デジタル大辞泉 「太陽」の意味・読み・例文・類語
たい‐よう〔‐ヤウ〕【太陽】
2 物事の中心となるもの、人に希望を与えるもの、輝かしいものなどのたとえ。「心の
[補説]雑誌「太陽」、人工衛星「たいよう」は別項。
[類語]
古くは「大陽」と表記し、中古から見られる。「太陽」の表記は幕末の対訳辞書などに見られ、一般化するのは幕末から明治にかけてである。幕末の諸外国語の学習過程で、漢籍に典拠がある「太陽」の方が選ばれるようになったものか。
太陽は地球にもっとも近い恒星であり、地球上の生命の源である。太陽は、太陽系の中心に位置し、万有引力により太陽系の天体の運動を支配しているだけではなく、太陽の光や熱や太陽風を太陽系の惑星や衛星、彗星(すいせい)、惑星間塵(じん)に送り続けている。
[日江井榮二郎]
太陽の基本的な定数は以下のとおりである。
半径 6.960×108m
体積 1.412×1027m3
表面積 6.087×1018m2
質量 1.9891×1030kg
平均密度 1.41×103kg/m3
表面重力 2.74×102m/s2
脱出速度 617.5km/s
総輻(放)射量 3.84×1026W
太陽定数 1.96cal/cm2・分
1.37kW/m2
(0.1%程度変動)
照度 1.3×105ルックス
有効温度 5777K(絶対温度、ケルビン)
スペクトル型 G2Ⅴ
実視等級 -26.75等
実視絶対等級 +4.82等
化学組成(質量比)水素:70.7%
ヘリウム:27.4%
その他の元素:1.9%
化学組成(粒子数)水素:92.6%
ヘリウム:7.3%
その他の元素:0.1%
地球に対する自転周期 26.90+5.2sin2∅
(注 ∅:日面緯度)
1天文単位 1.49597870×1011m
太陽―地球間距離
(1.47(近日点)~1.52(遠日点))×1011m
視半径 16'17"(近日点)~15'45"(遠日点)
1天文単位における視半径 16'1".18
光が1天文単位を通過する時間 8分19秒
年齢 約46億年
寿命 約100億年
太陽の半径は地球の109倍で、太陽の半径は地球から月までの距離(38万4400キロメートル)の1.8倍である。地球は太陽を焦点とする楕円(だえん)軌道を公転し、太陽にもっとも近づく近日点を1月上旬に、もっとも遠のく遠日点を7月上旬に通過する。したがって、太陽は冬至の時のほうが夏至よりも地球に近づく。近日点と遠日点との距離の半分を1天文単位という。1天文単位離れた位置から太陽を見るときの角度(視半径)は16分1秒18である。これは、100円硬貨を2メートル離れたところから見ることに相当する。光が太陽の表面から地球まで到達するのに8分19秒かかる。われわれがいまの瞬間に見ている太陽現象は、つねにいまより8分19秒以前におこったものである。
太陽は、その中心部では水素を燃料とした核融合反応がおきている。この反応時につくられるニュートリノは他の物質とほとんど反応をしないので、太陽から16分ほどで地球に到達している。しかし、光は太陽内部のガスに遮られて、表面に到達するのに約1000万年もかかる。太陽の質量は地球の33万倍、しかも核融合反応のための燃料である水素が豊富にあるので、46億年という長い時間、輝き続けることができた。しかし、水素の量は有限なので、太陽はいまから約50億年で燃えつきると推定されている。
地球は密度の大きい固体で形成されているのに対し、太陽は高温であるため、全体がガスのかたまりである。ガスにもかかわらず宇宙空間に逃げないのは、中心に向かう強い重力が働くためである。地球からの脱出速度が秒速11.2キロメートルであるのに対し、太陽では秒速約600キロメートルの高速である。しかし、高温のコロナの粒子は高速で動いていて、その一部は脱出速度を超えて太陽を離れ、太陽風となる。
太陽から宇宙空間に向かって放出される放射エネルギーの総量は、太陽の中心核でおこっている核融合反応によって発生するエネルギーでまかなわれている。1天文単位の距離で、太陽に垂直な1平方センチメートルの面が1分間に受ける放射量を太陽定数とよぶ。科学衛星からの観測により、この放射量は太陽の約11年の周期活動と同調して変動をすることがわかった。太陽黒点の多い活動期には多く、活動の極小期には少なくなる。変動の振幅は0.1%である。地表面では、地球大気により約半分の量が吸収されて、1平方メートル当り約700ワットの放射エネルギーが到達する。恒星は、その大気の吸収線の現れ方により、分類されている。これは表面大気の温度を反映している(「恒星」の項目参照)。太陽は恒星のなかでもほぼ中間の5777K(ケルビン)であり、G2型に属する。
太陽の見かけの明るさ(実視等級)はマイナス26.75等であるが、実視絶対等級(恒星を10パーセク=32.6光年の距離=30.8兆キロメートルから見たときの明るさ)では、プラス4.82等となる。
太陽も自転している。その向きは地球の公転と同じである。地球と同様に自転軸に沿って回したとき、右ねじの進む方向を北極、その逆を南極とよび、北緯90度、南緯90度とする。赤道からの緯度を日面緯度という。太陽の自転運動は地球のような剛体回転とは異なり、極域は遅く、太陽の赤道に近づくほど角速度が速い。この回転現象を微分回転または赤道加速とよぶ。
[日江井榮二郎]
宇宙はいまから138億年前のビッグ・バンにより誕生したと考えられている。初期の宇宙には水素やヘリウムなどの軽い元素のみがつくられた。第一世代の恒星は軽い元素からなるものであり、この恒星の核融合反応により、炭素、窒素、酸素、鉄などの重元素がつくられた。
第一世代の恒星の最後に超新星などの爆発によって重元素を含むガスが宇宙空間に放出された。放出されたガスは、銀河系を回っているうちに濃淡の差を生じ、濃いガスは引力が働いてますます大きなガス雲となり、ガスのもつ重力エネルギーが熱エネルギーに変わり中心部を温める。ガスの密度が大きくなり不透明になると中心部に熱がたまり、やがて1000万K(ケルビン)を超す高温になる。このような状態になると水素の原子核は互いに衝突して核融合反応をおこす。核融合反応の火がともり、自分自身で光り輝くようになる。中心部の圧力も上昇し、ガス雲の収縮が止まり、安定した恒星となる。これが第二世代、第三世代の恒星の誕生である。太陽には水素、ヘリウムだけではなく、炭素、酸素などの重元素も含まれているので、第二世代か第三世代の星と考えられている。太陽は、いまから約46億年前、銀河系の中心から2.8万光年離れたところで誕生した。
[日江井榮二郎]
誕生したばかりの太陽は現在より活動的であったと考えられている。現在おうし座T型星が示しているように爆発的現象が数多くおこり、強い太陽風が吹いていたようだ。自転速度も、現在は27日で1回転しているが、誕生から約5億年後には、わずか9日で1回転していたと考えられる。自転が速いためダイナモ作用が働いて強い磁場をつくりだし、磁場のエネルギーが解放される激しい活動現象がおこったのかもしれない。あるいは誕生した太陽に向かって、まだ残っているガス雲が落ち込み、その重力エネルギーのために活動現象が生じたかもしれない。このような初期の活動の痕跡(こんせき)が、月の古い岩石や隕石(いんせき)、小惑星中に残されている可能性も考えられるが、現在までみつかっていない。初期の太陽風は非常に強く、太陽の角運動量を持ち去り、そのために自転速度がしだいに遅くなり、現在のような比較的安定した太陽となったと考えられている。
太陽の中心核では、時がたつにしたがって燃料である水素がしだいに少なくなり、燃えかすであるヘリウムがたまってくる。核融合反応で水素4個がヘリウム1個になり、粒子の個数が減るので圧力が減少する傾向になるが、中心核は周りから押しつぶされないように温度が上昇して圧力の減少を防ぐ。中心核が高温になると核融合反応が盛んになり、太陽は全体として明るくなる。いまから50億年後、明るい太陽に照らされる地球は、北極・南極の氷が融(と)け、海面は数十メートル上昇するという説もある。
[日江井榮二郎]
われわれにとっての1年は、地球が太陽の周りを1回公転する時間であり、年齢は公転した回数である。たとえば20歳の青年は、太陽の周りを20回まわったことになる。これとの類似で、太陽が銀河系を1回転するのを太陽にとっての1年=1銀河年とよぶとすると、太陽は誕生以来、23回余り銀河系を回っている。年齢でいえば太陽は23歳の青年に相当する。太陽の寿命は約100億年と考えられ、1回転には約2億年かかるので、50回銀河系を回ると死を迎える。
いまから50億年後には中心核はほとんどヘリウムに変わり、ヘリウムの芯(しん)を囲む殻の水素が燃えて全体が膨張する。明るさはいまの500倍になり、半径は100倍にも膨れ、水星の軌道をのみ込むほどになる。表面温度は4000K(ケルビン)ぐらいに下がり、赤色巨星になる。地球は巨大な太陽に照らされて煮えたぎるであろう。ヘリウムの中心核は重力で収縮し、その結果温度が1億Kの高温になる。するとヘリウムの核融合反応がおこり炭素がつくられ、爆発的に燃え出して、太陽ガスの何割かを宇宙空間に吹き飛ばすようになる。やがてヘリウムが燃え尽きると、次の燃料である炭素に火がつき、さらに核融合反応が続き、酸素や窒素がつくられる。太陽はますます高温になって膨張し、外側大気の多量のガスを放出して惑星状星雲になり、その中心星は白色矮星(わいせい)となる。これもやがては光を失って生涯を閉じる。
[日江井榮二郎]
宇宙には、数千億個の恒星と、星間ガスや星雲塵からなる銀河が、平均200万光年(1光年=9兆4600億キロメートル)の距離を置いて存在していると考えられている。そのなかの一つがわれわれの銀河系である。銀河系は直径約10万光年、厚さは中心部では1万5000光年、端では数千光年という円盤状をしている。銀河系は渦状腕(かじょうわん)(スパイラルアーム)をもっている。太陽は銀河系中心から2.8万光年離れていて、渦状腕に位置している。銀河系は全体として回転し、太陽の位置では秒速220キロメートルの速さで回っている。
[日江井榮二郎]
恒星の本当の明るさを比較する目安である絶対等級は、マイナス6等からプラス16等ぐらいに分布しているが、太陽はプラス4.82等で、およそ中くらいの明るさである。恒星の有効温度も高温の4万5000K(ケルビン)から低温の3000Kにわたっているが、太陽は5777Kで中ぐらいである。質量については、他の恒星が太陽の数十分の1から数十倍に分布し、半径は約10分の1から数百倍に分布する。これらの点からみても、太陽は夜空に見える多くの恒星のなかでごく普通の星といえる。
太陽にもっとも近い恒星はケンタウルス座のプロキシマ星で、4.3光年の距離にある。太陽は、多くの恒星とともに銀河回転の運動をしているが、しかし近傍の星に対しては、ヘルクレス座の1点に向かって秒速20キロメートルの速さで、太陽系の天体を引き連れて動いている。太陽の動いていく方向を太陽向点、その逆方向を太陽背点という。
[日江井榮二郎]
太陽は、八つの惑星、三つの準惑星、惑星を回る数多くの衛星、小惑星や彗星、惑星間塵などの運動を支配している。太陽からもっとも遠い惑星とされていた冥王星(めいおうせい)までの距離は約59億キロメートルとなる(なお、2006年8月の国際天文学連合(IAU)総会において、冥王星について自身の軌道周辺にほかの天体(衛星を除く)がある、との理由で太陽系の惑星とせず、惑星より小さな準惑星とするとの決定がなされている)。太陽を1センチメートルの球とすると、地球は太陽から1メートルのところに位置し、太陽系の端は40メートルのところとなる。この比較で、太陽にもっとも近い恒星であるプロキシマ星までは290キロメートルの距離となる。太陽系の天体は、太陽を中心に核家族を構成している。太陽は構成員に対して引力を及ぼすだけでなく、光や熱を与えてこれらの天体を暖めたり、また絶えず太陽風を吹き出して彗星の尾をなびかせたりしている。
[日江井榮二郎]
太陽の内部は見ることができない。しかし日震学や恒星内部構造論の研究により、またニュートリノの観測により、その内部構造を推定することができるようになった。
太陽の中心部には、核融合反応を行っている太陽のエネルギー源があり、中心核とよばれる。中心核は太陽中心から20万キロメートルの範囲であり、その外側に厚さ30万キロメートルの放射層、さらにその外側に厚さ20万キロメートルの対流層、その外側に厚さわずか500キロメートルの光球があり、これの上層には、彩層やコロナが存在している。
[日江井榮二郎]
太陽は巨大なガスのかたまりであり、全体のガスは強い重力により中心に引きつけられている。太陽の平均密度は1立方センチメートル当り1.41グラムである。太陽の中心はこの物質の重さで押し付けられているので、この重さを支えるために、中心部の圧力は2400億気圧という高圧になっている。中心部の密度は1立方センチメートル当り156グラムで、鉄の20倍であり、温度は1600万K(ケルビン)という高温である。このような高温下においては、原子は原子核と電子とに分かれてしまう。原子は約1億分の1センチメートルという大きさであるが、原子核はそれよりもさらに5万分の1ほど小さく、原子核ばかりを詰め込むと、原子を詰め込むよりも100兆倍も高密度のものがつくられることになる。密度が1立方センチメートル当り156グラムという状態は高密度ではあるが、原子核にとってはまだ自由に飛び回る空間があり、ガスの状態にあるといえる。
[日江井榮二郎]
太陽はほとんど水素から構成されており、その化学組成は、粒子数でいうと、水素が92.6%、ヘリウム7.3%、他の元素の総計が0.1%である。中心部の水素の原子核、つまり陽子は、高温であるので、秒速300キロメートルの速度で激しく動き回っている。陽子はプラスの電荷をもっているので互いに反発しあう電気の斥力(せきりょく)が強く、陽子どうしが衝突しようとしてもなかなかできず融合しない。陽子がもっている運動エネルギーは、電気的斥力の壁を越えるのに必要なエネルギーの約1000分の1しかないが、量子力学的なトンネル効果によって一部の高速な陽子は壁を突き抜けて2個の陽子がより接近する状態となる。そのときには電気的斥力よりも100倍も強い核力が働き、2個の陽子が衝突して融合する。
太陽の中心核では、2個の陽子が衝突して重水素原子核をつくり、さらにこれに陽子が衝突してヘリウム3というヘリウム同位元素になる。そしてヘリウム3の原子核どうしが衝突してヘリウム4の原子核となる。結局、4個の陽子から1個のヘリウムがつくられる。陽子の熱運動によって反応をおこすので、この反応を熱核融合反応ともよぶ。このとき多量のエネルギーが発生し、γ(ガンマ)線が放射され、2個のニュートリノが放出される。ニュートリノは電荷をもたず、他の物質とはほとんど反応せず太陽の中を通り抜けて宇宙空間に逃げ去る。陽子1個の質量は原子質量の単位(1.66043×10-24g)で表すと1.00728であり、4個の陽子の質量は4.02912となる。一方ヘリウム原子核は4.00151であり、0.7%だけ質量が失われる。この消えた質量が、相対性原理から導かれる質量とエネルギーの等価原理から、エネルギーとして放出される。1グラムの水素がヘリウムに変わる核融合反応では、およそ6300億ジュール、すなわち1キロワットのヒーターを連続して20年間も使うことができるエネルギーが発生する。1グラムの石炭を燃やした場合の約2500万倍である。太陽の中心核では、毎秒6億7000万トンの水素が燃え、その灰として6億5250万トンのヘリウムがつくられ、ここで失った質量に相当するエネルギーが、太陽を高温に保っている。太陽の全質量の10分の1が有効に核反応をおこすと考えられているが、現在の水素の消費量から推定すると、今後およそ50億年間燃え続けることができるとされている。
[日江井榮二郎]
