デジタル大辞泉 「酒」の意味・読み・例文・類語
さけ【酒】
2 清酒の通称。英語でもsakeで通用する。「辛口の
3 酒を飲むこと。飲む度合いや飲み方についていう。「
4 酒盛り。酒宴。「
[類語]
しゅ【酒】[漢字項目]
[学習漢字]3年
〈シュ〉さけ。「酒宴・
〈さけ(ざけ)〉「酒癖/甘酒・地酒・寝酒」
〈さか〉「酒手・酒場・酒屋」
[名のり]み
[難読]
( 1 )①については、上代の「古事記」「日本書紀」「風土記」のほか、「魏志‐東夷伝」倭人条にも記事がある。その種類は判然としないが、米を原料とするものが主であったと考えられる。
( 2 )令制では宮内省に造酒司が置かれ、「延喜式‐四〇・造酒司」には酒にかかわる多様な規定があり、同じく米を原料としながらも製法の異なる数種の酒の記載がある。
( 3 )上代の「酒」の訓は、「サケ」の他にキ(ミキ)、クシがある。クシは明らかでないが、クスリと関係があるものと思われ、キは後代に神祭・儀礼に関するものに限られるようになった。
( 4 )上代には醸造の施設と見られる「酒屋」があるが、「類聚国史‐一七三」によれば、左京・右京・山崎津・難波津に「酒家」(「三宝絵」に「さけの家」)があり、売買の行なわれたことが知られる。鎌倉時代、酒家は増え、幕府は沽酒(酒の売買のこと)を抑制する発令を行なった。室町時代、遅くとも応永年間には洛中洛外の酒屋は三百軒を超え、土倉を兼業して金融を営むものも多かった。室町幕府は明徳四年(一三九三)以降、土倉役とともに酒屋役を賦課して有力な財源とした。
( 5 )室町時代には酒の製法も大きく展開し、後期には、大和、後に伊丹の産として著名な諸白(もろはく)も現われ、酒の主流として濁酒から清酒への転換を促した。
飲んで酔いを催すアルコール含有の飲料(致酔飲料)。日本の酒税法ではアルコール分1%(1度)以上を含む飲み物を酒類と総称するが、国によってはその基準を0.5%とするところもある。日本では清酒が伝来の代表的な酒で「さけ」と通称され、欧米でもsakeで通用する。
[秋山裕一]
酒税法では、酒類を次の10種類に分類して、それぞれの定義や課税などを定めている。(1)清酒、(2)合成清酒、(3)しょうちゅう(焼酎)、(4)みりん、(5)ビール、(6)果実酒類、(7)ウイスキー類、(8)スピリッツ類、(9)リキュール類、(10)雑酒。なお、酒税法上は発泡酒のうちシャンパンやシードルなどは果実酒に、麦芽使用量の少ないビール様の発泡酒は雑種に属する。
また、製造法から、醸造酒、蒸留酒、混成酒の三つに大別される。
〔1〕醸造酒 清酒、ビール、ワインなど。デンプン含有穀類の糖化もろみや含糖質物を発酵させ、そのもろみそのまま、あるいは濾過(ろか)したもの。
〔2〕蒸留酒 焼酎、ウイスキー、ブランデー、ウォツカ、ジンなど。発酵もろみを蒸留し、アルコール分を分離、濃縮したアルコール分の高い酒。
〔3〕混成酒 リキュール、合成清酒、薬味酒など。醸造酒や蒸留酒や適度に薄めたアルコールに、薬味、甘味料、香料、草根木皮などを混和してつくる酒。
以下、代表的な酒類について略述する。
[秋山裕一]
米、米麹(こめこうじ)と水とを原料とし、発酵させて、濾(こ)したものである。副原料としてブドウ糖、水飴(みずあめ)、コハク酸、クエン酸、乳酸、アミノ酸塩(グルタミン酸ソーダ)とアルコールの使用が一定制限下で認められている。アルコール分は12~20%。日本古来の代表的な酒で、五味(甘・酸・辛・苦・渋)のバランスがよく、固有の味をもつ。清酒には、かつて特級、一級、二級の級別制度があったが、1989年(平成1)の酒税法改正により1992年4月以降、廃止された。また吟醸(ぎんじょう)酒、純米酒、本醸造酒の品質表示は、国税庁の製法品質表示基準(1990年4月公示)により区分されている。
[秋山裕一]
香味、色沢の性状が清酒に似たもの。1921年(大正10)鈴木梅太郎の創案による。米を使わない純合成の酒であったが、近年はアルコールに米の発酵酒の「香味液」と各種の清酒の成分を調合してつくる。
[秋山裕一]
糯米(もちごめ)と米麹に焼酎またはアルコールを加えて、糖化し、濾(こ)したもの。甘い酒で、主に料理用に使われている。
[秋山裕一]
米、麦、ソバなどの穀類やいも類を原料とし、米麹で糖化し、発酵させたもろみを単式蒸留機(ポットスチル)で蒸留してつくる。また、清酒粕(かす)を蒸留してつくる場合もある(粕取り焼酎)。これら伝統的な蒸留法によるものを乙類焼酎という。これに対し連続式蒸留機で得たアルコールを水で割ったものが甲類焼酎である。乙類は、原料の特性や製法の違いによる地方色など、風味に特色がある。アルコール分20~45%。
[秋山裕一]
麦芽(ばくが)とホップと水を主原料とし(副原料は米、デンプン、トウモロコシ)発酵させたもの。炭酸ガスを含み、泡のたつ清涼アルコール飲料。アルコール分は3~8%。麦芽や麦汁の製法や発酵様式により軽いビールと黒ビールに、また火入れ殺菌の有無により熱処理ビールと生(なま)ビールに分けられるが、今日では火入れをしない生ビールが多い。なお品質的にはビールに似た発泡酒がある。これは麦芽の使用率が酒税法でのビールの規定以下のもの(たとえば25%未満)で、雑酒に分類され、発泡酒として販売されている。
[秋山裕一]
ブドウの果汁を発酵させてつくる。世界中で生産され、地域によるブドウの品種の差、赤・白・ロゼの別、甘口・辛口など多様である。日本には特有の甘味果実酒がある。アルコール分9~13%。
[秋山裕一]
オオムギ麦芽で穀類のデンプンを糖化、発酵させて蒸留する。モルトウイスキーは麦芽だけを原料とし単式蒸留機で蒸留する伝統的なスコッチウイスキーの製法を受け継いでいる。グレンウイスキーは、トウモロコシなど未発芽の穀物を原料として麦芽で糖化し、発酵させ、連続式蒸留機を用いてつくる。いわゆるニュートラル・スピリッツで、量産ができる。これをモルトウイスキーに混合したものがブレンデッドウイスキーで、もっとも一般的に飲まれている。なお、アメリカではトウモロコシを主原料とするバーボンウイスキーが代表的であり、日本産はスコッチ系である。アルコール分37~43%。
[秋山裕一]
ワインを蒸留し、樫樽(かしたる)に貯蔵する。フランスのコニャックが有名である。
[秋山裕一]
中南米特産の蒸留酒。サトウキビの搾り汁あるいは糖蜜(とうみつ)を発酵させ、蒸留したもので特有の強い香気がある。
[秋山裕一]
12~13世紀、ロシアで生まれ、ロシア産が有名であるが、現在はアメリカのほうが生産量が多い。トウモロコシを麦芽で糖化発酵させて蒸留し、シラカバ炭の層を通して濾過精製する。無臭に近く甘い。アルコール分40~60%。
[秋山裕一]
穀類を原料とし、蒸留する際にネズ(杜松)の実(ジュニパーベリー)を詰めたジンヘッドを通す。松脂(まつやに)くさい香味をもつ。糖類を加えない辛口をドライジン、砂糖、甘味料を加えた甘口をトムジンという。オランダ、イギリスが有名である。
[秋山裕一]
東南アジアのやし酒や米の酒などの蒸留酒。
[秋山裕一]
中国の酒で、白酒(パイチウ)は無色透明な蒸留酒、黄酒(ホワンチウ)は黄色ないし褐色の醸造酒である。白酒はコウリャンを原料とし、固形もろみを使う独特の発酵法でつくる。強烈な香味がある。山西省の汾酒(フェンチウ)、貴州省の茅台酒(マオタイチウ)、河北省の白乾児(パイカル)(高粱酒(カオリャンチウ))など名酒が多い。黄酒は、糯米(もちごめ)などを原料とし麯子(きょくし)(日本の麹に相当)や酒薬を加えて発酵させたものである。代表的な酒が紹興酒(シャオシンチウ)で、浙江(せっこう)省紹興産が著名であるが、福建・江西省などでもつくられる。黄酒を甕(かめ)に密閉して貯蔵熟成したものが老酒(ラオチウ)である。仕込み水のかわりに紹興酒を使った酒が善醸酒(シャンニャンチウ)で濃厚な風味をもつ。
[秋山裕一]
朝鮮半島の酒。マッコリは濁酒で、かつては米を原料としたが、いまでは小麦粉を用い、麯子(きょくし)にも粉砕小麦を用いる。もっとも庶民的な酒。法酒(ポプチュ)は糯米(もちごめ)を原料とし、日本酒によく似た酒である。仕込みは、麯子・餅麹と糯米に菊の花や松葉を加えて、長期間醸造する。慶州特産。このほか蒸留酒としての焼酒(ソジュ)がある。焼酒は以前は雑穀を原料としたが、今日ではアルコール原料と変わっている。
[秋山裕一]
スピリッツは一般にアルコール分の強い蒸留酒をさすが、日本の酒税法でいうスピリッツ類とは次の二つを一括して分類したものである。(1)ウイスキー類、焼酎を除いたラム、ウォツカ、ジンなどの蒸留酒。(2)エキス分(糖分)をやや含んだリキュール様の酒類(エキス分2%未満)。
[秋山裕一]
酒の歴史は人類とともに古く、果実や蜂蜜(はちみつ)などの自然発酵によるものがその原形と思われる。こうして生まれたワインは、人類最初の酒として神話にもたびたび登場してくる。人類はやがて農耕を始め、定住生活を営み、穀類を使ってパンをつくり酒を醸すようになった。その時期は紀元前5000~前4000年ごろのメソポタミアの文明からではないかとされる。前3000年ころにはエジプトでビールやワインの醸造が行われ、その製法が絵文字により残されている。また、『大隅(おおすみ)風土記』にみえる口嚼酒(くちかみのさけ)は人間の唾液(だえき)(消化酵素を含む)を利用した酒つくりであり、この方法はかつて台湾や沖縄などで行われていた。
