ローマ[古代](読み)ローマ

百科事典マイペディアの解説

ローマ[古代]【ローマ】

伝承ではイタリア半島のテベレ河畔にラテン人のたてた都市国家から興り,のち世界帝国に発展した古代国家。一説に前753年ロムルスが建設,最初は王政であったが,前510年ころ共和政となった。共和政初期は,貴族(パトリキ)に対して平民(プレブス)の政治的同権を求める身分闘争が展開された。一方,前260年ころまでにイタリア半島を平定,次いでカルタゴとの3次にわたるポエニ戦争,および東方での戦争に勝利を収めて,前2世紀末には地中海を完全に支配した。しかし領土拡大の反作用として,中小自営農民(重装歩兵市民団の母体)の没落がみられ,グラックス兄弟の改革もむなしく,共和政末期の内乱が約1世紀続き,カエサルに代表される専制支配の傾向が生まれたのち,前27年オクタウィアヌスによって帝政(プリンキパトゥス)が成立した。帝政初期は五賢帝時代を通じて〈ローマの平和(パクス・ローマーナ)〉が続き,2世紀初めトラヤヌス帝治下で版図は最大となった。次いで3世紀後半の軍人皇帝時代には混乱が続いたが,ディオクレティアヌスがこれを収拾して帝国を再建し,専制君主政(ドミナトゥス)が生まれた。しかしテオドシウス帝の死後,395年に帝国は西ローマ帝国と東ローマ帝国(ビザンティン帝国)に分裂し,前者は476年オドアケルに滅ぼされたが,後者は1453年まで続いた。ローマ帝国の栄光は長くヨーロッパ統一の理念(ローマ理念)として継承され,〈第2のローマ〉(コンスタンティノープル),〈第3のローマ〉(モスクワ)の思想を生んだほか,カール大帝による西ローマ帝国の復活,オットー大帝による神聖ローマ帝国の創建,さらにはナポレオンの帝国,ファシズムの国家観にまで影響を及ぼしている。 ローマの文化的達成は,しばしばギリシアと対比されてその実用性やリアリズムの面のみが評価されるにとどまるが,ポリスの連合体と世界帝国とは同日の談ではない。世界宗教にまで発展したキリスト教,あるいはローマ法ラテン語の継受だけをとってみても,後世への影響は比類なく大きい。
→関連項目イタリアトロイアラテン人ローマの平和

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