中心核での核融合反応の際にニュートリノが放出され、太陽の内部を通り抜けて地球まで直接飛んでくる。毎秒1平方センチメートル当り1300億個のニュートリノが地上に到達している。
太陽ニュートリノは、岐阜県神岡鉱山の地下1000メートルの深さにあるスーパーカミオカンデとよばれる装置で観測されている。これは直径39.3メートル、高さ41.4メートルの円筒形タンクに超純水5万トンを蓄え、1万1129本の大型光電子増倍管を備えたものである。ニュートリノがここに飛び込むと水と反応して荷電粒子が高速でたたきだされ、この粒子が高速で走るときに発生するチェレンコフ光を検出している。ニュートリノは他の物質と反応をおこすことはきわめてまれなので、多量の水が必要となる。
[日江井榮二郎]
中心核で生じたγ(ガンマ)線やX線は、周りのガスにエネルギーを与えてそれを高温に暖め、そこからまた外層へと、次々に放射によって太陽内部のガスを暖めていく。温度は太陽表面に向かって低くなるが、平均の温度勾配(こうばい)は1キロメートル当り20K(ケルビン)というわずかな量であるので対流はおこらない。この層は放射層とよばれ、放射によってエネルギーが上層に伝わっており、ほとんど安定した放射平衡の状態になっている。厚さは約30万キロメートルであり、中心核の高温状態が変わらないよう、保温の役目もしている。また中心核の核融合反応が進みすぎて高温になりすぎると圧力が上昇し、放射層を押し上げる。この仕事をするために中心核はエネルギーを費やすので、中心核の密度が下がって核反応が鈍くなり、その結果として温度が下がる。一方、温度が下がりすぎると、周りのガスが中心部に落ち込み、その重力エネルギーにより、温度を上昇させる。つまり放射層は、つねに安定した核融合反応をおこさせるような自動制御の役目も果たしているのである。
[日江井榮二郎]
太陽の内部では、高温のため、原子は原子核と電子とに分かれていて、これらのガスは光を吸収する能力が弱い。しかし太陽表面に近づくとともに温度が低くなり、中性の水素やヘリウムが多くなる。これらのガスは光を吸収する能力が高くなる。そのため内部から流れてくる放射が表面近くでせき止められて急に流れにくくなり、その結果、太陽内部と表面とでは温度差が大きくなる。温度勾配が急になると、エネルギーの流れは放射よりも対流によって運ばれるほうが効率よくなる。厚さにして約30万キロメートルのガス層では対流がおこっていて、ここを対流層という。さらに対流層ではガス塊が上昇したときに電離の潜熱が放出されてガス塊の温度低下を鈍らせるので、上昇したガス塊はあまり温度が下がらず、そのため周りよりも高温の状態を保ち、対流が続く傾向にある。対流層は太陽活動の源であり、磁場が発生し、太陽活動に大きな影響を与えている。対流層は太陽表面近くまでおこっているが、最後の厚さ500キロメートルの大気層ではエネルギーはふたたび放射で伝わる。この層を光球という。
[日江井榮二郎]
太陽はガス体であるので、地球表面のようなはっきりした表面があるわけではないし、奥深くは、見通すガスの吸収量が多くなるため、表面から約500キロメートルの深さまでしか見えない。この球殻状の大気を光球という。光球の底では約7000K(ケルビン)であるが、表面の温度は4400Kとなる。太陽面の明るさは中央部に比べて縁はやや暗い。この現象を周辺減光という。縁では大気層を斜めに見るから、より表面に近いところを見る。表面近くの温度の低い層を見るので暗く見えるのである。光球のガスは、中性水素原子や、それが電離した陽子ならびに、電子が飛び回っている。しかし、中性水素に電子が一緒になった負水素イオンも存在する。光球のガスは太陽内部の光を吸収し、そして放射をして光球の輝きを保つ。その役割は負水素が担っているのである。負水素の存在は1929年にベーテによって理論的に予想されていた。
[日江井榮二郎]
光球の外側には彩層がある。皆既日食のとき、太陽が月に隠されると、黒い月の周りに赤色の薄い層として見える。厚さは約2000~3000キロメートルであるが、彩層の底からはスピキュールという針状のガスがコロナに向かって突出し、光球表面から高さ数千~1万キロメートルまで達している。彩層はかなり希薄なガスであり、彩層の底の圧力は0.001気圧であるが、2000キロメートルではそれのさらに1万分の1の低さである。
彩層でのガスの密度は高さとともに減少するが、太陽大気に存在している磁場の減少よりも急であるので、高くなるにつれてしだいにガスよりも磁場の勢力が強くなり、彩層の模様は磁力線の形状によって決められるようになる。
[日江井榮二郎]
太陽本体を包んで大きく惑星間空間に広がっているプラズマがコロナである。皆既日食の際、紫がかった暗い空を背景に黒い月の周りで真珠色に輝くコロナには神々しい美しさがある。明るさは光球の100万分の1で、ほぼ満月の明るさである。コロナの形は太陽表面の磁場の影響を受け、太陽の活動によって異なる。太陽の黒点数が多く、太陽活動極大期には磁場の強い領域がいたるところに現れ、その上部のコロナは明るく見えるし、またプロミネンス(紅炎)を取り囲んでストリーマーとよばれる太い筋も現れる。極小期には、極域と赤道近くに磁場が現れるので、赤道方向に延びた楕円(だえん)形となる。さらに太陽の北極・南極近くには、極域の磁場に連動して極域流線とよばれる細かい筋が見える。
コロナの密度は、粒子数が1立方センチメートル当り約1億個であり、これは地上の空気中の粒子数の1000億分の1で、真空の状態に近い。温度は100万~200万K(ケルビン)という高温であり、原子を取り巻く電子の数多くははぎ取られ、電離の進んだイオンと電子とに分かれている。プラスの電気を帯びたイオンとマイナスの電気をもった電子とに分離していても、全体としては中性である電離気体をプラズマとよぶ。プラズマは電気を伝えやすく磁場の影響を受けやすいので、コロナのプラズマは太陽表面からコロナ中に延びる磁力線の形に従う。コロナは、宇宙環境という条件の下でのプラズマ研究のよい対象である。
コロナの明るさは、おもにコロナ中の自由電子による太陽光の散乱であるので、色は太陽光と同じ白色であり、かつ偏光をしている。自由電子は秒速7000キロメートルという激しい熱運動をしているため、散乱光はドップラー偏移を著しく受けるため、太陽の吸収線は完全にかき消されて一見連続スペクトルのように見える。自由電子の散乱光で光っているコロナをKコロナとよぶ。連続スペクトルのドイツ語Kontinuierlicheの頭文字Kにちなんで名づけられた。皆既日食時に見えるコロナ光の99%がこれである。残りの1%はコロナのプラズマ自身の発光であり、十数個の電子を失った高階電離の鉄やカルシウム、ニッケルなどのイオンによる輝線スペクトルの放射である。
彩層とコロナの境を彩層‐コロナの転移層とよぶ。コロナの100万~200万Kの高温の熱の流れが約1万Kの彩層に伝わるのを、極紫外線を宇宙空間に強く放射することによって食い止めている。
太陽の温度は内部から表面に向かって下がるが、その外側のコロナでふたたび高温になっている。そのためには、太陽本体から何らかのエネルギーがコロナ中に伝えられているはずである。これは、コロナ中を貫く磁力線に沿って運動エネルギーが伝えられるためであろうと考えられるが、その詳しいメカニズムはまだわかっていない。
皆既日食時に見られるコロナにはKコロナのほかにFコロナもある。これは、太陽を取り巻く惑星間塵が太陽光を散乱したものであり、太陽系創成期に惑星や衛星になれなかった塵(ちり)が太陽の引力に引かれて太陽近傍の黄道面に集まり、それによって散乱した光が皆既日食時にKコロナに重なって現れる。この塵は温度が低いので、散乱光には、フラウンホーファー線が見える。フラウンホーファーFraunhoferの頭文字Fに因んで、これをFコロナとよぶ。
[日江井榮二郎]
太陽の放射エネルギーを波長別に分けると、連続スペクトルに、輝線や吸収線が重なっている。可視域では、約6000K(ケルビン)の黒体放射(宇宙背景放射)に近い連続スペクトルに数多くの吸収線(フラウンホーファー線)が重なっている。吸収線には、イギリスのウォラストンも気がついていたが、詳しく調べたドイツのフラウンホーファーの名にちなんで、フラウンホーファー線ともよばれる。連続スペクトルは光球の黒体放射に近い温度を反映している。光球の上層から彩層底部にかけて温度の低い大気があり、そこにある原子やイオンがそれぞれ固有の波長の光を吸収するために暗い吸収線が現れる。吸収線を調べれば、元素の種類とその量がわかる。また、吸収層の大気が運動をしていると、ドップラー偏移が現れるので、吸収線のずれの量から大気の運動のようすもわかる。さらに大気に磁場があると、吸収線のなかに波長ずれをおこすゼーマン効果もあるので、これを利用して、黒点をはじめ大気のいろいろな場所での磁場の強さを決めることもできる。
皆既日食時に得られる彩層やコロナのスペクトルには、これらの大気の物理状態を知るための多くの情報が含まれている。月が太陽を完全に隠すと、それまで吸収線であった彩層のスペクトルが輝線となって見えるのでフラッシュスペクトル(閃光スペクトル(せんこうすぺくとる))とよばれる。コロナのスペクトルは、連続スペクトル(Kコロナ)に輝線が重なって現れる。これらの輝線は電離が進んだイオンによる。中性の鉄原子は26個の電子を有するが、そのうち13個を失った鉄イオンは530.3ナノメートルの輝線を強く放射する。このような高階電離は、高温の電子が鉄の原子に激しく衝突し、電離しておこっている。この熱運動からコロナの温度は約200万Kということが求められた。X線領域(0.1~50ナノメートル)では、電離の進んだ輝線が現れ、極紫外線領域(約50~200ナノメートル)には、彩層‐コロナ転移層から放射される数十万Kのイオンの輝線が多い。赤外域や電波では、彩層やコロナからの放射スペクトルが強いので、これらの波長域は、太陽外層大気の物理状態を調べるのに役だつ。
[日江井榮二郎]
1天文単位の距離(太陽と地球との平均距離)のところで、太陽光線に垂直に置いた面が受ける太陽の放射エネルギー量を太陽定数という。これは1平方メートル当り1.37キロワットであり、また毎分1平方センチメートル当り1.96カロリーに相当する。この値から、太陽が宇宙空間に放出している放射エネルギー(太陽総放射量)は3.84×1026Wとなる。太陽定数は、太陽活動極大期と極小期で変わり、極大期には極小期の値より0.14%だけ大きい。太陽定数の変動の原因についての定説はないが、太陽磁場が熱の伝達を遅らせている、白斑(はくはん)が影響するなどの説がある。
[日江井榮二郎]
太陽スペクトルに見られる吸収線には、弱い吸収線や強い吸収線がある。これは元素の存在量や吸収する能力の差による。吸収線を使って太陽大気中に含まれている元素の組成比を求めると、水素が非常に多い。
宇宙の物質で直接手にとって調べられる地球の地殻、月の岩石、隕石(いんせき)を分析すると、軽い元素を除き、元素の相対量はほとんど同じである。このことは、これらの石や太陽は同じ化学組成をもったガス雲から誕生したことを暗示している。
宇宙の始まりはビッグ・バンによるといわれ、そのときには水素とヘリウムなどの軽い元素しかつくられなかった。しかし、第一世代の恒星は、その内部の核融合反応において、さまざまな重元素を生成し、第一世代の恒星の最後には、さまざまな元素を宇宙空間に放出した。これらのガスは万有引力でふたたび集まり、第二世代の恒星が生まれたと考えられている。太陽や太陽系を構成しているガスは、このような第一世代がつくってくれた元素からなっている。われわれの身体にある鉄やカルシウムやナトリウムなどは、その昔に夜空に恒星として輝いていた物質なのである。
[日江井榮二郎]
太陽は、その誕生のときにあった回転が現在に引き継がれて、自転をしている。自転の速さは、太陽面上に見られる黒点や白斑などの模様が日々動いていくことから測られる。自転軸を使って太陽の赤道が決められ、自転の回る向きに右ねじを回すとき、ねじの進む方向を北極にする。地球と同様に赤道を0度にとり、北(南)極を90度にし、日面緯度を決める。太陽の北極は地球のものと同じ方向である。しかし太陽の東西は、右ねじを回して進む方向を西と定義している。地球では右ねじを回して進む方向を東と定義しているので、逆である。太陽では黒点は東縁から現れ、西縁に没することになる。
自転速度は、赤道ほど速く、極近くほど遅くなる。地球から見る場合、赤道では26.8日、日面緯度40度では30.0日で1回転する。これを微分回転という。したがって、太陽大気は緯度方向にずれが生じる。地球から見ると東縁は近づき西縁は遠ざかっているので、これらは吸収線のドップラー偏移により、それぞれ本来の波長より短波長側または長波長側にずれを生ずる。このずれの測定からも自転速度が求められ、詳しく調べると模様の移動から求めた値とは一致しない。模様は、太陽内部の磁場の回転の影響を受けるからであろう。
[日江井榮二郎]
太陽のさまざまな活動現象はすべて磁場が関係している。磁場がどのようにしてつくられ、どのようにして消えるのか、プラズマと磁場との相互作用は、天体物理学が究明すべき大きなテーマである。
太陽磁場は、内部にある磁力線が、対流運動や微分回転によってねじ曲げられ変形作用を受けることによって、そのエネルギーが拡大されると考えられている。この作用はダイナモ作用とよばれる。これにより強められ束のようになった磁束管は太陽表面に浮上し、黒点として見えてくる。そしてこれは時間がたつと拡散して弱まる。太陽内部で働くダイナモ作用により、太陽では11年周期の磁場振動現象がおこると考えられている。
太陽磁場は、科学衛星に搭載された磁場観測装置により、全面の磁場が測定されている。これによると磁場はほぼ太陽全面に出現するが、黒点では約2000ガウス(日本での地磁気は約0.3ガウス)、活動領域では数百~1000ガウス、極域でも1000ガウスという強い磁場のある場所が観測されている。正負の磁極領域が太陽表面で小さくまとまっているところや、正磁極だけ(あるいは負磁極だけ)の領域が大きく広がって、あたかも単極領域のようにみえるものもある。コロナ・ホールはこのような領域上にみられ、太陽風の発生場所でもある。
[日江井榮二郎]
地震波によって地球の内部を探るのと同様に、太陽振動を使って、太陽内部を診断することができる。これが地震学の手法を使った日震学であり、スイカをたたいてその中身を判断することに似ている。太陽の大気にはいろいろなサイズの領域がさまざまな周期で振動しているが、5分周期の振動が顕著である。日震学により、直接目で見ることのできない対流層や放射層の物理状態がわかってきた。対流層の底には、自転速度の変化の激しいタコクラインとよばれる領域がみつかり、ここで磁場が生成されるのか研究が進んでいるところである。
[日江井榮二郎]
太陽電波は、太陽の静穏な領域から放射される電波と、磁場の強い活動領域から放射される電波とに分けられる。前者は、彩層から放射されるマイクロ波(ミリ波~センチ波)電波やコロナからの超短波域(波長1メートルから10メートル)の電波である。これらの電波は彩層やコロナの電子密度や温度を調べるのに役だつ。磁場の強いところから放射される電波は、静穏領域からのものよりも数百~数千倍も強い。継続時間は数秒のパルス状のものから、数日という長いものもあり、バーストとよばれる。電波による太陽像をみると、太陽半径ほども離れている二つの活動領域をバーストが移動している現象が観測され、磁力線は、太陽大気を大きく結び付けていることがわかる。フレアが発生すると強いバーストが観測される。電波観測は薄雲でも観測ができるし、また時間変動の激しい現象も観測可能であるので、X線や極紫外線、可視域での観測とあわせて貴重なデータを提供する。干渉計を使うことにより、電波で見た太陽像が得られる。
[日江井榮二郎]