世界の酒つくりは東西二つの型に分けられる。東洋ではカビ(麹)を使う方法をとり、西欧では麦芽を使ってデンプンを糖化する方法をとった。
東洋のカビの酒の発生はさだかではないが、殷(いん)王朝(前1100ころ)にはすでに酒があったし、麹菌を用いる醤(ひしお)があったというから、相当古くからカビが醸造に用いられていたことは確かであろう。今日の中国では穀類の粉を水でこねて固め、リゾープス菌を生やした餅麹(へいきく)が用いられているが、その技術を受け継いだと考えられる日本では、蒸した穀類の粒に、黄麹(きこうじ)菌を生やす散麹(ばらこうじ)にかわっている。中国の醸造酒は紹興酒(シャオシンチウ)に代表される黄酒(ホワンチウ)である。日本では、『延喜式(えんぎしき)』(927年完成)に朝廷での酒つくりの記録があり、その後、都市の発達とともに、朝廷、寺社中心であった酒つくりが商人の手に移り、釜(かま)、桶(おけ)などの大型化により専業化し、江戸時代に入ってからは寒づくりの定着、水車利用による大量精米も可能となって「灘(なだ)」の発展をみた。
蒸留の技術は紀元前のギリシア・ローマ文化の所産とされるが、その技術を用いて蒸留酒をつくったのは、すでに蒸留の専門家であった中世の錬金術師であった。今日でも世界各国で蒸留機をアラビア語源のアランビック(日本では蘭引(らんびき))とよび、東南アジアで蒸留酒をアラック、アラキ(日本では荒木酒、荒気酒)といっているのも、その起源と伝播(でんぱ)を物語るものとして興味深い。ウイスキーの蒸留は12世紀にアイルランドで行われ、そのことばは、生命の水を意味するウスケボーusquebaughに由来する。ワインを蒸留したブランデーの登場はずっと新しく16世紀以降である。東洋では13世紀、中国の元(げん)代に焼酒の記録がある。日本には1477年(文明9)タイから琉球(りゅうきゅう)に焼酎(泡盛(あわもり))が伝えられた。16世紀後半には薩摩(さつま)でも焼酎が飲用されていたことが、鹿児島県伊佐(いさ)市大口大田(おおくちおおた)の郡山八幡(こおりやまはちまん)神社から発見された墨書木片(永禄2年=1559)からもわかる。
リキュールの発生も古い。酒はもともと神に捧(ささ)げられる神聖なものであり、また、麻酔性があり、薬剤的な効能があることが認められて、酒に薬草を加えることが行われたのである。
[秋山裕一]
洋の東西を問わず、原初の酒は農耕の神々と深いかかわりをもっている。酒の原料となる穀物は、またその地の主食であり、農耕によってもたらされるからである。キリスト教では、ワインが「神の血」として尊ばれ、洗礼にも用いられる。『旧約聖書』の箱舟の話に、神はノアにブドウの栽培とワインの作り方を授けたとある。わが国でも、秋の新嘗(にいなめ)祭には新穀で黒酒(くろき)・白酒(しろき)の2種の酒を醸して神に供えた。一方、宗教上の理由で酒を禁じているのはイスラム教とヒンドゥー教である。とくに前者は、厳格な禁酒を戒律とする。原始仏教も飲酒を禁じ、日本の禅宗でも「不許葷酒(くんしゅ)入山門」と戒めたが、般若湯(はんにゃとう)として用いる習慣もあり、仏教は酒には比較的寛大であった。
ローマ神話の酒神バッカスは、ギリシア神話ではディオニソスとよばれる。主神ゼウスとカトモス王の娘セメレとの間に生まれた。この神の信仰はトラキア地方からギリシアに流入したものと考えられ、大地の豊穣(ほうじょう)をつかさどる神であったが、ブドウの栽培に伴い酒の神ともなった。アジアにも及ぶ広い地域を旅し、各地にブドウの栽培と醸造法を教えたという。その信仰は熱狂的であり、女性信者たちがツタを巻いた杖(つえ)を持って神がかりとなって乱舞し、野獣を殺したりした。また、その祭礼からギリシア演劇が発達したとされる。
エジプト神話のオシリスは、イシスと兄妹結婚してエジプトを統治した王であるが、弟に殺されて死者の国の王となる。この神は、農耕儀礼と結び付いて信仰され、ムギから酒をつくることを教えたと伝えられている。
中国では、夏(か)王朝の始祖禹(う)王のとき、儀狄(ぎてき)が初めて穀類の酒をつくって王に献上したという伝説がある。儀狄は酒神と崇(あが)められ、その名はまた酒の異名ともなっている。
米を基幹原料とする日本の酒と神との関係は、古代日本人が酒神としてどのような神を崇拝していたかを知れば、おのずから明らかになるであろう。日本の酒神には、(1)『古事記』や『日本書紀』の神話に現れ、酒つくりの祖神といわれた神、(2)優れた酒つくりの技能をもったまろうど(賓客)型神人、(3)原初神、の三つの類型がある。
第一類型に属する神には、まず京都市・梅宮大神に斎祀(さいし)され、酒解神(さけとけのかみ)・酒解子(さけとけのみこ)といわれた大山祇神(おおやまづみのかみ)・神吾田鹿葦津(かむあだかしつ)姫(木花開耶姫(このはなさくやひめ))の父娘神があげられる。とくに姫は、神の田、狭名田(さなだ)からとれた米で天甜酒(あまのたむざけ)をつくって新嘗の祭りをするなど、酒つくりの祖神にふさわしい行為が「神代紀」に語られている。次に福岡県・宗像(むなかた)大社や広島県・厳島(いつくしま)神社の祭神である宗像三女神、田心姫命(たごりひめのみこと)・湍津姫命(たぎつひめのみこと)・市杵嶋姫命(いちきしまひめのみこと)、さらに奈良県・大神(おおみわ)神社の祭神である大物主神(おおものぬしのかみ)・大己貴神(おおなむちのかみ)、少彦名神(すくなひこなのかみ)、それに京都市・松尾(まつのお)大社や滋賀県・日吉(ひよし)大社に祭祀されている大山咋命(おおやまぐいのみこと)などがある。
第二類型の神には、伊勢(いせ)の外宮(げくう)に斎祀された豊受大神(とようけおおみかみ)がある。そのほか地方にあって酒つくりの技能を教えた香川県・城山(きやま)神社の祭神神櫛王(かみくしのきみ)、島根県・佐香(さか)神社の久斯(くし)之神、愛知県・酒人(さかと)神社の酒人王(さかとのきみ)などがある。興味あるのは造酒司酒殿坐神(さけのつかささかどのにいますかみ)といって、宮中の造酒司に祀(まつ)られていた神々である。
第三の類型に属する原初神には、酒水の守護神である酒弥豆男神(さかみつおのかみ)・酒弥豆女神(さかみつめのがみ)の2座、竈(かまど)そのものより釜(かま)を神座とした忌火神(いむびのかみ)で大陸渡来の竈神(かまどがみ)4座、それに酒甕(さけがめ)の神3座の計9座が斎祀されていた。これらの神々はまた古代の酒つくりで何が重要視されていたかを知るうえに貴重な手掛りとなるであろう。
日本の酒神に関してまず着目すべきことは、これらの神々の多くが農耕神の範疇(はんちゅう)に組み入れられていることで、酒神が水の神信仰と強く結び付いているのはこのためである。したがって、酒神の神格が、山と、水と、水稲つくりの三つの要素が交絡して形成されたと思われる農耕神的神格と共通性をもつのは当然であろう。また、古代の神祭りが水稲耕作生活と直結し、春の籾播(もみま)き前に山の神を田の神として迎える水口(みなくち)の祭りも、秋の収穫儀礼として新穀による神人の共食共飲、つまり新嘗の祭りが行われたのも、酒つくりが水稲耕作文化の文化複合として伝承されたことに由来する。
神祭りにおいては、酒つくり神事が相嘗(あいなめ)神事の前駆行事として行われたが、酒つくり神事は和歌山市日前(ひのくま)・国懸(くにかかす)両宮に伝承されているように、同宮の酒殿で、御酒水迎え→御麹(こうじ)合せ→白御酒(しろみき)造り祭→黒御酒造り祭など、酒つくり工程に従って酒つくりを行い、酒ができあがって初めて相嘗御祭が執り行われていたことでも知られる。酒つくりは微生物学的に高度の技能を要求されるだけに、まさに酒神の力を借りなければ、味酒(うまざけ)を醸すことはできなかった。酒造技術が発達した今日でもなお、酒蔵にはかならず酒神が奉斎され、杜氏(とうじ)が酒つくりにあたって酒神にその成果を祈るのは、彼らの心の奥処(おくど)にこのような古代的信仰が秘められているのであろう。とすれば、酒神信仰は酒つくりにおける精神的なよりどころといいかえることができるであろう。
[加藤百一]
飲酒の目的については諸説があるが、同じ釜(かま)の飯を食べ合った仲というのと同様に、同じ甕(かめ)で醸した酒を飲み合うことによって、共同一体感を得られるというのが、最大の目的であったろう。いっしょに飲んだ仲間の顔が一様に紅潮し、同じ血潮が流れていることを確認できるからである。また互いに仲間であり、敵対するものでないことを承認して、契約の手段に使われる。また別に、適度の飲酒はストレス解消に役だつもので、酒が古来「百薬の長」といわれるのはそのためである。群飲の時代から個人の嗜好(しこう)に移るにしたがって、その傾向は助長された。飲酒による共同一体感は、人と人との間に限らず、神と人との間にも共通のものであったから、神祭りに酒は欠かせないものであった。祭りのおりに酒ができあがるように、期日にあわせて酒を仕込むものであった。祭りは、神を迎えてもてなし、神託(しんたく)を伺い、人もお下がりを飲食してから送り返す儀式であるが、そのおりおりに酒を伴う。神には山海の珍味とともにお神酒(みき)を供える。神は陶酔して態度動作で意志表示をする。実際には神ののりうつった人間が代理を務めるのであるが、そのあと神と人とがいっしょに飲み食いをする。そうして村中が一種の興奮状態に至る。酒を飲み合うことが契約のしるしになる例は婚姻の機会などにみられる。現在の婚約にあたる「酒ずまし」「手締めの酒」「口固めの酒」などは内定契約を示しており、夫婦杯(めおとさかずき)、親子杯、兄弟杯はそれぞれが長く契りを結ぶことを約束するものである。
