。現在は情報化時代といわれ、常日ごろ接する情報量は増加する一方で、目は酷使され続けている。職場のOA化に伴い、いわゆるVDT(ビジュアル・ディスプレー・ターミナル)障害が急増しているのも、その一つの現れである。職場ばかりでなく家庭にもパソコンやワープロなどのOA機器が入り込み、眼精疲労など目の障害を訴える人が増えている。こうした事実は、人間の「見る」能力にとって大きな警告といえる。
[山口雅弘]
ヒトやサルの「見る」能力の特徴は、遠近感を有し、かつ遠隔視ができ、立体視が可能なことであり、さらにもう一つ特筆すべきことは色覚をもつことである。「見る」ということに関する限り、ヒトとサルは、嗅覚優位の哺乳(ほにゅう)類のなかにあって、とりわけ鳥類に近い。
ヒト、サル(旧世界ザル)の色覚は三原色の組合せ(三色視)によるものである。これに対し、ほかの哺乳類は、従来は色の識別はできないといわれていたが、そうではなく、二色視が一般的と考えられるようになってきた。
ヒトが遠近感を有し、立体視ができるのは、目が顔の正面についていて視野が広く、かつ両眼の視野の重なる部分が大きいことによる。視野とは、1点を注視したとき、目を動かさずに見ることのできる範囲を視線からの角度で表したもので、ヒトの正常単眼視野は、水平方向では外方に約100度、内方に約60度、上下方向では上方約60度、下方70度くらいである。左右の単眼視野の合作が両眼視野で、ヒトの場合には水平方向約200度になるが、遠近感にとって重要なのは、両眼視野の広さより単眼視野が重なり合う範囲、つまり、両眼視を形づくる部分の大きさである。
ヒトの場合、その範囲は、顔の中心線から左右60度、合計約120度であり、類人猿を含め高等なサルではほぼ同じである。目の位置が顔の側面に移るほど外方への単眼視野が広くなり、したがって両眼視野は広くなる。しかし、逆に内方への単眼視野は狭くなり、当然、両眼視を形づくる部分は小さくなる。より原始的な特性を残す原猿類のサルであるキツネザルではこの部分は約90度、ツパイではさらに狭く約30度で、それだけ遠近感がとらえにくくなっている。
[山口雅弘]
ヒト、サルの「見る」ことの特徴として、もう一つあげなくてはならないのは、近接視が生活のうえできわめて重要な要素になっていることである。動物にとってもっとも基本的な行動である摂食を例にとると、多くの哺乳類が食物の良否を主として嗅覚で吟味するのに対して、ヒトやサルは、手にとって近くに引き寄せてその性状を判断する。食物に限らず、物を手にとって詳細に観察する行為はヒトやサルにとっては基本的な行動で、近接視がいかに重要かを物語っている。近接視を可能にしたのは、目そのものの機能とともに、手指が物を握るのに適するよう発達したことも大きくあずかっている。
ヒトは、道具をつくり、それを使ってさまざまな仕事を行うために、サルよりもいっそう近接視が重要である。旧石器時代から新石器時代、さらに鉄器時代と文明が進むにしたがって、ヒトの道具への依存度は高まり、遠隔視より近接視の比重がはるかに重くなってきた。ことに、文字の発明が近接視の重要性を決定的にしたといってよい。現代社会において、近接視がいままで以上に要求されていることは、職場における日常の仕事を考えればすぐに納得できるし、現在ではこれが過度に傾き、目の酷使につながっていることはすでに述べたとおりである。ヒトの目は、遠方の風景をぼんやりと眺めているときがもっともリラックスした状態にあり、逆に近くのものを詳細に観察するときもっとも緊張し、頻繁な調節を強要される。これが目の酷使の原因になるのである。
ヒトは年齢を経るにしたがい、一般に近接視の能力が衰えてくる。いわゆる老眼で、これは目のレンズ(水晶体)の曲率を調節する毛様体筋の働きが弱くなるためにおこる。現在は老眼鏡があるので、この衰えを容易に矯正することができる。
[山口雅弘]
ものを「見る」仕組みはどうなっているのか。その疑問を最初に解こうとしたのは、17世紀のフランスの哲学者デカルトである。目のレンズを通して、外の世界が網膜に逆さに映る。その像が視神経で脳に送られるが、デカルトは、脳の中心部(松果体)に小人がいて、送られてきた像を見ている、と考えた。