光球面はけっして一様な明るさではなく、一面に粒々した模様が見られる。地上から見ると視角にして1秒角(100メートル先にある0.5ミリメートルの砂粒を見る角度)以下という小さなものであるので、太陽像の揺らぎの少ない地球大気圏外での観測が役だつ。太陽面上では数百キロメートルの大きさのものであり、光球に上昇してきた対流渦の頭部が粒状斑として見えている。内部の高熱を効率よく光球に運んでいるものである。
[日江井榮二郎]
直径約3万キロメートルもある大規模な対流によるセル状の模様であり、セルの中央部から上昇したガスは、太陽表面に平行な水平の流れとなり秒速約500メートルの速さで境界に向かう。より大きな熱対流であり、このガスの流れにのって、磁力線も流され、超粒状斑の境界に磁場が集められる。境界近くでは秒速100メートルの下降運動が観測されている。境界は網目模様のように見え、ここにスピキュール(針状のガス)が集中している。
[日江井榮二郎]
太陽表面に見える黒い斑点を黒点という。周囲との対照で暗く見えるが、実際は約4000K(ケルビン)で光っている。黒点は、太陽内部の磁束管が浮上した部分である。太陽内部のガスは高温のため電離し、電気の良導体であるので、磁場がガスの運動に影響を与え、磁力線の方向には動けるが、それを横切ることはむずかしい。黒点の磁束管では、ガスの上昇運動はできるが、磁力線を横切って下降できず、結局対流が止められてしまう。一方、黒点のない場所では粒状斑が見られるように、自由に対流がおこり、対流によって内部のエネルギーが光球に伝達される。黒点では、対流がおさえられるため対流によるエネルギーの伝達が少なく、黒点は周りより暗くなる。
太陽面に出現する黒点の数は時間とともに変わる。黒点の数は、世界中の観測を統一するため、黒点群の数を10倍し、それに黒点の総数を加えた数をもとにし、この数に対して、各観測者ごとに定められた定数を掛けた数値を使う。これを相対黒点数という。相対黒点数はほぼ11年ごとに変動を繰り返している。黒点数の極大となる年を挟む数年間を太陽活動極大期とよび、極小のときを極小期とよぶ。
[日江井榮二郎]
白斑は太陽面の中央部では見えにくいが、縁近くでは白い斑点として見える。白斑には磁場があり、そのために周りの光球面より少しくぼんでいる。このくぼみにより、太陽縁では数百度高い白斑の壁が見えるようになる。寿命は数十分、大きさは数百キロメートルである。極域にも白斑が見え、これを極域白斑という。赤道帯近くの白斑は太陽活動極大期に多いが、極域白斑は極小期に多く出現する。活動極大期に低緯度で出現した磁場が緯度方向の流れに乗って極域に移動して、極域白斑の現象となるという説がある。
[日江井榮二郎]
彩層全面は一様な明るさではなく、黒点近くにとくに明るい領域が現れ、これをプラージュまたは羊斑(ようはん)という。寿命は1~6か月、大きさは太陽半径の10分の1から3分の1程度である。ここには数百ガウスの磁場があり、黒点の出現やフレアの発生、活動的なプロミネンス(紅炎)が観測される。強い磁場があり、活動現象がおこるので、活動領域ともいう。Ca元素のH線(396.8ナノメートル)やK線(393.3ナノメートル)の光で観測すると、羊毛のような模様に見えることにちなんで羊斑と名づけられた。
[日江井榮二郎]
太陽コロナ中でおこる爆発現象で、1回のフレア現象では、1029~1031エルグのエネルギーを放出する。これは、日本の全家庭が1キロワットのヒーターを1000~10万年も使えるという多量のものであり、そのエネルギー源は活動域に現れた磁場が複雑に絡み合い、磁場の再結合がおこり、磁場のエネルギーが熱や運動のエネルギーに変換されることで得られると考えられている。黒点近傍の複雑な磁場構造の領域で発生することが多い。フレアがおこると彩層やコロナの一部が輝きだす。黒点近くのコロナが数分間で急激に明るくなり、その後ゆっくりと明るさを減じ、数十分から1時間でもとの明るさに戻る。輝く領域は、地球の大きさ程度から、その10倍という大きなものまである。発生頻度は、太陽活動の極大期には1日に数個から十数個、極小期には数日から数十日に1個の割合である。フレアが発生すると、γ線、X線、紫外線やプラズマ雲が放出され、強烈なX線や紫外線が地球の電離層に当たり、そこの電子密度をさらに増加させて、短波無線の感度を低下させるデリンジャー現象をおこす。惑星間に放出されたプラズマ雲は1~2日後に地球に到達し、地球磁場に影響を与え、磁気嵐(あらし)をおこす。また極地域に粒子が侵入してきてオーロラをおこす。人体に危険な強力な放射線も放出されるので、宇宙船の外に出ての大気圏外での活動にはフレア発生の予報がたいせつである。そのためにも、宇宙天気予報という研究分野の進展が望まれる。
[日江井榮二郎]
高温のコロナ中に、雲のように浮かんで見えるもの。水素のHα線(波長656.3ナノメートル)の光を強く放射しているので赤く見える。紅炎ともいう。皆既日食のときに、太陽の縁に赤い雲のように見える。Hα単色像でみると、彩層を背景に暗くて長い筋が見える。暗条(あんじょう)というが、これは、太陽の縁に見えていたプロミネンスが、太陽面上に移動してきたものであり、背景の光球が明るいので、プロミネンスは暗く見える。
プロミネンスの温度は約7000K(ケルビン)。その周りを100万~200万Kの高温のコロナに取り囲まれているにもかかわらず暖められないのは、紅炎の中に筋金のように入っている磁場が、コロナからの高温粒子の侵入を防いでいるためである。プラージュ領域には、活動の激しいプロミネンスが観測され、これを活動型プロミネンスという。これに対し、形の変化が少なく、数日~数か月の寿命のあるものを静穏型プロミネンスという。
[日江井榮二郎]
彩層からコロナに向けて針状のガスがのびている。これをスピキュールという。寿命は約10分間であり、高さ数千~1万キロメートルにまで上昇する。超粒状斑の縁に沿った場所に発生する。太陽全面に見られるスピキュールの数は約30万個である。上昇速度は毎秒20~30キロメートルでコロナの中に突き進み、そのまま消えるものや、ふたたび下降するものがある。スピキュールの根元が高温になるため、あるいは根元の磁力線がなんらかの影響を受けて、電磁流体的運動をおこすためであろうと考えられている。
[日江井榮二郎]
コロナは一様な明るさではなく、黒点領域近傍のとくに明るい領域、普通の明るさの領域、暗い領域、が存在する。プラージュの上部はとくに明るいが、単極性磁場の広い領域の上部は暗くなる。X線で撮ったコロナ像では広い領域にわたって穴のように暗く見えるので、コロナ・ホールとよばれる。
とくに明るいコロナ領域は磁力線がループ状になっていて磁場の再結合(磁場のエネルギーが熱化する)が激しくおこり、そのエネルギーにより明るくなっている。磁場の再結合の弱い領域は普通の明るさとなる。しかしコロナ・ホールでは単極の磁力線が惑星間空間に向かってのびていて、その磁力線が遠方からふたたび太陽の別の領域に戻りそこにコロナ・ホールを形成するため、コロナ中での磁場活動が弱く、コロナが明るくならない。
[日江井榮二郎]
コロナ・ホールでは、磁力線が太陽面から垂直の方向に伸びているので、コロナのプラズマが磁力線に沿って惑星間空間に流出する。どこかで流れを推し進める加速が働くが、そのメカニズムは不明である。このようにしてコロナのガス流が太陽風となる。太陽風は、地球付近では毎秒300~800キロメートルであるが、粒子の密度は1立方センチメートル当り1~10個程度ときわめて希薄である。彗星(すいせい)の尾や地球磁気圏は太陽風に吹き付けられ、太陽と反対側に伸びている。コロナ中のプラズマは磁力線の周りに巻き付く性質があるので、プラズマが動くと磁力線も動いてしまう。そのために太陽風(プラズマの流れ)はコロナ中の磁場を持ち出し、地球を取り巻き、またさらに遠くまで吹き抜けて太陽圏を形成している。太陽圏の境界領域をヘリオポーズといい、そこで銀河系内の他の恒星の風とぶつかり、せき止められている。太陽圏の大きさは約150億キロメートルと推定されている。
[日江井榮二郎]
東の地平線から昇る太陽は、天空を回って西の空へ沈んでいく。次の日も同様である。これは太陽自身の運動ではなく、地球が南北の軸の周りを自転しているためにおこる見かけ上の運動にすぎない。太陽だけでなく、夜空に見える恒星や惑星なども、この見かけ上の運動をしている。これを天体の日周運動という。太陽の日周運動を時計として利用したものが日時計である。古代人は、地面に垂直な日影棒(ノーモン)を立て、地面に投影された棒の影を利用して、時を刻むことを考えた。太陽が東から西へ移るにしたがってノーモンの影の先端は西から東へと移動していくが、この動きは季節によって異なる。この動きを調べて、中央アジアや古代ギリシア、中国では、驚くほど精確な暦表がつくられた。ノーモンは4000年以上も昔から用いられ、古代の建築物の方位が正確に東西や南北を向いてつくられているのも、これを利用したものと考えられている。
もし太陽と同時に夜空の星々が見えるとすると、太陽は、背景となる星空に対し、1日に約1度の割合で東にずれていく。そして約365日で天球上の星空を1回転する。天球上で太陽が1年間かけて動いていく経路を黄道(こうどう)とよぶ。ここには星占いで親しまれている黄道十二宮の星座がある。
太陽が真南にくる時刻を12時と定めている。しかし実際の太陽の天球上での速さは一定でない。それは、地球の軌道が楕円(だえん)であるためと、天球上の赤道と黄道との平均の角度が23.4度傾いているためで、黄道上を一定の速さで動いても赤道上では一定とならないためである。そこで、天の赤道上を一定の速さで動く仮の天体を平均太陽と考え、これによって時刻を定めている。このようにして定められた時刻を平均太陽時という。経度0度のイギリスのグリニジにおける平均太陽時を世界時(標準時)という。東経135度上の兵庫県明石(あかし)市における平均太陽時が日本標準時であり、世界時より9時間進んでいる。
日の出入は、太陽の中心でなく上縁が地平線と接するように見えるときと定義されている。しかも太陽は、地球大気の屈折作用のために、地平線近くでは太陽の視直径をやや上回る程度浮き上がって見える。この二つの効果をあわせると、幾何学的には、太陽の中心が視直径の1.5倍余り地平線下にあるときに、すでに日の出となる。日没も同様である。したがって春分、秋分の日には昼は夜よりも十数分も長くなる。
[日江井榮二郎]
太陽は季節によって天球上を動く道筋が異なる。日本では、夏至には東から北に30度ずれたところから日の出となり、午前8時には、真東方向で高度はすでに40度ぐらいに昇っている。真南にくると、高度は77度にも達する。冬至には、真東より南に30度ずれたところから日の出となり、真南にきても高度はわずか31度にすぎない。
真南の太陽の高度は、目から30センチメートル離して物差しを垂直に置き、物差しの0センチメートルを目と同じ高さにして知ることができる。冬至では18センチメートルのところ、1月20日、11月20日ごろでは20センチメートル、2月20日、10月20日ごろには28センチメートルのところに太陽がある(北緯36度のとき)。南側の家の屋根がこれより低いと日が差し込むことになる。
[日江井榮二郎]
太陽の相対黒点数はほぼ11年の周期で増減を繰り返すが、1645年から1715年にかけて異常に少ない時期があり、マウンダー極小期という。この名は、発見者であるイギリスの天文学者マウンダーEdward Walter Maunder(1851―1928)にちなんでつけられた。この時期にはロンドンやパリでの冬は厳しい寒さであったと記録されていて、氷河が里近くまで押し寄せている。
太陽活動の変動を知るために、古い木の年輪中に含まれている炭素14の量が測定されている。これは普通の炭素12の放射性同位元素であり、地球大気中の窒素に宇宙線が当たって炭素14に変わり、二酸化炭素となり、植物の炭酸同化作用によって取り込まれたものである。太陽が活動的であると、太陽磁場が太陽風にのって地球の周辺を覆い、そのため宇宙から降り注ぐ宇宙線は地球に到達しづらくなる。一方、太陽活動が弱いと地球付近の太陽磁場も弱くなって、多量の宇宙線が降り注ぎ、炭素14の量が増える。年輪の年代と炭素14の存在量を調べると、かなり昔までさかのぼって太陽活動の変動が推定できる。マウンダー極小期には炭素14の存在量が多く、小氷河期に対応していた。さらに紀元前5000年までにわたって炭素14の存在量をみると、それが多いときには氷河が広く地表を覆っていた時期に対応していることがわかった。つまり、太陽の活動が数十年間にわたって鈍くなると小氷河期になる。南極やグリーンランドの氷柱内に残されている放射性同位体ベリリウム10はより長期変動を調べるのに向いていて、過去8000年にわたって太陽活動の変動が調べられている。このような長周期の変動の研究は進められているが、まだ予報ができるところにいたっていない。11年周期の太陽活動と気象との関係は、まだ判然としていないが、長周期の変動がおこると気象には影響が現れるようである。
[日江井榮二郎]
数日間雨が降り続くとゆううつになり、そして翌日朝が晴れるとすがすがしく、おのずから生きる希望が、喜びがわいてくる。人間は太陽なしでは生きられない。太陽は人類の母であり、地球上のあらゆる生命現象の源泉なのである。このような不思議な力をもつのが太陽のエネルギーである。
前述のように、太陽は大きな水素のガス球であり、そのエネルギーは、水素の原子核どうしが結合してヘリウム原子に変わる核融合反応によりつくりだされる。その大きさは年間で約1.0×1034ジュール(毎分5.6×1027カロリー)であり、現在の世界の総エネルギー需要の約60兆倍にも相当する莫大(ばくだい)なエネルギーである。この約22億分の1が放射の形で地球に送られてくるが、それでもそのエネルギー量は世界の総エネルギー需要の約3万倍にもなる。いいかえると約15~20分間の太陽エネルギーで世界の総エネルギーがまかなえることになる。このような莫大な太陽エネルギーは今後50億年ぐらいは続くと考えられている。
[谷 辰夫]
人類は太古の昔から太陽エネルギーを利用して進歩、発達してきた。すなわち、人類が火の使用を知り、薪(まき)を暖房調理に、また小規模ながら水力や風力を農耕に利用したのが、太陽エネルギー利用の始まりである。以後1800年代に入ると、蒸気機関の発明により産業革命が進展し、薪よりもエネルギー発生密度の高い石炭の大量利用が始まった。さらに1900年代からは、水力の発電所や石炭・石油を燃やす火力発電所からの電気エネルギーの使用が急増して、人類の生活様式、社会システムは大きく変わり、近代文明社会へと発展した。
このように人類の文明の発達は、薪―水力―石炭―石油などのエネルギーによって支えられてきたが、これらのエネルギー資源は元にさかのぼれば、すべて太陽エネルギーが変形したもの(薪、水力、風力など)や長い年月を経て蓄積変形されたもの(石炭、石油など)である。このように太陽エネルギーは、各時代ごとに、技術の進歩とともに形を変えて利用され、人類の新しい文明、新しい社会システムをつくりだしてきた。そして現代は石油を中心としたエネルギー文明の時代といえよう。
[谷 辰夫]
今日までの太陽エネルギーの大量利用は、水力・石炭・石油のように太陽エネルギーがいったん水の位置エネルギーやエネルギー密度の高い炭化水素に変えられ、それを利用する、いわゆる間接的利用であった。一方、将来、石炭・石油・天然ガスなどの化石エネルギー資源の枯渇とその大量利用による環境汚染が予想され、それらにかわってクリーンで量も豊富な、しかも地球上のほとんどどこでも無料で入手できる太陽エネルギーを、積極的に、直接とらえて効率よく利用しようとする技術開発が、1960年ごろから世界各国で組織的に進められるようになった。日本では1974年(昭和49)から「サンシャイン計画」の一環として太陽エネルギー利用技術の本格的開発がスタートした。太陽エネルギーは地表面当りで考えると最大1平方メートル当り1キロワットと希薄なエネルギーであり、また気象条件により大きく変動する不安定なエネルギーという欠点をもっている。したがって今後太陽エネルギーの利用にあたっては、その利点を生かし欠点を技術で補うことが必要である。