昔の酒の飲み方は、一つの大杯になみなみと酒をつぎ、それを飲み回すものであった。上座(かみざ)の人から順に口をつけていく。人数が多くなると「振り分け」といって、二つの大杯を左右に飲み回したり、座が進んでくると「上り献(のぼりこん)」といって、下座(しもざ)から上座に飲み回したりするが、要は同じ杯の酒を飲み合ってこそ、共同一体感を得やすかったのである。婚礼の場合でも、荷物を運んだ人がその場で立ち去るとき、または婚礼の客が帰るとき、門口で立ったままで茶碗(ちゃわん)酒を飲むことがある。これは別れの酒であり、盛り切り1杯しか飲まない。職人や奉公人が客や主人から与えられる酒は、慰労のためのものである。晩酌(ばんしゃく)のことを「ダリヤメ」などというのは、ダリ(疲労)を自ら慰労する意味であろう。
近世に入って酒の大量生産が可能になり、いつでも購入して飲めるようになると、ハレの日でなくても杯を手にする人は多くなり、また群飲から個人の嗜好品に移ってくる。もともと酒は、祭りの期日にあわせてつくり、祭りのおりに使いきってしまうもので、個人で飲む場合も自家製のものであったが、醸造の技術が進み、灘(なだ)、伏見(ふしみ)などの名産地で大量生産を始める。スギ材で樽(たる)をつくる技術の普及に支えられ、酒の運搬が容易になる。いよいよ大量生産が進む。近世末から近代にかけての資本主義形成の時期に、造り酒屋の果たした役割は大きい。それら酒造業者は、杜氏(とうじ)とよばれる技術者をはじめ、各地の農村から冬の農閑期に人を集め、出稼ぎ人を集める形で酒をつくった。日本では米を原料とする酒が一般的で、清酒の出回るまでは濁り酒(どぶろく)であった。途中で沸かして発酵を止めると甘酒になるので、甘酒も祭りには酒と同様に扱われる。沖縄の泡盛(あわもり)(米を原料とする焼酎(しょうちゅう))をはじめ、芋焼酎、そば焼酎などもある。
[井之口章次]
アルコールは小さい分子であるから、酒のアルコールは胃から約20%、小腸から約80%が吸収され、門脈を経て肝臓に運ばれたのち、血流によって全身へ達する。体内のアルコール分は、その80%が肝臓で代謝分解を受け、また約10%が尿、汗、呼気となって排泄(はいせつ)される。アルコールの代謝分解のサイクルは、アルコールがアセトアルデヒドになり、酢酸に酸化され、酢酸は体中でTCAサイクルという代謝経路によって炭酸ガスと水とに分解され、エネルギーを生成する。この経路には、(1)アルコール脱水素酵素による(主反応)もの、(2)MEOSとよばれるミクロソームにあるエタノール酸化系によるもの(細胞質内にある膜様構造体にあるmicrosome ethanol oxidizing system)、(3)カタラーゼ系によるもの、の3通りがある。(1)の経路が主体をなしており、エタノールはアルコール脱水素酵素により、補酵素NADの助けでアセトアルデヒドになり、第2段階としてアルデヒド脱水素酵素(ALDH)の触媒で酢酸に酸化される。酢酸は体内で代謝されてゆく。ALDHには、アセトアルデヒドが低濃度のときに働くALDH2と、高濃度にならないと働かないALDH1がある。日本人の約半数は遺伝的にALDH2の活性が弱いか欠けている。したがって、アセトアルデヒドを速く分解できないために、少量のアルコールでも酔う。酒に強い弱いは遺伝的な体質である。
[秋山裕一]
酒の主成分であるアルコールは独特の麻酔作用をもつ。酒を飲んで「酔い」を発するのはこのためである。一般に麻酔の段階は、第1期(痛覚低下期)→第2期(興奮期)→第3期(麻酔期)→第4期(酩酊(めいてい)期)と進行するが、アルコールによる場合は、第1期と第2期の持続が長い。麻酔薬の場合はこれらの期が短く、第3期が長い。
1杯飲んだあとはまず、軽い麻酔によって精神的な抑制が解け、陽気になる。酔いの状態は血中アルコールの濃度に左右され、酩酊度と血中アルコール濃度との関係は次のようである。
(1)0.05~0.1% 微酔期。ほろ酔い状態で快活になる。
(2)0.1~0.15% 軽度酩酊期。よくしゃべり、気勢があがる(清酒で1~2合)。
(3)0.15~0.25% 中度酩酊期。興奮期で怒ったり、泣いたり感情の急変があり、千鳥足となり、吐く。
(4)0.25~0.35% 強度酩酊期。顔面蒼白(そうはく)となり、歩行不可能となる。
(5)0.35%以上 昏睡(こんすい)期。
血中濃度の上昇は酒を飲んでから30分から1時間でピークになるが、酔いは飲酒量、そのスピードにより異なり、また体重により、アルコールの酸化能力、アルコール(アセトアルデヒド)の作用に対する感受性などの強弱によって異なる。とにかく酒はゆっくりと、少量ずつ気楽に飲むことである。通常、清酒1合のアルコール分は約3時間で代謝されるといわれている。二日酔いは、アルコールの代謝産物である有害なアセトアルデヒドが十分に処理されないことによる急性の中毒症である。また、飲み過ぎは、血糖値の低下、アルコール代謝に伴う脱水状態、血液のアシドーシス(血液が正常のpHより酸性になる症状)などをおこし、これらの要因が複合的に影響し、二日酔い状態が続くとされている。二日酔いに対しては、迎え酒は一時的に酔いを促すだけで、やるべきではなく、水を多く飲む、糖分を摂取する、ビタミンB1やビタミンCをとる、カキやレモンなどの果実を食べる、などがよいとされている。酒は各人の適量を守り、楽しく飲むことである。
[秋山裕一]
飲んだ酒のアルコールは大部分が肝臓の酵素で分解され、酢酸となって体中でエネルギーになるので、肝臓を傷めないように飲むことがたいせつであるが、肝臓は復原力の大きい臓器で、代謝能力も日ごろの栄養により左右される。とくに良質のタンパク質の摂取がだいじである。毎日大量(日本酒で3合以上)の飲酒は肝臓に影響し、肝硬変をおこすとされる。肝臓機能を示す酵素としてγ(ガンマ)‐GTP(ガンマ・グルタミル・トランスペプチターゼ)があるが、大酒家で肝障害のある場合は、このγ‐GTPの値が非常に高い(酒をやめると低くなる)。適量の飲酒、食事とのバランス、肝臓の休養も必要である。
[秋山裕一]
酒を飲むと末梢(まっしょう)血管の拡張がおこり、血流がよくなるために顔が赤くなったりするが、一方血圧は下がる。これは、アルコールの代謝により生じるアセトアルデヒドの作用による。血中アルコールの影響で心筋の収縮力が低下し、脈拍が増える。大酒家に高血圧や動脈硬化症の例が多い。食事内容や生活環境などの間接的影響も大きいと考えられている。
[秋山裕一]
適度のアルコールは胃粘膜を刺激し、胃液分泌を促進し食欲を増進するが、大量の飲酒や強いアルコールは胃粘膜に悪影響がある。また、酒は糖尿病や肥満と関係あるとされるが、これは総カロリーの過剰や、ホルモンの一種であるインスリンの供給不足により、血糖があがり尿に糖が出るからで、かつて、日本酒の糖が糖尿病に関係があるようにいわれたことがあるが、誤りである。また、酒類は高カロリーの飲み物で、食生活の向上による摂取カロリーの過剰、運動不足などとともに、肥満の一因ともなっている。カロリーバランスを考えて飲酒も適量にする必要がある。
[秋山裕一]
『坂口謹一郎著『日本の酒』『世界の酒』(岩波新書)』▽『宮沢光著『酒の今昔』(1956・中外経済社)』▽『住江金之著『日本の酒』(1962・河出書房)』▽『柚木学著『日本酒の歴史』(1975・雄山閣出版)』▽『加藤辨三郎編『日本の酒の歴史』(1977・研成社)』▽『多々井吉之助著『酒飲みの医学』(1969・創元社)』▽『加藤伸勝著『酒飲みのための科学』(1977・講談社)』▽『『東京大学公開講座22 酒』(1976・東京大学出版会)』▽『秋山裕一著『酒つくりの話』(1984・技報堂出版)』▽『秋山裕一著『日本酒』(1994・岩波新書)』▽『日本農芸化学会編『お酒のはなし』(1994・学会出版センター)』
エチルアルコールを含む致酔性飲料。酒の字は酒壺の形状を示す〈〉から生まれたものと思われるが,古代中国で杜康(とこう)がはじめて酒をつくったのが酉(とり)の年であったためなどとする説もある。本来〈さけ〉は日本の在来酒である清酒,濁酒などをさし,〈き〉〈くし〉〈ささ〉などとも呼ばれた。語源については〈栄え〉のつづまったもの,風寒邪気を〈避ける〉意味の〈避け〉から転じたものなどとされる。
日本の酒税法では,酒は〈アルコール分1度(容量比で1%)以上の飲料〉と定義され,液体に限らず糖類でアルコールなどの分子をくるんだ粉末状のものも酒とみなされるが,みそ,しょうゆのようにアルコールを1%以上含むものであっても嗜好(しこう)飲料として供しえないものは酒から除外されている。