現在、ものを「見る」のは、目ではなく、脳で見ているのだということは、いわば常識になっている。目は「見る」ための必須の器官ではあるが、その役割は、極端にいえば外界からの光の情報を脳に伝える――そこにはいろいろなプロセスがあるとしても――ための窓口にすぎない。われわれが目を開いている限り、網膜にはかならずなんらかの像が映っているわけだが、脳の視覚野がそれを認知しなければ、本当に「見た」ことにはならない。「見えても見えず」というのは、脳が反応しない、つまり、視覚野の神経細胞が信号を出さない状態をいうわけで、「見る」という行動には、そのため、それ相応に意識を集中する必要があり、いわば能動的な行為である。
20世紀の後半に入り、直径1マイクロメートル(1000分の1ミリメートル)という極微細の電極を使って神経細胞が出す信号(活動電位)を計測するという方法を用いて、視覚に関する脳生理学的なアプローチが始まった。ここで、生理学はそれまでの心理学が入ることのできなかった領域に踏み込んだといえる。
今日までに明らかになった事実をいくつかあげてみよう。網膜に映った光の情報(映像)は、外側膝状体(がいそくしつじょうたい)を経て第一次視覚野に入り、ここで形や色、奥行、動きなどの情報に応じて、第二次視覚野~第五次視覚野に振り分けられる。さらにこれらの各視覚野間で情報の分配と統合が繰り返され、最終的には、形や色の識別を行う「側頭連合野」と、空間的位置の識別を行う「頭頂連合野」に到達する。ここで意味のある視覚対象の認識が行われる。これがヒトやサルの視覚の基本的なメカニズムである。
[山口雅弘]
さらに興味深い事実が明らかになったが、それは、視覚中枢の神経細胞に、対象物に応じた役割分担があるということである。その顕著な例が、動物の顔だけに敏感に反応する神経細胞、「顔(かお)細胞」である。これは、おもにサルの実験でわかったことだが、顔細胞は側頭連合野の一部のごく狭い領域に局在している。顔に反応する仕方もいろいろあり、ヒトの顔でもサルの顔でも顔ならなんでも反応する細胞と、特定の個体のサルの顔にしか反応しない特殊化した細胞もある。この顔細胞が局在する場所が破壊されると、顔の識別ができない「相貌(そうぼう)失認」がおこる。このことから、ヒトの場合でもこの場所の神経細胞によって、顔の識別や記憶が行われていると考えられる。
ヒトの場合、顔を区別する能力は、生後2週間の新生児にもすでにあることが知られている。この時期の乳児が母親の顔をじっと見つめたり、母親の顔が近づくと喜んだりするのは、母親の顔に反応する顔細胞が、この時期から働き始めているためと考えられる。顔細胞は、顔のなかでもとくに目、鼻、口の特徴に敏感に反応する。
同様に手を見るだけで反応する神経細胞が、やはり側頭連合野の一部に存在することも知られ、これを「手(て)細胞」とよぶ。このようにヒトを含めて霊長類の大脳視覚領域に、手にだけ反応する神経細胞があることは、手を使う行動が動物行動のなかでもきわめて高度なものであることを考え合わせると、非常に意味が深い。
このように、脳生理学がもたらした知識は、「見る」ことが脳の視覚領域できわめて精緻(せいち)な機能として営まれていることを予想させる。しかし、その詳細なメカニズムの解明にはまだかなりの時間が必要である。
[山口雅弘]
哺乳動物の場合、視覚をつかさどる大脳視覚領域の基本的な構造は遺伝的に決まっているが、生後しばらくは見るために必要な神経の細かい配線(視覚神経回路)は未完成で、外界からの刺激によって徐々に回路が構築されていく。このことを裏づける実験的な事実を紹介してみよう。
アメリカ、ハーバード大学教授ヒューベル(カナダ生まれのアメリカ人)とロックフェラー大学教授でスウェーデン人のウィーゼル(ともに1981年ノーベル医学生理学賞受賞)は、生まれたばかりの子ネコや子ザルの片方の目をふさいで数か月育てると、立体的にものを見られなくなるという事実を発見した。これは、立体視の成立には生後の一定期間、両眼視をすることが必須の条件であることを示している。また、イギリス、ケンブリッジ大学教授のブレイクモアーColin Blakemore(1944―2022)は、縦縞(たてじま)模様ばかりの環境で子ネコを飼育したのち、大脳の第一次視覚野の活動を調べると、縦縞には反応するが、横縞にはほとんど反応しないことを観察した。つまり、このネコは横縞が見えなくなっていたのである。