ところで、太陽エネルギーの利用は熱利用技術(太陽エネルギーを熱に変えて利用する技術)と光利用技術(光量子のエネルギーを利用する技術)と、これを貯蔵する技術に大別される。貯蔵技術とは、変動する太陽エネルギーを安定的に供給するために、これをいったん蓄え、雨の日や夜にも平均的に使うための技術である。
[谷 辰夫]
もっとも初歩的な太陽熱の利用は「日なた水」の利用である。古くから、たらいに入れた水を太陽熱で暖め、行水(ぎょうずい)に使った。これを一歩進めたのが、屋根の上にみられる太陽熱温水器である。普通、ステンレスや銅パイプの表面を黒色にして(集熱パイプという)、これを透明な蓋(ふた)のついた箱に入れ、日当りのよい屋根などに設置する。太陽光線が集熱パイプに当たると太陽エネルギーが熱に変わって、パイプの温度が50~60℃に上がる。このパイプに水を通して湯を得、これを魔法瓶の大きなものに蓄えて風呂(ふろ)などに使う。日本では広く普及している。1975~2001年の1000人当りの太陽熱集熱器の設置実績を、集熱面積と国連人口年鑑(1998年度版)のデータをもとに求めると次のようになる。世界のトップは自然循環形温水器や選択吸収膜を開発したイスラエルで、1000人当りの集熱器の面積は700平方メートルである。これは住宅の約70%に太陽熱温水器が設置されていることからもうなずける。続いてギリシア(約300平方メートル)、オーストリア(230平方メートル)、日本(173平方メートル)、デンマーク(63平方メートル)の順であり、日本では約690万台が設置されている。
[谷 辰夫]
太陽熱利用システムとは、太陽熱温水器の集熱パイプの上に選択吸収膜とよぶ薄膜をつけて太陽熱の吸収をよくし、熱放射の損失を少なくするとともに、この集熱パイプを真空の筒の中に入れて対流や伝導の熱損失を少なくするなどして、より効率よく高温(80~100℃)を得、家庭の暖房などに利用するものである。日本では現在までに約60万軒の太陽熱利用システムが建設されている。これらをあわせると、年間約100万キロリットルの石油代替効果と、約72万トン(炭素換算)のCO2削減効果を生んでおり、日本の新エネルギー導入のなかでの貢献度は大きい。なお、日本の2010年度での導入目標は、現状の4倍の400万キロリットルと設定されており、この分野への期待がうかがえる。
[谷 辰夫]
たとえば前述の真空管型集熱器を用いて汚れた水や海水を蒸発させ、これを冷却凝縮させ真水をつくるシステムであり、日本の離島や中近東各国で開発が進められている。
[谷 辰夫]
太陽熱を産業に利用するもので、前述の高温高効率の真空管型集熱器を工場などの屋根に設置し、太陽熱を産業用熱源に利用する。日本では農産物を保存する定温倉庫や、さまざまな工程で異なる温度の熱源を必要とする染色工場などを対象に技術開発が進められ、外国ではクリーニングや食品・缶詰工場などで実用化されている。
[谷 辰夫]
太陽光線を虫めがねを使ってするように集光濃縮して300~500℃の高温の熱に変え、この熱によって高圧の水蒸気をつくり、蒸気タービン・発電機を作動させて発電するシステムである。集光濃縮する方法によりタワー集光型、曲面集光型に大別される。日本では両タイプの1000キロワット実験プラントを香川県仁尾(にお)町(現、三豊市)に建設して、1981年(昭和56)夏には世界に先駆けて1000キロワット発電に成功した(この場所は日照量が少なかったため実用化されず1985年に中止された)。アメリカでは1981年秋、カリフォルニア州のバストゥーに1万キロワットの発電実証プラントSOLAR ONEが建設され、1982年から1988年まで運転(1996~1999年にはSOLAR ONEの改良型プラントSOLAR TWOが運転)された。また同州モハーベ砂漠には、世界最大の太陽熱発電所SEGS(Solar Electric Generating System)プラントが、1985年から1991年にかけて9機建設され、その後商業用として約35万キロワットが発電されている。ヨーロッパでもイタリア、フランス、スペイン、ドイツなどで50~2500キロワットのプラントにより運転されている。太陽熱発電は太陽エネルギー利用の発電としては比較的大規模な発電が可能であるが、現状ではコストが高い。コスト低下のための研究が続けられている。
[谷 辰夫]
太陽熱で暖められた海面と深層海水との温度差を利用し、その間の熱エネルギーを電力に変えるシステム。ナウル島で100キロワット、ハワイで50キロワットなどの発電実験に成功した。
[谷 辰夫]
池の水に無機塩を溶かし、池の上部と底部との間に濃度差をつけると熱の対流がおこりにくくなる。そのため、池に降り注ぐ太陽熱を底部に効率よく蓄えることができる。ソーラーポンドは、この熱を取り出して海水淡水化や工場の温水洗浄、発電などに利用する技術で、イスラエルなどで古くから利用されている。
[谷 辰夫]
波のエネルギーで空気タービン・発電機などを駆動して発電する方法である。日本では1000キロワット級の波力発電実験プラントによる研究開発が進められ、イギリスでも研究が進められている。
[谷 辰夫]
風のエネルギーで風車を回転させて発電する。理論的には風のもつエネルギーの約60%を取り出すことができる。世界各国で風力発電の実用化が進み、現在1500万キロワットの風力発電による電気が利用されている。日本においても電力系統と連系した風力発電システムの設置が進み、2003年度(平成15)末で46万キロワットが利用されている。2010年度までの目標値は300万キロワットである。単機当りの容量が大型化する傾向にあり、1500キロワットを超すものが設置されている。また、日本は国土が狭く複雑な地形を有しているため、比較的小容量の分散型電源としての導入も有効と考えられている。一方、各国では風況条件の良い陸上のみならず、遠浅の洋上に設置する洋上風力発電も進められている。
[谷 辰夫]
光利用技術にもさまざまあるが、その代表は太陽光発電である。これは、太陽電池を用いて太陽エネルギーを直接、電気エネルギーに変換するシステムであり、太陽電池はpn接合の半導体からできている。現在主として開発されている太陽電池は、シリコンを原料とする結晶型太陽電池と、非晶質型太陽電池(アモルファス太陽電池)に大別される。太陽光発電は半導体素子による発電のため可動部分がなく、保守も容易で、かつ小規模発電から大規模な発電まで可能である。単結晶シリコン太陽電池は1954年の発明以来、人工衛星や灯台、無線中継所の電源などを経て、太陽光発電システムとして個人住宅の屋根面などに設置され、利用されている。これは、1980年代以降、国内外で太陽光発電システムを構成する各種太陽電池やパワーコンディショナーなど周辺技術の高効率、高性能化とコスト軽減の研究開発が進んだことによるところが大きい。日本では、太陽光発電の製造コストは、1980年(昭和55)ごろに比べ2000年代初頭では100分の1になり、一般家庭でも比較的容易にシステムの設置が可能になった。また、太陽光発電で発電した電力が負荷電力を上回ったとき、余った電力は配電網を介して商用電源側に供給して売電し、逆に不足のときには商用電源から不足分を買電する方式を系統連系方式という。この方式は、大容量の蓄電池をもつ必要がなく、コンパクトでシンプルなシステムができるため経済性の高いシステムであるといえる。1993年(平成5)4月に電気事業関係法令が整備され、この方式の実用化が大きく進展した。
日本の住宅用として標準的な容量は1家庭当り3キロワット程度であり、このシステムを設置した場合、1家庭当り年間消費電力量の3分の2をまかなうことができる。この値は1家庭当り1年間に20リットルポリタンク約38本分の石油節約に相当する。また、家庭から排出されるCO2量の約30%を削減可能な量である。
2002年度末における日本の太陽光発電の導入は45万キロワットに達し、世界最高水準の導入量となっている。ちなみに、アメリカは約17万キロワット、ヨーロッパでは約22万キロワットである。さらに、2010年での導入目標は、日本が482万、アメリカ、ヨーロッパがそれぞれ約300万キロワットである。
今後数百から数千軒のコミュニティへの適用や、建材として住宅に組み込む新しいコンセプトの太陽光発電など、住宅、業務、産業分野への普及拡大を図るとともに、さらなる低コスト化、高効率化が望まれている。
[谷 辰夫]
光合成(炭酸同化作用)のメカニズムを解明し、これを人工的に構築して、常温で水を分解して水素をつくったり(水の光分解という)、短期間に炭水化物をつくる基礎研究が進められている。
[谷 辰夫]
21世紀には本格的な太陽エネルギー時代が到来するものと期待されている。日本の2010年度の「新エネルギーの導入目標」によれば、原油換算で1910万キロリットル(1次エネルギーの総給に占める割合は3%程度)とされており、太陽光発電については前述したように482万キロワット、太陽熱利用については原油換算で400万キロリットルが設定されている。また、太陽エネルギー利用に入る風力発電は300万キロワットである。
将来的には、晴れた日には以下のようなことも可能となろう。日の出の時刻が過ぎると各家庭に設置されている太陽電池パネル、ソーラーシステムが稼動し始める。各家庭で使用するエネルギーの約30%がこれらのシステムから供給されている。街には、太陽エネルギーを動力源とするソーラーカーが走っている。大型の自動車やトラック、一部の自家用車は燃料電池自動車とよばれ、エンジンの駆動電源として燃料電池が搭載されている。燃料電池の燃料は水素であり、ガソリンや天然ガスを改質して製造するとともに、砂漠地帯や海上基地に設置された太陽電池アレイ(複数の太陽電池パネルを組み合わせ、所定の出力を得る太陽電池パネル群)において水の電気分解によって製造される。日没後の各家庭の照明や街路灯の電力は、日中発電して余剰分を電気事業者に売電したうちの一部を買い戻して使用。また、あらかじめ余った電力で水素を製造して貯蔵しておき、燃料電池で発電している分もある。また、浴槽には太陽熱で温められた温水が張られており、のんびり入浴している老人がみられるようになるであろう。
環境省の発表によれば、太陽エネルギーの利用が進むにつれて、都市の環境浄化効果が著しく、地球に優しい電源の導入がさらに促進される見通しとのことである。太陽エネルギーの利用がわれわれの生活に同化してきて、太陽エネルギー時代の到来が明確になってきた。
[谷 辰夫]
あらゆる天体のなかで、太陽は人間の生活にもっとも深い関係をもっている。それはまずなによりも光の源泉であり、熱の源泉である。太陽の光あってこそ、われわれは照らし出された物体を見ることができ、その熱エネルギーによって暖かさを得、植物の成長、豊穣(ほうじょう)といった生活の基盤を得る。一方で太陽の熱は、干魃(かんばつ)などの際には人間にとっての脅威ともなる。また太陽こそが1日を昼と夜に分かち、われわれの時間意識の根本を形づくるものであり、同時に光と陰、光と闇(やみ)、陰と陽といったわれわれのもつ普遍的な対立項の源泉ともなっている。太陽は人間がけっして無視できぬものであり、しかもその存在と運行はだれもが身近に観察しうるものであったので、太陽に関する解釈、神話、信仰、行事などがどの民族にもさまざまな形でみられるのも当然であろう。
[上田紀行]
太陽と月はともに身近な天体であり、1日の周期で天空を移動する。それゆえ、太陽の起源、性質、運行についてそれを月との関連で説明する民族は数多い。
まずその起源についてみてみると、たとえば中央カリフォルニアにいる北アメリカ先住民ガリモメロのように、原初の暗闇のなかで激しく衝突したタカとコヨーテが、可燃性の物質を集めて二つの玉とし、タカがそれらとともに飛び上がって火打石で火をつけ、それが太陽と月になったとして、太陽を物体としてとらえている文化もあるが、多くの文化では太陽と月は人格化されている。そしてその際に太陽と月の性別は多く異なっていることが注目されよう。
すなわち一方では太陽を男性とし、月をその妻とする解釈が、地中海、アフリカ、南アジア、太平洋諸島などの赤道近辺の広い地域に広がっている。ケニアのマサイ人によれば、男性である太陽は女性の月と結婚していたが、けんかによって双方が傷つき、太陽はそれを恥じて、人々から見えぬように明るくなったのに対し、月はそれを恥じることなく、それゆえ月の表面に彼女の口が傷を受け、片方の目がなくなっているのが見えるのだという。また、オセアニアの一部では成年式の際に、男の若者の身体を血や顔料で赤く塗って、朝の力強い太陽になぞらえようとする。
他方、月を男性とし、太陽をその姉妹とする解釈はユーラシア、北アメリカに広がっており、かつては地中海、インド、太平洋地域にも存在していたと考えられる。エスキモー、イヌイットや北アメリカ先住民のチェロキーなどにその観念がみられるほか、日本でも『古事記』の、伊邪那岐命(いざなぎのみこと)が黄泉(よみ)から帰って禊(みそぎ)をしたときに、左目を洗うと女神の天照大神(あまてらすおおみかみ)(太陽)が生まれ、右目を洗うと弟の月読命(つきよみのみこと)(月)が生まれた、という伝承もこの系列に属するものである。古代のフェニキア、南アラビア、ヒッタイトなどでも太陽神は女性であった。
[上田紀行]
次に太陽の運行についての解釈をみてみると、広く分布しているのは太陽が鳥として運行するとされるものである。たとえば中国の神話では、三本足のカラスが太陽の中にいるとされ、羿(げい)がそのカラスを射落としたとされており、他のアジアから北アメリカにかけても太陽神話のなかに多くカラスが登場する。また、太陽を射るというモチーフも、インドネシアから東南アジア、中国、日本、モンゴル、北アメリカ先住民へと広がる環太平洋的な分布を示しており、そこでは、初め多数の太陽が存在していたものを、その熱や昼間ばかりなので困った人間が射落として一つの太陽を残したという伝承もみられる。
また、太陽は馬車や戦車に乗って移動しているという伝承がヨーロッパからギリシア、バビロニア、インドなどのインド・ヨーロッパ語族系の民族に広くみられ、それは古代中国にも広がっていた。ギリシアの太陽神ヘリオスは馬車を御して天空を一周するとされていたし、インドの太陽神スーリヤは車輪に象徴される。また、中国の『淮南子(えなんじ)』にも、馬車の上に太陽を乗せて運ぶようすが描かれている。
また、太陽と月は相手を追いかけているという観念も広く存在する。メキシコでは、月はいつも太陽を追いかけているが、けっして追い付くことがないとされる。逆にパタゴニアのオナス人によれば、女性である月が男性社会の秘密を知ったために、男性の太陽が月を追跡し、空に上っても追跡し続けているのだという。南アフリカのコーサ人では、月が欠けるのは、いつも太陽に追いかけられて疲れるからである、という。
太陽は昔はもっと速く運行しており、英雄によってその速度を遅くされた、という神話もポリネシアから北アメリカに分布している。ニュージーランドのマオリの英雄マウイは太陽と戦ってその足を傷つけたために、太陽はそれ以来ゆっくり進むようになった。サモアでは、太陽との間に子供をもうけた女性が、太陽をつるでつまずかせ、他の女性が投げ縄で太陽を捕らえて、ゆっくり進むことを約束させたのだという。また、太陽が昔は沈まなかったものを英雄や神が沈むように仕向けたという神話がオーストラリアからメラネシアに分布している。
そのほか、太陽の運行についてはさまざまな解釈があり、高地ペルー人は、太陽は目に見えぬ紐(ひも)で、目に見えぬ杭(くい)につながれており、家畜のラマのようにその周りをぐるぐる回っているという。また、太陽が穴または洞穴に沈み、地中を通って東の穴から上るという解釈も多くの民族でみられる。