酒は,製造法のうえから醸造酒,蒸留酒,混成酒の3種に分類されるが,日本の酒税法では清酒,合成清酒,焼酎,みりん,ビール,果実酒類,ウィスキー類,スピリッツ類,リキュール類,雑酒の10種類に分類される。なお酒税法上の種類名を製品に表示することが義務付けられている。
醸造酒とは,原料をアルコール発酵させたものをそのまま,または上澄みを汲み,あるいはろ過してつくった酒をいう。酒税法上の種類としては,米,米こうじ(麴),水などを原料として発酵させ,ろ過した清酒,麦芽,ホップ,水を原料として発酵させたビール,果実を原料として発酵させた果実酒類中の果実酒(ブドウ酒,リンゴ酒など)で,清酒の発酵液をろ過せず供する濁酒や麦こうじを原料の一部とする中国の紹興酒や韓国のマッカリ,家畜の乳を発酵させたケフィール,クミスなどの乳酒は雑酒に含まれる。
→醸造酒
蒸留酒は,醸造酒の発酵液(もろみ),またはそのろ液やろ過残渣(ざんさ)(酒かす)を蒸留したものをいう。酒税法上の種類としては,アルコール含有物を連続式蒸留機で蒸留した焼酎甲類(ホワイトリカー),デンプン質原料,こうじ,水を原料として糖化,発酵させ単式蒸留機で蒸留した焼酎乙類(本格焼酎)などの焼酎,麦芽などの発芽穀類と水を原料として糖化,発酵させ蒸留したウィスキー,および果実を原料として発酵させ蒸留したブランデーを含むウィスキー類のほか,スピリッツ類がある。スピリッツ類には,中国の茅台酒(マオタイチユウ)のようにアルコール分が焼酎乙類の最高限度である45度を超えるものや,アラック,テキーラ,ラム,アクアビット,ジン,ウォッカなどのようにウィスキー類とは原料あるいは製法が異なるものがこれに含まれる。
→蒸留酒
混成酒とは醸造酒や蒸留酒を原料とし,これらに香料や草根木皮などの生薬(しようやく),色素などを加えてつくった酒で,酒を原料として別な酒をつくるという意味で再製酒ともいう。ベースとして使用される酒としては,アルコール,ブランデー,ラム,ウォッカ,キルシュ,ブドウ酒,ジン,ウィスキー,みりん,焼酎などがあり,草根木皮,果実,果皮,種子,花蕾(からい)などを加え,果汁,はちみつ,砂糖,有機酸などで味をつけ,天然色素または合成色素で着色することが多い。日本のみりん,本直し,白酒(しろざけ),合成清酒,中国や日本の薬酒(やくしゆ),ヨーロッパ系の多くのリキュール類などがこれに属しているが,酒税法上はみりん,合成清酒のほか大部分がリキュール類に分類されている。
酒の起源や製法の発見については多くの民族の間に神話や伝説が伝えられている。聖書では箱舟を降りたノアがアルメニアのアララト山にブドウを植えたとあり,強健な精気を与えるためのライオンの血と,野生から脱皮させるための子羊の血をかけてブドウを育てたと伝えられている。ギリシアではディオニュソスがブドウの栽培とブドウ酒の醸造をはじめたとしている。メソポタミアでは前4000年ころすでにシュメール人がビールをつくっていたと推定され,エジプトで前3000年ころビールを醸造していたハム語系の諸族は,五穀の神オシリスがビールを教えたと信じていた。中国では黄帝(こうてい)のときの宰人杜康が,また禹王(うおう)のとき儀狄(ぎてき)がはじめて酒をつくったといい,日本では木花開耶姫(このはなのさくやびめ)が狭名田(さなだ)の稲で天甜酒(あまのたむさけ)をつくったという。酒は農耕文化の特徴的な産物であり,農作に伴うかずかずの呪術(じゆじゆつ)的,宗教的儀礼に用いられ,農業神が酒神を兼ねることが多い。
人類が最初に飲んだ酒は,土器などの容器に原料を蓄えておくだけで発酵して酒になるブドウ酒などの果実酒やヤシ酒などの樹液酒,馬乳酒などの乳酒であったと思われる。とくに酸味のあるブドウ果汁は雑菌に汚染されることが少なく,嗜好的価値の高い酒を自然発酵で容易につくることができるので,西アジアに始まり,エジプト,ギリシア,ローマを経て,ブドウ栽培可能なヨーロッパ各地に伝えられた。
穀物を原料とする酒は,果実酒と異なり,原料のデンプンを適当な手段で糖分にかえてやらないと発酵が始まらないので,糖化という技術の開発を待たねばならない。糖化反応を触媒する酵素はある種の細菌やカビによって生産され,また発芽穀物や唾液(だえき)に含まれている。高温多湿な夏季が訪れる日本,朝鮮,中国南部からインド亜大陸東端部にいたる東アジアの照葉樹林帯では,カビを穀物に生やしてこうじをつくり,その糖化力を利用して穀物酒をつくった。乾燥した気候でカビの生えることの少ないオリエント,エジプト,ヨーロッパでは発芽大麦(麦芽)のもつ糖化力を利用した穀物の酒ビールが生まれた。また食習慣も酒造法に影響を与え,小麦の伝来とともに粉食の技術を知った前漢末以降の中国では,生の穀粉を練り固めてカビを生やした餅こうじを使った酒造法が主流をなし,粒食をする日本では蒸した米にカビをつけた撒麴(ばらこうじ)で酒がつくられている。このような麦芽やこうじによる穀物酒の発生にいたる進化の中間段階に存在する酒として,焙焼酒(ばいしようしゆ)と口嚼酒(くちかみのさけ)がある。いずれも穀物などデンプンを含むものを原料とし,前者はこれを焼いてデンプンを熱分解し,後者は唾液の作用でデンプンを糖化し,自然発酵させてつくる。焙焼酒は南方の未開民族の間になお現存しているといわれ,フィリピン北部のイフガオ族のタプイという酒は焼米を湯で煮たのち,餅こうじの粉を混ぜ発酵させてつくるが,焙焼酒の痕跡をとどめたこうじ使用の穀物酒といえよう。口嚼酒はかつて太平洋を取り巻く各地域に広く分布し,その痕跡は北ヨーロッパ,アフリカにも残っている。北ヨーロッパの神話によると,ビールの発酵素はオーディン神の唾液であるといわれ,口嚼による麦酒が存在していたことを物語っている。日本では《大隅国風土記(おおすみのくにふどき)》に記録され,沖縄県や鹿児島県大島郡では,最近まで初穂を神にささげる大祭には,塩で歯を清めた未婚の乙女が蒸した米と,水を十分吸わせた生米をかんで壺に吐きため,数日間発酵させた酒を供えた。
蒸留酒が飲用の目的でつくられるようになったのは,ヨーロッパでは16世紀,中国では14世紀の元代であり,日本では15世紀の琉球で焼酒の製造が始められた。しかし蒸留という技術の発見は古く,アリストテレス(前384-前322)は物質の生成流転の仮説を証明するためブドウ酒を蒸留している。ヘレニズム文化の所産である蒸留機は,酒を加熱するフラスコとその口にかぶせてアルコールを含む蒸気を空冷するくちばし付きのキャップ(アンビクスambix)からなり,これを錬金術の道具として使ったアラブ人によりアンビークal-anbīqと呼ばれた。現在のモルトウィスキー,コニャックをつくる蒸留機もほぼ同型でアランビックと称し,日本の焼酎のそれもランビキといわれていた。8世紀,イスラム軍とともにスペインへ移った錬金術はその中心地コルドバよりヨーロッパ各地に伝えられた。13世紀スペインの錬金術師アルナルドゥスは〈蒸留で抽出したブドウ酒の精には生命を永らえさせる不思議な力がある〉として〈生命の水〉と名付けたという。ウィスキーがケルト語でウシュクベーハ,ブランデーがフランス語でオー・ド・ビー,北ヨーロッパのスピリッツがアクアビットと,いずれも〈生命の水〉の名で呼ばれるのもこのためであるといわれる。
これらの酒ははじめ薬として売られていたが,十字軍の遠征(11~13世紀)で東方からもたらされた砂糖,薬草,香辛料を加えたリキュールの製造が14~15世紀のイタリアに起こり,16世紀末にはチョウジ(丁字),カーネーション,アニス,ネズ(杜松)の実で香りをつけた〈生命の水〉が日常生活のなかに用いられるようになった。混成酒の始まりである。ルイ14世も麝香(じやこう),バラ,オレンジ,ユリ,ジャスミンの花,ニッケイ,チョウジのつぼみで付香したり,ソリイというリキュールを愛用したという。
執筆者:菅間 誠之助
中国においては,酒の発明者は儀狄(ぎてき)であるとも,また杜康(とこう)であるともされている。とりわけ杜康の名が広く知られ,酒の神として祭られたこともあれば,ときには酒の代名詞ともなった。日本の酒造職人の総大将〈とうじ〉に〈杜氏〉の文字があてられるのも,杜康にちなんでのことであるという。〈酒は百薬の長〉とは《漢書》食貨志にみえることばであるが,酒はなによりも憂いを忘れさせてくれる妙薬として〈忘憂〉の異名が存在した。また貴賤(きせん)賢愚の別なく無上のよろこびとするところから〈歓伯〉の異名が存在した。