以上の実験例は、視覚神経回路が正常に発達するには、生後のある期間、外界からの多種多様な刺激がバランスよく与えられることが必要で、もし、特定の偏った刺激しか与えられないと、神経回路の形成も著しくゆがんでしまうということを示している。
このような外界からの刺激(外部環境情報)に対する感受性がもっとも高い時期を「臨界期」(敏感期)critical periodとよぶが、ヒトの場合、生後数週間から2歳半がこの時期にあたる。ヒトの視覚神経回路は、この臨界期を過ぎ3歳半までにほぼできあがるが、なお、8歳ころまでは未熟な状態が続く。いずれにしろ、生後まもなくから小学校低学年までの幼年期が「見る」能力を身につけるうえで重要な時期ということがわかる。
[山口雅弘]
ヒトの目は、百数十種に及ぶ色を見分けることができるが、これはすべて、青、緑、赤の三原色の混じりぐあいによって識別している。
[山口雅弘]
1986年、色の認識を支配している遺伝子が発見された。色を感じ取るのは、網膜上に並んでいる錐状(すいじょう)体(錐体)とよばれる視細胞で、その数は約600万個に達する。錐状体は青色光、緑色光、赤色光のどれか一つに反応するよう3種類に特殊化されている。3種類の視細胞には、それぞれ青色、緑色、赤色の視物質(オプシンとよばれる色素タンパク質)が含まれているが、これらのオプシンが実は色覚の鍵(かぎ)を握っているのである。つまり、目に光が入ると、その光に含まれている青、緑、赤の三色の量に応じて各オプシンが反応して信号を出し、この信号が神経を介して脳に伝わり側頭連合野で三原色の混合率に対応した色を感じ取るわけである。網膜には錐状体のほかにもう1種類、明暗を感じ取る桿状(かんじょう)体細胞(桿体。ヒトでは約1億個)があり、これにはロドプシン(タンパク質の一種)という視物質が含まれている。
このような三原色による色覚(三色視)を有するのはヒトと類人猿および旧世界ザルで、ほかの哺乳類は青色素と波長510~570ナノメートルの光に対応する第二の色素による二色視が一般的であると考えられている。
1986年に、色覚を支配する遺伝子を発見したのはアメリカ、スタンフォード大学のジェレミー・ネイサンズJeremy Nathans(1958― )で、世界的な注目を集めた。この色覚遺伝子は三原色に対応して3種類あり、それぞれ青色、緑色、赤色のオプシンの合成を指令している。これらの遺伝子が、22対の常染色体および性染色体(X、Y)のどこに乗っているのか興味があるところである。このうち、赤と緑の遺伝子については、赤緑色覚異常と異常三色覚(旧称は色弱)が伴性潜性遺伝(日本の男性の4.5%、ヨーロッパの男性の8%)であることから、X染色体上に乗っていると従来は推定されていた。
ネイサンズは巧妙な実験によって、青色遺伝子は第7番染色体に、ロドプシン遺伝子は第3番染色体に、そして緑と赤の遺伝子は従来からの推定どおりX染色体上にあることを確かめた。さらに、青色、赤色遺伝子はそれぞれ1個しかないのに、緑色遺伝子は1個の場合、2個の場合、3個の場合、また個人差があることを明らかにした。また、色覚異常の男性25人について、その遺伝子を検査したところ、赤緑色覚異常の人は赤か緑のどちらかの遺伝子が欠損しており、異常三色覚の人には赤と緑の遺伝子の一部が切れてつながったモザイク遺伝子がみられることがわかった。これは、色覚異常の原因が遺伝子の一部の変化(点突然変異)によるという従来の学説を改めるものである。これら一連の研究によって、色覚のメカニズムが遺伝子のレベルで解明されたことになり、その意義はきわめて大きい。
[山口雅弘]
『香原志勢著『人体に秘められた動物』(1981・NHKブックス)』▽『久保田競他著『脳の手帖』(講談社・ブルーバックス)』