[上田紀行]
太陽に対して崇拝とまではいえないまでも、ある種の信仰をもっている民族は数多い。たとえば、中央アジアから北アフリカにかけての遊牧民には聖火崇拝が行われているが、それは多く太陽信仰と結合している。また、火の起源に関して、太陽の車から天の聖火を盗んで人間に与えたというギリシアのプロメテウス神話のたぐいは、環太平洋地域にみられ、それは隠された太陽を人間のために盗み出すという形にも変形されて広く伝わっている。日本の天照大神の岩戸隠れもその系統であろう。そして、そうした信仰は日食とも関連をもつものであろう。
数多くの太陽に対する信仰のなかで、太陽崇拝とよべる形態は、古代エジプト、古代インカ、古代日本など、かなり高度に発達した文化にみられ、そこでは政治組織、王権と太陽崇拝が結合している。
たとえば、エジプトの神王ファラオは太陽神ラーの子であり、その紋章にはタカや有翼のライオンが用いられたが、古代オリエントではタカやワシ、ライオンなどは太陽を象徴する動物として神聖視され、崇拝されていた。またファラオの肉体がミイラとして保存されたのちに、やがてよみがえるとされたのも、太陽の不死性によるものである。
インカ帝国の王権も太陽崇拝と密接な関係をもっていた。王は太陽の子として一般人とはまったく隔絶した存在として崇拝され、征服された諸民族にも太陽崇拝が強制された。インカの支配領域には多くの太陽神の神殿が建設され、その中心である首都クスコの太陽神殿には太陽を象徴する巨大な黄金の円盤があった。神格化されたインカの王は父なる太陽から休息に招かれるだけであって、けっして死なないと信じられていた。
このような太陽崇拝において、太陽は全能者であり、人間を指導し、裁く存在である。天上からすべてを見下ろし、万人が仰ぎ見る太陽が王権と結び付けられ、互いに共有する性格が強調されることで、太陽に対するよりいっそうの崇拝と王権の強化が同時に進行した結果、強力な太陽崇拝が成立したのであろう。
日の出に向かって畏敬(いけい)の念を感じて手をあわす、といったなにげない行動から、発達した太陽崇拝まで、太陽に対する信仰はさまざまなレベルをもっている。そして、夜の闇(やみ)が失われつつあるような現代社会においても、太陽は光とエネルギーを惜しみなく与えてくれる存在として、われわれの象徴的な表現のうちにしばしば登場する。
[上田紀行]
日本人は昔から日輪崇拝の念が強かった。古代神話の天照大神は日の神として崇拝されてきた。今日においても太陽を崇拝することは、正月に山や海辺で初日の出を拝むことによってもわかる。年中行事の面では彼岸(ひがん)の社日参り(しゃにちまいり)がある。京都府中(なか)郡ではヒノトモといって、早天に東方にある社寺に参って日の出を迎え、それから順々に南を回って西に行き、入り日を送って家に帰る風習がある。兵庫県加東(かとう)郡(現、加東市)では同様の行事を日迎え日送りといっているが、途中他家に入って休んだりしてはならぬという。農村に広く行われている行事にお日待(ひまち)がある。日待講ともいうが、行事内容は各地まちまちであり、夕日を送り朝日を迎えて散会するのが多い。天照大神の掛軸を掲げて祀(まつ)る例もある。佐賀県神埼(かんざき)郡三瀬(みつせ)村(現、佐賀市三瀬村)では10月15日の山の神祭の前日にお日待をする。宿は順繰りで、戸主が集まり日の出を待って散会する。お日待は天道(てんどう)様の祭という。太陽のことを俗語でオテントウサマというが、天道様、日天(にってん)様などともいう。長崎県対馬(つしま)では天童(てんどう)地という聖地が各地にある。天童は母が日光を感じて生まれた子という伝説がある。長野県北安曇(あずみ)郡では2月15日に天道講という寄合(よりあい)祭をする。このとき小皿形の鏡餅(かがみもち)を供える。これをオスガタというのは、太陽をかたどったものゆえと考えられる。4月8日に高花といって高い柱の頂上に花を掲げる風習が各地にある。この花は天道花(てんどうばな)ともいっており、奈良県高市(たかいち)郡などでは脚気(かっけ)のまじないといい、何歳の男、女と書いたものを新しい草鞋(わらじ)につけ、つるして日天様に供える風習がある。
太陽についての伝説昔話として、対馬の天童信仰と類似したものに、日蓮上人(にちれんしょうにん)や豊臣(とよとみ)秀吉は母が懐(ふところ)に日輪が入るのを夢みて生まれたという伝説がある。太陽の伝説に日を招く話がある。平清盛は勢威におごって、西山に傾く日を扇で招き返したため熱病を患って死んだという。入り日を招いた伝説は田植に関連したものが不思議に多い。もっとも有名なものに鳥取県気高(けたか)郡湖山(こやま)村(現、鳥取市)の湖山長者の話がある。ある年、湖山長者が田植を1日で終えようとして国中から人を集めたが、日没までに終わらないので金扇で日を招き返した。翌朝その田はことごとく陥没してしまって、いまの湖山池となってしまった。千葉県市原郡(現、市原市)では、5月6日を蘇我殿(そがどの)の田植と称して、田植の凶日としていた。蘇我殿が荒れ日に田植をし、股(また)の間から入り日を招き返したので、その咎(とが)によって田が陥没したという。同様の伝説は、三重県阿山(あやま)郡友生(ともの)村(現、伊賀市)の日之丸長者が日を招き返し、田が荒田になってしまった話などがある。また日招きの伝説は、田植とは別に、武将についての話もある。八幡(はちまん)太郎義家が安倍貞任(あべのさだとう)と戦ったとき、味方が不利のうちに日暮れにかかったので、扇で日を招いたら、戦いが有利となって勝利を収めたという。愛媛県伊予郡の日招(ひまねき)八幡についての伝説では、元暦(げんりゃく)元年(1184)佐々木高綱(たかつな)が入り日を呼び戻して勝利を収めたという。
太陽を射落とすという昔話もある。太平洋を取り巻く地帯の民族の間に語られ、日本にも類例の話がある。井沢長秀(ながひで)の『広益俗説弁(こうえきぞくせつべん)』によれば、垂仁(すいにん)天皇のとき八つの太陽が出たのでこれを射落としたという。中国の話では11個の太陽とあり、射落とした太陽は烏(からす)であったという。岡山県瀬戸内(せとうち)市には七つの太陽の出た話がある。天の探女(あまのさぐめ)が松の切り株に腰を掛けて六つまで射落としたという。鹿児島県甑島(こしきじま)にも太陽を射る話がある。島にモグラとドンコ(ヒキガエル)がいた。太陽があまり熱いので、モグラは木に登ってお日様を射ようと考えた。それを知ってドンコは、お日様がなければ寒中生きていかれないと、モグラの計画を太陽に密告した。それで太陽は、ドンコに対して寒中でも水を温かくしてお産ができるようにし、モグラは土の中から外へ出られないようにされてしまった。この話は福岡県、熊本県などでも語られている。
[大藤時彦]
『平山淳編『現代天文学講座5 太陽』(1981・恒星社厚生閣)』▽『日江井榮二郎監修『太陽――母なる恒星の素顔』(1984・ニュートンプレス)』▽『アイザック・アシモフ著、小原隆博訳『太陽 わたしたちの星』(1990・福武書店)』▽『藤井旭著『太陽の科学――ここまでわかった太陽の姿』(2002・偕成社)』▽『上出洋介著『太陽のきほん――SUN GUIDE』(2008・誠文堂新光社)』▽『桜井隆・小島正宜著『シリーズ現代の天文学 太陽』(2009・日本評論社)』▽『柴田一成著『太陽の科学――磁場から宇宙の謎に迫る』(2010・日本放送出版協会)』▽『日江井榮二郎著『太陽は23歳!?――皆既日食と太陽の科学』岩波科学ライブラリー(岩波書店)』▽『桜井邦朋著『太陽ニュートリノの謎――消えてしまった粒子を追って』(1977・講談社)』▽『エドワード・G・ギブソン著、桜井邦朋訳『現代の太陽像――太陽物理学序説』(1978・講談社)』▽『桜井邦朋著『太陽大気とその外延』(1979・東京大学出版会)』▽『前田坦著『太陽惑星環境の物理学』(1982・共立出版)』▽『柴田一成・福江純・松元亮治・嶺重慎編『活動する宇宙――天体活動現象の物理』(1999・裳華房)』▽『佐藤文隆他編、寺沢敏夫著『岩波講座物理の世界 太陽圏の物理 地球と宇宙の物理2』(2002・岩波書店)』▽『桜井邦朋著『地球環境をつくる太陽』(1990・地人書館)』▽『桜井邦朋著『太陽放射と地球温暖化』(1990・海鳴社)』▽『桜井邦朋著『太陽黒点が語る文明史――「小氷河期」と近代の成立』(中公新書)』▽『ジョージ・ガモフ著、白井俊明・市井三郎訳『太陽と月と地球と』(1991・白揚社)』▽『ケネス・R・ラング著、渡辺尭・桜井邦朋訳『太陽――その素顔と地球環境との関わり』(1997・シュプリンガー・フェアラーク東京)』▽『石田蕙一著『宇宙と地球環境』(2001・成山堂書店)』▽『赤祖父俊一著『オーロラへの招待――地球と太陽が演じるドラマ』(中公新書)』▽『柴田和雄・内嶋善兵衛編『太陽エネルギーの分布と測定』(1987・学会出版センター)』▽『藤井石根編著『太陽エネルギー利用技術――太陽光・熱の有効利用』(1991・工業調査会)』▽『中島康孝・傘木和俊編『地球環境のための太陽エネルギーの利用法』(1993・オーム社)』▽『京セラソーラーエネルギー事業部編著『太陽エネルギーへの挑戦――太陽電池の時代がやってきた』(1994・清文社)』▽『太陽光発電技術研究組合編著『太陽光発電――その発展と展望』(1998・アートスタジオ76、朝日新聞社発売)』▽『イアン・グラハム著、菊池美代子訳、棚橋祐治・山極隆日本語版監修『エネルギーの未来を考える3 太陽エネルギー』(2000・文渓堂)』▽『濱川圭弘編著『太陽光発電――最新の技術とシステム』(2000・シーエムシー)』▽『濱川圭弘他著『太陽光発電システムの最新技術開発動向――各種太陽電池の研究・開発動向から設計・施工および導入事例・補助制度まで』(2001・エヌ・ティー・エス)』▽『谷辰夫・田中忠良著『太陽と賢くつきあう太陽生活入門――地球に優しく生きる知恵』(2002・パワー社)』▽『山田興一・小宮山宏著『太陽光発電工学――太陽電池の基礎からシステム評価まで』(2002・日経BP社)』▽『藤井旭著『太陽と月の星ものがたり――太陽と月の神話を楽しもう』(1994・誠文堂新光社)』▽『谷川健一編『日本民俗文化大系2 太陽と月――古代人の宇宙観と死生観』普及版(1994・小学館)』▽『野島芳明・エドワード野口著『超古代巨石文明と太陽信仰――新たな日本の発見』(1998・日本教文社)』▽『大和岩雄著『神々の考古学』(1998・大和書房)』▽『萩原法子著『熊野の太陽信仰と三本足の烏』(1999・戎光祥出版)』▽『吉田敦彦著『太陽の神話と祭り』(2003・青土社)』
1895年(明治28)1月に博文館から創刊された総合雑誌。月刊、四六倍判、本文200ページ、定価15銭。1928年(昭和3)2月、第34巻第2号(通算530冊)まで発行して廃刊。内容は、論説、史伝、地理、小説、雑録のほか、政治、法律、文学、科学、商業、農業、社会などから成り立っている。主筆は、坪谷善四郎(水哉)をはじめ、高山林次郎(樗牛(ちょぎゅう))、鳥谷部(とやべ)銑太郎(春汀(しゅんてい))、浮田和民(かずたみ)、長谷川誠也(せいや)(天渓)らであった。執筆陣は各分野の知名人を網羅し、また、各界の名士による太陽名誉賛成員を置き、「『太陽』は一に国運隆昌(りゅうしょう)の反影を表示するを期し、毫(ごう)も政治主義の同異に関せず、専(もっぱ)ら公平不偏を以(もっ)て立つ」とした。しかし、日露戦争を前にして台頭してきた国家膨張主義に迎合し、社会主義運動や大正デモクラシーに対応しきれずに、『中央公論』などにその地位を奪われ、廃刊に追い込まれた。
同名の雑誌は、第二次世界大戦後のものとして、1946年(昭和21)1月、太陽社から、57年10月筑摩(ちくま)書房から創刊されたが、いずれも継続しなかった。また、63年6月、平凡社からカラー写真を主にした総合雑誌として創刊された。月刊、A4判変型、200ページ、定価290円。同年12月、太陽賞(写真)を創設。72年11月、ムック(雑誌ふう書籍)形式による『別冊太陽』(季刊)を創刊、月刊『太陽』は2000年(平成12)12月号をもって休刊。
[矢作勝美]
『鈴木正節著『博文館「太陽」の研究』(1979・アジア経済研究所)』
基本情報
赤道半径=69万6000km
視半径=15′59″.64
質量=1.9891×1030kg
赤道重力=273.45m/s2
体積=130万4000(地球=1)
比重=1.41
自転周期=25.38日
赤道傾斜角=7.°25
極大光度=-26.8等
太陽系の中心に位置し,地球にもっとも近い恒星。平均的な恒星の一つであり,スペクトル型G2型の主系列星に分類される。太陽系の総質量の99.9%を占め,惑星その他の多くの太陽系天体を従えている。その放射する光や熱や風は惑星その他に種々な影響を与え,惑星の大気を作り,それを動かし,地球上にはついに生命を芽生えさせるに至ったのである。地球上に住むわれわれ人類にとっては,太陽は単なる一つの恒星ではなく,われわれの生活を全面的に支配するかけがえのない偉大な天体である。
太陽は東から出て西に没する。次の日も同様である。しかしこの1日の間に太陽の位置はその背景,すなわち星空に対してほぼ1°東にずれている。これを重ねて1年経つと,太陽は星空を一巡することになる。実際には東へ,東へとずれるだけではなく,季節によってあるいは北寄りに,あるいは南寄りにもずれる。このように星空を背景にした太陽の描く軌跡が黄道である。黄道は天球に投影された赤道と23.°5の傾きで交わり,両者の交点が春分点と秋分点である。この傾きのために温帯では太陽の高度が夏は高く冬は低く,季節の変化が生ずる。同時に日の出,日の入りの方位も大きく変化し,日本では太陽は東西方向に対して30°も夏は北寄りに,冬は南寄りに出入する。このために夏は日が長く,冬は短い。春分の日や秋分の日はいわゆる昼夜平分の日であるが,実際は平分ではない。一つには地球大気の屈折作用のために,太陽はつねに多少浮き上がって見えており,日の出入の際にはその量が太陽の視直径をやや上回るくらいであるためである。さらに日の出入は太陽の中心が地平線と一致するときではなく,その上縁が接するときと定義されているからである。この二つの効果を合わせると,太陽の中心が視直径の1倍半余地平線下にあるときに,すでに日の出になることとなる。日本の緯度では,この効果は4分にも達する。すなわち春分,秋分の日には昼は夜より十数分も長いのである。
もし太陽が天球上の赤道を毎日同じ速さで1°ずつ東へずれていくのならば,東経135°の地点ではつねに日本標準時の正午に太陽が南中するはずである。しかし実際には太陽が1°ずつ東へずれていくのは,赤道と23.°5傾いた黄道に沿ってである。春分点付近で考えると,黄道上で1°動いても赤道に沿っては0.°92しか動かない。これを何日も積み重ねるとその差は相当なものとなる。のみならず黄道上の太陽の速さは決して一定ではない。地球の軌道が楕円だからである。地球は太陽に1月にもっとも近く,7月にもっとも遠い。それに応じて太陽の動きは1月にもっとも速く,7月にもっとも遅い。その差は3%くらいである。このわずかな非一様さも積み重なると,その効果は大きくなる。以上二つの効果の結果として,南中時刻は1年を通じて複雑な変化をする。2月中旬には平均より14分遅く,11月上旬には16分も早くなる。これが均時差である。このため,例えば日の出のもっとも遅いのは1月上旬,日の入りのもっとも早い時期は12月上旬であり,ともに冬至の日には一致しないというような一見矛盾したことが起こる。