殷(いん)の紂(ちゆう)王が〈酒池肉林〉の遊びにふけって国を滅ぼすにいたったことは史上に名だかいが,《書経》酒誥(しゆこう)篇には周公の言葉として,殷の遺民のなかに酒をたしなむものが多いのは紂王の感化によるものだとのべ,酒は祭祀にだけ用い,ふだんに飲んではならぬと戒めている。たしかに祭祀に酒はつきものであって,《周礼(しゆらい)》によると,王室の酒がかりの酒正は〈五斉〉と〈三酒〉をつかさどり,泛(へん),醴(れい),盎(おう),緹(たい),沈(ちん)の〈五斉〉はすべて神にそなえられた。しかし人間の飲む酒が忘れられているわけではなく,事酒,昔酒,清酒の〈三酒〉がそれであった。注釈のいうところでは,事酒は冬にしこんで春に熟し,昔酒はさらに時間を要し,清酒は夏に熟し,しだいに熟成度がます。また〈五斉〉は〈三酒〉にくらべて味がうすいという。やはり神にそなえられる〈玄酒〉が,実はただの水にすぎないことが思い合わされて興味ぶかい。祭祀だけではなく,あらゆる儀式のさいに酒がつきものであったことは《儀礼(ぎらい)》のあちこちにうかがわれるし,《詩経》賓之初筵(ひんししよえん)篇には朝廷の宴会における痛飲のさまがうたわれている。また〈尭舜は千鍾(せんしよう),孔子は百觚(ひやつこ)〉などと,いにしえの聖人たちもおおいに酒を飲んだことがいいふらされた。鍾,觚はともに杯の名。漢の武帝や王莽(おうもう)の時代には塩,鉄とともに酒の専売制が行われ,また曹操や劉備は禁酒令をしいたことがあったが,このような統制もとりたてていうほどのことはなかった。専売制なら酒の消費量がふえればふえるほど国家の財政はゆたかになるわけであり,曹操が禁酒令をしいたときにも,清酒が〈聖人〉,濁り酒が〈賢人〉の隠語のもとにひそかに飲まれていたのである。大伴家持の歌,〈酒の名を聖(ひじり)と負(おほ)せし古の大き聖の言(こと)のよろしさ〉はこれにもとづく。しかも,〈何を以て憂いを解かん,唯だ杜康あるのみ〉とうたったのは曹操その人であった。
そのころすでに居酒屋も存在した。司馬相如がかけおちした卓文君と酒場をひらいたことは有名な逸話であり,〈竹林の七賢〉たちが行きつけの居酒屋の名は〈黄公酒壚(黄おやじの酒場)〉であった。〈竹林の七賢〉は名うての酒徒のあつまりであって,たとえば山濤(さんとう)は8斗飲んで初めて酔い,劉伶(りゆうれい)は5斗を迎え酒とした(七賢人)。もっとも,当時の酒はアルコール濃度がひくく,また升目の大きさも後世とは異なるといわれる。〈竹林の七賢〉に代表される魏晋人の飲酒は,酒中に神仙の境地をたのしむことを一つの目的とした。そしておなじく神仙の境地をたのしむまた一つの方法であった〈寒食散〉の服用とも関係があった。寒食散の服用後に体内にたまる熱気を酒によって発散させる必要があったからである。魏晋にはじまる六朝時代以後,酒と文学との関係はいちだんと緊密になった。酒のめでたさを〈酒徳頌(しゆとくしよう)〉にことほぎうたった劉伶,〈篇々に酒あり〉と評された陶潜(淵明),そして唐代にいたっては〈酔聖〉とあだ名された李白,〈卯時酒(ぼうじしゆ)〉と呼ばれる朝酒を得意とした白居易(楽天)などなど。王羲之の蘭亭の会で行われたように,水面を流れくだってくる觴(さかずき)をすくいとりつつ詩をよみ,よみえぬときには罰として大杯についだ酒をほさせる〈曲水流觴(きよくすいりゆうしよう)の宴〉もはじまり,9月9日の重陽(ちようよう)の節供に岡にのぼって野宴をひらき,菊の花を酒にうかべてくみかわす風習は,がんらい邪気ばらいを目的とするものであったが,〈九日〉や〈登高〉の詩題のもとにかっこうの詩の題材となった(曲水の宴)。また茶と酒がそれぞれ功をほこりあって争い,水が仲裁にはいる筋だての《茶酒論》なる戯文学が敦煌写本の一つとして伝わっている。
唐代における各地方の銘酒の名は《唐国史補》にあげられ,ブドウ酒など一部のものをのぞいて中国古来の黄酒系の酒でしめられている。今日,〈茅台酒〉をもって最高とされる白酒系の酒は,元代にその製法が南蕃(なんばん)から伝来し,〈阿里乞(アリキ)〉ないし〈阿剌吉(アラキ)〉と呼ばれて愛飲されたものに由来するという(アラク)。酒造の技術にかんしては北魏の賈思勰(かしきよう)の《斉民要術》,北宋の朱肱(しゆこう)の《酒経》,明の宋応星の《天工開物》などに記述があり,また明代には《酒史》や《酒顚(しゆてん)》などの酒徒の列伝も現れた。
執筆者:吉川 忠夫
アラビア語ではハムルkhamrといい,イスラム以前のジャーヒリーヤ時代にイラクやシリアから,ユダヤ教徒やキリスト教徒がアラビア半島内部に酒を持ち込んだものとみられ,イスラム発生期にはメッカの住民はことあるごとに酒を飲むほどになっていた。飲酒の結果,賭け矢(マイシル)遊びにはしり,さまざまな弊害が目につくようになった。このため禁酒についてなん回か啓示を受けたムハンマドは,ついに全面禁酒の啓示(コーラン5章90~91節)を受けるにいたった。酒,賭け矢,偶像,矢占いはいずれも嫌悪すべきものであって,サタン(シャイターン)の業(わざ)であり信仰を妨げるものであるから,これを避けよという命令であった。この啓示はスンナ派四法学派はもちろんのこと,シーア派においても等しく受けとめられ,飲酒はハラームḥarām(禁断)であり,酒類の製造,販売も禁止された。ハディースにも酒が悪徳を誘うものであって,飲んではならないとしたものが多い。問題はハムルと呼ばれる酒の範囲であるが,第2代カリフ,ウマル1世がブドウ,ナツメヤシ,はちみつ,大麦,小麦の5種を原料とした飲物をハムルと断じて決着をつけたといわれる。ウマル1世は〈酒とは人智を曇らすもの〉といっており,以上の5種を原料としたものはもちろん,飲んで酔うものはすべてハラームであるとの考えが支配的になった。これを犯すと80回(奴隷40回)のむち打ちに処すべきであるとしている法学派が大部分であるが,シャーフィイー派はムハンマドと初代カリフ,アブー・バクルの慣行どおり40回(奴隷20回)のむち打ちの刑を加えることになっている。このような厳格な禁酒の掟があるにもかかわらず,必ずしもイスラム世界の各国でこれが厳格に守られているとはいえない。文学史上ではジャーヒリーヤ時代のカシーダ(長詩)の序言の部分に酒がたたえられ,アッバース朝(750-1258)時代にはハムリーヤートkhamrīyāt(酒を主題にした詩)が多くつくられた。中でもアブー・ヌワースは最大の退廃的詩人で,酒屋に入りびたり,同性愛にふけり,数々の悪徳をつんだ。一方,恋愛詩の用語を用いて神への愛をうたいあげる神秘主義詩人においては,ハムルという言葉は神との合一体験に達して,恍惚(こうこつ)とした境地に至ること(ファナー)を象徴的に表すのに用いられた。なお,西アジア特産の酒としてはアラクがよく知られている。
執筆者:池田 修
現在ヨーロッパの国々には,世界的に名声の高い特産酒がその国を代表する酒として知られている例が多い。スペインのシェリー,ポルトガルのポート,マデイラ,ハンガリーのトカイなどのほか,フランスのシャンパン,コニャック,イギリスのスコッチなどが挙げられる。しかし,これらの特産酒が産出国の酒文化を代表するとはいいがたいのが現状である。商品流通の規模が飛躍的に拡大した今日,特産酒の多くは輸出先の飲酒動向により敏感に対応せざるをえなくなっているからである。
ヨーロッパは,それ自体国家単位の集合としてではなく,歴史的に構成されてきた共通の文化要素によって束ねられた社会である。各種の酒が入りまじって存在する今日のヨーロッパの酒文化は,異民族,異部族の文化が重層して,いわゆるヨーロッパ的な生活様式を形成した結果とみることができる。そして,酒文化に種々の様相を示すヨーロッパを,東アジアやイスラムなどと比較すれば,そこに画然としてヨーロッパ固有の酒文化の特質を見いだすことができる。すなわち,ブドウ酒(ワイン)とビールを国民的飲料としていること,そして,容器にオーク材の樽を用いることである。酒は,その原料において自然環境と,その生産技術において歴史的過程と密接な関係をもつものであり,そもそもは外来の飲物であったブドウ酒とビールがヨーロッパ全体に共通の酒として定着していく過程をたどることによって,ヨーロッパの酒文化の特徴を知ることができる。
ブドウ酒は地中海周辺のラテン的・古典古代的生活文化に根をもつ飲料であり,ビールはアルプス以北のゲルマン的・封建制的生活文化を温床としている。ブドウ酒もビールも,その発祥はヨーロッパではない。ブドウ酒はローマ人がギリシア,フェニキアからブドウの木とともに受けついだものである。ビールは古代オリエントの醸造技術がスラブ人,ゲルマン人,ケルト人に伝わり,中世ヨーロッパにおいて今日のビールの原型が完成した。
地中海世界の果樹栽培を主体とした古典農業が伝播(でんぱ)した地域は,比較的早くからブドウ酒醸造・飲用の風習が浸透したが,これは地中海周辺地域の乾燥した風土が,保存可能な飲料であるブドウ酒を水分補給のための生活必需品としたからであった。ギリシアにおいてブドウ酒が酒神ディオニュソスへの信仰と強く結びつき,酒宴の飲みものであったのに対し,ヨーロッパに広まったブドウ酒は,バッカス信仰を受けつぎながら,日常の食事と一体となって,酒としての属性を抑制する飲み方に変わった。そこには飲水の代りにブドウ酒を飲まなければならない自然環境があり,加えてキリスト教文化の影響が,ブドウ酒を他の酒類と異なる飲みものにしたためである。
ローマ帝国の版図拡大にともなって,ブドウ栽培が地中海沿岸からヨーロッパ内陸部へ広がっていったころ,そこではすでに先住のケルト人が大麦の酒をつくっていた。しかし,ケルト人はローマ文化に同化され,彼らの固有な酒文化をガリア地域にとどめてはいない。後世,ケルト人の酒としてわれわれが享受するのはスコットランドの辺境に伝承されたウィスキーで,これはまた大麦の酒を蒸留するという技術において,イベリア半島を通じて伝播したイスラム文化の恩恵を受けている。