太陽を望遠鏡で観測すると,たいていの場合黒点がいくつか見える。毎日観測を続けると,黒点が太陽の表面を東から西へ移動していくのがよくわかる。太陽は自転しているのである。さらによく調べると太陽の自転軸は黄道面に垂直ではなく約7°傾いていることもわかる。傾きの方位は9月の初めに地球から太陽の北極がもっともよく見える方向である。黒点の観測から自転周期を求めてみると,黒点は赤道に近いほど短い周期で回っていることがわかる(表)。すなわち太陽は剛体の球のように自転しているのではなく,赤道に近いほど速く回っているのである。これを赤道加速と呼ぶ。このように太陽はたえずねじれながら自転しているので,その体内にはたえず歪が蓄積されていく。この歪のエネルギーが太陽活動に重要な意味をもつのである。
太陽と地球の平均距離は1天文単位と呼ばれ,天文学上重要な定数の一つである。天文学の場合測距の基本は三角測量である。ところが太陽の場合,直接三角測量をすることは容易ではない。それは地球上に十分長い基線をとれないからである。そこで太陽に比べてもっと近い惑星や小惑星までの距離を測ったり,その他いろいろなことが試みられてきた。しかし最近のレーダー測距の進歩によって,金星までの距離が,三角測量ではとうてい得られなかった高い精度で測定できるようになり,1天文単位=1億4959万7870kmと国際的に取り決められた。
地球は太陽のまわりを1年の周期で公転しているが,太陽からどのくらい離れたところを公転するかはほぼ太陽の質量だけで決まり,地球の質量にはほとんどよらない。それは次のように理解される。太陽をほぼ円形軌道に沿ってめぐる地球には,地球の質量に比例した遠心力が働いていて,太陽から遠ざかろうとする傾向がある。この力は軌道が大きいほど大きい。この傾向を引きとめるのが太陽と地球の間に働く万有引力である。万有引力は太陽の質量にも地球の質量にも比例し,また軌道が大きくなるにつれて弱くなる。この2種の力を等しいと置くと,共通な地球の質量が消え,太陽の質量と軌道の大きさの関係が求まるからである。このようにして,1天文単位が決まれば,太陽の質量が万有引力定数を介して決まるのである。現在,国際的に1.9891×1030kgと取り決められている。
同様に,太陽系のいろいろな公転周期をもつ惑星や小惑星の軌道の大きさは,共通して太陽の質量でほぼ決められているので,軌道の大きさの比は太陽の質量にほぼ無関係となり,公転周期の比だけで決められる。これがケプラーの法則である。すなわちわれわれは諸惑星の公転周期を知るだけでも,一応もっともらしい太陽系の模型を考えることができるのである。さらに進んで離心率その他の諸量を導入することによって,1天文単位の値は知らないでも,惑星の天球上の運動を高い精度で算出することができるのである。これを現実の太陽系にあてはめるには模型の縮尺を知ることだけが残されている。その縮尺を決めるのが,例えば地球と小惑星エロス,あるいは金星との間の距離の測定であり,これがわかれば,模型について計算された距離の相対値から,直ちに地球と太陽の平均距離が求まるのである。
1天文単位の距離から見た太陽の視半径は16.′0であるから,実半径は1天文単位の約1/200,69万6000kmである。これは地球の半径の109倍に相当する。太陽の質量は地球の33万倍であるから,太陽の表面重力は地球の28倍,平均密度は地球の約1/4,1.41g/cm3である。平均として水よりも比重が大きいのに,太陽全体がガス体であるのは,非常な高温のためである。
気温の日変化や年変化は太陽と地球上のある地点との相対位置の変化によるものであり,その間太陽の放射量自体はいっこうに変化していない。また黒点の増減による変化も微々たるものにすぎないことが長年の観測によって知られている。すなわち太陽の放射量は時間とともにほとんど変化しない定数と考えられる。習慣として,1天文単位の距離で,地球大気の外で,太陽光線に垂直な1cm2の面を1分間に通過する太陽放射のエネルギーをカロリーで表したものを太陽定数と呼ぶ。その最近の値は1.96cal・cm⁻2・min⁻1である。
太陽の放射は赤色からすみれ色まで広がるだけではなく,赤外線や紫外線にも及び,おのおのの放射に対する地球大気の透明度が著しく異なるので,地上の観測から大気外の値を推定するのは容易でない。にもかかわらず長年にわたる観測から,太陽放射が定数と考えられるほど変化しないものであることが確立されており,その値が最近の地球大気外からの測定値とよく一致することが見いだされている。地球大気外からの観測では地球大気の透明度に対する補正の不確かさがないので,0.1%程度の微細な変化と太陽活動との関係をも調べることができる段階に入った。
太陽を中心とし,1天文単位を半径とする球面のどの部分をとっても,1cm2当り上記のエネルギーが流出している。この全球面をよぎって流出するエネルギーの総量を考えると,それは太陽表面という球面についても同じはずである。ところがこの球面の面積は前の球面の約4万分の1である。したがって太陽表面の1cm2当りには,太陽定数の4万倍のエネルギーが流出していることになる。これに黒体放射の法則をあてはめて温度を求めてみると,5780Kとなる。これが太陽の有効温度である。
太陽の内部に半径1/4の球面を考えよう。この球面をよぎるエネルギーの総量はいぜんとして太陽表面をよぎる総量と等しい。二つの球面にはさまれる部分ではエネルギーが発生していないからである。しかし,これより半径の小さい球面を順次考えていくと,エネルギーの総量はしだいに減少する。つまり半径1/4より内部の中心核でエネルギーが発生しているのである。ちなみに,太陽の中心では温度は1500万K,密度は水の160倍,圧力は2000億atmにも達する。中心核では宇宙でもっとも豊富に存在する水素の核,すなわち陽子がヘリウム核に変換される熱核融合反応が起こっている。1個のヘリウム核を作るのに4個の陽子が必要であるが,でき上がったヘリウム核の質量は4個の陽子の質量の和より若干小さい。この質量の減少がエネルギーの発生につながり,γ線の形で放射される。放出されたγ線は太陽の内部をかけめぐり,1000万年もかかって表面から光や熱として放出される。現在われわれは実に1000万年も前に発生したエネルギーの恩恵に浴しているのである。中心核での核反応の際ニュートリノも発生する。ニュートリノにとっては巨大な太陽もほとんど素通しである。2,3秒で表面に出て,8分後に地球に降り注ぐ。したがってその量を調べると,太陽の原子炉の現在の状態を知ることができる。実際観測された量は期待される量の数分の1である。この食い違いについては目下いろいろと検討が加えられている。
上記の核反応によって太陽は毎秒500万tずつ質量を失っている。この割合できたとすると,太陽がほぼ現在の姿になってから現在に至るまでの45億年間に太陽は1/4000だけ軽くなったことになる。すなわち太陽のエネルギーは一応無尽蔵といえるのである。
約50億年前に銀河のどこかにちりとガスからなる雲が漂っていた。雲には濃淡があった。濃いところがなぜかさらに濃くなり,そのちりやガスの相互間の万有引力がしだいに強まり,それらがかってな方向に動こうとするのを抑えて,まとまった集団となった。集団の収縮に伴って重力エネルギーが解放されて内部はしだいに暖まり,圧力が上昇し,収縮の歩みを鈍らせるが,いぜんとして収縮は進む。内部の温度がしだいに上昇して1000万Kに達すると,ついに水素の熱核融合反応に火がつく。太陽という星の誕生である。この原子炉の温度が何度に落ち着くかは,そこに発生した高温高圧によって支えなければならない星の質量によって決まる。質量が大きいほど原子炉の温度は高くなければならない。太陽の場合それは1500万Kである。
現在,太陽では4個の陽子から1個のヘリウム核を作る反応が起こっているが,粒子の個数が1/4に減ることによって,中心核の圧力が減る傾向が生じている。中心核が押しつぶされないように,太陽は温度を上昇させることによって,圧力の減少を自動的に防ぐ。このためエネルギーの発生量は増加し,太陽はしだいに明るくなり,また膨張していく。計算によると100億年後には明るさは現在の2倍に,半径は1.4倍に増すはずである。
この時点で今まで燃えていた水素が中心部からまずなくなり,もえかすのヘリウムがしだいに中心部にたまってきて,原子炉は球殻状の層をなして,次々とより上層の水素を食っていくこととなる。この段階に入ると太陽は急速に大きくなり,明るさは現在の500倍に,半径は100倍にもなる。ただし表面温度は下がって赤い星となる。赤色巨星である。やき尽くされてどろどろになった地球から見ると,赤い太陽が空を覆わんばかりの大きさで輝いているであろう。ここまでくると,今までの燃料であった水素はまったく底をついて,もえかすのヘリウムが内部を満たす。燃料切れになった太陽の内部はどんどん重力で収縮し,その結果温度が上昇する。温度が1億Kに達すると今度はヘリウムに火がつく。この反応は激しく,爆発的であり,太陽はおそらくその何割かの質量を失うことになる。身軽になった太陽の中心は適当に冷えてしばらくはヘリウムが穏やかに燃える。しかしやがてヘリウムも底をつき,次の燃料に火がつくというようなことを重ねて,これまでと同じくらい激しいいくつかの変動を経て,多量の物質を消耗して,惑星状星雲になり,白色矮星(わいせい)となる。質量は現在の半分に,半径は1/100に減り,原子エネルギーはすっかりなくなり,高温のために白く輝くが,その明るさは1/1000くらいにすぎない。太陽はやがて光を失った小さな天体となってその生涯を閉じるであろう。
太陽の内部のうち,半径を単位として1/4より内部は原子炉である。そこから外へ向かって7/10に至る層は安定で,エネルギーは放射の形でゆっくりと外へにじみ出していく。時間がかかるのはガスが極度に不透明で高度の保温材であるからである。温度はしだいに下がって7/10の層では200万Kくらいになる。温度が低くなるとガスの保温力はさらに増加して温度の降下率が大きくなる。一般的に,大気の中で仮にある気塊が上昇したとすると,周囲の気圧が低下するために,気塊は膨張して温度が下がる。その下がった温度が周囲よりもし高かったとすると,その気塊は熱気球の原理で上昇を続けるであろう。半径7/10より外の層ではまさにこのようなことが起こっている。これを対流層と呼ぶ。ここでは水素(あるいはヘリウム)が電離されるかされないかの状態にあり,気塊の昇降に従って電離の潜熱が放出されたり吸収されたりして,気塊の温度変化を鈍らせるために,対流の傾向が助長されるのである。対流層では内部からのエネルギーは対流運動に乗って外へ運び出されるが,この対流運動は上層の大気に大きな影響を与える。対流層は太陽表面近くまで広がるが,最後の,深さ数百kmより上層の大気ではエネルギーは再び放射の形で流出する。
太陽はガス体であるのではっきりした表面をもっているわけではない。可視光で見える大気の部分を光球と呼ぶ。大気を垂直に見下ろした場合,見える深さは数百km程度である。これは太陽半径の0.1%にも満たない深さである。大気を斜めに見通すともっと浅い層を見ることになるので,太陽の中心から遠ざかるに従って,われわれはより浅い層を見ていくことになる。事実,太陽は一様な明るさではなく,周辺に向かって暗くなっている。これを周辺減光と呼ぶ。このことから光球の中で温度がどのように分布しているかを知ることができる。最下層から最上層へと,温度は6400Kから4300Kへと減少し,圧力は0.1atmから0.001atmへと下がる。太陽定数から求めた有効温度5780Kは実はその中間に位する。太陽表面の中心における放射の波長分布は約6000Kの黒体放射のそれに近いけれども,若干の有意義な差が認められる。これは大気の不透明度が波長によってわずかに異なるために,波長によって異なる層を見るためである。同じような事情は波長別の周辺減光にも現れる。このようにして得られた不透明度の波長変化はわずかで,地球大気のように夕焼けや青空を現出するような著しい変化ではない。吸収の主役は中性水素原子に電子が1個余分についた水素の負イオンである。
太陽放射の波長分布をもっと詳しく調べると,上記の連続スペクトルに何千という多数の吸収線があることがわかる。これがフラウンホーファー線である。これらは種々の元素に固有のスペクトル線であり,吸収の強さを測ることによって,光球のモデルに基づいて,元素の量を導き出すことができる。その結果,ヘリウムを除けば,光球大気はほとんど水素で構成されていて,わずか1/1000がその他の多数の元素で占められていることがわかる。このようにして導き出された元素の存在比は恒星から求められたものともほぼ一致し,宇宙を理解するうえにも重要な役割を果たす。
吸収線が現れるのは,吸収線の波長の光に対して光球がとくに不透明だからである。光球がまさにその波長の光を吸収する元素を含んでいるのであるから当然であろう。不透明だから浅いところまでしか見えない。そこでは温度が低い。したがって吸収線の波長の光はその両脇の波長の光に比べると弱く,あたかも吸収されたように見えるのである。このようなわけで,スペクトル線の解釈からも光球のモデルが検討できる。光球のモデルは,エネルギーが放射の形で流出しているという放射平衡と,大気が静水平衡にあるという仮定から,今までに述べた種々の観測に合致するように導き出され,ほぼ完成の域に達しているといえよう。
黒点や白斑は光球の現象であるが,その外に,太陽像の良好な場合には,粒状斑が光球のほぼ全面を覆っているのが認められる。これらは1000km程度の大きさのふぞろいな多角形の構造であり,そのおのおのは8分くらいの寿命をもっている。スペクトル写真をとると,フラウンホーファー線はまっすぐな直線ではなく,ドップラー効果のためにジグザグに見える。このことは粒状斑の気体が1km/s程度の速さで,その中心部で上昇し,縁で降下する運動をしていることを物語っている。このように粒状斑は光球のすぐ下にある対流層の最上層に達した気塊の運動のありさまを表していると考えることができる。
さらに太陽大気は規則正しい振動もしている。太陽面上の任意の一部の領域について,スペクトル線のドップラー効果による偏移を長時間観測することによって,太陽の全面が,数千kmから数万kmにわたる種々な大きさの領域に分かれて,大きさに応じて平均5分くらいの周期で振動していることが判明してきた。この振動は対流層まで含めた大気が一種の楽器のように特有の音色を発していると見ることができる。したがって振動を詳しく調べることは対流層を打診することにつながり,地震波によって地球内部の診断ができるのと同じように,太陽の内部についての手がかりが得られると考えられている。事実対流層の底は今まで考えられていたよりずっと深く,半径の7/10まで達していなければならないし,またそれより中の太陽の部分は表面よりも速く自転しているのではないかというような考えも出始めている。
皆既日食のとき,太陽が月に隠されていき,ダイヤモンドリングが消えた途端に,接触点に近い月の周囲に沿って紅に輝く薄い層が見える。これが彩層である。10秒も経つとこの薄い層は月に隠されて見えなくなり,コロナといくつかの紅炎だけが残る。太陽を目で見てもこの層はとうてい見えない。素通しに近いからである。しかし光球に現れるとくに強い吸収線,例えば水素のHα線やカルシウムのK線などの光で見ると,厚さ数千kmの彩層もたいへん不透明で,まさにこの層を見ることになる。スペクトロヘリオグラフや単色フィルターを用いて得られるこれらの線の単色像は彩層の景色を表している。単色像でもっとも印象的なことは彩層が実にさまざまな明暗の模様で覆われているということである。まず目につくのは黒点群を囲む巨大な明るいプラージュである。白斑よりも広くりっぱである。また黒点に近いところでは線状の模様が放射状,あるいは渦巻状にのたうちまわっている。このような細かい線状の構造はたぶん磁力線に沿って現れているのであろう。太陽光球の縁には大小さまざまな,いろいろな形の紅炎が炎のように噴き出している。長い紅炎が太陽の縁にまつわりついている場合には,光球の外では明るく,中へ入り込んだ部分は暗条として見えるようすがよくわかる。光球には長い暗条がミミズのように何本か横たわっているが,これらは実は紅炎の俯瞰(ふかん)図である。光球の縁に沿っては紅炎以外に無数の超小型の紅炎が林立しているようすが像の良好なときには見える。これをスピキュール(針状体)と呼ぶ。これらも太陽の表面では多数の短い暗条として認められる。