ゲルマン人の大移動が始まる4世紀後半までに,ヨーロッパのブドウ栽培は今日の北限をはるかに越える地域に及んだが,ここにゲルマン人が定住すると,古代ローマの文化は各地の修道院に継承,温存され,それを取り囲むようにしてゲルマン的有畜農耕文化が展開する。中世農業革命とも称される三圃制(さんぽせい)農業の成立が,醸造原料としての大麦の調達を容易にした。ビール醸造技術はゲルマン人にも伝承されていたが,知識・技能集団である修道院はブドウ酒のみならずビールにおいても先導的役割を果たした。
中世の修道院は,キリスト教会のミサになくてはならないブドウ酒をゲルマン社会のなかで自給するため,ローマ人が開墾したブドウ園を維持し続けた。その一方,修道院領は麦作農耕の最も先進的な経営単位でもあった。ローマ人のブドウ酒とゲルマン人のビールが共存するヨーロッパの酒文化は,まさにこの時期の修道院を源流としている。
ブドウ酒をオーク樽に貯蔵して熟成させる方法を古代ローマ人は知らなかった。ビール醸造用の木製容器が,ブドウ酒の容器を土器から樽に変えた。さらに,19世紀以降ガラス瓶とコルク栓を組み合わせた容器が大量に使われるようになって,ブドウ酒の長期保存と広域流通が可能になった。ビールもまた瓶と王冠の使用が,ビヤホールから家庭へ,飲用場所を拡大した。
ヨーロッパ東部には伝統的な蒸留酒が数多く分布している。バルカンを中心とした南部は果実を,ロシア,ポーランドなど北部では穀類,ジャガイモ,テンサイなどを原料とする。これらは通常貯蔵せずにそのまま飲用されるが,未熟なにおいを抑えるために,香草,薬草によって香味を賦与したり,シラカバの炭を用いて脱臭することがしばしば行われる。とくにアニスの種子からとる精油を添加したものは,嗜好の地域性がきわだっている。その分布はビザンティン文化の及んだ範囲とほぼ一致する。
ヨーロッパ西部は,スペイン,フランス,アイルランド,スコットランドを結ぶ蒸留技術の伝播経路にブランデー,ウィスキーの産地が連なっている。アルマニャック,コニャック,カルバドス,アイリッシュ,スコッチ,これらはいずれも樽に長期間貯蔵し熟成させる。醸造酒においては,その原料によってブドウ酒とビールの分布に南北の対比が生まれるが,蒸留酒においては,貯蔵,熟成の有無によって東西の酒文化の特徴をみることができる。
執筆者:麻井 宇介
酒は古くはひとりで飲むものではなく,集団の儀礼のなかにあって飲むものであった。集団の儀礼は神と人との交流の場であり,そこで用いられた酒は少彦名命,大物主神などの酒の司(くしのかみ)によりもたらされたものとされていた。倭人が酒をたしなんだことは,3世紀の《魏志倭人伝》の記すところである。飲むにあたって酒坏(さかずき),酒盞(さかずき),鋺(まり)などが用いられ,この酒坏,酒盞などはカシワの葉の上にのせられるのが酒宴の作法であった。古代の酒宴での酒は燗酒(かんざけ)ではなく冷や酒であった。〈儀制令〉の春時祭田条によれば,奈良時代の村では春,郷の老人を集め郷飲酒礼がなされていたし,766年(天平神護2)の越前国足羽郡の郡司の出した書類では,彼は神の社の春の祭礼に酔伏し,装束をつけることもかなわぬようなありさまであった。奈良時代の村人にとっては,社の祭礼などが酒を飲む機会であり,時や所にかまわず酒を飲むようなことはなかった。宮廷での神事や節供には酒宴が催され,大きな盃(さかずき)に満たされた酒が一座の全員にまわされた。一巡するとこれが一献(いつこん)であり,三献が普通であった。料理の品目を献立というのも,この酒宴からきている。まわし飲みではなく,各人の盃に長柄のちょうし(銚子)で酒がつがれ飲むのが,一度の勧盃(けんぱい)であった。勧盃あるいは三献はあくまで儀礼であり,これを宴座(えんのざ)と称した。これに続く穏座(おんざ)はかなり自由にふるまえるものであった。また天皇から殿上人に酒をたまわる淵酔(えんずい)と呼ばれる酒宴も催されていた。奈良時代の酒といえば,山上憶良の〈貧窮問答歌〉にみえる糟湯酒(かすゆざけ)があり,また酒を好んだ大伴旅人のことが知られている。糟湯酒は酒糟を湯にとかしたものであった。宮廷で用いられていたのは,もろみを布袋に入れしぼったものであり,板葺宮出土の木簡に〈須弥酒(すみさけ)〉とある。濁り酒とは別のもので,一般の庶民の口に入るものではなかった。また写経所の職人が,3日に1度は酒を役所から給するようにと要求しているが,その名目は薬分としての酒であって,酒宴の場で飲むためのものではなかった。酒は酒壺に入れられて保存され,そこから提子(ひさげ)に入れられて宴席に運ばれた。《今昔物語集》には酒に関する多くの話が収められているが,提子に酒を入れて熱くわかしたとあるから,平安時代中期以降には燗酒もみられたことが知れる。また色が黄ばんでいたので,酒の泉と知ったとあり,白濁した酒以外のものもあったわけである。隊商をひきいて商売をする水銀商人は,家で酒をつくりこれを蓄えていたし,豪族のやかたには酒倉もみられた。
平安時代の《和名抄》をみると,酒(さけ),醴(こさけ),醪(もろみ),醇酒(かたさけ),酎酒(つくりかえせるさけ)があげられている。醴は一夜酒とも呼ばれ,《延喜式》によれば米4升,蘖(こうじ)2升,酒3升で9升の醴がえられた。工匠や役夫には魚,和布のほかに醴6合が日ごとに給せられていた。醴は甘酒に似たものであったらしい。醪は〈汁滓酒也〉とあり,下等の酒とみられていた。醇酒は厚酒とされ,《新撰字鏡》にはからき酒とある。《正倉院文書》には,雇夫,雇工に辛酒1升を水4合でわり,2日に1度,1人3合あて給すとみえている。酎酒は三重醸酒とあり,焼酎に似たものであったらしい。《和名抄》のあげる酒の種類の内容からすると,酒以外のものは酒よりやや劣る飲物として位置づけられており,それらは宮廷の儀礼には用いられず,労働をする者へ給与されるものであった。おそらく,これらの酒の飲み方は宮廷のそれとはことなっていたことと思われる。《平家物語》にみえる鹿ヶ谷の山荘での酒宴には瓶子(へいし)が並べられていたし,《徒然草》は北条時頼がちょうしに酒を入れ,土器(かわらけ)でみそをさかなに飲んでいたと伝える。集団で飲む伝統は鎌倉時代には正月の椀飯(おうばん)があったが,時頼にみられるように個人あるいは少人数で飲むならわしも一般化していった。時頼は1252年(建長4)に鎌倉中で1軒に1個の酒壺を許し,その余の3万7274個を壊させたが,この酒壺の数は,家々で酒をくみかわすならわしの存在を前提としていた。鎌倉幕府法にはしばしば酒宴の禁止令がみられるが,それは念仏者や僧院の酒宴の禁止であった。また酒宴にひのき折敷(おしき)や華美な器物を用いることも禁ぜられている。酒を個人で飲むことが一般化すれば,酒器をりっぱなものにしようということになり,そこにこの禁令が出された背景があったといえよう。若狭太良荘の百姓の1334年(建武1)8月の申状は,地頭代官の非法を挙げたものだが,そこには代官が正月の節の食の席で,百姓に給すべき酒を給せずこれを他の所に運び,節の食では糟絞(そうこう)を盛って百姓に出したのは,先例をみない希代の所業であると非難している部分がある。農民の間に正月の共同飲食のならわしがあり,そこでは領主側から酒が支給されていたことがうかがえる。室町時代に摂津垂水荘で,村人の在地寺院での寄合いのおりの酒代が領主側から支出されているのも,共同飲食のならわしが広く行われていたことを示している。室町幕府法では,とくり(徳利),ちょうし,提子は雑具ではなく家具として分類されており,酒器が家具として定着していたことを語っている。戦国大名の〈結城氏新法度〉では,瓶子,樽に酒を入れて売る酒売の不正が問題にされ,また朝夕の親類,縁者,傍輩による寄合酒の規模を菜3種,汁1椀と定めているが,他所他家の人の酒宴はこの制限からはずされており,当時の名酒である天野,江川,菩提山を飲むことも認められていた。内々の酒宴の過差は〈宇都宮家式条〉でも禁ぜられている。酒宴の規模は〈吉川氏法度〉でも,〈汁一,菜二,引さい二番,酒二三返,盃は末中〉と定められ,酒の種類は問わなかった。同法度では酒法度とし,〈公界(くがい)にて御酒を下されまじき事〉と定めている。公界が日常の支配体制の外にある存在であるとするならば,酒宴は日常の世界に根ざしたものであり,それゆえに支配者が酒宴の規模について規定するわけである。酒器は共同飲食,神事の場では,ちょうしと木盃(もくはい),瓶子と土盃(かわらけ)が冷や酒を入れるのに用いられた。個人の飲食では燗酒が陶器の燗とくりとちょこにより飲まれるようになり,近世には広く一般化した。燗酒の方法は初めは燗なべに酒を入れ,火にかける直燗から,熱した湯にちょうしを入れる湯燗に変わった。道具も燗なべからちょうし,さらに銅製のちろり,陶器の燗とくりへと変遷したと《守貞漫稿》は記している。近代に入り,日本酒以外の酒が輸入され,酒器も変わり,酒の飲み方も変わったが,酒への観念は伝統的なものが強く残されている。キリスト教の影響で1898年に日本禁酒同盟が成立し,さらに1922年に〈未成年者飲酒禁止法〉が公布されたが,あまり効果はなかった。
→宴会 →酒屋
執筆者:西垣 晴次
日本の社会は伝統的に,飲酒あるいは酩酊(めいてい)中の行為に対して寛容だといえよう。しかし,法律上は,飲酒について種々の規制が加えられている。〈酒に酔って公衆に迷惑をかける行為の防止等に関する法律〉(1961公布。酩酊防止法と略称)の2条は,〈すべて国民は,飲酒を強要する等の悪習を排除し,飲酒についての節度を保つように努めなければならない〉と規定しており,同法は救護を必要とする酩酊者について,警察官による保護措置を定めると同時に,公共の場所または乗物において公衆に迷惑をかけるような言動をした酩酊者について,拘留または科料の罰則を定めている。
飲酒ととくに縁の深い法律として,道路交通法がある。同法65条は,〈何人も酒気を帯びて車両等を運転してはならない〉と定め,同時に,運転者に飲酒をすすめる行為をも禁止している。にもかかわらず,同条違反は,毎年の道路交通法違反事件中,速度超過に次いで多い件数を示すのが現状である。同条違反の罪は,酒酔運転の罪(道路交通法117条の2-1号)と酒気帯び運転の罪(119条1項7の2号)とに分かれるが,前者は,アルコールの影響により正常な運転ができないおそれがある状態での飲酒運転を意味し,その法定刑は2年以下の懲役または10万円以下の罰金である。後者は,いわゆるほろ酔運転を処罰するものであり,血液1mlにつき0.5mgまたは呼気1lにつき0.25mg以上のアルコールを保有する状態(道路交通法施行令44条の3)で車両の運転をした者につき,3月以下の懲役または5万円以下の罰金を定めている。さらに,飲酒運転の場合は,通常反則金の納付で処理される反則行為についても,その適用が除外される(125条2項3号)などきわめて厳しい取扱いがなされることに注意する必要がある。
酩酊も,その酔い方が異常なときは,場合によって刑事上の責任能力を喪失または減少させる場合がある。これを単純酩酊に対し異常酩酊と呼ぶが,異常酩酊はさらに量的な異常を伴う複雑酩酊と質的な異常を伴う病的酩酊とに区分される。一般に,前者は心神耗弱(刑法39条2項),後者は心神喪失(39条1項)にあたると解されている。もっとも,酩酊すると自己に以上のような習癖の現れることを知っている者が,酩酊中に犯した犯罪については,責任能力を認めてこれを処罰しうるとする〈原因において自由な行為〉の理論が有力となっており,判例にもこの理論の適用を認めるものが現れている。民事法上も,酩酊による心神喪失状態の間に行った不法行為(民法709条)については損害賠償責任が否定されている(民法713条)。このことは,契約等の法律行為についても同様であり,明文の規定はないが,酩酊による心神喪失状態においてなされた契約は,意思能力を欠くため当然に無効と解されている。
執筆者:西田 典之
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…食欲増進剤の意であるが,一般には食前酒をさす。ふつうワイン系のものとスピリッツ系のものが用いられる。…
…語根‘‐r‐qは〈少量の水〉を表し,派生動詞‘arraqa,ta‘arraqaは〈酒に水を少々混ぜる〉の意味を示す。アラックともいう。…
…
[アルコール中毒とアルコール依存]
エチルアルコールによる中毒は急性中毒と慢性中毒に分けられるが,最近では慢性中毒という用語はしだいに用いられなくなる傾向にある。それは,酒類に含まれるエチルアルコールを持続的に飲用し,その常用量を超えたり,異常な飲用を繰り返すに至ると(〈アルコール乱用〉),酒類の飲用を中止できなくなる状態になるが,それは急性中毒とは違った生体変化によると考えられるので,中毒症状とは区別して〈依存〉と呼ぶことがWHO専門委員会で提唱されたことに基づく。そこでアルコール飲用によって起こる精神身体障害は急性アルコール中毒,アルコール依存に大別され,アルコール依存を基礎にしてアルコール精神病alcoholic psychosisが生じるとされる。…
…店先などで手軽に酒を飲ませる店の称。
[日本]
江戸時代の前期,すでに街道筋の茶店は酒肴(しゆこう)をひさいでおり,都市の煮売屋が酒を提供したことも考えられるので,専業の居酒屋はそれらから分化して,江戸時代中ごろには成立していたと思われる。…
…青銅の技術が中国で発見されたものか,外来のものであるか,現在では前説をとる学者が多い。前期の時代に,簡単な爵(酒器)や鈴,ナイフなど小型の器の鋳造が始まる。銅,錫の鉱石からの分離,合金としての融合がまだ十分ではないが,石器時代と異なった新しい技術の出現である。…
…オオムギ麦芽,あるいはこれに種々の穀類(オオムギ,コムギ,ライムギ,エンバク,トウモロコシ)を加えたものを原料とした蒸留酒。アルコール分40%内外。…
…1794年アメリカのペンシルベニア西部の農民が連邦政府の新税法に反対して起こした一揆。ウィスキー反乱ともいう。1791年A.ハミルトン財務長官の提案にもとづき制定された内国消費税法は,巨額の公債利子支払いの財源捻出のため国産ウィスキーに対する課税などを決定した。ところが,民主的伝統ならびに反政府的気運の強いペンシルベニア西部では,農民が唯一の換金商品としてウィスキーを醸造していたので,この新税法は彼らに不当な財政負担をおわすものであるとしてこれに強く反対した。…
…アルコール分40%以上の無色透明の蒸留酒の一種。名称はロシア語のワダvoda(水)に由来する。…
…また,穀物栽培民の間では,穀物の栽培過程の折り目ごとに,神に犠牲がささげられ,神と人びとが交流する宴会が盛んに行われる。南米ペルーの南東部に住むインディオの村では,毎年,9月に〈御誕生の聖母祭〉が行われるが,教会での厳粛な儀式と並行して仮面踊が催され,祭りの期間中,インディオたちは有り金をはたいて酒と喧嘩に明け暮れ,狂乱と浪費の時を過ごす。台湾の中部山地に住むブヌン族は,ふだん,イモや雑穀を食べてアワの貯蔵につとめているが,アワの祭りを迎えると,彼らはアワ酒をつくり,家豚や野獣の肉を用意して饗宴を競い合う。…
…果実を原料とする醸造酒。果実を搾ってとった果汁を発酵させてつくるもので,これが本来の果実酒であるが,日本では一般に果実を焼酎などに浸漬(しんし)し,発酵させることなしにその香味を抽出する梅酒のような果実リキュールをも,果実酒と呼ぶ。…
…〈一味同心〉といい,同じ飲食物をともに味わうことによって親密感を増し,心を一にして共同体的結合を強化しようとするもので,中世郷村制成立期の惣村・郷村における茶寄合もその一つである。さらに武士団の党ややくざの集団で,酒を酌み交わし会食するのも,共食によって主従的結合,同志的結合を強めようとするものである。桃太郎説話で,桃太郎が鬼退治に出かけるとき腰に下げたキビダンゴも,たんに腹がへって食べるのではなく,犬・猿・キジに与えて共食することによって,主従の交わりを結ぶための食物であった。…
…過度の飲酒にたいする戒めの歴史は酒の歴史とともに始まったようで,古代オリエントについてすでにそうした記録がある。飲酒の行為はもともとは宗教行為と密接な関係にあったが,飲酒がしだいに日常化するにつれて酒の弊害は広く社会問題になっていった。…
…アメリカ合衆国で1920年から33年まで,酒精飲料の醸造,販売,運搬,輸出入を禁止した法律。第1次大戦期に禁酒運動と道徳意識が著しく高まる中で,1917年連邦議会は禁酒を規定した憲法第18修正を可決,19年10月法案提出者の名をとってボルステッド法Volstead Actと呼ばれる禁酒法が制定され,翌年1月発効した。…
…〈庫〉とも書かれる。構造の違いから高倉,板倉,校倉(あぜくら),丸木倉,石倉,土蔵(どぞう),穴蔵などがあり,管理や用途によって正倉,勅封蔵,郷蔵,米蔵,酒蔵,木蔵など,さまざまな名称がある。16世紀後半以降,防火のため,外側を土で厚く塗り込める形式が多く用いられるようになった。…
…米,麦,大豆などにコウジカビなどのカビをはやしたもの。カビのつくりだす酵素がデンプン,タンパク質をそれぞれ糖やアミノ酸に分解することを利用して,酒類,みそ,しょうゆなどの醸造や漬物,菓子などの製造に用いられる。こうじを用いる技術は東アジア圏にかぎられ,ヒマラヤ地域から日本を含む照葉樹林帯を中心に,北は中国,南はインドネシアまで広がっている。…
…酒を飲むのに用いる器。形状,大きさなどによって,盞(さん),巵(し),觚(こ),爵(しやく),觴(しよう),そのほか多くの字が使われる。…
…盃をとりかわしそれによって約束をかためること。酒はもとはハレの飲みもので,神祭に際して醸され,ひとつ盃を大勢で飲みまわして神霊と人,人と人を結合させたり,その結合を強化,確認するためのものであった。やがて人間相互の緊密な関係の誓いに際しても盃事が行われるようになった。…
…江戸時代に発展した酒の配給に関与する問屋。ある限られた地方市場を販路とする地酒などは,造酒屋が店舗をかまえて小売もしているが,城下町をはじめ宿場町・港町・在郷町などでは造酒屋と小売酒屋のあいだに酒問屋が介在して,酒の販売を一手に引き受けていた。…
…日本古代における酒造は,禁裏造酒司(さけのつかさ)や神社付属の酒殿において行われ,また各戸においても容易に醸造できたためか,酒屋を商業として営むものは少なかった。《日本霊異記》に酒を水でうすめて売る女が現れてくるのが早い例であろう。…