さらに単色像には太陽面が粗い網目模様で覆われているようすが見える。網目の大きさは3万km,すなわち,太陽の直径の1/40くらいの大きさである。おのおのの網目の中心から周に向かって1km/s足らずの水平方向の流れがあり,周では2km/sくらいの速さでガスが降下している。つまりこれも対流運動である。よってこれを超粒状斑と呼ぶ。超粒状斑の周はよく見ると微小な明点の密集地帯であり,スピキュールも集まっていて,あたかも磁力管が水平方向の流れで周へ掃き寄せられたかのように見える。おのおのの超粒状斑は1日も経つと識別がつかなくなる。
皆既日食のときに撮れる彩層のスペクトルは輝線スペクトルである。それは背景に光球がないからである。この輝線スペクトルは光球の吸収線スペクトルの明暗を裏返したようなものである。すなわち,光球の強い吸収線は彩層でも強い輝線として現れる。励起の状態に大差がないためである。つまり温度が光球の延長上にありとくに激しい増減がないことを物語っている。しかし例えば光球では認められないヘリウムの線が強く現れることなどから,上層へ向かって高温のコロナへの移行が始まっていることが想像される。おおまかにいうと,彩層の温度は下から上へ,5000Kから8000Kへと上昇し,圧力は1万分の1atmから100万分の1atmへと減少する。
彩層に現れるもっとも劇的な現象はフレアである。典型的な例では,単色像で見ていると,プラージュの一部が数個の斑点状に,見る見るうちに非常に明るくなり,点がつながって2本の紐状になり,紐の間隔が広がり,やがてゆっくりと数十分かかって明るさが元に復する。時を同じうして太陽電波に種々なじょう乱が生じ,X線が増加し,地球上では電離層に異常が起こり,デリンジャー現象が起こる。さらに1日余おくれて極地方にオーロラが現れ,地磁気あらしが起こる。この現象は単色像でもっとも観測しやすいのであるが,本質的にはコロナに蓄えられた磁場の歪みのエネルギーが解放される現象と考えられているので,後出〈太陽活動〉の章で詳述する。
皆既日食の際光球が月に完全に隠されたときに,白色に輝く光芒状の光冠が見える。これがコロナである。明るさは光球の100万分の1でほぼ満月の明るさである。その99%はそれ自身の発光ではなく,光球の光がコロナの自由電子によってほぼ直角の方向に散乱されたものである。したがって色は白く,かつ偏光している。たいへん希薄で1億分の1atm,密度にすると実験室で到達しうる最高の真空度に相当する希薄さである。
コロナは太陽の縁から遠ざかるにつれて明るさを減じ,半径くらい離れたところで1/200に減光し,前景にある黄道光の明るさがその半分を占めることとなる。黄道光は惑星間空間に分布するちりによって太陽の光が散乱されたもので,これも白色であるが,この方向では偏光していない。そのスペクトルは光球のスペクトルそのもので,多数のフラウンホーファー線が認められる。これをFコロナと呼ぶ。いわばにせのコロナである。これに対して太陽のコロナは同じ散乱光であっても,7000km/sにも達する自由電子の激しい熱運動のためにドップラー偏移が著しく,フラウンホーファー線はほぼ完全にかき消されて一見連続スペクトルのように見える。よってこれをKコロナと名づける(以後コロナと呼ぶ)。
コロナの可視光の明るさの1%はコロナ自身の発光であり,輝線から成り立っている。これらは十数個の電子を失った鉄その他の元素によって放射される。以上の諸特性からコロナは100万Kをこえる高温にあることがわかった。メートル波で太陽を見ると,希薄なコロナすらたいへん不透明でコロナだけしか見えないが,電波の観測もコロナの高温を示唆している。
可視光の輝線は総量がわずかであるが,それは輝線の線幅が狭いからであり,輝線の波長の光では連続光の何十倍も明るいものがあり,活動領域ではもっと明るい。高山に設置されているコロナグラフはこの事情を利用したもので,いわばコロナ輝線の単色像を常時観測するための装置である。
彩層が光球の延長程度の温度であるのに,それに接しているコロナが100万K以上の高温であるのは意外であるが,実はその間をつなげるたいへん薄い層があるのである。このことは,地球大気外からの観測で,数万Kから数十万Kにわたる種々な温度で発光する,種々な電離度のイオンの輝線が多数観測されることによって確かめられている。しかし,境界層のある場所や形状についてはまだ定説がない。
太陽内部から外に向かって温度がしだいに下がってきたのに,その外のコロナで温度が急増するのはなぜか,現状では十分具体的な説明がなされていないけれども,対流層の運動のエネルギーが磁場を介してコロナに流れ出す過程で,イオンや電子の運動のエネルギーに変換される,すなわち熱化される結果であると考えられている。
コロナの輪郭は黒点の極大期と極小期で異なり,前者では円に近く,後者では赤道方向に扁平な楕円形になる。いずれにしても輪郭は単純ではなく,多数の光芒から成り立っているように見え,しかも幾本かの顕著な光芒,ストリーマーが長く伸びているのが認められる。また低いところではアーチ形の構造が随所に見られる。これらはすべてコロナの磁力線に沿った構造なのである。コロナは高温であるために,その最外層のガスを引力で引きとめておくのがむずかしい。そのためにコロナからは絶えずガスが流出していると考えられている。事実人工衛星からの観測で,地球付近で数百km/sというガスの流れがあることが知られている。これが太陽風である。さらにこの風は間欠的に強くなり,それが,地磁気のじょう乱と同じく,27日の周期である期間繰り返されることが判明している。
地球大気の外からX線で太陽の写真を撮ると,光球は低温のためまったく見えないで,温度の高いコロナの全貌がとらえられる。すなわち,コロナの俯瞰図が得られる。こうした図形において,コロナにはときとして巨大な欠損部があることが発見された。これがコロナホールである。上記の間欠的に強い太陽風の根もとを逆にたどると,実はこれらのコロナホールに行き着くのである。コロナホールから流れ出したとくに強い太陽風が,太陽の自転につれて27日の周期で地球に吹きつけられるのである。おそらくコロナホールでは磁力線がアーチ状ではなく外へ射出した,ガスやエネルギーが流出しやすい形をしていて,下からの運動のエネルギーが十分に熱化されないまま,強い太陽風として宇宙空間に放出されるのであろう。事実コロナホールでは温度も密度も周囲よりやや低いのである。
太陽活動は11年を周期として盛衰を繰り返す。これをもっとも端的に表すのが黒点相対数である。黒点は3000ガウスという強い磁場をもっていることがスペクトル線のゼーマン効果から知られている。黒点はふつう東西に並んだN極とS極の対として現れるが,極性の東西関係は南北半球で逆であり,また11年ごとに南北の極性関係が入れ替わる。したがって太陽活動の周期は22年であると考えるほうが妥当である。
黒点の強い磁場は太陽自転の赤道加速によって作られる。太陽内部に南北方向に磁力管が横たわっていたとすると,自転につれて低緯度の部分が先回りして,磁力管はしだいに東西方向に寝ていき,伸ばされて,太陽の周に鉢巻のように巻きつくことになる。磁力管が伸ばされると断面は小さくなり,磁場は強くなる。磁場を含んだ気体は磁場の圧力をもつために,周囲の気体より密度が小さい。したがって浮き上がる傾向をもっている。東西に引き伸ばされた内部の磁力管の一部はこのようにして浮上する。磁力管の一部がコロナまでもち上げられたと想像すると,光球面に磁力管の断面が1対の黒点として現れるであろう。
黒点の根は深く対流層にまで達している。一般に電離されたガスは強い磁場を横切って運動することができない。動くためには磁場を引き連れて動かなければならない。したがって黒点の直下では対流運動は強く抑えられる。そのために内部からのエネルギーの流出が少なく,温度が低く,周囲に比べて暗く,黒点として見えることになる。対流層の深いところでいわばふたをされた結果,内部からのエネルギーはそのわきを通って外へ出てくる。黒点のまわりの白斑やプラージュ領域には,こうした余分のエネルギーがばらまかれているのであろう。太陽内部では磁力管は気体の運動のままに振り回される。磁力管をこねまわす気体の運動は上記の赤道加速だけではなく,もっと複雑なものである。粒状斑や超粒状斑に象徴される運動もあれば,太陽を数葉の子午面で分割した超特大の対流運動も考えられる。いずれにしても,内部の磁力管の束はきれいなそうめんの束のようなものではなく,曲がったり,ねじれたり,ささくれ立ったりしたぼろぼろの古縄のようなものになっているであろう。このような縄の一部が光球を貫いて上昇していくと,その断面はきわめて複雑な様相を呈するであろう。これが黒点の複雑な形やその時間変化に対応しているのである。
コロナに押し上げられた磁力管はもはや気体にもてあそばれない。コロナが希薄だからである。ここでは気体が磁力管のあるがままに,それに沿ってしか動けない。新しく浮上した磁力管はすでにコロナを埋めている磁力管との間に新しい力の均衡状態を見いださなければならない。この葛藤(かつとう)の間に磁場の歪みとして蓄えられていた莫大なエネルギーがときおり爆発的に解放されるであろう。これがフレアである。
フレアの発火点はコロナの中にあり,ループ状の磁力管の頂点である。その温度は数千万Kに達し,鉄の原子を例にとると,そのもっている26個の電子のうち,1個または数個を残してほとんどはぎ取られた状態にあることが,地球大気外からのX線の観測からわかっている。ここで発生した高速粒子は磁力管に沿って降下し,彩層や光球をたたいて,光のフレアやγ線バーストを発生したりする。さらに彩層からは多量のガスがループ状の磁力管の中に蒸発して,そこからもX線が放射され,やがて末期にはループ状紅炎を形成する。ループは単一ではなく幾本もあり,低いものから順次高いものへ着火していくと考えられている。またループの根もと付近からは加熱の衝撃でサージと呼ばれる高速の紅炎が噴出することがある。発火点からは太陽電波のマイクロ波バーストが発生し,そこから派生したコロナのじょう乱は,センチメートル波およびメートル波領域でいろいろな種類のバーストを起こす。これらのあるものはコロナに発生した衝撃波の波面で励起されたプラズマ振動によって放射され,あるものは高速の電子が磁場にまつわりつくように運動することによって放射され,またあるものは電子が高速でコロナの外へ出ていくようすを示す。
太陽の自転は黒点で調べると赤道加速があり,周期が緯度によって27日から30日まで変化する。それにもかかわらず,太陽面上の活動領域を長期間にわたって観測すると,その持続性がよく,自転の何周期にもわたって,太陽面のある経度に固定しているように見える。この矛盾は例えば次のように解釈できる。太陽内部には太陽を数葉の子午面で縦切りにしたような大規模な対流運動があり,それが自転の影響を大きく受ける結果,ガスは低緯度では速く高緯度では遅く流れることとなり,ガスに乗せられた黒点は赤道加速を示すと考えるのである。またこのような大規模なプラズマの流れが磁場を引き連れて動いていると,電磁流体発電の作用が発生し,太陽全体の磁場がゆっくりと変形を受け,11年あるいは22年の太陽活動の変化を生ずることも可能であると考えられている。
太陽はその明るさ,表面温度,大きさ,質量のいずれを考えても,平均的で平凡な恒星にすぎないのであるが,そのために両者には多くの共通点がある。恒星はどんなに近いものでも点にしか見えないが,太陽は見かけの大きさが大きく,表面を詳しく観測できる唯一の恒星である。事実太陽を詳しく研究し,恒星を広く調べることによって太陽と恒星の物理学は進歩してきたのである。
太陽に彩層があるように,恒星にも彩層がある。しかも太陽よりもっとりっぱな彩層が多数の恒星にある。これらの星でカルシウムのK線の吸収線中心部に現れる輝線がそれを物語っている。これらは表面温度がどちらかといえば太陽よりも低い星であり,太陽よりもっと大きく希薄な巨星や超巨星であることも多い。これらの星は太陽と同じく対流層をもっており,その副産物として彩層をもっているのである。輝線の幅から想像される彩層の運動の激しさは,主系列星から,巨星,超巨星へと増大していく。これは同じ表面温度を達成するためには,希薄な大気ほど,対流運動が激しくなければ必要なエネルギーを運び出せないという事情と合致している。また多くの恒星が太陽活動の11年周期に似た周期的な変動を示すことも明らかにされつつあるし,フレアも多くの恒星で見つかっている。
コロナもまた恒星にある。地球大気外からのX線の観測から推測されるのである。コロナの高温は対流層の運動のエネルギーが熱化されるためであると考えられてきたので,太陽よりも低温の,彩層をもった恒星で,コロナを引きとめるに足る表面重力をもつ主系列星にだけ存在すると想像されていたのであるが,最近のX線の観測で,もっと高温の星にも,また巨星や超巨星にもコロナが存在することが確かめられ,従来のコロナについての考え方に大きな修正を迫られている。
→光球 →太陽スペクトル →日食 →フレア
執筆者:末元 善三郎
太陽については事実上どの民族も何らかの神話や信仰をもっているといってよい。しかし,19世紀末に唱えられたような,すべての神話は太陽神話であるというのは明らかにいきすぎであって,太陽と無関係な神話も多い。
太陽の起源についての神話のおもなものは,(1)地上から投げ上げられた物体が太陽になった,(2)地上の人間が死んで太陽となった,(3)原初の巨人の目玉が太陽になったの3種がある。(1)の型は月についても語られることが多く,また世界の採集狩猟民に広く分布し,人類文化史的にみて古いものと思われる。例えば,中央カリフォルニアのガリモメロ族によれば,原初の暗黒のとき,鷹とコヨーテは可燃性のボールを2個集めた。鷹はこれらをもって天にとび上がり,火打石の火花で火をつけ,太陽と月になった。(2)の型は農耕民に多いが,採集狩猟民にもある。ポリネシアのハーベー諸島の神話は,太陽と月はもともと1人の子どもだったが,両親により二つに切断されて天に昇ったものという。(3)の型は世界の古代文明地帯とその影響圏に多い。中国の原初の巨人盤古(ばんこ)が死んで,その左目が太陽,右目が月になったのもその一例である。《古事記》に,伊邪那岐(いざなき)命が黄泉(よみ)から帰ってみそぎをしたとき,左目を洗うと天照大神(太陽),右目を洗うと月読命(月)が生まれたとあるのも,この形式の変種である。
太陽は天を横断して毎日運行している。運行のしかたとしては次の3種が広く分布している。太陽が(1)鳥として,(2)舟に乗って,(3)馬車に乗って運行する。(1)の型は分布がきわめて広く,古いものと思われる。太陽の中に3本足のカラスがいるという中国の観念もその一例である。(2)の型は古代エジプトにもあったが,東アジア,東南アジアでは金属器時代に盛んになったものらしい。例えばベトナムの青銅器時代から初期鉄器時代のドンソン遺跡の古式銅鼓における上部表面中央の星形は太陽を表し,周囲の人物や動物も太陽と同じ方向に回って,それぞれ太陽またはその属性を表し,銅鼓の側面に表された舟は,太陽を乗せた舟であるというコラニM. Colaniの説がある。日本でも,松本信広によれば福岡県珍敷塚(めずらしづか)古墳の壁画に描かれた舟は太陽の舟であるとされる。(3)の型はインド・ヨーロッパ語系の諸族の世界に広く見られるほか,古代中国にも波及していた。古代ギリシアでは太陽は戦車に乗って天かけると信じられていたので,ロドス島民は戦車と4頭の馬を毎年太陽にささげ,その用に供するために海に投げこんだ。つまり,太陽は1年間の運行で,その馬も戦車も使いつぶしてしまうと考えられていたのである。中国の《淮南子(えなんじ)》天文訓によると,羲和(ぎか)という女が6頭の駿馬のひく馬車を御し,この馬車に太陽を乗せて天空を運行するのだという。また太陽の運行は,月の運行としばしば関連づけられる。カフカスのグルジア族の伝承によると,神が兄と弟にどちらか一方が昼の天体(太陽)になり,他方が夜の天体(月)となるように命じた。決められた日に早く起きたほうが太陽となるよう取り決められた。兄は早起きして太陽となり,母は寝坊の弟息子に腹をたて,パンをこねる粉のついた手でそのほおを打った。こうして月の斑点ができた。南アフリカのカフィール族によれば,月が欠けるのは,月がいつも太陽に追いかけられて,くたびれると生ずる現象である。