…明治初期における酒造業者の酒税軽減運動の一つ。当時の租税収入は地租,酒税などに限られていたことから,政府財源における酒税の占める割合は高かった。…
…中世において酒屋に課された営業税。京都をはじめとする都市の酒屋に税を課すことは,鎌倉時代に朝廷ではたびたび論議された。…
…江戸時代,酒造業に対して課せられた酒造税。中世には酒屋役,麴役があり,江戸時代でも諸藩では初期から酒運上,酒役銀などの名目で課税された。…
…〈酒屋歌〉ともいい,造り酒屋で酒を仕込むときに歌われる労作唄。酒造りの季節,冬期約3ヵ月間を主に農山村から出稼ぎに来る,専門の酒造り職人のことを杜氏(とうじ)と称する。…
…おとなしい旧来のダンスではなく,脚を上げて跳ねまわるような,〈お行儀の悪い〉チャールストンが流行,未婚女性の,付添いなしの異性交遊も初めておおっぴらになり,異性間のペッティングさえ一般的になってくる。そして禁酒法の施行(1920‐33)にもかかわらず,女性でアルコール飲料を飲む者も増えてきている。 風俗的には革命的だったとしても,政治的にはそうではなく,これもフィッツジェラルドによると,〈完全な政治的無関心が,ジャズ・エージの特徴だった〉という。…
…
[日本の酒器]
酒を飲むために用いられる容器の総称。口に運んで飲むための杯やグラス,それらに酒を注ぐための銚子(ちようし)や徳利(とくり∥とつくり)が主要なものであるが,杯を置く杯台,杯を洗うための杯洗(はいせん∥さかずきあらい),酒を貯蔵または運搬するために用いられる甕(かめ)や樽をも含む。…
…酒焼けともいう。顔面の皮膚の脂肪分泌が増加し,血管が拡張して炎症を起こすもので,その症状によって第1~3度に分けられる。…
…製造場から移出される酒類または保税地域から引き取られる酒類に対し,酒税法(1953年制定)に基づいて課される国税で,消費税の一種。酒類には,タバコと同様高率の負担が課されており,諸外国でも付加価値税等の一般的な消費税とは別に酒税が課される例が多い。…
…酒造法(1953公布)で決められている酒類(アルコール分を1%以上含む飲料および溶かした場合アルコール1%以上となる粉末)を製造する産業。 1995年度の酒類の出荷量(課税移出量)をみると,清酒130万kl,焼酎(しようちゆう)68万kl,ビール698万kl,ウィスキーおよびブランデー18万kl,果実酒類17万kl,その他合成清酒,みりん,リキュールなどで,総出荷量は1000万klとなっている。…
…江戸時代,幕府が米の需要と米価調整の立場から,酒造に対して行った取締令。幕藩領主は,農民より貢租として徴収した米を換金して領主経済を支える財源としたので,米の需給と米価の動きにきわめて強い関心をもっていた。…
…上戸は酒を多く飲む人,下戸は酒が飲めぬ人をいう。いずれも平安時代には使われていた語で,上戸は《大鏡》,下戸は《色葉字類抄》に見られる。…
…日本在来の蒸留酒。〈焼〉は加熱の意,〈酎〉は重醸,つまり,つくりかえした濃い酒の意である。…
…穀類を原料とする蒸留酒の一種。いくつかの種類があるが,オランダ・ジン(ジェネバgeneva)とロンドン・ジンが代表的なもので,いずれもジュニパーベリー(杜松子(としようし)。…
…酢酸を含む液体酸性調味料で,食酢(しよくす)ともいう。酸敗した酒に起源をもつと考えられ,古く中国では〈苦酒(くしゆ)〉ともいい,日本では〈からさけ〉といった。英語のビネガーvinegarも〈すっぱいブドウ酒〉の意である。…
…米と米こうじと水を主原料として醸造した日本固有の酒。明治以降,各種外来酒の国産化が始まってから,一般に日本酒とも呼ばれている。…
…専売は,その目的により,財政専売または収益専売と,行政専売または非収益専売とに分けることができる。前者は,政府等が特定の物品を独占的に生産・販売することによって財政収入を得ることを目的とするもので,タバコ,火酒(アルコール度の高い酒)などの専売がこれに当たる。この場合には,国民はその物品の購入に際して,政府の決定した価格による対価の支払を強制されるため,実質的には消費税を課したのと変わらない結果になる。…
…江戸時代,灘,伊丹などの上方から江戸へ積み出される酒樽(4斗樽)をおもな荷として,大坂,西宮から樽廻船問屋によって仕立てられた廻船。樽船ともいう。…
…アルコール依存から脱却するために依存者たちが断酒を誓い,再飲酒しないように励ましあう会。アルコール依存症は,酒を断つために入院治療を行っても,退院して間もなく再飲酒してしまう例がきわめて多い。…
…酒を嫌いにさせる薬で,嫌酒薬ともいう。この薬をあらかじめ投与しておくと,アルコールに対する反応が異常になって不快な症状に苦しむため,慢性アルコール中毒患者が酒をやめたいと望む気持ちを強化してくれる。…
…中国でつくられる酒の総称。伝説では,尭(ぎよう),舜(しゆん)も酒を飲み,禹(う)は儀狄(ぎてき)のつくった酒がうますぎるとして禁止したなどの話があるが,もとより酒造の起源は明らかでない。…
…古代ギリシアの神。豊穣とブドウ酒の神とされ,その崇拝は集団的興奮のうちに恍惚(こうこつ)境に入る祭儀を伴った。彼にはまた小アジアのリュディア語に由来するバッコスBakchosの別名があり,ローマ神話ではこちらを採ってバックスBacchusと呼ぶ。…
…農漁村出身の酒造季節労務者の長として各酒蔵で清酒を醸造する最高責任者の称。また,酒造労務者の総称ともされる。…
…アルコール摂取についてはフラミンガム研究では虚血性心疾患の発症に対してほとんど影響がないとしている。日本の研究では,酒を毎日飲む者は,ときどき飲む,あるいは飲まない者よりも脳死が多く,大量飲酒の習慣は心筋梗塞,脳梗塞の危険因子となりうるとしている。(7)遺伝因子 以上の動脈硬化成因の多元的な因子の根底に遺伝的因子が存在しているといえる。…
…イギリスの酒場,パブリック・ハウスpublic houseの略。本来,パブリック・ハウスとは,認可を受けて酒類を提供する場所のことで,宿屋(イン),居酒屋(タバーン),ジン・ショップ,ビア・ハウスなどと呼ばれるものがあった。…
…麦芽を主原料として醸造した,炭酸ガスを含むアルコール飲料で,ホップに由来する苦みを有し,持続性の泡を生ずる特徴がある。世界中で最も多く消費されている酒で,世界の1992年の製造量は1億1470万klであった。
【ビールの種類】
ビールは製造に使用する酵母によって,上面発酵ビールと下面発酵ビールに2大別される(表1)。…
…英語のワインをはじめ,フランス語のバンvin,ドイツ語のワインWeinなどは,みなラテン語のウィヌムvinumを語源とする。かつては世界のブドウの産地は北半球に限られていたが,16世紀後半以後に南アメリカ,南アフリカ,オーストラリアなどでも栽培されるようになり,南半球でもブドウ酒が生産されるようになった。ブドウ酒は,ブドウの糖分を発酵させるだけで酒になる単発酵酒なので,おそらく人類が最も古くからつくっていた酒と思われる。…
…ブランデーは,〈焼いたブドウ酒〉の意のオランダ語のbrandewijnやフランス語のvin brûleに由来する。したがって,本来はブドウ酒を蒸留してつくるグレープブランデーのことで,他の果実酒を蒸留したフルーツブランデーはそれぞれ原料果実名を冠して呼ぶ。…
…このほか,この地域を中宮とする説もある。
[官衙区域]
平城宮内で見つかった官衙区域のうち名称が推定できたものは,馬寮(めりよう),大膳職(だいぜんしき),陰陽寮(おんみようりよう),式部省,兵部省,民部省,造酒司(さけのつかさ)等であり,その遺跡を直接確認したものは馬寮,大膳職,陰陽寮,造酒司である。馬寮は平城宮西辺にあって,長い細殿的な建物からなり,その細殿にかこまれて広い空間がある。…
…朝鮮の濁酒。もち米,うるち米,アワ,サツマイモ等とこうじを原料として作られ,原料によって,サル(米)マッカリ,コグマ(サツマイモ)マッカリ等とよばれる。…
…外側の壁と囲いの間の空気が断熱層になって,一定の室内環境を保ち,酵母の育成を進める。麴室は,酒や醬油造りに欠くことのできない施設である。【鈴木 充】。…
…酒に酔うこと,いわゆる酒酔い。アルコール飲料を飲用したときに起こる精神身体的変化のことで,医学的には急性アルコール中毒をさし,アルコール飲料に含まれるエチルアルコールが中枢神経機能を抑制することによって起こる。…
…生薬(しようやく)を原料の一部として醸造し,あるいは生薬を醸造酒または蒸留酒に浸して薬効成分を溶出させてつくった酒。 中国の漢代ごろの成立と考えられる《神農本草》に薬草を酒に浸すことが記されているとされる。…
…柳の酒ともいわれた。室町時代初期から江戸時代にかけて京都産の名酒の代表格とたたえられ,〈松のさかや(酒屋)や梅つぼ(梅壺)の,柳の酒こそすぐれたれ〉(狂言《餅酒(もちさけ)》)と謡われた酒で,貴紳の贈答品としても珍重された。…
※「酒」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...
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