太陽の正常な運行は人間の生活に秩序を与えてくれる。しかし,かつては太陽の運行があまり速くて困ったので,ある英雄が太陽にわなをかけて,その速度を遅くしたという形式の神話が,ポリネシア,北アメリカなどに分布している。日本ではむしろ,太陽があまり速く沈むので,田植が1日で終わらないことを心配した長者が太陽を招き返したが,この無礼なふるまいの罰として没落させられたという伝説が,鳥取県の湖山(こやま)長者その他について語られている。また,多数の太陽が(ときには多数の月も)天にあったため,暑すぎたり昼間ばかりだったりで,困った人間が太陽(月)を一つだけ残して,あとはすべて射落としたという神話は,中国を中心としてシベリアの一部,東南アジア,北アメリカ西部に分布している。ブリヤート・モンゴル族の神話によると,ブルハン・バタン神は一つの大きい太陽と二つの小さい太陽を作り,いっさいのものを焼きつくそうとした。神は名射手カラ・エルヒェ,ミルゲンを呼び,三つの太陽すべてを射当てられるかと問うた。射手は射当てられると約束し,失敗したら手足の親指を切断し,まだ創造されていない動物に変身して,地下に6ヵ月暮らすと誓った。神が真ん中の太陽を隠してしまったので,射手は約束どおりモルモットに変身した。古代中国の羿(げい)も射日英雄である。太陽が隠れてしまったため,人々がこれを引き出して秩序を回復した神話は,アッサムから中国南部,さらに北アメリカ西部に広く分布しており,日本の天の岩屋戸神話もその一つである。
日食の起源についての神話や観念は,(1)怪物が太陽をのみこむ(月をのみこめば月食),(2)太陽が病気になるため,(3)太陽と月が夫婦で,2人が性交したりけんかするためなどの諸形式がある。例えば,太陽が怪物にのまれて日食が生ずる形式は東南アジアにも多いが,アッサムのクキ族の一派,アナル族に次のような神話がある。むかし牝犬を飼っている信心深い男がいたが,太陽と月はこの男が徳をもっているのをうらやみ,だまして徳を奪って天に逃げた。聖者は愛犬に泥棒を追いかけて捕らえるように命じた。犬は長い棒をもってきて,犬と聖者はこれを登っていった。しかし聖者が天に達する前にシロアリが棒の下の部分を食べてしまったので,聖者は天から落ちて首の骨を折って死んでしまった。しかし犬は聖者よりも敏しょうだったので,ひと足さきに天に達し,今に至るまで太陽と月を追いかけまわしている。ときに牝犬が彼らを捕らえることがあるが,そのときに日食や月食が起きる。するとアナル族の人たちは天の牝犬に向かって,〈放してやれ,放してやれ〉とどなる。日食や月食が超自然的なネコ科動物,ふつうジャガーが襲うため生ずるという信仰は,南アメリカの諸民族(ユラカレ,モホ,チキート,グアラニ,インカなど)に分布している。
日食や月食が,太陽や月が病気になったり,気絶したり,死んだために生ずるという民族は,スマトラのミナンカバウ族,アフリカのコイ・コイン,南アメリカのアラチカノ族などの例がある。日食や月食を夫婦関係で説明する例は,太平洋のタヒチ諸島,ドイツのオーバーファルツの農民などにあるが,西アフリカのフォン族もその一つである。フォン神話によれば,原母ナナ・ブルクはマウとリサの双生子を生んだ。マウは月で女,夜を支配して西に住み,リサは太陽で東に住んでいた。最初,日月が別々のところに住んでいたときには2人の間に子どもは生まれなかったが,しまいに日月食のときに太陽と月はいっしょになった。だから今でも日食や月食があるとマウとリサが性交しているのだといわれる。その変種として,東南アジア大陸部では,次の形式の神話がある。太陽と月は兄弟あるいは姉妹だったが,その下にもう1人弟か妹がいる。この下の弟(妹)は行いが悪い。上の2人は死後,太陽や月になったが,下の弟(妹)は死後,怪物になった。日月食はこの弟(妹)のために生ずるという形式の神話である。日本の天の岩屋戸神話はこの形式に入る。
太陽崇拝は,採集狩猟民の世界にも見られることもある。北海道のアイヌは日食や月食のときに,大地を踏みとどろかせ喚声をあげて光の神の危急を救おうとした。しかしアイヌはふつう太陽神や月神に木幣(ヌサ)をあげることはほとんどない。ただ釧路と十勝の一部では,もっとも太くてりっぱな木幣を選び,その表面に太陽の形,裏面に雷神の形を刻むことがある。この太陽の形を刻む地方では,湖沼に生えるヒシの実が重要な食料で,秋にヒシの実が実るときの祭りに,太陽神に木幣が供えられる。ザバイカル地方のツングース族では,太陽は下位神の中ではいちばん尊いので,しばしば至高神と混同されるほどである。狩人は獲物をとると,太陽に向かっておじぎをし,短い祈禱(きとう)をあげて,その頭蓋を木につるす。また遊牧民のブリヤート・モンゴル族のように,太陽と月にはそれぞれ女神が住んでいるが,どちらも人間に対して好意的だから,とくに崇拝することは不必要だと考える民族もいる。
一般に,太陽崇拝が盛んなのは古代エジプト,古代インカ,現代ではインドのドラビダ諸族,東部インドネシアなど,かなり高度に発達した文化をもつ民族に多く,かつ王権と太陽祭祀が結びつくこともしばしばである。太陽の女神,天照大神を皇室の祖神とする日本もその一例である。南アメリカでは太陽崇拝はインカ帝国で発達しており,太陽は王家の祖先神とみなされていたし,またインカ帝国は征服した諸民族にも太陽崇拝を強制した。インカの支配領域のいたるところに,太陽神のための神殿が建てられたが,帝国の首都クスコの太陽神殿では,太陽は巨大な黄金の円盤で表されていた。ところが古代ペルー以外,南アメリカには太陽崇拝の例はきわめて少なく,多くの場合,太陽は単なる神話中の登場人物の1人(月とともに双生子と考えられることも多い)にすぎなかった。
執筆者:大林 太良
古代において統一と神性の象徴とされた太陽は,西洋のシンボリズムの体系の中で重要な位置を占めている。ギリシア神話でヘリオス,アポロンと同一視される太陽は,錬金術では金属位階の最高にある金としばしば等置された。ドイツの医師・錬金術師M.マイヤーによれば,地球の内部に宿る黄金は天空に輝く太陽の似姿にほかならない。太陽は地球の周囲を回転しつつ,影響力を地心に及ぼし,己が像を黄金として刻印したのである。しかも,太陽は神性の象徴であるから,神は黄金の内部に顕現し,黄金において認識されることになる。これが〈通常の黄金〉と異なる〈真の黄金〉で,神的ないぶきをはらむその霊妙な性質のため,これを〈賢者の石〉そのものとみなすこともあった。錬金術の化学過程を示す図像では,太陽は三原質の一つである〈硫黄〉の象徴とされることが多い。この場合,三原質のもう一つの元素である水銀は月で表され,物質の結合と変容のプロセスは,男性である太陽と女性である月との交合図ないしは婚姻図で表された。したがって,この結合から生ずる錬金作業の原材料は,太陽と月の性質を兼ね備えた両性具有とみなされる。また,金属変成の最初の困難な段階とされる〈黒化〉の象徴として,〈黒い太陽〉が用いられることもあった。この過程における物質は,金属が純化され黄金となって復活するための準備段階として,死,腐敗の状態にあり,すなわち光り輝く太陽の反像と考えられたからである。(図)
占星術では,太陽は活力の象徴で,吉位にある場合は長寿と健康,富と名誉を保証し,勇気,誠実,善意などの性質を授けるが,逆に凶位に立てば,失意,苦難,病気,零落をひき起こす。また,自然を大宇宙(マクロコスモス),人体を小宇宙(ミクロコスモス)とみて,両者の間に対応関係を設定する占星術的医学では,太陽はおもに心臓を支配する。なぜなら,心臓は人体の内部に刻印された太陽であり,地球内部の黄金に対比されるからである。その他の支配部位としては,目,脳髄,神経,身体の右半分が振り当てられている。
→月
執筆者:有田 忠郎
博文館発行の月刊誌。1895年1月創刊。《日本大家論集》の大成功で種々の雑誌を事業の柱の一つとしてきた博文館が,94年末に政治・経済関係の雑誌を廃刊して,日清戦争後の社会変化に対応した総合雑誌として創刊した。四六倍判,本文200ページ,写真版10ページ,定価15銭。96年から99年までは月2回刊で菊判,1900年から月刊に戻って菊倍判,01年から四六倍判に戻る。初代主筆は坪谷水哉(善四郎,1862-1949)で,以後は高山樗牛(ちよぎゆう),鳥谷部春汀(とやべしゆんてい),浮田和民,長谷川天渓(誠也),平林初之輔ら。論説,政治・経済,文芸などを軸に,内容は広範にわたった。執筆者も各分野の知名人を網羅し,また各界の名士二百数十名よりなる太陽名誉賛成員を掲げ,〈一に国運隆昌の反影を表示するを期し,毫も政治主義の同異に関せず,専ら公平不偏を以て立つ,故に名誉賛成員各位が世に公にするを欲し玉ふ意見は《太陽》最も歓んで登載〉することを編集方針にして,大正前半期まで総合雑誌の王者であった。しかし日露戦争を前にして台頭してきた国家膨張主義に迎合する方向がとられ,社会主義運動や大正デモクラシーに対応しきれず,《中央公論》《改造》にその地位を奪われ,28年2月,第34巻第2号(通算530冊)をもって廃刊に追いこまれた。本誌のほか臨時増刊66冊を発行したが,そのおもなものに〈博文館創業十周年記念〉(1897),〈明治十二傑〉(1899),〈明治史〉(1904),〈明治名著集〉(1907)などがある。
同名の雑誌は1942年7月朝日新聞社から発行され(1945年4月,第34号で休刊),また46年1月太陽社から,さらに57年10月筑摩書房から発行されたが継続しなかった。その後63年6月,平凡社からカラー写真を主にした日本最初のグラフィックな総合雑誌《太陽》が創刊された。月刊,A4判変型,創刊号は200ページ,定価290円。同年12月,組写真によるドキュメンタリーを対象にした〈太陽賞〉を創設,第1回の荒木経惟をはじめ写真界に人材を送り,新人カメラマンの登竜門となっていたが,2000年に本誌は休刊となり,〈太陽賞〉も休止となった。なお72年11月,ムック形式による《別冊太陽》を創刊,現在におよんでいる。
執筆者:矢作 勝美
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(土佐誠 東北大学教授 / 2007年)
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明治~昭和期の総合雑誌。1895年(明治28)創刊,1928年(昭和3)終刊。発行所は博文館。博文館主大橋佐平が外遊し,欧米に肩を並べる大雑誌の発行を企図,長男の新太郎や坪谷善四郎が中心となって発刊された。明治・大正期を代表する総合雑誌で,内容は多岐多様,豊富な情報量をほこり,執筆陣には当時のトップレベルの学者・文学者・ジャーナリスト・政界人が顔をそろえた。
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出典 日外アソシエーツ「動植物名よみかた辞典 普及版」動植物名よみかた辞典 普及版について 情報
… ところでこの馬に引かれた戦車に関連して,おそらくインド・ヨーロッパ語系の民族の移動とともに広まった神話が,広く旧大陸には分布している。すぐ思い出されるのはギリシア神話で,天馬があけぼのの女神エオスの車を引き,ファエトンが太陽神ヘリオスの二輪車を御し,天神ゼウスによってうたれる物語であろう。《リグ・ベーダ》でも,英雄神であるインドラは,2頭の名馬の引く戦車に乗って空を駆け,火の神,かつ太陽神であるアグニも輝く車に乗っている。…
…とくにインドではヒンドゥー教と仏教とにおいて尊像の身色が複雑をきわめ,黄色と決められているものだけでも枚挙にいとまがない。身色がどのようにして決定されるかは必ずしも明瞭でないが,太陽との関係がとくに重要な意味をもっている。 一般に太陽は金色の輝きをもつものとされ太陽に関係のある神々(エジプトのホルス,インドのビシュヌ,ギリシアのアポロン,ペルシアのミトラ,さらにキリスト)の像は多くは金色の身色をもち,金色の衣をまとい,光輪をつけ光を放つ。…
…中国古代神話の中の太陽神。《山海経(せんがいきよう)》大荒南経によれば,東南海のかなたに羲和の国があって,そこでは羲和という女性が生まれたばかりの太陽に産湯(うぶゆ)を使わせている。…
…【古島 敏雄】
【シンボリズム】
車,車輪ないし輪をかたどった図形は,円,十字,マンジなどと並ぶ最も古い普遍的な象徴表現の一つと考えられ,旧石器時代の洞穴に,おそらく呪力的・宗教的な意味をもつものとして描かれているのが発見されている。これらは天体の運行を示す太陽とかかわる図形で,生命,宇宙,完全,中心,循環,永遠,光明などを表したものと思われる。太陽は,ラテン語では〈鳥輪rota altivolans〉と呼ばれ,北欧神話の〈エッダ〉では〈美輪fagravel〉,ケルト人の間では〈光輪roth fail〉と呼ばれ,いずれも円形または車輪の形で表されていたし,円盤はギリシアの太陽神ヘリオスや,インドの太陽神ビシュヌの持物であった。…
…太陽や恒星の表面近くの層をいい,光球層ともいう。もう少し厳密な定義は,太陽や恒星の大部分の光を発している層ということができる。…
…太陽が月によって隠される現象。このときは,太陽,月,地球が一直線上に並び,太陽による月の影が地上にできる。…
…インドシナ,インドネシアの農耕民が実用化していた。(4)光学法 凸レンズ,凹面鏡によって集光した太陽光線の熱で火を得るもの。古代ギリシア,ローマ,古代中国ですでにこの方法が知られていた。…
…その後1941年まで同校で教鞭をとるかたわら言論界で活躍。ことに明治・大正期の代表的な総合雑誌《太陽》の主幹(1907‐17)として,〈内に立憲主義,外に帝国主義(経済的帝国主義)〉の統一的な促進を力説したばかりか,吉野作造や大山郁夫らの民本主義者にも強い影響を与え,民本主義の理論的先駆者となった。《倫理的帝国主義》をはじめ多数の著書がある。…
…93年欧米視察に出発,ロイター通信社を訪問,通信の取次を約束して帰国,94年に内外通信社を設立した。95年に13種あった雑誌を廃刊,新たに《太陽》《少年世界》《文芸俱楽部》を創刊,糾合合併して発展にそなえた。97年に洋紙店博進堂,博進社印刷所(後の博文館印刷所),次いで1901年に創業15周年を記念して〈大橋図書館〉を設立したが,開館を目前にして死去した。…
…ついで各種の雑誌を創刊し,雑誌出版を事業の柱の一つとした。なかでも高山樗牛を主幹とする総合雑誌《太陽》(1895創刊),巌谷小波編集の《少年世界》(1898創刊),硯友社と結んだ《文芸俱楽部》(1895創刊),田山花袋編集の《文章世界》(1906創刊)などが著名である。一方,全書・双書類を中心とする書籍出版にも進出,《実地応用・技芸百科全書》全61巻(1889‐93)をはじめとして,《日本文学全書》全24冊(1890‐91),《帝国文庫》正続100巻(1893‐1902)などを連続的に出版したが,とくに博文館の声価を高めたのは《帝国百科全書》全200巻(1898‐1909)で,10年の歳月をかけた大出版であった。…
※「太陽」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...
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